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大河ドラマに恋して http://shizuka0329.blog98.fc2.com/

大河ドラマのゆかりの地の紹介、歴旅の記録をアップしています。今年のテーマは、「光る君へ」「どうする家康」京都の寺社巡り

しずか
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2013/09/04

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  • 大原を訪ねて(3)三千院 御殿門

    大原最初の目的地、三千院に到着。三千院は、三千院門跡とも称し、青蓮院、妙法院とともに、天台宗の三門跡寺院の1つに数えられています。三千院の境内は、境内南を流れる呂川(りょせん)と北を流れる律川(りつせん)という2つの川に挟まれています。呂川・律川の名は声明(仏教声楽)の音律の「呂」と「律」に由来します。境内南側には、往生極楽院の正門にあたる朱雀門、西側には御殿門があり、拝観入口はこの御殿門からです。...

  • 大原を訪ねて(2)懐かしいお宿

    三千院へ向かって歩いていると、一際美しい紅葉が見えてきました。三千院の門前にある大原を代表する料理旅館「芹生」さんです。もうかなり前のことになりますが、こちらの宿に泊まったことがあります。「芹生」さんは、ゆったりとくつろげる温泉・露天風呂、美しい日本庭園、京野菜や大原の山菜を活かした美しいお料理が評判でしたので、こちらのお宿を選びました。その日は大雨でしたが、こちらで三千草弁当をいただいた後、三千...

  • 大原を訪ねて(1)呂川沿いを歩く

    数年ぶりの大原の訪問です。比叡山麓に広がる大原の里は、かつては皇族や貴族が隠棲した地であり、今も豊かな自然が残る里山です。三千院までの呂川沿いの道には、大原名産・しば漬けをはじめとする漬物のお店や土産物屋が軒を連ねています。大原女の人形川沿いの紅葉を楽しみながら、三千院を目指します。ここを歩いていて、いつも思い出すのが「ろれつが回らない」という言葉。三千院の横を流れる呂川と律川からきたもので、こち...

  • 二尊院(2)本堂~庭園

    二尊院の山号は小倉山。正式には小倉山二尊教院華台寺(おぐらやま にそんきょういん けだいじ)といい、二尊院の名は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像に由来します。本堂 二尊を安置してある本堂は、永正18年(1521年)、三条西実隆によって再建されました。本堂に掲げられている後奈良天皇の自筆による「二尊院」は、この再建時に与えられたものです。本堂を取り巻く庭園もまた素晴らしいです。紅葉の馬場を...

  • 二尊院(1)総門~勅使門

    常寂光寺から二尊院へ。総門慶長18年(1613)に伏見城にあった薬医門を角倉了以によって移築・寄進されたものと伝わっています。総門には文様(装飾のための図柄)があり、唐草模様、数珠入り三つ巴紋、桃の巴蓋瓦などが施されており、室町時代の建築として京都市指定文化財となっています。総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は紅葉の名所として知られています。約百メートルの間にモミジとサクラの木が交互に植えられており...

  • 常寂光寺(2)竹林~多宝塔

    赤、黄、緑に染まる常寂光寺の境内多宝塔に向かって竹林の横の石段を上がっていきます。多宝塔 国の重要文化財。元和6年(1620年)8月建立で、高さ12m、方三間、重層、宝形造、檜皮葺。紅葉のトンネルを抜けて出口へ。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記 ブログランキングへ...

  • 常寂光寺(1)山門~鐘楼

    嵯峨野の目的地に到着。常寂光寺は、慶長年間(1596〜1614)に大本山本圀寺第16世究竟院日禛上人により開創。本堂は慶長年間に小早川秀秋公の助力を得て、伏見桃山城客殿を移築し造営する。 仁王門は、元和二年(1616)に大本山本圀寺客殿の南門(貞和年間の建立)を移築、仁王像は運慶作と伝えられる。山門江戸後期に改築されたもので、江戸中期出版の「都名所図会」には、袖に土塀をめぐらした薬医門が図示されています。仁王門仁王門...

  • 嵐山・嵯峨野散策(1)渡月橋~落柿舎

    この日は、午前中東山を散策し、午後から嵐山に向かったのですが、紅葉シーズン真っ盛りの日曜だけに、渡月橋の前から大渋滞。当分バスが動きそうにないので、渡月橋前の停留所で降りて歩いて行くことにしました。朝、清水寺からスタートし、永観堂まで歩きっぱなしでしたので、渡月橋近くのお店で遅いランチを取ることに。エネルギーチャージをしたところで、再び散策開始!野宮神社お店の前の木に吊るされた風呂敷風のプレゼント...

  • 高台寺(3)二つの茶室

    傘亭(安閑窟)伏見城から移築したものとされ、千利休好みの茶室と伝わっています。宝形造茅葺きの素朴な建物で、内部の天井が竹で組まれ、その形が唐傘に似ているところから傘亭と呼ばれています。時雨亭 傘亭の南隣にある珍しい2階建ての茶室。傘亭同様、伏見城からの移築で、千利休好みと伝わっています。傘亭との間は屋根付きの土間廊下でつながれています。竹林を抜けて出口へにほんブログ村 歴史ブログランキングに参加して...

  • 高台寺(2)名勝庭園~開山堂~霊屋

    東山を借景にした小堀遠州作といわれている庭園は、国の史跡・名勝に指定されています。庭園の石や樹木等も伏見城から移されたといいます。書院と開山堂を結ぶ楼船廊の中ほどに観月台があります。ここからねね様が晩年、秀吉を思いを馳せながら月を眺めていたそうです。開山堂慶長10年(1605年)の建築の開山堂は、元は北政所の持仏堂でした。その後、中興開山の三江紹益の木像を祀る堂となり、三江紹益像、北政所の兄の木下家定と...

  • 高台寺 (1)山門~波心庭

    高台寺は、豊臣秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾後の院号である高台院にちなんでいます。北政所所持と伝えられる蒔絵調度類を多数蔵することから「蒔絵の寺」の通称もあるそうです。庫裏方丈創建当初の方丈は文禄の役後に伏見城の建物を移築したものでしたが、現在の建物は、大正元年(1912年)の再建です。遺芳庵方丈・書院の背後にある茶室で、灰屋紹益が夫人の吉...

  • 大雲院

    大雲院は、織田信長・信忠親子の菩提を弔うため、烏丸二条に創建したのが始まりで、通常は非公開。ねねの道から円山公園に行く途中にあります。境内墓地には織田信長・信忠父子の他、石川五右衛門の墓があります。五右衛門については、処刑前に市中を引き回された五右衛門が大雲院門前に至った際、貞安が引導を渡した縁によるのだそう。また、大雲院という寺院名は、信忠の法名からとっているそうです。以下、豊臣秀次の供養塔につ...

  • 知恩院

    知恩院は、浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた浄土宗総本山の寺院です。巨大な三門は、徳川二代将軍徳川秀忠が寄進したもので、国宝となっています。構造は五間三戸・二階二重門・入母屋造本瓦葺で、高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚。「華頂山」の額の大きさは畳2畳以上だそう!一般には寺院の門を称して「山門」と書くのに対し、知恩院の門は、「三門」と書きます。これは、「空門...

  • 青蓮院(6)西方浄土の庭~宸殿

    日吉社から竹林を抜けて、さらに進んでいきます。西方浄土の庭改めて、外から宸殿を眺めてみます。宸殿 小御所の西側に建つ寺内で最も大きな建物で、東福門院の御所が寄進されたものです。入母屋造、桟瓦葺きで、明治26年(1893年)の焼失後の復興。宸殿は門跡寺院特有のもので、主要な法要はここで行います。「宸」は皇帝の意で、有縁の天皇及び歴代門主の御尊牌を祀ってます。宸殿前に右近の橘、左近の桜を配するのは、御歴代尊...

  • 青蓮院(5)好文亭

    霧島の庭から好文亭へ。好文亭 青蓮院を仮御所としていた後桜町上皇が学問所として使用した茶室。1993年に中核派による放火で焼失し、本院所蔵の創建当初の平面図「御学問所」を基に木材等の材質も全く同じ、工法も同じで、2年後に完全復元された数寄屋造の建物です。四畳半の茶室三部屋と六畳の仏間、水屋等からなり、障壁画十三画は上村淳之画伯の御奉納による花鳥図です。ちょうどこの日、お茶会が催されていました。にほんブロ...

  • 青蓮院(4)霧島の庭

    相阿弥の庭からさらに進んでいきます。華頂殿の裏側には、小堀遠州作と伝わる霧島の庭があります。好文亭裏側山裾斜面から一面に霧島つつじが植えてあり、五月の連休の頃、一面を真っ赤に染めるつつじの光景が見られます。この辺りはまだ青紅葉もかなり残っていました。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いし...

  • 「いだてん」トークツアーグランドファイナル in 浜松市

    12月8日、『いだてん』トークツアーグランドファイナルin浜松市と題したトークショーとパブリックビューイングの連結イベントが行われました。まずは、座席引き換えをするために、浜松魅力発信館へ。中には、いだてん展や田畑政治のコーナーがあります。引き換えは10時スタート。私は朝8時20分ごろに着いたのですが、既に列ができていました。話し声からすると、東京、広島、名古屋など全国各地の地名が聞こえてきます( ゚Д゚)皆さん...

  • 青蓮院(3)相阿弥の庭

    小御所の建物近く渡り廊下に面して巨大な一文字の自然石の手水鉢が置かれています。これは豊臣秀吉の寄進による「一文字手水鉢」といわれています。では、書院を出て、庭園を散策することとしましょう。青蓮院の主庭は、室町時代の相阿弥の作と伝えらる相阿弥の庭で、粟田山を借景にしてその山裾を利用した池泉回遊式の庭となっています。龍心池花崗岩の切石二枚で作られた、半円形の反りの美しい石橋を跨龍橋と呼び、滝を洗心滝と...

  • 青蓮院(2)華頂殿

    青蓮院には、本堂、宸殿、小御所、華頂殿(書院)、叢華殿、好文亭(茶室)などがあり、好文亭除く各建物は渡り廊下でつながれています。華頂殿は、漆塗りをしていない白木造りの白書院です。三十六歌仙額絵や蓮の襖絵で飾られたお洒落な間は、客殿としてふさわしい造りといえるでしょう。ここからお抹茶をいただきながら、相阿弥作の庭を鑑賞するのも、青蓮院の楽しみ方のひとつです。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加...

  • 青蓮院(1)親鸞聖人お手植えの大楠

    青蓮院は、梶井(現在の三千院)、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院とされ、皇室ゆかりの格式高い寺院です。天台宗の祖である伝教大師最澄が比叡山に作った住坊のひとつ「青蓮坊」が青蓮院の起源とされています。平安末期の1150年、青蓮坊十二代行玄の時に山下に移り青蓮院となりました。江戸時代に仮御所となったことがあるため「粟田御所」とも称され、日本三不動の1つ国宝の「青不動」のある寺としても知られています。 青不動...

  • 禅林寺(3)庭園散策

    阿弥陀堂から階段を下りて、庭園へと向かいます。放生池の周りは、人気の撮影スポット。橋の上も人の波が凄かったです。今回は、多宝塔へ行くのをスキップしてしまいましたが、ここから眺める多宝塔もいいものです。青紅葉が残っているところも美しいですね。境内のお茶屋さんのメニューが紅葉に釣る下げられているのも風情があって良いですね。そして、このイチョウの周りにも人だかりができてきました。にほんブログ村 歴史ブロ...

  • 禅林寺(2)御影堂~阿弥陀堂へ

    御影堂寺内最大の建物である御影堂は、1912年(大正元年)に完成した総ケヤキ造の仏堂で、宗祖法然を祀っています。この回廊を通って、阿弥陀堂(本堂) へと向かいます。阿弥陀堂は、大坂の四天王寺に建立された曼荼羅堂を慶長12年(1607年)に移築したもの。阿弥陀堂に安置されているご本尊の阿弥陀如来立像は、「見返り阿弥陀」といい、顔を左(向かって右)に曲げた特異な姿の像です。この像については次のような伝承がありま...

  • 禅林寺(1)秋はもみじの永観堂

    京都滞在初日に南禅寺から永観堂に向かったのですが、あまりの行列にギブアップ!改めて出直すことにしました。この日も既に人・人・人・・・( ゚Д゚)しばらくこの塀に沿って列につきました。浄土宗西山禅林寺派の本山である永観堂の正式名称は、聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺第七世・永観律師にちなみ「永観堂」と通称されています。空海の弟子・真紹が真言宗の寺として創建。宗叡の時、清和天皇の帰依を受け発展。11世紀末、永観が...

  • 岩倉具視幽棲旧宅(3)付属屋

    繋屋には、浴室と便所が設けられています。附属屋勝手口、炊事場、台所、居間からなります。龍吐水今でいう消防用ホースです。米びつ竈羽釜炊飯や湯を沸かすのに用いられました。水屋箪笥食器の収納に用いられました。炊事の様子の説明です。岩倉具視の暮らしぶりが窺えます。付属屋の居間付属屋から中庭越しに主屋が見えます。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴...

  • 岩倉具視幽棲旧宅(2)主屋

    記事を飛ばしてしまっていました(;´∀`)岩倉具視幽棲旧宅の記事の続きです。岩倉具視幽棲旧宅は、茅葺の主屋(約60㎡)と瓦葺の附属屋(約67㎡)、繋屋(約9㎡)から成ります。敷地の南土塀に表門を構え、門を入って主屋南庭に通じる中門、池庭、離れの便所によって構成されています。平成20年(2008)から4箇年をかけて京都市が国庫補助を得て、本格的な修理が行われました。それでは家屋の中に入ってみましょう。中門主屋茅葺の建物で、...

  • 旧伏見城移築門「不明門(あけずのもん)」

    南禅寺から蹴上に向かう途中、白河通り沿で遭遇した豪華な不明門。秀吉時代の伏見城の遺構で、伏見城内にあったものを、移築したものだそう。昔から、常に閉ざされていたもので「あけずのもん」と呼ばれ、今も昔も開けた事がないそうです。不明門(あけずのもん)この門は豊臣の時代に伏見城内にあったものを、そののちこの場所に移築したものです。 昔より、常に閉ざされていたもので「あけずのもん」と呼ばれ、その名の通り今も...

  • 南禅寺

    数ある塔頭を経て、やっと南禅寺に辿り着きました。既に凄い人です(;・∀・)しかし、門をくぐると真っ赤な紅葉が出迎えてくれました。南禅寺は、日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもつ寺院です。 あまりの人混みで、何を写しているのかもわからなくなるほど(;´∀`)なので、10月下旬に訪ねた時の画像をアップします。知恩院三門、東本願寺御...

  • 南禅寺の塔頭・金地院(2)

    金地院の敷地内には、小ぶりながらも東照宮が建てられています。重要文化財。小堀遠州の作。徳川家康の遺言で建てられ家康の遺髪と念持仏を祀っています。『徳川実紀』によれば、家康は元和2年(1616年)4月2日、側近の以心崇伝、南光坊天海、本多正純を召し、「(遺体は)久能山に納め奉り、御法会は江戸増上寺にて行はれ、霊牌は三州大樹寺に置れ、御周忌終て後下野の国日光山へ小堂を営造して祭奠すべし。京都には南禅寺中金地...

  • 南禅寺の塔頭・金地院(1)

    南禅寺の塔頭である金地院は、応永年間(1394-1428)に足利義持が北山に創建し、1605年(慶長10)崇伝により現在地に移築されました。明智門 天正10年(1582年)に明智光秀が母の菩提のため寄進した銀により大徳寺方丈に建立されたもので、それまで金地院にあった国宝の唐門が豊国神社に移築されたため、大徳寺から明治19年(1887年)に買得し、現在地に移築しました。鶴亀の庭 (特別名勝金地院庭園)崇伝が徳川家光のために作らせ...

  • 南禅寺の塔頭・南陽院

    南禅寺の塔頭である南陽院。普段は非公開のお寺ですが、前を通りかかると公開されていたので見学させていただきました。こちらは、小川治兵衛作の枯山水の庭。苔の庭園が広がります。枯山水の庭に色どりを添えるリンドウの花動物慈しむお地蔵様の像が印象的でした。奥には池泉式庭園があり、疎水の水をひいた池に弁天社が祀られています。こんな素晴らしい紅葉が見られるのに、なんと無料でした( ゚Д゚)にほんブログ村 歴史ブログラ...

  • 南禅寺塔頭・天授庵

    天授庵は、暦応2年(1339年)光厳天皇の勅許により、虎関師錬が南禅寺開山無関普門(大明国師)の塔所として建立されました。戦国時代に衰退しますが、のち細川幽斎により細川家の菩提寺として1602年に再興されました。本堂は柿皮茸屋根の建物で、内部には長谷川等伯筆の重要文化財の襖絵が飾られています。(通常本堂は非公開)二つの庭園があり、一つは本堂の前庭(東庭)の枯山水庭園で、白砂の庭を苔で縁取られ、ひし形の畳石が並び...

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