胃がんで亡くなった父がお盆の夢に出てきて「抗がん剤を止めて良かった。多くの人に知らせてくれ!」
昨年亡くなった父が、8/15のお盆に夢に出て来ましてこう言いました。 「抗がん剤治療を止めて本当に良かったよ。面倒見てくれてありがとう。この事を多くの人に知らせてくれ!まだ知らなくて苦しんでいる人がいる。このままじゃ多くの人が病院に殺されるよ!」と。 父の最期の遺言だと思い、ブログに父との最後の日々を書き連ねていこうと思います。よろしくどうぞ。
※当ブログはリンクフリーです。 多くの方への拡散OK! 胃がんで末期がんの宣告を受けたのに、それもクラス5だったのに、 ましてや「余命3カ月!」と宣告しているのにも関わらず、それでも 病院で
抗がん剤治療を始めた父に贈ったのが、中村先生の本でした。 父は、この方「中村仁一」先生の本を、 息子が送ってくれた本だからと、抗がん剤による痛みの中、 抗がん剤治療中の病院のベッドの上で読んでく
父は抗がん剤治療を止めてから、本当に幸せな日々を過ごしておりました。 それは、あらゆるお世話をして下さった「岡部医院」のスタッフの皆さんの お陰です。そしてまた、勤務医というお医者さんという立場であり
父親の末期がん発覚~余命宣告~抗がん剤治療~在宅医療と、 次第にリアリティーを持って、死に直面していく姿を見て強烈に思った事は、 人間は「死への準備が、全く整っていない。」ということでした。 死
父は「抗がん剤治療を止めて」退院し、在宅医療に切り替えてから、 毎日の晩酌は欠かさないし(笑)、温泉旅行も行っちゃうし、 趣味である競輪の場外車券場まで行って一日中楽しむなど、 どこから見ても誰が見ても
人間とは、本当に難しい生き物ですよね・・・ 父の介護を通して、そう感じました・・・当然自分も含めて・・・。 やはり、親子とは言え、数十年ぶりに一緒に住むというのは、 習慣が全く違っていますので
年とった両親を我が家に連れて来て、約3週間。 父が末期がんの宣告を受け、その父と難病指定パーキンソンの母を 青森から、仙台に連れて来てから、いろいろと起こり始めました。 最初は、両親も環境が大きく変
毎日、岡部医院さんの看護師さん、先生が訪れて下さり、 細かな父の変わりゆく状態に合わせて、スレロイド注射や飲み薬の分量を 決めて下さっておりました。本当にお任せしていて安心でした。 訪問医の先生の
父は嘘の様に元気になり、毎日晩酌でニコニコです。 そして、「あ~~、抗がん剤止めて、本当に良かった・・・」って 何度も何度もつぶやいておりました。 そりゃそうですよね。 病院に入院していた時はもう半
父は、抗がん剤治療を途中で止めて、自宅療養は始めると、 メキメキ体重は増え、顔色も良くなり、食欲も出てきました。 仙台観光案内まで、見ていて、この観光地はどんなところ? 等と、聞いて来る程にまで元気
抗がん剤を止めて、 在宅治療に切り替えてからというものは、 もう奇跡の連続でした! 本当に、驚きの連続でした! 感動の連続でした!! 離乳食の様な、水っぽいものしか受け付けなかった父が、 固形物ま
日記の順番が前後してしまって、申し訳ございません。 前回の記事への反響が大きかったので、もう少しだけ補足します。 次回からは、また順序立てて日記を書いて行きますのでご勘弁を。 さて、前回書かせて頂い
末期がんの告知を受けショックを受けていた父・・・ 抗がん剤治療にのたうち回る位苦しんでいた父・・・ 抗がん剤治療を止めてから笑顔を取り戻した父・・・ 短期間の内に刻々と変わる父の心の変化を観ながら
往診に来て下さった先生が言いました。 「今日から、約6日間注射を打ちます。 抗がん剤はもう使わずに、少しだけ手助けするという形で、 ステロイド注射です。胃がんで固くなった胃を柔らかく出来ます。
仙台に無事、両親を連れて来た次の日、 3月6日午後1時、初めての往診がスタートしました。 ケアマネージャーさんとの打ち合わせ通りに、 わざわざ自宅まで先生が来て下さいました。 家族にとって、先生が自
無事に両親を乗せて、仙台の我が家に到着しました。 私も超~~~安全運転で、車が揺れない様に約4時間! でも父は到着した途端に、布団になだれ込みました。 流石に疲れ切った様子です。 そりゃそうですよね
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