8月18日 真夏の鎧潟。
かつて西蒲原には、大潟・田潟・鎧潟の三潟があり、早通川を通じて西川に流れていた。西川、中ノ口川に挟まれた三潟は、雨が降ると水が行き場がなく、悪水(湛水被害)となった。これを解決するため天井川の西川の下に排水路を作り、悪水を日本海に流す壮大な計画を立てた。こちらの記事を参照。こうして昭和41年、干拓事業は完了し、鎧潟は、今は地名だけが残る広大な水田地帯となった。田圃の間の水路には、潟湖時代の水生植物の生き残りを見ることができるそうだ。天野尚氏は、鎧潟を愛し、田植え前や直後の鎧潟の写真を残している。ほんとは、同じような時間帯に行ってみたいところだが、なかなかこの時期の夕暮れの時間帯ってのんびり写真撮ってらんないので、稲の穂が実ってきた8月の鎧潟へ。まずは土地改良記念碑の処から出発し、新川沿いに西川との交差地点...8月18日真夏の鎧潟。
2024/08/23 15:57