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EVERYTHING 禅
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不立文字、されど語り尽くします
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ブログ村参加:2013/03/10

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松本浩舜さんの新着記事

1件〜30件

  • 受け継げない賢さ

    人間は失敗などを経て学び、時に段々と賢くなるものかも知れません。しかし、人間には寿命があるので、経験は一代限りで失われ、残念ながらその賢さをそのまま次の世代が受け継ぐ事は出来ません。今、この国でも問題が顕在化しつつある様に、戦争を経験して「戦争だけは避け

  • 和の命題

    それにしても今、再び”和”が元号に定められたのは興味深い事です。因みに日本の元号に”和”が登場するのは248回中20回だそうですが、これは元号に使われた漢字で同率で5番目に多いものである様です。加えて”昭和”から”平成”を挟んだだけで再度選択された訳ですから、

  • 美しき調和

    日本という、ある種の枠の中で暮らす人間にとって、”令和”という新しい時代が始まって4ヶ月と半分。同じ日本人であっても、同じ日本で暮らしていても、その感覚は人それぞれでしょうし、同じではないと思っています。元号が変わる事が、大きな意味を持つと思う人もいるでし

  • 御代の遷りに際して

    一月往ぬる、二月逃げる、三月去ると申しますが、あっと言う間に四月も過ぎ去ろうとしています。人の命がいつまであるかは誰にも分かりません。高齢でもまだまだ長生きが出来るかも知れませんし、逆に若くとも、残念ながら最期は迫っているのかも知れません。どちらも油断す

  • 目に頼る判断

    病気が理由とは言え、此方を放置状態で申し訳ありません。おかげ様で一時よりはだいぶマシになりました。一年に全く更新しないのも気持ち悪いので大晦日に一話だけ更新します。皆さんは、”ヘルプマーク”や”ヘルプカード ”というものをご存知でしょうか?世の中には、外見

  • 問題は常に己、他に非ず

    ご無沙汰しております。時が過ぎるのは早いもので約1年半ぶりの更新になります。その間、怠けて居たのだろうと言われれば確かにそうかも知れませんね。それぞれの事情なんて、第三者には知る由もない事ですし、大抵、人は自分には甘く、そして一方で他人には厳しいものです

  • 厳しい責任、甘い憂い

    人間釈迦がそうであった様に、事実の確認をする者は出来れば必要です。それは大局を見渡す者であり、今、本当に何をすべきかを知る者です。人間が知り得る事実も、人間が知り得ない事実も、共に事実を知った上で、人が進むべき道を照らし出せる者がいれば、求める者もまた多

  • 難しい理屈と簡単な操作

    私は、禅や仏教は、”事実の確認”と”逆に生きる示唆”だと考えます。少なくとも人間釈迦の辿り着いた答えは、両方なくては成立しません。どちらが欠けても、それは禅でも、仏教でも無いと思うのです。”事実の確認”とは、言ってみれば哲学や科学の得意分野かも知れません

  • 逆の生き方

    例えばそれが善意であれ、悪意であれ、浮気であれ、本気であれ、どの様に生きても構いませんが、それでどの様な結果が訪れてもそれは、意識せずとも、”あなたが望んだ結果である”のではないでしょうか?幾らその責任から逃れようとしても結局、その責任を負うのは自分自身

  • 無法の上に築いた仮初めの法

    その上でどの様に生きて行くかは本来ノールール、つまり”無法”であります。相手が好意を持ってくれる事を期待しなければ、どんな料理を作ろうが勝手。また全てを含めて己がそれで満足ならば、此方は何も言い様もありません。本人が、開き直って迷い続ける事を望むなら、そ

  • 自分をどう料理するか

    己に与えられた現実の中で、どの様に生きるか?という事こそが問題です。それはつまり、自分をどう活かしてゆくか?という事であり、材料としての自分をどの様に料理するか?という事です。以前「不平等の行き着く先(15/2/19)」という話で申し上げた通り、人間は、生に於い

  • 求められる覚悟

    行く末に迷い、過去に迷い、常に迷いがちなのが人間です。現実を前に、迷う事なくただ粛々と生きてゆく事はこんなにも難しい。寧ろ迷いの中で苦しみ続けるのが本来の人間らしさであるかも知れません。それは持て余すほど大きな心を、人が持っているからに他なりません。そし

  • もう会えないかも知れない可能性は常にある

    私は、幼い頃に死にかけた事がある所為か、それ以来、何となく自分の周囲が、特に壊れ易いものの様に感じていました。それは、自分の世界が崩れてゆく予感という感じでしょうか。自分が消えてしまうにしろ、或いは周囲の側が消えてしまうにしろ、それは結果的には、二度と会

  • 二度と戻れない選択

    皆さんは”選択式小説”というものを読まれた事があるでしょうか?作者が織り上げた物語を、ただ追随するだけの普通の小説とは一味違い、物語を読み進める中で、読者自身に選択する余地が与えられた小説です。読み手の選択次第で、過程だけでなく結末さえも異なる事になりま

  • どうにもならない事を前にして

    残念ながら、”私”にはどうにもならない事は現在進行形で起こっています。そしてこの先も、どうにもならない事が起こる事は多分、避けられません。人によっては、おそらくそれが原因で、夜も眠れない事もあるはずです。宗教に縋れば、どうにもならない事がどうにかなる事な

  • 蒔かぬ種は生えぬ

    壺の譬えに似て事実は変わりません。変えられるのは自分自身のみです。しかしそれで、自分を含む現実を多少なりとも変えられる事は確かです。それは期待と懸け離れた小さな一歩にしか過ぎないとも思えるでしょうし、寧ろ後退だと思える事もあるのかも知れませんが、一方で、

  • 宝の持ち腐れ

    壺の中に手を差し入れて、中に入っている宝を出来得る限り握り締める。しかし壺の口は小さいので、握り締めた拳が邪魔をして、そのままでは壺から手を引き抜く事が出来ません。宝を握り締めたまま引き抜いてその宝を我が物にしたいのに、宝は握れるというのに、残念ながら壺

  • たったそれだけの事

    ”足す”と”引く”を、もう少しだけ押し進めて考えてみましょう。実は人間は、足す場面と引く場面を間違えて行動している様なものなのです。それを正しく入れ替え行動すれば、全ての問題は解決するかも知れません。勿論、人間の”心”が生み出している全ての問題、という意

  • 足すのではなく引く

    例えば、ごく普通の人間である私達からすれば、或いは「悟り」等と申しますと、何処か遠く感じられ、まるで他人事(ひとごと)の様にも思えるかも知れません。しかしそんな勿体付けられた悟り等、果たして何の意味があるでしょうか?それが単純に”生き方”と言い換えられ

  • 目から鱗を落とす事

    奇なるかな、奇なるかな。一切衆生悉く皆な如来の智慧徳相を具有す。ただ妄想執着あるを以ってのゆえに証得せず。思いがけず素晴らしい事だ。生きとし生けるものは皆、生き方というものを知っている。ただ人間は、自分の心に取り憑かれ、この世からの借り物を自分のものだと

  • 四つの勘違い

    人間は、この世の本質が無常(変化)であるのに常(一定)と見て、刹那は兎も角、過ぎ去ってみれば苦に満ち満ちているのに楽と為し、人間本位の自我など幻に過ぎないのに、それこそが我(本質)であると考え、この世の不浄な現象を、殊更に浄(きよ)らかと感じ、手放す事が

  • 仏とは、悟りとは、浄土とは、

    衆生本来仏なり/衆生の他に仏なし/この身即ち仏なり。生きとし生けるものは”本来”、仏そのものである。生きとし生けるものを離れて仏は存在しない。ならばこの我が身自身が、取りも直さず仏そのもののはずである。『白隠禅師坐禅和讃』は、”衆生本来仏なり”という一節

  • 遠く求むる儚さよ

    ”遠く求むるはかなさよ”これは『白隠禅師坐禅和讃』というお経の一節であります。”坐禅和讃”は、江戸時代に”白隠慧鶴(はくいん えかく)”という禅僧が、「禅」というものの本質を、端的に示そうとしたお経であり、比較的一般大衆にも理解し易い様に、積極的に日本語で

  • 他の何処でもない、まさに此処

    さて、人はなぜか”此処ではない、何処かに”救いを求めてしまいます。”此処”さえ離れられれば何とかなるのでは、と考えるのでしょうか。本当は”此処”で生きる事こそが一番の問題であるにもかかわらずです。実際問題、”此処”では生き延びれない事もあるとは思います。

  • 大人で子供、子供で大人

    大人になると、”子供向け”だというだけで軽視されがちかも知れません。大人には”大人向け”のものこそが似合うと信じるかも知れません。しかしそれで大事な事を忘れている事もあるかも知れません。或いは”大人向け”を身に付けさえすれば大人になれると思うのでしょうか

  • 青い鳥

    ベルギー出身のノーベル文学賞受賞作家、メーテルリンク。彼の代表作と言えば「青い鳥(L'Oiseau bleu ロアゾブルー)」でしょう。私は、子供の頃に放送されていたアニメの印象が強いのですが、童話や絵本として記憶されている方も多いかも知れません。今でも同名の二次創作

  • この世にも牡丹の花は咲く

    この「石橋」に垣間見える教訓は少なくとも二つある様に思います。先ず一つには、見る側の話。人は表面的な事に囚われ本質を忘れる、という事です。実は豪華絢爛な獅子の舞は”前座”の様なもので、本来招聘する”真打” の登場は、前座が大人しくなってからなのですが、多く

  • あらたかな奇跡

    あけましておめでとうございます。旧年中は更新ままならず大変失礼致しました。とは言え御蔭様で、一応このブログも600話を越え、三度目の新年を迎える事が出来ました。本年も精進して参りますので、宜しければもう暫くお付き合い下さい。さて、能の演目に「石橋(しゃっ

  • 獅子と牡丹の相乗効果

    ”牡丹”が指し示すものは、”仏教”そのものとも言えますし、”仏法”とも、”智慧”とも言えるかも知れませんが、それは兎も角、人は、そこに象徴される”覚悟”や”自戒”や”心法(辛抱)”を持たなければ、自分自身の獅子にも似た「心」をコントロールする事が出来ませ

  • そして百花の王

    例えば、仏教的な花と言うと”蓮”を思い浮かべるかも知れません。しかし勿論、蓮はただ仏教的なだけではありません。蓮を象徴的に扱うのは仏教だけではありませんから。また”仏花”という点では、象徴的な”菊”を想起するかも知れません。それが災いして場合によっては、

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