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千の朝 https://plaza.rakuten.co.jp/beabea65/

「千の朝」で、最近読んだ本の中で、考えさせられたフレーズを紹介しています。

 自分がたまたま生を受けて、そして間もなく死んでしまう意味を知りたいのだ。  これほどの不条理の中にも、生きる一条の意味を探り当てたいのだ。  充実して生きる道を探しているのだ。  それが、何にもまして一番重要なことなのだ。  それは、広い意味における自分の「仕事」を探していることにほかならない。

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2014/09/11

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  • 道元の思想

    道元は、 正法眼蔵によって「正伝の仏法」を伝えるので 「禅宗」や「曹洞宗」などと云うものを 伝えるのではないと述べています。 室町時代後期、戦国時代に入ると、 寺社勢力は金融の担い手となっており 度

  • 道元

    道元は、 土御門帝の正治2年(1200年)に生まれ、 禅の思想を初めて日本に持ち帰った 日本の曹洞宗の開祖です。 宋(中国)で如浄禅師に師事し、 悟りの境地に至りました。 帰国後は京都や越前(福井

  • 栄西

    栄西(永治元年―建保3年)は、 鎌倉時代の僧で、 日本における臨済宗の開祖で、 備中(岡山県)の出身です。 天台宗と密教を学んだ後、 宋に渡って禅宗の教えを受けました。 帰国後は九州や京都で禅宗の布

  • 悪人正機説

    歎異抄に 「善人なおもて往生をとぐ、 いわんや悪人をや(善人が極楽往生できるのなら、 悪人ができないはずが無い)」と有り、 悪人正機(あくにんしょうき)と呼ばれる思想は 親鸞独自のものとして知られてい

  • 親鸞

    親鸞(承安3年、1173-1262)は 鎌倉時代の仏教家で、 浄土真宗の宗祖で、法然を師として、 浄土往生を説く教えを継承しました。 出家した後は比叡山で修行しましたが、 後に下山して法然に師事しま

  • 天変地異

    「方丈記」は末尾に 「于時建暦ノフタトセ、ヤヨヒノツコモリコロ、 桑門ノ蓮胤、トヤマノイホリニシテ、コレヲシルス」 (大福光寺本)とあることから、 建暦2年(1212年)3月末日に記されたのでしょう。 現

  • 方丈記

    方丈記とは、鴨長明による鎌倉時代の随筆です。 日本中世文学の代表的な随筆とされ、 兼好法師の『徒然草』、清少納言の『枕草子』とならぶ 「古典日本三大随筆」に数えられます。 この随筆は、鴨長明が京都

  • 変化する戦争

    昭和25年、「新大阪新聞」に掲載された 「きけわだつみのこえ」(原題「人間劇の喪失」で、 小林は「平家物語」の世界を引き合いに出しながら、 「人間らしい物語を創り出すことのできるような 戦争も実際に可能

  • 難行から易行へ

    新しい仏教の特徴は、 古代以来の多神教的な世界から、 それぞれがただ一つの道を選ぶという 選択にありました。 この道さえ歩めば、必ず救われるという 一神教的な道を説いたのです。 修行の仕方も、念仏

  • 平家物語

    「平家物語」は鎌倉時代に成立した軍記物語で、 平家の栄光と没落を追うことで、 世の無常を描きだしました。 保元の乱および平治の乱に勝利した平家と 敗れた源氏の対照的な姿、 その後の源平の戦いから平家

  • 法然

    法然は長承2年(1133年)、 岡山県誕生寺に生まれ、 9歳のとき父が敵の夜襲にあい、 非業の死を遂げます。 臨終間際に、法然を呼び寄せ 「決して仇を討ってはいけない。 仇は仇を生み、憎しみは 絶え

  • 末法思想

    末法思想とは、 末法に入ると仏教が衰えるとする思想で、 仏典には破戒の憎が悪行(あくぎょう)を重ね、 天の怒りによって天変地異が起こり、 殺人、闘争が相次ぐとされ、 当時は一〇五二年に始まると信じられて

  • 深い断層

    平安から鎌倉へ――この二つの時代の間には、 末法思想という深い断層が 横たわっていたということでしょう。 そして、その深い断層を超えた鎌倉時代に、 わが国の宗教の源流となる鎌倉仏教が 次々に花開いたの

  • 文明の光と影

    日本文明というこの新しい文明は、 日本文化の担い手が比較的大きな 種族的等質性を持っていたこと、 および比較的小さな、 孤立した地理的範囲に限定されていたこと などが原因で、充分な発達を阻害されました

  • 神道

    皇室は太陽の女神の末商を称していましたが、 この女神信仰は、 十五世紀に重要な変容をとげました。 以前は、この信仰は 宮中と皇族の間にのみ限られていたましたが、 それが支那流の祖先崇拝に同化吸収され

  • 都市生活者の特性

    日本では一三〇〇年ごろから、 町人と船乗りが大きく頭をもたげはじめました。 支那人が造船術の改良に先がけをつくり、 それをうけて、 日本の社会でも大きな発展の道が開けます。 羅針盤、自在竜骨、竜骨

  • 禅宗と浄土宗

    日本の宗教史も、 支那の手本から独立して独自のものを作るという、 同じ発展の方向を反映しました。 禅仏教は元来支那から移入されましたが、 日本でサムライの理想と結びあい、 支那の先例とは まったくち

  • サムライの風俗

    日本における都市の隆盛は、 同時に新しい社会環境の発生をも意味していました。 そして、その環境下で、 支那の洗練された文明性と 日本の現実という正反対のもの同士の間から、 質実剛健な田舎サムライの

  • 日本の封建制

    西欧でローマ皇帝の理念に 漠然たる敬意が払われていたように、 日本の封建制も、 初期中世ヨーロッパの封建制と酷似しており、 力を失ったとはいえ皇室の 宗主権が残存していたのです。 しかし重要なちがい

  • 武士道の萌芽

    武士道は、個々の武将が、 自分自身や臣下の勢力増大のために集めた軍団を、 戦(いくさ)に勝たせるため訓練し、 気塊(きはく)を教えこんでいる間に生まれました。 もちろん、戦いに勝った軍団は、 一定の領地

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