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  • 風がヒュー と

    窓の外で風が吹いている。時折、ヒューゥーと強い風の音がする。自分はベットで仰向けになっている。脱力している。思考、感情を、幽体離脱させる。50センチくらい幽体離脱させる。風がヒューと強く吹く。その風で、思考、感情を吹き払う。飛んで行ってしまう。願望、期待を、幽体離脱させる。また、強い風がヒューと吹く。外の風が、そのまま幽体離脱したものを吹き払っていく。自分のキャラクター、性格を、幽体離脱させる。また、強い風がヒューと吹く。外の風が、そのまま幽体離脱したものを吹き払っていく。自分の過去、手にしているもの、、、幽体離脱、、ヒューと、、どこかへ行ってしまう。レッテル、つくりあげた自分、・・・自分というものを幽体離脱させて・・・外で風がヒューと強く吹くのを、まったりと待っている。外の風、自然とともに、自然と遊ぶ。ただく...風がヒューと

  • 香り

    宇宙の真理にふれ、心が解放される。ふと、子供の頃に感じた匂いが、やわらかに胸や頭によみがえってきた。それは、あるクリームの匂い、花や植物の匂い、のような。それは、大人になり隠れてしまった、子供の頃には知っていた宇宙的真理が、香りとともに、よみがえったのかもしれない。香り

  • ただある

    ジャスミンの香を焚く。香りが自分になる・・・窓から入る風が体をなでる。自分が風になる・・・鳥が空で鳴いている。自分が鳥の声になる・・・波の砕ける音がする。自分が波になる・・・すべてに自分がいる。宇宙が自分となる。ただあるがままにある。これ以上何もいらない。ただある

  • 波乗り

    海には誰もいない。浜にも誰もいない。自分一人が海に入っている。見られてる自分はいない。見せようとしている自分もいない。波の面はグラッシーで、コンスタントにセットがやってくる。波が来て、テイクオフターンしてリップカットバックコースター。大きな波長で波に乗る。そして、またゆっくりと沖にパドルアウト。同じようなリズムでくり返す。波と一体化するようにただ波に乗る。自分はいない。波乗りだけがある。波乗り

  • 引っ掛からない

    出来事は起き続ける。同じようなルーティーンの毎日であっても、色々な出来事が、ただ起き続ける。人に会ったり、景色を見たり、歩いたり・・・感覚も、ただ起き続ける。見たり、聞いたり、匂ったり、味わったり、触れたり、感覚は、この世をリアルなものにしてくれている。、感謝しかない。人間的に成長するなんてことおかまいなしに、喜んだり、怒ったり、悲しんだり、楽しんだり、起き続ける。同じようで、実は全部違う。ストーリーもない。ただ起きてるだけのこの世界。ただ移り変わっていくだけを、空(くう)で見ている。なにも引っ掛からない、なにも引きずらない。ああ人って、ほんとはなんて自由なんだろう。引っ掛からない

  • 虚無 新鮮

    人はほんとの虚無までいかないと、新鮮なものに出会わないのだろうか。虚無新鮮

  • 完璧

    最後の結末が、自分の期待通りに行かなかったり、最後の最後に、タイミングの悪いことが起こって、今までのことが台無しになってしまったりして、無力感のような、後悔めいたような思いをしたことは、誰にでもあると思う。それは、自分の力ではどうしようもできなかった。でも、あれがなければ・・・的な苦々しい思いだ。自我は、きれいに締めくくりたいのだ。いい印象で終わりたいのだ。でも、そんな思いもわいては消えていくものでしかない。ただほほ笑ましく、思いを見送ればいい。・・・自我の完璧を手放し、無我の完璧へ。ああなんと気楽なことよ。完璧

  • 自分の孤独を生きる

    何かと生きづらいこの世の中、世間のルールに縛られている。なぜかひんしゅくを買ったりする。世間と自分、どっちが正しいのかと張り合ったりする。自分は間違ってないと、気持ちが主張する。自分の生き方と、他人の生き方を比較し主張してしまう。意味がないことはわかっているが、つい。二元性世界の罠が、常にそこにはある。「普通は、」の言葉にかき消されてしまう自分独自の表出を大切にしたい。だから僕は、ひとりを生きる。だから僕は、自分の思いを、自分のあるがままを、自由に生きる。自分の一生を、そうやって生きる。孤独を生きる。世間を生きない。自分を生きるとは、孤独を生きるということだ。自分のスポンテニアスを、自分のハングリーを、自分の旅を、生き生きとした自分を生きる。そして、自分が全てだったことを知る。弧独自分今無我完璧ワンネス愛・・・...自分の孤独を生きる

  • 死の自分

    朝方、夢で自分のデスマスクを見た。正確には、死にかけている自分の顔が出てきた。最初は誰だろうと、漠然と見ていたが、なんとなく自分だと感じた。ぼんやり顔だけが浮かんでる。目は力なく、薄目を開けている。顔は白っぽくきれいなのだが、しらが交じりで、顔の周りに行くほど、しわが多い。ただ浮かんで、消えていった。それだけの夢だった。自分に、何かを気付かせるかのように感じた。・・・過去や未来をうろうろしている場合じゃないぞ。今を存分に生きろ・・・そんな夢だった。さっそく、戒めに自分のデスマスクを書こうと思った。メメントモリ死の自分

  • フゥワーーン

    それは、突然「フゥワーーン!今まで見ていた周りが、すべて変わってしまった。まったく違う世界。視界が、感覚が、クリアーに拡大。通り過ぎる景色、開けたバスの窓枠も、車内に立ってる現地人も大地、草原、山並、遠くの木も近くの木も歩く人、空、雲。走ってるバスの影も何もかもが、どこを見ても自分のように、愛おしい。自分そのもののようだ。うれしくて仕方がない。窓側の席に座っているが、座ってるわけではない。自分がという感覚がない。リラックスした何かだ。安心そのものだ。大安心があるだけだ。自分はただ居るだけで、大安心になってる。なんだ、ほっといてもかってに旅が、すべてが、展開していたし、展開していくんだ。脱力した自分は、大安心そのものだ。バスは動いている。時も動いている。自分は、今ここの大安心に溶けている。生きるって、こんなに楽な...フゥワーーン

  • 自分のものはない

    何ものも、自分のものではない。それは、自分を解放してくれる。ある人からの好意が欲しい。日々の充実感が欲しい。自分が自分に対して思い描いた自分像のように人から思われたい。自分への称賛、悪評、誤解されている自分、などなど・・それら様々な自分の期待する状態は、本来どれも自分のものではない。また自分が想像した自分は、想像のストーリーの中の自分で、本来の自分ではない。自分の評価も、本来の自分のものではない。それらを捨て去り、あるがまま、無の自分に身をまかせる。思考も自分もいなくなり、脱力だけになる。自分とは自由そのものなのだ。自分のものはない

  • 春めいて

    窓からの風が、気持ちいい季節になってきた。ベランダには、黄モッコウの花が、鈴なりに咲いていてる。スズメもやってきて、手すりに止まって、部屋を見たり、外を見たりして、また飛んでいく。、個人レベルで、ぼくたちは感情のドラマを見ている。自分の映画を見ている。いい感情でハッピーになることもあれば、ネガティブな感情に引きずられて、ブルーな気持ちになることもある。だけど、感情に、いいも悪いもない。ちょっと引いたところから、「自分って、そんなふうに感じるんだぁ」って楽しめばいい。そもそも、五蘊皆空。自分のあるがままに任せればいい。結局、いつだって天がうまいことまとめ上げてくれる。自分という夢を冒険したらいい。春めいて

  • ほっとくのもあり

    心配しているのは、自分じゃなく思考なのだ。思考が、未来の出来事への心配、不安を所有している。だから、思考が消えれば、心配も消える。本来の自分、自己意識は、何も恐れていない。自分は心配してないのに、思考君が心配してる。先の心配、不安は思考君に任せて、無垢の自分を、自然の流れに遊泳させましょう。無思考ー脱力ー愛。だからと言って、この先ずっと心配、恐れがなくなるわけじゃなく、いい気付きも思いも、諸行無常、現れたり消えたり、移り変わっていく。ただそれだけ。ほっとくのもあり

  • この世は夢だと言うけれど

    今朝、目を覚ましたら20年前の自分だった。しばらくそんな意識でいて、まったりしていた。そしてふと、えっ!まてよ00才!(ほんとの年)嘘だろ。えっ。そんな年なわけないだろっ。としばらく信じられなかった。何が起こったんだろうと。20年間が空白で、抜け落ちていて、一瞬で年を取ったような感覚だった。20年が、夢だったのかと思えるほどだった。もしかしたら、人生とは、こんなふうにほんとに夢でしかないのかもしれない。いや、やっぱりこんなふうに夢なんだと。死ぬ時も、こんな感覚なんだろうか。(もう終わりぃ?始まってもいないのにぃ。。)みたいなそれとも、20年前の今を体験しただけなのだろうか。・・不思議な朝だった。メメント・モリこの世は夢だと言うけれど

  • 米粒

    見上げれば月がある。その先に太陽がある。さらに遥か彼方に星々がある。その遥か彼方にも星々がある。無限に広がる宇宙そんな宇宙に、塵のような地球がある。そんな地球の、日本列島の、この部屋で、お茶漬けの米粒を、箸でまとめている。ここにこの世の計り知れなさがある。この宇宙で、米粒をまとめるのに、意味などあるはずもない。この宇宙では、米粒をまとめることだけが、意味がある。米粒

  • 今のままでいい

    すべて今のままでいい。そう気づけた瞬間この世界のもろもろが、完璧で素晴らしく、新鮮で美しく、解放的でゆったりと平和だ、と感じてくる。本来もともと、この世界は、そうだったんだと気づく。今までもずっと持ち続けていたような、懐かしさもある感覚。晴れやかで、心地いい。すべてが、今のままでいいと気づく時と、この世界は素晴らしいと気づく時と、晴れやかな心地よさは同時に起こっている。それは、今という時。すべてが、今このままでいいと思えるのは、自分に対しても、他人に対しても、出来事すべてに対しても、環境も、心も、いいと思えることだ。今のままでいい

  • ある一日

    今日一日、色々なことがあった。いい事があったかと思ったら、次に嫌な事があった。そして、今度はいい事があった。そんなことが、次から次に起こった。それは、いい事嫌な事が、互い違いに起こって、まるで、バームクーヘンのような一日だった。ただ、それらの出来事がぶつ切りで、どれも後を引いていないのだ。オムニバス出来事(映画)を、見させられているようだった。(その主人公は、誰なのか。主人公は、いるのか、いないのか。何者に見せられているのか・・・。)いいことも、残念なことも、いろいろな出来事が起き続ける。それを、ただ見守ることしかできない。見守り、これからどうなっていくんだろう。とただ展開に任せる。出来事が、自分をただ通り過ぎる。起きていることを、ただ受け入れる。ただほっとく。日常って、そんな感じでいいのかもしれない。ある一日

  • 解放ゲートウエイ

    瞬間瞬間の自由は、つねに今にある。なのに人は、過去と未来をうろうろし、この瞬間の解放を味わうのを忘れてしまう。そんなとき、自然は教えてくれる。自然の中に身を置いていると、今の解放感がやってくる。静かな自然の中では、音があるようでない.。自然の音を耳だけではなく、体とソウルで感じている。今に、永遠を感知する。だから海も山も、自然はいい。解放ゲートウエイ

  • 今しかない

    今しかない。この宇宙は今しか存在しない。自分は、何も所有していない。自分は、すべてを所有している。全てが自分のために存在している。全てが自分そのものだ。思考の中の過去も未来も、存在しない。すべての人がストーリーテラーだ。ストーリーは今には存在できない。さて、茶でも飲んで、真っ白な今にくつろぐとしようかな。ちなみに、車の運転しながらでも今にくつろげます。要するに、いつでも。思考に巻き込まれるときは、大いに巻き込まれましょう。どうせ、雲のように流れて行ってしまうから。どんなにじたばたしても今しかありません。ん~パッ。ん~パッ。ってやっても今しかありません。今しかないのです。もうあきらめて、今にくつろぐしかないのです。この世のすべての出来事やその内容、悩み苦しみ、喜びも、そのすべてを無いものと否定しつくす今。幻想だと...今しかない

  • ただの一人

    朝、いつも起きる時間よりも早く目が覚めた。何か外で、マンションの補修工事か何かしている。それで、目が覚めたかな。半分寝てるような、ふわふわした感じだ。八百屋のおばちゃんも、散歩でよく会う人も、旧友も、、旅での友も、女友達も、兄弟も、いつも掃除しているおじさんも、・・・みんな同じ平等に親しき者なのだ。一人ひとりに優劣はなく、同じような一人ひとりだ。この自分でさえも、その一人ひとりと同じ平等な一人だ。この感覚は何なのだろう。ありがたい感じ。だからといってこの平等で平和な感覚を、いつも持ち続けようとしても、それはできない。できなくてもいい。そもそも、持てるものではない。何か背後にあるものなのだろう。ぼ~っとしたなか、そんなイメージが浮かんだ。そしてまた寝た。ただの一人

  • 欲ポイ

    ある欲望が生まれると、それに向かうエネルギーで体が何かに捕らわれたようになる。その欲望が叶うと喜び、快感を味わう。心が解放される。そしてまた新たな欲望へと向かう。緊張と解放の繰り返しなのだ。その解放感が癖になり、次々と欲望が生み出される。死ぬまで続くのかもしれない。でも、その欲望を手放すことを知ると、何かが起こる。承認欲求、安全欲求、物欲、他人への期待、・・・何でもいい、思いつくままに手放してみる。丸めてポイ、丸めてポイと、捨てていく。欲求を満たしたときのような、いや、それとは異質な解放を味わう。こっちが癖になると、欲望を達成しなくても、居ながらにして、今、解放される。時間の中での解放か。時間じゃない今ここの解放か。両方味わうのも、おつである。人間は、両方とも味わえる、お得な生き物だ。欲ポイ

  • 在るか

    成長して、未来のいつかに、悟りに行きつく。ではなく今、どう在るかの気づきが、降りてくるのを、迎え入れるだけ。いつ降りてくるかは、天のみぞ知る。それは、いつでも降りそそいでいる。自分という雲が、取り払われた時、全身に浴びる。・・・そして解放。平安。・・・在るか

  • 変化

    自分が変化していくというのは、固定された自分がいないということで解放されている。何かに執着し続けるというのは、自分にベクトルが向かっていき、いないはずの自分を形作ろうとして、迷宮に嵌って行くすべては変わっていく。変わっていくから美しい思い出も美しいあるがままに変わっていくどんなことも変わっていく変わり続けることは、無限の現れ、諸行無常・・・それを受け入れることは、晴れやかな解放。あるものに執着しても、自分らしい道を探しても、ただ変化があるだけ。変化

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自閉系さーふぁー、、旅。。諸行無常。。
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