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  • Estoy loco por espana(番外篇146)Joaquín Llorens

    ObraJoaquínLlorénsT.Hierromacizo40x21x20T.SilencioElsilencioescondeellaberintodelasoledad.Yloshumanossevuelvenmásfuertesconelsilencio.沈黙は、孤独の迷路を隠している。そして、人間は沈黙を抱えて強くなる。Estoylocoporespana(番外篇146)JoaquínLlorens

  • Estoy loco por espana(番外篇145)Jesus Coyto Pablo

    JesusCoytoPabloSilenciodeBlanco130x97cm.ÓleoLinoEsdifícilescribirsobreuncuadroabstractoqueseveenInternet.Nosésiloscoloressonlosmismosquevemosenlavidareal.Nosécuáleslatextura.Cuandovi"FLAG"deJasperJohnsenelMOMA,mesorprendiósu"textura".Noerala"banderaamericana"talycomolaconocía,sinoqueerauncuadro.Enotraspalabras,esunapinturafísica,hechaconpincelypintura.Elacto...Estoylocoporespana(番外篇145)JesusCoytoPablo

  • 核戦争の引き金をひくのは、安倍かもしれない

    https://news.yahoo.co.jp/articles/f1f300a0d1b9ba1d49658900534ffbc236b29929?fbclid=IwAR22si2DsQ3swbh5uZSv1IGilPDw3eAuEo0RarRR3SXTIXq19eyjgPx3MScヤフーに転載されていたサンケイ新聞のニュースから。またまた、安倍の、とんでもない発言。↓↓↓↓↓自民党の安倍晋三元首相は27日午前のフジテレビ番組で、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、米国の核兵器を自国領土内に配備して共同運用する「核共有(ニュークリア・シェアリング)」について、国内でも議論すべきだとの認識を示した。↑↑↑↑いま考えなければいけないのは、どうやってロシアとウクライナの「戦争」を終結させるか。核を絶対につかわせないよう...核戦争の引き金をひくのは、安倍かもしれない

  • また顔を出した安倍

    https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/301826日刊ゲンダイに興味深い記事があった。私が注目したのは、この部分。↓↓↓↓↓↓安倍元首相は25日、衆院議員会館で開かれた会合で「(ウクライナ侵攻は)台湾に対して中国がどのような対応をとるかを占う意味で日本にとっても深刻な事態だ」と指摘。↑↑↑↑↑安倍の視点は、ロシア、中国がどう対応するかという点からのものだが、これは逆に読むべきだろう。アメリカの世界戦略(NATO、開かれた太平洋)がどう展開するか。ロシアはいま世界中から批判されている。そしてアメリカがNATOへ軍隊を派遣し、ロシアが撤退するということになれば、アメリカは次に台湾との軍事関係を強化してくるだろう。名目はもちろん「台湾の民主主義を守る」である...また顔を出した安倍

  • Estoy loco por espana(番外篇144)Obra Calo Carratalá

    ObraCaloCarrataláLaobradeCaloCarratalátieneunairedenso.Elairedelaobrasalesilenciosamenteymeenvuela.Entonces,empiezoarespirarelairedensoyavivirnuevavida.Ydespuésdeeso,creoquepodríaseresteárbol.Detrásdeesteárbol,hayunbosquemuyprofundo.Nosólodetrás,sinodelante,aamboslados,hayinnumerablesárboles.Todosexhalanelmismoairedenso.Elaireexhaladoporlosárbolessemezcla,se...Estoylocoporespana(番外篇144)ObraCaloCarratalá

  • ウクライナとロシア

    ウクライナとロシア。ウクライナの国民の命がどれだげ犠牲になるのか、ウクライナの政治体制がどうなっていくのか心配だが、それはロシアがウクライナを制圧するか、ウクライナがロシアを撃退し、自立を守るかというだけにとどまらない。私はとても自己中心的な人間だから、どうしても自分の「位置」が気になる。日本がどうなるかが気になる。ロシアがウクライナに侵攻した理由を私は明確に把握しているわけではないが、NATOの拡大路線と関係があると思う。ウクライナはロシアの影響下から自立するためにNATOに接近し、NATOもそれを受け入れようとした。これにロシアが反発した、というのが基本的な構造だと思う。このNATO対非NATOは、ヨーロッパだけの問題か。日本にも非常に影響があるのではないか。NATOの背後にはアメリカがある。アメリカの世界...ウクライナとロシア

  • 平川綾真智「チーズの水辺(John 1:1)」

    平川綾真智「チーズの水辺(John1:1)」(「オオカミ」39、2022年2月発行)平川綾真智の作品は「チーズの水辺」(John1:1)と、鍵括弧、丸括弧つきのタイトル。さらに、レイアウトが凝っている。平川には平川の意図と意味があるのだろうけれど、私は、そういうものを気にしない。書いた人の気持ちを配慮していては、ことばを読んだことにはならない。どんなことばでも、発したひと(書いたひと)の意図/意味にしたがって読めば「傑作」になってしまう。「傑作」という印象は、他人のことばなのに、じぶんのことばのように感じられこと、これこそが私が言いたかったことと感じられることだが、その「私が言いたかったこと」に出会うのではなく、「作者がいいたかったこと」をそのまま押しつけられる形で「私の言いたかったこと」にされるのは、私は、納...平川綾真智「チーズの水辺(John1:1)」

  • 『ただ、詩のために』岡田幸文追悼文集

    『ただ、詩のために』岡田幸文追悼文集(ミッドナイトプレス、2021年12月09日発行)『ただ、詩のために』岡田幸文追悼文集の最後にアルバムが載っている。そこで私は初めて岡田幸文の顔を知った。そして山本かずこの顔も知った。ふたりが夫婦であるらしいことは、「らしい」という形で知っていた。あ、それはほんとうだったのだ、と今思っている。写真には、「ほんとう」が写っている。そして、いま、私が驚いているのは、岡田幸文がいろいろなひとと会っていた、という事実であり、その出会い、交流が「ほんとう」のこととして、写真として残っているということだ。こういうことは、あたりまえのことなのだろうか。私には、詩人と会ったことも、一緒に写真を撮ったことも、ほとんどない。この追悼文集には54人が執筆している。そのうち、私が会ったことがあるのは...『ただ、詩のために』岡田幸文追悼文集

  • 池田清子「グラウンド」、徳永孝「違い」、青柳俊哉「河童」

    池田清子「グラウンド」、徳永孝「違い」、青柳俊哉「河童」(朝日カルチャーセンター福岡、2022年02月21日)受講生の作品。グラウンド池田清子夕方歩いていると時々小学校の側を通る少年野球の練習が見える木かげで数人のお母さん達がおしゃべりをしている私も立っていたベンチの脇に一年間野球は命でさえあったのに終わるとすぐにパタンと閉じてしまったへりくつの楽しい息子が小2で寡黙になった体罰もパワハラもそんなものだと監督、コーチ、OBへの気配りも当然だと我が子の代が前の代に劣らぬようにと張りつめていた平日の練習は日が暮れるまで土日は練習試合、大会、イベント中2の姉はいつも家に一人もっと冷静に広く見えていたらと後悔ばかりがふたをした本物はあった大きなすいかを何個も海に浮かべ砂浜ですいか割り一人のお父さんが会社で作った焼き肉用...池田清子「グラウンド」、徳永孝「違い」、青柳俊哉「河童」

  • Estoy loco por espana(番外篇143)Obra J Jose Enrique Melero Blazquez

    JoseEnriqueMeleroBlazquezNudo023UNnudodelicado.Omásbien.......Meparecequeelnudosedeshaceyvuelaconelviento.EnJapónexisteunnudollamado"nudomariposa".Cuandosedesatael"nudomariposa",lacintabailacomounamariposa.Ydespuésdebeserunarcoirisconunacurvasuave.繊細な結び目。と言うよりも。結び目がほどけて、そのまま風に乗って飛んで行きそう。日本には「蝶結び」という結び方がある。「蝶結び」がほどけて、リボンが蝶のように舞う。それはゆるやかなカーブを描き、虹になるにちがいない。Estoylocoporespana(番外篇143)ObraJJoseEnriqueMeleroBlazquez

  • 宮城ま咲『一品足りない居酒屋』

    宮城ま咲『一品足りない居酒屋』(待望社、2022年01月24日発行)宮城ま咲『一品足りない居酒屋』。詩集のタイトルは少しうるさい。「一品足りない」か「居酒屋」のどちらかならすっきりする。ふたつのことばが重なると、「説明」を感じてしまう。つまり、読まなくてもわかったという気持ちになってしまう。たぶん、宮城には「説明癖」のようなものがあるのだろう。その「説明癖」がいい方向に動いている作品もある。「説明」が「説明であることをやめる」。巻頭の「ぺそりぽそり」。うらがOKおもてがOKならオールOKというわけでもなくとはじまる。「というわけでもなく」が「説明」へ踏み込む一歩なのだが、「なく(ない)」という否定のことばが象徴的するように、ここからすでに逸脱がはじまっている。肯定は一定の方向を指し示すが、否定はあらゆる方向を指...宮城ま咲『一品足りない居酒屋』

  • Estoy loco por espana(番外篇142)Obra J Jose Enrique Melero Blazquez

    JoseEnriqueMeleroBlazquezNudolibreNosóloquieromirarlo,quierotocarlo.Mepregunto.......,Cuandolotoque,elhierrocomenzaráamoverseconlamismaflexibilidadqueelcuerpodeunamujer.Huirádemí?Omellevaráaunlugarquenoconozco?見るだけではなく、触ってみたくなる。触ったとき、この鉄は女のからだのように、しなやかに動き始めるだろうか。それは私から逃げていくのか。それとも私を私の知らないところへ連れて行くのか。Estoylocoporespana(番外篇142)ObraJJoseEnriqueMeleroBlazquez

  • 以倉紘平「平家物語 敦盛最期」

    以倉紘平「平家物語敦盛最期」(「アリゼ」206、2021年12月31日発行)以倉紘平「平家物語敦盛最期」は、平敦盛の最期の描写を引用しながらことばを動かしている。以倉は、〈招かれて、とってかえ〉した敦盛に、しかし私は感動する。と率直に書いている。そして、このとき、「しかし」ということばを補っている。「しかし」は敦盛にもあてはめることができる。敦盛は熊谷次郎直実の扇の招きを無視し(拒否し)、逃げることができた。しかし、逃げずに引き返した。そして首を取られた。しかし。このふたつの「しかし」はかなり意味合いが違う。敦盛の「しかし」は逆の行為をするわけだから、「しかし」は必然である。そして必然であるから、「しかし」ということばは書かれることはない。以倉の書いている「しかし」には、そういう「論理的必然」がない。「論理的必...以倉紘平「平家物語敦盛最期」

  • 中本道代「川のある街」

    中本道代「川のある街」(「みらいらん」9、2022年01月15日発行)「みらいらん」9は「恐怖の陰翳」という特集を組んでいる。その巻頭の作品が、中本道代「川のある街」。さて、どんな恐怖が待ち構えているか。廃屋の垣根にスイカズラが咲いているスイカズラはふたつの白い花が対になって開き夏の初めに道端で強い薫りを放つ「スイカズラはふたつの白い花が対になって開き」という一行は、たしかに怖いことを書いているかもしれない、と思った。キジバトの鳴くくるしさ長い長い青大将が川を泳いでいく流線これは、怖くないなあ。川には小さな橋がいくつも架かっていてどの橋にも名前があるのだった幼いときに晴れ着を着て渡っただろうか「どの橋にも名前があるのだった」は、私には、かなり怖い。私が生まれ育った田舎にも川があった。しかし、橋に名前はなかった。...中本道代「川のある街」

  • Estoy loco por espana(番外篇141)Obra Jesus Coyto Pablo

    ObradeJesusCoytoPabloNoséquétécnicautilizaJesusCoytoPablo.Meparececomosisecolocaraunacortinadeplásticoountrozodepapelencimadelcuadropintado.Estomedaunaimprecióndeloquemegustaríallamar"perspectivamental"o"profundidaddesentimiento".Apartedelaperspectivadelmundoreal,vivimosenlaperspectiva(espacio)denuestramenteynuestrossentidos.Quizásdeberíamosllamarlo"laperspe...Estoylocoporespana(番外篇141)ObraJesusCoytoPablo

  • 金子忠政『楔、アリバイ』

    金子忠政『楔、アリバイ』(快晴出版、2021年10月19日発行)金子忠政『楔、アリバイ』は、文字が小さくて、かなり読みづらい。ページも多い。詩集は、いつごろから、こういうスタイルになったのだろうか。わたしはもっと気楽に読める本が好きだ。「しじま-森の口寄せⅡ」の書き出し。さざんか、さざんか打たれに打たれひかる地面をみつめ胸元に噛みついてきてむざむざ淀んでいるそれをどこにぶつけたらいいのか、不穏にぬめりこむことなく噴く火はかぼそい金子は「耳」で、あるいは「喉/口蓋/舌」でことばを動かす詩人なのだろうと思った。「さざんか、さざんか/打たれに打たれ」という二行が象徴的だが、ここにあるのは「意味」というよりも「音」である。「意味」はあとから探し、くっつければいい。「意味」とはもともとそういうものだろうと思う。いま、これ...金子忠政『楔、アリバイ』

  • Estoy loco por espana(番外篇140)Obra Jose Enrique Melero Blazquez

    ObraJoseEnriqueMeleroBlazquezNudosconluzQuélustroso,quémisterioso,quéradiante.Apesardeserdehierro,parecelapieldeunachicaounchico.Hasescapadodesnudodelasmanosdeldiablo?Omuevetucuerpodesnudoparaquetuamanteseenamoredetu?なんという艶やかさ、なんという妖しさ、なんという輝き。鉄でできているにもかかわらず、少女か少年のよう。君は悪魔の手から裸で逃げてきたか。それとも、恋人を誘惑するために裸の体を動かすのか?Estoylocoporespana(番外篇140)ObraJoseEnriqueMeleroBlazquez

  • 中島悦子『野良犬のいた頃』

    中島悦子『野良犬のいた頃』(虎芳書林、2021年11月01日発行)中島悦子『野良犬のいた頃』はエッセイ集(だと思う)。ところどころ拾い読みした。「野良犬のいた頃」は野良犬のことを書いていて、突然、山下清の話に変わる。山下清の「東海道五十三次」の語録を読んだ時、なぜか野良犬のいた頃を思い出した。山下清の語録に野良犬が出てくるのかどうか知らないが、中島が引用している部分には出てこない。「なぜか」と中島自身が書いているが、なぜ、中島は思い出したのだろうか。それを少しずつ突き止めようとしてことばが動いていく。自分の居場所がないと追い詰められたり、反対に必要以上に他人を攻撃したり、殺伐としているように思えてならない。加減というものが分からないかのようだ。あるいは、余白がないのだろうか。「自分の居場所」や「攻撃(性)」に「...中島悦子『野良犬のいた頃』

  • 経田佑介『自伝風に、あるいは 彼方へ、狙撃兵よ』

    経田佑介『自伝風に、あるいは彼方へ、狙撃兵よ』(ブルージャケットプレス、2022年01月16日発行)経田佑介『自伝風に、あるいは彼方へ、狙撃兵よ』の「プロローグ」の最後の方に、こういう行がある。イマハネバネバくりいむニ囚ワレテイルガ、オレハ断ジテ果実ノ核ニ歓喜スル白ッポイ虫ジャアリマセン。簡単に言いなおすと「精子ではない」と言う。しかし、私は「精子」を想像する。人間の(私の、だけかもしれないが)想像力には限界がある。想像力は、まったくの「空想」を想像できない。どうしても「現実」として知っていることのなかへ帰ってしまう。何度も出てくる「指」は、どうしたって手淫する手の指である。経田には、私の想像力を拒絶する権利がある。しかし私には、経田の書いたことばを「誤読」する権利がある。これは経田のことばについてだけの問題で...経田佑介『自伝風に、あるいは彼方へ、狙撃兵よ』

  • Estoy loco por espana(番外篇139)Obra Jose Enrique Melero Blazquez

    ObraJoseEnriqueMeleroBlazquezNudo8LaobradeJoséEnriqueMeleroBlázquezsiempretienequeverconelfuego.LoquesientodeJoaquínessobretodoelmartilloyelyunque.Ambosutilizanelfuego,elmartilloyelyunqueporquesontrabajosdehierro.PeroenelcasodeJosé,elfuegoesmuyfuerte.PeroenelcasodelaobradeJosé,elfuegoesmuyfuerte,eselfuegoelquesacaelhierrodelapiedrabruta.Eselfuegoquesacaelhie...Estoylocoporespana(番外篇139)ObraJoseEnriqueMeleroBlazquez

  • Estoy loco por espana(番外篇139)Obra de Joaquín Llorens

    ObraJoaquínLlorénsTécnica.Mixtamaderahierro35x32x32Serie.MareNostrumLasobrasdeestaseriesontodasfascinantes.Sondehierros,perotienenunacálidasuavidad.SeasemejaalacalidezdelasolasdelMediterráneo.Tambiénmegustalasuavidaddelabasedemaderaysucolortranquilo.このシリーズの作品は、どれも魅力的。鉄なのに、温かい柔らかさがある。それは地中海の波の温かさに似ている。台座の木の落ち着いた色、柔らかな感じもとても好き。Estoylocoporespana(番外篇139)ObradeJoaquínLlorens

  • カニエ・ナハ「二木美月」

    カニエ・ナハ「二木美月」(「文藝春秋」2022年3月号)カニエ・ナハ「二木美月」は短い詩。短いけれどイメージが豊か。美月は二年ぶりに、映画館で映画を見ている。二百年ほど前の映画のリバイバル上映で、二十数時間の上映時間の間、えんえんと海だけが映し出されている。スクリーンのかたわらでは、手話通訳者が波音を手であらわしていて、ときどき、その手が鳥に変わったり、波間にたゆたう、流木や月に変わったりする。後半のイメージがとても美しい。「手であらわしていて」の「あらわす」という動詞がとてもいい。いままで存在しなかったものが、あらわれる、顕現するという感じがある。そのあとに書かれる「変わる」という動詞は「生まれ、変わる」というか、「生まれる」という感じがする。「生まれ、あらわれる(顕われる)」というあざやかな感じ。途中に挟ま...カニエ・ナハ「二木美月」

  • Estoy loco por espana(番外篇138)Obra de Joaquín Llorens

    Estoylocoporespana(番外篇138)ObradeJoaquínLlorensObradeJoaquínLlorensTambiénestaobrapareceunadanzaentredospersonas.Nosetratadeunballet,sinodeunadanzaenlaquelosdoscuerposestánmásjuntos,comountango.O,enelcasodelflamenco,elmomentoenquelaspasionesdedospersonaschocanyarden.この作品も、二人の人間がダンスしているように見える。バレエというよりも、もっと二人の肉体が接近したダンス、たとえばタンゴ。あるいは、フラメンコならば、二人の情念がぶつかり合って燃え上がる瞬Estoylocoporespana(番外篇138)ObradeJoaquínLlorens

  • 砂川文次「ブラックボックス」

    砂川文次「ブラックボックス」(「文藝春秋」2022年3月号)砂川文次「ブラックボックス」(第166回芥川賞受賞作)は、たいへん読みやすい文体である。こう始まる。歩行者用の信号が数十メートル先で明滅を始める。それに気が付いてか、ビニール傘を差した何人かの勤め人が急ぎ足で横断歩道を駆けていく。佐久間亮介は、ドロップハンドルの持ち手をブラケット部分からドロップ部分へと替えた。上体がさらに前傾になる。(254ページ)この几帳面な文体(意識)が動いている人間が、几帳面さゆえに他人とうまく「調子」を合わせられない。息抜きができない。この感じを「佐久間」から「サクマ」へと主人公の呼称を替えて、この小説は展開する。「佐久間」にして置いたままの方が、私は、効果的だと思うが、佐川は「サクマ」を選んでいる。で、正確さ(他人の文体を許...砂川文次「ブラックボックス」

  • スティーブン・スピルバーグ監督『ウエスト・サイド・ストーリー』

    スティーブン・スピルバーグ監督『ウエスト・サイド・ストーリー』(★★★★)(2022年02月12日、ユナイテッドシネマ・キャナルシティ、スクリーン13)監督スティーブン・スピルバーグ出演アンセル・エルゴート、レイチェル・ゼグラーいちばん驚いたのは。私の「肉体」がついていけなくなっていること。私はダンスもしなければ歌も歌わないから、前の作品(ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンズ監督「ウエスト・サイド物語」)でも私の「肉体」がついていっていたのかどうかはわからないが、今回のスピルバーグの映画では、私の「肉体」が置いてきぼりにされているのを感じた。冒頭の口笛のシーンは、まだ「耳」だけが動いているので、わくわく感はおなじなのだが、役者が歌い踊りだすと、途端に、私の「肉体」は傍観者になってしまう。歌いたい、踊りたい(ま...スティーブン・スピルバーグ監督『ウエスト・サイド・ストーリー』

  • 谷川俊太郎「偶然の言葉」ほか

    谷川俊太郎「偶然の言葉」ほか(「午前」20、2021年10月15日発行)谷川俊太郎「偶然の言葉」は「偶然の言葉」が前書きなのか、「『偶然の人』に寄せて」が副題なのか、タイトルが二行になっている。饒舌に与せず沈黙に堕することなく寡黙のうちに詩を生むのは難儀だ日常茶飯にひそむ詩は人間には創れない懐胎を予感し臨月を待つのみこれは、何だろう。よくわからない。「饒舌」「沈黙」「寡黙」。「寡黙」は「饒舌」と「沈黙」のあいだにあるのかな?詩は「饒舌」でもなく「沈黙」でもなく、「寡黙」。少ないことば。でも、それは「人間には創れない」。生まれてくるのを待つだけ。生まれてきたものがヒトの体をなしていない鬼っ子だとしても嘆くまい言葉はすでに私と別れて幽明のうちに点滅するそのほのかな光に浮かぶ面影に私たちが捧げるものはやはり詩ひとつの...谷川俊太郎「偶然の言葉」ほか

  • 岩佐なを「責任」

    岩佐なを「責任」(「孔雀船」99、2022年01月15日発行)岩佐なを「責任」は、いいかげんに始まる。いとをかしの暮れ方だったなんのことか、わからないでしょ?この、なんのことかわからなさを、私は「いいかげん」と呼ぶ。そして、それが「いいかげん」と言う限りは、私のなかに何らかの了解がある。つまりわかっていることがある。仕事でだれかがミスをする。その説明をする。「それ、違うだろう」とわかっているとき「いいかげんなことを言うな」というでしょ?仕事でなくても、子供を叱るときもよくいうよなあ。では、私に何がわかっているのか。「いとをかし」が「ことば」としてわかっている。「枕草子」あたりに出てきたかも。そういう感じ。岩佐が実際に何を伝えたいのかわからないけれど、まあ、あの「いとをかし」なんだろうなあ、と思う。そして、いま書...岩佐なを「責任」

  • 青柳俊哉「夕雲」、徳永孝「睡眠剤?」、緒方淑子「梅の木の横で」

    青柳俊哉「夕雲」、徳永孝「睡眠剤?」、緒方淑子「梅の木の横で」(朝日カルチャーセンター福岡、2022年02月07日)受講生の作品。夕雲青柳俊哉凍りつく清冽な水音と白いちいさな無数の野花の響く雪のふりしきる谷間に心は移り生きている匂いのよい花をつみ花をたべて憩っている青空はどこまでも硬くすんで寂しく雪は空の鋼(はがね)の光沢を溶けずにすべりおりて氷河の底の枯れ野の芽吹きの中にしずむ冬のくらい夕雲のほとりを光があんなに悲しくうつくしく灯しているのは霊たちが昇華しているためだ空のむこうの円環へと[受講生]透明感があふれる詩。音が光に転換していく。その透明なイメージが展開し、その変化が美しい。「寂しく」ということばがあるが、そのことばとは対照的な感覚も感じる。寂しさと野の花の対比、枯れ野と芽吹きの対照的な存在もいい。「...青柳俊哉「夕雲」、徳永孝「睡眠剤?」、緒方淑子「梅の木の横で」

  • 粕谷栄一「一生」「副身」

    粕谷栄一「一生」「副身」(「森羅」33、2022年03月09日発行)粕谷栄一の作品は、どの作品も、まったくおなじだ。違うことを書いているのだが、まったくおなじという印象がある。そして、このまったくおなじは、不思議なことに、飽きるようで飽きない。若し、おれが、南国の港の町で、何にでもなれる男だとしたら、おれは、すぐ、若い水夫になる。太い腕をして、昼間から、酒場で酒を呑むのだ。「一生」人々も、彼自身も知ることはないが、ひとりの男のなかには、もうひとりの男がいる。「副身」このふたつを重ねてみる。「おれ」のなかに「もうひとりの男」がいる。その「もうひとりの男」は水夫になっている。そして、昼間から酒を飲んでいる。ひとりの男が、めしを食っているとき、彼のなかにいるひとりの男もめしを食っている。「副身」おなじように、水夫が酒...粕谷栄一「一生」「副身」

  • 池田清子『おまえはわたしをかえていく』、緒方淑子「梅の木の横で」、青柳俊哉「満点の海」、徳永孝「光」

    池田清子『おまえはわたしをかえていく』、緒方淑子「梅の木の横で」、青柳俊哉「満点の海」、徳永孝「光」(朝日カルチャーセンター福岡、2022年01月31日)受講生の作品。『おまえはわたしを変えていく』池田清子中学1,2年の頃書いた詩を見つけたおまえって誰?勉強から遊びからわたしを離してしまう中学生らしいなあいつでもどこでも現われてわたしの心に入ってしまう未知の世界へ淡い感情の世界へ時には強い情熱の世界へわたしを送り込んでしまう先生とか好きになってたなあどんな世界だおまえを憎み恨んでるだけどいつでもどこでも現われるのを待っているそれで一体おまえはわたしを変えたのかい?変えられて数十年どこが変わった?変えたのは自分ではなく人だったような気がするけれど「おまえ」とはだれか。「わたし」のなかの「もうひとりのわたし」と読む...池田清子『おまえはわたしをかえていく』、緒方淑子「梅の木の横で」、青柳俊哉「満点の海」、徳永孝「光」

  • Estoy loco por espana(番外篇137)Obra de Joaquín Llorens

    ObradeJoaquínLlorensUnadanzaentredospersonas,unpasdedeuxenballet.Enestaescultura,elhombredesvelaalamujerylaapoyaparaquesemuevamáslibremente.Peroelhombrenosóloapoyaalamujer.Lamiradadelhombreesinvitadaporlamiradadelamujeramirarloquesusojosmiran.Cuandomiraalosojosdelamujer,sabeloqueellave.Losdoscorazonesvuelanligeramenteporelairejuntos.Setratadeunapiezamusicall...Estoylocoporespana(番外篇137)ObradeJoaquínLlorens

  • Estoy loco por espana(番外篇136)Obra de Joaquín Llorens

    Estoylocoporespana(番外篇136)ObradeJoaquínLlorensObradeJoaquínLlorensUnatorrelaberíntica.¿Eselautorretratodeunhombre?Uncorazónsolitariosemantieneensilencio.Lamiradaquemirafijamenteenladistancia.Esmirarmásalládelhorizonte.Enderezaellaberintodelamente.Laesculturapuedeversedesdemuchosángulosdiferentes.Sinembargo,estetrabajomeparecerechazarcualquierotroánguloquenos...Estoylocoporespana(番外篇136)ObradeJoaquínLlorens

  • サラ・カイリイ『ヴァージン・キラー』

    詩集ヴァージン・キラーサラ・カイリイ書肆侃侃房サラ・カイリイ『ヴァージン・キラー』(書肆侃侃房、2021年10月06日発行)サラ・カイリイ『ヴァージン・キラー』には、何度もセックス描写か出てくる。セックス描写は、なんといえばいいのか、意外に退屈なものである。いろいろなことをやってみても、結局似たようなことになってしまうからだろう。行為には限界がある。(ように、私には思える。)行為なんか、いくらでも、欲情しない。不思議なことに、思春期は「月経」ということばにさえ勃起したのに、である。「挿入」という文字を辞書で確かめれば、射精までは一分もかからない。ということは、というのは変な論理だが、セックスは「肉体」ではなく「ことば」の問題なのだ。そして、その「ことば」というのは「ことば自身の肉体」をもっている。これを私は簡単...サラ・カイリイ『ヴァージン・キラー』

  • うるし山千尋『ライトケージ』(2)

    うるし山千尋『ライトケージ』(2)(七月堂、2021年12月28日発行)うるし山千尋『ライトケージ』には、「返す」という動詞は、きのうふれた作品のほかに、もう一篇、違う作品でもつかわれている。「返戻」。この作品について触れながら、暁方ミセイが「「返す」詩人」というタイトルの解説(?)を「栞」に書いている。暁方も「返す」が気になったらしい。私は、「栞」はめったに読まないが、今回は暁方が書いているということと、その文章が短かったので、読んでみた。こう書いている。本詩集収録の最後の詩を読み、そうかぁ、と唸った。わたしは写真集を「元の場所」に戻したわけだけど戻したというより返したという感覚のほうがなぜかいつも強い戻すも返すもたいしてかわらないのに(「返戻」)うるし山さんの詩は、「返す」詩なのだ。返すということは、戻すこ...うるし山千尋『ライトケージ』(2)

  • うるし山千尋『ライトケージ』

    うるし山千尋『ライトケージ』(七月堂、2021年12月28日発行)うるし山千尋『ライトケージ』の表題作「ライトケージ」は、こうはじまる。二十年ぶりに弦を巻くサイレントギターという音の鳴らないギターに弦を巻くやわらかい弦は空気のような他人の風景のような音が混じる「弦を巻く」を繰り返し、その間にサイレントギターの説明を閉じ込めてしまう。これを技法と呼んでいいのかどうかよくわからないが、とてもうまい。説明を閉じ込めた上で、その説明の中に残っている「鳴らない音」を展開していく。空気のような他人のこの一行が非常におもしろい。学校文法でいう「論理」になっていない。「空気のような他人、の」と読めばそれなりの「意味」になるが、「他人の」は次の行の風景のようなにつながっているように見える。行渡り。切れているのに、次の行と強靱に結...うるし山千尋『ライトケージ』

  • Estoy loco por espana(番外篇135)Obra de Javier Messia

    Estoylocoporespana(番外篇135)ObradeJavierMessiaElcieloeselmardeestrellas.Variasestrellascaenalsuelo.Elcontrasteentreelcolordoradoyelcoloracromáticoeshermoso.Sientoelcolorquellevaalartepopulartradicionaljaponés.Laestrellaeselcolordeldorado.Elcolorenelsueloeselcolordelatintaoelcolordelcarbón.Estoylocoporespana(番外篇135)ObradeJavierMessia

  • 愛敬浩一『遠山立もまた夢をみる』

    愛敬浩一『遠山立もまた夢をみる』(詩人の遠征12、洪水企画、2022年02月01日発行)愛敬浩一『遠山立もまた夢をみる』には「失われた文芸評論のために」という副題がついている。私はある時期から「文芸評論」というものを読まなくなった。講談社の花田清輝全集、新潮社の小林秀雄全集が家にある。あるだけだ。遠山立は、名前は聞いたことかあるが、一冊どころか、一ページとして読んだ記憶がない。だから、これから書くことは、愛敬の書いていることとはほとんど関係ないことになる。『遠山立もまた夢をみる』を読みながら、ふと思い浮かんだことの羅列になる。私が評論を敬遠し始めたのは、たぶん、そこに「引用」が多すぎるからである。評論している(批評している?)作品の「引用」ではなく、その「引用」についての筆者の考えを補足するための「別の筆者の引...愛敬浩一『遠山立もまた夢をみる』

  • Estoy loco por espana(番外篇134)Obra de Joaquín Llorens

    ObraJoaquínLlorensHierroóxido58x15x12S.5.5.Ensuobra,hayalgocomo"memoria"quetehacesentirnostalgia.Especialmente,losientofuertementeensustrabajosusando"hierrooxidado".Hierroquenoseusóyfueabandonado.Joaquínlorecogeydaformaalavida.Elhierrorenacecomoobra.Sinembargo,noesuna"vidarestante"sinodeuna"vidanueva".Elóxidoesunapruebaviviente.Estaobramehacesentir"soledad"....Estoylocoporespana(番外篇134)ObradeJoaquínLlorens

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