数々のボツになったプロットや企画。それらを時間ができた時に小説風にしてあげていきます。
これまで出したり出さなかったりしてシナリオ化できなかったプロットを「読み物」化しています
最初から読む─その十六 より びっくりしたよ、あの時は。お母さまなんて上品の言葉で呼ばれたことないからね。「花枝ちゃんかい」「はい。やっぱりお母さまですのね」 もう五十五、六歳だったろうね、花枝も。高等学校の校長夫人だから、品もいいよ。これが二才の時に捨
最初から読む─その十五 へ 死んだ人は、一等兵だって大将だって同じにしてやればいいのにねえ。敗けた戦争なんだから。空襲で死んだ人達はもっとかあいそうだよ。一銭ももらえない上に、靖国神社にだって祭ってもらえないんだよ。戦争で死んだことにかわらないのにね、不
最初から読む─その十四 お父つあんがトラックにはねられて死んだのは、その翌々年の六月十一日。二郎の命日と同じなんだからねえ。あたしゃ棺桶に入ったお父つあんの顔を、いつまでも、いつまでもふいてやったよ。葬儀屋さんがふたをするのに困ってたってね。 お父つあん
最初から読む─その十三 古田さんの奥様からもらったゆびわもお召しも帯もみんな灰になっちゃったよ。 あっ、もうやめよう、戦争の話は。話していて、楽しくないものね。どんなに苦労した話でも、若い頃の話のほうが面白いものだよ。年とってからの苦労は、嫌だよねえ。あ
最初から読む─その十二 千葉の鉄道隊に、みんなで面会に行ったけど、その翌日、満州につれて行かれちゃったんだね。 昭和十九年六月十一日。いくらあたしが歳をとったって、この日は忘れやしないよ。二郎が戦死しちゃったんだものね。あの子は、あたしとお父つあんとの間
最初から読む─その十一にもどる 満州事変がどんどん大きくなって、「支那」にまで広がっていったんだよ。 一郎が兵隊にならなくて済んだと思ったら、二郎が陸軍士官学校に入学してね。近所は「この町内から将校さんがでるんだ」といって、お祝いをやってくれたよ。近くの
最初から読む─その十にもどる 大正天皇さんが死んで、昭和になった頃も不景気だったね。仕事がなくて、お父つあんは、ゴミ箱だとか縁台だとか、本箱なんかを弟子達につくらせていたよ。「そのうち、これを売ってくるさ」と言いながらね。あたしゃ相変わらず質屋通いさ。
最初から─その九から「おい。亭主を何処にかくしたんだ。おやじを出せ。逃げたって駄目だ。どおせ、ただじゃおかねえんだからな」「ほんとうに申しわけありません。もうしばらく待って下さい。必ず、お支払いいたします。建て主のだんなが、お金を払ってくれないので、主人
最初から──その八 から でも、あの頃は不景気だった。能登の百姓は東京にでて、手に職をつけるために働いたんだよ。田んぼや畑は女たちにまかせてね。そう言やあ、いまも同じだね。出稼ぎで百姓は、いつでも苦しむんだね。いまのほうが、昔よりひどいかもしれないよ。
最初から──その七より 奥様にこう言われたとたん、あたしゃ顔が真っ赤になってね。奥様に見ぬかれやしないかと下ばかりうつむいていたよ。お屋敷に出入りの大工さんで、前々から、ちょっと気にかかっていた男だからね。威勢のいい、男前でね。印半天にもも引き姿のいきな
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