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  • 食堂(観音堂)の炎上

    食堂の巨大な木炭のような四天王を見上げてなぜか穏やかな感じがすると書きました。ですが国の重要文化財を解除されてなお、そのままの姿で食堂にたたずむのにはどんな訳があるのでしょう?東寺に関連した書物にも詳細はほとんど触れられていないので、少しさかのぼって探してみると「芸術新潮1995年7月号」の記事に顛末が書かれていることがわかりました。20年前の平成7年まさにこの時、昭和5年に燃えた4体のうち2体の持国天と多聞天が修復されて「東寺国宝展」に出品、もう2体はまだ資金集めの段階だということだったんですね。実に60余年陽の目を見ることが無かったようです。向かって一番右側、「持国天」の見たままの印象です。表面を樹脂で加工し風化を防いでいるのですがじっと見つめていると中からまだ熱が放出しているかのように膨張してくる感じがし...食堂(観音堂)の炎上

  • 東大寺「東塔」発掘続く・・

    これから東寺の食堂に潜入して四天王に迫ろうという中、臨時ニュースのようにサマリーが入りました。奈良の東大寺では2010年から、焼失されたとする東西に建っていた七重塔の再建を目的とした発掘をしていたということですが、今回700平米に及ぶ東塔の基礎部分が明らかになったそうです。現地説明会が21日明日行われるというHOTな話題ですね。東大寺・東西塔復元予想模型現存する国内最大の高さの木造建築は東寺の五重塔、55メートル。820年代に空海が着工、その後4度の焼失、現存は1644年再建の5代目。一方東西建っていたとされる東大寺の七重塔は100メートル近くとか。750年代に建てられ1180年に戦火、1362年に落雷で焼失したまま。東寺の五重塔は元来釈迦の遺骨を祀る墓のような意味合いがあり、今回内部の拝観も含めて空海の強い思...東大寺「東塔」発掘続く・・

  • 東寺・食堂-その1

    これほど寺社に真摯に対面するのも初めてのことです。門をくぐるとそこかしから見えない引力が湧いているようで何処から行こうか、行き先が定まらない。平日でも賑わいを見せる参道や聞こえてくる外国語も意識の外の事のようにおぼろな感じです。何と言っても空海の思想を具現化した立体曼荼羅が気になるところですが、手前の「食堂」からお参りすることにしました。実はここには黒焦げの四天王様が安置されていて、その前では写経が出来ると伺っていました。食堂に入ると正面に本尊の十二面観音像、左側に黒い4体の像がありその前には写経用に長机が並んでいます。四天王の拝観は一番左隅の仕切られた場所から間近にできます。なんというか、安堵感、平穏な時の流れ、のようなどちらかというと穏やかな空気を感じて引き寄せられ、損傷の悲壮感は感じられませんでした。東寺・食堂-その1

  • 京都・東寺 大日如来の涙

    おりしも東寺では秋の特別拝観が始まっていました。4年前の東京国立博物館「空海と密教美術展」では、ここでご紹介した通り帝釈天などのデッサンをしてきたものです。薄暗い美術館で一体ごとにスポットライトを浴びて並んだ仏像達との出会いに感激したのと同時に、借り物の違和感をかすかに感じていたのかもしれません。それから何かが始まり、何かが終わりを迎えました。止まった時計が再び動き出すのを感じました。東寺の講堂で初めて間近に、空海の立体曼荼羅の全体像に触れました。本尊である大日如来を中心とした異次元空間にとても去りがたく、かといってデッサンも許されないのでその場に何時間も対峙していました。大きな大日如来の眼に涙が光っているように見えました。金箔の躰にライトが下からあてられて玉眼が生きているように生々しく、まるで私を憐れんでいる...京都・東寺大日如来の涙

  • 仏頭 インドネシア 9世紀(中部ジャワ時代)

    灰色安山岩の安らかな表情の仏頭ですね。インドからアジアの周辺の国々の仏像を見てきましたが、姿かたちが違えど祈りや怖れといった人の営みにはなにか同じ感情が込められているようなそんな気がしました。このコレクションをしたアメリカ人のロックフェラー3世夫妻は何を感じたのでしょうか。仏頭インドネシア9世紀(中部ジャワ時代)

  • 「宇宙から来たブッダ」

    なにか面白そうな記事がサマリーで流れていたので描いてみました。【AFP=時事】------1938年にナチス親衛隊(SS)の探検隊がチベットから持ち帰った仏像は、隕石(いんせき)を彫って作られていたという論文が26日、科学誌「MeteoriticsandPlanetaryScience(隕石学と惑星科学)」に発表された。------出所も怪しいですが、姿もなかなかの怪しさです。鉄とニッケルを多く含むアタキサイトという極めて珍しい隕石だという事で、普通千年も前の石の彫刻だと角が取れてやわらかい感じになるものですが、まあ金属の成分が多くとてもシャープなんでしょう。キリストのようなお顔で甲冑のような装具にはっきりと卍があり、向きははナチスの鍵十字の反対という事ですがナチスが興味を持つのは当然ですね。衣の表現がとてもモ...「宇宙から来たブッダ」

  • 観音菩薩立像 ベトナム 8世紀

    青銅で12cmの観音菩薩像です。アジアの像を見ていますが、こういう腰から下の衣が多いですね。上半身は肌に直接首飾り、腕飾り、聖紐といった装飾品を着けただけ。そのせいかわかりませんがどの像もウェストはかなりシェイプされていますよ。そしてこの水瓶を持って反対の手を差し出す姿は、酔っ払いの説教的な脱力感とは裏腹に、筋肉の緊張感がある太極拳的な空気感を感じます。意外とこのポーズで静止は難しいですよ。まわりの風も巻き込むような茶目っ気たっぷりの菩薩さんですね。観音菩薩立像ベトナム8世紀

  • 仏頭 カンボジア 13世紀初頭(アンコール時代)

    アンコールトムという都の中に建てられた仏教寺院には中心に45mの大堂塔があり、その周り四方には人面をつけた高塔が50基も林立していたそうです。灰黄色砂岩のこの仏頭のように穏やかなものだったんでしょう。ヒンドゥー教と仏教が争いを繰り返しこの仏教寺院も後にヒンドゥー寺院に改められているようですが。改宗にあたって首を挿げ替えられたりつらいことも多々あったでしょうが今となっては夢の跡。世俗の人間はまだまだ争いが絶えません。せめて残った仏像の声ならぬ声を聴いてみたいものですね。仏頭カンボジア13世紀初頭(アンコール時代)

  • 蛇の上に坐す宝冠仏 カンボジア 12世紀前期(アンコール時代)

    悟りを開いて6週間がたち、その内容を思い出していた釈迦。そこに7つの頭を持つムチリンダという蛇が現れて、釈迦を風雨から守ったという説話を描いているというこの場面。それまで質素だった釈迦の像は、このアンコール時代になると冠をいただき、宝飾品を身につけ、金箔で黄金に輝くセレブに変わっていくようです。それにしても行儀の良い蛇のとぐろに何事も無いかのよう禅定印を結んで座るデザインは見事ですね。アールヌーボーでもここまで凄い椅子は無かったように思います。こんな椅子欲しいですね~でもあちらの方から声が聞こえてきます「山田君座布団3枚取って来て!」蛇の上に坐す宝冠仏カンボジア12世紀前期(アンコール時代)

  • シヴァ神 カンボジア 10世紀前後(アンコール時代)

    なんと穏やかなシヴァ神でしょう。灰色砂岩で造られているためもろかったのか両手・足の先が無い、ちょっと可哀そうな姿です。わずかに微笑んでいるように見える眼差しの眼は空洞になっていて、当時は玉眼が埋め込まれもっと存在感をアピールしていたかもしれないですね。の~んびりと、どっしりと、まあ、ゆっくりいきましょうや~てな感じですね。シヴァ神カンボジア10世紀前後(アンコール時代)

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