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千の朝 https://plaza.rakuten.co.jp/beabea65/

「千の朝」で、最近読んだ本の中で、考えさせられたフレーズを紹介しています。

 自分がたまたま生を受けて、そして間もなく死んでしまう意味を知りたいのだ。  これほどの不条理の中にも、生きる一条の意味を探り当てたいのだ。  充実して生きる道を探しているのだ。  それが、何にもまして一番重要なことなのだ。  それは、広い意味における自分の「仕事」を探していることにほかならない。

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2014/09/11

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  • サラセン

    イスラム教徒が 西アジアを中心に建設した大帝国を 中世ヨーロッパではサラセン帝国とよびました。 アラビア半島西岸の メッカ市に生まれたマホメットは、 自分かってに神さまをまつり、 自分

  • 李治

    李治(りち)は、 一一九二年に女真国の都だった 北京で生まれた数学者です。 十代のとき、 チンギス・ハーン率いるモンゴル軍が 支那北部を攻撃して北京を占領したため、 家族は彼を河北省の学

  • 律令国家の完成

    隋王朝の開祖文帝、 すなわち楊堅の父にあたる楊忠は 北周開国の功臣の一人で、 妻は鮮卑の貴族独孤氏の女です。 北朝の漢族官僚と異民族との混血児である楊堅が、 華北における漢族と異族との融

  • 隋帝国

    支那の歴史では、 漢帝国が(二二〇年に)ほろんだのち、 四百年ちかくのあいだ社会がみだれており、 六世紀末になって、ようやくひさしぶりで 隋という大帝国があらわれました。 隋は、中華(漢

  • ローマ帝国の分裂

    当時、ユーラシア大陸深部にいた遊牧民 (匈奴帝国が東西に分裂したあと、 西匈奴はさらに南北に分裂しますが、 そのうち北匈奴が西進してきた人々ではないか と言われています)のうち、 西進して

  • 寒冷期の終焉

    前時代から続いていた寒冷化が 400年ごろに寒期のピークを迎えました。 それにより、すでに寒冷期の中で ギリギリの生活を強いられていた遊牧民は その生存すら脅(おびや)かされるようになり、

  • 統一の時代

    前時代から続いている寒冷期は、 5世紀初頭に最寒冷期を迎え 各地で民族移動が起こり、 分裂と混乱がはじまりましたが、 その後は温暖化に向かったため、 6世紀には各地が一斉に統一に向かった時

  • ユーラシア史の展開

    三世紀から六世紀にかけて支那の漢帝国、 西アジアのパルチア王国、 中央アジアのクシャーナ王国、 地中海のローマ帝国、 インドのグプタ帝国が、あいついで滅亡して以後、 しばらくのあいだユーラ

  • 宋の数学

    漢時代と同様、 宋時代には数学者・天文学者. 暦法師・望師がたくさんいました。 一七九九年に出版された『疇人(ちゅうじん)伝』は、 すぐれた数学者を漢時代からは三八人、 宋時代からは二九人

  • 遊牧民の台頭

    五世紀はユーラシアの東西で 遊牧民が台頭した時代でした。 西のフン族、中央アジアのエフタル、 東の鮮卑(せんぴ)といった、 それまでの時代には”文明の外に置かれた野蛮人” として扱われてい

  • あぶみの改良

    あぶみは、馬にのるときの足かけに、 馬の背中から腹へさげた馬具の一つです。 紀元後三世紀ごろまでのあぶみは、 固定されてなかったので、 のっていた兵士がよくころげおちました。 それが四

  • 古代的大帝国の衰退

    紀元元年前後に、 ユーラシア大陸の各地でさかえた古代的大帝国は、 三世紀以後におなじような事情で つぎつぎにほろんでいきました。 経済事情については、自由競争のなかで、 富裕な人がますま

  • 羅針盤

    宋時代に支那人が発展させたもう一つのものは、 海陸旅行用の羅針盤の使用です。 一〇八六年、河渠の監督官の沈括は一書を著わし、 そのなかで、化石や模型地図や金属変成の実例や ふしぎな方向探知

  • 最古の大砲

    支那は一二三七年にはすでに火器をもっていました。 当時の支那の記録は、 数種の火薬用武器のことを述べていますが、 弾丸を発射する火器のことを最初に引用しているのは、 一二五九年に宋の軍隊が

  • 火薬の発達

    唐時代の末期までに 火薬が発達していましたが、 火器があらわれたのは宋の末期以前です。 硝石は、支那とインドとでは、 土壌の自然的風化物として産出されます。 硝石のことは、 紀元前第

  • 技術の発達

    磁器の製造は、 漢時代の粗末な素焼きにはじまり、 唐で高度な完成を見ました。 六二一年には その製造のための官が設けられました。 手押し一輪車は第五世紀に発明され、 七世紀には、

  • 玄奘

    唐代の玄奘(六〇二~六六四年)が翻訳した 『成唯識論』によって成立したのが法相宗で、 弟子の基(慈恩大師、六三二~六八二年)が 開祖とされています。 支那仏教全体に大きな影響を与えたのが、

  • ユングの分析心理学

    ユングの分析心理学によると「こころ」は、 表面に(顕在)意識があり、 その奥に個人的無意識・集合的無意識がある、 という構造になっています。 唯識思想は、 ユングの分析心理学に類似した部分

  • 転識得智

    唯識では成仏には三大阿僧祇劫 (さんだいあそうぎごう: 数えることのできないほどの) と呼ばれるとてつもなく長い時間の 修行が必要だとされています。 修行の結果悟りを開き仏になると、

  • 唯識

    唯識はインドで成立し、中央アジアを経て、 支那・日本と伝えられ、 さらにはチベットにも伝播して、 広く大乗仏教の根幹をなす体系です。 倶舎論とともに仏教の基礎学として学ばれています。

  • 中観派2

    大乗仏教の中観の教理の基盤は、 般若経の教えです。 この世のすべての現象は、 存在現象も含めて、 原因(因)と条件(縁)によって 生起(縁起)しており、 その現象はそのまま 他の現象

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