クリスチャンの受けている恵みは計り知れない。日々どんなことも神を頼り、祈り求めることができる者とされたから。困ったときは当たり前のように話し、聞いていただいている。もし神と繋がりも関係もなければ、父と呼ぶこともできず…人生で身にふりかかる苦難に押し潰され
~朝ごとに~より【「イスラエルは妻をめとるために働いた。彼は妻をめとるために羊の番をした。」ホセア12:12 ヤコブはラバンと言い争って、自分の労苦を次のように語っている。「私はこの二十年間、あなたといっしょにいましたが……野獣に裂かれたものは、あなたのもとへ
「自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、…」マタイ、マルコ、ルカにある。どうしても自分のいのち(感情や意思や自我)を大事にしてしまう。かなり手放してきたつもりでも、いのちがある限りそれはなくならない。死んで葬られることなしには。自分ひとりではどうにもで
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クリスチャンの受けている恵みは計り知れない。日々どんなことも神を頼り、祈り求めることができる者とされたから。困ったときは当たり前のように話し、聞いていただいている。もし神と繋がりも関係もなければ、父と呼ぶこともできず…人生で身にふりかかる苦難に押し潰され
神に祈れることはすばらしい。♪告げよ主に 告げよいま うちにある悩みを…主が知ってくださるだけでも…幸せ者だと思う。どれほど多くの問題や悩みを主に聞いていただいたことか、数えきれない。時には的外れなことさえ…あわれんで助けてくださった。これらはとても有り
…… ……「何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。私たちが願うことは何でも神が聞いてくださると分かるなら、私たちは、神に願い求めたことをすでに手にしているとわかります。」Ⅰヨ
老いたからわかったことも多いけれど、老いも若きも関係なく…みことばの語りかけに真剣に向き合うことを切に願う。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に。」伝道者の書12:1「結局のとこ
~みことばの糧~より「わたしは、高く、聖なる所に住み 打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり」イザヤ57:15【 だれでも、その人のかたくなな心が砕かれなければクリスチャンになることはできません。 心を砕かれるのは神です。しかし神にとってもそれは容易な仕事
意識してもしなくても、人が求めているものは、まことの神からの恵みと平安だと思う。神がくださった「救い」とか「永遠のいのち」というと先のことのように思ってしまわないだろうか。それもあって、福音を伝わりにくくしているかもしれない。「…私たちの神であり救い主で
これ以外にも、回りの人によって知らず知らずクリスチャンに加工され市民権を得た人もいる。ひどい場合は、教会やクリスチャンに好意的・協力的な人だったという理由で…取り巻きが救ってしまう?等々。(あんな良い人を神が滅ぼすハズはない…と。)永遠を思うとき、なおざり
未信者の祈りは聞かれるか…について学んだことがあった。もちろん聞かれる、と思っていたし、そう言いたいところだが…考えさせられる。信者と未信者=(キリストにある)義人と罪人=神に属する者と悪魔に属する者=・・クリスチャンが祈るとき、イエス・キリストの聖名によ
「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」ヘブル12:5-6咋年末わが家を見舞った青天の霹靂。あぁ人生とはこういうものなんだ、と実感した。「もしあな
今年もあと一日という時に…心配事も大小あったけど守られて、年を越せる…と安堵していたが・・一番身近なところで問題が発生した。内容は話せないが、私と近くの息子におおきな重荷が・・青天の霹靂とはこれか!今朝も主を仰ぎ見る。~いと高き方のもとに~の一文【 「イ
~いと高き方のもとに~より【 「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。」ガラテヤ5:24 霊の戦い 罪は地獄と悪魔に属するものである。私は神の子供として、天国と神に属している。罪を捨てているか、
福音を伝えたいと思うのに…、なんと伝わらないことをやってきたことか・・そればかりか、真理に導く妨げにさえなる・・いまこのみことばが、タイムリーに私の心にしみてくる。「私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによ
~いと高き方のもとに~より【「私たちは、この御子のうちにあって……罪の赦しを受けている。」エペソ1:7 神の赦し 「神は優しく、愛に富んだ方であるから、私たちを赦すのは当然である」というような、自分に都合の良い方法で、父なる神を見ることは、気をつけるべきで
クリスチャンが最初に必ず踏まなければならないベースがあることに気づかされた。この聖歌に表されていると思う。♪~あなたのつみあやまちは しまつされてあるか神なるキリスト・イェスを信じ救われたか罪を悔いて 誰もすがれイェスにイェスは十字架の血潮で 罪をきよめ
キリストにあって変えられ、キリストに根ざして生きている先輩クリスチャンに対して、私はその生き方を見倣っていたのに過ぎなかった。それは「新しい私」ではなく、生来の私のままでクリスチャンらしく生きようとしていただけ。教会を離れるのは自己責任なので、ひとりで重
30年余り在籍した母教会を離れてから…長い年月を経て~一昨日は久しぶりに二人の姉妹と顔を合わせた。お互い高齢者となり、もう会えないかも知れないから一度会いたい、ということで急遽お声がかかった。懐かしい思いもなければブランクも感じなかったのは、ずっと主にあっ
万年求道者の息子は、何かあるごとに「祈って○○します」などという。祈ることが悪くはないが、最近はちょっと違うよと言いたくなる。大抵は「祈りながら(希望がかなう方へ)行きます」という感じだから。先日も願い通りにならなかった一件について、「祈りながら打開策を練
穏やかな日にもそれなりに悩みはあるが、主に頼れることを感謝できている。しかし、手に負えないようなことが起こると頼れることはわかっているのに…自分で重荷を負い過ぎてしまう。クリスチャンとして生きるということは、問題もなく喜び楽しめる人生ではないし、それが祝
イエス・キリストにしか救いがないこと。クリスチャンなら当然知っていなければならない、大切な理解。~いと高き方のもとに~より【「ひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり……全人類が罪を犯した。」 滅びへの経路 聖書は、ひとりの人の罪のため
事故で入院中の姉を見舞った。当初は声も出せなかったが、話ができるようになった。面会を楽しみにしていると聞いて…中学時代の大親友が来てくださり、昔話に花が咲いていた。その間、待合室で甥っ子が言い出したことが~いま家系図を作っているとのこと。(姉の話が間違って
「人とは何ものなのでしょう。あなたが心に留められるとは。人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。」詩篇8:4クリスチャン生活で、悪いと思うことには敏感だが、良いことをしていない罪については気づきにくい。自分に関して言うと(分かりやす
神についてわかっていないことが多すぎる、と思った。「知っている」と思っていた一番大事なことさえも・・~「日々のみことば」より~【 神は、実に……お与えになったほどに、世を愛された。 ヨハネ3:16 [神の側の放棄] 救いとは、単に罪からの解放や、個人的なきよ
夕方買い物帰りに、よく通る大型スーパー周辺の道を車で走っていた。信号のない交差点…私の方は優先道路だが、たまに一旦停止せずに横切る車があるので いつも気をつけている。(右からの車は少なく…)左側の車がしっかり停止してくれていたので、ありがたく…徐行から少しア
信仰義認と聞くと、〈不敬虔な者だけれど、ただ信じただけで義と認められた…〉と軽く受け流してしまいそうだが・・その実体は、「転嫁される」という…思えば思うほど 考えられないような重いことだった。「転嫁」の意味は=罪や責任を他人になすりつけること、とある。まさ
44年余り前に洗礼を受けた。その後の婦人の会で祝っていただいたとき、一人の姉妹が言われたみことばをいつも思い出す。「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは……」ヨハネ15:16私は長い間、「本当の
問題を見続けると問題も不安も大きくなっていくが、神に目を向けご自身を見続けることによって神への信頼を取り戻せて、心が落ち着いていくのを感じる。神の偉大さ・不思議さを思えば思うほど…ますます神がわからなくなると同時に…かけ離れた存在のお方だ…とわかる。そん
信仰生活も30年以上経ってから、〈自分は新しく生まれていないかも知れない〉という疑問を持ち始めた。青天の霹靂だった。それは信仰のスタートからのやり直しを意味する。確かな「神の(御霊の)いのち」を受けたいと、どんなに願っても、求めても…がんばってキリストの元に
何年ぶりかで、366日の黙想「いと高き方のもとに」(オズワルド・チェンバーズ著)を今年の日課にすることとなった。この本は、一貫して「神との正しい関係」にあるかどうかを問われていたと思う。今の私に必要な、今だけでなく生涯にわたっての課題だ。[まえがき]から一部を抜
信仰の友と話すとき、世の人とは違う幸いを感じるのだが、救いのところに及ぶといつも何とも言えない平行線にぶつかることがあってむなしい。先日久しぶりに義妹と電話で話した。彼女は、人の信仰(救い?)には寛大で、一言で言うなら(とにかく神の愛を持って祈っていれば必ず
よく知られているヨハネ3章16節「……それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」「それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」15節父なる神がひとり子をお与えになったのは・・このためだった・・イエ
♪~友よ読みしや 主がわれらのため十字架の上にて 苦しみしをみ手とみ足のみか 心も裂けて君は死にたまいぬ われらのため (聖歌401より)「水のように 私は注ぎ出され骨はみな外れました。心は ろうのように私のうちで溶けました。」詩篇22:14
~朝ごとに~より【「事の終わりは、その初めにまさり……。」(伝道者7:8) ダビデの主を仰ぎ見よ。その初めがどうであったかを思え。「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。」あなたはその終わりを見るか。主は父なる神の右に座し、その敵を
思い、願い、祈りを与え…応えてくださる主。折にかなった知恵を与え、悔い改めを与えてくださる主。すべてを神からいただいた一年だった。実際は、弱く思い煩いの多い者であるのに、振り返れば主の恵みの中で…豊かに生かされた。一つ一つのことに、良いタイミングが…良い
世と人に期待したり頼ろうとする考えはほどほどにしないと、どこかの時点で失望することになる。もしそうならなくても、神の力・恵みを知ることができないのは大損失だ。神の主権を当然と認め、その恵み深さに信頼するとき心は安らぐ。もっともっと神御自身を知りたいと思う
~朝ごとに~より【「イスラエルは妻をめとるために働いた。彼は妻をめとるために羊の番をした。」ホセア12:12 ヤコブはラバンと言い争って、自分の労苦を次のように語っている。「私はこの二十年間、あなたといっしょにいましたが……野獣に裂かれたものは、あなたのもとへ
「自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、…」マタイ、マルコ、ルカにある。どうしても自分のいのち(感情や意思や自我)を大事にしてしまう。かなり手放してきたつもりでも、いのちがある限りそれはなくならない。死んで葬られることなしには。自分ひとりではどうにもで
久しぶりに…破れ障子を張り替えてすっきりと明るくなった。出来上がってみれば、たったこれだけのことに悪戦苦闘した?一番厄介だったのが古い紙を剥がしたあとに、障子の桟にこびりついている糊と過去の紙の残骸・・多分前回きれいにしないままで貼ったのだろう。大半の労
「だれも、悪に対して悪を返さないように気をつけ、互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うように努めなさい。」Ⅰテサロニケ5:15毎日のように、(夫の)悪に対して悪を返していた私。詳細は言わないが・・気づいて改めてほしい一心だった。今日もまた新しい悪対
自分の生きている限りは、神とイエス・キリストを伝えたいと思うが、それほど出会いの機会はなく…(いや、出会うより祈ることが先かも)。しかし、現実の私は自分のことが第一だった・・ということに気づき始めた。77歳。自分の健康状態によって生活が左右されていく。若い頃