登山はきもちいいとか楽しいとか苦しいとか寂しいとかいやらしいとか、色々あることを書きたいです。
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今読んでる池内紀の本の中で、山に登って、頂上に着いたとき、 声に出すと、何かが終わってしまうような気がしてならない。(中略)私たちはともにソッポをむきあったまま、しばらくのあいだ茫然と山頂の岩陰にすわっていた。 とあって、同じく本の中で辻まことの文章というか詩を引用して、 登りつめたそのとき、バンザイとさけんでいたら、あるいはヤッホーと声に出して息をはいたら、私の何かが終わっただろう。 と、ある。 その、終わってしまう「何か」、とは何か? なんとなくわかるような気がするけどうまくいえない。それを説明しようとすると、またさらに手前にある「何か」が終わってしまうような、そんな何か、、。いくつもの要…
はじめて山にのぼった記憶というとなんだかぼやけていてるのだけれでも、それよりもはじめて森林限界をこえたこと、の方が体験としてとても具体的で、山をのぼることのかなり大きな部分を、森林限界をこえる、ということばで言いかえれそうなくらい自分にとっては大きい。森林限界ってことばなのか、線なのか、場所なのか、わからない。とにかく限界、という響きがもたらす厳しくてストイックな感じがかっこいい。森林限界と人身売買って響きが似てるよね。森林限界って本当は人が立ち入っちゃいけない、みたいな禁欲的な感じがたまらなくて、森林限界のほんとうのギリギリの最後の高い木のところに門番がいて「ここから先は森林限界だ.。行くか…
山に登っているときに山に登っていることにほんとに集中している時間なんてけっこう少ない。そういうときは頭も体も区別がなくて、全部でひとつのセンサーになって、受身状態になる。受動態。山を能動的にのぼっているのではなくて、山からやってくるものに対してオートマチックに反応しているだけ。体のあらゆる間接を無駄なく連携させて、山の斜面の複雑なかたちに自分の体をピタッとよりそわせていくような感覚。 不思議とこの状態になると、あっ、今オレはそのモードの真最中だ、と冷静に気付くことが多い。気付いた時点でそのモードが終了するのではなくて、むしろけっこう安定していて、気付いた自分が山モードの自分を俯瞰しているような…
御岳山は山の上だからまだ春という感じじゃないかもしれないと思っていたけど、全然すっかり春で、スミレがたくさん咲いて、前を歩くおばさんがみつけてくれたおかげでカタクリをみることもできた。カタクリはちょうど咲き始めの頃らしく他のカタクリをみつけることはできない。このあたりはレンゲショウマが有名でレンゲショウマは夏に咲く花で、今ちょうど芽をだしている時期だ。その話を御岳山のお店のおばさんに教えてもらっている頃にはすっかりビールで体が気持ちよくてあたたかいのでケーブルカーの下の道を通って御岳駅まで歩くことにしよう。この道の杉が太くて一本一本に数字がうってあって増えていく数字をおいかけるように降りていく…
ミシェルレリスの幻のアフリカが文庫になって復刊されていることをずっと3年間も知らないまま生きてきた、ということをさっき知った。あわてて本屋にいったら、その本はあった。文庫サイズなのに千ページを超えているから厚みが6センチくらいある。上に伸びるはずの樹木が間違えて横に伸びちゃったみたいなイビツなたたずまいが気に入ったのですぐ買った。帰り、カバンに入れたそれは四角くて重い。彫刻を買ったような気分。
去年の夏は雲取山から奥秩父の山々を瑞垣山までテントで縦走した。4泊目の大弛小屋に泊まるまでひたすらずっと天気が悪くて毎日雷雨にやられてどこも真っ白だしかなり腐っていたのだけどその晩のラジオの天気予想はようやく晴れるということだったので、少しでもその時間を逃したくなくて、翌朝はもう4時半には歩き始めていた。これから向かう金峰山はなんといっても奥秩父の中で唯一森林限界を超える山で、景色がすごくて、しかもあの、岩で構成された天然の城のような瑞垣山がみえるらしいぞ、ということでなんとしてでも晴れてもらわなければ、もう5日も歩いているのに全く報われなくて,街でもそうなのに山でもかよ、みたいのは勘弁しても…
去年の夏にはじめて涸沢にテント張って泊まったら、なるほど北アルプスの中心といった感じで沢山の人でにぎわっていて、こんな場所ははじめてだなっと思った。その最たるものが小屋の売店で声をはりあげてる女の子が皆かわいくて、まじかよと思ったけどやっぱりなと思ったのは、前から雑誌とかで涸沢の小屋の紹介をみていてうすうすイメージができていたからで、働いている人は若くてかっこよくてかわいい人が多くて、スキーというよりスノーボードがめちゃうまそうな感じの、ひけた腰のままずっこけてるオレに無意識の劣等感を与えていることに微塵も気がつかないキラキラした笑顔を振りまいている感じ。やせて色白で海が全くにあわないオレがか…
3時ごろにそろそろ雪が降ってきて、小屋に着いて中に入ると暗くて、土間のところに小屋の人らしきひとが現れて何か、いらっしゃいませ、的な言葉を待っていたら何もないままお互いに5秒くらい気持ちわるい沈黙がつづいたので、たえられずに宿泊したいのですが、ときりだすと、ようやく、はい、と答えてくれた。小屋はすごく暗かったのでそのときはよくわからなかったけど、体が細くて目も細くて若い人で存在感のないことによって逆にうしろ姿から存在感がきわだってくる種類の人だとすぐに判断した。後から同宿の人にきいたら、年間200日くらいこの小屋の中で生活しているらしく、だからといって山の中で生活している喜びや苦しみや、それら…
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