今年最初の謎解きへ出かけた。京王線を途中下車しながら手がかりを集め、ラストの駅までたどりつくことができれば成功である。笹塚からスタートし、合計8個の駅に降り立った。最後は高尾のちょっと手前まで行くことになったからびっくりだ。京王線の車両はきれいだし、本数は沢山あるし、平日だったから空いていたし、快適な道中だった。帰りは特急で一気に戻る。妹と一緒に楽しい1日を過ごしました。鉄道探偵(京王線)
今年最初の謎解きへ出かけた。京王線を途中下車しながら手がかりを集め、ラストの駅までたどりつくことができれば成功である。笹塚からスタートし、合計8個の駅に降り立った。最後は高尾のちょっと手前まで行くことになったからびっくりだ。京王線の車両はきれいだし、本数は沢山あるし、平日だったから空いていたし、快適な道中だった。帰りは特急で一気に戻る。妹と一緒に楽しい1日を過ごしました。鉄道探偵(京王線)
締め切りのある音訳。自分の分担を仕上げて校正に出そうとしたらデータファイルをアップロードすることができない。「ギガファイル便」がだめなので「データ便」でやってみたが、結果は同じ。わー困った。データをUSBメモリに入れて郵送するしかないかしらと諦めかけた深夜、何とかアップロードできたので大急ぎで送信した。全く繋がらないのではなく、不安定なのだろう。昨日の音訳関係のミーティングはZOOMだったのだが、途中で何度も切断した。これもわが家のインターネット状況に問題があったからに違いない。********契約している会社に問い合わせて原因がわかった。どうやら私の住む地域で電柱の工事をやっていたらしい。あちこちで通信の不安定さが苦情として上がってきていたとのこと。工事は今日までなので、明日には回復すると言われた。原因...インターネットの不安定
昨年の秋に一過性全健忘が再発した。「ほとんど再発することはありません」という10年前の医師の言葉に安心していたが、8パーセントという僅かな再発率に引っかかってしまったのね。特に過酷な生活を送っているわけではないのに、私の柔な”脳"は、いくつかの同時進行仕事に耐えられなかったのかもしれない。今年は、できる限りストレスのかからない暮らしをしていきたい。やれそうだからといって、何でもかんでも引き受けるのはダメ。目立たぬようにひっそりと活動しましょう。断れない性分だから頼まれそうな場所には近づかないこと。一番大切なことは、トラブルや失敗があったとしても、くよくよしないことなんだけど、それがけっこう難しい。今年の心がけーーー無理はしない
11月の半ば頃から、眠るとき「CPAP」という機械を装着している。チューブのついたシリコン製のマスクで鼻を覆い、そのチューブを通して空気を送り込むという「睡眠時無呼吸症候群」の治療のためだ。詳しい検査の結果、私は立派な「無呼吸症候群」であることが判明したのである。眠っている間に気動が塞がって呼吸ができなくなるのを防ぐのが目的。送り込まれた空気の圧によって気道を広げ呼吸できるようにするのだそう。一ヶ月続けてだいぶ慣れたけれど、治る病気ではないので治療する意思がある間は使い続けなくてはならないというのが、あ~ぁという感じです。cpap装着
医師から脳波を調べると聞いたとき、ふと思いついて「私、いびきがすごいらしくて、しかも時々呼吸が止まるんだそうです。脳に関係ありますか」と尋ねてみた。睡眠時無呼吸症候群という病気が疑われるとのことで「そっちの検査もしておきますか」ということになった。で、クリニックを通して申し込んだ医療機器の会社から、昨日検査キットが送られてきた。測定器械をベルトで頭に装着し、鼻にカニューレを突っ込み指にはセンサーをつけ、何だか重装備。これで眠れるのかと思ったけれど、22時から翌朝6時までばっちり八時間睡眠だった。結果が出るのは2週間後くらいらしい。睡眠時無呼吸症候群
脳波に異常は認められず、特別な病気が原因の健忘ではないことがわかって、まあホットはしたのだけれど。そもそも「一過性全健忘」って原因もわからないし、治療法も特にないという。24時間以内に回復して、ほとんど再発もしないらしいから「まあ様子を見ましょう」ということで終わるのが常のことだ。でも、今回私は2度目なのだ。再発率8パーセントの中に入ってしまった。お医者さんは、慰めのつもりなのか「3度目がないといいですね」とやさしく言ってくれた。残念ながら慰めにはなっていません。けっきょく……
「一過性全健忘」だったと私は思っている。翌日受診した脳神経内科の医師からはまだ診断名を聞いていないんだけどね。CTの結果は異常なし。今回は「念のため脳波も調べましょう」ということになり、その予定が来週だから、まだ結論は出ていないということである。さて、その日の記憶が全く欠落しているのは事実なのだが、電車に乗っていたとか、勉強会に参加していたとか、その時々の名目はほとんどわかっている。覚えていないだけ。ここに謎がひとつ残っている。勉強会の会場は自宅から1時間半の場所。10時に始まった勉強会の終了は12時だから、スーパーに寄ったとしても14時には帰宅できたはず。ところが、夫によると私が帰ってきたのは16時だったというではないか。2時間の空白!私はどこでどうしていたのだろう。空白の2時間
県の点字図書館から預かった本の音訳が終了した。今回は、録音だけで何と2ヶ月もかかってしまった。下調べと打ち合わせも入れたら4ヶ月近くにもなる。歴史を扱う本は、とにかく引用が多いから、ほとんど全ての頁に注がくっついてくる。小説と違って、調べることが桁違いに多いのだ。その”注”を本文の中に読み入れながら進めるので、いわば、たえずつんのめりながら歩いているみたいなものである。当然、録音はスムーズには進まない。上手な読み手なら、もちろんそんなことにはならないはずだけれど、私は「上手の域」には到底届かないから。ともあれ、データと調査資料一式を図書館に発送した。校正にはけっこう時間がかかると思うので、しばらくはこの本のことを忘れていられる。ひとまず終わった!
参ったなあ。よりによって音訳の勉強会の日に「一過性全健忘」の再発である。発症した時間帯は勉強会のノートを見て、推測できた。実習中に書いていたノートのメモがパタリと途切れているのである。その瞬間を中心にして、前後数時間の記憶がなくなってしまうのがこの病気の特徴。発症した途端に、記憶することができなくなるから勉強会のときの私は「何か変」だったはずだ。同席していた人たちに確かめるのが怖い。不思議なのは、発症の前にまで遡って記憶が消えてしまうこと。何を着て行ったのか、どういうルートで勉強会の会場まで行ったのか、まったく覚えていない。もちろん、勉強会の内容も帰宅の途中で夕食の買い物をしたことも、帰宅して夫を質問攻めにしたことも……ぜーんぜん覚えていない。夫はそんな私の状態が2度目だったから「とにかく寝なさい」と私に...一過性全健忘の再発
地元の音訳グループで、今年から役員を務めている。音訳活動が円滑に進むための「お世話役」である。図書館からの依頼図書音訳のコーディネート、新しい会員の勉強会セッティング、活動日の出欠を把握して事務連絡に漏れがないようにすること……その他雑用諸々。今はコロナ対策のひとつとして、メンバーを2つのグループに分け、午前と午後の2部制で活動しているから、私は両方のグループに参加している。自分では苦にしていなかったのだが、先輩会員のYさんが心配のあまり忠告してくれた。「一人で頑張りすぎないで。仕事を他の人に頼むのも必要よ。協力を頼まれた方も嬉しいんだから」ああ、そうなんだ……と納得。バタバタと忙しがっているようにみえる私の姿は、ちょっと鬱陶しかったかも知れないね。少しくらい抜けたってかまわない。ゆったり仕事をする技を身...「頑張りすぎないで」
今に始まったことではないけれど「お取り寄せ」というシステムが便利だ。私の気に入りのいちばんは「博多やまやのできたてめんたい」。注文を受けてから漬け込むので、届くまでに2週間以上かかる。途中一度も冷凍しないから鮮度抜群、食感もすばらしいまま。ただし、賞味期間は8日間ほど。この間に大急ぎで使い尽くすのだ。そのまま食べたらもちろん美味しい。あと、明太子パスタ・タラモサラダ・明太子ディップ。この3つは必ず作る。もうひとつ、最近私の視界に入ってきたのは「雲仙キノコ本舗の養々麺」だ。簡単に言えば、温かい素麺ってことなんだけど、出汁の旨さが押しつけがましくない優しさで、麺にはほどよいコシ、トッピングのエノキダケがこれまた良いお味。クセになりそう。そして、インスタント麺であるというところが何とも奥ゆかしいなあと思う。丼に...お取り寄せ
処方された薬を2週間きっちり飲んだのに、喉の調子が悪いままなので再度受診した。「治りませんか~。炎症にはあの薬がいちばん効くんですけどね…」と医師。首を傾げながら同じ薬を今度は1ヶ月分も処方してくれた。1ヶ月分には驚いたが、たぶん飲み続けても大丈夫な薬なのだろう。そして3日。いつのまにか自分の声が戻ってきた。ダメ押しのつもりでさらに4日間、薬を飲んだ。もう大丈夫だ。たぶん、先生の見立て通り2週間あたりで完治するものだったんだろうな。私は焦って再受診しちゃったけど、あのまま放っておいても治ったに違いない。一瞬でも"藪医者"扱いしてしまってごめんなさい、先生。治っちゃった
久しぶりに取り組んでいる「図書の音訳」作業が頓挫している。何年かに1回襲われる”喉の不具合”のせいだ。いつもは、処方してもらった抗ヒスタミン剤を2週間ほど飲めばきれいに治るのだが、今回は長引いている。年齢のせいか、免疫力の衰えのせいか。日常生活には支障がほとんどないんだけど、音訳を始めるとだめ。声が引っかかり、喉がガラガラして続けられなくなってしまうのだ。早く進めて仕上げたいのに、何もできずに日にちばかりが過ぎていく。喉をやられて
久しぶりに県センターから持ち帰った本の音訳を始めている。作家と大学教授との対談。日本の国がアジア・太平洋戦争を始めざるを得なかった理由、負け戦をなぜやめられなかったのかという理由、それを膨大な資料を使いながら紐解いていく。専門的すぎる本ではないけど、著者のふたりはものすごく細かいところを突っつき回しながら話を進めていくから、果てしなく深い穴を掘っているような気分になる。そして、さらに頭を抱えたのが、音訳には欠かせない固有名詞の調査である。350人近い人物の正しい名前を一覧表にしなくてはならなかった。広辞苑とウィキペディアが大活躍してくれたとはいえ、やっぱり大変な作業だった。図書館との打ち合わせを済ませ、ようやく録音作業に入ります。350人の名前
連休中のある一日、娘一家に誘われて夫は近所のアスレチックパークへ同行した。ふたりの孫、タロウとニコタに会う機会を逃さない夫である。一日がかりのピクニックだから、お弁当を持って行く。作るのは私。いつも同じメニューで気が引けるのだが、タロウもニコタも「おばあちゃんのお弁当」を、まあ気に入っているらしいので頑張って作る。鶏のから揚げ・グリーンアスパラガスのベーコン巻・卵焼き・人参のサラダ・杏の天ぷら。それに、ブロッコリ、ミニトマト、ゆでとうもろこしなどですき間を埋める。今回はタロウの友だちも一緒なので、けっこうな量を作った。きれいに食べてくれるので、嬉しい。実は私、料理苦手だし、あまり好きじゃないんだけどね。それでも、レパートリーを増やしたいなあと思ったりしている。行楽のお弁当
覚え書きとして書いておく。*********2013年6月24日、「手外来」のある病院で、右手中指の腱を切る手術を受けた。2012年の7月、地元の整形外科でステロイド注射を打ってもらい一旦は楽になったのだが、やはり1年は持たなかったのである。6月26日、術後の受診。消毒のやり方を教わる。「包帯を巻いた上からゴム手袋をはめ、家事をする。すごく不自由だが、仕方が無い」7月3日、抜糸。「まだ腫れているし痛みもある」でも、当時の日記によると、11日にはテニスを再開しているから、ちょっとびっくり。中指はまだまだ腫れているし、切開した傷の痛みもあったようなんだけど。テニス、要約筆記の派遣など、手を使う活動をけっこうやっているということは、どんどん良くなっていったのだろう。そして7月28日の日記では「台ふきんを堅く絞れ...腱鞘炎の日帰り手術
5月いっぱいで、ある有名週刊誌が休刊となる。業界だけでなく日本中に衝撃が走ったのではないだろうか。時代の流れとはいえ歴史ある活字媒体がまたひとつ姿を消すのである。私にとっても小さなショックだった。この週刊誌をまるごと音訳する活動に参加していたからだ。毎週14、5名がチームを組み、発売後の4日間で広告以外の全てを音訳・校正・編集・CD化する。当番が回ってくるのは月に一度くらいだったけれど、時間と競争しながら仕上げる緊張感と、データを無事送り終えたときの達成感は毎回なかなかのものだった。先週が私の最後の当番週でした。雑誌の音訳
1年前、通っているテニススクールに「ベテランクラス」なるものができた。入れるのは65歳以上の会員のみ。要するに若いメンバーと一緒にレッスンするのがきつくなってきたシニアたちのために専用のクラスが作られたのである。前々から「そろそろテニスも卒業かなあ」と思っていた私にとっては朗報である。このベテランクラスでなら、もう少しテニス寿命が延びるかも、というわけで、さっさと移動した。そして一年がたったところ。のんびりペース、ゲーム練習多め、時間は普通クラスより15分短い。もう私にぴったりである。生きのいいビジターメンバーに引っ掻き回されることもないから、ぬるま湯を通り越してもはやお花畑状態である。ただ、ネーミングがちょっとね。ベテランクラスって何か変だ。潔くシニアクラスって言えばいいじゃない、と思うのですが。ベテランクラス!
以前から、わずかにぐらついていた左下の奥歯がいよいよ危なくなってきたらしい。生来根っこの短い歯で、長年の酷使からダメになるのは時間の問題だった。抜けたままにしておくわけにはいかないが、一番奥の歯なのでブリッジは無理。やはりインプラントの選択になるとのこと。4ヶ月ごとの定期健診で様子を見ながら判断する。歯科検診
妹と一緒に、浅草花やしきの謎解きに出かけた。仲見世通りをまっすぐ歩き、浅草寺の手前を左へ曲がると花やしきである。初めて入る下町の遊園地だ。平日の一番乗りだから、園内はがらんとしている。狭い敷地に乗り物がぎっしりである。だが、私たちはアトラクションには目もくれず、謎を解きながらひたすら園内を歩き回る。テーブル付きの椅子があちこちに設置されていて、大助かりだった。トントンと進んだけど、やっぱり最後の謎には大いに悩む。「絶対こんなに素直な回答じゃない」とわかっていたからヒントを見ながら粘りに粘ってついに正解にたどり着いた。ヤッホー。気がつけば、遊園地はけっこうな賑わいになっていた。家族連れがたくさん、修学旅行らしき高校生たちも楽しそうだった。******仲見世通りは外国人でいっぱいだったなあ。浅草花やしき
修理に出していたパソコンがやっと戻った。来週の雑誌の音訳にギリギリ間に合ったのはラッキー。今週の市の広報には間に合わず、古いパソコンを使って何とか録音した。動作が緩慢で、打てば響くというわけにはいかず、すごく気を遣いながら作業をした。とはいえ、この古いPCのおかげでピンチを切り抜けることができたのだから文句は言わない。むしろ感謝である。来週あたりから始まる県議選の選挙公報の録音に支障が出なくて本当に良かった。ギリギリセーフ
使い方がそれほど激しいとは思わないのだが、3年目のパソコンが故障した。CDを認識しないので再起動したら、起動にトラブル発生。なんてこった。広報の当番も週刊誌の当番も、ちょうど終わったばかりであったのがせめてものこと。修理に出したが、1か月以上はかかる感触だ。次に当番が回ってくるのも1ヶ月後だから、ぎりぎり間に合うかどうかの瀬戸際である。古いパソコンを引っ張り出して何とか録音できるように頑張ってみるか、あるいは点字図書館のスタジオで録音する覚悟を決めるか。参ったなあ。3年目のパソコン故障
ウォシュレット入荷の連絡は意外に早かった。先月の業者さんの話では「うちからメーカーに注文を出しても1ヶ月はリアクションなしで、注文が通ってからさらに1ヶ月かかります」それほど品薄なのだということだった。私たちも諦めて、冬になる前に直ればいい、ぐらいに思っていたから、10月中にウォシュレットを使えるようになったのは嬉しい誤算だった。まあ、業者さんの方も相当予防線を分厚く張っていたのだろうけど。便座復旧
夫が使っているのは、いわゆる「ガラホ」という携帯電話。操作性はガラケーのままで、スマホの機能が使えるというもの。特にLINEを重宝に活用していた。先日(10月16日)LINEの具合がおかしくなり、半ばパニックになった夫。ついにスマートフォン購入を決意したのだった。auの店に出向き、途中私まで呼び出され、4時間近くかかって手続きを完了した。何しろ、なんにも分らない老年夫婦が相手だから担当者も大変だったことだろう。夫はスマホ特訓中である。夫、ついにスマホ
この記事は、覚え書きとして作っておく。母と妹と私の三人で、母方祖母の故郷である掛川へ出かけた日がいつだったか思い出せずにいた。確か夏だったと思うんだけど……。意を決して過去の手帳を何年も遡った。そして、ついに発見したのでここに記録しておく。2004年7月10日から一泊。御前崎のホテルに泊まっていた。掛川城の天守閣に登ったこと、御前崎の灯台に上がったことを覚えている。この頃の私は、まだ消費生活センターに勤めていた。母は何とか元気だったから、妹も交えて3人で国内外のあちこちを旅行したなあ。この年の11月には、同じメンバーで奥入瀬へも行っている。掛川へ
約2日半の作業が終わり、庭がすっきりとした。葉が茂りすぎてジャングルの一歩手前だったから、まあ良かったんだけど、今回は作業に入るまでの日程が二転三転して、相当振り回されたぞ。最初は8月下旬の予定だったのだが、植木屋さんの都合でキャンセルに。9月下旬に延期したが、台風でダメ。焦った植木屋さん、週末に何とか都合をつけますと言っていたけど、職人さん集まらないよね。けっきょく9月29日からやっと取りかかれたというわけ。その間職人さんたちへのお菓子や飲み物の準備をしては無駄になるという繰り返しで、とんだ散財でした。植木屋さん終了