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上田市
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2013/06/15

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  • 帝国ホテル

    東京都千代田区内幸町に帝国ホテルがあります。明治23年(1890)帝国ホテルが海外からの賓客をお迎えする「日本の迎賓館」として開業しました。井上馨は隣にあった鹿鳴館と密接な関連を持ったホテルをと渋沢栄一と大倉喜八郎を説得して有限会社帝国ホテル会社を設立・建設させたものです。総建坪は1300余坪でドイツ・ネオ・ルネッサンス式の木骨煉瓦造3層の建物でした。大正4年(1915)アメリカの建築家F.L.ライトは帝国ホテル設計のために来日し、大正11年(1922)に帝国ホテルが竣工するまで日本に滞在し、帝国ホテルのあらゆる詳細部、装飾的な手ぎわや、中に入れる家具の一つ一つにまで監理しました。遠藤新をはじめ多くの日本人建築家に大きな影響を与えました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne....帝国ホテル

  • 帝国劇場

    東京都千代田区丸の内に帝国劇場があります。帝国劇場は帝劇の名で親しまれ、数々の名作が上演されてきました。日本初の洋風劇場として明治44年(1911)に建築されました。益田太郎、渋沢栄一、荘田平五郎、福沢桃介、日比翁助、田中常徳などが発起人となり、大倉喜八郎が采配を振って日本ではじめて設立された西洋式演劇劇場です。昭和41年(1966)には最新式の設備を持つ地上9階、地下6階のモダンな劇場になりました。収容人数は1897人、客席数1階が1209席、2階が688席でミュージカルや演劇が上演されています。9階には出光美術館があります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/帝国劇場

  • 田安門

    東京都千代田区北の丸公園に田安門(たやすもん)があります。田安門は北の丸地区北側の靖国通りに面した位置にあり、北の丸公園への出入り口、武道館へ入るところにあります。江戸城でももっとも桜の美しい場所です。田安門は、北面する高麗門とその西側に直交する渡櫓門からなる枡形門です。寛永13年(1636)に建てられています。江戸城遺構のうち、宮内庁所管以外のもので、昭和36年(1961)に国の重要文化財に指定されています。昔、この付近に田安大明神が祀られていたので田安という名前が付けられたようです。江戸城が造られてからは、北の丸といわれ、代官屋敷や大奥に仕えた女性の隠遁所になりました。千姫や春日局、家康の側室で水戸頼房の准母英勝院の屋敷などもこの内にあったそうです。享保15年(1730)、8代将軍吉宗の第2子・宗武は、ここ...田安門

  • 清水門

    東京都千代田区北の丸公園に清水門があります。清水門は北の丸の東門です。寛永元年(1624)に助役大名になっていた浅野長晟により建てられた江戸城北丸にある枡形の城門です。桜田門、田安門とともに昭和36年(1961)に国の重要文化財に指定されています。清水門は、昔この辺りに清水が湧き出ていたから付けられたようです。また、他説ではこの辺りに清水寺があったというものもあります。宝暦9年(1759)に9代将軍家重の第2子・重好が日本武道館付近に清水家を興しています。田安門から南北に分けると西側一帯が田安家、東側一帯を清水家が所有していたそうです。内堀通りから高麗門に入る道は、土橋となっています。高麗門に向かって右が「牛ヶ淵」、左が「清水濠」です。牛ケ淵と清水濠の水位が違うため、土橋にダムの役割を持たせているのです。雁木坂...清水門

  • 桜田門

    東京都千代田区霞が関に桜田門(さくらだもん)があります。桜田門は寛永13年(1636)に修築され、大正12年(1923)の関東大震災で破損し、その際に鉄網土蔵造りに改修されました。桜田門は他の各門と同様に「桝形城門」という第1の門と第2の門との中間に桝形(4角形)の広場がある形式が採られています。桜田門の桝形は15間×21間あります。現存している城門の中では最も広い規模を有していて形態が良く保存されています。桜田門は本瓦葺きの高麗門で、昭和36年(1961)に国の重要文化財に指定されています。もともとこの門は小田原街道の始点として「小田原口」と呼ばれていましたが、江戸時代の寛永13年(1636)に、日比谷入り江を埋め立てて桜田門として作り直されたようです。安政7年(1860)3月3日、ここで「桜田門外の変」が起...桜田門

  • 国会議事堂

    東京都千代田区永田町に国会議事堂があります。国会議事堂は、国会が開催されるところです。現在の国会議事堂は、大正9年(1920)建築開始で、昭和11年(1936)11月7日に完成しました。実に17年目にようやく完成したのです。11月29日は議会開設記念日だそうです。明治23年(1890)のこの日に日本で初めての議会である「第1帝国議会」が開かれたのです。この時は日比谷の経済産業省のあるあたりの木造の仮議事堂だったそうです。向かって左側が衆議院、右側が参議院です。構造は、地上3階、中央部4階、地下1階で、中央部に高さ65.45メートルの塔があります。外壁は花崗岩、内装は大理石の重厚な造りとなっています。鉄骨材は八幡製鉄所で作られました。組み立て工事中に関東大震災に襲われました。コンクリート杭を4000本以上打ち込ん...国会議事堂

  • 北の丸公園

    東京都千代田区に北の丸公園(きたのまるこうえん)があります。竹橋と一番町を結ぶ代官通りと、千鳥ヶ淵・牛ヶ渕・清水濠に囲まれたところが旧北の丸です。竹橋門内に住んだ秀頼の妻で2代将軍の娘千姫は「北の丸様」と呼ばれたそうです。江戸時代御三卿の屋敷などがあったこの地は明治になって近衛兵の兵営が置かれたそうです。昭和30年代後半に旧近衛連隊等の多くの建物を撒去し、森林公園として造成されました。昭和44年(1969)に公園として開放され、多くの文化施設が集まっています。日本武道館、科学技術館、国立公文書館、東京国立近代美術館、東京国立近代美術館工芸館などです。日本武道館は東京オリンピックの柔道の会場として建設されました。現在は武道の試合の他、コンサートや各種イベントが開催されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!...北の丸公園

  • 神田明神

    東京都千代田区外神田に神田明神(かんだみょうじん)があります。神田明神は天平2年(730)に創建された由緒ある神社です。元和2年(1616)には江戸城の鬼門の守護神となり、江戸総鎮守として江戸の庶民に親しまれてきました。神田明神は聖橋を渡ったところにあります。社殿の近くに銭形平次と刻まれた碑があります。野村胡堂の時代小説「銭形平次捕物控」の主人公、明神下の平次こと目明し銭形親分で有名になりました。一の宮では大己貴命(大国主命・だいこくさま)、ニの宮では少彦名命(恵比須・えびすさま)、三の宮では平将門命を祀っています。社殿は鮮やかな朱塗りで、祭神は、家庭円満、縁結び、商売繁盛、事業繁栄の守護神だそうです。江戸時代、新橋と浜松町を結ぶ江戸城の南は、浅い海の底にだったそうです。城の北東に隆起していた神田山(のちの駿河...神田明神

  • 法務省旧本館

    東京都千代田区霞が関に法務省旧本館があります。法務省旧本館は旧司法省庁舎として、米沢藩上杉家藩邸(上屋敷)があった桜田門の目前に明治28年(1895)に建てられました。設計は建築顧問官を務めていたドイツ人建築家ヘルマン・エンデとヴィルヘルム・ベックマンで、実施設計と工事監理は河合浩蔵でした。ドイツ・ネオバロック様式の堂々たる歴史主義建築です。明治新政府は官庁を一ヶ所に集めるという官庁集中計画をたて、法務省旧本館と大審院(最高裁)が建てられました。大審院が完成した後、官庁集中計画は中止されました。そして大審院は戦後取り壊されています。大正12年(1923)の関東大震災では煉瓦外壁が鉄材補強されていたことで被害はありませんでしたが、昭和20年(1945)の東京大空襲で煉瓦壁と煉瓦床以外の全てを焼失しました。昭和23...法務省旧本館

  • 日枝神社さざれ石

    東京都千代田区永田町に日枝神社(ひえじんじゃ)があります。日枝神社には「さざれ石」が置かれています。石灰石が雨水に溶解して粘着力の強い乳状体となって地下で小石を集積して大きくなっていきます。岐阜県揖斐郡春日村で発掘されたものだそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日枝神社さざれ石

  • 銘延房の太刀

    東京都千代田区永田町に日枝神社(ひえじんじゃ)があります。日枝神社が所蔵する刀剣は歴代の将軍より奉納されたものです。5代将軍綱吉が奉納した「銘延房の太刀」は国の重要文化財に指定されています。この刀は宝物館に展示されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/銘延房の太刀

  • 日枝神社

    東京都千代田区永田町に日枝神社(ひえじんじゃ)があります。日枝神社は武蔵野開拓の祖神・江戸の守護神として山王宮を祀っています。文明10年(1478)、太田道灌が江戸に築城するにあたり鎮護の神として勧請しました。天正18年(1590)、徳川家康が江戸城に居城するにあたり、徳川家の産土神としたことから江戸の市民に親しまれてきました。祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)といい、古事記に登場する神話の神です。日枝神社の神使は古くより猿といわれていて、夫婦円満・殖産繁栄の神としても参拝者の信仰を受けています。また江戸三大祭りの一つ「山王祭」も有名です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.f...日枝神社

  • 日比谷公園

    東京都千代田区に日比谷公園(ひびやこうえん)があります。近代日本文化の流れに起こった文明開化のあおりを受け、外国に負けない都市のシンボルとして日比谷公園は造られました。周辺には参謀本部や鹿鳴館、そして帝国ホテルと、豪華な洋風建築物が建ち並んでいました。日比谷見附の跡の石垣があります。江戸城外郭城門の一つで、日比谷御門の一部でした。園内北東部の心字池は江戸城に連なっていた堀の名残りです。日比谷公園造成の時に禅宗の日本庭園である「心」の字をくずした形で造られました。ここが「日比谷」といわれるようになったのは江戸時代です。当時はこのあたりまで海で海苔や牡蠣などを養殖する人々がいたそうです。海苔を育てるため海中に立てる道具を「ひび」と呼んだことから「ひびや」という地名がついたそうです。家康の時代、ここは徳川の領地となり...日比谷公園

  • 湯島天満宮

    東京都文京区湯島に湯島天満宮(ゆしまてんまんぐう)があります。湯島天満宮は江戸時代より梅の名所として有名です。雄略天皇2年(458)、雄略天皇の勅命により天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建されたと伝えられています。天之手力雄命は戸隠神社の主祭神で、天照大神が隠れた天岩戸を無双の神力でこじ開けた神様です。南北朝時代の正平10年(1355)、、湯島の郷民の請願により菅原道真を勧請して合祀しました。一時衰退しましたが、太田道灌が再興し、天正19年(1591)には徳川家康から朱印地5石を与えられています。菅原道真を祭るこの神社は、学問の神様として別名湯島天神としても広く知られています。江戸時代には谷中感王寺(天王寺)、目黒不動と並び「江戸の三富」と呼ばれ、幕府公認の富くじ(富突き)を発行しまし...湯島天満宮

  • 湯島聖堂

    東京都文京区湯島に湯島聖堂(ゆしませいどう)があります。元禄3年(1690)、5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟です。もともとは寛永9年(1632)、徳川幕府の政治顧問であった林羅山が上野忍が岡(現在の上野公園)に建てた孔子廟「先聖殿」を移築したものです。綱吉は先聖殿を「大成殿」と改称し孔子像と四賢像を安置し、またそれに付属する建物をひっくるめて「聖堂」と総称しました。建物全体は朱塗りにして青緑に彩色したと記録に残されています。聖堂の西側に御成殿や学寮が設けられました。老中松平定信は寛政の改革を通じて、聖堂は林大学頭家の施設であることから脱し、幕府の教育機関としての性格を強くさせていきました。そして、寛政9年(1797)聖堂及び林家の学塾は幕府に収公されて、以後「昌平坂学問所」と称し幕臣教育を受け持つこと...湯島聖堂

  • 東京ドーム

    東京都文京区後楽に東京ドームがあります。東京ドームは昭和63年(1988)3月に竣工されました。面積は115200平方mで日本で初めて造られた全天候型多目的ドーム施設です。内外の圧力差によって自立する、空気膜構造になっています。読売ジャイアンツのホームグラウンドですが、コンサートや様々なイベント会場として親しまれています。ドームシティは地上43階建ての超高層ホテル東京ドームホテル、天然温泉施設LaQua、東京ドームアトラクションズなどアミューズメントスポットして人気があります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/東京ドーム

  • 六義園

    東京都文京区本駒込に六義園(りくぎえん)があります。六義園は元禄15年(1702)、5代将軍徳川綱吉のお側用人だった柳沢吉保が7年もの歳月をかけて築園しました。六義園は吉保の文学的造詣の深さを反映した、繊細で温和な日本庭園です。小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられています。庭園の名称は、中国の古い漢詩集である「毛詩」の詩の六義、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が転用した和歌の「六体」に由来します。約2万7千坪の敷地の中にさまざまな景勝を取り込んだ日本式の回遊式山水庭園です。中之島を有する大泉水を樹林が取り囲み、紀州和歌の浦の景勝や和歌に詠まれた名勝の景観が八十八境として映し出されています。六義園は大和郡山藩柳沢家の下屋敷として明治維新を迎えました。明治になり三菱創設者の岩崎弥太郎の別...六義園

  • 根津神社透塀

    東京都文京区根津に根津神社(ねづじんじゃ)があります。透塀とは社殿周囲を囲んでいる塀で、格子部より向こう側が見えることからこのように呼ばれます。総延長200mもあります。唐門東方は34間、唐門西門間21間、西門北方は長53間あり、銅瓦葺きです。昭和31年(1956)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/根津神社透塀

  • 根津神社青銅灯篭

    東京都文京区根津に根津神社(ねづじんじゃ)があります。拝殿前に一対ある青銅灯篭は伊勢国津藩の第5代藩主・藤堂和泉守高敏が奉納したものです。鋳物御大工椎名伊豫藤原重休の銘が残されています。昭和6年(1931)に国の重要文化財に指定されています。そばには大正元年(1912)に建立された狛犬があります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/根津神社青銅灯篭

  • 根津神社西門

    東京都文京区根津に根津神社(ねづじんじゃ)があります。根津神社の西門は銅瓦葺きの、棟門で、宝永3年(1706)に建立されています。昭和31年(1956)に国の重要文化財に指定されています。透塀と調和しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/根津神社西門

  • 根津神社楼門

    東京都文京区根津に根津神社(ねづじんじゃ)があります。根津神社の楼門は宝永3年(1706)に建立されています。3間1戸楼門、入母屋造り、桟瓦葺きです。左右に随身が安置されていま。右側の随身は水戸光圀がモデルと伝えられています。昭和31年(1956)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/根津神社楼門

  • 根津神社唐門

    東京都文京区根津に根津神社(ねづじんじゃ)があります。根津神社の中門は神社の正門にあたります。宝永3年(1706)に建立された唐門です。1間1戸平唐門で、銅瓦葺きです。両妻に唐破風を備えています。天井には、藤原立信の墨江の龍が画かれていたそうです。根津神社唐門として昭和31年(1956)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/根津神社唐門

  • 根津神社本殿,幣殿,拝殿

    東京都文京区根津に根津神社(ねづじんじゃ)があります。根津神社の本殿は間口3間、奥行3間、1重、入母屋造り、銅瓦葺きです。幣殿は間口4間、奥行1間、1重、両下造り、銅瓦葺きです。拝殿は間口正面7間、背面9間、奥行3間、1重、入母屋造り、正面千鳥破風付、向拝3間、軒唐破風付、銅瓦葺きです。内部の長押には、森村宣永画伯奉納の三十六歌仙画が掛かっています。根津神社の本殿、幣殿、拝殿は宝永3年(1706)に建立され、昭和6年(1931)に国の重要文化財に指定されています。昭和20年、米軍の東京空襲により本殿に焼夷弾が命中して炎上、幣殿、拝殿も延焼しました。昭和25年(1950)から12年を費やして大修理して昔と変わらない荘厳な姿を見せています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.j...根津神社本殿,幣殿,拝殿

  • 根津神社

    東京都文京区根津に根津神社(ねづじんじゃ)があります。根津神社は、1900年ほど前に日本武尊が千駄木に創祀したといわれている古社で、「根津権現」とも呼ばれていました。東京十社に入っており、明治時代には准勅際社・府社に列格していました。本殿、幣殿、拝殿、唐門、楼門、西門、透塀が国の重要文化財に指定されています。文明年間(1469-1487)に太田道灌により社殿が造営されました。現在の根津神社の地は、江戸時代には5代将軍綱吉の兄である甲府中納言・松平綱重の山手屋敷(別邸)で、6代将軍綱豊(家宣)が生まれたところでした。宝永2年(1705)、将軍綱吉は養嗣子にした家宣のための産土神として根津神社に屋敷地を献納しました。翌年、千駄木にあった根津神社をこの地に移し、社領500石を与え、拝殿・本殿と両者を接続する幣殿(相の...根津神社

  • 旧磯野家住宅

    東京都文京区小石川に旧磯野家住宅(きゅういそのけじゅうたく)があります。旧磯野家住宅は、実業家の磯野敬が大正元年(1913)に建てた住宅です。車寄を備えた平屋建の書院棟、3階建の応接棟、平屋建の旧台所棟などから構成されています。屋根は銅板葺で、外壁にも銅板を張っています。表門は大正2年(1913)に建てられました。尾州檜の太い丸太材を柱に用いた四脚門です。主屋と表門は平成17年(2005)に国の重要文化財に指定されています。旧磯野家住宅は、東京に残る数少ない明治末期から大正初頭にかけての邸宅建築の一つです。現在は旧古河庭園内にある大谷美術館(旧古河邸本館)が管理していて、春と秋に見学会が開催されます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一...旧磯野家住宅

  • 旧東京医学校本館

    東京都文京区白山に小石川植物園(こいしかわしょくぶつえん)があります。旧東京医学校本館は昭和44年(1969)にこの小石川植物園内に移築されました。翌年の昭和45年(1970)には国の重要文化財に指定されています。旧東京医学校本館は明治9年(1875)に完成しました。建築面積430.6平方mで、木造2階建で、明治政府が諸官庁の建築工事を管掌させた工部省営繕局の設計です。桟瓦葺きで、正面玄関や半八角形の車寄せがあり、中央部には塔屋が付いています。明治10年(1876)、東京医学校と東京開成学校を毋胎とした東京大学が発足してからは、帝国大学医科大学本館となりました。その後、史料編纂掛、大学営繕課、施設部庁舎などに使用されました。大学発祥の由緒を持つ建物として、学校教育史上非常に価値があります。下記のサイトにもお立ち...旧東京医学校本館

  • 小石川植物園

    東京都文京区白山に小石川植物園(こいしかわしょくぶつえん)があります。小石川植物園は東京大学理学部附属植物園小石川本園といいます。前身は徳川幕府直轄の小石川御薬園です。5代将軍綱吉がまだ館林藩主だった頃、白山御殿と呼ばれる下屋敷があったところです。貞享元年(1684)、この地に幕府の薬草園の小石川御薬園が造られました。8代将軍吉宗の時にほぼ現在と同じ規模に拡大され、享保7年(1722)には山本周五郎の小説赤ひげ診療譚の舞台となっ小石川療養所が併設されました明治維新後は薬園は東京府、その後文部省の管轄となり、明治4年(1871)に小石川植物園となりました。明治10年(1877)、東京帝国大学の所管となりました。16万1千平方mの園内には、約4千種の植物が植えられています。敷地内には旧東京医学校本館が移築保存されて...小石川植物園

  • 小石川後楽園

    東京都文京区後楽に小石川後楽園(こいしかわこうらくえん)があります。徳川御三家のひとつ、水戸藩初代藩主徳川頼房が江戸上屋敷の庭園として造園を指示、2代目藩主光圀(水戸黄門)が完成した江戸初期の代表作的庭園です。光圀は造成に当たって、明から亡命した朱舜水の意見を広く取り入れて造園を行い、豪壮にして繊細な趣のある大名庭園を完成させました。中国の名所、西湖の堤を模した切石積の石堤、西湖堤や中国伝来の様式である円月橋が有名です。庭の様式は池泉回遊式で、海、河、山、野の4つの風景が楽しめるようになっています。後楽園の由来は、宋の范文正の「岳陽楼記」の中の一節にある「士はまさに天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から取ったそうです。一般の憂いを先取りし、庶民を楽しませ、自らはその後に楽しむという意味を込め...小石川後楽園

  • 三四郎池

    東京都文京区本郷に東京大学があります。三四郎池は正式には心字池といいます。夏目漱石の名作「三四郎」が、ここが舞台となっていたため「三四郎池」と呼ばれるようになったそうです。元和元年(1615)の大坂夏の陣の後、加賀藩前田家は幕府から現在の東京大学周辺の地を賜りました。育徳園という庭園が作庭され、心字池が作られたのです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/三四郎池

  • 東京大学工学部1,2.4,6号館

    東京都文京区本郷に東京大学があります。工学部1号館は昭和10年(1935)に完成し、登録有形文化財です。工学部2号館は大正13年(1924)の建物で、旧館は内田祥三が東大構内で初めて設計した建物です。工学部4号館は昭和2年(1927)に完成。工学部6号館は昭和15年(1940)に完成しています。設計はいずれも内田祥三です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/東京大学工学部1,2.4,6号館

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