コスモスの開花している様子を描きたくて探していましたが、最近は休耕地などでコスモスを植えている所が少なくなりました。と、言うより自分の身の回りで記憶している所はコスモスが植え付けられていません。どうしてこのようになつたのか解りませんが、コスモスをモチ-フにしたい場合は咲いている場所を探すのに困惑します。そんな時ネットで探し当てたのがこの牛久大仏で有名な「牛久浄苑」です。大仏さんの前にコスモスやラベンダ-が栽培されていました。花の向こうに佇む大仏さんを描いたのですが、やや太り気味の大仏さんに仕上がりました。この浄苑は浄土真宗東本願寺派がここ牛久市に作ったものですが、そその昔親鸞聖人が流刑地越後から赦免されてここ茨城に来りて浄土真宗を初めて布教開始した地と言うことを意識して作り上げたものと推察します。大仏さんはエレ...やや太り気味の牛久大仏ささん(2020/10/3)
小生の住む街の商店街の様子です。中城商店街と言いますが、もともとは土浦城の場内の中門があった区域かと勝手に想像しとています。商店街入口の左手には古い建物が現存していて、天ぷら屋「ほたて食堂」として営業しています。又、右側には白い壁の蔵造の居酒屋があります。この通りを奥に進むと土浦の街の古い街並みと建物が保存されています。最近は地元を対象にた風景を描いていて、あまり遠出はしなくなりました。自分が所属した水彩教室や水彩画会が県庁所在地水戸市だったので、水戸を主体にしたモチ-フが多かったのですが、諸事情から水戸へ通う機会が少なくなりました。そんな訳で県南主体の作品を描いています。中城商店街の光景(2020/9/17)
茨城県の筑波山を西に向かうと栃木県に入り、陶芸の街として名高い益子の街を抜けると彼方に独鈷山・西明寺と言う真言宗のお寺があります。以前一度訪れたのですが、九月の熱い最中モチ-フを求めて再び行ってきました。ここは平安時代の歌人紀貫之の紀氏(きうじ)の子孫が遥か遠くの都から流れ着いた所です。その屋敷跡が現在この西明寺として保存されています。古今和歌集を編纂したり、土佐日記を記した紀貫之は歌や文学の基礎を築いた人として有名ですが、貫之以後は藤原氏などの陰に隠れて次第に存在が薄れ、子孫は都を離れてこの地にたどり着いたようです。小高い山の上に三重塔と山門がそびえています。茅葺の山門は大変珍しく火災にあうこともなく今日まで保存されてきたようです。歴史の痕跡を辿るドライブは、絵のモチ-フ探しを兼ねた日帰りの旅として小生の楽し...紀氏の寺・西明寺(2020/9/13)
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