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  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(7)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(7)(紫陽社、2022年06月01日発行)7篇目「空から、蛇が」には、注がついている。「1997年8月、永山則夫の死刑が執行された。著書の印税は「永山子ども基金」となり、南米ペルーで働く子どもらの活動資金や学費として、活用されている。」このことを、どうとらえればいいのだろうか。石毛は、ペルー、リマに、空から降ってきた蛇と子どもを対話させている。なぜ、空から降ってきたのか。蛇は応えていった--秋の暮れ、もの憂いのついでに、子どもを噛んでしまった。さらに子どもらは口々に言い放った--手足のない、くねり歩きを馬鹿にされたのかい?(略)--おまえの無知のなせるわざが、そうさせたのか?--おまえの歯牙は、事のついでに、噛むものではない!苦境に立った蛇が訴える--さっきまで、きみらの仲間にも説教...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(7)

  • 最果タヒ『さっきまでは薔薇だったぼく』(2)

    さっきまでは薔薇だったぼく最果タヒ小学館最果タヒ『さっきまでは薔薇だったぼく』(2)(小学館、2022年04月18日発行)最果タヒ『さっきまでは薔薇だったぼく』の「冬の薔薇」。冬は誰かが凍らせた薔薇が咲いている、この書き出しは、とても不思議だ。冬、薔薇の花が凍っている、凍った薔薇の花を冬に見る。どちらの場合も、私の視点は「凍った薔薇」に向かう。その「凍った薔薇」は、しかし、自然に凍ったのではない。急に気温が下がって凍ったのではない。「誰かが凍らせた」のだ。それは「第三者」かもしれないし、話者自身かもしれない。いずれにしろ、「凍った薔薇」よりも「誰か」(人間)がその背後にいるということが、わからないものを抱え込んだまま、迫ってくる。その不思議さを抱えながら私は読み続ける。冬は誰かが凍らせた薔薇が咲いている、日差し...最果タヒ『さっきまでは薔薇だったぼく』(2)

  • 市民は、どう思っている?

    市民は、どう思っている?2022年04月28日の読売新聞(西部版・14版)の1面。↓↓↓↓①ウクライナ/国連総長調停難航/プーチン氏と会談②マリウポリ「最後まで戦う」/アゾフ大隊司令官↑↑↑↑二本の記事が並んでいる。①は【ニューヨーク=寺口亮一】と、ニューヨークからの記事。②は【ワルシャワ=上地洋実】とあるから、ワルシャワからの、オンライン取材(インタビュー)。どちらも記者が「現地」で取材しているわけではない。①は国連で関係者から取材したのかもしれない。きのうの夕刊にはグテルとプーチンの写真が載っていたが、ロイターの提供写真だった。二本の記事のなかで焦点として語られているのがマウリポリ。製鉄所には「民間人が1000人以上避難している」(アゾフ大隊司令官)と言う。このことをめぐる3人の主張。↓↓↓↓グテレス氏は(...市民は、どう思っている?

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(6)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(6)(紫陽社、2022年06月01日発行)6篇目「獄中の木橋」。だが腑に落ちない×××点もあるあの時十三歳の少年は哀しみの荒野にいてそれも身ひとつでなによりも手ぶらであった突然「×××」が出てくる。それは、いまだ腑に落ちない×××面もあるいまだ腑に落ちない×××事がある最期で唯一の×××証しとなってしまった殺人を悔いる×××更改ではなかったか。と繰り返される。この「×××」は何なのか。それは、私には理解できない。だからつまずいてしまう。しかし。ここから考えるのである。もし、伏せ字でなかったら、私はこの詩に書かれていることが理解できるか。そもそも、理解とは何なのか。この詩には、他の詩にあるような「副題」や「注釈」がない。だから、タイトルの「木橋」や、途中に出てくる「死刑執行」ということ...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(6)

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(4)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(4)(紫陽社、2022年06月01日発行)5篇目「駿河台の青い空」。菅原克己が、誰かの詩を引用している。それが誰の詩かわからないが、石毛は覚えている。---マクシム、どうだ、青空を見ようじゃねえか菅原が引用しなかったら、そのことばは生き残らなかった。石毛がそれを引用しなかったら、そのことばは生き残らなかった。とはいえないが、いま私がそのことばを読んでいるのは、石毛が菅原の詩を覚えているからであり、菅原は誰かの詩を引用したからだ。ことばは、ことばを生きていく。誰かの詩には誰かの「肉体」が、菅原の詩には菅原の「肉体」が、石毛の詩には石毛の「肉体」が反映されているはずである。そして、その三人の「肉体」には共通するかもしれないが、完全に個別のものである。他人の「肉体」を生きることはできない。...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(4)

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(4)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(4)(紫陽社、2022年06月01日発行)4篇目「天然の水」。最果タヒの『さっきまで薔薇だったぼくに』を読んだ後に、また、石毛の詩に戻ってきた。ここに書かれていることばに追いつくには一呼吸も二呼吸も必要である。一通の封書に驚いた「こんな土埃の砂漠に、みごとな虹がでるぞね!」陽炎のゆれる白昼にそんな便りを受け取ったそのときすでに彼は爆風のなかに消えていたというのだそう!予期せぬ砲撃なんですね美しいという感想が適切ではないことは知っている。しかし、思わず美しいと思ってしまう。それは9・11のビルが噴水のように崩れ落ちるのを見たときの印象に似ている。なぜ、美しいと思ってしまったのだろうか。あのときから、私は自分のことばを信じないことにしたのだが、やっぱり裏切りのように私の肉体のなかから美し...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(4)

  • アスガー・ファルハディ監督「英雄の証明」(★★★★★)

    アスガー・ファルハディ監督「英雄の証明」(★★★★★)(2022年04月23日、KBCシネマ・スクリーン2)監督アスガー・ファルハディ出演アミール・ジャディディこの映画がいちばんおもしろいのは、「事実」を知っているのが主人公と観客だけであるということだ。登場人物は大勢いる。主役は借金で刑務所にいる男。愛人がたまたま金貨の入ったバッグを拾う。それを換金して借金を返そうと思う。しかし、良心がとがめて、バッグを落とした人を探し、返すことになる。そして、実際に返すのだが、このことが「報道」されると、だんだん話がこんがらがってくる。金貨を返したというのは、ほんとうか。だれが、その金貨を見たか。噂(ねたみ?)が噂を呼んで、SNSを通じて、どんどん「疑い」が広がっていく。金貨を見た人が主役と愛人と、主役の周辺のわずかな人しか...アスガー・ファルハディ監督「英雄の証明」(★★★★★)

  • 最果タヒ『さっきまでは薔薇だったぼく』

    さっきまでは薔薇だったぼく最果タヒ小学館最果タヒ『さっきまでは薔薇だったぼく』(小学館、2022年04月18日発行)最果タヒ『さっきまでは薔薇だったぼく』。どこから書こうか。「惑星」から書き始めよう。だが、「惑星」から書く始めるのは、あまりにも私の「都合」という気がしないでもない。書きやすいと感じるから書くのであって、この詩がこの詩集でいちばんいい作品、あるいはこの詩集の特徴をあらわしているかどうかはわからない。私は、まだ全編を読んだわけではない。しかし、「惑星」を読んで、感想を書いておきたいと思ったのだ。感想というのは、日々かわるから、そのときに書かないと違ったものになる。ぼくの体に住んでいるきみはぼくよりもあの子のことが大切で、ぼくの体を借りてあの子に接近したいと考えている。ぼくは突然自分が惑星になってしま...最果タヒ『さっきまでは薔薇だったぼく』

  • Estoy loco por espana(番外篇163)Obra, Jesus Coyto Pablo

    Obra,CaloCarrataláLaexposicióndeCaloCarratalácomenzarápronto.(28deabril,inauguración).Estassonunasfotosdelaobraqueseestárealizandoparalaexposición.Pero......mehansorprendidomuchisimo.Estápintandodirectamenteenlasaladeexposición.Nolosé,porquenopinto,peroelartistanormalmentepintaensuestudioyllevasutrabajoalasala,no?PeroCalopintadirectamenteenlasala.Creoqueesci...Estoylocoporespana(番外篇163)Obra,JesusCoytoPablo

  • 菅沼きゅうり「譲れないもの」ほか

    菅沼きゅうり「譲れないもの」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2022年04月21日)朝日カルチャー講座で、菅沼きゅうり「譲れないもの」(「ココア共和国」2022年4月号)の作品と受講生の作品を読んだ。菅沼の作品は、第7回YS賞の受賞作である。「譲れないもの」の全行。私はここ最近、オートミールに頼りきっている。そして冗談抜きで、カロリーとかもかなり気にしている。いわゆるダイエットってヤツをやってんの、と私は言う知らなかったでしょ、そのことへえそう、とヨーコかなりきついわ。こんなことしてたら、冨永愛だってまいっちゃうんじゃないかしら、あるいはジジ・ハディットだって、と私やめちゃえばいいじゃない、やせすぎで死んじゃうかもよ。それってかなりバカじゃなあい?とヨーコが言うそうかもしれない、と私は言うでも絶対にやめられな...菅沼きゅうり「譲れないもの」ほか

  • ワシントン発(情報の読み方)

    2022年04月21日の読売新聞(14版・西部版)1面。「露、製鉄所を集中爆撃/マリウポリ地中貫通弾使用か/「人道回廊」設置合意」という見出しで、マリウポリの現状を伝えている。↓↓↓↓【ワシントン=田島大志】ロシアの侵攻を受けるウクライナ当局者らは19日、ロシア軍が南東部マリウポリで、ウクライナ軍が拠点とする製鉄所に集中爆撃を加えていると明らかにした。↑↑↑↑大半の記事がそうなのだが、この記事もワシントンで書かれている。そして、この記事の場合、情報源は「ロシアの侵攻を受けるウクライナ当局者ら」である。「ら」が何を指すかはわからないが、もしかすると「ウクライナ当局者」以外の情報源もあるのかもしれない。「ウクライナ当局者」だけが情報源ならば、わざわざワシントンに行かなくても書けるだろう。日本にいても書けるだろう。な...ワシントン発(情報の読み方)

  • なぜ、ベネズエラ?(情報の読み方)

    2022年04月19日の読売新聞(14版・西部版)外電(国際)面に、「ベネズエラ人道危機/政情不安600万人国外へ」という見出し、記事がある。いま、世界中がウクライナの人道危機に注目している。読売新聞も1面で「露、300か所にミサイル/標的拡大リビウ死者7人」とトップ記事で報道している。ウクライナの状況よりも伝えなければならないベネズエラの問題とは何だろうか。↓↓↓↓南米ベネズエラから国外に逃れる避難民がここ数年急増し、人口の2割となる600万人に達した。世界有数の産油国にもかかわらず、政治的、経済的な混乱で暮らしが困窮。国際社会は支援に及び腰で、「忘れられた人道危機」になりつつある。(チリ北部コルチャネ淵上隆悠)↑↑↑↑「忘れられた人道危機」、つまり「忘れてはならない」という警告なのだが。それはそれでいいが、...なぜ、ベネズエラ?(情報の読み方)

  • 荒川洋司「真珠」

    荒川洋司「真珠」(「午前」21、2022年04月25日発行)荒川洋司「真珠」を読む。感動した。そして、この感動は、もしかするとロシアがウクライナに侵攻したあとの「ことば」の状況が影響しているかもしれないと思った。たぶん、それ以前なら、こんなに感動しなかったと思う。「真珠」に、ではロシアのこと、ウクライナのことが書いてあるかというと、そうではない。喫茶店に、平日の四時ごろ、八十歳を過ぎた男女が入ってくる。男が小声で一方的に話している。そういうことが書いてある。こんなふうに。野球の話では広島の新星・末包、巨人の岡田とつづき「使いものにならない」選手の予想に飛び、根尾、今年もどうかとなり転じて昔、西武から中日に移ったコーチ某は現役で二年しか投げなかった、いつだったか七回裏に逆転満塁ホームランを浴びて、など異常なこまか...荒川洋司「真珠」

  • ゼレンスキーのことば(情報の読み方)

    2022年04月18日の読売新聞(14版・西部版)1面に、「露、マリウポリ投降迫る/ウクライナ首相「最後まで戦う」/ゼレンスキー氏「全滅なら協議中止」」という見出し。読みながら、私は、ぞっとした。記事の内容は、見出しのとおり。念のために途中を省略し引用しておく。(番号は、私がつけた。)↓↓↓↓①露国防省は16日、市街地を「完全に解放した」と発表し、その後、製鉄所の敷地を拠点に抵抗を続けるウクライナ軍に対し、17日午前6時(日本時間17日正午)から17日午後1時(同午後7時)までの投降を求める最後通告を出した。②これに対し、ウクライナのデニス・シュミハリ首相は17日、米ABCニュースのインタビューで「我が軍の部隊は依然、残っており、最後まで戦う」と述べた。③17日午前の発表で、露国防省は、ウクライナ側の通信内容を...ゼレンスキーのことば(情報の読み方)

  • 緒方淑子「垣根」、青柳俊哉「手の高さに」、徳永孝「昆虫の惑星」、池田清子「三月の中旬」

    緒方淑子「垣根」、青柳俊哉「手の高さに」、徳永孝「昆虫の惑星」、池田清子「三月の中旬」(朝日カルチャーセンター福岡、2022年04月04日)受講生の作品。垣根緒方淑子木蓮触りたかった木蓮のぼってた空に真白(ましろ)に触りたかった花びら夕暮れに冷たかった犬、食べたかった引かれて食べなかった拾いたかった冷たかった花びらを垣根に触りたかった夕暮れ緒方の詩の特徴のひとつに主語と動詞の関係があいまいなところがある。「触りたかった」が繰り返されるが、主語は何か。「私は」と読むのがふつうかもしれないが、「木蓮は」と読むこともできる。木蓮は何に触りたいのか。「私に」か。二連目を手がかりにすれば、「空」かもしれない。このとき「空」は具体的な空であると同時に、自分から離れた遠い存在の比喩にもなる。そう考えるとき、「木蓮」は「私」に...緒方淑子「垣根」、青柳俊哉「手の高さに」、徳永孝「昆虫の惑星」、池田清子「三月の中旬」

  • Estoy loco por espana(番外篇162)Obra, Jesus Coyto Pablo

    ObraJesusCoytoPablo"lettresd'amouretdemal"ElWASHI,elpapeljapones,seutilizaenlaobradeJesus.YeltrabajodeJesúsmerecuerdounpocoala"fabricacióndewashi".Lasfibrasdelamaderasiguenfundiéndoseyagitándose.Lascosassemuevenantesdeconvertirseenpapel.Setardalargotiempo.Jesúsestárepresentandolamemoria,perolamemoriatambiénnecesitatiempoparaconvertirseenmemoria.Nosóloseelimi...Estoylocoporespana(番外篇162)Obra,JesusCoytoPablo

  • Estoy loco por espana(番外篇162)Obra, Joaquín Lloréns

    ObraJoaquínLlorénsTécnica.Hierro.36x26x16S.CLosescultoresutilizanmaterialesycreannuevasformas.Loquevemosesesanuevaforma.Sinembargo,cuandoveolanuevaseriedeJoaquín,piensodeformadiferente.Ah,hayespaciosquenosabíaqueexistíanhastaahora.Consunuevaseriedeobras,Joaquínhacomenzadoacrearnuevosespacios.Enunaespacioquehacriado,haymuchosespaciosinvisibles.Yesosespaciosse...Estoylocoporespana(番外篇162)Obra,JoaquínLloréns

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(3)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(3)(紫陽社、2022年06月01日発行)3篇目「ラドリオの恋」。石毛は1969年に吉岡実に出会ったらしい。昼でも薄暗い路地裏の喫茶店「ラドリオ」でいつもの片隅を陣取っている一目でわかるギョロ眼の紳士にひとつ肩で息をのんでから声をかけてみたその店の近くに「ちくま」や「ユリイカ」の版元があったことなど知る由もなく---ヨ・シ・オ・シ・カ?えっと、ヨシ・オカミ・ノル?えっ、知らないね、初耳だね!国を憂いた、何かの呪文かね。少し、いやらしくもあるね。かれはそう答え眼をほそめて読みかけの本から眼をそらし笑いかけながら灰を落とし煙草をくわえたそうか、石毛はすでに吉岡実を知っていたのか。知っていて、声をかけてみたのか。私は、まだ、「現代詩」を知らない時代である。この吉岡実を思い出すのに、石毛は「...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(3)

  • 野沢啓「金時鐘、〈在日」を超えて世界普遍性へ」

    野沢啓「金時鐘、〈在日」を超えて世界普遍性へ」(「走都」28、2022年04月30日発行)野沢啓「金時鐘、〈在日」をこえて世界普遍性へ」には「言語暗喩論のフィールドワーク」という副題がついている。野沢が書き続けている「言語暗喩論」のつづきとして読むことができる。今回の文章はとても読みやすかった。野沢は「誤読している」と指摘するかもしれないが、私はすらすらと「誤読」できた。読みやすかったとは、そういう意味である。理由は、とても簡単である。金時鐘の詩を語るに当たって、野沢が参照(引用?)しているのが、主に細見和之、倉橋健一の書いた金時鐘論であり、また金時鐘の発言であるからだ。ともに金時鐘に深く関係している。これまでの論のように、その哲学者、その思想家と、取り上げている作品がどういう関係にあるのか(それぞれの哲学者、...野沢啓「金時鐘、〈在日」を超えて世界普遍性へ」

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(2)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(2)(紫陽社、2022年06月01日発行)2篇目は「ガリバーの牛に」。困ったなあ、私は石毛と同世代の人間だと思っているが、私は、石毛が書いている「光景」を体験していない。生まれ育ったところが山の中の小さな集落なので、詩のなかに登場してくるような女や男はいなかった。石毛が書いてる女や男は、私が、ものごころがついたあと、たぶん、映画などを見始めたころに「知識」の対象としてあらわれてきたけれど。それは、こんな感じ。---アンタは、どうして逃げ隠れしているの?おんなは、バラック小屋の敷居の上で寝そべる大男をかくまっていた。---いま、敷居の外に出ていけば、アンタは捕まるに決まっている。地下に潜って、そうよ!いつまでも敗戦の感傷に、ひたってなんかいられないわ。男はいつでも「感傷」を生きるものら...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(2)

  • バイデンのことば(2)(情報の読み方)

    2022年04月14日の読売新聞(14版・西部版)1面に、「ウクライナ/米大統領「ジェノサイド」/戦争犯罪米欧が糾明支援」という見出し。バイデンは、これまで「戦争犯罪」ということばはつかってきたが、「ジェノサイド」ということばでロシアを非難したことはなかった。しかし、↓↓↓↓バイデン氏は「先週と違い、露軍が行った恐ろしいことを示す証拠が次々に出てきている」と述べ、より深刻な犯罪のジェノサイドにあたると踏み込んだ。↑↑↑↑さて、これだけでは「証拠」が何かわからない。だれが収集した証拠なのかもわからない。ゼレンスキーが「ジェノサイドだ」と批判するのと、バイデンが「ジェノサイドだ」と認定するのでは「意味」が違う。「証拠」が必要だ。さらに、ほんとうに「ジェノサイド」があったのだと仮定して、それをどうやって「裁く」のか。...バイデンのことば(2)(情報の読み方)

  • 「プーチンのせい」(情報の読み方)

    2022年04月13日の読売新聞夕刊(4版・西部版)3面に、アメリカの物価高と、バイデンのセットで載っている。(番号は、私がつけた。)↓↓↓↓【ワシントン=山内竜介】米国のバイデン大統領は12日、同日発表の①3月の消費者物価指数上昇率が前年同月比8・5%と約40年ぶりの伸びとなったことについて、②「70%はプーチン(露大統領)が引き起こしたガソリン価格上昇によるものだ」と述べた。ロシアのウクライナ侵攻に伴う燃料価格の高騰にいらだちをあらわにした。↑↑↑↑記事の書き方からわかるように、これは①3月のアメリカの物価が8・5%上がった②その原因をバイデンが「プーチンのせいだ」ということだが、①の方は既にニュースとして報道されているので、見出しは「物価高、70%プーチンのせい、バイデン氏主張」ととっている。戦争も、物価...「プーチンのせい」(情報の読み方)

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(紫陽社、2022年06月01日発行)石毛拓郎が詩集を出した。「2022年06月01日発行」だから、ほんとうはまだ出したことになっていないのかもしれないが、けさ、朝刊と一緒に郵便受けに入っていた。石毛拓郎とは2回会った気がする。3回だったかもしれないし、1回だったかもしれない。記憶とはいいかげんなものだ。で、その記憶なのだが。石毛の詩を私は「詩集」という形で読んだことがあっただろうか。思い出せない。家に詩集があるだろうか。わからない。だいたい、私は石毛の詩が好きなんだろうか。わからない。たぶん、わからないから、とぎれとぎれになりながらも交流というものがあるのだろう。別に、わからなくてもかまわない。わからないひとがいる、わからないことばがある、ということが、たぶん、私にとっては大事なこと...石毛拓郎『ガリバーの牛に』

  • 「経済戦争」の行方(フランス大統領選から考えたこと)

    「経済戦争」の行方(フランス大統領選から考えたこと)2022年04月12日の読売新聞(14版・西部版)一面に、フランス大統領選が決選投票に持ち込まれたことが書かれている。現職のマクロンと、極右政党のペレンが決選投票に進んだ。ロシアのウクライナ侵攻以後、一時、マクロンが人気を回復したが、最近はペレンにその差を追い詰められている。決選投票は接戦になると予想されている。私が注目したのは、次の「解説」。↓↓↓↓ルペン氏は、物価高騰に苦しむ低・中所得層にエネルギー関連の減税を訴え、支持を急拡大した。自国政策の優先を訴え、EUやNATOとの関わりには消極的な立場で、大統領に就任すれば、欧州政治の混乱は必至だ。↑↑↑↑私はもともと今回のウクライナ問題は「領土問題(領土をめぐる戦争)」というよりも「経済戦争」ではないか、と感じ...「経済戦争」の行方(フランス大統領選から考えたこと)

  • ツェラン「トートナウベルク」(谷口博史訳)

    ツェラン「トートナウベルク」(谷口博史訳)(「未来」607、2022年04月01日発行)野沢啓が、ツェランの「トートナウベルク」(谷口博史訳)を引用しながら「ツェラン、詩の命脈の尽きる場所--言語暗喩論のフィールドワーク」という文章を書いていた(「未来」607、2022年04月01日発行)。結論(?)のようにして、野沢は、こう書いていた。「トートナウベルク」という詩は意識の乱れがことばのかたちとして定着され、そのことばの散乱こそがツェランの最終的に言いたかったことの暗喩となっているのであり、その伝えがたさの暗喩として彫琢されたものなのである。私には、よく理解できない。「意識の乱れ=ことばの散乱」であり、それがツェランの「言いたかったこと」の「暗喩」になっている。「暗喩」であるから、その意味するもの(?)は正確に...ツェラン「トートナウベルク」(谷口博史訳)

  • Estoy loco por espana(番外篇161)Obra, Joaquín Lloréns

    ObraJoaquínLlorénsTécnica.Hierro53x13x20SElespaciodentrodelaesculturayelespaciofueradelaescultura.Sonintercambiablesenfuncióndelángulodevisión.Seabreysecierra.Oesunapajareraparapájarosinvisibles?Quiénllamadesdeelinteriordelapajarera?Quiénrespondedesdefueradelapajarera?Megustaríaserunpajaritoqueentraysaledeestaescultura.彫刻の内部の空間と、彫刻の外部の空間。それは、見る角度によって入れ代わる。開い...Estoylocoporespana(番外篇161)Obra,JoaquínLloréns

  • 野沢啓「ツェラン、詩の命脈の尽きる場所」

    野沢啓「ツェラン、詩の命脈の尽きる場所」(「未来」607、2022年04月01日発行)野沢啓「ツェラン、詩の命脈の尽きる場所」には「言語暗喩論のフィールドワーク」という副題がついている。ツェランの「トートナウベルク」(谷口博史訳)を引用しながら論を展開している。その論の展開の過程でハイデガーやデリダが引用されている。アルニカ、矢車草井戸からの飲物、その上には星の賽、山小屋のなかで、記念帳に書かれた(私の名の前にはどんな名が記されていたのか?)、この記念帳のなかに、今日、期待をもって、書かれた一行。思考する者から心へと到来するはずのことば、森のコケ、平らにされず、オルキスまたオルキス、まばらに、酸味、あとになって、旅の途上で、はっきりと、私たちを運ぶ男はそれに耳を傾け、小沼のなか丸太の道をなかば進み、湿り気、とて...野沢啓「ツェラン、詩の命脈の尽きる場所」

  • 書かれないことば

    書かれないことばきょう、2022年04月08日の読売新聞(14版・西部版)の一面トップ記事は「露産石炭輸入禁止へ/追加制裁エネ分野も/G7と協調」。ロシア軍のウクライナ住民虐殺の疑いが高まったことから、経済制裁措置を拡大するというもの。↓↓↓↓日本の石炭の輸入先のうち、主に発電用に使う「一般炭」の13%、製鉄などに使う「原料炭」の8%をロシアが占める(2021年速報値)。このため、政府はこれまでエネルギー分野での制裁に慎重だった。だが、ロシア軍の非人道的行為に批判が高まっていることを踏まえ、ロシアの基幹産業に打撃を与えて戦争継続を困難にするため、先進7か国(G7)で歩調を合わせることにした。↑↑↑↑ここまでは何の疑問もなく読むことができる。私が、疑問に思ったのは、次の部分。↓↓↓↓首相は、「非道な侵略を終わらせ...書かれないことば

  • ロシアの戦争犯罪について考える

    ロシアの戦争犯罪について考えるきょう、2022年04月08日の読売新聞(14版・西部版)を読みながら、私は、またいやあな気持ちになった。一面に「国連人権理/露の理事国資格停止/緊急会合採択賛成93、反対24」という見出し。記事の内容は、見出しでほぼ言い尽くされている。見出しからは、「国連人権理事会」が「ロシアの理事国資格を停止を決議した」とも読むことができるが、決議したのは国連総会。見出しにある「国連人権理」とは、主語ではなく、この記事のテーマ。そのことが、見出しからだけではわからないのだが、さらに見出しだけではわからないのは、次の部分。↓↓↓↓投票の結果は賛成93、反対24、棄権58。中国は、ウクライナ情勢を巡り露軍の即時撤退や人道状況の改善を求める過去2回の総会決議でいずれも棄権したが、今回は反対に回った。...ロシアの戦争犯罪について考える

  • Estoy loco por espana(番外篇160)Obra, Antonio Pons

    Obra,AntonioPonsSeescuchaunamúsicasencillaytransparente.Noabrumaelespacio,sinoqueloimpregnaydesaparece.Esimposiblerecordarlossonidosoídosolamúsicaescuchada.Nosepuedenotarnicantar.Sóloelrecuerdodehaberescuchadolamúsica,dehaberoídoelsonido,permaneceparasiempre.Esetipodemúsicamisteriosasepuedeescucharenestaobra.シンプルで透明な音楽が聞こえてくる。それは空間を圧倒するのではなく、空間に浸透して消えていく。聞いた...Estoylocoporespana(番外篇160)Obra,AntonioPons

  • ジュリア・デュクルノー監督「TITANEチタン」(★★★★★)

    ジュリア・デュクルノー監督「TITANEチタン」(★★★★★)(2022年04月07日、KBCシネマ・スクリーン2)監督ジュリア・デュクルノー出演アガト・ルセル、バンサン・ランドン冒頭、車のエンジン部分(?)のアップがつづく。エンジンではないかもしれないが、車の内部、しかもシートとかハンドルとかではなく、もっと機械的な、ふつうは人がみせることがない部分。私は車を持たないし、車に関心がないので、いま映し出されているのが何かわからない。たぶん車だろうとするだけである。強靱な構造と、それに付随する油の汚れ。あるいは、それは汚れではなく、必要な不純物かもしれないし、必要であることによって「汚れ(汚い)」ではなく「美しい」にかわるものかもしれない。何もわからない。けれど、そこに「ある」ということが、わかる。私のわからない...ジュリア・デュクルノー監督「TITANEチタン」(★★★★★)

  • 壱岐梢「くるりと」

    壱岐梢「くるりと」(「天国飲屋」創刊号、2022年04月01日発行)壱岐梢「くるりと」を読む。融けたアイスクリームって舐めたことある?「ごめん、今いい?」とあなたからの電話メールやラインではちょっとね、とリアルな声どうしの時間は流れアイスクリームもうっかり融かしたクリームイエローの小さなとろみの沼ひと匙舐めてみると酷くなまぬるく激しくあまったるくあたしを攻撃してきた同じ成分なのにあまりに別のなにかになって「同じ成分」とは凍ったアイスクリームも溶けたアイスクリームも「同じ成分」という意味だろう。牛乳、砂糖、いろいろ。「あまりに別のなにかになって」はアイスクリームのこと。しかし、私は、どうしても違うことを考えてしまう。「あたし」は「あなた」と電話で話した。話がもつれて、「あなた」が「あたし」を攻撃してきたのか。「あ...壱岐梢「くるりと」

  • 「ウクライナでの虐殺」について考える

    「ウクライナでの虐殺」について考えるきのう、2022年04月06日、私は、何も書かなかった。書けなかった。ことばが動かなかった。何があったか。新聞がウクライナの状況を報道していた。ロシア軍による住民虐殺があった。それを読んで、私は、私のことばが突然、動かなくなった。いま、やっと動かしているが。なぜ、動かなくなったのか。そこに書かれている「死」が、私の知っているものではなかったからだ。どう理解していいか、わからなかった。そこから一日かけて、私自身の「死」に関する体験を思い起こしてみると。私は、死を自分の目で見たのは、兄の生命維持装置を停止させたときだけである。父も母も、私が見たときは、もう死んでしまっていて、「死ぬ」とはどういうことかを見ていない。もうひとりの兄についても、「死ぬ」瞬間を見ていない。「死」は過去形...「ウクライナでの虐殺」について考える

  • Estoy loco por espana(番外篇159)Obra, Joaquín Lloréns

    Obra,JoaquínLlorénsT.Hierro80x22x20S.Desplazamientoinestabledelcentrodegravedad.Porunmomento,mesientocomoasi.Peronoesinquietante.Nohayseñalesdequeestaesculturasecaiga.MerecuerdaaloscuadrosdebodegonesdeCezanne.Lamanzanaseinclinacomosisecayeradelamesa.Peronocae.Hayunaextrañafuerzagravitacionalqueretienelamanzanaenelotrolado.EnestaobradeJoaquín,eltablerocuadrad...Estoylocoporespana(番外篇159)Obra,JoaquínLloréns

  • 池田清子「生きてるっていうこと」ほか

    池田清子「生きてるっていうこと」、徳永孝「境界線」、緒方淑子「のんおあみゅるじんぐううるおあらくううんえにもあ」、青柳俊哉「どんぶり法師」(朝日カルチャーセンター福岡、2022年03月14日)受講生の作品。生きてるっていうこと池田清子痛いっていうことは生きてるっていうこと怖いっていうことは生きてるっていうこと老いること悔やむこと恥じること会いたくてたまらない人がいるっていうことこうして詩が書けるっていうこと数学の問題を味わうように生きてるっていうことをゆっくり味わうことができたらいいんだけれど「生きてるっていうこと」が繰り返されているが、三連目にだけはない。省略されている。省略されても、わかる。その省略した分だけ、ことばが早くなり、ことばが多くなる。「老いること/悔やむこと/恥じること」には、また「っていうこと...池田清子「生きてるっていうこと」ほか

  • 「経済戦争」の敗者はだれ?

    ロシアのウクライナ侵攻の行方が見えない……とは、私は、一度も考えたことがない。結果は、はじまったときから、私には「見えている」。というか、それ以外のことを想像したことがない。どうなるか。ロシアは「負ける」。理由は簡単。ロシアがウクライナに侵略した。侵略者は必ず負ける。日本は中国や韓国に侵略し、負けた。アメリカはベトナムに侵略し、負けた。イラクに侵略し、負けた。アフガニスタンに侵略し、負けた。(アメリカはベトナム、イラク、アフガニスタンに「侵略」したわけではない、という人がいるかもしれないが、それはどちらの側から戦争を見るか、「定義」するかの問題。ベトナム、イラク、アフガニスタンから見れば、アメリカ軍が、わざわざアメリカからやって来たのは「侵略」以外のなにものでもないだろう。)古くは、ローマ帝国の領土拡大、ナポレ...「経済戦争」の敗者はだれ?

  • Estoy loco por espana(番外篇158)Obra,Jesus Coyto Pablo

    JesusCoytoPablo"Losperfumesdeltiempo"Encáusticafotografíasobrepapelartesano.2021¿Quéeslamemoria?Todoelmundolosabe.Loqueunavezvisteuoíste.Suforma,colorysonido.Cosasquepuedenreproducirseennuestraconciencia.Perohayotrotipodememoria.Loquenosepuedereproducirenlamemoria.Efectivamente,existía.Eresconscientedequehaexistido,peronopuedesreproducirlocomounaforma,uncolo...Estoylocoporespana(番外篇158)Obra,JesusCoytoPablo

  • 長嶋南子「落としもの」

    長嶋南子「落としもの」(「天国飲屋」創刊号、2022年04月01日発行)「天国飲屋」創刊号は、おもしろい。いろんな「おばさん」があつまっている。私はていねいに考えることが苦手なので、かなりの頻度で差別用語をつかってひとをひとくくりにする。そうすると、めんどうな手間が省けるからである。長嶋南子は、私が「おばさん」に分類しているひとりである。なぜ「分類」しておくかといえば、と書くと長くなるし、また手間もかかるので省略するが、これから書くことのなかに、おのずと「おばさん」があらわれてくるだろうから、「おばさん」とはどういう人間かいちいち書かずにことばを進める方が、ことばの経済学からいって「一石二鳥」なのだ。と、ケムにまいて、書き始める。長嶋南子「落としもの」は、こうはじまる。きょうは産み落とさなかった子どもの誕生日で...長嶋南子「落としもの」

  • Estoy loco por espana(番外篇157)Obra, Joaquín Lloréns

    ObraJoaquínLlorénsT.Hierro65x18x15S.Unaformasimpleyhermosa.Unárbolounhombre.Depieenunaesquina.Elmundocomienzaenesaesquina.Labellezadeestarsolo.Lainfinidaddelasoledad.Cuandomirounárbol,unhombre,piensotambiénenelespacioyeltiempopurosqueseextiendenanteél.シンプルで美しい形。一本の木か、一本の男か。立っているのは、片隅。世界は、その片隅からはじまる。孤独であることの美しさ。孤独であることの、無限さ。一本の木、一人の男を見るとき、私はまた、彼の前に広がる純粋な空間と時間...Estoylocoporespana(番外篇157)Obra,JoaquínLloréns

  • Estoy loco por espana(番外篇157)Obra, Joaquín Lloréns

    ObraJoaquínLlorénsT.Hierro65x18x15S.Unaformasimpleyhermosa.Unárbolounhombre.Depieenunaesquina.Elmundocomienzaenesaesquina.Labellezadeestarsolo.Lainfinidaddelasoledad.Cuandomirounárbol,unhombre,piensotambiénenelespacioyeltiempopurosqueseextiendenanteél.シンプルで美しい形。一本の木か、一本の男か。立っているのは、片隅。世界は、その片隅からはじまる。孤独であることの美しさ。孤独であるかとの、無限さ。一本の木、一人の男を見るとき、私はまた、彼の前に広がる純粋な空間と時間...Estoylocoporespana(番外篇157)Obra,JoaquínLloréns

  • 学者は何を明らかにし、何を隠すか

    学者は何を明らかにし、何を隠すか慶応大学教授・細谷雄一の、「ロシアもウクライナも両方悪い」は不適切という連続ツイートが評判になっている、という。細谷は「国際法」を引用しながら、論を展開している。とても明瞭な論理であった。しかし。私は、問題の立て方に疑問を感じた。ロシアとウクライナとどちらが悪いか。「両方悪い」はもちろん完全に間違っている。侵攻したロシアが悪いに決まっている。だから「ロシアもウクライナも両方悪いは不適切」というようなことは、国際法を持ち出さなくたって、だれにだってわかる。ということは、逆に考えると、なぜ細谷が国際法を持ち出して「ロシアもウクライナも両方悪いは不適切」と言ったのか、その理由を考えないといけない。何を隠そうとしている?何か隠そうとしていないか。ウクライナへのロシアの侵攻。それはその局面...学者は何を明らかにし、何を隠すか

  • 濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」(2)

    濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」(2)映画監督・山崎拓がフェイスブックで「ドライブ・マイ・カー」を批判していた。ポイントは「日本の俳優は例によって声(言葉)が肚に落ちてない。言葉が自分の言葉になってないんだよね。」このことばで、ふと思いついたことがあるので書いておく。昨年のカンヌ映画祭で「脚本賞」を受賞し、多くの人が見るようになった。先日発表されたアカデミー賞でも「国際長編映画賞」を受賞した。アカデミー賞は、まあ、追認のようなものだから、ほんとうの評価かどうか、私は怪しんでいる。でも、カンヌ映画祭の「脚本賞」は、納得はできる。「脚本」はたしかによく書かれていると思う。でも「脚本」と映画は別物なのだ。「脚本」も、作品によっては一こまずつ時間を指定しているものもあるだろうけれど、基本的には時間を指定しないだろう...濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」(2)

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