父が毎日研究しているおさしづの解釈文を定期的に更新していきます。
神様の残して下さったおさしづから、神様の本当の思いを知り、親心を知れば、どんな事でも喜びに変えて通る勇気が出て来ると思います。
明治二十五年八月三十一日 午後九時三十分 又引き続き御話 (ぴゅあ8月号に掲載した刻限おさしづの続き)さあ/\又々出るで。どういう話、身上から話し掛ける。どういう事も身上から話し掛ける。半年事情いつ数える、幾日休み、それ/\次第を取り、一つの話、半
明治二十六年三月十八日 夜一時三十分刻限さあ/\未だ/\一寸一時、未だどうであろうと思うて居る。さあ/\十分息の通うたる間一つ、さあ/\今までは日々たんのうして暮らした。何も思わくは無い。息の通うたる間、一つ話し置く、一つ頼むという事頼む。これから先々皆
明治二十六年三月十八日 夜午前一時御話(飯降さと出直しの節)何もどうもこうも思う事要らん。後々何でも彼でも続かさにゃならん。これまでは十分々々に連れて通りてある。昨年々々事情、何度の刻限で急きたる事情、これもよう聞いてくれにゃならん。どういう事刻限にて知
六年一月二十一日本席声かすむに付願さあ/\/\一寸尋ねる処、尋ねにゃなろまい。どういう事であろ/\。まあ一日勤める又勤める。だん/\勤めたる処、理に一つが重なるであろう。どうでも重なりた理は、幾重道を付けにゃならん。よう事情聞き分けにゃならんで。日々勤め
明治二十六年一月十五日 午後十時十分前の刻限は本席御用場の事と考えますが、何分不行届の者にて確かと悟り兼ねますに付如何にや押して願さあ/\/\/\、一日かと言えば二日かと言う。さあ/\どういう事で一日、何かさっぱり気がいずんでどうもならん。何故気をいずま
明治二十六年一月十三日 夜二時四十五分刻限御話さあ/\/\/\一つの話、一寸掛かり掛けた。どういう事、もうこれだん/\広くの処、一寸暫くの処、あちらも狭い、こちらも狭い。取り寄せ。狭い/\所からよう/\取り広めた所、変えて事情一つ多くの中、やれ/\という
明治二十五年十月三日 午前二時五十分刻限御話さあ/\一寸話し掛けるで/\。前々一日一寸一つ障り、大き障りなら分かる。さあ/\朝一席三名の中、一つ一時の処、もう一時声が止まる処、その場を通り分かろまい。一席たゞ一名も声を尋ねる者は無い。一寸二三日後より三
明治二十五年八月三十一日 午後九時三十分刻限さあ/\/\/\、一寸話し掛けるで/\。さあやれ/\、今年々々の年も、何かの事情も勤め切り、長々の事や。聞いてしっかり筆取れ/\。刻限これまで話し掛けたる処、これまでと引き比べて、一つ/\始め掛けてくれ。これ
明治二十五年十月三日 午前二時五十分刻限御話さあ/\一寸話し掛けるで/\。前々一日一寸一つ障り、大き障りなら分かる。さあ/\朝一席三名の中、一つ一時の処、もう一時声が止まる処、その場を通り分かろまい。一席たゞ一名も声を尋ねる者は無い。一寸二三日後より三
明治二十五年六月十八日 午前三時十分刻限御話さあ/\もう詰み切った処の話々、遅れた/\、遅れた話というは、大きいようなもの、難しいようなものなれど、放っといて行けば行ける。どんな道掛かりという。掛かりは行ける。なれど山坂へ掛かる。今日と言うて今日に行け
「ブログリーダー」を活用して、川正さんをフォローしませんか?