感性の麻雀
ラスを引いた次の半荘。「よし、次から本気だす!」「よし!今度は気合いをいれたりトップとる!」そんな風に思う。けれど、気合い云々で結果がかわるほど麻雀は、かんたんじゃあないし、 気合いを入れればトップがとれるならいつも気合いいれてろ!ってはなしだし。激情に思惟を預けず、フラットな状態でどれだけ「質の高い」「自身も納得できる打牌を重ねるか?」がとても大切だ。自分は、理詰めの麻雀は好きではない。 「感じているものを大切に」麻雀の入り口でもそう教わった。これは、何も麻雀に限ったことではない。言語化できない情念なんてものは、いくらでもある。それを形にして、事象として誰かに伝えようとしたとき、強い意味が生まれると自分はおもう。 オカルトだと、揶揄される言語化できない「牌から感じるもの」それを、誰かに伝えようとするならば、そうでない理詰めの麻雀をしっかり学ばなければならない。この20年は、そういう意..
2021/03/27 13:51