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2013/01/14

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  • 南アルプスの春

    今日は「日本画的風景」を写真画像でお楽しみください。南アルプスと水車小屋櫻老木櫻いかがでしたでしょうか。もうすぐ春がやってきます。美しいものをたくさん見て楽しみましょう。(C)2013K.Niwa↓↓ブログ応援のために下のボタンをクリックしていただけると嬉しいです!↓にほんブログ村美術ブログ↑携帯電話からはこちらをクリック。ありがとうございます。励みになります。↑南アルプスの春

  • 東博・円山応挙の双鶴図を見て

    先日、東京国立博物館に行った。その時、目にとまった一枚の掛軸、それが上の円山応挙(正しくは圓山應擧)の「双鶴図」。円山応挙に関する本を調べてみると「応挙は写生と遠近法を日本画の中に確立した」という解説が数多くかかれているが、掛軸の小画面の中の応挙の絵には、その細やかな写生の技が見ることができる。鶴の羽はひと筆の払いだけで描かれ、また長く曲がった首の角度が、二羽の鶴で異なり、手前の鶴は、正面から見た顔であり、後ろのもう一方の鶴は泣き声をあげる横顔を描いている。手前の鶴は、墨の濃淡で羽の膨らみや鶴の立体感を表現している。まるで生きた鶴がまさに目の前に立っているかのような、正確な写生の技。写真・動画のない江戸時代に、リアリティが持つ美しさ、迫力、創造性を追求した日本画家で、円山応挙の右に出るものはいない。おそらく雄山...東博・円山応挙の双鶴図を見て

  • 丹羽雄山の作品~たまねぎ

    雄山の静物画の代表作品の一つ「たまねぎ」。もともと西洋画のジャンルの一つである静物画を日本画の精緻な写実の筆でたまねぎを描いた作品である。この静物画のモチーフは「家族」。雄山夫婦と4人の子供たちがたまねぎを通じて描かれている。問題は、この玉ねぎである。八百屋に並ぶ玉ねぎの姿ではない。芽が出ており、根も付いている。何故もう既に芽が出て根が生えているたまねぎを描いたのだろうか。私は何年もその謎が分からなかったのだが、当ブログを読んでいただいた方から次のようなご指摘をいただいた。「これは、畑で採れたあとの玉ねぎ。地中から掘り起こした玉ねぎは茎の一部を残し根もそのままにひもで茎をくくってつるします。掘りたての玉ねぎのあふれ出る生命力が感じられる絵です。」調べてみると下の画像の通り。この玉ねぎは、雄山が農家から入手した新...丹羽雄山の作品~たまねぎ

  • 丹羽雄山の作品~森林花園

    丹羽雄山の日本画の世界。京都画壇で学んだ花鳥画をベースにしながら、雄山が最も得意とした樹木による心象表現の中に、森林の中を飛ぶ鳥と、花園を舞う蝶を、一画面にシンボリックに描き切った。ある者には、湖面を舞う鳥・蝶に見え、ある者には、森林を飛ぶ鳥と蝶に見え、ある者には、青の花園を舞う蝶と小鳥に見える。この一枚の絵の中に描き込まれた重層的な訴求力が、丹羽雄山の作品の面白さ、楽しさである。画面全体は「雄山ブルー」で細密に描かれた樹木・花園の中に、黄色の小鳥と桃色の蝶を配しているが、それぞれパステルカラーに近い黄色・桃色であり、色づかいは現代画の要素がふんだんに盛り込まれている。樹木の下から上への線の流れと鳥の飛ぶ方向に示された線と、蝶の舞う方向で描き出された線が、絵全体の動きを作り出している。この「上昇線」が、見るもの...丹羽雄山の作品~森林花園

  • 京都市立絵画専門学校

    明治42年(1909)、京都美術工芸学校に加え「一層高い絵画専門教育を提供する」目的で開校した京都市立絵画専門学校(現在の京都市立芸術大学)は、京都日本画壇の実力者として知られ、大きな影響力を持った竹内栖鳳らが指導にあたり、多くの優れた作家を輩出してきた。現在の京都市立芸術大学である。明治・大正・昭和期、ここから巣立っていった日本画の巨星達が以下の通りである。<京都画壇のリーダー達>竹内栖鳳・・明治42年教授就任。西山翠嶂・・竹内栖鳳娘婿。大正8年、教授となり昭和8年、校長就任。文化勲章受賞者。中村大三郎・・大正8年卒。大正13年助教授就任。西山翠嶂の娘婿。西村五雲・・竹内栖鳳に師事。大正13年教授就任。<黄金の第一期生たち>小野竹喬・・明治44年卒。一期生。土田麦僊・・明治44年卒。一期生。榊原紫峰・・明治4...京都市立絵画専門学校

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日本画家・丹羽雄山を求めて
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