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ぽんぽこタヌキの独り言 Solilokui dari Rakun Pompo
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2014/09/27

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  • バンコクで知り合った若夫婦

    私はいま、タイのバンコクにいる。5月中旬に、カンボジアの滞在期限が迫り、タイのバンコクに出国したが、その時点では、仕事のために、カンボジア再入国の可能性が高いと思っていた。だから、近隣に、「,カンボジア大使館」があるという「ラチャダ通り」沿いの「フアイ·クワーン」に行くことにしたのである。というわけで、私はいま、バンコクの「ラチャダ通り」を中心に活動している。外食チェーン店や喫茶店チェーン、トロピカルフルーツの店、女性用の衣服やシューズ、サンダル等も並ぶ商業ビルで、映画館やボウリング場も施設も備えている。中国、台湾、韓国からのツアーの団体が、旗を掲げたツアーガイドの案内で、ひっきりなしに訪れる。ツアー団体はもちろんのこと、地元の友人たちや、家族連れのグループも気楽に訪れる観光施設である。「ナイトマーケット」で「...バンコクで知り合った若夫婦

  • 「流転」(ベトナム > カンボジア > タイ )

    私はいま、タイのバンコクにいる。ちょうど2ヶ月前に、カンボジアのプノンペンから、カンボジアのツーリストビザ期限が迫ってきたために、やむなく、このバンコクに入国してきた。その頃、私は、カンボジアの実習生送り出し機関の,「日本語の教師」になるべく、何回かの面接をクリアし、最終面接を残すのみ、の段階にあった。また、マレーシア系の銀行の新事業担当者の話も来ていた。カンボジアでの銀行の新事業といえば、「マイクロクレジット」/「マイクロファイナンス」である。「日本語教師」にも、「マイクロクレジット」にも関心があったので、どちらかの仕事に決まれば、「プノンペン」に腰を落ち着ける覚悟はしていた。一方、タイのバンコクのとある建築系の企業から、仕事のオファーが来ていた。建築系の仕事なら、ベトナムで多少経験済みだったので、こちらの方...「流転」(ベトナム>カンボジア>タイ)

  • 言語比較 :「水と氷」

    今回のテーマは、「水と油」ではなく、「水と氷」である。この「水と氷」は、実質的には、同じものが、温度の変化によって、「水」という「液体」から「氷」という「固体」に変化するのである。「日本語」の場合は、基本的に「水」という「液体」があって、それが冷却されて「氷」という「固体」になるという事実を踏まえて、文字にしており、基本の「水」という漢字に、「・」を付け加えることで、「同質のもの」であることを、明確に表している。ところが、中学からなれ親しんできた「英語」では、「水」のことは、「ウォーター」='Water'といい、一方、「氷」のことは「アイス」='Ice'というふうに、全く関係のない、別物として扱われている。このような観点から、アジアの各言語をみてみたい。まず、「インドネシア語」では、「水」のことを「アイル」='...言語比較:「水と氷」

  • 「トイレ」の話 Part 3 (バスの旅)

    私は、昨年ほぼ1年間、ベトナムのホーチミンで生活した。ホテルは、Quan(区)を跨いで転々としたが、ホーチミン市内での移動だった。それが、今年の2月に、居候していたアパートを、友人たちと共に追い出されてからは、お金はないし、長距離移動の必要はあるしで、急に、列車の旅、バスの旅をする機会が重なった。1.2月ホーチミン-ハノイ間のバス移動。乗客は殆どベトナム人。それに、僅かながら、我々のような外国人旅行者がまじっている。トイレ休憩のとき、彼らは、「ダイ」「ダイ」「ダイ」と口にし出した。ベトナム語で「ダイ」、これすなわち「小」=「小便、おしっこ」である。2.次は、3月,ベトナムビザのオーバーステイ解消のため、カンボジアのシェムリアップに2泊3日のつもりの旅にでた。ところが、3日後、シェムリアップの空港から、夜間便でハ...「トイレ」の話Part3(バスの旅)

  • 「トイレ」の話 Part 2

    以前の記事で、「トイレ」とか「衛生観念」などをテーマにして書いた記憶がある。これまで「駐在」とか「出張」で関わった国における「トイレ」に対する「呼び方」が異なることに興味があったからである。「インドネシア」では、「トイレ」のことを「カマル・クチル」(小さい部屋」と呼んでいる。最近のリゾート施設などで、広くゆったりとした、豪華なトイレがあることを「売り」にしている場合は別にして、通常の「トイレ」の「スペース」は、小さな狭い空間なので、「トイレ」=「小さい部屋」には、「納得性」がある。この「インドネシア」と同じ「語族」に分類されるのは、「マレーシア語(マレー語)」と「タガログ語」である。特に「インドネシア」と「マレーシア」の言語は「同根」なので、「同じ呼び方」であってもおかしくない、と個人的には思っていた。ところが...「トイレ」の話Part2

  • 「アヒルの卵」

    「アヒル」という言葉を聞いて、我々日本人が思い出すのは、「醜いアヒルの子」という「アンデルセン」の童話である。日本の子供たちは、「教育的見地より」この童話は、「ウサギとカメ」と同じくらい家庭に常備されていると言っても、決して誤りではないくらい、読み聞かせに活用されている。世界的に有名なのは、ディズニーの「ミッキーマウス」に登場する「ドナルドダック」である。日本では、一般家庭で「アヒル」を飼育するのは、非常に稀だけれど、東南アジア諸国の地方や農村に行くと、鶏に混じって、アヒルたちも群れをなして、歩きなから、草の葉や餌をつついている。そんな環境、慣習の違いがあるので、日本人にとっては、食用の「アヒル」や「アヒルの卵」は、想像し難いものであるのに対し、東南アジアの人たちにとっては、至極当たり前のことである。私が、初め...「アヒルの卵」

  • 「祝日」

    先日のとある夕方、何を考えることもなく、トンレサップ川の川沿いの石畳を歩いていると、突然、「ドーン、ドーン」」「パチパチパチ」と大きな音を響かせて、豪快に、豪華絢爛な「花火」が始まった。そう言えば、昼間に会った「おばさん」が、今日は何かの祝日だ、と言っていたのを思い出した。「花火」があるにしては、交通渋滞もなく、人の混雑もない、日常とそう変わりない様相だった。若干、歩いている人が多かったかな。カンボジアに入国して、1ヶ月ほど経ったころ、「カンボジアの正月」だというので、深夜に街中を散歩してみた。警官の数は少し多かったが、何の催し物もない「静かな正月」で、少し拍子抜けした。「静かなお正月だったね」私は、ホテルのスタッフに漏らした。ベトナムだったら、深夜から花火を打ち上げて、道路は集まってきた住民のバイクで渋滞して...「祝日」

  • 「昨日」「今日」「明日」

    今回は、自身2度目のカンボジア、プノンペンである。前回、2008年初来訪した時には、とりあえず、「こんにちは」の「チョムリアップ'スオ」と「数字」について、少し「事前勉強」した。そして、数字の「表し方」が面白い、と少し興味を持った。今回2度目の来訪で、言語を少し掘り下げてまなんでみようと、試みた訳だけれど、なかなか、これが、ピンとこないのである。以前に、「言語比較」してみた「美味しい」という表現は、「クメール語」では、「チガニュ」と言うのだが、これが、なかなか、ピンとこないのである。「インドネシア語」の「エナック」も「スダップ」も、「タガログ語」の「マサラップ」も、「タイ語」の「アロイ」そして「ベトナム語」の「ゴン」も、聞けば、即座に「美味しい」と認識できるのだが、この「チガニュ」は、これらの他の言語の「美味し...「昨日」「今日」「明日」

  • 「ヌンバンチョク」

    最近はまっているカンボジア料理がある。ベトナムでは、食事、特に麺料理といえば、「フォー」か「ミー・クアン」だったけれど、ここカンボジアでは、この「ヌンバンチョク」がうまい。麺は、白い細麺で、日本でならば、冷やして食べる「ソーメン」とか「冷や麦」である。ベトナムでは、「ブンボー」と言って、肉の具材入りで、「生春巻き」等につけて食べる「甘酢のタレ」(ヌクチャム)をぶっかけて食べる。だが、ここカンボジアの「ヌンバンチョク」は、「黄色いココナッツスープ」をかけて食べる。この「ココナッツスープ」は、インドネシアでは、「グレ」='Gulai'と言って、これが「インドネシア風カレースープ」だといいながら飲んでいた。それを、こちらでは、「ソーメンのような白い細麺」に、ぶっかけて食べる。一般家庭では、定、番の朝食メニューの1つら...「ヌンバンチョク」

  • ベトナムの「家族 (ザーディン)」について

    これまで、私は、このテーマに関連して、ホーチミンで、2つの「家族」='GiaDinh'(ザーディーン)を覗く機会があった。1つは、新年の「兄弟寄りの宴会」から、そして、もうひとつは、偶然に始まった、従姉弟が共同生活するアパートでの居候生活の中から、しかも、そこは、両親がマレーシア人との国際結婚家庭でもあった。兄弟姉妹でガッチリと絆を結び、生活する「家族」と、「母親」を幼くして失った子供を、従姉妹が共同生活という形で支援/保護する姿をそこに見た。さらに、マレーシア人の母親は、そのビザがどうなっているかは知らないが、ホーチミンとマレーシアを行ったり来たりの生活である。マレーシアの年金があるらしい。息子のひとりは、シンガポールのスタジアムの役員をしながら、ホーチミンでは、教師をしている。住んでいるのは、妥アパートだが...ベトナムの「家族(ザーディン)」について

  • 「ニッカポッカ」「ダックラック」「ヨックモック」「ロックラック」

    今回は、日本語として、一定のステータスを得ている外来語もふくめて、ちょっと面白い「言葉」を集めてみた。まずは最初の「ニッカポッカ」.この言葉を、2つに切り離すと、「ニッカ」と「ポッカ」である。「ニッカ」のほうは、「ウィスキーのメーカー名」でsり、後ろの「ポッカ」は、「ポッカレモン」等のように洗剤の「商品名」に使用されている。次の「ダックラック」。この言葉は、実は、SNSで知り合った友人の出身地「ブンマトート」で、その「地名」に、最初に出くわして、その場所を地図で探してみたら、「ダックラック省」の「省都」であることを発見し、と同時に、面白い名前の「省」があることを発見するに至ったのである。ということで、これは、ホーチミンから北へ、バスで7時間ほどかかる場所に存在する「省」の名前である。3つ目の「ヨックモック」。こ...「ニッカポッカ」「ダックラック」「ヨックモック」「ロックラック」

  • 「洋服」のはなし

    現在、私は、カンボジアのプノンペンにいるわけだけれど、そもそも、銀行のキャッシュカード使用不能問題で始まった、私のベトナムのオーバーステイ解消のために、ペナルティを支払い、一旦、ベトナムを出国して、帰国する、というわずか3日間の旅程のはずだった。ところが、3日目の夜空港のチケットカウンターで、入国のビザがないとの理由で、飛行機の搭乗を拒否されたのである。空港スタッフと押し問答の末、ネットで、アプルーバルレターをとる方法があるとのことだったので、それを依頼した。ところが、「その手数料、200米ドルを払え」と言う。そんな手持ちのお金はない。空港にあるATMに走って、お金を出してみたが、100米ドルしかでない。そこで仕方なく、バスと汽車を乗り継いで、ハノイまで戻ることにした。バスは順調に走り、プノンペン経由で、ベトナ...「洋服」のはなし

  • カンボジアの乗り物は面白い

    先般、「いざハノイへ」と意気込んで、これから、ハノイのほうから、ベトナムを見直してみようと、ホーチミンからハノイへと「お引っ越し」を決行するはずだった。ところが、いろんな手違いやら、ミステークやら、勘違い等が重なって、暫く、カンボジアのプノンペンに滞在することになった。タイやベトナムと違うのは、インドネシアで昔から走っている「オート三輪車」バジャイが走っていることである。バジャイとは、インドの「バジャージ財閥」の戦略車である。インドネシアに生産工場を持っているから、そこから輸出されているのかもしれない。さすがに、「シクロ」は、大通りは走っていないが、ちょっと脇道に入ると、まだたくさん見受けられるし、観光客を乗せて走っているのは、時々みかける。ベトナムで増殖している「グラブバイク」='Grabbike'の姿は、こ...カンボジアの乗り物は面白い

  • 「向日葵の種』

    以前、いろいろな果物の種を題材にして記事を書いた記憶がある。南の国で豊富なトロピカルフルーツを食していると、大小様々な種や皮が「生ゴミ」として残ってしまうので、その「種」や「皮」を有効に活用できないか、と考えながら、「いろんな種」をテーマにして記事にしていたことがある。そのなかに、この「ひまわりの種」があったかどうかは記憶にない。確か先月の、とあるウィークデイだったと思うが、お昼過ぎに、小腹が空いたので、何か食べようと、ぶらりとホテル野部屋を出た。池を囲むように造られた歩道を、それを囲むように並ぶ、レストランや喫茶店に目を配りながら歩いていると、そこの来店客たちは、ほとんど食事を終え、お茶を飲みながら何かをつまんでいた。指でつまんで、口のところまでもっていき、歯で噛んで、その中身を食べていた。近づいて見てみると...「向日葵の種』

  • 今更ながら「桃尻」

    YouTubeを見ていたら、「桃尻娘」という題名の映画がでてきた。昔、「日活映画」が一世を風靡していたころ。よく「桃尻娘・・・・」と題されたAVなんかも販売されていて、「日活ロマンポルノ」+「ピンク映画」+「桃尻」という連想で、かなり「卑猥」なイメージを持っていたのである。ところが、パソコン上で流れる場面は、たぶん、中学生なんかが見ると十分刺激的なのかもしれないけれど、大人が見れば、なんてことはない、普通の青春映画という感じだった。そして、今更ながら、この「卑猥」なイメージを掻き立ててくれていた、この「桃尻」に面と向かって、調べてみようと思い立ったのである。そもそも、この「桃尻」という言葉は、歴史的には,ずいぶんと長い間、使用されてきた言葉である。というのも、この言葉は「乗馬」に関連して使用されてきた言葉である...今更ながら「桃尻」

  • 急転直下「いざハノイへ」

    「テト」に入って、「外国人」が居住するアパートに「公安」担当官が、個別訪問して「不法滞在者」の手入れをするという情報が入ったので、しばらくまた「野宿」生活をすることになった。以前のごとく、ホテルのロビーを転々とし、「1日パン1個とコーヒー1杯」もしくは、「1日カップめんとジュース」の生活の再開である。そして、数日後、「ハノイ進出企業」との面談が設定されるとの話が来たので、一度、「居候先」のアパートに戻ってみた。すると、彼らは毛布をかぶって寝ていて、心なしか元気がない。話を聞くと「アパート」を出ることになったらしい。「テト」は、ベトナムにおける唯一の「長期連休」である。会社勤務で「テトボーナス」があるものはいいが、「その日暮らし」や「パート」「アルバイト」の日給が頼りの人たちは、「余裕資金」がないから、たちまち資...急転直下「いざハノイへ」

  • 「同情するなら金をくれ!」

    この言葉は、日本の「テレビドラマ」である「家なき子」の中で、人気女優「安達祐実」が幼い、デビューしたての頃、貧乏生活に甘んずる幼い子供の役を演じ、その役柄の中ではいて「日本中」で話題になった、印象的な「台詞」である。前稿の酒の席で盛り上がる「お金の話」で盛り上がる「フレーズ」の1つである。儂は金持ちだからと、自慢する御仁もいれば、儂は貧乏だから、と自らを蔑む御仁など、酒の飲み方はさまざまである。「金持ちを鼻に掛ける御仁などは、気持ちよく「自慢話」をするわけだから、聞くほうは「あんまり気持ちよくはない」けれど、まあ、そこは「すごい、すごい」と持ち上げて、やり過ごせばいいのである。無駄にケチをつけたりすると、争いごとのもとにもなりかねない。「インドネシア語」で「金持ち」は「カヤ」='Kaya'で「貧乏」は「ミスキン...「同情するなら金をくれ!」

  • 「チンチン!」Part 2

    ここは「ベトナム」、イスラム教国「インドネシア」とは違って、よく酒を飲む。近隣国の「タイ」だって、酒は好きである。以前にもどこかの稿で書いたと記憶するけれど、「タイ」の「バンコク」では、放っておけば、だれかれとなく、仕事中でも「酒」を買って、酒盛りを始める恐れがあるのだろうか、バンコク市内のスーパーマーケットの食品売り場で販売される酒は、午後5時を経過するまで、販売禁止とされている。酒の席では、「お金の話」や「男と女の話」特に「下の話」となると「その場の雰囲気は最大限に盛り上がる」ものである。これまた、恐らく、国民的スポーツ「サッカー中継」を「テレビ」や「パブリックビューイング」で観戦して飲んでいる輩は、シュートされては落胆の声を発し、シュートして外してしまっても、大声で乾季と落胆の混じった声でおおきな声をはす...「チンチン!」Part2

  • 「袖振り合うも他生の縁」 (もう1つの「ザーディン」='Gia Dinh ')

    ホーチミンの一角にあるアパートに転がり込んだ私は、そこで「3人と犬2匹」の珍生活を始めることになった。「Mr.H」は、11歳の時から「孤児」である。その話を私のことを「パザー」=Pather'と呼び始めた。たぶん、「パパ」='Papa'と「ファザー」='Father'の「合成語」である。「Mr.H」の義理の父親だから、我々の「ザーディン」='giaDinh'の一員だという。「MIsVy」は、言わなければ、わからないけれど、「ベトナム人」と「マレーシア人」の混血である。父親が「ベトナム人」(75歳)で、母親が「マレーシア人」(75歳)である。そのご両親所有の「家」が、2軒あって、1軒は、ホーチミン市内の「2区」に、そして、もう1件は、避暑地「ダラット」='DaLat'にある。そして、ご両親は、基本、「ダラット」=...「袖振り合うも他生の縁」(もう1つの「ザーディン」='GiaDinh')

  • 「袖振り合うも他生の縁」(街で出会った天使たち②)

    新年、「ビエンホア」=’BienHoa’の「ブゥ・ラング」='BuuLang'の「ザーディン」='GiaDinh'親睦会での楽しいひと時の後、英語のできる「長男の息子」が、独身の「長女の息子」の家に泊れるように、アレンジしようとしてくれていたが、結局、「いろいろややこしいから」と「長女の息子」が難色を示したため、「ビエンホア」='BienHoa'に宿泊することをあきらめて、第1区に戻ることにした。クリスマス前後から続けていた、ホテルのロビーを転々とする流浪、野宿の生活に戻った。「ビエンホア」='BienHoa'からの帰りのタクシー代が予定より高くついたので、新年2日目から、心細い生活が始まった。日本の銀行のキャッシュカード問題のけりがつく予定の4日までは、乏しい手持ち資金で食いつないでいかなければならない。2日...「袖振り合うも他生の縁」(街で出会った天使たち②)

  • 「テト」 = ’Tet' の 「墓参り」

    「テト」='Tet'が近づいてきたころ、急に「MisVy」と「Mr.H」が、「テイネン」「テイネン」という言葉を交えて会話をするようになってきた。そして、私に対しても「テイネン」がどうだこうだ。と話しかけてくる。「60歳定年」の現実と向き合っている私は、その「テイネン」しか思い浮かばず、何かからかわれているような気分に陥っていた。が、それは「地名」だった。「ベトナムに対する知識不足」と「ベトナム語のヒアリング能力の欠如」がもたらした「不快感」であった。この「テイネン」とは、実は、実在する「地名」だった。そこは「タイニン」='TayNinh'といい、「ホーチミン」から車で3時間ほどの場所にある「Mr.H」の生まれ故郷であった。1月下旬のとある日、深夜1時頃「タイニン」='TayNinh'に向けて出発しようというこ...「テト」=’Tet'の「墓参り」

  • 「旅行者ビザ更新」で行ったり来たり

    外国に行ったとき、道を尋ねて、「あっちへ行け」と言われていった方向に、目的の場所がなく、実は「反対の方向」だった、という話は、よく聞く話である。そして、今回の話は、ここベトナム、ホーチミンで出くわした、最近の話である。まず、日本の旅行代理店で、9月にいったん帰国した際に、10月にベトナムに再入国しようと、飛行機を手配したが、その時に、旅行者がいったん帰国した後に再入国する場合には、最低1か月の期間を開けなければならない、と強く言われた。そこで、帰国後28日目の航空便だったので、仕方なく、出国日を1週間ほど先に延ばした。ホーチミンサイドで、1か月のツーリストビザ、それも、シングルと数次で手続き費用が異なるということについて、実は納得がいってなかったわけだけれど、日越間の「ビザ手続き」の実際に、両国で直面してみると...「旅行者ビザ更新」で行ったり来たり

  • 「袖触れ合うも他生の縁」(「ザーディン」=’Gia Dinh' の親睦会)

    前項の「ベトナム語の先生」から頂いた400,000vnd.のお小遣いを財布の中に突っ込んで、ホーチミンでの2度目の正月を迎えた。年末と変わらず、ホテルのロビーを転々とし、携帯の充電をし、ネット検索の日々、時々、飲料水の無料サーバーで、ペットボトルの飲料水を補充、そして、相変わらず「一日一食」。日が暮れると、恐らく、若者たちの「デートスポット」となっている「オペラハウス」の前の階段に座って若者たちに混じって時間を過ごす。そして、右隣のホテルのレストランのイルミネーションの灯が落ちるころ、そのレストランの前に並べられた、オープンテーブルの椅子が並べられているエリアへ移動。そして、朝まで仮眠をとる感じ。なかなか熟睡はできない。この日は、先日とは異なるSNSサイトを検索して、この正月をどう過ごすか、ただ漫然と、新年のあ...「袖触れ合うも他生の縁」(「ザーディン」=’GiaDinh'の親睦会)

  • 「袖すり合うも他生の縁」(街で出会った天使たち①)

    標題のか「袖すり合うも多生の縁」という故事は、本来は、「知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁であるということ。」という意味である。ただ、私のように、アジアの国々を流れ歩いていると、色々な人に出会うし、色々な話を聞きたいから、かなり懐に飛び込んでいくような接し方をするので、時々危険にさらされるやうな出来事にであったりするけれど、彼ら、現地の人々と、琴線に触れるような嬉しい経験をすることができたりもする。更に、現在は「ネット社会」である。昔のように、電車やバスで旅して、旅先の人々と知り合うだけでは済まなくなっている。危険に晒される可能性も、琴線に触れる心温まる出会いも、その可能性は高まっている。実のところ、私は昨年末から、「抱きつきスリ」に出会ったり、「置き引き」に出会っ...「袖すり合うも他生の縁」(街で出会った天使たち①)

  • 「ベトナム人のこころ」

    日本の社会は、武家社会から近代、そして「経済的高度成長」を経て、1980年代後半から1990年代にかけて、皆が酔いしれた「バブル経済」を謳歌し、その崩壊を経て、「成熟社会」、「少子高齢社会」、そして「人口減少社会」へと推移している。「高度成長時代」では、「若者」の「田舎」から「都会」へと移り住む、人口の都市集中が進み、田舎や、地方都市の過疎化が進展した。それと同時に「核家族化」が進展し、都市部では、「隣は何をする人ぞ」的な「無関心主義」が蔓延していったのである。日本では、この「無関心主義」」の蔓延と、「日本市場/日本経済」の飽和による「海外進出」が並行して進展していったので、家族や、近隣に対して「無関心」を好む日本人と、「家族第一主義」で、仕事よりも「家族」を優先する「アジアの人々」の違いのコントラストが、年々...「ベトナム人のこころ」

  • 抱きつきスリ

    以前、「海外渡航リスク」というテーマで記事を書いた記憶がある。あの頃はインドネシアの民族歌謡「ダンドゥット」='Dangdut'にはまっていて、そのなかの1曲に「サブサブ」='SabuSabu'というが題名の歌があった。最初は、現地で人気のある和食の「しゃぶしゃぶ」のことかと思っていたが、歌詞をよく聞いてみると、実は、麻薬の「シャブ」の歌だときづいて、ぞっとして、記事にしたと記憶している。1975年に、ベトナム戦争が終結し、「ドイモイ」='DoiMoi'が実施されベトナム経済が解放された。当時は、というか、これは現在でも変わらないけれど、「アオザイ姿のベトナム人女性」に心惹かれ、「シクロ」='Xichlo'の行き交うレトロな風情が魅力だった。当時の雑誌などでは、「夜の蝶」は、「シクロ」='Xichlo'に乗って...抱きつきスリ

  • ホーチミンの道端の看板

    海外に旅行するとき、いつも旅行先の国の「挨拶」と「数字」と「まっすぐ行け」という言葉を事前学習するように心がけている、ということを以前の記事に書いたと記憶する。ただ、ベトナムの場合は、インドネシア在勤中に、1988年当時の同僚が、いったん帰国した後に、ホーチミン駐在員事務所の立ち上げのため、ベトナムに駐在され、少し体調を壊されていて、当時すでにインドネシアで製造販売されていた「大塚製薬」の「ポカリ・スウェット」='PocariSweat'の粉末を持ってきてほしいとの依頼を受け、「大塚製薬」のスラバヤ駐在の方から「これも持って行ってやれ」と渡された「カロリーメイト」='CaloriMate'を携えて、初めてホーチミンの地を踏んだのである。この時は、急にホーチミン行きを決めたので、事前勉強など何もせずに、足を踏み入...ホーチミンの道端の看板

  • 空港で出会ったインドネシア人

    ちょうど1か月ほど前、私は約1か月ほどの日本帰国を経て、再度、ベトナム、ホーチミンへと向けて出発するため、成田空港の出国ロビーの椅子に座っていた。ふと隣の青年を見ると、スマホをいじっていたので、覗いてみると、そこには「マレー語」/「インドネシア語」のページが開かれていた。おそらく「技能実習生か何かだろう」と思って、話しかけてみた。「君は研修生?」「いや、元研修生。今は大工の仕事をしている。」「11月って、中途半端な時期だけど、仕事は休み?」「現場があるときは、休みないけど、現場が完成すると、しばらく休みがもらえる」とのことである。「ビザはどうなってるの?」「奥さんは日本人だから」彼の名前は「マデ」君、出身は、「バリ島」である。年齢は30歳そこそこ。日本に「研修生」として派遣され、3年間の「研修、実習期間」を無事...空港で出会ったインドネシア人

  • 国旗を掲げ、「ブブゼラ」 鳴らして爆走中

    どうやら、FIFAワールドカップのアジア地区予選が始まったようである。連日、アセアン隣国同士の試合の様子が、テレビ中継され、レストランや喫茶店のテレビに人だかりができ、あちらこちらで歓声が沸き起こっている。日頃「歩行者天国」となっている「グエン・フエ通りの広場」には、道路の内側の広場に、4~5枚の巨大な「LEDパネル」が設置され、大掛かりな「パブリック・ビューイング」として場所が提供されている。レストランなどの入り口には、通常、黒板が設置されて、「店のメインメニュー名数点」と「CaPheda」(アイスコーヒー)「カフェダー」が板書されて、客の来店を促しているが、この「ワールドカップ」の試合の時は、黒板のメニューはすべて消されて、ただ大きく「BongDa」(サッカー)「ボンダー」とだけ板書され、「サッカーのテレビ...国旗を掲げ、「ブブゼラ」鳴らして爆走中

  • 「高速道路」と「多目的型歩道」

    今回は、これまで駐在した国や出張先、旅行先の道路事情について、少し述べてみたい。私は、駐在したり、出張に行った場合や旅行に行った場合には、昼間はビジネス活動や観光をして、仕事や観光が終了すると、その出張先、旅行先の宿泊場所、社宅とか寮とかホテルの周辺を散策し、かなりの時間を割いて近隣を歩き回る。そんな時は、夜の涼しい風だったり、南の国の生暖かい風に吹かれながら、歩道を歩くわけだけれど、やはり、一番歩き心地いい歩道は、やはり、日本国内の出張先、旅行先である。時々、地震の後の歩道のセメントやアスファルトやコンクリートタイルの歪みはあるけれど、概ね平坦で、歩きやすい。最近のペットブームのさなかにあって、飼い主の散歩中のリードの活用や犬の糞の処理もほぼ徹底されていて、非常に快適である。欧米といえば、私は、フランスのパリ...「高速道路」と「多目的型歩道」

  • 「かぼちゃ」「じゃがいも」「ほうれんそう」

    今回は、なじみの深い「野菜」の名前の話をしたい。「野菜の話」とは言っても、私は「栄養学」とかも学んでないし、「調理」の専門家でもないので、至極、表面的な話になってしまう恐れがあるので、その点は、先だってお詫びを申し上げておきたい。標題の順番通りで行けば、まず、「かぼちゃ」である。英語では「バンプキン」='Pumpkin'と言い、確か「パンプキン・ヘッド」='PumpkinHead'というと「頭の回転が悪く物分かりの悪い者のこと」を意味する。これは「ブラジル」でも同様で、[カボチャ頭」のことを「カベサ・ディ・アボウブラ」='Cabeçadeabóbora'と言って、同じような揶揄表現として使われている。ただ、英語の「パンプキン」='Pumpkin'は、どちらかといえば「イギリス英語」で、「アメリカ英語」では、「ス...「かぼちゃ」「じゃがいも」「ほうれんそう」

  • 「上手い」「美味しい」「気持ちいい」 (ベトナム語 特別編)

    以前の記事で、「アジアの言語比較」として、主眼は「美味しい」と「気持ちいい」を表現するときに、「同じ単語」で可能か否か、そして、「関連する単語」として、どのような語彙が使用されているか、を見てみた。今回は、「ベトナム語」について、そのあたりを少し深めてみたい。まず、「ベトナム語」で「美味しい」と言いたいときは、「ンゴン」='Ngon'である。そして、「上手だ」とか「すごい」とか言うときは「ゾイ」='Gioi'である。そして「賢い」場合は「トン・ミン」=′ThongMinh'である。また、「すごい!」とか「素晴らしい!」というとき、口語では、「ハイ、クアッ」='Hayqua'とか、「チッ、チッ、チッ、チッ」と舌打ちしたりする。また、「すごい」とか「素晴らしい」という意味を持つ「語彙」に「トゥイェット」=’Tuye...「上手い」「美味しい」「気持ちいい」(ベトナム語特別編)

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