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大河ドラマに恋して http://shizuka0329.blog98.fc2.com/

大河ドラマのゆかりの地の紹介、歴旅の記録をアップしています。今年のテーマは、「光る君へ」「どうする家康」京都の寺社巡り

しずか
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2013/09/04

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  • 南禅寺水路閣

    南禅寺境内にある琵琶湖疏水の水道橋である水路閣田辺朔郎の設計によるもので、1888年(明治21)完成しました。田辺朔郎[生]万延2 (1861).1. 江戸[没]1944.9.5. 京都土木工学者。琵琶湖疏水の工事設計および監督の総責任者。1883年工部大学校の卒業論文で疏水の設計を行ない,卒業後この仕事に従事し,1890年に総延長 20kmあまりに及ぶ工事が完成した。琵琶湖の水面は京都より約 50m高いので,両者の間に普通の運河をつくると,流...

  • 岩倉具視幽棲旧宅(1)

    岩倉具視幽棲旧宅は、京都市左京区岩倉上蔵町の岩倉具視が隠れ住んだ屋敷です。公武合体を掲げ、皇女和宮の将軍家降嫁などに尽力した岩倉は、倒幕急進派から弾劾され、官職を辞して剃髪したうえ洛中から追放され、11代前から縁のあったこの地で慶応3年(1867)までの間幽棲しました。元治元年(1864)に大工藤吉の居宅(現在の附属屋)を購入し、主屋と繋屋を増築して住居としたのがこの旧宅です。大久保利通や中岡慎太郎、坂本龍馬など...

  • 岩倉実相院

    今年も岩倉実相院へ行って参りました。岩倉具視が、一時ここに住んでいたことがあり、当時の密談の記録などが残されているそうです。昨年は「西郷どん」の影響で、紅葉狩りの人に加え、大河ドラマのファンの方も大勢押し寄せていました。こちらは、部屋の黒い床に木々が反射する光景の「床みどり」「床もみじ」が有名ですが、庭園以外の撮影は一切禁止です。京都市左京区岩倉門前町にある天台宗寺門派の門跡寺院。山号は岩蔵山。本...

  • 東京都内の渋沢栄一ゆかりの地

    東京に行ったついでに、都内の渋沢栄一の銅像や飛鳥山公園もまわってみました。しかし、ここでもフライングし過ぎて見られないところも(-_-;)渋沢史料館 は、今年9月1日より、リニューアル工事のため休館中です。渋沢史料館 本館当初の渋沢史料館は、旧邸内に残る大正期の2つの建物「晩香廬」と「青淵文庫」(いずれも国指定重要文化財)を施設として開館しました。その後1998(平成10)年3月に本館を増設し、現在は下記3つの建物...

  • 「青天を衝け」の舞台・深谷市を訪ねる(2)渋沢栄一ゆかりの地

    巡回バスでまわった深谷市の渋沢栄一ゆかりの地を大まかに紹介します。詳細は再来年の記事で(^^;旧渋沢邸「中の家(なかんち)」は、渋沢栄一生誕地に建ち、栄一の妹夫妻によって明治28年上棟された建物です。若き日の栄一の像渋沢栄一記念館 渋沢栄一ゆかりの遺墨や資料・写真等が展示されています。尾高惇忠生家 尾高惇忠は渋沢栄一のいとこであり、学問の師でもありました。明治維新後は富岡製糸場の初代場長を務めました。「誠...

  • 「青天を衝け」の舞台・深谷市を訪ねる(1)

    11月初旬、再来年2021年の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一の生誕の地深谷市を訪ねて来ました。大正時代に造られたレンガ造りの東京駅丸の内駅舎と、そっくりの駅という深谷駅を見ることを楽しみにしていたのですが、現在外壁改修工事中で、駅舎が囲われていて見られませんでした(;O;)あちこちに幟や旗が見えますが再来年に向けて、各地で整備が進んでいるようです。気を取り直して、駅前の渋沢栄一の銅像を撮影。さて...

  • NHKスタジオパークを見学(3)大河ドラマの世界「西郷どん」「いだてん」

    昨年放送されたまだ記憶に新しい「西郷どん」主役の西郷どんこと西郷吉之助(西郷隆盛)役の鈴木亮平さんと大久保正助(大久保利通)役の瑛太さん西郷家の物見台のセットが再現されています。西郷隆盛(小吉、吉之助)は、薩摩(鹿児島)の貧しい下級武士の家に育った。「民の幸せこそが国を富ませ強くする」と強く主張する薩摩藩主・島津斉彬に、心酔した西郷は、斉彬の密命を担い江戸へ京へと奔走し、薩摩のキーパーソンとなって...

  • NHKスタジオパークを見学(1)朝ドラの世界「なつぞら」

    今年の4月1日から9月28日まで放送された「連続テレビ小説」第100作目のテレビドラマの記念作品「なつぞら」で使われた衣装や小物が展示されているコーナーヒロイン奥原なつ役の広瀬すずさんと山田天陽役の吉沢亮さん1937年(昭和12年)に東京に生まれ、戦争で両親を失い父の戦友に引き取られた戦災孤児の少女・奥原なつが、北海道・十勝で広大な大自然と開拓者精神溢れる強く優しい大人たちに囲まれてたくましく成長し、上京後北海...

  • NHKスタジオパークを見学(1)朝ドラの世界「スカーレット展」

    久しぶりに渋谷のNHKスタジオパークに行ってきました。何とこの日は、偶然無料公開日!\(^o^)/現在放送中の朝ドラの「スカーレット展」が催されていました。(あらすじ)戦後まもなく、大阪から滋賀・信楽にやってきた、絵が得意な女の子。名前は川原喜美子。両親と二人の妹との暮らしは貧しく、頑張り屋の喜美子は、幼いながらも一家の働き手だった。15歳になった喜美子は、大阪の下宿屋で女中として働きはじめる。大都会での...

  • 岩国の旅(31)田中穂積の胸像と歌碑

    吉香公園内に、岩国市出身の作曲家、海軍軍人であった田中穂積の胸像と『美しき天然』の歌碑があります。代表作である『美しき天然』(1902年(明治35年))は日本初のワルツとされている。大正、昭和期にはサーカスやチンドン屋などが客の呼び込みで演奏する曲として全国に広まった。同曲は長崎県立佐世保北高等学校と長崎県立佐世保南高等学校の前身の1つである私立佐世保女学校(佐世保市立成徳高等女学校)で田中が音楽指導す...

  • 岩国の旅(30)岩国高校記念館

    吉香公園を散策していると、昔懐かしいレトロな建物が見えてみました。岩国高校記念館です。岩国中学校〜岩国高等女学校〜山口県立岩国高等学校で使われてきた由緒ある校舎。大正5(1916)年、岩国中学校に御大典記念武道場として旧女学校の校舎の一部を基にして建てられました。岩国中学校は藩校「養老館」の流れをくみ、現在の徴古館の位置に明治13(1880)年に創立され、明治34(1901)年にこの地に移転。岩国高等女学校は、明...

  • 岩国の旅(29)岩国城の天守閣 その参

    天守閣からは吉香公園、岩国の城下町、錦帯橋から岩国市内一面、岩国航空基地、岩国錦帯橋空港、瀬戸内海の島々や四国、宮島までが一望できます。錦帯橋瀬戸内海に浮かぶ甲島にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記 ブログランキングへ...

  • 岩国の旅(28)岩国城の天守閣 その弐

    天守閣内には、錦帯橋の精密模型、写真、武具や甲冑などが展示されています。錦帯橋の模型奉納用の太刀藤原久幸の作藤原国綱の作長光の脇差長船派の作吉川家略伝にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記 ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろし...

  • 岩国の旅(27)岩国城の天守閣 その壱

    岩国城は、初代岩国領主吉川広家によって慶長13(1608)年に作られた山城で、標高約200メートルの城山に位置していました。築城当時の岩国城は、城山の尾根沿いに長さ180メートル、横に54〜108メートル、石垣の高さ5.4メートル、天守閣は桃山風の南蛮造りの三層四階で本丸の北隅に位置していました。この外に矢倉五棟、折り回し大門二門、埋門一門、井戸二堀がありました。しかし、築城後7年、元和元(1615)年6月、徳川幕府の一国...

  • 岩国の旅(26)岩国城跡旧天守台

    旧天守台は、発掘調査の結果、往時の姿がかなり残っていたため、復元保存されることになったそうです。修復・復元された旧天守台岩国城は、江戸時代には珍しく、山上に築かれた近世城郭である。この城郭は、毛利氏の一族、吉川広家(きっかわひろいえ)が慶長8年(1603)に着工、同13年に完成したが、元和元年(1615)一国一城令により破却された。 城郭の中心となる天守台は、古式穴太積み(こしきあのうづみ)と呼ば...

  • 岩国の旅(25)岩国城の空堀

    岩国城の北側に残る空堀岩国城は、江戸時代初期に築かれた石垣造りの近世城郭である。この時代に築城された城郭の多くは平城で、岩国城のように山頂に城郭を築き、防衛を主体とした空堀を築造したものは、全国的に見ても極めて珍しい。この空堀は、幅約19.6m、深さ約10mと、日本最大の箱堀構造で、明らかに敵の鉄砲による攻撃を意識して造られたものである。石垣は空堀の部分には築造されていない。にほんブログ村 歴史ブログラン...

  • 岩国の旅(24)大釣井

    ロープウェイ山上駅から岩国城へ向かって歩いて行きます。このような山道が続いています。道幅が狭く、歩きづらい(^^;林の方に落ちないかハラハラしましたよ。やっとこさ大手門に到着。二ノ丸広場天守閣に向かう途中で、「大釣井」という井戸を発見!そばに説明版がありました。その説明によると、この大井戸は、慶長13年(1609)築城と同時に造られたもので、非常時の武器弾薬等の収納をはかるとともに、敵に包囲されたり落城の危...

  • 岩国の旅(23)岩国城ロープウエー

    岩国城を目指して、岩国城ロープウエーに乗車しました。吉香公園前の山麓駅から、標高約200メートルの城山の尾根の山頂駅までを約3分で結びます。吉香公園、錦川と錦帯橋、旧城下町から、遠くは岩国錦帯橋空港、瀬戸内海の島々までの眺望が楽しめます。山頂駅前広場の中央には、時を告げるときだけ中の人形が動き、岩国にゆかりのある音楽が流れる「からくり時計」の塔があります。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加して...

  • 岩国の旅(22)吉香神社 褒忠社と三士忠誠の碑

    褒忠社吉香神社の末社で、初代岩国藩主吉川広家公が寺谷(紅葉谷)にある「竜門寺」の境内に「節臣廟」を建て、吉川家の死節の臣を祀り、回向所としていましたが、廃藩後に神社に改めたものです。三士忠誠の碑明治25(1892)年に旧岩国藩公と藩の有志により吉香神社内に建てられた、岩国三士(栗栖天山(くりすてんざん)・南部五竹(なんぶごちく)・東沢瀉(ひがしたくしゃ))の活躍を伝える碑です。天山は沢瀉と必死組(後に精義隊)...

  • 岩国の旅(21)吉香神社

    吉香神社は、江戸時代に岩国を治めた吉川氏の歴代の心霊を祀る神社です。現社殿は、享保18年(1728)に当横山地区の白山比咩神社内に造営され、明治18年(1885)に現在地に移築されたものです。鳥居、神門、拝殿及び幣殿、本殿が南から北に一直線に並んだ構成となっている 全国的にも数少ない祖霊を祀る神社建築で、岩国藩大工の技術の高さがうかがえます。平成16年に国の重要文化財に指定されています。本殿にほんブログ村 歴史ブ...

  • 岩国の旅(20)岩国寿司

    岩国の郷土料理といえば、岩国寿司が有名ですね。別名「殿様寿司」と呼ばれる岩国寿司は、岩国城の主吉川広家公が喜んで食したといわれる岩国を代表する郷土料理です。岩国名産のレンコンや瀬戸内の魚を使い、一度に4~5升を大きな木枠で何段にも積み重ね、大きな包丁で切り分けていきます。私は、錦帯橋たもとにある「ひらせい」さんで、岩国寿司が付いたセット御膳をいただきました。岩国名物であるれんこんを使った「れんこん...

  • 岩国の旅(19)岩国美術館

    岩国城ロープウエー山麓駅前にある岩国美術館。2004年に岩国歴史美術館から現名称となり、別称は柏原コレクションともいいます。奈良時代から江戸時代までの陶磁器・ガラス工芸品、書画、甲冑、刀剣、陣羽織、馬具など約6,000点を所蔵しています。また、武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いが描かれた八曲半双の「川中島合戦図屏風」や「武田軍陣立図屏風」ほか、大名家の優美な調度品、森寛斎、横山大観などの絵師たちの絵画も約250...

  • 岩国の旅(18)日本一のソフトクリーム

    以前『ナニコレ珍百景』でも紹介されていた錦帯橋のすぐそばにある二つの有名なソフトクリーム店。その名も「小次郎」と「むさし」この二店舗が、スイーツでバトルを繰り広げています。日本一ソフトクリームの品ぞろえの豊富な「むさし」100種類のソフトクリームを提供するお店と聞いていましたが、私が行った時点で、140種となっていましたが、今も増え続けているようですΣ(・ω・ノ)ノ!スタンダードなバニラ、いちご、抹茶などの他に...

  • 岩国の旅(17)永興寺(ようこうじ)

    永興寺は、吉川家墓所に隣接する臨済宗の寺院です。永興寺は鎌倉時代末期の1309年(延慶2年)に大内弘幸によって創建されました。弘幸の子・弘世は、父の菩提を弔うために七堂伽藍を整備し、寺領も大きく広げていきましたが、関ヶ原合戦で毛利軍が敗れた後、慶長五5(1600)年に岩国に移ってきた吉川広家が、横山一帯に上屋敷を改営するのに、永興寺の居館の解体や境内用地を転用したため、一時は廃寺同様となってしまいます。しか...

  • 岩国の旅(16)佐々木小次郎像

    吉香公園にある佐々木小次郎像「祖先以来、岩国の住、姓は佐々木といい、名は小次郎と親からもらい、また 剣名を”巌流”とも呼ぶ人間は、かくいう私であるが・・・」吉川英治の小説「宮本武蔵」の一節です。「宮本武蔵」は、江戸時代から、講談などで長く語りつがれてきたものですが、吉川英治は、錦帯橋-柳の木ーつばめーつばめ返しー巌流ーと連想して、「佐々木小次郎が、錦帯橋畔で柳の枝が燕を打つのを見て「燕返し」の術を得...

  • 岩国の旅(15)白山比咩神社の境内社

    白山比咩神社の境内社です。御霊神社鎌倉権五郎命を祀っています。御霊神社本殿錦川水神社錦川水神社 御祭神 弥都波能売神(みづはのめのかみ)岩国市を貫流する錦川は古代より優れた水質と豊富な水量によって近代産業誘致の原動力となり一面天下の奇橋錦帯橋によって観光面に於いても岩国市今 日の繁栄をもたらしたものであるが近来世情一般に動もすれば此の偉大な水恩に対する感謝の念薄れつつ有るを愁へ岩国市観光協会会長坂井...

  • 岩国の旅(14)白山比咩神社

    白山比咩神社 (しらやまひめじんじゃ) は1559年の創建で、加賀国 (石川県) 白山神社の分霊を移し祭ったものと伝えられており、通称「白山神社」 (はくさんじんじゃ) といわれています。楼門白山比咩神社 この神社は白山比咩神(別命菊理媛の命)大己貴命(大国主命の別名)を祭っている。 創建年代は明らかでないが、伝えられるところによると、加賀国 (石川県白山神社)の分霊を移し祭ったものという。永興寺(ようこうじ)伝記...

  • 岩国の旅(13)洞泉寺の吉川家墓所

    洞泉寺(とうせんじ)の寺域内には、岩国藩主・吉川家の墓所があります。1450年に安芸国の国人であった吉川経信が、所領の新庄大朝に創建した盤目山洞仙寺が祖である。1600年の関ヶ原の戦いの後、毛利家の防長移封に従って、吉川家も安芸国から周防国に移り住むこととなり、洞泉寺も1603年に現在の地に移設され、その際に「洞泉」の字を当てたと伝えられています。 (Wikipediaより)吉川家墓所には、吉川家初代・広家(ひろいえ)か...

  • 岩国の旅(12)錦雲閣

    「錦雲閣」 (きんうんかく) は、明治18(1885)年に旧岩国藩主吉川家の居館跡が公園として開放された際、旧藩時代の矢倉に似せて造られた旧岩国藩主吉川家の歴代を祀る吉香神社内にある絵馬堂です。吉香公園の堀に面して立つその姿は大変風情があり、まるで一幅の日本画を見るようです。桁行6間梁行4間,身舎5間×3間の入母屋造,桟瓦葺,楼閣風建築で,吉香公園内に偉容を誇り、階下は土間敷で,外周は入口を除き腰を板壁として内側...

  • 岩国の旅(11)香川家長屋門

    同じく吉香公園にある香川家長屋門 香川家長屋門は岩国藩家老香川氏の表門で今から二百七十年余前香川正恒が建造したもので建築面積一二三、一四平方メートル江戸時代の武家門造の典型として城下町岩国をしのぶ好個の資料であります。 香川家は始め芸州(広島県)八木城主で吉川広家が岩国に移封され当時客分から家老に取り立てられた名門であり、かの歴史的に有名な陰徳大平記は正恒の父正矩苦心の作で正恒の弟景継が大成したも...

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