領事館資料をまとめた「明治時期 香港的日本人」によると1874年は春日丸(http://kaori-neko.hatenablog.com/entry/2019/02/18/220831)をはじめ、色々な事が起こっていたようです。 当時の副領事である安藤さんの報告書(7月2日)には当時の欧米諸国の反応が描かれています。 「香港と広東省にいる西洋人は『日本の出兵が正しい事かどうかについてはひとまず置いといて、もし台湾が日本に属することになったら!って考えたら、物(台湾の資源とか?)の輸出ができるようになるから、えぇ事やって思ってる。』と。こう言われるのは(日本にとって)めでたいことやと思います。…
「宮古島島民遭難事件」は明治4年(1871年)に起こりました。沖縄の人は知っていると思いますが、日本本土でこの事件って授業で習いましたっけ?覚えてないなぁ。。日本が国際的に目立つキッカケを作ったんじゃないかと思うほど重大な事件だと思います。 当時の背景を簡単に説明すると明治4年(1871年)は沖縄はまだ「琉球王国」で、翌年に「琉球藩」になります。台湾は清朝管轄でした。ちなみに香港領事館ができるのはこの2年後です。 「宮古島島民遭難事件」は、琉球王国に年貢を納めに行った宮古島の船がその帰り道に嵐にあって遭難、台湾へ流れ着いたところから始まります。 船に乗っていた69名のうち、3名は溺死、残り66…
有名軍艦「春日丸」が香港にやって来た!日本領事館は尻拭い(涙)
軍艦のことは全く知識がないので「春日丸」でググったら、萌えキャラでてきた!有名な軍艦だったのですね! 春日丸は薩摩藩がイギリスから購入した木製軍艦。イギリスは本来、清朝に売るつもりで船の名前も「江蘇艦」だったのですが、清朝が「えー、めっちゃ高いわ、買われへんわ」と拒絶。イギリスが「じゃー、他に売るわ」と行って、インドや日本を模索。 ある日、長崎港に止まっていた春日丸(当時、まだ江蘇艦)を見初めた薩摩藩が購入。戊辰戦争(明治政府軍と旧幕府勢力及び奥羽越列藩同盟との内戦)で大活躍したみたいです。 そんなアイドル春日丸は、明治7年(1874年)1月末に香港に到着。記録によると「井上少佐」以下143名…
鎖国をしていた江戸時代が終了してまだ間もない明治6年(1873年)、日本の民間人が香港でビジネスをしていたことが領事館の記録に記載されています。 香港でビジネスをしていたのは「駿浦屋(Sun Po & Company)」、日本本店は横浜本町1丁目で社名は駿府屋太郎商店、香港はその分店だそうです。香港では明治5年10月に開業。住所は「香港中環大街54號」。中環大街ってどこ? 本を続けて読むと「現在(昭和10年/1935年)の中華百貨公司(中華系百貨店)の東2,3件隣の位置にありました。あの辺りはすごい繁華街で人目を引きますね」と大きなヒント。 昭和10年/1935年で該当しそうな百貨店は全部で3…
領事館ですが、開設後わずか2年目にして存続すべきかどうかの危機を迎えていました。 この本「明治時期 香港的日本人(明治初期における香港日本人)(※1)」によると「適当な人がいない」というのが大きな理由だったようです。 初代の林副領事は、就任後わずか3ヶ月で帰国申請を提出。理由は当時日本で起こっていた外交問題「鮑彦卿事件(※2)」の処理で帰る必要があったようですが、1873年9月19日に横浜へ到着するも同月23日に突然、病気で亡くなっています。 その後、明治政府は次に樋野書記官を派遣、しかし彼は元々3ヶ月の短期の約束だったのと、病気になってしまったのとで「早く日本に帰りたい」と訴えます。政府側は…
明治時代の香港にいた日本人〜どこにあったかわからない初めの領事館
香港の書店はどこも必ずと言っていいほど、日本の歴史本コーナーがあります。 そこで「明治時期 香港的日本人(明治時代 香港の日本人)」という本を見つけました。これは、香港人の方々が在香港日本領事館の記録を元に、中国語にまとめた本のようです。読んでみると大変興味深く、この本の存在を日本人が知らないのはもったいないと思い、気になる箇所を抜粋してみることにしました。 ・どこにあったかわからない初代領事館 在香港日本領事館(以下;領事館)は今から遡ること146年前の明治6年(1873年)に開設。 領事館がどこにあったかというと、実ははっきりとはわかっていません。賃貸契約書は存在し、それによると「ヴエルブ…
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