高血圧治療のために始めたダイエット。日々の戦いを日記として綴るとともにダイエット方法もご案内します。
こんにちは。「高血圧・肥満KAYのダイエット体験記」にようこそ!このブログの管理人のKAYといいます。アメリカで7年仕事をしたときにつけられたニックネームなんですが習慣になった呼び名ですのでそのままKAYと名乗らせて頂きます。どうぞよろしくお願いいたしま
薬が無くなってきたので、久しぶりに病院に先生を尋ねた。一応、携帯電話で事前連絡しておいたので、すぐに診察をしてくれた。その時に前にダイエットしなさいと言った看護婦がたまたま部屋に入ってきて痩せたね!っと言ってくれた。 体重計に乗ったら74㎏だった。減圧剤、
成田から上海の浦東空港へ、久しぶりの中国へ飛んだ。東京からだと片道3時間弱である。定刻どおり飛行機は上海に到着した。 荷物がでてくるのに少し時間を要したが午後5時過ぎには空港の外にでれたので、市内への直行バスでホテルに向かった。地下鉄、リニアモーターカー、
あれほど待ち焦がねた中国上海への仕事復帰。それが泡のように無くなってしまった。気持ちが萎え、心理的なショックから血圧は久しぶりに160代まで跳ね上がった。その日は食欲もなく、何も考えることもできませんでした。翌日、少し冷静になって考えることができるようになっ
毎日毎日規則正しく生活し、体調も大分前に戻っているので、そろそろ復帰のための準備も始めた。中国側では、私の就業ビザが切れる9月13日の一か月前までの私のパスポートを送付するように言われている。それ以外の書類や写真は、すでに会社の総務に渡してある。また、上
我が家に戻ってからも生活のリズムは変えなかった。朝と夕方の散歩、それに食事。野菜の補給に青汁を取り入れた。 低脂肪牛乳に青汁を混ぜて飲む。一日、朝の1回のみである。実家では自分でトマトやキュウリなどの野菜を作っていたけれど、東京ではすべて購入せねばならず
岐阜の実家では非常に大きな成果を達成できた。これもひとえに母親のお蔭である。私の体や血圧の状況をよく理解し、食事面での配慮を十分にしてくれました。ありがとうと言いたい。岐阜に滞在中は午後に1時間程度横になって休憩する時間を取った。まだ、病気前のような体力
弟が車でセントリアまで迎えに来てくれていた。飛行機が遅れていることは上海から電話により知らせていた。荷物を受け取ったら一路岐阜の実家まで疾走した。高速道路と裏道である堤防道路を走ったので、思ったより早く実家に到着し、母と対面した。中国から何度も電話により
点滴を終え、残る問題は薬と部屋のキャンセルだけとなった。部屋のキャンセルは大家さんに病気のことを説明し、また、戻ってきたときに空いていたら優先して戻ってくることを条件に交渉した。大家さんも事情をよく理解してくれて、契約書上一番少ない違約金であるひと月分の
点滴期間について二人の意思で見解の違いが生じたが、結局担当医は意見を変えてしまった。 やはり金儲けしか医者は考えていないようだ。そろそろ一時帰国の準備にはいらないと
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