分は基本凡庸な作り手の優れたクリマよりも秀逸な作り手の下位のクリマの方が楽しめる。凡庸な演奏家の大曲よりも優れた弾き手の小品の方が深遠かつ心踊らされる楽しさを感じられるからだ。 でもまあこう言うワイ
基本的にブルゴーニュのワインサイトです。
一応日本のブルゴーニュファンの中では古い方に入ると思います。JayerやC. Noellat, DRC等お宝ワインを30年程前から収集すると共にブルゴーニュへも頻繁に出かけてvigneron回りをしていました。オスピスでも競売に参加していましたよ。
Vosne Romanee Gaudichot 2004 (Forey)
分は基本凡庸な作り手の優れたクリマよりも秀逸な作り手の下位のクリマの方が楽しめる。凡庸な演奏家の大曲よりも優れた弾き手の小品の方が深遠かつ心踊らされる楽しさを感じられるからだ。 でもまあこう言うワイ
Saumur Champigny Poyeux 2012 (Clos Rougeard)
今まで何杯のグラスを重ねたことだろう。 一杯のグラスからワインが味われ咀嚼されそれが思い出に変わる。そして空になったグラスにまたワインが注がれその繰り返しだ。今のグラスを飲みながらその前にあったワイ
Puligny Montrachet Pucelle 2018 (Morey-Coffinet)
ブルゴーニュの懐深いのはradar screenに映らない優れた作り手が存在する事だ。この作り手も日本に入っておらずその存在を知る人は日本でも非常に少ない。Moreyを名乗るドメーヌは色々有ってそれぞれの複数の息子や
Meursault Chames 2006 (Comte Lafon)
人もワインも永遠の命がない」という事を実感する時はやはり還暦を過ぎた頃だろう。 20代から40代は未熟さを若さの力で補い少し仕事も覚え、家庭を持ち順風満帆で自信を覚え、社会的にも中核になり責任も重くなり
Champagne Clos des Goisses 2005
前にRMシャンパーニュはシングルモルト、NMはブレンデッドウイスキーに喩えれると書いた。基本自分はRMしか飲まないが手持ちにはNMの上級キュベも幾多か有る。殆どセラーからの出番はないが。今日は久方ぶりに拠出。
Sancerre Monoparcelle 469 2021 (C. Riffault)
いやはや30年余飲んできて何度か現地踏査しSancerreのfirst tierは両CotatとVatanで終わりだと確信していた。ダグノーのシェヴィニョルも飲んだけどあれはmicro oxidizationをかけて膨らましたところにあざとさを感
Champagne Les Robart 2015 (Suenen)
Champagneに何度か行き色々試した結果、結局のところChamagoneは(例外はあるにせよ)基本あちこちのしかも複数のセパージュを使い砂糖の交えた混ぜ物でそれが故にあまり感動もしないし何ならスティルワインを混ぜて
Corton Blanc 2013(J. Gagnerot)
決して悪いワインではない。いや寧ろ良いくらいだ。少し樽のマキアージュがきついがきっちりと出た果実の中に綺麗に溶け込んでいる。その果実はコルシャルのような南方系ではなく良質のCdBの淡い白果実。樽から出た
Champagne La Closerie LC05 (J. Prevost)
ウイスキー道ではブレンデッドウイスキーとシングルモルトとが峻別されそれぞれの魅力が追求されている。ブレンデッドでは優れた原酒をブレンディングやバッティングという人為的な方法で複雑だがメローな味に仕立て
Vougeot Clos de la Perriere 2001
こう言うワインを飲むとブルゴーニュというのは種々のクリマが基本クラシックの種々の曲、作り手は演奏家なのだなとつくづく思う。もう少し追加すると村は作曲家、そして飲み手の我々は聴衆、ワインを飲むのは演奏会
Chassagne Montrachet Rouge 2019 (Caroline Morey)
長年ワインを飲んでいて一番嬉しいのはやはり自分と長年飲んできた後進のワイン愛好家から自分の良く知らなかった作り手を教えてもらった時だろう。別段教え子などいう烏滸がましい考えは持ってないのだが、自分のと
Latricieres Chambertin 2004 (Trapet)
Côte d’Orの村で一番グランクリュの数が多い村は実はVosneでもMoreyでもなくこの村で、この結果は有る意味1930年代後半のブルゴーニュアペラシオン策定に当たっての一番の失敗であるように思う。 勿論グランクリ
Sancerre Les Culs de Beaujeub 2012 (Francois Cotat)
色々と飲んできて、最近はあまり手放しで褒める事はないのだがこのワインは掛け値なしに素晴らしかった。タイトなMeursaultも勿論素晴らしいのだがこれは一才無駄な要素が無く鋭利な刃物のよう、それでいてフィニッ
Meursault Sous le Bois 1997(R.Ampeau)
ブルゴーニュでは珍しく長期の瓶熟を経てから売り出すドメーヌ。ブルゴーニュで自分の知る限りでは他はGounoux、Lejeuneがそうだ。尤もLejeuneは樽から試飲できたがこことGounouxは樽から飲ませない事で知られている
Bourgogne Blanc 2015 (Foure-Roumier-de Fossey)
最近古参のワインファン達が超弩級のワインを処分し始めているが、その背景には結局のところ、ある程度飲めばどんな素晴らしいワインでも(一部の素晴らしいワインを除いては)想定内の美味しさを想定内であったと言う
Vosne Romanee Aux Champs Perdrix 2018 (Audiffred)
英語でname dropping という言葉が有る。「重要な人と知り合いで有る事をひけらかし自分が重要で有る事を匂わす」事だ。勿論良い意味ではない。更にname dropping businessというとあまり中身がない商品を売りつける
ワインが単なる飲み物を超越する理由はその味わいや値段にも拠るがやはり最終的にはワインは熟成による進化を遂げる謂わば生き物であり、時にはその進化により人智を超えた高みに到達する可能性があると言うことだろ
今日は少しIntermezzo的なワイン。 名手(私は苦手だが)が作るちょっと遊び的な1本。銘に有る三角形はそれぞれのセパージュに対応した地域、ボルドー(セミヨン)、ローヌ(ヴィオニエ)、ブルゴーニュ(シャルド
Chablis Butteaux 2011 (Pattes Loup/Thomas Pico)
Chablisで一流とされる作り手は何人も居るが結局の所Raveneauを除いてDauvissat、Piuze、Louis Michelなど全てがChablisの範疇を越えられないと思っていた。どれもが一口飲んでChablis独特の締まりの有る淡く透明感
Bourgogne Blanc 2014 (Boisson-Vadot)
最後の晩餐に何を食べるかというお決まりの質問に対して大抵の人は鮭のおにぎりのようなシンプルな物か、母の味のようなノスタルジックな物を選ぶ傾向があるが、いずれにせよ、豪勢な料理を選ぶ人はあまりいない。ま
Vougeot Clos Blanc de Vougeot 2000 (Vougeraie)
あまり知られていないと思うがClos du Vougeot (CdV)は今でこそPN100%だが、歴史的には白もかなり植えられていてDanguy et Aubertin(1891)では大凡6割がPN,4割は白と記されている。特記すべきは白のCepageがAli
Bourgogne Rouge Maison Dieu 2019 (Domaine de Bellene)
この一見何の衒いも無いレジョナルワインだが個人的にこのワインにはドラマが有ると思っている。 作り手も才能溢れる醸造家だがその父も言わずとしれた天才、二代続けての天才だ。だが天才に良く有り勝ちで経営の
Meursault les Vireuils 2012 (Isabelle et Philippe Germain)
何度も書いているがブルゴーニュの奥深い所は全くノーマークだったドメーヌが突如爆騰する事だ。それはあたかも海底火山の噴火に比べられるだろう。今は伝説になってしまったTruchot、反骨的なPorcheret、既に名を作
Bourgogne Rouge 2016 (G. Noellat)
この作り手の事は前にも書いたが所謂裾物のこのワインを飲んでやはり素晴らしさを再認識した。単なるブルゴーニュACだが味わいはぐっと詰まったマチエール溢れる少し重心の低い赤果実、それでいて伸びやかさが有る。
Vosne Romanee La Croix Rameau 2013 (J. Cacheux)
Vosne Romanee村にLa Croix Rameauという畑が有るが何故この畑がRomanee St. Vivantに含まれないか疑問に思っているちょっとしたブルゴーニュ通も多いだろう。実際私もLa Croix Rameauの畑はRSVに隣接していて間に大
Cote de Nuits Village 2013 (D. Bachelet)
久しぶりのアップ。 Bourgogne、Cote d`Orの村で一番知られてない村と言えば大抵LadoixかSt. Romainを挙げるだろうが、実はBrochonでは無いかと思っている。FixinとGevreyの間に位置しDangue et Aubertin (1891)で
Vosne Romanee Cuvee Precolumbieres 2019 (G. Mugneret)
前に書いたが今のブルゴーニュ、特にCdN、VRには大別して三つのグループに分かれるように思う。一つはJayerやRougetのような赤果実中心で高いトーン、官能美に訴える所謂妖艶系、二つ目はCathiard、往年のLeroy、DRC
ほぼ10年振りにメコン川の畔に座り夕日を眺める。10年前にはここから見える中洲で仕事をしていた。この10年間自分は色々なところへ行き、色々な事が有りここに戻ってきた。河は何もなかったように今日も同じよう
Vosne Romanee Suchots 2015 (M. Noellat)
ブルゴーニュワインを複雑にしているのはクリマもさることながら、同族、同姓を持つ作り手の数が多い事によるのは諸兄も同意するだろう。過去にはJayer一族、現代ではGrosが有名だが、実はこのNoellat家もかなり複雑
St. Aubin Le Princee 2019 (H. Lamy)
久しぶりの投稿。コロナ治癒後別段体調不良というわけでもないのだがちょっと更新が滞っていた。歳を取ると感動、感心の閾が高くなりあまり執筆意欲が湧かないのが問題だ。 さて、ちょっと出遅れた感も有るが最近話
このところ更新が滞ってましたが、今日はちょっと違う話題で久しぶりのエントリーです。 日本もBA5が上陸し、毎日感染者数更新が続いていますが、私も東南アジア某国滞在中にBA5株だと思われるコロナに罹患しました
百花繚乱ならぬ百貨騒乱的な仮想通貨だがその一つのLUNAが破綻した。そのニュースを読みながら落語の「千両みかん」を思い出した。紀伊國屋文左衛門の息子が大病になり季節外れのみかんが食べたいと言うので番頭があ
ブルゴーニュが他の地域と違うのはそのワインに関する長い歴史と何代にも亘る家族制手工業に携わる人々のドラマを感じられるところだろう。特にブルゴーニュ古酒は歴史を鑑みて飲むのとそうで無いとは全く感じるもの
Bourgogne Rouge 1977 (Pothier Rieusset)
多分ブルゴーニュ古酒を飲みつけている人なら解ると思うが、60−70年代のブルゴーニュに幽玄さ、浮遊感、緩さ、出汁という古酒独特のキャラクターに魅入られる人は多い。翻って今のワインを見てみると、それらが
Morey St. Denis Chaffots 2019 (Mark Heisma)
新進のミクロネゴスと言うことで試してみたのだが、端的に言って(自分にとって)ハズレだった。 まあこれで終わってしまうと身も蓋もないので少し書く事にする。ワインは今流行の典型的なナチュール。クリーンなの
Beaune Clos du Roi 2017 (Decelle-Villa)
ブルゴーニュの奥深いところはあれ程くまなく探索され全ての秀逸な作り手は網羅されている筈であるにも拘らず、時折その探索の網の目から逃れていた素晴らしい作り手が発掘(!)されるところだ。勿論Boisson-Vadot
Beaune Clos du Roi 2017 (Decelle-Villa)
ブルゴーニュの奥深いところはあれ程くまなく探索され全ての秀逸な作り手は網羅されている筈であるにも拘らず、時折その探索の網の目から逃れていた素晴らしい作り手が発掘(!)されるところだ。勿論Boisson-Vadot
Puligny Montrachet Les Referts 1989 (E. Sauzet)
ま、結局人もワインも永遠の命は無い訳とは判っているのだが実際にセラーの中のワインが逝ってしまっているに当たると何だか可哀想な事をしたと思ってしまう。ワインの場合はある程度放置プレーが必要なのだがここま
Meursault rouge 2017 (Boyer-Martenot)
Meursaltは今でこそ白が主流だが、昔の文献を見ると赤が多かった事が窺える。尤も現在でもSantenotのように優れた赤も有るのだがアペラシオン上はVolnayを名乗っているのでそう感じないだけなのだろう。この村は丁度
Bourgogne Rouge 1987 (R. Groffier)
ちょっとバタバタしていたが2021も終わり、2022が始まってしまった。別段今年の抱負と言う訳では無いのだが今年こそは買うワインを減らして行こうと思っている。まあ毎年飽きもせず思いつく抱負と言えばそれまでだ。
Saint Aubin le Charmois 2014 (Au Pied du Mont Chauve)
今日は軽く。 この作り手、年産40000本(大体6−7ヘクタール位か?)と比較的小規模で余り知られていないが個人的には丁寧な仕事をすると感じている。別段トップドメーヌとは思えないが、独特の味わいが有り、決し
Chassagne Montrachet Vide Bourse 2018 (J. Colin)
アペラシオンの策定に当たっては関係者間の確執や政治的な介入が有ったと書いているが、中でも村と村との闘争は特記に値するだろう。修道院という歴史的な要素から比較的すんなりと決まったCdN(それでもChambertin
Puligny Montrachet Les Enseigneres 2004 (Brenot)
ブルゴーニュワイン通なら判ると思うが廃業ドメーヌには独特のPathosが有る。廃業前にブレークした翁のようなところならまだしも良いが廃業後にブレークしたRene EngelやGriveletもまだ救いがあるが、廃業してそのま
Puligny Montrachet Les Enseigneres 2004 (Brenot)
ブルゴーニュワイン通なら判ると思うが廃業ドメーヌには独特のPathosが有る。廃業前にブレークした翁のようなところならまだしも良いが廃業後にブレークしたRene EngelやGriveletもまだ救いがあるが、廃業してそのま
Volnay Grands Poisots 2013 (Mareshal)
このところ酢酸ワインばかり書いているので少しまともなワインについて。 このところブルゴーニュワインの高騰が続いていて2019は更に一段と値上がった感じだ。有名どころ、秀逸なクリマのCdNやCdBは200ドルはおろか
Bourgogne Rouge 2016 (Domaine Laurent)
2000年代に抽出を強くし果実味を前面に出す作りが流行ったことがあって幾つかのドメーヌがその流行に乗って作りを変えた事が有った。その前は1988―90年と短かったがGuy Accad(擬悪化)のスタイルが流行りやはり幾つ
Haut Cote de Nuits Chemain des Moines de Vergy 2019 (Gros F&S)
今日は軽く。 「ブルータス、お前もか」では無いのだが、一口飲んで驚愕して思わず口に出してしまった「グロフレ、お前もか」。 ちょっと話題になっていたので飲んでみたのだが、のっけからかなりの酢酸、ナチュール
Vosne Romaee Aux Reas 2017 (A.F. Gros)
「人の行く裏に道あり花の山」 証券の言葉で有るが、何度もここで書いているようにワイン、特にブルゴーニュワインにも当てはまるように思う。皆が羨む有名ドメーヌのワインをひけらかす楽しみも判るが、やはり古参
Nuit St. George Aux Cras 2013 (G. Noellat)
ここ10年の間にVosne Romaneeの著名ドメーヌの多くで世代交代が起きているが、驚くのは殆どどのドメーヌに有っても先代よりも質が上がっている事だ。まあ具体的な名前は列挙しないが、90年代に代替わりしたドメーヌ
このところ新興RMがどっと出て来ている。そのどれもが超小規模でキュベも区画毎で作ったりドザージュ変えたりと複数、更にはシャンプノワも出したりで全て超レア物。当たり前だがどのキュベもある程度の値段はする
この作り手の事は15年前に飲んでこのブログにも書いたが、それ以来ずっと探して来た。 実はご本人もお会いしてワインの事も尋ねたのだがあまり良い返事は貰えなかった。もっとも彼の雇用主も同席していた場なので
Bourgogne 2018 (Arnoux-Lachaux)
代替わりして絶賛大ブレーク中のこのドメーヌ。米ではLeroyやBizotの再来かと言われて評判になり18は瞬間蒸発、時間差で日本では瞬間的にはavailableだったが現在はほぼ買えないのではないだろうか。このドメーヌ、9
Meursault Perrieres 2017 (Heitz-Lochardet)
Meursault Perrieres、疑いなくMeursaultで一番の畑で歴史的にも非常に評価が高く19世紀後半には特級に格付けされていた。だが今ここで作られるワインは必ずしもMeursault最上のものとは限らない。ブルゴーニュの
「ぶすかわ」と言う言葉が有る。美人ではないのだがそれなりに纏まっていて親近感を覚える顔立ちということだが、何よりも「自分でも何とかなるじゃないか」という手の届く感を覚えさせてくれるような顔立ちなのだろ
Clos de Vougeot 1982 (Comtesse M. de Loisy)
2年程前にこの作り手のワインについて書いた事が有り、その時に「結果的に私にとって至高の1本になってしまった」と結んだのだが、この作り手に関してはネット黎明期以前に廃業してしまったため、殆ど情報が無く、
Chablis 1er Cru Butteaux 1992 (Raveneau)
ワインをコレクションしていてつくづく思うのは「ワインは買うより開ける方が難しい」と言う事だ。買うのは、今や実店舗に行く必要も無いので原資が有れば買える。勿論超人気ドメーヌなら争奪戦に勝利したり、コネを
Chassagne Montrachet Les Blanchot Dessus 1997 (Darviot-Perrin)
少し歴が長くなったブルゴーニュ愛好家ならシャサーニュ村の東部を貫通する国道6号線の東側(Puligny側)の幾つかの畑に興味を持っているのではないだろうか。GCのCriot Batardは別にしてBlanchot, Dent de Chien,
Bourgogne Rouge Le Cras (Domaine des Cras)
ワインを本格的に始めた30年ちょっと前、ワインの作り方にも少し興味を覚えてUC Davisのワイン醸造学の教科書を図書館で借りて(私の学校もUCだった為、置いてあった)ざっと目を通して見た事が有った。細かいところ
最近少し知っているワイン通に「俺はワインを混ぜる奴は許せない」と言う事を彼のSNSに書かれてしまったが、まあその気持ちは判る。純粋な気持ち、ピューリタンと言うのは理想を追う若者の特権で私も彼の年代なら二
Champagne 2012 Les Roberts Cramant (Suenen)
あくまでも個人的な意見だがChampagneには一般に畑毎のテロワールは余り重要では無く、村単位と思っている。それは歴史的に見ても明らかだし(格付けは村毎)、実際長い間飲んで来てテロワールよりもドザージュやセ
Santenay les Gravieres Blanc 2016 (H.Lamy)
前にも書いたがSaint Aubin、Santenayの両村は現在、評論家、ワイン通から過小評価されているように思う。ただ歴史的に見ると両者の立ち位置は微妙に違う。前者は歴史的にはあまり評価されず、19世紀後半のLavalle
あまり普段は気にしていないがブルゴーニュやシャンパーニュの12.5度から13.5度というアルコール度数は最適の度数であるように感じる。12.5度を下回るワインは大抵シャバシャバで水っぽく感じ(勿論マチエール不足の
Richebourg 1964 (Charles Noellat)
ブルゴーニュワインはピノ単一品種から作られるのだが、作り手やクリマによりワインの性格、スタイルが千差万別、そのヴァラエティがブルゴーニュワインをブルゴーニュ足るものにしていると言うことは此処で何度も書
Pernand-Vergelesses Sous Frétilles (L. Belin)
一般にワインの楽しみと言えば美味しいワインを味わうというものだろうが、ブルゴーニュワインの場合、その楽しみが初級級、中級、上級と少し細分化されているように思う。昨今はワインの値段が暴騰した事もあり、ビ
Nuit St. George Les Herbues 2018 (N. Faure)
最近はやりの所謂自然派の作り手。このキュベは彼のラインナップでは最上位だ。前に彼の白を試してみて乳酸や酢酸的なニュアンスを多分に含んだ、典型的な雑菌入り発酵だと感じた一方、それ程濁った感じを受けなかっ
Bourgogne Rouge 2011 (D. Bachelet)
今日は軽く。 前に書いたDuroche同様にこのワインも米ではコアなファンが多い反面、日本では余りブレークしてないようだ。従って日本の方が安い(笑)。上から下まできちんと作られ伸びの有るしなやかなテクスチャ
Savigny Les Beaune V.V. 2013 (Chenu)
15年程前に日本にも入って欲しいとこのドメーヌの事を書いたが、その後、首尾よく日本でも広く流通するようになり、固定ファンも付いたようだ。まずはめでたし。 コロナで一人飲みと言う事で久しぶりにこの作り手
Champagne l'Astre (2011) (D. Leclapart)
ブルゴーニュワインはCh,PNという単一セパージュなのだが、作り手、村名、VTで色々とスタイルが違い一概にブルゴーニュワインはこういうものだと言う事は出来ない。至極当たり前のことで有る。が、しかしながら、シ
VdF Blanc Chardonnay 2013 (Jan Drieu)
自然派ワインという言葉が出来、流れが大きくなり始めたのは大体20年程前から始まったが(注:Pacaletがワインを作り始めたのが1999年なのでこの年が便宜上自然派元年とでもしておく、勿論その前にもNicolas Joly
Meursault Sous la Velle 2011 (Anne Boisson)
一応、税制上の関係からBBVと同じだと言われているこのエチケットだが、どうもセカンド(サード?)ブランドの感が拭えない。このワインも抜栓後は少し硫黄から来ているだろう不快な香りがdominantだ。この不快な香
Meusault Clos des Ecole 2016 (Hudellot-Noellat)
今日は軽く。 言わずと知れた赤の名手だが、この白も素晴らしい。これが最初のVTだそうだが、単なる村名格、しかもそれ程ポテンシャルが高くない畑だが、淡いが繊細さを感じさせるアロマ、深みを感じさせる果実、ミ
Charmes Chambertin 2014 (Duroche)
ブルゴーニュを飲み始めて30年以上になり、その間大抵のドメーヌは飲んできた自負は有る。まあ、mediocreなドメーヌはともかく、ある程度の質を持つワインを作るドメーヌは全部網羅していると思っていた。ところが
何度も書いているが、熟成した村名やレジョナルの素晴らしさが判るのはやはり有る程度経験を経て歳を経てからだ。漲る力、確固な構造、果実の重層感といった心を震わせる要素溢れる大きなワインとは対極に、出汁のよ
Vosne Romanee Les Beaux-Monts 1995 (J.J. Confuron)
久方ぶりにちょっと想定外の素晴らしいワインに出会った。抜栓直後から菫やバラのような品の良く深いフローラルな香りがグラスに拡がり、思わず心がときめく。味わいもフレッシュな苺、ラズベリー。完全除梗から来る
Chinon Cuvee Danae 2009 (B et P Lambert)
10年以上前にこの作り手のことを書いた。Chinonというセパージュ的に果実味に乏しくギスギスしたワインを作るmediocreな作り手が多いアペラシオンに於いてきちんと果実を出し、新樽のエピスも効かせて中々のワイン
Meursault la Barre 2017 (Heitz-Lochardet)
つくづく思うが長い間飲んできてもブルゴーニュの白ではっとするような新しい作り手に出会う事は殆ど無い。まあ、それなりに美味いなと思う作り手は幾つかここにも書いているが中々感動までは行かない。白の場合は赤
Sancerre Clos la Neore 2012 (E et A Vatan)
今日は軽く。 押しも押されもせぬSancerreの筆頭だったこの作り手。1.5ヘクタールという事で非常に生産量が少なく(8000本位か)、昔はちらほら買えたのだが、ここ4−5年程ブレークして、争奪戦になり、日本は元
Marsannay Blanc 2016 (Charlopin-Tissier)
最近注目されている作り手。まだ3ヘクタールと超が付く小規模ドメーヌだがラインアップはMorey, Gevrey, Vosne, Marsanny、Cote de Nuit Villageと多岐に亘る(Ouillageは何を入れているのだろうと気になるが)。色
Meursault Les Tilles 2016 (Bernard-Bonin)
ブルゴーニュでは新星の赤の作り手というのは往々にして現れるが白の新星というのは中々現れない。私の経験から言うとここ30年以上飲んでいるが多分5人も居ないだろう。結局のところ、その頃から評価が高かったLafo
シャンパーニュに於けるセパージュは主に三種類、PM、PN、Chと言う事はワイン通なら誰でも知っているが、一見ブルゴーニュと同じセパージュであるPNやChがブルゴーニュと違うクローンである事は余り知られていない。
Nuit St. George Clos de Mareshale Blanc 2009 (J-F Mugnier)
このブログも初めて15年以上経つが、初期の頃に年長の英友人の警句として、 WHAT YOU DRINK DOES NOT MATTER. WITH WHOM YOU DRINK MATTERS. というような事を書いているが、その意がはっきりと判る歳になって
Vosne Romanee Chaumes 2017 (Berteau-Gerbet)
女性も男性も結婚すれば毎日一緒にいて、いわば運命共同体なわけで、お互いに影響を受けやすいそうである。中でもファッションや味覚は毎日のことでお互いに影響されることは多々あるらしい。ネットで見ていたら、カ
Gevrey Chambertin Cuvee de l'aulne 2017 (Laurent Ponsot)
これを飲んで驚いた。この作り手、アペラシオンの呪縛から解き放されたと。 アペラシオンの呪縛は飲み手だけではなく作り手にも適用される。実際、多くの作り手はテロワールという名前の元でアペラシオンに呪縛を受
まあ、今や押しも押されぬスーパースターになってしまったこの作り手のレジョナル。先日書いたようにこれもBourgogne Blanc 1er Cru Classeとして認定。先日書いたBBVと同じレベルなのだがスタイルはかなり違う。端
Nuits St. George Les Chaignots 2009 (Chauvenet-Chopin)
ブルゴーニュの畑々は珠玉のクラシックの曲のようで有る。雄大な大曲も有れば小品だが類稀なる美しさを持つ曲も有る。そして我々聴者は演奏家を通してクラシックの曲を楽しむように我々飲み手はヴィニュロンを通して
Bourgogne Blanc 2016 (B. Boisson-Vadot)
前にこの蔵を激賞したが、その後この蔵の別エチケットを試してかなり落胆したので更なる論評は控えていた。だがこのワインを飲んでこの蔵のこの名義のエチケットに限って言えばかなり良いのではと思っている。他の2
Gevrey Chambertin 2018 (R. Seguin)
今日は少し軽く。 新興ドメーヌの最初の作品。3.4ヘクタールとかなりの小規模、殆どが村名格、一級はCraipillotだけという非常に地味な陣容だが当主はDugat Pyの甥に当たり、Olivier Bernsteinで醸造長を務めたと
シェリーで使われているソレラ(Solera)システムを最近採用するシャンパーニュ蔵が多くなっている。最も有名なのはSelosseだがそれ以外にもBereche等新興RMで行われている。 教科書的な説明だとソレラシステムによ
Corton Les Bressandes 2008 (Prince de Merode)
ブルゴーニュのワインが他のワインと違うところは家内制手工業で有るため、1本1本に物語が有ることだろう。一見大層な物語を感じないワインでもその裏では栽培、収穫、醸造と色々と作り手は困難に立ち向かい克服しVT
再びシャンパーニュについて少し書いてみる。 究極のシャンパーニュの不都合な真実はドザージュの功罪であろう。歴史的にシャンパーニュがデザートの代わりで有った時代も有り、また砂糖が貴重で甘いが美味しいの代
Morey St. Denis Les Millandes 2002 (Arlaud)
普通のワインを普通に飲むという事は結局ワイン通にとっての最後の挑戦なのだろう。勿論そこらへんのスーパーでチリシャルやカリ壁等適当に買って飲むという選択も有るが、それは余りにも野蛮で非文化的な行為だ。一
Bourgogne 2010 (Pascal Lacheux)
今日は軽く。 最近のブルゴーニュ需要の増大を反映してか、2000年代前半から幾多かのドメーヌが並行してネゴス物を出すようになった。敢えて名前を出さないがそういったネゴス物は大抵ドメーヌ物よりも質が劣るよう
Santenay Clos des Tavanne 1996 (Pousse d'Or)
少し前にブルゴーニュの百名山について書くと表明してから、その事をなし崩し的に忘却してしまっていたがこのワインを飲んでふと思い出してちょっと書いてみようと思う。 Saint Aubinが歴史的に無視されていたクリマ
日本人に生まれて良かったなと思う事は侘び寂びに代表される儚さを理解する能力が有る事であろう。人生は有限で有る事を悟り、簡素、貧素、枯槁、幽玄なものを愛でる美意識。大玉の打ち上げ花火は美しいが、線香花火
St. Aubin Les Murger des Dents de Chien 2013 (V. Girardin)
St. Aubinと言えば普通白と思うのでは無いだろうか?実際2017年のBIVBの統計によると8割以上が白である。だが歴史的にこの村が赤であり、赤から白への改植もごく最近のことだ。Clive Coatesの1995年の著作の中では
ワイン通ならば発泡酒の本家と言えばChampagneだという事は当たり前の常識以前の問題だろう。BourgogneではCremantという発泡酒があるがChampagneよりも格下、下位代替品と思われている事も間違いない。だが歴史的に
葡萄果汁を発酵させて作られた種類をワインと呼ぶというソムリエ協会の定義ならこれもワインで有る。ただそれは広義の定義の話で少なくとも有る程度の「ワイン」歴がある人はこれをワインと呼ぶのに抵抗が有るだろう
Chassagne Montrachet Les mazures 2015 (P. Pillot)
今日はちょっと軽く。 昔はChassagneの白と言うと大抵は野暮ったくて、スレンダーなPulignyやちょっとエスプリの効いたMeursaultと違いお尻の重い女性(失礼!)に例えられるワインが多いように思っていたのだが、年
極め付けのシャンパーニュの不都合な真実はロゼの製法だろう。読者諸兄はもう既知であるがロゼ・シャンパーニュの製法には大別して、セニエ、マセラシオン、アッサンブラージュと3つの製法が有るが(厳密に言えば白
Vosne Romanee Chaumes 1983 (R. Arnoux)
株でよく聞く後悔は「あの時買っておけば良かった」とか「あの時売らなければ良かった」と言うものだが、ワインでもある程度歴を重ねて来れば「あの時買っておけば良かった」とかあの時「飲んでしまわなければ良かっ
「ブログリーダー」を活用して、Q_さんをフォローしませんか?
分は基本凡庸な作り手の優れたクリマよりも秀逸な作り手の下位のクリマの方が楽しめる。凡庸な演奏家の大曲よりも優れた弾き手の小品の方が深遠かつ心踊らされる楽しさを感じられるからだ。 でもまあこう言うワイ
今まで何杯のグラスを重ねたことだろう。 一杯のグラスからワインが味われ咀嚼されそれが思い出に変わる。そして空になったグラスにまたワインが注がれその繰り返しだ。今のグラスを飲みながらその前にあったワイ
ブルゴーニュの懐深いのはradar screenに映らない優れた作り手が存在する事だ。この作り手も日本に入っておらずその存在を知る人は日本でも非常に少ない。Moreyを名乗るドメーヌは色々有ってそれぞれの複数の息子や
人もワインも永遠の命がない」という事を実感する時はやはり還暦を過ぎた頃だろう。 20代から40代は未熟さを若さの力で補い少し仕事も覚え、家庭を持ち順風満帆で自信を覚え、社会的にも中核になり責任も重くなり
前にRMシャンパーニュはシングルモルト、NMはブレンデッドウイスキーに喩えれると書いた。基本自分はRMしか飲まないが手持ちにはNMの上級キュベも幾多か有る。殆どセラーからの出番はないが。今日は久方ぶりに拠出。
いやはや30年余飲んできて何度か現地踏査しSancerreのfirst tierは両CotatとVatanで終わりだと確信していた。ダグノーのシェヴィニョルも飲んだけどあれはmicro oxidizationをかけて膨らましたところにあざとさを感
Champagneに何度か行き色々試した結果、結局のところChamagoneは(例外はあるにせよ)基本あちこちのしかも複数のセパージュを使い砂糖の交えた混ぜ物でそれが故にあまり感動もしないし何ならスティルワインを混ぜて
決して悪いワインではない。いや寧ろ良いくらいだ。少し樽のマキアージュがきついがきっちりと出た果実の中に綺麗に溶け込んでいる。その果実はコルシャルのような南方系ではなく良質のCdBの淡い白果実。樽から出た
ウイスキー道ではブレンデッドウイスキーとシングルモルトとが峻別されそれぞれの魅力が追求されている。ブレンデッドでは優れた原酒をブレンディングやバッティングという人為的な方法で複雑だがメローな味に仕立て
こう言うワインを飲むとブルゴーニュというのは種々のクリマが基本クラシックの種々の曲、作り手は演奏家なのだなとつくづく思う。もう少し追加すると村は作曲家、そして飲み手の我々は聴衆、ワインを飲むのは演奏会
長年ワインを飲んでいて一番嬉しいのはやはり自分と長年飲んできた後進のワイン愛好家から自分の良く知らなかった作り手を教えてもらった時だろう。別段教え子などいう烏滸がましい考えは持ってないのだが、自分のと
Côte d’Orの村で一番グランクリュの数が多い村は実はVosneでもMoreyでもなくこの村で、この結果は有る意味1930年代後半のブルゴーニュアペラシオン策定に当たっての一番の失敗であるように思う。 勿論グランクリ
色々と飲んできて、最近はあまり手放しで褒める事はないのだがこのワインは掛け値なしに素晴らしかった。タイトなMeursaultも勿論素晴らしいのだがこれは一才無駄な要素が無く鋭利な刃物のよう、それでいてフィニッ
ブルゴーニュでは珍しく長期の瓶熟を経てから売り出すドメーヌ。ブルゴーニュで自分の知る限りでは他はGounoux、Lejeuneがそうだ。尤もLejeuneは樽から試飲できたがこことGounouxは樽から飲ませない事で知られている
最近古参のワインファン達が超弩級のワインを処分し始めているが、その背景には結局のところ、ある程度飲めばどんな素晴らしいワインでも(一部の素晴らしいワインを除いては)想定内の美味しさを想定内であったと言う
英語でname dropping という言葉が有る。「重要な人と知り合いで有る事をひけらかし自分が重要で有る事を匂わす」事だ。勿論良い意味ではない。更にname dropping businessというとあまり中身がない商品を売りつける
ワインが単なる飲み物を超越する理由はその味わいや値段にも拠るがやはり最終的にはワインは熟成による進化を遂げる謂わば生き物であり、時にはその進化により人智を超えた高みに到達する可能性があると言うことだろ
今日は少しIntermezzo的なワイン。 名手(私は苦手だが)が作るちょっと遊び的な1本。銘に有る三角形はそれぞれのセパージュに対応した地域、ボルドー(セミヨン)、ローヌ(ヴィオニエ)、ブルゴーニュ(シャルド
Chablisで一流とされる作り手は何人も居るが結局の所Raveneauを除いてDauvissat、Piuze、Louis Michelなど全てがChablisの範疇を越えられないと思っていた。どれもが一口飲んでChablis独特の締まりの有る淡く透明感
最後の晩餐に何を食べるかというお決まりの質問に対して大抵の人は鮭のおにぎりのようなシンプルな物か、母の味のようなノスタルジックな物を選ぶ傾向があるが、いずれにせよ、豪勢な料理を選ぶ人はあまりいない。ま
Champagneに何度か行き色々試した結果、結局のところChamagoneは(例外はあるにせよ)基本あちこちのしかも複数のセパージュを使い砂糖の交えた混ぜ物でそれが故にあまり感動もしないし何ならスティルワインを混ぜて
決して悪いワインではない。いや寧ろ良いくらいだ。少し樽のマキアージュがきついがきっちりと出た果実の中に綺麗に溶け込んでいる。その果実はコルシャルのような南方系ではなく良質のCdBの淡い白果実。樽から出た
ウイスキー道ではブレンデッドウイスキーとシングルモルトとが峻別されそれぞれの魅力が追求されている。ブレンデッドでは優れた原酒をブレンディングやバッティングという人為的な方法で複雑だがメローな味に仕立て
こう言うワインを飲むとブルゴーニュというのは種々のクリマが基本クラシックの種々の曲、作り手は演奏家なのだなとつくづく思う。もう少し追加すると村は作曲家、そして飲み手の我々は聴衆、ワインを飲むのは演奏会
長年ワインを飲んでいて一番嬉しいのはやはり自分と長年飲んできた後進のワイン愛好家から自分の良く知らなかった作り手を教えてもらった時だろう。別段教え子などいう烏滸がましい考えは持ってないのだが、自分のと
Côte d’Orの村で一番グランクリュの数が多い村は実はVosneでもMoreyでもなくこの村で、この結果は有る意味1930年代後半のブルゴーニュアペラシオン策定に当たっての一番の失敗であるように思う。 勿論グランクリ
色々と飲んできて、最近はあまり手放しで褒める事はないのだがこのワインは掛け値なしに素晴らしかった。タイトなMeursaultも勿論素晴らしいのだがこれは一才無駄な要素が無く鋭利な刃物のよう、それでいてフィニッ
ブルゴーニュでは珍しく長期の瓶熟を経てから売り出すドメーヌ。ブルゴーニュで自分の知る限りでは他はGounoux、Lejeuneがそうだ。尤もLejeuneは樽から試飲できたがこことGounouxは樽から飲ませない事で知られている
最近古参のワインファン達が超弩級のワインを処分し始めているが、その背景には結局のところ、ある程度飲めばどんな素晴らしいワインでも(一部の素晴らしいワインを除いては)想定内の美味しさを想定内であったと言う