chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
頼子のブログ(みずのおもてから) http://yorikonoburogu.seesaa.net/

限りある命を輝いて生きた娘の話てす。もう二十年。でもまだ昨日のことのよう。幸せだった出会いの事です。

kikyoukarukaya2
フォロー
住所
埼玉県
出身
栃木県
ブログ村参加

2012/07/25

arrow_drop_down
  • 友の転居通知

    ここ数年会うこともなくなっていた40年来の友人から、転居を知らせるはがきがきました。 新しい電話番号が書いてあったので電話をかけ話し込みました。持家を売って駅前のマンションに移ったとのこと。賃貸だそうです。 彼女はこれまでに大手術を3回受け、最初の手術は30年前でその時は私もご主人と一緒に手術に立ち会いました。昨年3回目の手術を受けたことを今年の年賀状で知らされていました。自分の今後に不安を感じ…

  • 私の今ー2

    『あゆみ』という教会の証し集への一文 (2002年10月発行) 『私の今』 6年前の8月、初めて当教会の礼拝に出席させて頂き、昨年4月に、夫と共に転会させて頂きました。これまでの神様の導きを心から感謝致します。 半生を振り返るとき、ここにこうしてある「今」が最も幸いと恵みに満ちたものであることを実感しています。 私には以前心のわだかまりとなっていた信仰の問題があり、長い間…

  • 私の今-1

    しばらくこのブログにももう一つのブログの方も、のぞくことができませんでした。 書くことからすっかり遠のいていたので、ここがどんなふうになっているのか不安でもありました。でもしばらく前、いろいろことのいち段落がついて重荷がおりたこともあり、手順も忘れそうだった「マイブログ」へのログインを果たしました。(皆様有難うございます。) その時、自分の置かれている現在のことを書いたのですが、公開がためらわ…

  • 『わが涙よ、わが歌となれ』の本

    昨日(一昨日)教会で午後の話し合いがあった後、集会室の本棚から原崎百子さんの本を借りてきました。 『わが涙よ、わが歌となれ』新教出版社刊です。 なぜか偶然にも新教出版社の本のことを書く機会が多いのですが、この同じ本を、頼子の発病直後、母教会の先生から『天路歴程』の絵本と一緒に頂いたのでした。 亡くなった方の証の本でしたので、もちろんこの本は母親の私に下さったのですが、その本を頼子が読んだ経緯は実…

  • 天国の話

    病院のボランティアではいつも貴重な体験をさせていただいています。 患者さんとの心に残る出会いもたくさんありますが、同じボランティアをされている方との交流もまた貴重な体験です。 先日、ちょっとしたハプニングがあって、そのことに係られたある方とお話しする機会がありました。 その方だけの責任ではないのに「自分が確認を怠ったから」と言われてご自分を責めておられました。そのことでいろいろお話していました。…

  • 今年も朝顔

    25年目、早四半世期です。 今日、夫は仕事でしたので、墓地には昨日行きました。 ひまわり、ミント、千日紅、いずれも庭や畑に咲いていた花を持って。 朝顔は昨日初めて花が咲きましたが、前日休むのが遅くなりうっかり寝過ごし、8時ごろ見に行ったら、朝の強い日差しを受…

  • ボランティアを始めて(2)

    誰かと別れるとき、もうこれが最後と思うのではなく、またいつでも会おうと思えば会える、と思ってさりげない別れをするのがいいですね。たとえその人と会うのがその時が最後になったとしても。 今日そんなことを思いながら、この方とは今日が最後だ、と思うお別れをしてきました。私と同年代の方で男性でした。 親しくお話をするようになったのは40日くらい前からだったと思います。 病院で、私がいつも顔を出す病室で、毎…

  • 小説『雪菜の話』終

    休み明けに須藤が再び勤務についた時、雪菜のいた病室に入院していたのは脳梗塞で重態になった高齢の男性患者だった。 激しい頭痛がしていたのを一日我慢してしまったという。翌日救急車で搬送されたが、小脳に出血が見られ回復の見込みは薄いという診断が下されていた。 搬送された時患者にはまだ意識があったが今はもうなくなっていて、やはり高齢の妻が不安げに付き添っていた。 …

  • 小説『雪菜の話』6

    須藤が雪菜に最後に会ったのは亡くなる前日の朝だった。彼はその日夜勤を明けた。 雪菜は数日前から個室に移されていた。 仕事の引継ぎを終えて着替えに行く前に雪菜の部屋を覗くと、彼女はベッドに横たわったままうつらうつらしていた。すでに痛みへの緩和処置がとられているのだ。 用事があって帰宅していた母親からはさっき雪菜の病状を問い合わせる電話があって、こちらへ向かっ…

  • 小説『雪菜の話』5

    須藤はある時、自分が医者になったわけを雪菜に話した。 「先生が子どものころいずみちゃんていう女の子がいてね、その子はとっても頭が良くていい子だったんだ。でも病気で天国に行っちゃったの。そのころ先生は毎日のようにその子の夢を見てた。自分がお医者さんになって、その子の病気が治る薬を発明して、それをその子のところへもって行く夢なんだよ。 「いずみちゃん、もう大丈夫だよ病…

  • 小説『雪菜の話』4

    それからの雪菜は見違えるように素直な子どもになった、と須藤は思う。 病状が安定している時「はーい」という澄んだ声が病室に響いた。そしてみんなに上げると言ってその似 顔絵を描いたり、切り紙細工の人形や花や動物などを作り画用紙に貼り付け風景画を作ったりした。 まるで挑戦するように不自由な視力で雪菜はそれを続けた。雪菜はこうした面でも非凡な才能を見せた。 体調が悪…

  • 小説『雪菜の話』3

    ある日、須藤が雪菜の病室に行った時、雪菜は何かいらだった様子でわめきながら、母親に枕や本を投げつけていた。そして思いつく限りの酷い言葉で母親を痛めつけていた。 「あれあれ、今日はどうしたのかな」と言いながら須藤が雪菜のベッドのそばに行くと、雪菜は一瞬ひるんで須藤と母親を交互に見た。そしてわあっと声を上げて泣き出した。 聞くと母親が雪菜が頼んだゼリーでなく違う…

  • 小説『雪菜の話』2

    父親の友人が病院の関係者でもあるY市のA病院に、須藤は研修医として勤めていた。そこで彼は脳腫瘍を患う雪菜という少女に会った。 四歳で発病した彼女は、これまで大学病院で治療を受け何度かの手術を繰り返してきた。だがもう回復は望めず、家族の強い希望で系列でもあるこの病院に転院してきたのだった。経過観察と苦痛への緩和処置がここでの主な医療行為だった。 須藤は雪菜に初…

  • 小説『雪菜の話』1

    須藤健介は田代いずみの死に影響されて医師の道を歩んだ。 いずみが中学二年の冬に病気になった時、その事実は誰にも知らされていなかった。 何か重い病気になりどこかの病院に入院しているといううわさがあったがはっきりしたことは誰にも分からなかった。募る不安と焦燥感の数ヶ月の後、突然いずみの死が伝えられた。 いずみが骨髄性の白血病であったことを友人たちはその時初めて…

  • ボランティアを始めて

    病院のターミナル病棟のボランティアを始めて一か月になります。この働きに加わって、自分の生きる目的が定まったように感じています。 病名の告知が一般的になった現在、また訪問介護などの医療制度が充実している今は、末期の患者さんが病院で過ごされる期間は短いことを最初に聞いていましたが、本当に別れは早く来て寂しさを感じるのですが、その一期一会を豊かなものにできた事を感謝しようと思っています。 医療従事者の…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、kikyoukarukaya2さんをフォローしませんか?

ハンドル名
kikyoukarukaya2さん
ブログタイトル
頼子のブログ(みずのおもてから)
フォロー
頼子のブログ(みずのおもてから)

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用