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366日higurashi http://blog.livedoor.jp/higurashi/

#狭山事件の再審を実現したい 狭山事件の石川一雄さん逮捕から57年 一刻も早い再審開始を願って

無断リンク・転載、感謝します🙇

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2013/08/12

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  • 2024年1月 石川一雄さん 新年のメッセージ

    ・ 2024年1月 石川一雄さんの新年のメッセージです。http://www.sayama-jiken.com/ki/top/ki2002.htm----------------------年頭のメッセージ 新年おめでとうございます。 すでにご承知のように先般、私の第3次再審請求を担当する東京高裁第4刑事部の裁判長が大

  • 10.31メッセージ(寺尾不当判決から49年 石川一雄さんのメッセージ)

    狭山事件の再審を実現しよう寺尾不当判決から49年 石川一雄さんのメッセージです。----------------------10.31メッセージ 今年の極夏もやっと峠を越えたものの、熱中症、新型コロナ、インフルエンザが猛威を奮いました。支援者皆様方におかれましては、いかがお過

  • 寺尾不当判決48ヵ年石川一雄さん2022.10.31メッセージ

    石川一雄さんの10.31に向けたメッセージです。早智子さんのHPより全文掲載します。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー寺尾不当判決48ヵ年を迎えてのメッセージ 諺に「桐一葉(きりひとは)」といって、昔の人たちは、桐の葉が一枚落ちるのを見て、秋の気配を感じたそうですが、私の場

  • 石川 一雄さん、2021.10.31メッセージ

    10月12日 ・ 石川 一雄さんの10.31メッセージです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー10.31メッセージ 寺尾不当判決糾弾集会を何年続ければ再審への道が拓けられるのか先の見通しも立てられない中、今年も寺尾不当判決から47年を迎え、全国各地の支援者皆様方が集会に決起くださ

  • 2021/6/15講演 個人通報制度の導入と国内人権機関の設置(講師 泉徳治)

    個人通報制度の導入と国内人権機関の設置泉徳治2021/6/15個人通報制度の導入と、国内人権機関の設置についてお話をさせていただきたいと思います。最初にもとにおいて個人の人権を国際的連帯2で補償するという枠組みがございます。個人通報制度と国内人権機関

  • 2021(令和3)年5月23日狭山事件石川一雄さん不当逮捕58年を迎えて

    ☆ 石川一雄さん、早智子さんのメッセージビデオ☆ 石川さんの5.23(不当逮捕58年)のメッセージが発表されました。全文掲載します。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー5・23メッセージ 新型コロナウィルスの出現に因って、私自身糖尿病であることから、本来全国各地に支援要請

  • 2013(平成25)年10月18日冤罪・田園調布資産家殺人事件で最高裁第三小法廷は判断とはいえない判断によって特別抗告棄却

    *折山敏夫さんのツイートより 田園調布資産家殺人事件・再審請求の特別抗告が棄却決定されました。申し立ててからわずか2週間。冤罪を申し立てている事件なのに、事件記録もほとんど読まずに最高裁は棄却したのです。http://bit.ly/H6gmlv最高裁判所は 無実の人が誤

  • 1993(平成5)年10月13日 田園調布資産家殺人事件で上告趣意書補充書提出。日本の裁判所は弁護側証拠調べ要請の大半を拒否

    田園調布資産家殺人事件で、弁護側から、上告趣意書補充書(二)が 最高裁判所第2小法廷に提出される*三浦和義対談集『敗れざる者たち』(ぶんか社 2008年)Part7 田園調布資産家殺人事件 折山敏夫(元受刑者) より抜粋折山)私は自分のアリバイと佐藤さんの生存を証

  • 1973(昭和47)年9月18日松山事件再審即時抗告審で仙台地裁に差し戻し決定、「自白」の変遷から冤罪くささを嗅ぎ取られた小島建彦裁判長

    [[1973(昭和47)年9月18日]] 松山事件再審即時抗告審で仙台地裁に差し戻し決定 [[松山事件]]の[[即時抗告審]]で、「原棄却決定取消、仙台地裁へ差戻す」旨の決定が下る([[仙台高裁]]) →[[1979(昭和54)年12月6日]]、[[再審開始]]、[[死刑]]執行停止決定が下る([

  • 1985(昭和60)年9月10日田園調布資産家殺人事件で折山敏夫さん追起訴、捜査機関が別件逮捕勾留による身柄拘束期間を利用した取り調べを行う事件に感じる「冤罪くささ」

    1985(昭和60)年9月10日田園調布資産家殺人事件で、折山敏夫さんが、公正証書原本不実記載等で追起訴される *田園調布資産家殺人事件とは *田園調布資産家殺人事件年表 1980年7月25日 本件殺人事件発生日とされている1980年8月13日 本件

  • 1977(昭和52)年9月8日狭山事件(1963)の石川一雄さんが東京拘置所から千葉刑務所へ移監(1994年12月21日、再審請求中で仮出獄)とそこで知り合った冤罪事件の被告・被疑者

    [[狭山事件]]で、同年[[8月9日]]の[[最高裁第二小法廷]]([[吉田豊裁判長]])による[[上告棄却]]、8月16日「[[無期懲役]]」確定により、 [[石川一雄]]さんが、東京拘置所から千葉刑務所に移監される (1994年12月21日、再審請求中で仮出獄)*石川一雄さん、移送の

  • 1977(昭和52)年8月11日狭山事件特別抗告棄却に対する異議申立書提出と、「不見当」では済まされない「O車駐車」に関する証拠開示 と 折山さんの冤罪・田園調布資産家殺人事件

    [[狭山事件]]で、[[石川一雄]]さんと[[弁護団]]が、[[最高裁判所]]([[第二小法廷]])へ[[異議申立]]書を提出する。*7月26日開催の「狭山事件第14回三者協議」がなぜかマスコミ報道されず。狭山茶さんのメルマガ「狭山の風」に「解放新聞」の記事を全文掲載。 勝

  • 1985(昭和60)年8月30日田園調布資産家殺人事件で折山敏夫さん第三次別件逮捕勾留と長期勾留の実態

    田園調布資産家殺人事件で折山敏夫さんが詐欺・私文書偽造等で第3回逮捕される *田園調布資産家殺人事件とは *田園調布資産家殺人事件年表 1980年7月25日 本件殺人事件発生日とされている1980年8月13日 本件死体発見、福岡県筑紫野署に

  • 1985(昭和60)年8月6日 田園調布資産家殺人事件 (折山敏夫さん) と公正証書原本不実記載罪による別件逮捕の繰り返しで136日間勾留

    田園調布資産家殺人事件で、折山敏夫元被告が、公正証書原本不実記載等で起訴される*ポレポレ座の2010.4.20チラシ(2010年4月20日)*田園調布資産家殺人事件・元被告の“Twitter”*田園調布資産家殺人事件とは1985年7月16日未明、渋谷区円山町で経営して

  • 1985(昭和60)年8月7日 田園調布資産家殺人事件で折山敏夫さんが2回目の別件逮捕【冤罪はこうして作られた】

    田園調布資産家殺人事件で、折山敏夫さんが、7月16日の別件逮捕に続いて、2回目の逮捕をされる(詐欺・私文書偽造・公正証書不実記載などで)参考)「警視庁代用監獄136日間の記録」 子どもも同罪・ マスコミ恐怖 *ポレポレ座の2010.4

  • 1985(昭和60)年8月28日田園調布資産家殺人事件で追起訴、折山敏夫さんはどのような取り調べを受けたのか

    田園調布資産家殺人事件で、折山敏夫さんが、公正証書原本不実記載等で追起訴される*田園調布資産家殺人事件をwebに取り上げておられるサイト ・塀の中からスムーズに社会復帰するために~元受刑者に学ぶ どんわんたろうマガジン9・オウム裁判対策協議会 1993.7.12

  • 1985(昭和60)年7月16日 田園調布資産家殺人事件起こる (折山敏夫さん 東京高裁に即時抗告を申し立て)

    *田園調布資産家殺人事件年表1980年7月25日 本件殺人事件発生日とされている1980年8月13日 本件死体発見、福岡県筑紫野署に殺人事件捜査本部設置される1983年2月16日 警視庁が北陸銀行渋谷支店から折山敏夫さんの不審行動の情報入手して捜

  • 1991(平成3)年6月18日

    田園調布資産家殺人事件で、東京高裁裁判長 栗原平八郎が、控訴棄却判決を下す1988(昭和63)年4月21日、東京地裁で有罪とされ、懲役20年の判決を受けて控訴したが、1991(平成3)年6月18日、東京高裁でも控訴棄却、1995(平成7)年には最高裁でも上告を棄却された。・

  • 1988(昭和63)年4月21日

    冤罪・田園調布資産家殺人事件の1審判決が下される(1985年に起こった田園調布殺人事件についての裁判記録。 直接証拠なし。自白調書なし。動機不明、凶器不明、殺人時刻不明、犯行態様不明、死体遺棄方法不明。検察が歯科レントゲン写真を偽造してまでしてでっち上げ

  • 2011(平成23)年4月8日

    1985(昭和60)年7月16日田園調布資産家殺人事件が起こる元被告 折山敏夫さん(昭和18年7月6日生)1988(昭和63)年4月21日 有罪判決 東京地方裁判所刑事第12部1991(平成3)年6月18日 控訴棄却1995(平成7)年3月29日 上告棄却2011(平成23)年4月8日 再審請求 東

  • 1992(平成4)年2月19日

    田園調布資産家殺人事件の元被告 折山敏夫さんが 上告趣意書を 最高裁判所第二小法廷に提出する・上告趣意書(被告本人)https://docs.google.com/View?id=dcbv79n5_14hp4rwjgx・上告趣意書(弁護側)https://docs.google.com/View?id=dcbv79n5_18dq363wdv 七、

  • 2010(平成22)年2月10日

    監獄通信No.94(折山敏夫さんへのインタビュー記録「千葉刑務所の今」掲載)が発行される http://ennzai.yokochou.com/simpleVC_20100114164555.htmlより抜粋文です折山 獄中で私は冤罪を主張している無期の人にずいぶん会いました。すごく多いですね、千葉刑あたりは。

  • 1985(昭和60)年8月7日

    田園調布資産家殺人事件で、折山敏夫さんが、7月16日の別件逮捕に続いて、2回目の逮捕をされる(詐欺・私文書偽造・公正証書不実記載などで) //田園調布資産家殺人事件年表// 参考)https://docs.google.com/Doc?docid=0ASt4UF6Q3qJfZGNidjc5bjVfNzFobXNzZ3o3Nw&

  • 1985(昭和60)年8月6日

    田園調布資産家殺人事件で、折山敏夫さんが、公正証書原本不実記載等で起訴される 参考)警視庁代用監獄136日間の記録2 逮捕状 http://blogs.yahoo.co.jp/orisen0706/7738767.html 警察は、1985年7月16日に折山さんを別件で逮捕し、その日

  • 1963(昭和38)年11月21日狭山事件 第一審 石川一雄さん「 細引紐と荒縄について」供述。無実の人が「犯人を演じ」て語った任意の「自白」からも無実を証明されてきた心理学者浜田寿美男氏

    浜田寿美男さんは、狭山事件の自白鑑定書を提出した六年後に、袴田事件においても自白鑑定書を提出されています。 その袴田事件の鑑定で得た結論をタイトルに冠した著書『自白が無実を証明する』(北大路書房、二〇〇六年)や、『自白の心理学』等でも、取調官の強要

  • 2021年1月1日 石川一雄さんの新年メッセージ

    石川一雄さんの新年メッセージ 全国の支援者の皆さん.明けましておめでとうございます。 昨年は2月21日の東京狭山集会を皮切りに今日まで狭山に関する集会、現地調査等が延期・中止、また私自身の不参加という結果となり、各関係者の皆様に大変なご迷惑をおかけ

  • 石川一雄さん 2020.10.31メッセージ

    http://www.bll.gr.jp/opinion/video-message20201015.html“寺尾判決(狭山事件・有罪判決)から46年を迎えて”石川一雄さん、石川早智子さんのビデオメッセージ(2020年10月)より石川一雄さん 2020.10.31メッセージ例年なら日比谷野外音

  • 2020年9月25日狭山事件で、第44回三者協議が開かれる

    ◇第44回三者協議 (「冤罪狭山事件」HPより転載)2020年9月25日第44回三者協議が開かれました。大野裁判長になって初めての三者協議です。検察官は7月30日付で弁護団が提出したスコップに関する新証拠に対する反論の意見書を提出しており、弁護団はこの検

  • 2020年6月24日、狭山事件で、東京高等裁判所第4刑事部の後藤裁判長が退官、後任に大野勝則裁判官が就任する

    2020年6月24日、狭山事件で、東京高等裁判所第4刑事部の後藤裁判長が退官、後任に大野勝則裁判官が就任する(2020年2月24日 第4回狭山事件の再審を実現しよう市民の集いin関西より)◇裁判長交代のお知らせ東京高等裁判所第4刑事部の後藤裁判長が6月24日に定年

  • 2020年6月18日 狭山事件で第43回三者協議が開かれる

    #100万人署名を継続し一人でも多くの方に狭山を伝えたい 「狭山新100万人署名用紙」新アドレス http://www.bll.gr.jp/sayama/sayama-syomei2.pdf2020年6月18日 狭山事件で第43回三者協議が開かれました検察官は三者協議に先立って5月29日弁護団

  • 2009(平成21)年5月23日 2012(平成24)年5月23日

    ◇2012.5.23 石川一雄さんのメッセージ 不当逮捕49年に至って全国の支援者の皆さんにメッセージをお送りいたします。年頭の挨拶では今年中に「再審」実現の「勝利の年に」と記し、又その積もりで全精力を傾注し闘って参りましたが、先の10回目の三者協議に於

  • 狭山事件、石川一雄氏不当逮捕57年 2020年5月メッセージ

    ◇5月のメッセージ 仮住まい隙間風が入らぬ様に自己を戒め一日暮れたり今年の不当逮捕57年の糾弾集会も新型コロナ感染拡大の影響で中止せざるを得なかったことは極めて残念でありますが、全国の支援者の皆様におかれましてはお変わりございませんか?私自身

  • 2017年5月23日狭山事件石川一雄さん不当逮捕54カ年きゅうだん

    石川一雄さんの5.23のメッセージが発信されました。↓早智子さんのHPより全文掲載します。http://www.sayama-jiken.com/ki/ki766/ki766.html -----------------------メッセージ今から54年前の今日は不当な別件逮捕された日であり、それに合わせて県下各

  • 1963(昭和38)年5月23日

    [[石川青年]]逮捕される。 [[解放同盟]][[埼玉県連]]が、[[埼玉県警]]本部・[[埼玉新聞]]に抗議を申し入れる。亀井トム氏 「狭山事件 無罪の新事実」より一九六三・五・二三 早朝石川を自宅で別件逮捕。第一回家宅捜査。県警本部長は「九分九厘まで石

  • 志村けん、『東村山音頭』、狭山茶、トトロ、狭山事件

    現在、狭山事件をはじめ、裁判が長期化し、人びとの記憶にほとんど残っていなく、知名度も低い未解決の冤罪事件は、有罪判決をくつがえすことが、非常に厳しいです。狭山事件が、人びとの関心をひき、知名度を高めることに少しでもつながればと思います。 『東村

  • 1964(昭和39)年2月10日

    狭山事件の第一審・第一一回公判(浦和地裁)で、原正検事が石川一雄氏に死刑を求刑する。

  • 狭山事件 石川一雄氏の2020新年メッセージ

    ◇新年メッセージ昨年も、支援、要請のお願いに目一杯活動してきましたが、私の願いも空しく、再審開始の前提である証人調べに入る目処が明らかにならないまま新年を迎えてしまい残念無念でなりません。結局検察側の言う通り次回の三者協議までインクを探すというこ

  • 1963(昭和38)年11月13日 狭山事件 第一審 第五回公判

    1963(昭和38)年11月13日 狭山事件 第一審 第五回公判宮岡貞男供述(教科書発見者)<検察官尋問> 一)あなたが着いてすぐ発見されたというんですか。 はい。 二)着いてから多少なりとも捜したんですか。 いや、捜さなかったです。 三)捜さ

  • 2008(平成20)年7月14日 追悼 大野晋氏

    大野晋さん死去:国語教育、鋭く批判 - 毎日jp(毎日新聞)大野晋さん死去:国語教育、鋭く批判. 独創的な国語研究で知られた大野晋・学習院大名誉教授が14日、死去した。 ... 一方、部落差別に基づく、えん罪事件として問題になった狭山事件では79年、脅迫状が石川一雄被告

  • 2011(平成23)年09月21日付朝日新聞「定義集」で大江健三郎氏が狭山事件の脅迫状について大野晋氏の70年代の鑑定論文を取り上げる

    *2011年09月21日朝日朝刊 大江健三郎「定義集」~過去の表現 次世代のヒントより抜粋国語学者大野晋氏の、当時まさにアクチュアルな議題であった「狭山事件」を論じた「脅迫状は被告人が書いたものではない」という文章からは脅迫状も写真版にして引用しました。 《脅迫

  • 1981(昭和56)年10月13日狭山事件小名木証言等新証拠開示。事実調べをせず再審棄却した大橋進最高裁裁判長と、取材記事を書いた相田武男朝日新聞浦和支局記者

    10.31寺尾裁判長無期懲役判決から39年きゅうだん!狭山事件・第二審・控訴審・公判公判公判日第一回公判第二回公判第三回公判第四回公判第五回公判第六回公判第七回公判第八回公判第九回公判第十回公判第十一回公判第十二回公判第十三回公判第十四回公

  • 2009(平成21)年9月10日狭山事件3次再審請求審で三者協議が32年ぶりに実現、検察側全証拠開示の義務化を

    狭山茶さんのメールマガジン「狭山の風」のバックナンバーより転載させていただきました ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇『埼玉新聞』 2009年9月11日(金) 証拠開示、高検判断へ 狭山事件3次再審請求 狭山市で1963年5

  • 狭山事件と 全面証拠開示と取り調べの全面可視化についての マスコミ報道

    [[読売新聞]]が「[[狭山事件]][[第二次再審]][[棄却]]――[[審理]]は尽くされたか おこなわれなかった[[事実調べ]]」と題する解説記事を掲載する。《1977.8.10読売新聞「社説」》1977(昭和52)年8月10日~2002(平成14)年2月20日 間で狭山事件を取り扱った読売新

  • 1974(昭和49)年9月10日狭山事件第二審第78回公判最終弁論(全81回)と「人を裁くことは裁判官自らも裁かれること」

    [[狭山事件]]、[[第二審]]第七八回[[公判]]([[東京高裁]]・[[寺尾正二]]裁判長)の[[弁護団]][[最終弁論]]が開かれる。 [[弁護人]]は、[[和島岩吉]](本件の特異な構想について)、三上孝孔(別件逮捕及び再逮捕の違法性)、木村靖(逆吊と強姦に関する自白の問題点)

  • 1974(昭和49)年9月24日狭山事件 第二審 最終弁論、差別捜査に弾みをつけた検察側「スコップ鑑定」に自著で反論した元大阪科捜研多田敏行氏

    1974(昭和49)年9月24日 [[狭山事件]]、[[第二審]]第八〇回[[公判]]([[東京高裁]]・[[寺尾正二]]裁判長)の[[弁護団]][[最終弁論]]が開かれる。 [[弁護人]]は、[[青木英五郎]]([[自白]]維持と[[部落問題]])、福地明人(財布・手帳・指紋など)、藤田一良(スコッ

  • 1974(昭和49)年9月3日狭山事件二審公判最終弁論開始(全81回)と、「無期懲役判決」から今年は39年目

    1974(昭和49)年9月3日 [[狭山事件]]、[[第二審]]第七六回[[公判]]([[東京高裁]]・[[寺尾正二]]裁判長)で、[[弁護団]][[最終弁論]]が開始される。 [[弁護人]]は、[[中田直人]](弁論を始めるにあたって)、[[佐々木哲蔵]](刑事裁判としての狭山事件)、阿形旨通(

  • 1974(昭和49)年9月5日 狭山事件 第二審(最終弁論)と公判で寺尾正二東京高裁裁判長を裁いた青木英五郎弁護人

    1974(昭和49)年9月5日 [[狭山事件]]、[[第二審]]第七七回[[公判]]([[東京高裁]]・[[寺尾正二]]裁判長)で、二回目の[[弁護団]][[最終弁論]]が開始される。* [[1974年]][[狭山事件]]、[[第二審]]最終[[弁論]]は 9月3日,5日,10日,20日,24日,26日(第七六~第八一回[[

  • 1977(昭和52)年8月16日 狭山事件 異議申し立て却下で無期懲役確定→「自白有罪例」の教材に

    [[1977(昭和52)年8月16日]] [[狭山事件]]で、[[最高裁判所]][[第二小法廷]]([[吉田豊]][[裁判長]])が異議申し立てを却下し(15日付)、原判決の「[[無期懲役]]」が確定します。 そして 判決文の二例は 「自白の信用性-被告人と犯行との結び付きが争われた事例を

  • 1974(昭和49)年10月31日狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決について

    狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日*「インクであるのになぜボールペンで訂正したとの自白が信用されたか」に関する寺尾正二裁判長の論理について 殊に最も重要と思われる脅迫状・封筒についてさえ、被告人に原物を示

  • 1974(昭和49)年10月31日狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決について

    狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日*「腕時計」に関する寺尾正二裁判長の論理について (六月二九日、三〇日の二日間にわたって道路の両側二〇メートル位を念入りに捜査したにもかかわらず発見されなかった「腕時計」

  • 1974(昭和49)年10月31日狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決について

    狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日*「玉石、棒切れ、ビニール片」に関する寺尾正二裁判長の論理について (石川君の「自白」に触れられていない玉石であるが、自然の成長過程の中で混入することはありえないという八

  • 1974(昭和49)年10月31日狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決について

    狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日*「三つ折財布・手帳・筆入れ」に関する寺尾正二裁判長の論理について 被害者からチャック付財布を奪取しながら情状面において不利になることを恐れて・・・、この事実を否定している

  • 1974(昭和49)年10月31日狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決について

    狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日*「筆跡」に関する寺尾正二裁判長の論理について 被告人は、りぼんから当時知らない漢字を振り仮名を頼りに拾い出して練習したうえ脅迫状を作成したものと認められ・・・漢字の正確な

  • 1974(昭和49)年10月31日狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決について

    狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日*「寺尾判決」中の、寺尾正二裁判長の基本的な考え方について 別件逮捕はもともと法律上の概念ではなく、これを一義的に定義することは困難であって事実の具体的状況を捨象し

  • 1974(昭和49)年10月31日狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決について

    狭山事件/第二審(東京高裁/寺尾裁判長)無期懲役判決/1974(昭和49)年10月31日*「万年筆」に関する寺尾正二裁判長の論理について(石川君は、兄六造こそ犯人であると考えたことをあげて)「奇怪な供述」であり、(石川君の言うところに対し)「到底そのまま信用す

  • 2019年10月31日 狭山事件 石川一雄さん10・31メッセージ

    ◇2019年10月31日 狭山事件 石川一雄さん10・31メッセージ寺尾不当判決45か年糾弾集会に決起して下さった全ての皆さんに感謝の一文をお届けいたします。現在、検察側は下山第2鑑定に対し、反証を出すといいながら、反論も反証も出さないで、一年以上がた

  • 1963(昭和38)年9月30日・第一審第二回公判

    第一審第二回公判 脅迫状発見の経緯<検察官尋問>中田健治供述 一)帰って部屋に入って、すぐ食事をしたとおっしゃいましたが、食事を始めてからどうなりましたか。 食事をしながら僕はこういうふうに言ったわけです。一度、善枝が、入間川に友達

  • 1963(昭和38)年9月23日

    [[狭山事件]]で、[[荻原佑介]]が、[[警察]]の[[石川一雄]]さんに対する[[拷問]]を[[内田武文裁判長]]に具申する。 荻原佑介氏宛書簡(一九六五年十一月二二日)より 六月二三日(一九六三年)、調べ室に遠藤、青木、斉藤さん達が居る所で長谷部さんが、 「石川

  • 1963(昭和38)年8月3日

    1963(昭和38)年8月3日 [[狭山事件]]で、[[荻原佑介]]が、[[上田]][[県警]][[部長]]の[[取調べ]]を[[憲法違反]]等で訴える。*国策捜査 狭山事件で再審請求を続けている石川一雄さん「半世紀前から変わらぬ刑事司法の根深き病巣」 青木理(2010年10月18日 「週刊金曜日

  • 1963(昭和38)年7月10日

    1963(昭和38)年7月10日 [[狭山事件]]で、[[石川一雄]][[起訴]]を受け、[[捜査本部]]を[[解散]]する。亀井トム著『狭山事件 無罪の新事実』(1977)より抜粋 ここで正直にありのまま(犯人取り逃がしの)失態を失態として公表したら、事件は今日のような「差別に

  • 1963(昭和38)年9月4日狭山事件一審開始。石川一雄さんが虚偽自白を維持し続けた第一審公判の記録

    1963(昭和38)年9月4日 [[狭山事件]]で、[[浦和地方裁判所]]にて、[[第一審]]が始まる。 石川一雄さんは起訴事実を認める。*(裁判は、[[石川一雄]]さんが、[[第一回公判]]において「事実はいずれもそのとおり間違いありません」と延べたあとも最後まで「[[自白]]」を

  • 1963(昭和38)年8月3日

    [[狭山事件]]で、[[荻原佑介]]が、[[上田]][[県警]][[部長]]の[[取調べ]]を[[憲法違反]]等で訴える。 荻原佑介氏宛書簡(一九六五年十一月二二日)より 六月二三日(一九六三年)、調べ室に遠藤、青木、斉藤さん達が居る所で長谷部さんが、 「石川君 何

  • 2006(平成18)年7月12日 故戸谷鑑定人 狭山事件 石川一雄さんの「脅迫状を書写させられた」を重要証言として指摘

    2006(平成18)年7月12日*訃報 戸谷富之氏(とや・とみゆき=北海道大名誉教授、理論物理学) 、 享年89歳狭山差別裁判 第5集 (部落解放同盟中央本部編/部落解放同盟中央出版局/1974発行 )より(第二四回公判の補記) 戸谷鑑定人「被告人は本件で逮

  • 1963(昭和38)年7月12日 狭山事件担当決定の内田武文裁判長 年内結審の談話

    1963(昭和38)年7月12日* [[1999年]] - [[狭山事件]]で、[[東京高裁]][[第四刑事部]]の[[高木俊夫裁判長]]に対し、[[異議申立]]を行う。* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、[[浦和地裁]]、担当裁判官として[[内田武文]][[裁判長]]ほかを決定。 内田裁判長、年内[[結審]

  • 1963(昭和38)年7月9日 石川一雄さん Nさん殺害容疑で起訴される

    1963(昭和38)年7月9日━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━* [[1963年]] - [[狭山事件]]の[[石川一雄さん]]が、Nさん殺害[[容疑]]で[[浦和]][[地方検察庁]]に[[起訴]]され、[[浦和]][[拘置所]]へ移送。 池田満枝([[首相夫人]])、中田善枝の

  • 1963(昭和38)年7月9日

    [[1963年]] - [[狭山事件]]の[[石川一雄]]が、中田善枝さん殺害[[容疑]]で[[浦和]][[地方検察庁]]に[[起訴]]され、[[浦和]][[拘置所]]へ移送。 池田満枝([[首相夫人]])、中田善枝の家族を慰問。 [[石川一雄]][[起訴]]で、以来、[[真犯人]]は完全に[[県警]]幹部の弱

  • 1963(昭和38)年7月6日

    *供述調書(七月六日付) 石川一夫 指印右の通り録取し読み聞かせたところ誤りのないことを申立て署名指印した前同日 狭山警察署助勤 埼玉警察本部防犯課 司法警察員 警部 青木 一夫 ㊞ 立会人 司法警察員警視 長谷部 梅吉 ㊞

  • 1963(昭和38)年7月2日

    1963(昭和38)年7月2日 狭山事件で、腕時計を既捜査地点で通行人が発見。 「狭山事件再審オンライン署名」へ画像はFB「狭山事件の再審を実現しよう」よりお借りしました殿岡 駿星‏さんのツイートより 2013(平成25)年7月2日 ♣今日は妻と高裁前で

  • 1963(昭和38)年7月1日

    * [[1963年]] - [[狭山事件]]で、捜査本部、殺害現場と称するところを検証([[石川一雄]]さんを同行せず)。狭山事件の再審を求めるオンライン署名にご協力を!鉄馬‏ さんの【ドキュメンタリ宣言 冤罪訴え47年。狭山事件】 #dsengenについてのツイートより 2010

  • 1975(昭和50)年6月17日

    福岡事件(一九四七・五・二〇福岡市路上の殺人事件)で西武雄さんに対し、恩赦不採択告知と同時に死刑執行がなされる。

  • 1975(昭和50)年6月17日

    [[福岡事件]]([[一九四七・五・二〇]]福岡市路上の殺人事件)、[[西 武雄さん]]に対し、[[恩赦不採択告知]]と同時に[[死刑執行]]される。 福岡事件

  • 1963(昭和38)年9月30日狭山事件第一審第二回公判

    第一審第二回公判 封筒の切れ端<検察官尋問>中田健治供述 一)記憶ありますか。 これよりかもっと小さいものだったと記憶しています。 二)それよりも・・・ はい、・・・この場合もインクがにじんでおりますけれども・・・ 三)これで

  • 『~見えない手錠をはずして!~狭山事件42年ぶりの真実~』の番組のおこし(2005年)

    『~見えない手錠をはずして!~狭山事件42年ぶりの真実~』の番組のおこし(2005年)“ある日、突然犯人に… ~検証!えん罪の構図~” [[テレビ朝日]]系列の報道番組『[[ザ・スクープ]]』が[[狭山事件]]を特集2005年2月13日(日)午後2時放送 T:鳥越俊

  • 1963(昭和38)年11月13日狭山事件第一審第五回公判、日本語の文章としても疑わしいU証言を被告人にとって不利な意味解釈をした一審、二審の裁判長

    ※1963(昭和38)年11月13日狭山事件第一審第五回公判で、日本語の文章としても疑わしい内田幸吉証言を被告人にとって不利な意味解釈をした一審、二審の裁判長のこと*昭和38年6月5日付内田幸吉供述調書(2)(取調検察官 飯塚栄一 立会人 伊藤操)と1963(昭和38

  • 1963(昭和38)年6月30日

    1963(昭和38)年6月30日6/21~7/2[[狭山事件]]で、警察は、[[川越]]警察署特設取調室での「自白」デッチ上げとタイアップしつつ、[[鞄]]・[[万年筆]]・[[腕時計]]の証拠品の捏造を行う。参考:石川一雄獄中歌集(一九七九年/たいまつ社)狭山差別裁判関係略年譜狭山事

  • 1963(昭和38)年6月29日

    1963(昭和38)年6月29日* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、[[拘留延長]]手続き(一〇日間)。捜査本部、狭山市田中で[[腕時計]]捜査(~三〇日)。狭山事件の再審を求めるオンライン署名にご協力を!伊藤寛‏さんのツイートより 2013(平成25)年6月13日 代

  • 1963(昭和38)年6月28日

    1963(昭和38)年6月28日 * [[1963年]] - [[狭山事件]]で、 中田・石田弁護人面会。 捜査(6/23~30):この間行われた「殺害犯行現場」の[[血痕]]検査、[[実況見分調書]]未開示。「狭山事件再審オンライン署名」へhttp://geocities.yahoo.co.jp/gl/enzaisayama

  • 1963(昭和38)年6月27日

    「狭山事件再審オンライン署名」へ 「狭山再審リボンキャンペーン」へ1963(昭和38)年6月27日* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、[[警察友の会]](阿部真之助会長)、捜査本部に感謝状。 証拠:星野・阿部鑑定書(スコップ附着物)http://www.senshu-u.ac.jp/‾

  • 1963(昭和38)年6月26日

    1963(昭和38)年6月26日* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、石川家[[家宅捜索]](第三回)で[[万年筆]]を“発見”。[[石川一雄]]、この日までに“[[自白]]”を単独犯行にかえる。 証拠:万年筆、 [[「なかよし」]] 、ボールペン 六月二六日、長谷部さんに 「お寺の

  • 1963(昭和38)年6月25日

    「狭山事件再審オンライン署名」へ2013(平成25)年6月25日 東京高裁前第三回アピールが行われるつぶやきから実現へ 様のリツイートより 2013(平成25)年6月24日 人権侵害の危険性❌狭山事件の冤罪性。犯人脅迫状の文字と、石川元被告が警察で書かされた上

  • 1963(昭和38)年6月24日

    「狭山事件再審オンライン署名」へTokuda Jiro‏ さんのツイートより 2010(平成22)年10年9月21日 証拠捏造の話題がツイッターで盛り上がっていますが、こんなもの昔から普通に行なわれていてその典型的なのが植草の痴漢事件と狭山事件の万年筆、共に捜査当局が証拠を

  • 1963(昭和38)年6月24日

    「狭山事件再審オンライン署名」へ1963(昭和38)年6月24日二度目のいい加減な地図で溝の中からかばんを発見。父栄作の述べる「一見皮製にみえる」合成皮革のかばんが牛皮のかばんに化けている。この日、関、石川宅を訪ね、家人のすきをみて台所の鴨居に新品のピンク色

  • 1963(昭和38)年6月23日★

    「狭山事件再審オンライン署名」へ薔薇庭人 さんのツイートより 2013(平成25)年4月28日 東京新聞 狭山事件石川さん:警察官から「お前じゃないなら犯人はお兄さんだ。お前が被ればお兄さんは逮捕しない。10年で出してやる」と言われ自白した。兄にアリバイがあった

  • 1963(昭和38)年6月22日

    「狭山事件再審オンライン署名」へ1963(昭和38)年6月22日* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、捜査本部、橋本紀徳弁護人の面会を認めず、二六日、二八日に限定。[[石川一雄さん]]、川越署[[嘱託医]] 加登豊の診療を受ける。2013(平成25)年6月21日くまがや

  • 1963(昭和38)年6月21日

    1963(昭和38)年6月21日* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、捜査本部、カバン“発見”(発見者、関[[巡査部長]]、立会人宮岡貞男)。 証拠:鞄(二回目の[[自白]]図面による)Akira Kurihara‏ さんのツイートより 2013(平成25)年5月1日 狭山事件・確実なこと。自

  • 1963(昭和38)年6月20日

    「狭山事件再審オンライン署名」へポスターの画像はコチラhttp://www.asahi-net.or.jp/~mg5s-hsgw//chiiki/sumida/sumida_Sayama1306.htmlから頂きました 「狭山事件50年! 見えない手錠をはずすぞ! 墨田集会」のお知らせ 6月21日(金)18:30~ 墨田区社会福祉会館3F(墨

  • 1963(昭和38)年6月19日

    「狭山事件再審オンライン署名」へポスターの画像はコチラhttp://www.shinjikai.com/sayama.htmlから頂きました1963(昭和38)年6月19日* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、[[石川一雄さん]]、[[ハンスト]]にはいる。亀井トム氏 「狭山事件 無罪の新事実」より一九六

  • 1963(昭和38)年6月18日

    「狭山事件再審オンライン署名」へ2013(平成25)年6月18日 高裁前第二回アピールが行われる 朝の部 8時30分~10時 昼の部 11時50分~13時 場所: 地下鉄 霞ヶ関駅 A1出口を出てすぐ 第14次高裁前アピール http://www.facebo

  • 1963(昭和38)年6月17日

    「狭山事件再審オンライン署名」へ筆跡の写真は RocketNews24 2013年6月15日号 の以下の記事よりお借りしましたThe Sayama Incident: Kazuo Ishikawa's half-century struggle against a wrongful murder conviction and Japan's backward legal system1963(昭和38)年6

  • 1963(昭和38)年6月15日

    [[東島明さん]]が、[[川越署]]へ移送される。 証拠:[[地下足袋]](発見者・須田林太郎)

  • 1963(昭和38)年6月14日

    「狭山再審リボンキャンペーン」へ「狭山事件再審オンライン署名」へ [[石田 享]]弁護士、弁護人に選任。石田弁護人、橋本弁護人とともに[[拘留取消]]、[[保釈]]、[[勾留理由開示公判]]の請求。[[西村康長]]判事、一八日に[[拘留理由開示公判]]を開くことを決定。

  • 1963(昭和38)年6月8日

    上田県警本部長、押収した地下足袋を石川一雄ははくことが可能と発表。 上田県警本部は石川(十文半)は兄六造の九文七分の地下タビをはけるから、佐野屋にきた犯人と発表(上告書ではこの地下タビは十文三分と鑑定されている)。* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、上田

  • 1963(昭和38)年6月3日

    亀井トム氏 「狭山事件 無罪の新事実」より一九六三・六・三 石田一義・義男、東島明逮捕。石川への押しつけ、或いは石川・東島二人犯に切りかえるための布石とみられる(無実の東島は石川が単独犯で起訴された後、警察がアリバイを「発見」したため五七日目で釈放され

  • 1963(昭和38)年6月13日

    1963(昭和38)年6月13日狭山事件で、浦和地検が、石川一雄氏を、中田善枝さん殺しで起訴できず、別件で起訴する。川越警察署特設取調室の使用準備を始める。参考:『石川一雄獄中歌集』略年譜* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、[[浦和]][[地検]]が、[[石川一雄]]

  • 1963(昭和38)年6月12日

    [[6月12日]]* [[1963年]] - [[狭山事件]]で、[[浦和]][[地検]]、[[石川一雄]]の[[起訴]]をめぐって[[東京]][[高検]]と協議、決定する。 [[石川一雄]]は、犯行を全面[[否認]]し続ける。参考文献: 『石川一雄獄中歌集』狭山差別裁判関係略年譜

  • 1963(昭和39)年5月25日

    1963(昭和39)年5月25日狭山事件で、中田善枝さんの教科書・ノート等発見される。亀井トム氏『狭山事件 無罪の新事実』より一九六三・五・二五 きりかえられたゴム紐発見の場所の近くの山林で善枝の教科書・ノート等発見される。鎌田慧氏『狭山事件 四十一年目の

  • 1971(昭和46)年11月9日 狭山事件 第二審(寺尾裁判長)第五十四回公判

    野間宏著『狭山裁判・下』裁判年譜より1963(昭和38)年5月16日五十嵐勝爾(埼玉県警察本部刑事部鑑定課、警察技師医師)が死体鑑定書を作成する。 狭山事件/第二審(寺尾裁判長)第五十四回公判/1971(昭和46)年11月9日*「五十嵐鑑定」にふれられていない背部所

  • 1971(昭和46)年8月16日 狭山事件 第二審(寺尾裁判長)第五十三回公判

    ・野間宏著『狭山裁判・下』裁判年譜より1963(昭和38)年5月16日五十嵐勝爾(埼玉県警察本部刑事部鑑識課、警察技師医師)が死体鑑定書を作成する。・狭山事件/第二審(寺尾裁判長)第五十三回公判/1971(昭和46)年8月16日*「五十嵐鑑定」は公正中立なもので

  • 1963(昭和38)年5月15日

    一九六三・五・一五 捜査本部、石田三兄弟らしき三人を近日逮捕と発表する。一九六三・五・一九 石田兄弟にアリバイありと発表。

  • 1963(昭和38)年5月13日

    1963(昭和38)年5月13日 狭山事件で、石川一雄氏に目をつけ別件捜査開始。亀井トム氏 「狭山事件 無罪の新事実」より一九六三・五・一三 石川一雄に目をつけ別件捜査開始。婦人民主新聞縮刷版第五巻(婦人民主クラブ発行/一九七三年九月一四日号より)講座

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