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アヴァンギャルド精神世界 https://blog.goo.ne.jp/naitoukonan

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

本当のなつかしさ、本当のやさしさ、そういったしみじみとしたものだけが好みです。 気になるもの 錬金術、冥想、瞑想、オカルト、坐禅、気功、ヨーガ、オーパーツ、超能力、霊能力、前世記憶、PTSD、トラウマ、修験道、アトランティス、レムリア、ケルト、クンダリーニ,チャクラ、洗脳、情報操作、テレビっ子、個人主義、疎外、おひとり様、悟り世代、アセンション、無私、敬虔、清貧

naitoukonan
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2013/11/11

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  • 後継ブログを開始しました。

    構想も新たに、後継ブログ『アヴァターラ・神のまにまに』を始めました。宜しくお願い申し上げます。後継ブログを開始しました。

  • アヴァンギャルド精神世界終了について

    blogアヴァンギャルド精神世界は終了しました。18年間、ご来訪、ご愛顧ありがとうございました。なおtwitterもアカウント削除しました。twitterもご来訪、ご愛顧に感謝致します。ネタ切れでも、書くテーマがなくなった訳ではありませんが、自由な言論のできる一対多のSNSの時代が終わったため山に戻ることになりました。累計閲覧pageview19百万余、累計訪問者IP392万余の読者の皆様なかりせば、ここまで継続できませんでした。ありがとうございました。頓首再拝。アヴァンギャルド精神世界終了について

  • アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-6

    ◎人類全体の進化人類全体が進化する時期が到来した。人間の進化形は、大悟覚醒を経て、人が神と共に生きていく形。さりとて、人間の進化形とは、いろいろな表現の仕方がある。1.人間が第六身体、第七身体に至るという、体験とは言えない体験を経て、神仏とともに生きる。2.悪いことをせず、善いことだけをして、真理を以て生きる(諸悪莫作、衆善奉行)3.人の目には涙もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。(聖書ヨハネの黙示録21章)4.「何ものも救うことはできないし救う必要もないこのことを頭によらずに理解したら君は正真正銘の救世主であり救うというマインドなしにすべてを救うように生きている」(ダンテス・ダイジ/アメジスト・タブレット・プロローグP21から引用)そんな人だらけの時代。5.無用の用、無価値の価値に直観的に気がついて、...アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-6

  • きくち体操考-3

    ◎きくち体操はすごいきくち体操を始めて1か月経過。諸事情であまりあからさまに書けない効果もあるが、中野ジェームズ修一氏流ストレッチや古神道の振魂、鳥船では伸び悩んでいたのが、めきめきと効果が出てきている。1.頭がはっきりしてきた。2.普通股で歩けるようになった。歩行スピードも速くなった。3.腰をかがめる等の何気ない姿勢がより自然にできるようになった。等々。※きくち体操本を見ると無数の治癒例が載っています。菊池和子先生曰く、老いるとは筋肉や血管が縮んで痩せていくこと。痩せ始めるとすごい勢いで筋肉が落ちていく。そうなると、歩けなくなったり、紙おむつになったりする。菊池和子先生(87歳)は老人ホームにお住まいで、そうした人を多数見ており、同年配の人に「どうすれば治るでしょうね」と問われて、「どうですかね」などと...きくち体操考-3

  • アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-5

    ◎物事を変えるには相当に早い時期から準備が必要戦争や国家レベルの飢餓やパンデミックが発生した際に、それを避けるにはどうすればよかったかなどと考えるものだ。ところが、人間一人のできることはたかが知れているし、また人間一人が自分の意志や努力を以てしても髪の毛一本白くも黒くもできない。だからと言って知らない他人である聖者やスーパーマンが登場したところで、この価値観が多様化し、自分勝手にして、メリット・デメリットや金や便利に敏い人々が、国家的危難を前もって避けるために、禁欲的にして無欲の努力を毎日繰り返せるとも思えない。またそのような国家的クライシスは、何十年も前に霊界で起こっていた事件が現実化したものであるなどと、したり顔に述べたとしても、追い込まれた現実は何も変わらない。至福千年、すべての人が悟っている時代に...アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-5

  • アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-4

    ◎わが身一身で、あらゆる冥想法を試すわけに参らぬことこのブログでは、カテゴリー区分に冥想法の種類を用いてはいるが、肝心の冥想法自体にほとんど深入りしていない。例外的に只管打坐については、古典である普勧坐禅儀の紹介は行っている。それはなぜかと言えば、各冥想法の窮極に至る部分は明かされていないからである。いろいろな冥想法で本当にそれで悟れるかどうかを試すには、自分でその行法の正師について、その瞑想法で自分を死なねばならない。自分を死ぬとは、自殺のことではなく、自我が死ぬということ。悟りに至る様々な冥想法がある。ただ坐る、マントラを唱えて坐る、坐相は固定し雑念は放っておいて坐る、特定の観想を行う等々。複数の冥想法について、それぞれの冥想法で大悟できると述べるには本来自分がその冥想法で大悟する必要がある。だが、人...アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-4

  • アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-3

    ◎相としての組織宗教衰退と万人が神仏を知ること古代エジプトの過ぎ越しの頃、悪玉エジプト人は、善玉ユダヤ人を奴隷としていた。神は、圧政を続けるエジプトのすべての初子を撃ち殺すという予告を行った。だが条件がついており、家の二本の門柱とかもいに子羊の血がついていない家には、その災いは及ばないとした。これに従い家に子羊の血を塗ったユダヤ人の幼児は存命し、後のエジプト脱出につながっていく。情け容赦もなく、神の手が人を殺害していくというイメージは恐ろしいもので、人は本能的にそういうシチュエイションでは、救済を必要とする。死後地獄に落ちるというイメージもこれまた恐ろしい心理に追い込まれがちになるもので、地獄に落ちないように生きて、天国、極楽に入るようになるためには、わが宗派に入信しなさいというのは、これまでの組織宗教や...アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-3

  • アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-2

    ◎出口王仁三郎私は大本教の信者であったことはないが、大本教の東京本部と亀岡の本部に行ったことがある程度の横好きである。最初に興味を持ったのは『巨人出口王仁三郎』という文庫本を読んでからであって、それから大学図書館で大本神諭の予言に触れて出口ナオ、出口王仁三郎が日本人の生存確率をひどく低く見ていることに暗澹としたものだ。大学生のうちに霊界物語を読んだが、正直言って、全82巻中最後の12巻天祥地瑞の格調の高さは感じられたものの、わかったとは言えなかった。出口王仁三郎は、六度死んでいるわけだが、その後の分析で、高熊山の最初の大悟が極めて重要であって、神人合一(中心太陽突入)したかどうかはわからないが、彼の人生の方向性を決めたのはそこだったように思う。肝心要めの六回の死で、それぞれ何が起こったかについて記録がない...アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-2

  • アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-1

    ◎ブログを始めた頃冥想をテーマにしたブログということで、18年前に「アヴァンギャルド精神世界」はスタートした。始めた頃の偽らざる気持としては、時代の存続のため、人類存続のために、生活において冥想が根付くことの一助になれば、ということが動機であった。そして、宗派を超え、無宗派であってもよいが、冥想実践・研究するブログが雨後の竹の子のように殖えて行ってくれればよいなどと思ったのだ。18年たってみれば、そのような超宗教的な冥想の研究、普及を標榜するブログは、わがブログを除いてほとんど見当たらない状態である。勿論特定の一宗派の道を進んでいく宗教ブログも大変結構なことだと考えてはいる。このブログは、一貫してgooでやってきた。初期の頃は、コメントは書き放題であって、削除機能もなかったから、実質的に掲示板と変わること...アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-1

  • 人間の評価、勲章、爵位、印可

    ◎三国同盟三国同盟は、日中戦争と欧州大戦を連動させ、結局米英を敵国として日本を戦わしめた決定的な事件。大島浩は、軍人にしてA級戦犯となった。2022年9月21日のNHKの番組『昭和の選択「破局への条約三国同盟~松岡外相と影のキーマン大島浩~」』で、最後に昭和天皇が、軍人らのことを下剋上で云々と評していたこと、磯田先生が軍人の爵位への執着について言及していた。曰く半藤一利は、軍人で爵位を取れるのは長州であって、それ以外はうまくいかないという現実が当時はあったらしい。長州でなかったので大島浩は中将にまで成ったが、結局爵位には届かなかった。放送ではこの程度で、この点はあまりこれ以上突っ込まなかった。軍人は爵位をもらうためには、出世を狙う。出世するためには新たな戦争を起こせば、それがチャンスとなり、戦争は途中不調...人間の評価、勲章、爵位、印可

  • 最初の隠修士パウロス

    ◎人に知られない(『聖アントニウスと聖パウルス』,1634,ディエゴ・ベラスケスwikipediaから)隠修士パウロスは、3世紀頃の人物。西洋絵画展に行くとよく目にする「聖アントニウスの誘惑」で知られるアントニウスが発見した人物として知られる。※聖アントニウスの誘惑は、悪魔の登場であり、大悟覚醒の直前段階。パウロスは、テーベに生まれ、キリスト教徒に加えられる拷問の数々を見て、砂漠に隠れて修行することを選んだ。町で暮らして発覚すれば、拷問と死が待っているからには、当然の選択の一つである。キリスト教のテキストを見れば、殉教が人生上の主要選択肢の一つだったと考えられていた時代が初期にはあったと思い込まされるのだろう。ところが、生活しながら信仰を維持し深めていく立場からすれば、準備ができないまま殉教すれば、殉教時...最初の隠修士パウロス

  • カンタベリーの聖トマス・ベケット

    ◎殉教と大悟エリザベス女王の葬儀を取り仕切ったのは、カンタベリー大司教。イギリスがカトリックから離脱して英国国教会になる以前、カンタベリー大司教がカンタベリー大聖堂内陣で、四人の騎士に頭蓋を割られて暗殺された事件があった。その大司教がトマス・ベケット。1118年、彼はロンドンのノルマン人の富裕な商家の息子として生まれた。やがてカンタベリーで聖職修行を行い、1154年には助祭長となった。一方で時の国王ヘンリー二世に気に入られ、大法官という世俗職にスカウトされ、やがてカンタベリー大司教に就任。ベケットは、カンタベリー大司教になって、国王の要求を事々にはねつけたことで、命を狙われる危険を感じたことから、1164年フランスに逃亡した。フランスでは、教皇アレクサアンデルの意向により、北中部のポンティニ村のシトー会修...カンタベリーの聖トマス・ベケット

  • 伝統破壊、文化破壊と大衆宗教の衰退は裏腹

    ◎すべての人が覚醒に至る時代の前兆1935年、政府による二度目の大本教大弾圧前夜、笹目秀和は、出口王仁三郎から竹筒に入った大本教のご神体を崑崙山に返還してくるように命ぜられた。崑崙山での返還完了まで実に半年を要した。大組織宗教の始末をつけることについて、笹目秀和も考えさせられたものと見える。崑崙山到着直前にさるラマ僧から、「ラマ教はあと30年したらなくなる」と聞いて、大本教もラマ教も隆盛を誇った大組織宗教だが、これはこの二つの教団だけのことでなく、組織宗教全般が終わろうとしていると感じたことが書かれている。ラマ教は、1959年のダライ・ラマのラサ脱出でほぼ終了。今もラマ教徒も教団も残っているし、大本教も教団も信徒も残ってはいるが、スピリチュアリストの目から見れば実質終わったと見たのであろう。カトリックの予...伝統破壊、文化破壊と大衆宗教の衰退は裏腹

  • パワースポットとしてのウェストミンスター寺院-2

    ◎イギリス人が何かを予感して弔問に24時間並ぶ2022年9月16日、ロンドンのウェストミンスターホールに公開安置されたエリザベス女王の弔問のためテムズ河畔に寒中に並ぶ人々の行列は、24時間待ちの長さに達した。サッカーのベッカムはここで13時間も並んだという。さてロの字あるいはマッソンは何のために大戦を起こすのであろうか。『○艮の金神とユダヤユダヤは神の選民で、艮の金神が道具に使っていられる。ユダヤは悪に見せて善をやるのや。ユダヤは九つのしるしあるものを探しているのだ。ユダヤは十八階級のうち一階級三人。二階級十八人。三階級三十六人。日本人でもユダヤに這入っているが、十二階級以下である。一階級上のことは全然判らぬから、最高幹部の考えていることは判らぬ。ユダヤの仕組で十六魔王を戦争で戦いぬかして倒してしまう。東...パワースポットとしてのウェストミンスター寺院-2

  • ノーマスクの衝撃

    ◎ウィンザー城での王族と民衆のコンタクト日本では、未だに外出時のマスクはどこでも必須だが、故エリザベス女王の哀悼に際し、2022年9月10日、エリザベス女王の住まいだったウィンザー城前に何万人も行列している民衆のざっと8割方はノーマスクであった。そして、極めつけは、その並んでいる民草とウィリアム皇太子、キャサリン妃、ヘンリー王子、メーガン夫人が金属柵越しに挨拶やらお礼やら交わしているのだが、その王族側がノーマスクだったこと。これには最初目を疑った。王族たちが、にこやかにノーマスクのリスクを平然と取って、民衆と言葉を交わし握手を繰り返したのだ。マスクのマインド・コントロールとは、このようなものであると、後世において典型例として挙げられるシーンとなるかもしれない。実はリスクがほとんどないものを「リスクがある」...ノーマスクの衝撃

  • パワースポットとしてのウェストミンスター寺院-1

    ◎戦争に巻き込まれにくかった英国元々は異教の寺院があった場所に建てられたウェストミンスター寺院。パワースポットは、みる目のある人には、宗派を超えてパワースポットであり続ける。ウェストミンスター寺院は、604年ごろエセックスのサエベルフト王がその島にセント・ピーター教会を建てたことに由来する。デーン人の侵入による破壊後に、951年エドガー王がベネディクト派修道院として復興。11世紀前半にクヌート王が修道院近くに宮殿を建て、エドワード懺悔王の時代に修道院と宮殿を壮大に改築した。日本は、日英同盟を経て、対英米開戦に至ったが、戦前の小冊子には、英国でも隠然たる力を持ち続けるロスチャイルド家の来歴の説明がある。『ロスチャイルド家は、一七四三年にマイン河畔のフランクフルトの「ゲットー」(ユダヤ人窟)に一小商人として生...パワースポットとしてのウェストミンスター寺院-1

  • 坐法のいろいろ

    ◎静坐、マインドフルネスなど各宗派で様々な坐法がある。坐法とは、ポスチャー・坐る姿勢だけでなくて、坐る時刻、時間、坐る場所、柔軟体操、呼吸法、どうトランスに入っていくか、三昧に入っていくか、浮かんでくる想念の取り扱い方、坐が終了してからの作法など様々な要素がある。「きくち体操」のような体操でも意識の持って行き方、顔の向け方、観想法(指がまっすぐになりますように、など)をちょこっと入れたり、マスターに適切なポイントでアドバイスを受けないとわからないところがある。いわんや坐法では、イラストあるいは動画と文章の説明があったとしても、わからない部分は残るのだ。事程左様に坐法については、文章、動画、イラストでまともに説明されているのは、只管打坐がほとんどであり、密教・道教・クンダリーニ・ヨーガ系の坐法については、ほ...坐法のいろいろ

  • セント・ジャイルズ大聖堂

    ◎羊飼い、家畜、乞食(ホームレス)、身体障害者、鍛冶屋の保護聖人スコットランドのエディンバラにあるセント・ジャイルズ大聖堂は、故エリザベス女王が生前プライベートで過ごした町にある大聖堂。ここに彼女の遺体がしばし弔問のために置かれていた。聖ジャイルズは、7~8世紀の人物で、フランス語では聖ジル、ラテン語では聖アエギディウス。中世に人気のあった14救難聖人の一人で、彼の祝日はなんと9月1日。聖ジャイルズは、ギリシア生まれ。アルルなどで超能力で人助けをしながら、ついには南フランスのニーム郊外の深い森で一切の他人との交流を断ち、泉の湧き出る洞窟でたった一人の冥想修行に入った。ここでは、誰も食事を与えてくれる人がいなかったせいか、雌鹿が毎日やってきて、その乳で彼は生命を養った。ところがある日、王の狩りがこの地に行わ...セント・ジャイルズ大聖堂

  • 家はみな杖にしら髪の墓参

    ◎大したことのない人でも成仏できる家はみな杖にしら髪の墓参(はかまいり)芭蕉兄に招かれ家族そろって郷里の墓参りをしたが、かつては子供として参り、また青年、壮年として参った人も自分も白髪になり杖をついていることだ。昨今は、墓のない葬儀、納骨のない葬儀もある由。その場合は墓もない。戦争体験者が元気だった時代には、墓参り、先祖供養が盛んに言われた。墓参り、先祖供養もせんじ詰めれば、各人の愛を掘り起こすきっかけにしようという機会。だから墓なく遺骨なくとも、愛があればよしという立場もある。数ならぬ身となおもひそ玉まつり芭蕉自分などもの数にも入らない大したことのない人間だなどと思ってはいけません、成仏できるのだから。玉まつりは、江戸時代に盛んだった旧暦7月15日の先祖を祀る仏事。人間は、社会では、役所でも民間企業でも...家はみな杖にしら髪の墓参

  • 支那の家族制度など-2

    ◎家族制度、秘密結社、そして国家支那の家族制度の続き。大家族制度はやがて秘密結社に至る。『さらに支那人には、同族、同郷、同學、或は同業者なるものの相團結する習慣が、生れて居る。同族は、血縁團體として、同郷者は地縁團體として、その外に同業團體やら、職業團體やら、社會的に、この種同種類のものが相聯合して、團結する習慣がある。これは支那のやうな、國家の統治力の弱い國では、一族一村の自衛上からも、この種の團結が必要となるのであるが、その結果は、頗る變挺(へんてこ)なものとなる。例へば私が、假りに知事になるとか、或は他の役人になつたとすると、そこへ先づ一族相携へて、中には妻妾迄召し連れた食客が、押しかけて來る。同郷者は、同郷者で、何とか云ふ名目で訪ねて來る。同期生は、同期生で、同学であるとか、同校出身であるとか、種...支那の家族制度など-2

  • 支那の家族制度など-1

    ◎中国の妻妾同居制度中国の連続TVドラマやらを見て最もわからないのは、中国人の家族観と家族制度である。かつて支那の連ドラ『宮廷の諍い女甄嬛(しん・けい)伝』を見ていて、悪の黒幕の皇后が悪事が露見して追い落とされるシーンが来た。その皇后が最も憂えたのは、宗族の墓に入れてもらえないことだと語ったのだが、私は理解できなかった。またここ20年来の中国の不動産投機バブルにおいて、よく『家族の金を集めて不動産投資して大儲けした。』という話を耳にしたのだが、大金を預けられるほど家族を信頼できるものかと怪訝に思ったものだ。そういえば、中国には、械闘といって宗族(名字が同じ親戚のグループ(例えば毛一族対江一族とか))が手に手に武器を持って他の敵対する宗族と実際に戦う伝統があった。また最近ネットで、「GHQ焚書対象には中国関...支那の家族制度など-1

  • 英国チャールズ国王が砂漠で植物に話しかける

    ◎自分の意識をあらゆる領域に拡張する2022年9月英国エリザベス女王の逝去に伴い、チャールズ国王が73歳で即位した。チャールズ国王といえば、ダイアナと子供まで成してカミーラに奔った非道さばかり言われるが、意外にも植物の個生命への関心を持っていた。ある日、OSHOバグワンが、弟子の一人から、チャールズが砂漠の植物に話しかけて成長促進を試みたことについてコメントを求められた。質問者は、『チャールズ皇太子は、最近、ローレンス・ヴァン・デル・ポストといっしょに、カラハリ砂漠で、植物の成長を助けるために植物に話しかけていると言った。このイギリスの未来の王は、霊的な問題に興味をもっているように思われます。』これに対しOSHOバグワンは、『チャールズ皇太子は、瞑想に深い関心をもっている。彼は内的世界の探求にも関心をもっ...英国チャールズ国王が砂漠で植物に話しかける

  • 武士の鑑、畠山重忠と最期

    ◎君がすでに死んでいることを学ぶ武士にとって先陣を命ぜられることは、大変な名誉であった。源頼朝が、石橋山の合戦で敗れて、一旦房総に逃れ、捲土重来武蔵国経由で鎌倉入りする際に、弱冠17歳の畠山重忠が先陣を命ぜられた。木曽義仲を打ち破り、後白河法皇御前での名乗りでは、源義経の次が畠山重忠だった。屋島の合戦では、暗夜の強風の中を源義経が一番船で、二番船が畠山重忠。源頼朝を大将軍とする奥州征伐では、畠山重忠が先陣。そして1190年の頼朝上洛の晴れ舞台に際して先陣の栄誉を賜ったのはまたしても畠山重忠だった。彼はこうして武士の鑑として押し上げられていく。さて仏教説話の沙石集では、畠山重忠は、岩手県胆沢などに置かれた奥州鎮守府での苦労のことを思い、平素より我が館の中では煙を立てないと心掛けていたことが、武士としての心映...武士の鑑、畠山重忠と最期

  • 仏足頂礼と足の裏

    ◎足の裏から頭頂へ、頭頂から足の裏へきくち体操では、「100歳でも歩ける」をキャッチフレーズにして、足の指を殊更に重視。足の裏を見る、足の裏を触る、足の裏を意識するということを盛んに言う。足の裏から脚、腿、腰、背、頭まで神経が延びているから、歩く機能保持にはまず足の裏を刺激し、観想法もやるという方針である。足の裏は、特に夏場はむれむれで、あまり話題にもしたくはないが、実は重要なポイントでもある。まず釈迦の仏足頂礼。これは釈尊のおみ足を自分の頂にあてて礼拝すること。出口王仁三郎は、身体では、足の指先から最強の霊気が放射するという。『釈迦が成道して山を出で、父浄飯王に会見した時、王は仏足を頂いて礼拝したと記されて居るが、それは実際に親への孝行であって、永年の修行によつて得た霊徳を父に贈与する最もよい方法であっ...仏足頂礼と足の裏

  • 右と左

    ◎最後の審判図をめぐって西洋の最後の審判図では、新約聖書マタイ伝により、右側が聖で、左側が邪となる。『人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、やぎを左におくであろう。そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい』(中略)それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、旅人であったときに宿を貸さず、裸で...右と左

  • 本物の聖者・覚者の見分け方

    ◎群盲、象をなでる現代文明の価値を測る物差しは、その文明が悟りを開いた人間を何人出したかどうかということである。その端的な事例が、ソドムのロトであって、旧約聖書のロトは、ソドムの町に10人の正しい者をも見つけられずに、結局ソドムを出ることに追い込まれた。神様から低地は焼き払われるから山に逃げよと言われたのに、わがままを言って、山ではなく、近い小さな町ゾアルに逃げることにしたことで、結局妻が放射能で障害をこうむった(塩の柱)。中国の宋の時代、天童山では、千人もの僧侶が修行していたのに、ものになったのは、天童如浄と道元だけだった。千人で二人では、ソドムのロトのことは嗤えないのではないか。カトリックのローマ教皇は、最低でも見神を経た人物だと言われる。だが見神だけでは、あらぬ道に逸れることがあるとは、江戸時代の禅...本物の聖者・覚者の見分け方

  • ロシアの極東軍事演習「ボストーク2022」と本番

    ◎ヒトラー予言との関連ロシア国防省は2022年8月30日~9月5日に開催予定だった大規模軍事演習「ボストーク(東方)2022」について、開催前日の29日に突然、先に公表した日程を先送りし、兵員5万人以上で9月1~7日に行うと延期を発表した。この演習は4年ぶりで、ロシアが事実上支配する北方領土の択捉島や国後島も含まれている(前回は北方領土は含まれなかった)参加国は計14か国で、中国、アルジェリア、インド、ラオス、モンゴル、ニカラグア、シリアのほか、旧ソ連のアルメニア、アゼルバイジャン、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタンが参加する。国防省によると、今回の演習には140機の軍用機と5000以上の軍事兵器を投入。4年前の演習には軍用機1000機のほか、3万6000台の戦車や装甲車などが投入されて...ロシアの極東軍事演習「ボストーク2022」と本番

  • 意識的に死ぬ瞬間に神が生まれる

    ◎全体をみなぎらせている静寂西洋の宗教書を読んでいると、仏教は無神論であるなどと書いてあり、面食らうことがある。そういう人は、「呼び名のある神でないと神として認められない」という根拠の怪しい立場に立脚しているのだろう。神仏は名前もつけることができないし、理解もできないし、言葉で表現することもできないという現実は、はなから無視されている。どうすれば神を体験できるかについて、OSHOバグワンが端的に述べている。『瞑想のなかで意識的に死ぬその瞬間に、神が生まれる。なぜなら、あなたは自我としては消えてしまうからだ。ではなにが残されるのか?静けさ、とてつもない可能性を秘めた静けさ、みなぎる静けさ、みなぎる静寂―――〈全体〉をみなぎらせている静寂だ。あなたが消えてしまうとき、境界も消えてしまう。あなたはほかのあらゆる...意識的に死ぬ瞬間に神が生まれる

  • 死を受けいれれば、そこに恐怖はない

    ◎生に固執すれば、ありとあらゆる恐怖がある青年期に悟りを開く人は、思春期以前から死の謎に取り組む人が多い。世間的にはそういう人は早熟と見られるが、前世で相当に準備してきた人物でなければ、早期に死に取り組むことはないと思う。死への取り組みの最初に死の恐怖がある。これは、OSHOバグワンの例。彼は、14歳の頃、七日間近所の廃寺に棲んで死ぬことを宣言し、それにあたり一人の僧侶に食べ物、飲み物を差し入れてくれるように頼んでおいた。『わたしがそこに横たわっていると、三日目か四日目になってヘビが一匹寺院にしのびこんできた。それが視界にはいったので、わたしはじっとそのヘビを見ていた。けれども、そこには何の恐怖もなかった。突然、わたしはとても奇妙な感覚におそわれた。ヘビがどんどん近づいてくるのに、わたしはとても奇妙な感じ...死を受けいれれば、そこに恐怖はない

  • アリマタヤのヨセフ

    ◎金持ちが天国に入るのは、らくだが針の穴を通るよりむづかしいがイエスの磔刑前夜、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。そうした中で、イエスの弟子の中に逃げずに済んで、かつ磔刑後にピラトとイエスの遺体の引き渡し交渉を行いえた人物がいる。それが、アリマタヤのヨセフという、善良で正しく、身分の高い議員で、金持ち。ユダヤ人をはばかって、ひそかにイエスの弟子となった。彼は誰も葬られたことのない新たな墓を用意し、そこにイエスの遺体を運び入れた。古代でも近世でも死刑において、遺体の埋葬場所、埋葬方法、墓を作ることを認めるかどうかまで、しばしば刑罰の一部として規定されることがある。イエスの側から見れば、アリマタヤのヨセフは、弟子たちが彼の復活を「見て信じる」舞台をセッティングした人物である。一方ユダヤ人の側から見れば、...アリマタヤのヨセフ

  • ボン教のバルドの祈り

    ◎世間全体が中有的である過去何千年チベット土着のボン教のバルドの祈りから。これは死のプロセスに際して清明な意識で見守り感じ取ることで、原初の光たる仏を見ることを狙う。『意識がみなし児のようによりどころもなく残され別の次元に棲む恐怖の死神が現出し惑わんばかりの音、光、輝きが満ちあふれるときこれらを自らの内から生じた自性のエネルギーだと悟りこのバルドの状態のさなかで解脱することができますよう師よ、あなたの慈悲によって加持をお授けくださいこのバルドの幻影を断ち切ることができますように加持をお授けください母なる「空性」とその息子の「明知」とが再び結ばれますよう、加持をお授けください』(チベッタン・ヒーリング/テンジン・ワンギェル・リンポチェ/地湧社P16-17から引用)ボン教勢力は、チベット密教開祖パドマサンヴァ...ボン教のバルドの祈り

  • きくち体操考-2

    ◎老化と癒し、パーツと身体全体の調整きくち体操を始めてから1週間程度だが、明らかに何十年鍛えていなかった、ふくらはぎ裏、もも裏、足首回りの筋肉が痛いのと、手指の一部の血行がよくなっている感触がある。菊池和子氏は、ひざ裏などを延ばすことに熱心であり、中野ジェームズ修一氏が筋肉は15秒過ぎてから自分で延びて来るとするのだが、きくち体操では、平気で1分くらい延ばさせたりもしている。きくち体操は、時により足の指広げと握り・放しとマッサージと足首回しだけで15分以上かけたりするのだが、これが必ず毎回メニューの最初に入って来る。椅子生活中心に変化した現代人が最も触らない部位は足裏であり、足裏・足指から鍛え始めるというのは、きくち体操の発見であり、オリジナルであるというのは、もっともなことであると思う。冥想に関心を持ち...きくち体操考-2

  • 神の子カッサパが釈迦に質問しながら自分で回答する

    ◎想念停止、空、善行、えり好みをしない修行僧カッサパは、「釈迦が修行者として実行するための教えを説いてくれなかった」と釈迦にぼやきながら、「それは一人で暮らし瞑想し、心を静めることだ」と自分で回答し、これを釈迦に誉められた。『第二節カッサパ(その二)一〔あるとき尊師は、サーヴァッティー市のジェータ林・〈孤独な人々に食を給する長者〉の園に住しておられた。そのとき、カッサパという〈神の子〉は、夜が更けてから、容色うるわしく、ジェータ林を遍く照らして、尊師のもとにおもむいた。近づいてから、尊師に挨拶して、傍らに立った。二傍らに立ったカッサパなる〈神の子〉は、尊師のもとで次の詩をとなえた。「修行僧が瞑想に入り、心が解脱し、心の思いの起こらぬことを望み、世の興亡盛衰をさとって、善い心で、こだわることがないならば、す...神の子カッサパが釈迦に質問しながら自分で回答する

  • マグダラのマリアとイエス

    ◎ヨハネもユダも全貌を承知していたイエスは、十字架上で大悟覚醒したのだから、救世主と称することができるのは、磔刑以降となる。様々な超能力を駆使できたのは決して覚醒の印でなく、それ以前の段階でもあり得ることは、ご承知のとおりである。ヨハネはイエスに洗礼を施した人物として知られていて、その評価は洗礼を施したからにはイエス以上に高くされることがある。さてベタニアのマリア(マグダラのマリアとされる)は、磔刑までまもなくの時期に、イエスの足に高価な香油を塗り、我が髪で拭った。(ヨハネ12章1~11節)さらに彼女はイエスが十字架につけられるのを遠くから見守り(マルコ15章40-41等)、イエスが埋葬されるのを見つめた(マルコ15章47)。さらに彼女は、磔刑後イエスの遺骸に塗るために香油とアロエを買い求め、墓に戻った(...マグダラのマリアとイエス

  • クリシュナムルティの不倫と妊娠中絶

    ◎ニルヴァーナにしばしば入ってもクリシュナムルティ本の翻訳者には二方いて、大野純一氏と大野龍一氏。その大野龍一氏は、2021年に鬼籍に入った由だが、クリシュナムルティの私生活について重要な言及をしている。(出所:http://koledewa.blog57.fc2.com/blog-entry-91.html)おおまかに言えば、クリシュナムルティの後半生の生活の面倒を見ていた彼の親友ラージャゴパル氏の奥さんと長年肉体関係を継続し、その奥さんロザリンドはクリシュナムルティの子を妊娠し、複数回中絶していることである。この暴露本“LivesintheShadowWithJ.Krishnamurti”byRadhaRajagopalSlossの著者は、そのロザリンドの娘ラーダ。ラーダは、長年父母とクリシュナムルテ...クリシュナムルティの不倫と妊娠中絶

  • 雑誌プレジデントで瞑想特集

    ◎実用目的瞑想で、短時間瞑想だが雑誌PRESIDENT2022年9.16号は瞑想特集だ。中身は、こんな感じ。1.マインドフルネス瞑想には次の効能がある①注意力をコントロール②感情を制御③自己認識力向上④リーダーシップが身につく⑤組織における人間関係性が向上2.多忙でも続けられる「1分間瞑想」として、急須でお茶瞑想、1分間呼吸瞑想、音の瞑想、キャンドル瞑想など。さらに「スキマ瞑想」ガイドとして、「つり革瞑想」、「歩行禅」、「闇で瞑想」などが挙がっている。いずれも仕事の集中力や効率性を上げることやストレス解消を狙う冥想である。だが一方でビジネス・パーソンは、公私において概して時間がないものだから、例えば30分連続の自由に使える冥想時間を毎日捻出するというのは大変なことである。その上最近はスマホでSNS、モバゲ...雑誌プレジデントで瞑想特集

  • 栄西の建仁寺に食べるものがない

    ◎NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、13人の武人勢力同士の権力闘争甚だしく、当時の世相が描かれることはほとんどない。その蔭に隠れて、日本の禅興隆の基礎を築いた栄西が鎌倉幕府二代将軍源頼家の外護により京都に建仁寺を建立などしていた。栄西は、源頼朝一周忌の導師を務めたり、北条政子建立の寿福寺の住職に招聘されたりした他、二代将軍源頼家の子栄実を膝下で弟子として預かったりして、「鎌倉殿の13人」に深くかかわっている。建仁寺で修行した一人が道元。栄西の逸話と言えば、正法眼蔵随聞記に建仁寺で食べ物がなくなった時のことが書いてある。たまたま栄西が信者のところで絹を数反もらってきて、それを食事係に渡して、これを金に換えて明日お粥を皆に食べさせなさいと命じた。するとそこに別の信者がやっ...栄西の建仁寺に食べるものがない

  • 仙台育英、百年の扉を開く

    ◎拝みたい者には、築山でも作って拝ましたらよい東北勢の高校として仙台育英が初めて夏の甲子園で優勝し、百年の扉を開いた。(第104回全国高校野球選手権大会(仙台育英8-1下関国際、2022年8月22日、甲子園)。東北の大自然の深さは、東北の人にしかわからないところがある。出口王仁三郎の霊的世界では、もともと地の真上に北極星があったものが、世の大峠である世界の終わりにおいて、世界的大洪水とともに発生した地軸の傾斜により、北極星は、東北に傾いた。これが現在の姿。世界の主宰神は、艮の金神というなじみのない名前で呼ばれるが、艮の金神は、悪神軍団によって、世界の東北である日本に軟禁、押し込められて数千年を経ている。これが最近扉を開いて出てきたというのが出口王仁三郎の主張。日本においても、東北地方は、道の奥、道奥であり...仙台育英、百年の扉を開く

  • 日本人マッソンの禁止と出現

    ◎宗教破壊、文化破壊戦前の婦人記者のはしりである犬塚きよ子によれば、1864年長崎に大浦天主堂ができてキリスト教布教開始すると同じ年に、横浜のイギリス系マッソン結社であるスフィンクス結社が、「日本一番乗り」の集会を催したという。明治維新の日本は、インドの植民地化や中国のアヘン戦争がマッソンの仕業なることを熟知しており、欧州大陸マッソン、アメリカ・マッソン、スコティッシュ・ライト・マッソンがそれぞれ競争、協力して、アジア侵略、収奪を行っていく中で、日本は、欧米との不平等条約撤廃に半世紀を要し、対策として「日本人がマッソンに加盟することを禁止した」のは英断だった。それでも戦前からマッソンに加入した日本人はいた。参考:『明治二七年(一八九四年)日清戦争の際、陸奥宗光外相が英国との間に治外法権撤廃に成功したが、完...日本人マッソンの禁止と出現

  • 聖者の組成するグループ

    ◎未悟の教祖やエソテリック・グループ聖者は、エゴを解放し覚醒した人。賢者は、エゴを未解放であって、覚醒していないが物知りの人。そういう定義において、賢者の振る舞いは、いわば教団内の政治家のように権力者のようである。そういう人物は、そういう賢者を教祖とする組織宗教において、いくらでも見かけることができる。賢者がエゴを残す以上は、賢者は常に一番でいたいから。一方で聖者は、孤独なものだ。その独特の世界感である『すべてが見知らない』ということ。かといって寂寥には陥らないが、故郷を失った感はある、無何有郷。聖者が孤独でないと言う場合、何千年前、何百年前の聖者達や神仙のサポートがあることをほのめかす。これは、密教での大悟の伝承がしばしば数百年前のマスターから行われていることで知られる。鍾離権から呂洞賓などの例がある。...聖者の組成するグループ

  • マッソンが終わりの世に疫病をもたらす予言

    ◎午頭天王とはマッソン午頭天王を祀る神社仏閣が時々ある。これによく似たのが牛頭天王だが、これは素戔嗚尊(スサノオノミコト)のことで全く異なるもの。実は午頭天王はマツソンのこと。出口王仁三郎が、日本にマッソンが入った事始めは、吉備真備だと指摘している。西洋でマッソンと言えば、15世紀末のスペインを源流に欧州各地に広まったというのが世の定説だが、出口王仁三郎の俯瞰では、日本に入ったのは8世紀であって、マッソン的なものは大昔からあったものだと見ている。日本の古殿伝では、マッソンが終わりの世に疫病禍をもたらすと自ら宣言しており、その場合『自分は『我が在る』マッソン勢力を信奉している』旨のマントラを唱えれば疫病にかからないなどと言っている。このコロナ禍の時代に手が込んだ予言もあったものである。まず、牛頭天王と午頭天...マッソンが終わりの世に疫病をもたらす予言

  • 下実上平

    ◎体外に出る大悟覚醒の条件としては、上位三チャクラ主体に行くことであって、どうしても上の方に目が行きがちである。また体外に出ると言えば、モンローらが盛んに宣伝したおかげで、アストラル・トリップやメンタル体トリップの話題に関心が惹かれがちなのだが、そこは本丸ではないのも知られている。またクンダリーニ上昇と言えば、チャクラの話なのだが、本山博ですら、チャクラなどと言っているうちは大したことはないとしている(チャクラの覚醒と解脱/本山博/宗教心理出版P226-227)。古代ギリシア人ですら、垂直ジャンプでないアストラル・トリップをトビウオとして一段低く見ていた。以下は、本山博の体外離脱条件としての下実上平の話題。『下実上平ということ身体の外に出る時は、必ずその前に、いつもよく言うように、下実上平の状態になってい...下実上平

  • 洞山の大悟

    ◎洞山、大河を渡る時に自らの影を見て悟る唐代の禅僧にして曹洞宗の開祖である洞山は師雲巌と別れ、湖南省の潭州(長沙)に向かった。潭州に着いて大河を渡るとき、兄弟子神山が先に渡り、洞山は後から岸を離れた。まだ対岸に着かないうち、洞山は水の面に映った自分の姿を見た途端、あの公案(臨水觀影大省前事)の奥義を悟った。思わず顔色が明るくなり、呵々大笑した。(顔色変異呵呵底笑)洞山「兄弟子よ、あの雲巌先生の教えられた力がわかりました。(得个先師従容之力)」「それが本当なら、言葉に出してごらん。」洞山は詩を作って述べた。「外側を探すことは禁物だ。(切忌随他覓)はるかにわたしと遠くなってしまう。(超超与我疎)私は今ひとりで行くけれど、(我今独自往)到る所で彼に出合う。(処処得逢渠)彼は今まさに私だ(渠今正是我)。私は今決し...洞山の大悟

  • 肯定的アプローチと否定的アプローチ

    ◎「神秘に取り殺される」ことと空への直面神仏への肯定的アプローチとは、すべてのすべてを、実存、神、仏、絶対者、ニルヴァーナなどと呼ぶ方向。人はそう呼んだ瞬間に、頭の中で一円相のような境界のあるようなものを想像し、それでもって神仏をわかった気分になれるという弊害がある。またその生活に向かう態度はともすれば何でもありで享楽的に見える。七つの身体論はその典型である。マラソンレースのように、さも何かすべての人が共通のゴールを目指して進むのだという誤解を生みがちである。あるいは、ニルヴァーナを以てすべては終わってしまっていると思い込みがちである。神仏への肯定的アプローチは、わかりやすいが、神仏について限界、境界を作りやすい。とてもではないが、その体験とは言えない体験では「神秘に取り殺される」という始末になるなどとい...肯定的アプローチと否定的アプローチ

  • ラヒリ・マハサヤがババジを呼び出す

    ◎聖者は呼ぶとすぐに現れるラヒリ・マハサヤは、大聖ババジの弟子。ラヒリ・マハサヤは、ラヒリの過去世からの欲望を満たすために作られた豪奢な宮殿の中で、ババジからクリヤ・ヨーガを伝授された。その一週間後にラヒリは至福に至り、神を認識した。その後まもなく、ラヒリは、モラダバードで友人達に会い、悟後ということで高揚した気分でその体験を語るが、友人達は半信半疑。そこでラヒリは、勢いで、私が呼べばババジはやって来ると宣言した。『彼は窓のない静かな部屋に入り、呼ぶまで外で待つよう友人達に言った。ラヒリは瞑想してババジの出現を頼んだ。部屋は光に満ちて輝く姿のババジが現われた。ババジは些細なことで自分を呼んだとラヒリを厳しく叱責し、真理はくだらない好奇心を持った人間のためではなく、霊的な真理は懐疑を乗り越えた者に発見される...ラヒリ・マハサヤがババジを呼び出す

  • 聖徳太子と草薙御神剣

    ◎仏教受容時の古神道勢力との抗争草薙剣は、熱田神宮にあるのが本物(天叢雲剣)であって、宮中にあるのはイミテーション。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の十三人』で、源義経が壇ノ浦で安徳天皇奪還に失敗した際、三種の神器も海中に沈んだ。後に鎌倉殿は、海中を捜させ、鏡と勾玉は発見されたが、草薙剣のイミテーションはついに回収できなかった。この後伊勢神宮から献上された剣が正式なイミテーションとされた。聖徳太子に草薙剣について微妙な伝承がある。『其の八【草薙御神剣(くさなぎのみつるぎ】太子は、ある夜、夢をみました。それは、日本の古代の夢でした。日本の古代の神々があらわれ、太子の真意を尋ねます。「汝は、何が為に異国の教えをこの国に持ち込むのだ」太子は、答えます。「やまとの国ぶりを失わないためであります」すると、多くの神々は、それ...聖徳太子と草薙御神剣

  • きくち体操考

    ◎ハタ・ヨーガ以前の状況だがいろいろなトライもあるきくち体操は、中高年、どちらかと言えば老人向きの体操。最近YouTubeできくち体操の動画を集め、早速全体の三分の二くらいやってみた。同時に『日めくりきくち体操』というのも購入し、全体のメニューも確認し、YouTubeに上がっていないポーズも確認している。私は若い時から八段錦とか脚の屈伸とかスクワットなどは毎朝欠かさずやってきているのだが、60代になってどうも体操メニューが足りないという印象を持っていた。そこで中野ジェームズ修一氏の『体が硬い人のための柔軟講座』(ストレッチ系)を買ってきてNHKの番組を録画で確認したが、すべてのメニューの半分もできないことがわかり、追加で『ものすごく体が硬い人のための柔軟講座』を買ってここ2,3年やってきている。これは、最...きくち体操考

  • ビシュダ・チャクラ-メモ-2

    ◎なんともいえない恐ろしい体験本山博がビシュダ・チャクラを開顕するさいに、なんともいえない恐ろしい体験をしている。『ちょうど、晩秋の夕暮れ、太陽の沈んだ直後、まだ薄明りが残って、空が透明なスミレ色に明るいとき、人や物が動いているのに、一瞬の間、天地が静寂そのもので、死んだように静まりかえって感じられるときがありますが、ヴイシュダが目覚めるときの感じは、これによく似ています。狭いスミレ色の光がみなぎり、すべてが消えて寂滅を楽しむ感じがして、心は静けさそのものにつつまれます。仏教の偈に諸行無常、是生滅法生滅滅已寂滅為楽というのがあります。これは、一切の万象は、生じ滅するものであり、この生滅を滅し超越して、寂滅(無の状態)をもって楽しみとするという意味ですが、ヴィシュダが目覚めるときの心境は、まさにこの寂滅為楽...ビシュダ・チャクラ-メモ-2

  • 神の呼びかけをきく

    ◎聖音オームと谷神クンダリーニ・ヨーギ本山博が、見神・見性・見仏体験者と仏人合一体験者との違いを説明している。その中で、聖音オームを聞く話と、我と仏の間の薄皮一枚の差について述べている。『神の呼びかけをきくその時は、仏教の本に、まだ菩薩の段階にあるのとすでに仏陀になった状態との違いは、菩薩の段階では、向こうの仏陀の状態がみえるけれども、そこと自分との間に薄い透明な紗のようなベールがあって、向こうが見えるのにそこまで届かないような感じ、というような叙述がありますが、ちょうどそれと同じように、カラーナの次元では、真我が目覚めてくるのだけれども、真我そのものになっていない。つまりカラーナの次元をこえないと、カルマはこえられないのですが、そのカラーナは十分に動いてきて、透明な光が輝くようになった。すると、真我、つ...神の呼びかけをきく

  • 仏に逢ったら仏を殺せ、親に会ったら親を殺せ

    ◎釈迦といういたづら君の世に出でて多くの者を迷はするかな『仏に逢ったら仏を殺せ、親に会ったら親を殺せ』。これは、悪魔教ではなく、陰謀論でもなく、無差別テロでもなく、禅の大物マスター臨済の言葉である。この言葉は、一休が、『釈迦といういたづら君の世に出でて多くの者を迷はするかな』という歌を詠んでいるが、それと同じ見方から来ている。この臨済の元々の言葉(「臨済録」示衆)は、『内においても外においても出会ったものはすぐ殺せ。仏に逢うては、仏を殺し達磨に逢うては、達磨を殺し羅漢に逢うては、羅漢を殺し父母に逢うては、父母を殺し親類縁者に逢うては親眷を殺してこそ初めて解脱して自由自在となる』冥想修行者は、まずは第六身体アートマンとの合一を本来の自己(宇宙全体)の悟りを目指すと見れば、それ以外のあらゆるものは、釈迦だろう...仏に逢ったら仏を殺せ、親に会ったら親を殺せ

  • ビシュダ・チャクラ-メモ

    ◎上昇するウダーナ気と浄化機能ビシュダ・チャクラは、のどのチャクラ。チャクラは、肉体には検出されず、エーテル体、アストラル体、メンタル体にある。現代文明のテーマは、臍のマニピュラ・チャクラ段階から胸のアナハタ・チャクラ段階に進むことなので、ビシュダ・チャクラにはこれまであまり言及することはなかった。本山博のビシュダ・チャクラの説明のあらましは以下のようなものである。1.ビシュダ・チャクラの覚醒法は、いくつかのアーサナやマントラ。マントラの例として虚空蔵菩薩求聞持法を挙げているが、百万遍と言われるものであり、生半可なものではない。虚空蔵菩薩求聞持法に成功したのは空海、覚鑁、日蓮など。マントラの種類では、虚空蔵菩薩求聞持法のマントラとオームを挙げている。2.ウダーナ気は、のどより上と手足で働いている気だが、上...ビシュダ・チャクラ-メモ

  • カルマとの向き合い方とカルマを超える方向

    ◎行の実践によりカルマを速く消化人は、行住坐臥の一つ一つごとにカルマを消化するが、その際カルマの中に落ち込む方向か、カルマを超える方向かどちらかを向いている。前者のカルマの中に落ち込む方向には、2種類あって、カルマがよくわからない人と、カルマがわかっているがよいところだけとって悪いところは避けて通る現世利益的な信仰の人がいる。この2種の人は結局カルマの通りに落ちがちである。世の中に現世利益を唱える宗教は多く、スピリチュアルでも引き寄せを唱えるものも多い。表面的にはうまい話に見えるかもしれないが、どちらもカルマの通りに落ちがちである。後者のカルマを超える方向に進むためには、クンダリーニ・ヨーギ本山博は、毎日集中して坐る行を勧める。行の実践によりカルマ消化速度が一生で解消する速度の何十倍速にもなるというような...カルマとの向き合い方とカルマを超える方向

  • 生きていてもカルマ死んだ後もカルマ

    ◎richorpoor浅いカルマ、深いカルマクンダリーニ・ヨーギ本山博のカルマ論は、「生きていてもカルマ、死んだ後もカルマ」だからまずカルマを受け入れるところから冥想修行を始めなさいということで、目から鱗が落ちる思いがする。カルマと言えば、野菜を何円安く買えたとか、スマホを何円安く買えたとか、値段度外視で自分へのご褒美スウィーツを買ったとか、とかく損した得したでカルマを考える場合が多い。さらに結婚できたできない、離婚したしない、不倫したしない、就職できたできなかい、病気になったならないなど、もっとのっぴきならないものもカルマのうち。最近だと、自分があまりリッチでない家庭に生まれ、大学に奨学金で通うことになったけれど、大学卒業時点で〇百万円の借金を背負って社会人スタート。これでは恋愛も結婚も制限され、カルマ...生きていてもカルマ死んだ後もカルマ

  • 早朝冥想の高い効果

    ◎ダライ・ラマの心に集中する冥想ダライ・ラマは、冥想修行には四段階あるとする。曰く、1.最初は戒律を守って、心が次第に落ち着き、穏やかになって行く。これでがさつで気分が散乱するようなことがなくなっていく。2.心に深く集中する冥想。これを禅定とも呼ぶ。これは、次の智慧を確固とする冥想の前段として必要。3.智慧を確固とする冥想。4.最後は、死の瞬間における明澄な光からなる心を出現させる。2段階目の禅定の達成のための冥想時間としてダライ・ラマは、特に早朝、目覚めたばかりの時間帯の冥想がよいとする。『自分の心そのものに集中する瞑想の準備のために、善い功徳を積み重ねるということによって感情的な障碍を克服する必要があります。次の段階は、自分の心の本性がわかるようになることです。そのための最高の時間は早朝です。起床直後...早朝冥想の高い効果

  • ダライ・ラマ、中国共産党の未来をほのめかす

    ◎誰がどう見ても強盛大国と見える時期こそ危うさが見える2022年8月4日から7日にわたり、中国は台湾を包囲する大規模軍事訓練を行い、いつでも台湾に上陸、併呑する軍事能力があることを見せつけた。その中で8月4日中国の弾道弾が日本のEEZ(排他的経済水域)内に着弾し、中国は在北京日本大使を呼びつけて抗議したのに対し、日本外務省は、在日中国大使を呼び出さずに電話で中国大使に抗議したのは、腰抜けと批判されている。戦後中国は、中国国民の奴隷根性を払拭するのに一生懸命だったが、中国が強盛大国になるに至り、いつの間にか日本の方が腰抜け国家になっていたのだ。実質丸腰国家は、危ういものだ。今の時点で、中国は世界第二の経済大国であり、軍事的にも米国に追いつこうとしており、民生の工業製品生産国としては世界一となった。また中国は...ダライ・ラマ、中国共産党の未来をほのめかす

  • クリシュナムルティの始まりの時代から

    ◎世界宗教でも信者全員の悟りを求められる時代。最近は本屋でクリシュナムルティ本を見かけることも少なくなった。クリシュナムルティを囲む一団を神智学徒と呼ぶが、かの今東光の父親が、日本で最初期の神智学徒であったことは知らなかった。クリシュナムルティは、リードビーターなどによってインドで発見され、マイトレーヤ=ミロク菩薩の乗り物として自分の肉体を明け渡すということを予定されていた。つまりクリシュナムルティには彼固有の微細身がありながら、ミロク菩薩の微細身を同居させるという実験台にさせられようとした。一つの肉体に複数の霊(微細身)というのは、その後いろいろな話を読んできた中であり得るとは思っている。だが一つの肉体に複数の霊という形式で弥勒出生、弥勒再誕を現実化させようというのは、大胆ではあるがいささか強引に過ぎ、...クリシュナムルティの始まりの時代から

  • 病気のない身体とは

    ◎禅修行の方向性ロハス、ヘルシー志向だからこそ、ヨーガなどをやっていて、食べ物にも気をつける。中国唐代の禅僧趙州が弟子に質問された。弟子「病気のない身体とは、何ですか?」趙州「四大、五蘊という肉体を構成する元素だ。」※四大:地水火風※五蘊:色(物質)、受想行識(精神要素)肉体のいろいろな状態も、人間にとって様々な抑圧、プレッシャー、障害がある中のひとつで、ある程度の改善はした方がベターであることは間違いない。だがそのベストな状態は長くは続くものではないし、必ずいつかは終わる。よって、「健康とはどうだ」とぎりぎりのところを質問してきた場合は、趙州もこのように答えざるをえない。この木で鼻を括ったようなそっけない回答は、質問者が真剣に質問に来ていることの反作用でもある。病気のない身体とは

  • 切なる心、菩提心

    ◎日常性ではない何かを感じる菩提心は悟りに向かおうとする心。菩提心とは、般若心経の阿耨多羅三藐三菩提心の略。仏道修行の最初の出発点。だが、これは、寺や宗教教団に生まれ育ったからそもそもあるというものでもなく、寺や宗教教団に生まれ育っていないならばないというものでもない。アシュタンガやピラティスやホットやパワー、アイアンガー、陰、ヴィンヤサなどのハタ・ヨーガをやっている人で、静座・瞑想・リラックス・タイムがあるから菩提心があるというものでもない。浄土門で、なむあみだぶつ、日蓮宗系でなむみょうほうれんげきょうというマントラだけの人でも菩提心がある場合がある。釈迦ですら縁なき衆生は度し難しと、菩提心がない人には布教しがたいとする。天目の高峰原妙禅師は、求道の道は、最初から当人に「切なる心」がなければいけないと言...切なる心、菩提心

  • 無聞思聡の冥想の深まり

    ◎小悟何回、大悟何回無聞思聡は、最初に独翁和尚の下で「不是心、不是仏、不是仏」という公案で参禅した。その後、六人のグループでお互いに深めていった。次に淮西の教無能禅師から「無字」の公案をもらった。その後淮上の敬兄に「あなたは6、7年参禅しているようだが、どんな境地か。」と質問されて、無聞はしどろもどろになり、悟っていないことがバレた。無聞は、敬兄に「それでは、どうすればよいのでしょうか」と問うた。敬兄は、「端的な意を知ろうと思うなら、北斗を南に向かって看(み)よ」と教えてくれ去って行った。※南を向けば北斗星は見えない。が、北斗を南に向かって看(み)よ。以後35日間、無字の公案はやらずに、「端的な意を知ろうと思うなら、北斗を南に向かって看(み)よ」の公案に取り組んだ。その間、歩いて歩いていることを忘れ、坐っ...無聞思聡の冥想の深まり

  • 振魂の掌の左右について

    ◎右手を下に、左手を上に脚の組み方の左右もクンダリーニ・ヨーガと只管打坐では違う。また心理状態が坐相を決めるという側面もある振魂の掌の左右は、右が上か左が上か迷っていたが、左が上ということがわかった。これは神秘生理学だが、おろそかにはできない。植芝盛平の直弟子の菅沼守人のインタビュー。『菅沼あれは高名な画家の方が描いたのですが、スケッチではなく、想像して描いたもので、大先生が力を入れた時をイメージした、一種の象徴画だそうですね。お風呂で身体に触れた時も筋肉はかなり柔らかくて、稽古の前の柔軟運動でも大先生も門人と一緒に三十分位かけて丁寧に身体を伸ばしていましたね。とても八十過ぎの老人とは思えないほど身体が柔らかくて、俗に言う船漕ぎ運動、本来は“天之鳥船”と言うのですが、これなども大変柔軟な動きでした。――船...振魂の掌の左右について

  • 各種柔軟系運動と振魂

    ◎冷感グッズと顔汗今年は、6月下旬頃の10日ほどの最高気温35度以上の異常高温に続き、今まさに連日の異常高温期に入った。朝のウォーキング時間帯も早朝を選んでいるにもかかわらず外気温29度となり、頭と首に冷感グッズを巻いても顔汗が止まらないというあきれた猛暑になっている。何もしていなくともホット・ヨーガ。ヨーガには、涼しくなる呼吸法もあるが、そればかりやっているわけにもいかない。学生時代に冷房のないアパートに居て涼しくなる呼吸法を試してみたこともあるが、限度も波もあった。冥想修行者は、禅でもクンダリーニ・ヨーガでも観想法でもマントラでも準備として必ず柔軟体操を入れる。さらに全身の血行対策として経行や作務・家事も入ってくる。柔軟体操としてハタ・ヨーガを入れることがあるが、アクロバット・ヨーギを目指さないかぎり...各種柔軟系運動と振魂

  • 22段の生の側の道、死の側の道

    ◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-15ユダヤのセフィロト(生命の木)は10球から成り、それを結ぶ22の線はパス(小径)と呼ばれている。ただしこれは、一つの球から8本パスが出たり4本パスが出たりということがあり、22人図としての一本道の悟りへの道の説明にはならない。おそらくタロットの大アルカナを最初に作った人物は、セフィロトの22パスは意識せず、人が悟りへの道をたどる場合のモデルとして一気通貫のイメージで並べたのだと思う。〔loverstarot〕前半の1魔術師から10運命の輪までは、単に迷いの世界ということでなく顕教的な求道の道、すなわち生の世界から道を究めるということがイメージされている。9隠者一人は例外的に密教的だが、現代社会でも辺縁部にそうした人物は存在するものではある。生の側を窮めると死の...22段の生の側の道、死の側の道

  • 0 愚者(無番号)

    ◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-1421世界は第六身体であって、終着点の第七身体ニルヴァーナではない。そこで0愚者がニルヴァーナとなる。〔カモワン〕人間から見れば、21世界も0愚者も神仏に相違ないが、有である21世界と無である0愚者との関係性は、「真剣から無駄へ-世界の戯れ」カテゴリーで述べて来たとおりである。いわゆる神、仏、タオには2つの顔があり、有の側と無の側である。どちらが奥かと言えば、無の側である。有の側はアートマンであるのに対し、無の側はニルヴァーナである。古代インドなら、アートマン、ニルヴァーナだが、古神道では、有の側が天照大御神と素盞嗚神の事であり、無の側が、天御中主神。出口王仁三郎はニルヴァーナである天御中主神の特性を無形、無声。無限絶対、無始無終の宇宙の大元霊と評す。いわゆる大...0愚者(無番号)

  • 21 世界

    ◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-13既に12吊るされた男で見神、見仏を経て、13悪魔の誘惑も退け、16塔からは、善の側に不退転となった。生きる姿そのものが、善だけを行い悪を行わない姿(諸悪莫作衆善奉行)となった。〔カモワン〕17星では、悟りの確証の体験として星を得て、18月、19太陽で、太陽と月の合体により完全無欠の両性具有を達成した。20審判では、個なる自分は、世界全体、宇宙全体、すなわち神に向かって最後の一歩を踏み出すが、まだそこには届かない。21世界で届いたが、そこは七つの身体論で言えばアートマン。神には、有の側と無の側があって、有の側が七つの身体で言えばアートマン。第六身体とされるアートマンは既に人間の側のものではない。現象全体をまとめたすべて一つながりの一なるもの。アートマンとは本来の...21世界

  • 20 審判(永劫)

    悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-1220審判は、次の21世界なる神との一体化直前のステイタス。21世界は、七つの身体で言えば、第六身体であるアートマン。最後の審判は、現界で起こるわけではなく、霊界で起こる。世の中のあらゆる物事は、まず先に霊界で発生して、その後現界で起こる。※世の終わりの大筋は、何十年も前に霊界で起きており、ディテールの一部が決まっていないだけという見方はある。〔カモワン〕さて個なる自分と世界全体が合一することを想像すると、世界の側にはあらゆる他人が居て、生きている人は勿論死んだ人もいる。そこで、最後の審判ではあらゆる死んだ者も生き返り、チャンスを与えられるという話になる。〔LichodziejewskiTarot〕図柄の十字の旗は、過去も未来も現在も、現界も霊界も含む世界全体を示...20審判(永劫)

  • 19 太陽

    ◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-12月の次は太陽。この太陽は中心太陽のことでなく、月とペアで機能する太陽のこと。なぜなら絵柄において男女が契りを結んでいるからである。〔カモワン〕古事記で言えば、月とは素盞嗚(スサノオ)神の瑞霊で、太陽とは天照皇太神の厳霊。この世界を席巻する近代西欧文明は、アポロン型文明であって闇は駄目で光一辺倒の太陽偏重の文明であって、(母なき)父なる神を主と仰ぐキリスト教がバックボーンにあり、これまた太陽を偏重し、母なる月の扱いは低い。黒い聖母像などはまま子扱いである。これに対し、古神道は古事記において天の安の川原で、太陽たる天照大神と月たる素盞嗚尊が誓約し合い、その太陽と月の合体により完全無欠にして両性具有の伊都能売(いづのめ)神が生まれた。この点で古神道は、バランスの良さ...19太陽

  • 18 月

    ◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-11図柄では、天の露が降っているので、既に不退転の善の側に居て、大吉祥。〔カモワン〕月と言えば、自らの号を瑞月と称していた出口王仁三郎の説明が詳しい。出口王仁三郎は、教団本部内に破壊されることのないように石で”月宮殿”を建立したが、二度にわたって官憲により徹底的に破壊された。月宮殿とは、弥勒さまを祭る宮だが、みろくの世(地上天国)にならなければ、月宮殿もさびれる一方で、今はむじなやイタチが住み家にするほど寂しく荒れ放題。『人間の運命にも栄枯盛衰がある。潮にも満干がある。此宮さまは今は干潮時ぢや。それだからかう見窄らしく荒廃して居るのだ。之でも五六七の世に成れば、此お宮は金光燦然として闇を照し、高天原の霊国にある月宮殿の様になるのだが、何程結構な弥勒さまのお宮でも時...18月

  • 17 星

    ◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-10有名覚者の悟りシーンには、星が登場することがままある。〔カモワン〕釈迦は6年間の苦行を捨てて、ヨーグルト(乳糜)を食べて体力を回復し、菩提樹下でメディテーションに入った。そして、『明星が出た時、釈迦は廓然として大悟し、無上の正真道を得た。』(中国に伝わった最古の仏伝とされる修行本起経)とする。空海はあらゆる経法の文義を暗記する力を得るために、高知県室戸崎で虚空蔵菩薩求聞持法を修した。すると谷響を惜しまず、明星が来影した。ごうごうたる阿吽(オーム)の響きたる谷響のうちに、明星がやってきた。〔ByzantineTarot〕日蓮は十二歳で、安房小湊に近い天台宗清澄寺に入り、その年からこの寺の虚空蔵菩薩に願をかけ、「日本第一の智者となし給え」と祈っていたという。一六歳...17星

  • 16 塔(神の家)

    ◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-9この塔はクンダリーニの筒にして錬金術の炉。またこの神の家は世界樹であって、「12吊るされた男」で神を知った後の人間はここでも脚を上に頭を下にする。というのは、世界樹は、根を上にして、枝葉、樹冠を下にする。よって人間から見れば、世界樹なる世界全体は逆転して存在する。同時に二人の人物が塔から落下するのは、悟った人間の視点からは、実は上昇を示す。〔カモワン〕また16塔から19太陽の図柄では、空気中に天の露が降る。これは大吉兆を示す。既に12吊るされた男で、見神、見仏、見性を終え、15悪魔にも出会って無事試練を通過したからには、善の側に不退転となった。生きる姿そのものが、善だけを行い悪を行わない姿(諸悪莫作衆善奉行)となったのだ。家族の因縁などと言うが、こうなれば九族昇...16塔(神の家)

  • 15 悪魔

    ◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-8冥想修行で、意識が深まる、潜在意識が露出してくる、自分がオープンになってくる・・・・言い方は異なるが皆同じことを言っている。その時に、人は暗示や指示に無防備になっている。オープン・マインドは最終ステップでの必要条件だが、対応次第で、人は神にも悪魔にもなる。悪魔はいつ登場するのかと言えば、大悟覚醒の直前。イエスですら荒野の40日修行で、ファイナル・ステージ直前に「地上の国々の権威と栄華を与えよう」と悪魔の誘惑を受け、釈迦も「もうこの世を去ってもいいのですよ」とマーラ(悪魔)の誘惑を何回も受けた。不退転となる直前、九分九厘の時は、フィフティーフィフティなので、その時は神にもオープンであり、悪魔にもオープン。すべてを捧げようとする最後のステージではなぜか悪魔が登場する...15悪魔

  • 14 節制

    ◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-7見神、見仏、見性、見道した後は、聖胎長養。神仏の一瞥体験は、それまでの日常感覚と行住坐臥に一致して反映させるには、あまりにもショックが大きい。そこで節制となる。見性したとしても悪人になる可能性があることは、至道無難が指摘しているところ。聖胎長養は悟後の修行と言われるが、悟後の修行の必要性については、ケン・ウィルバーが次のように説明している。『至高体験がたいてい短時間しか持続しないのに対して--数分から数時間--高原体験はより不変的かつ持続的であり、永続する適応に隣接している。至高体験はたいてい自発的にやってくるので、それを持続させ、至高から高原に--短時間の変性状態から持続する特性に--変化させるためには長期にわたる実践が必要となる。ほとんど誰にでも、どんな時で...14節制

  • 13 死神(名無し)

    ◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-6男が吊るされるためには、男は死なねばならないと言っても、この死は肉体の死ではないから自殺ではない。自我の死、自己の死、個なる自分の死のことである。禅でよく言うところの大死一番の死である。〔カモワン〕逆にまた肉体が死んでも誰もが自我が死ぬわけではない。ごく一握りの人しか肉体死に際して自我は死なない。臨終正念と言って、肉体の死に際して自我が死に悟りが開けるケースが多いと言っても、全体からすれば微々たるものだろう。絵柄では、骸骨が大鎌を持って手を刈り足を刈り首を刈っている。これはまさに肉体に随伴する自我を根こそぎにしてしまうということ。肉体死は、それまでの金も財産も人間関係も、地位も名声も、一瞬にしてわやにしてしまうが、実は自我の死も同様の実感を伴うものであって、さら...13死神(名無し)

  • 悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-5

    ◎12吊された男12吊された男は、個人と世界が逆転して世界が主で個人が従、換言すれば、世界樹で言えば、根が世界で枝葉が個人。世界が逆転して見えるのは、個なる自分が世界全体、宇宙全体となった時だが、上下逆転と語るのは、逆立ちしていなかった時分の認識が残っているからであって、世界観が倒立した驚きが残っている時点とみる。〔カモワン〕世界観の逆転には、一時的な場合と半永久な場合があって、半永久の方は「20世界」があるので、ここは見神、見仏の方なのだろうと思う。見仏した人間を菩薩と言い、菩薩には52ランクが設けられており、あの空海ですら52ランク中の上から10番目、下から43番目の発光ランクとされる。見仏して、仏を知ったとしてもまだまだ上がある。同様に世界が倒立して見えたとしてもまだまだ求むべき目標は先なのだ。世界...悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-5

  • 悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-4

    ◎11力11番から20番が死の側の10枚。これもホドロフスキー流で、2枚ずつ眺めていく。すなわち、11と20は独立だが、12-13、14-15、16-17、18-19がペア。11力これは、聖音オーム。潜在意識の世界、死の世界の現在、過去、未来のすべてを貫くもの。それが、神に至る流れであり、奔流であり、力である。神は、“20世界”たるアートマン。ヨーガ・スートラでは、『至高の存在の表現が、聖音オームである』とし、『オームを繰り返し、その意味への念想がなされなければならない』、更に『この実践により内なる自己を知り、障害はなくなる』とする。これが基本。オームの意味を念想するとあるが、特定の意味が最初に与えられるわけではないので、自分がオームそのものにならない限りはその意味は与えられることはないだろう。マンドゥー...悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-4

  • 悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-3

    ◎生の側の10枚さらにホドロフスキーは、大アルカナ前半10枚では、その動作が上方に向いている一方、10枚はその動作が下方に向いていることに気がついている。具体的には、前半10枚では、「大道芸人」(I)と「女帝」(III)は棒を、「皇帝」(IIII)、「教皇」(V)、「戦車」(VII)の王子は笏を持ち上げている、など。また後半10枚では、「力」(XI)の女性は股間に頭を押しつける動物の口を抑えつけている。「吊られた男」(XII)は下方に頭を向けたままで吊るされている。「節制」(XIIII)の天使は液体あるいは流体を上の壺から下の壷へと注いでいる、など。この並びについて、ホドロフスキーは2枚ずつ眺めていくという炯眼を披露している。1と10は独立だが、2-3、4-5、6-7、8-9がペア。まずは、前半10枚につ...悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-3

  • 悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-2

    ◎前半が生の世界で後半が死の世界タロットのアルカナを秘儀と訳している場合がある。大アルカナとは大秘儀であって、普通の人間が神になるプロセスと技法を示しているからには、まさに大秘儀である。大秘儀とは密教的であるからして、その寓意の読み方は、一語につき3種類はあるもので二語並べば9種類になるとは、呂洞賓の示唆するところである。大アルカナ22枚が悟りへの22段のパスであるとして、それの鍵を誰に問うかといえば、ホドロフスキーだろう。一つの技に打ち込めば、やがて神に至る。それは、剣道、柔道、合気道、古武道、茶道、舞踊、ダンス、音楽など武道、芸道をはじめとして、仕事を一心に精密にやり続ける事上磨錬においてすら神が開顕されることがある。ホドロフスキーは、まさにタロットを肌身離さず触り、タロットの一枚一枚を愛で冥想し、何...悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-2

  • 悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-1

    ◎愚者と世界タロット・カードは、西洋の悟りへの22段のパスであって、いわば禅の十牛図のようなものである。さて、今日の運勢占いとして大アルカナ22種のうち1枚を引く人もいるだろうと思う。最近のタロットの絵柄はこなれてきて、伝統的なタロットのタロットである所以の特徴をも壊してしまった破格の図柄のものも多数出てくるようになった。その一方で、カモワン・タロットを丁寧に復刻したホドロフスキーのような伝統重視のタロットもある。禅の十牛図は、十が確定ではなく、四牛図もあれば、六牛図もある。チベット密教には十五段の牧象図もあるからタロットが二十二人図であっても一向に構うまい。悟りとは、第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナのこと。物事の順序には、迷い(マーヤ)を一番に置くタイプと、悟り(ニルヴァーナ)を一番に置く逆順の...悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-1

  • 我と神の真の合体

    ◎OSHOバグワンの逍遥訣解説-8逍遥訣の呂洞賓の解説の続き。『この二つの実体が出会うと、それらは固く結ばれて離れなくなり、尽きることのない生命が発現する。それはおのずと根元の気(エネルギー)の宮のなかを去来し、浮き沈みをくり返す。人は光輝く無限なるものを目のあたりにする。全身が軽やかになり、今にも飛びそうになる。「雲が千の山々にかかる」と呼ばれる状態である。それはあちこちを軽やかに去来し、覚知しえぬほど静かに浮沈する。脈拍は穏やかになり、呼吸は止まる。これが真の創造的な交合の瞬間であり、「月が無数の水面を吸引する」と呼ばれる状態である。この暗黒の只なかに、突然、天上のこころが動きはじめる。これが一陽来復であり、新しい生命が兆すときである。』(黄金の華の秘密/和尚/メルクマールP413から引用)この二つの...我と神の真の合体

  • 両目で内なる坎宮を照らす

    ◎OSHOバグワンの逍遥訣解説-7逍遥訣の呂洞賓の解説の続き。『光を巡らすとは一般的な用語である。修行が進むごとに、黄金の華はよりいっそう大きく開いてゆく。だが、それよりもまだすばらしい循環がある。これまで我々は内側にあるものに外側から働きかけてきたが、今や中心にとどまって永遠なるものを支配する。これまでは師を助けるための奉仕だったが、今や師の指令を広めるのである。こうして関係はすっかり逆転する。この技法によってさらに精妙な領域に入って行きたければ、まず身心を完全に統御し、完全に自由で安らかな状態に入り、いっさいのしがらみを放下し、どんな些細なことにも心をとめず、天上のこころを正しく中心に置くよう心がけなければならない。巡る光が内なるものを照らしだすと、ものに左右されなくなり、暗いエネルギーの動きは封じら...両目で内なる坎宮を照らす

  • 回光修行の四ステップ

    ◎OSHOバグワンの逍遥訣解説-6OSHOバグワンのコメントを要約すると、1、回光の修行で、六月の雪と三更の日輪は初歩の境地。ここは修行者が正しい師を見つけるのに役立つ。ここまで行っていないと師に出会っても気がつかず、取り逃がすことになる。2、またこの二段階は、外から内への働きけ。3、次の二段階である水中のそよ風と受容の精神はより高い境地であって、逆に内から外への働きかけ。ここでは既に師に出会って、師の指導に絶対服従で修行する。師を通して天は道を明らかにしてくれる。4、最初の下位二関門では強い自分の意志が必要だが、次の上位二関門では、進んで自分を明け渡すことが求められる。5、強い自分の意志は男であり、明け渡すことは女。第四関門を超えたところで男女の別を超え、あなたはそこにはいなくなり、ニルヴァーナ。これを...回光修行の四ステップ

  • まともな宗教と金と権力

    ◎今後のハチハチ国の将来まともな宗教には、組織宗教と小グループ宗教がある。まともな組織宗教とは、仏教、キリスト教などであって、昔の教祖がちゃんとしていて、現代に至るもその大悟覚醒・ニルヴァーナを連綿として教団内の誰かが継承し得ているもの。一方まともな小グループ宗教とは、生きるニルヴァーナを体現した師匠がいて、その周辺に少数の弟子たちが集まるグループ。出口王仁三郎は、国家神道による軍国主義推進のアンチ・テーゼとして大本教を拡大。大本教は2度の国家による弾圧を受け、戦後大きく弱体化した。一方世界戦争を国家として遂行するためには、思想宗教の引き締めというのは必要なものであって、弾圧されなかった宗教はほとんどすべて戦争協力させられている。出口王仁三郎は、今後日本が再度軍国主義国家となり、世界制覇構想を持ち得るほど...まともな宗教と金と権力

  • 最終目標は水中の金

    ◎両眼と北斗七星の柄の部分以上の逍遥訣本文の後に、呂洞賓自身の若干の解説がついている。逍遥訣の直後に、『大道の要は、「無為而為」(無為にして為す)の四字に外ならず。』とあり、この部分については、“無為にして為す”https://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/9f67e5297ea871def5f8fa85288653b6のブログで既に述べている。続く以下の訓読部分についてOSHOバグワンは訳出していないので、ここは本山博の訳を見てみる。まず訓読。『作用は一なる中に外ならず。而して枢機は全く二目に在り。二目とは斗柄なり。造化を幹旋し、陰陽を転運す。其の大薬は則ち、始終、一水の中の金なり。即ち、水郷の鉛のみ。』(黄金の華の秘密/C.G.ユング人文書院P216から引用)本山博の現代語...最終目標は水中の金

  • 国家意識のない宗教の跋扈

    ◎安倍晋三元首相暗殺事件私たちの世代は、青春期に北朝鮮による日本人拉致のターゲットとなり、オウム真理教や今話題の某教団の布教の対象となってきた。入信の未遂既遂を含めて、本人が青春時代やそれ以後に大きな影響を与えられ、家族や周辺の方に迷惑を蒙った方もおられると思う。このブログでは、マインド・コントロール研究に一カテゴリーを充てているが、最初は共産主義やカルト宗教専用の心理操作技術かと思っていたが、政治経済から日常の買い物シーンまでマインド・コントロールされていることを知り愕然としたものだ。ただ共産主義やカルト宗教では、尖鋭かつ強力なマインド・コントロールが行われ、生活全般、結婚、転居、葬儀まで制限されるものである。安倍晋三元首相暗殺事件は、某教団が金と票をセットで自民党に長年提供し続けた結果起こった事件とい...国家意識のない宗教の跋扈

  • どこにもない国=今ここ

    ◎OSHOバグワンの逍遥訣解説-4さて第四ステップまで到達したらようやく奥の奥の奥のそのまた奥が明かされる。『そして、さらに深い秘法のなかの秘法がある―――どこにもない国こそ、真のわが家である。』(黄金の華の秘密/和尚/メルクマールP435から引用)』OSHOバグワンの解説は、『さあ、ここではじめてあなたは自分が存在していないことに気づく。だが、自分が存在しないといっても、それはたんなる空虚な状態を意味するものではない。あなたのなかの人格は姿を消すが、臨在が現れてくる。内側にあった<存在>からの分離感は消え失せるが、全体があなたのなかに宿るようになる。あなたはもはや孤島ではない。今や自分がどこにいるかをつきとめるすべはない。それゆえに・・・・どこにもない国こそ、真のわが家である。もう自分がどこにいるのか、...どこにもない国=今ここ

  • 天上をさすらいながら坤徳を食らう

    ◎OSHOバグワンの逍遥訣解説-3神を見た後は、『天上をさすらいながら、受容の精神の力を食べる。』が第四ステップ。OSHOバグワンの説明では、『第四の現象はこれだ――神の臨在に気づきはじめると、あなたの二元性、あなたの根本的な極性は消えはじめる。そうなったら、あなたは男でもないし女でもない、〈陽〉でもないし〈陰〉でもない。すると突然、あなたの男が女を食べ、あなたの女が男を食べる。この地点で、ヒンドゥー教のアルダーナリシュバル(両性具有)という概念が重要な意味をもってくる。そうなったら、あなたは両方であると同時にいずれでもない。あなたは肯定と否定の二元性を超越している。』(黄金の華の秘密/和尚/めるくまーるP431から引用)ここは坤徳を食らうと書いてあるだけだが、経験者OSHOバグワンは、見神が起これば、次...天上をさすらいながら坤徳を食らう

  • 安倍元首相銃撃で死亡

    ◎ダンテス・ダイジ遺訓(冥想修行者は)政治にはかかわるな。安倍元首相銃撃で死亡

  • OSHOバグワンの逍遥訣解説-2

    ◎三更(午前零時)に、日輪がまばゆい光を放つ『三更(午前零時)に、日輪がまばゆい光を放つ。』は、修行者にとっての第二のステップ。OSHOバグワンの説明は、第一ステップで中庸に居ることに集中していると、肉体と心を同時に見ることができるようになり、それを見ている自分に気づく。見ている自分とは魂のこと。見ている自分で見守ることに専念していると、突然真夜中に太陽が上がり光輝くように、内も外も光で満たされ、全存在が燃え上がる。『水中にそよ風が吹く。』は、修行者にとっての第三のステップ。OSHOバグワンの説明では、水は究極の源で、タオそのものであって、流れ変化し続けるもの。修行者が、いつでも絶え間なく変化し続ける用意ができると、ここで修行者は、神に気がつく。『そよ風』が神である。曰く、神はひっそりとやってくる。いつで...OSHOバグワンの逍遥訣解説-2

  • OSHOバグワンの逍遥訣解説-1

    ◎六月に、突然、白い雪が舞う呂洞賓の太乙金華宗旨の中核は逍遥訣。それに引き続き、呂洞賓が内丹(中国錬金術)用語でその解説をしている。OSHOバグワンは、内丹用語に詳しくない人物の英訳で太乙金華宗旨を読んでいるようなのだが、それでもなお、その解説部分が非常に参考になると思われるので、コメントしてみる。『呂祖師は言った。四つの詩句は、気(エネルギー)の空間に精神を結晶させる。六月に、突然、白い雪が舞う。三更(午前零時)に、日輪がまばゆい光を放つ。水中にそよ風が吹く。天上をさすらいながら、受容の精神の力を食べる。そして、さらに深い秘法のなかの秘法がある―――どこにもない国こそ、真のわが家である。これらの詩句は神秘に満ちている。それが意味するのは、深遠なるタオにおいて最も重要なのは「無為の為」という語句である、と...OSHOバグワンの逍遥訣解説-1

  • 無為にして為す

    ◎呂洞賓の太乙金華宗旨中国のスピリチュアリストの大立者の一人と言えば、呂洞賓。日本のスピリチュアリストでもそうだが、世間では意外に名の知られていないスピリチュアリストが、玄人であるスピリチュアリストからは高く評価されているということはある。日本では役行者、聖徳太子、大燈国師、出口王仁三郎など、他宗派から高評価されている人にそうした例を見ることができる。チベット密教なら開祖パドマサンバヴァ。多くの場合、彼らが何をやったのか事績があまり明らかになっていないことが特徴と言えば特徴だろう。そうした一人が呂洞賓。科挙を二回受けて合格できなかった。そういうところでまず共感を呼ぶのだが、他の知られているエピソードも黄粱の夢はともかく子供だまし風のが多い。ところが著作太乙金華宗旨に至っては、玄妙にして蘊奥を尽くしており、...無為にして為す

  • 第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの間のサマーディ-3

    ◎夢の中で意識的になって、はじめて現実を知ることができる第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの間のサマーディについて、このように図式化すると、これを正統的な理論として、あるいは体系として実践訓練しようとする人が出てくるのだが、OSHOバグワンはそれを戒める。『夢の世界全体を知るつもりなら、ヨーガやタントラやその他の秘教的訓練が導入されなければならない。どのタイプの夢にもそれと対応する現実があり、マーヤー全体が明らかにされないなら、幻想の世界全体が明らかにされないなら、現実を知ることは不可能だ。現実は、幻想を通じてしか明らかにされない。だが私の語ってきたことをひとつの理論として、ひとつの体系として受け取ってはならない。ただそれを出発点にして、意識的な心で夢見ることを始めなさい。夢のなかで意識的になっては...第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの間のサマーディ-3

  • 第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの間のサマーディ-2

    ◎万象の種子がある世界からそれすらもない世界へ「玉ようかん」は、風船に詰められたピンポン球サイズの和菓子で、爪楊枝で風船をつつくと風船が割れて中の羊羹が食べられるようになる。第六身体アートマンは、爪楊枝よろしく中心太陽に突入するが、その羊羹たる第七身体ニルヴァーナの属性を前段に引き続いてOSHOバグワンが述べる。『だから第六身体において実体性(ポジティブ)が消え失せたら、あなたは第七身体に入ってゆく。第六の現実が第七の扉だ。実体性が存在しなければ―――どんな神話もどんな夢もなければ―――夢はやむ。そのときには、ただあるものが、真如がある。いまやなにも実在しないが、実在がある。ものごとはないが、源がある。木は存在しないが、種子はある。知るに至った者たちは、このような心を種子のあるサマーディ―――サマーディ・...第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの間のサマーディ-2

  • 第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの間のサマーディ-1

    ◎あらゆるものが始原の源に帰還第六身体と第七身体との間にサマーディがあると唱えるのは、OSHOバグワン。該当箇所は以下。『第六身体においては、鏡は存在しない。いまや宇宙的なものだけがある。あなたは失われてしまった。あなたはもういない。夢見る人は存在しない。だが夢見る人なしで、夢はなお存在しうる。そして夢見る人なしで夢が存在するとき、それは真正な現実のように見える。心は存在せず、考える人は存在しないため、なんであれ知られるものはすべて知られる。それはあなたの知識になる。創造の神話がおとずれ、それは漂い過ぎてゆく。あなたは存在せず、ものごとはただ流れ過ぎてゆく。判断する者はなく、夢見る者はいない。だが存在しない心が、いまだにある。滅せられた心がまだ存在する。個としてではなく宇宙的全体として――。あなたは存在し...第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの間のサマーディ-1

  • 道教の慧命経の元真と一片の光輝-2

    ◎虚空粉砕図第八面壁図第七のアートマンなる元真は、クライマックスに進む。粉砕図第八の韻文と現代語訳。『生ぜず、滅せず去ること無く、来ること無し一片の光輝、法界を周り雙(ならび)に忘れて、寂たり浄たり、最も霊(くしび)にして虚なり虚空は天心の耀きに朗(あきら)けく徹り海水は澄みて、清き潭に月溶く、雲、碧空に散じ、山色、浄らなり慧は禅定に帰して、月輪、孤たり。生れることもなく、滅びゆくこともない。過ぎ去ることもなく、これから来ることもない。一つの光の輝きが精神の世界をつつむ。人は互いに忘れる、静かに、そして純粋に。力強く、そして虚しく。空は天上の心の輝きに照らし出され、海の水はなめらかに、その面に月を映す。雲は青空へ消え、山々は明るく輝く。意識は観照の中に溶け去り、月輪はひとり安らっている。』(黄金の華の秘密...道教の慧命経の元真と一片の光輝-2

  • 道教の慧命経の元真と一片の光輝-1

    ◎面壁図第七慧命経は、道教版のクンダリーニ上昇テキスト。慧命経では、元真が第六身体アートマンで、一片の光輝が第七身体ニルヴァーナ。挿絵は、全部で8枚であって、しっかり肉体から泥丸(ブラフマランドラ)経由で脱身する様が描かれている。面壁図第七は、修行者が坐っているが、個別の人間のことではない。面壁図第七の韻文と現代語訳。『神火、形と化して、空なる色相あり性光、返照して、元真に復す心印、空に懸りて、月影、浄(きよ)し筏舟、岸に到りて、日光、融(とお)る精神の火によってつくられた形態は、空虚な色と形にすぎない。本性の光は、根源的なるもの、真実なるものへと還帰しつつ輝く。心の刻印は空間にただよい、曇りなく月光は輝く。生命の小舟は岸に到着し、太陽の光は明るく照りわたる。』(黄金の華の秘密/C.G.ユング/人文書院P...道教の慧命経の元真と一片の光輝-1

  • 古代インドのアートマン、ブラフマン-2

    ◎創造されたことのないブラフマンインドラの師匠プラジャー・パティ(創造主)は次のように語る。『この肉身は死すべきものであり、死に捉えられている。しかし、それはこの不死で肉身のないアートマンの住処である。肉身を具えた者は実に好悪の二者によって捉えられている。肉身を具えている以上、好悪の二者を絶滅することは不可能である。しかし肉身のない者には、好悪の二者も触れることはない。〔二〕風は肉身のない者である。雲、稲妻、雷鳴など、これらの者も肉身を持たない。あたかもこれらの者があの虚空から上昇して、最高の光明に到達し、それぞれの形で出現するように、〔三〕まさにそのとおりに、完全な心の平静はこの肉身から上昇して、最高の光明に達し、自己の姿で出現する。彼は最高のプルシャで、彼はそこで食べ、遊び、女ども、車駕の類あるいは親...古代インドのアートマン、ブラフマン-2

  • 古代インドのアートマン、ブラフマン

    ◎不死であり無畏であるブラフマンアートマンとブラフマンの関係について、チャンドーグヤ・ウパニシャッドでは、次のように書かれている。(ブラフマは中心太陽)『「この肉身から外に出て、最高の光明に合一したのち、自己の姿で出現する、かの完全な心の平静、それがアートマンである。」と彼は言った。「これは不死であり無畏である。それはブラフマンである。」と。』(世界古典文学全集/ヴェーダ・アヴェスター/筑摩書房のチャンドーグヤ・ウパニシャッドP225から引用)つまり二者の関係について明確には書かれていないのだ。さて、創造主プラジャー・パティが「アートマンを見出して認識する者は一切の世界を得て、すべての欲望を満足させる」と唱えたのを聞いて、神々代表としてインドラが、悪魔代表としてヴィローチャナが、アートマンを認識するべく、...古代インドのアートマン、ブラフマン

  • セフィロトの二つの相

    ◎変化と不変第六身体の表象であるセフィロトには、二つの相がある。一つは変化や変容が起こる相であり、もう一つは永久不壊、不変の相である。この二つは相い矛盾する性質であり、そうだろうと察してはいたが、なかなかこの二つを並列する記述には出会えなかった。(参照:カバラー/チャ-ルス・ポンセ/創樹社P88)OSHOバグワンの第六身体の説明でも、創造と破壊が起こるなどと変化の相は語るが、宇宙全体、世界全体の永遠不壊、イデアの不滅の相の側はあまり同時には語っていない。「創造と破壊そのすべてがあなただ」などという言い方である。これも神人合一の一つのアスペクト。さてセフィロトには、十球バージョンと十一球バージョンがある。もっとも古いセフィロトの一つ1516年バイルス・リキウスの「光の門」のそれは、十球バージョン。いつの頃か...セフィロトの二つの相

  • ユダヤ教、エンソフとセフィロト

    ◎本質でも、永遠でも、時間でもないユダヤ教では、エンソフが無の側で、セフィロト(十球=生命の木)が有の側。エンソフは言葉では定義できないが、その流出がセフィロトだなどと煙に巻くような表現をとっている場合が多い。まずエンソフの、理解を隔絶している様は次のようなものである。『「あらゆる事物の原因は、たましいでもないし、知性でもない。それは、想像力、意見、理性、知恵でもないし、言葉で語られたもの、思考されたものでもない。数でも、秩序でも、大きさでも、小ささでも、同等でも、不等でもない。それは立ってもいないし、動いてもいないし、休んでもいない。本質でも、永遠でも、時間でもない。知的接触さえ無縁である。科学でも、真理でもない。尊厳でも、英知でもない。唯一でも、統一でも、神性でも、善でも、私たちに分かっているような精...ユダヤ教、エンソフとセフィロト

  • アートマンから中心太陽(ブラフマン)へ

    ◎第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの関係性-5第七身体について、『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』の散文で『私は終わって、ありとあらゆる戯れそれ自身だ。』(「ニルヴァーナのプロセスとテクニック/ダンテス・ダイジ」P73から引用)と述べているが、これは、ダンテス・ダイジのオリジナルではなく、ユクテスワの見方でもある。『このようにして聖霊と一体になった人は、ついに不生不滅の永遠の父そのものと一つになって、サティヤ・ローカにはいる。そこで彼は、すべての創造物が、本質的には、自分の“属性”をもって映し出した単なる観念の遊戯にすぎず、また、宇宙には自分以外に何物も存在しないことを悟る。この一体化の状態をカイヴァリヤ(唯我独存)という。』(聖なる科学/ユクテスワ/森北出版P70から引用)※サティヤ・ローカ...アートマンから中心太陽(ブラフマン)へ

  • クンダリニーとは、ニルヴァーナがマーヤーを仮現せしめるための一直線の光り輝くエネルギー

    ◎第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの関係性-4ダンテス・ダイジは、頭頂から離脱し、一直線に金色の光線となって、第六身体を通過して、第七身体である中心太陽に突入する。そしてありとあらゆるものそれ自身となる。『私は、すべてを見た。それは、私の最初にして最後の個別性であった。さて、私であるところの一つながりの光線は、第七番目の究極の中心光明へと連なっていた。私は、その第七番目、つまり中心太陽の只中に突入した。何と表現したらよいのだろうか?私は終って・・・・・私はもともとなく、ありとあらゆる戯れそれ自身だ。・・・・・これは、詩的表現ではない!私は、ありとあらゆるものそれ自身だ。ニルヴァーナと、一本の鼻毛とは同じそれ自身だ。あいうえおは、ニルヴァーナだ。ニルヴァーナは、オナラ・ブーだ。スモッグは、ニルヴァー...クンダリニーとは、ニルヴァーナがマーヤーを仮現せしめるための一直線の光り輝くエネルギー

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