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禅的哲学 https://blog.goo.ne.jp/gorian21

禅的視座から哲学をすると、こんな景色が見えてくるのではないだろうか。

私は禅者ではありません、仏教者でさえありませんが、多少ものを見る目はもっていると自負しております。

御坊哲
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港南区
出身
御坊市
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2013/12/07

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  • 考えるということはどういうことか (抽象、論理、言語)

    あるテレビ番組を見ている時、数学とは何かということについて「数学とは違うものを同じと見なす学問である。」という説明がされていた。言われてみてなるほどと思った。3個の大福と3個のミカンは全然別のものだが同じと見なす。3個という性質以外はすべて無視するのである。そうすると「3」という数としての抽象概念が成立する。同様にして「1」や「2」をつくっていくと自然数というものが出来上がる。現代数学の重要な一分野に位相幾何学(トポロジー)というのがあるが、これは粘土をちぎったりくっつけたりしないで変形できる形をすべて同じと見なす学問である。だから位相幾何学ではドーナツとティーカップは同じ、鉄アレイと湯飲み茶わんは同じものと見なされる。数学においてどのような関係を「同じ」とみるかは極めて自由である。以下の三つの条件さえ備...考えるということはどういうことか(抽象、論理、言語)

  • 自然の妙

    下の写真がなんであるかお分かりだろうか?おそらくこれを見ただけでそれが何だか分かる人はいないと思う。妻には、「自転車置き場の間のくぼ地にたまった水たまりの写真」というふうに、言葉で説明したのだが全然理解できないようだった。水色の部分は空が映っており、その他の部分は水の中の草と落ち葉と土である。なんでもない水たまりだが、とても美しい。思わず心惹かれて写真に撮った。家に戻って私は考えた。「なぜこの変哲もない光景が私の心をこれほどとらえるのだろうか?」よくよく考えてみれば、この写真の中には私たちに必要なものの全てが映っていると気がついた。透き通ったきれいな水、鮮やかな緑の草、黒い土、それと水色の空(つまり光)、それらはわたしたちの命を支えるすべてのものの象徴である。美しいのも道理であると合点した。下の写真は別の...自然の妙

  • 来年の目標 「目指せ3千万歩」

    2015年から今まで約7年半の間「よこはまウォーキングポイント」というのに参加していて、12月25日現在で27,418,192歩に達しています。歩くと頭の血流が良くなるような気がして、いつも歩きながら考えています。あと260万歩ほどで3千万歩の大台に乗るので、これを来年度中に達成させようと思っています。最近は体力の衰えから少しペースが落ちていますが、割と楽に達成できそうです。目標と言うより単なる区切りという感じかな。来年の目標「目指せ3千万歩」

  • ジョニィへの伝言

    作詞家の阿久悠さんが、自分の作った歌出一番気に入っているのはどれかを尋ねられて、それは「ジョニィへの伝言」であると答えたらしい。それを聞いて私はとても腑に落ちた。私も彼の作品の中でそれが一番好きだったからである。私が高橋真梨子さんの大ファンであるということもあるのかも知れないが、歌謡曲の歌詞にしてはわりとまじめに作っているという気がする。♪ジョニィが来たなら伝えてよ二時間待ってたと♪わりと元気よく出て行ったよとお酒のついでに話してよ♪友だちならそこのところうまく伝えて♪ジョニィが来たなら伝えてよわたしは大丈夫♪もとの踊り子でまた稼げるわ根っから陽気にできてるの♪友だちならそこのところうまく伝えて明らかにこの歌詞の主人公はまだジョニィに未練があるのだろう。それで、二時間「も」待っていたと伝えて欲しいと言って...ジョニィへの伝言

  • 不殺生戒について考えてみた

    一般に宗教は神秘的なものと考えられている。人間の生死に関わることや世界の成り立ちに関わることを扱うからだろう。仏教においても、葬式を執り行ったり加持祈祷をしたりするので、なにか神秘的なことに通じているのではないかという印象を持っている人も多いのではないかと思う。しかし、私の知る限りでは(というより、「私の考えている仏教では」と言うべきかもしれないが)、釈尊が説かれたことの中には神秘的なことはなに一つない。釈尊は、生まれる前と死んだあとそれからこの世界の成り立ちについてはなにも言及しておられない。そのような形而上のことがらについてはすべて無記なのである。思うに、釈尊の唱えられた教えというものはシャーマニズムの支配する当時においては余りにもラジカル過ぎたのかも知れない。人々はどうしても宗教に神秘的な力を求めて...不殺生戒について考えてみた

  • どんなくだらない平和であっても戦争よりまし

    一昨日(12/16)国家安全保障戦略などの安保3文書の改訂が閣議決定された。中国や北朝鮮を名指しでその脅威を謳っている。そして、解釈次第で「反撃能力」という名の先制攻撃を敵基地に与えることもできるようになったらしい。明らかな憲法違反である。言うまでもなく憲法は政権への歯止めとしてあるのである。その歯止めを無視して政策を推し進めようとするそんな政府を大半の日本国民は許容しているように見える。悲しいことだが、現在の日本の立憲主義とか民主主義というのは単なる空念仏以上のものではないらしい。野球の日本代表はサムライ・ジャパンと呼ばれている、サッカーの方はサムライ・ブルーである。そういう所から見てもやはり日本人は武士道精神というものに誇りを持っているのだろう。私自身は武士も武士道もあんまり好きではないが、それなりの...どんなくだらない平和であっても戦争よりまし

  • こんなことでええのか?

    NHKの調査によれば防衛費増額に対する賛成は55%、それに対し反対は29%だという。その他の調査でも国民の大半は増額に賛成であるとの結果がでている。しかし、ちょっと理解しがたいのが、その財源としての増税には90%以上の国民が反対だという。(参照~>「夕刊フジ」)外国の脅威を現実的なものと受け止めているのなら、増税反対どころではないのではなかろうかと思う。防衛力は必要であるが、それに必要な経費の負担を自分はしたくない。まるで他人事である。おそらく人々は「自分は外国の脅威を感じいる」と言葉の上だけで思っているだけで、そこにはリアリティなどないのだと私は考える。もし、他国のミサイル攻撃にリアリティを感じているなら、それが原子力発電所に命中したらどうなるかを想像しなければならない。そういうことを抜きにして防衛力増...こんなことでええのか?

  • 流れ圜悟

    先日上野の国立東京博物館に見学に行こうとして果たせなかったことを記事にした(参照=>「久し振りの東京見物」)が、それは「流れ圜悟」というものを見てみたいと思ったからである。それは一体何かと言うと、宋の禅僧である圜悟克勤(えんごこくごん)が弟子の虎丘紹隆(くきゅうじょうりゅう)に与えた印可状であるという。印可というのは師家が弟子に与える禅における免許皆伝のようなもので、師が自分と同等以上の悟境に到達したと認めた場合に初めて与えられる。禅僧はこの印可状を与えられてはじめて師家として後進を指導することができ、年齢にかかわらず「老師」と呼ばれるようになるのである。圜悟克勤という人は日本臨済宗にとってはとても重要な人物である。まず、禅をかじったことのある人なら誰でもその名を知っている「碧巌録」の編纂者であることと、...流れ圜悟

  • 人は必ず死ぬ?

    今年はいつもの年に比べて喪中はがきが良く届く。先日2軒隣に住んでいた私と同じ歳の方が亡くなられた。以前はよく街で出会う人が最近はあまり顔を見ないと思っていたら、実は亡くなられていたという話を耳にした。同級生の訃報もぽつぽつと入ってくる。日本人の平均寿命は男性が81.47歳、女性が87.57歳だという。私は今73歳だから、ざっと見てあと10年以内に同世代の男性は半分くらい死ぬのだろう。男性は70歳を越えればいつ死んでも不自然ではないと言える。私自身自分が遠くない将来に死ぬのだろうと思っている。しかし、私が自分の死の意味を知っているのかどうかということには問題がある。私たちの知っている「死」の概念はあくまでも客観的な死または生物学的な死、心臓が止まり脳波がなくなり動くこともしゃべることもしなくなる、そういう死...人は必ず死ぬ?

  • 国民の税金使って、そんなことをやってええのか?

    ツイッターの中を覗いたら、共同通信の「防衛省、世論工作の研究に着手AI活用、SNSで誘導」というニュースが大きな話題になっていた。これのなにが問題かという人もいるかもしれないが、本来は番犬であるに過ぎない防衛省が飼い主である国民の税金を使って、国民を無意識のうちに番犬の思い通りに誘導しようとしているということが問題である。しかし、よくよく考えてみると、こんな研究は以前から実施されていてすでにその効果が表れていると見るべきではなかろうかと思いついた。昔の話をすれば防衛予算がGNPの1%に達する時点で大問題視された。それが今や、なんの根拠も示されず2%という金額目標がまず設定されていることが不思議だ。近年は本当に効果があるかどうかが疑わしいミサイル迎撃システムや1機で100億円以上(いろんな資料を読んでも正確...国民の税金使って、そんなことをやってええのか?

  • サッカーは人の心を揺さぶる

    サッカーほどいろんな能力を要求されるスポーツはないような気がする。力、スピード、技術はもちろんだが、広い視野を保ちながらダイナミックな状況判断を常に要求される。しかも得点が入りにくい。細心の注意技術をもってパスをつないでゴールを狙っても、そこには唯一自由に手を使えるキーパーがいる。意表を突く工夫がなければなかなか得点には結びつかないのである。それ故ゴールが決まったときのカタルシスは大きいものとなる。ドイツ戦の浅野、スペイン戦の田中のそれぞれの決勝ゴールはその最たるものではなかったかと思う。浅野はその前にもすでにシュートを放っていたが、それは枠内には飛ばなかった。そのプレーを見る限り、浅野は走力には優れているがそれ程決定力のある選手には見えなかった。その浅野が後方からのパスを巧みにトラップし、前に立ちふさが...サッカーは人の心を揺さぶる

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