書評やアニメ評中心の雑文集です
市場調査、社会調査、レポートライティング等の仕事をしています。折に触れた本(哲学・思想・文學、小説、SF、歴史・史論、社会科学関係等)やアニメーションの寸評の他、過去に発表した文章や制作に携わった調査レポート等(公開されているものへのリンク)のコンテンツもあります。
東西南北舎は東西南北人の活動に伴い生成したテクスト群の集積地である。「東西南北人」は福岡の儒者亀井南溟が秘蔵した細川林谷篆刻の銅印。南溟の死後、息子の亀井昭陽から、原古処、原釆蘋、土屋蕭海、長三洲へと伝わり、三洲の長男、長壽吉の手を経て現在は福岡県朝倉市の秋月郷土館に伝承されたもの。私の東西南北人は勝手な僭称であるが、願わくば、東西南北に憚ることのない庵舎とならんことを祈念してその名を流用させて頂いた。
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“新たな彼方へ、ここから行けるのだろうか?”~『正解するカド』
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