お気に入りだもの、やっと来れたんだもの、私は何枚も撮った。何年もまた行きたいなあの思い、天気、タイミング、2時間近く掛けて、一眼二台、標準ズームレンズと望遠レンズ、カバンを入てたら5kg越え、それを担いで石段を登ったらそら何枚も撮るだろう。私の中ではピーンと背筋を伸ばした姿勢の狛犬に、英国バッキンガム宮殿の衛兵にイメージ重なるのである。まして神社を守りつつ、日本海も見据えている。そして今気づいた阿...
気になる日常風景の”僕のツボ”をスナップ。
街歩き、時に海、山、僕の「これって、いいねえ。」を撮ってます。
冬の福島潟、今年は雪が少ないのでここまで楽に来れるが、昨年は大雪でここまで来れなかった。除雪なんてされてないし、そこを仮にここまでやって来るのは雪の上を膝上まで歩いてくる。歩くって表現は正しくない、新潟弁で「こざいてくる」(かき分けるように)、片足が膝上までグーと雪に埋もれると反対の足をぐーと雪を踏みしめる、雪は多いとそんな言葉通りにはならず、片足が雪にぐーとぬかると、その足が抜けなくなる、無理に...
福島潟のボートボートもあるが木造和船、木造なので乾燥と風化で傷むのも防ぐのに沈めてある。木場とかで木材を浮かしてるのも同じような意味合いたくさんの支柱、板張りの橋が架かっていた。その上で水上コンサートをしたのを見たことがある。冬の福島潟飛び立った渡り鳥、稲を干す稲架木(はさぎ)をイメージて植えられた木、冬場は枝打ちされてさっぱりしている。Tokyo Live Camera Ch1[4K] 東京 汐留 鉄道 ライブカメラ 金...
葉っぱは、菜の花の葉っぱ。同じ頃に菜の花満開なんて騒いでいるのに、ここでは「どこの世界の話?」である。満開の菜の花畑は良いけれど、そんな地方には「こんな雪の光景がないじゃねえ。」、、、、と負け惜しみする。遊覧船ではないが、シーズンには乗船客を載せて福島潟をまわるようだけど、そんな光景を見たことはあるが、乗ったことはない。大体乗ったら揺れで写真撮れんだろうと、勝手に想像しているのである。なので私は「...
新潟市北区福島潟、茅葺屋根の潟来亭、そしてその隣にはキャンプ場がある。冬に流石にこんなではキャンプする方もいないだろうが、コロナとキャンプブームでたくさんのテントが張られるのを見たが途中から”少なくなったなあ。”と感じていたら、入場テント数を制限したとか。アウトドアでもソーシャル・ディスタンスなのか、家に籠るのが嫌で野外なに。潟来亭は、日本家屋の無料休憩所、家根は茅葺、屋内には囲炉裏がある。柿の木は...
海辺の自然が造るアート、美術館で見るアート作品に”どこがアートなんだよ?”と大いに不思議に感じることがある。そんな不思議なアート作品の主張よりも、この塩ビ管カーブは何かを主張しているように思えた、風、太陽、時間の三位一体の主張なんだろうかと思えて来た。そういう思考で浜辺をそぞろ歩いていると、心張棒と建物、電線の影までも”アートじゃねえ?”と私は思えてくるのだが、こんな瞬間が好きだ。人がいたらこの光景に...
海辺の釘に、私は釘付けになった。いいねえ、いいぜえ。こうか、それともこれか?とカメラを向けた。家根は波板トタンだったんだろう、長年の潮風で素材のトタンは錆びて、そこに強風とかでバタバタと吹きつけられ、ふっとんだりしたのだろう。荒井浜と粟島、、、、、ここは浜であっても、海水浴場ではない、遊泳禁止の看板を見たような気もする。それ故に夏場でも釣り人はいても人がいないので安心してカメラを持って撮りに来れる...
ある小屋の中、たぶん使われていないのだろうと思う。使われていない網を見て、ここに魚が掛かる。しかしそれを取り外すのって自分だったら力任せてでグイッって引っ張り体を傷つけ商品価値を落とすのではと、そう思いながら眺めていると漁師も大変だよなあと思えてくる。魚を獲るだけでなく、見えない地味なしごとに、後を継ぐのもいなくなるのか、それとも継がせたくないのか。そんな色んななことを思いながら船小屋の中をのぞい...
荒井浜の井戸ポンプ、初めて訪れた10数年前浜辺で赤く錆びた井戸ポンプを見つけた時、「井戸じゃん。」と思わず取っ手を握ってギコギコやった「水出るじゃん。」と枯れていると思っていただけに、またうら寂びた浜辺だっただけにプチ感動した記憶がある。それから訪れると「どうよ。」とやっていたが、いつしか乾いた音だけになってから、「枯れたのか。」とギコギコやるのをやめ撮るだけになった。浜辺でありながら不自然なのよ...
胎内市荒井浜、沖には「岩船沖ガス油田」、そしてまたその奥にはうっすらと「佐渡ヶ島」。ひょっとしたら夜にはそんな光景があるのかも、でもその頃には実際には芭蕉がその句を詠んだ出雲崎80kmも離れているが、イメージする。冬の日本海はこの日は穏やかな方である。どんよりとした鉛色の空、冷たい海風で涙腺が刺激され目から涙が自然に流れ来る、その風は時には手をのばし体を前に倒すとそのまま鳥のように飛べるんでないか...
崩れかかった船小屋の内部、廃墟状態なのか、ゴミ屋敷?明るさに不気味さは感じては来ないが。その色んな物が散らばった船小屋の中を、そーとのぞきその内部をファインダー越しにカメラを向ける。そして”ふと”気づく。奥の横たわっているように見えるのは”あれは、もしかしたら死体か?”と、指とか手でも見えたら嫌だなと恐る恐るとそれに視線を合わせる。”網?網だよなあ。”と、丸いのはブイかと、正体がわかるとさっきまで視線を...
錆て朽ちてしまった農機具の光景に親しみを感じてくるのは何なんだろう。何度も浜辺を訪れていると全然違和感なし。まだまだ、まだ現役状態の船小屋だけど扉部分は支柱で押さえてあり、使われることないような意味がある。コンクリート製の瓦、聞くところによるとコンクリートは寿命は50年と聞いたことがある、 こうやって見ると焼瓦や、煉瓦と比べるとなるほどと納得する、あと50年100年後には自然に還っているかもしれな...
訪れるたびに荒廃が進む、胎内市荒井浜の船小屋(だった)。こんな光景がいくつもあるが毎年のように崩れて建物はなくなっている。そしてまた進行してこれらのあちこちの小屋がなくなったら、たぶん私は来ないまでも訪れる回数が減るだろう、現に隣の桃崎浜海岸、ここ荒井浜より先に訪れて「うひゃー。」と喜びまくり、新しいカメラを買っては訪れ、レンズを買っては試し撮りするように訪れていたが、お気に入り船小屋はいくつもな...
荒井浜と粟島たぶん、船(沿岸漁業用ボート)を引き揚げる、コンバイン中古利用の小屋、潮風で錆びさせないよう波板で囲ったのだろう、当時は完璧でもボートの利用もなく船小屋へ引き揚げる必要のなくなると、ここも砂と草に埋もれて廃墟と云えば廃墟。写真が趣味に、そして海辺を撮るようになって気づいた風紋。砂浜に生えた草が海からの風に吹かれて出来た風紋に初めて気づいた時は「なーるほど。」と自然のしくみに納得した。青...
崩れて屋根のなくなった船小屋、その中で冬の日差しが当たった釘が気になった。「こうなると、この釘の役目って何だろう?」。そして三木聡の映画「インスタント沼」でてくる、”折れた釘”を思い出した。胎内市荒井浜にこんな風に船小屋が並んでいる、建物の中をのぞけるもの、また覆い締め切って部外者立ち入り出来ないような、いや海からの風と砂が風化を早めるので、それらを防ぐのに覆いされているのかも、覆いのないのはやっぱ...
浜辺の船小屋とブルーシートをかぶったコンバインか稲刈り機の中古のモーターを利用して船(ボート)を引き揚げに使っていたのだろう、放っておくと潮風で一気に錆びるので、ブルーシートをかぶせてあるのだろうが、それがいつしかそのままになった。荒井浜の砂浜にいくつも並ぶ船小屋、ほとんどがこんな状態、崩れ砂に埋もれたのもある。その昔そんな小屋に入っては撮っていたが崩れてしまってはそんな侵入も時効だろうか、もっと...
胎内市荒井浜の船小屋赤い注意、、、、果たして何の注意なんだろうか、「ここは海水浴場ではありません」、「波に注意」、ひょっとしたら「立入禁止」なのか。何度もここを訪れているが初めての「赤い看板の注意」、新しい訳でもなさそうだし、自分は何度も訪れて見えていなかたんだろうか。天井がなくなった、舟小屋、昨年の大雪でその雪の重みで崩れただろうそんな小屋がいくつかある。誰もいない海、観光地では時に撮影に順番待...
胎内市荒井浜、冬場の海でなくても、海水浴場ではないので夏場シーズンでもあまり人がいないので、コロナは関係ないのだが自粛ってことが”体に染みついたらしい”、お天気の良し悪しもあるが、出掛けるのも億劫になってきるのは正直な所。なので、来れたが来なかった好きな荒井浜だが、ここに立って前を眺めると”やっぱり海はいいわ。”となってきて、この先海辺まで早足になった。誰もいないけれど、砂の上にはしっかり足跡、新しい...
表通りは、リノベートされ復活したけれど、寺町通になっている裏通りは、年々衰退、廃墟化してきている。表通りは自分みたいなオヤジが歩くよりも、婦女子の方が似合っているかもしれない。裏通りは、昔はスタンドバーなどと云われている飲み屋街が、飲み屋長屋。たぶん店の入り口があり、毎日開け閉めしていたが閉店と共に普段の赤いトタンに板を釘打ちしたものだろうが、その赤いトタンは本来のものでなくペンキを塗られたようで...
午後の雨上がり、とは言えパラパラっと雨が当たるのでその雨に濡らさないようカメラを隠しながら、急ぎ撮りまわった。「この日はここだけで、オレは満足だぜ。」と欲求不満の右手人差し指を満足させた。いつまた本降りなるかしれない、また時間もない。5枚撮れたら満足のつもりで訪れたが、結局50数枚。たぶんこの前日に出掛けたがやっぱり雨、止むことがないので車からだった。そんな残便感の残るようなムラムラモヤモヤとした...
中央区沼垂テラス商店街この日お天気も悪く、時間もない。しかし、「シャッター押してえ!」と右手人差し指がうずいた。”数枚で良いからなあ。”と沼垂テラス商店街を目指して短期決戦だった。天気悪しと言えど、陽が差してきた。”良いじゃん、良いじゃん。やっぱオレは晴れ男だよ。”と思ったが、そのお天気は一時で終わった。天気は悪いが、お店の中に人の姿あった。撮ってもいいだけど店の正面から撮影すると、お客の彼女、彼の視...
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ツボにハマった、こんなのが目の前に現れたら私は撮るしかないだろう、こんな光景、風景に「惚れてまうやろう!」である。たぶん、これがCM撮りとかだと進入禁止の表示前のススキの枝は「ジャマ~。」で取り除かれるのだろうが、自分はあるがまま。島見浜の岡に揚がった船たぶん御用済みの漁船(ボート)たち、思いたくないが”船の墓場”の言葉浮かんだ。海辺に並ぶ建物、それが実際なんだかわからない、海の家だったり、ボートの持...
海とタンカー突堤の釣り人たち、決してソーシャルディスタンスではなく、お互いに釣りに糸が絡まないよう自然とお互い間隔をとっている。時折海からの強い風が吹くと砂の表層が舞い飛んだ。通常は見ない、浜辺の植物なのか。遠くに見える粟島、よく行く胎内市の荒井浜、桃崎浜には同じような風景があるけれど、トラカラーのようなカラフルな色は見ない。向こう側は海、そして上に載せているように釣り人がやってくるので、あちこち...
海辺の窓、ある海の家の厨房の窓。アンカーと海の家、沿岸漁業の船のアンカーなんだろう、使われているのかどうか、錆びていても海辺では金具は錆びやすいものである。関係ないが昔ボートで釣りをしてことがある、アンカーを沈めても風と波でボートに流された。正直な所、夏場は来ないのでここらにある海の家がどうなっているのかわからないが、夏場にカメラを持ったオヤジがウロウロしてたら実に不自然に見られやしないだろうか、...
久しぶりにやって来た島見浜、ともかく私は冬場になると海を訪れる回数が増える。人がいないこともあり、どこかのんびりと海辺を歩けるから。釣りに凝っていた頃、何度か訪れているが当時は、浜辺の風景が変わった。そして10月に入ったの海水浴を見た場所。なに~と見ていると、どうもロシア人のようだった。夏であれば普通の海水浴なのだが10月である、寒い国の人間からしたら夏なのかもと。冬の浜辺にも色があった、色のなく...
冬は日が暮れるのが早い、早々に帰ろうかと思ったが「雪降ったら今度はいつ来られるからわからんしな。」と久しぶりに別所虚空蔵尊に立ち寄った。到着すると、お堂は山影に入り薄暗くなり始めていた。ただでもここも本堂は巨木に囲まれて薄暗いのが陽が傾き山影になってくるとここを独りっていうのは何度も訪れているがビビりの私はやっぱり慣れない。薄暗い境内は、夏だとやぶ蚊が出没して、撮影中の無防備状態にチクりって刺され...
無人の光景を撮ろうと車を停めてカメラを構えると女子二人が歩いてきた、「あれま。」と思ったが、無人よりもこの方がシャッターチャンスが貴重かもなあと撮ったが、やっぱり無人の方が良いかも。蛭野集落を歩く、紅葉と云うか銀杏が有名であちこちの銀杏の木が晩秋に黄色くなるの「黄金の里」などと呼ばれ、お目当ての観光客も多い、向こうに見えるバイクも銀杏をバックに写真撮影しているのだが、家の影にかがんだ膝がちらりと見...
慈光寺参道には巨木の杉が立ち並ぶ、空気の澄んだその参道を歩くと気持ちが落ち着いてくのは「森林浴」の癒しなんだろう。そこの私はもっこと、ふんわり、なんとも気持ちの良い色の緑の苔に目にやるである。この日の参道、何十回と訪れているがこんな人の光景は珍しい、自分のとここに撮りきたのは無人な光景。参拝者の無人を待つ、こういう時の人の歩きって遅く感じるんだよねえ、そしてただ立ているこちらに「なんで立っているだ...
村松慈光寺本堂、門をくぐり参拝者は真っすぐ本堂へ向かうのだが、もったいぶりの私は、例によって”美味しいものは後に残す”タイプ。ここまでの参道の紅葉は中途半端のようでも、本堂裏の紅葉はしっかり色づいていた。遠い風景が色ずいてもなあ。でもこれはみょっとしたら標高によって色づいているのだろうか。珍しくという言い方は失礼かもしれないが、自分が訪れるいつもより参拝者の数が多かった。よって本堂入り口でも参拝者の...
「石の上にも三年」という諺があるけれど、でも今年コロナ3年目、落ち着いたきたかと思えば新種登場したりしたけで、そろそろいい加減のコロナも収まってほしい。でもこの写真の場合は、コロナ、コロナで、参拝者の毎度毎度の同じ願いこと、”変な時代になったなあと、頭が重いだよねえ。”だろうか。本日は夢の日(1月1日晩から明け1月2日に見る夢)、いい夢を。...
迎春 一昨年、昨年とコロナ禍の中皆さんが頑張って来たと思います三年目の正直、マスクのいらない歳になると良いですね皆様のご多幸とご健康をお祈りいたします昨年中は大変お世話になりました本年もよろしくお願いいたします 犬山にゃん太郎...
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お気に入りだもの、やっと来れたんだもの、私は何枚も撮った。何年もまた行きたいなあの思い、天気、タイミング、2時間近く掛けて、一眼二台、標準ズームレンズと望遠レンズ、カバンを入てたら5kg越え、それを担いで石段を登ったらそら何枚も撮るだろう。私の中ではピーンと背筋を伸ばした姿勢の狛犬に、英国バッキンガム宮殿の衛兵にイメージ重なるのである。まして神社を守りつつ、日本海も見据えている。そして今気づいた阿...
出雲崎町へ初めて訪れた時、自分が運転して街歩き”こんな所があるのか。”と感じつつも、喉が渇いていたし休憩もしたかった、その時運転もしてなく余力のある同乗者はあちこちまわろうと言っていたけど、私は疲れていたのでダダをこねるようにここで休憩したが、今は廃墟になってしまっている。出雲崎の町(北国街道)、切り妻屋根の△が道路をはさんで向かいあっているのである。街並みは「妻入り」という。まだまだこのあたりより...
以前訪れた時のことを思い出しながら、あれは何年前だったろうかと、私は雰囲気の変わってしまったような浜辺を眺めた。こうやってここから見ると変わり映えがないようだけど、何か所あった入江のお手製桟橋の潮による浸食は”ここまでになるの?”っと驚きでもあった。久しぶりでも勝手しったるような出雲崎町尼瀬地区の浜辺からの路地。初めて訪れた時は地面には金網がなかったようなと思うだが果たしてそれがどうだったのか思い出...
出雲崎町、北国街道「小諸まで55里、江戸まで97里」、佐渡金山からの江戸へ金銀運ぶのに97里、それも信濃小諸経由だったのがわかる。そんな出雲崎の入り口にある「尼瀬代官所獄門跡」、出雲崎へは数えきれないくらい訪れているのだが、ここ獄門跡は2度か3度目。初めて時はかなり昔、ビビりの私は当時はカメラを向けられたか記憶にない。江戸時代佐渡への罪人を運び、また佐渡でとれたとれた金銀輸送の要所の港でもあり、江...
出雲崎夕陽ライン橋の欄柱にはめられた良寛さんの句をよみながら、”オレもそんな心境かも。”と思いながらも歩き回るたびにカメラバッグの重さを感じるようになっていては良寛さんよりも歳なのかもな。出雲崎町尼瀬の入江初めて訪れて見つけた時はまだまだ元気だったが、現役どころか漁もしばらくしてないのだろうか、やめたのかもなあと桟橋を見ると思えて来る。潮水の恐ろしさ、浸食。通常単管なんてあればちょっくら形を崩すなん...
出雲崎夕陽ライン橋から日本海、コロナ騒ぎもあってか出雲崎は訪れたが、出雲崎夕陽ライン橋は久しぶりだった。出雲崎町は良寛さんの出身地でもあり、良寛堂を模した欄柱になっている。尼瀬2区、このバス停も、「尼瀬」の文字も久しぶりだった。「尼」の文字つく地名はここ出雲崎くらいだろうか。出雲崎夕陽ライン橋良寛堂を模した欄柱のオブジェなのだが、どこだったか汚れ、傷み具合のシミが良寛さん見える所があったがどこだ?...
何年振りかにJR羽越本線酒田駅を訪れると「ありゃ?」と駅舎が新しくなっていた。私のイメージは昭和のイメージの鉄筋コンクリート駅舎だったが駅舎も変わっていれば駅舎前も整備されてすっきりしていた。駅撮りは趣味であちこち撮っているけれど、この今風の変わりぶりの駅舎を見て”当分来なくていいなあ。”と思った。利用する地元の方には申し訳ないが、個人的は古く、ボロかったりする方が駅としては私は好きなのである。酒田駅...
お天気は快晴で最高な日、観光地でも比較的空いている時期、長い冬が終えようしている頃、ケヤキは冬枯れして枝だけの季節。コロナの時期は訪れてないけれど、自分的は訪れるのはこの頃。山居橋から新井田川の向こうに2本の飛行機雲を見た。ひょっとして北海道千歳空港行?”我が新潟市からとは飛行機の航路が違うだなあ。”と飛行機雲を眺めながら遠くへ来たのだと感じた。新井田川と遊覧船と山居倉庫歴史を感じる新井田川石積みと...
地元の新潟市には高い山がないので、2000m越える山を見ると、惚れ惚れしてしまう。それが山居倉庫から見えた。新潟市から遠征で山形県鶴岡方面へ行くとその鳥海山が見えるかどうかワクワクしての県境越え、この日は見事は姿が見えた。山居倉庫屋根の角度は黄金分割のような角度に、癒しを感じられるような完成されたような角度である。向こうから(ケヤキ並木側)何枚も撮ったので、今度は倉庫の表から。倉庫も立派ならケヤキ...
あちこち駅巡りをしていると、かつて駅周辺にこんな米倉庫残っているの見ることがある、しかしここまで残っているのは、残しているのは珍しい。計算されてなのか、山居倉庫の屋根の向こうに「庄内米」の文字が見える。コメどころってことなのかもだが、意外に酒田市は「さかたラーメン」なるのもがもある。個人的な感想を言うと”優しい味”なのかもしれない、我が新潟県のラーメンのバリエーションの味からしたら優しい味になる。新...
上記とは全く関係ないのだが週末の日曜日、桜撮りは”あそこだな。”といくつか目的地を決めてそこへ訪れるとバイクが停まっていた。その後ろの車を停めて桜を撮ろうするとそのバイクの人のヘルメットかぶっていたがその目線が気になった、”何かを訴えているような?”、”ひょっとして俺の知り合いだったのか?”そして桜の風景をあちこち撮り終えて車に戻るとやっぱりこちらに”何かを訴えているような?”目線。そしてその場を私は立ち...
「たばこ厳禁」って書かれていても今は煙草を吸わない私には、単なる被写体にしか見えない。それにしても、”また?”の山居倉庫風景、なにせ倉庫は12棟ある、それを一棟一棟撮って、そして振り返るように撮っているから枚数は増える。山居倉庫12棟の窓、並ぶ倉庫を12棟歩いてやっとの見えた倉庫の窓。並んでいるのは白壁造りだけど、端の倉庫は雨風で痛みやすので板張りで覆われている。山居倉庫12棟とケヤキ、私は毛細血管...
鼻の穴がデカい、思わず私は鼻の穴に指ではなく手を突っ込んだが、向こう側から”その手を引っ張られてら。”と変なことを想像した。名前があり黒いのが「山王」、赤いのが「日和」と名前らしく、酒田市のお祭りには練り歩くらしい。初めて酒田市の街歩きしてこの巨大獅子頭、それも二体、印象記憶に残らないはずはなく、毎度酒田市中町を歩くと”そう言えばアレがあったな。”と大きな獅子頭が浮かぶ。中通り中町三丁目吊るされた鮭、...
何年振りだろうとこの景色、そして同じような構図で撮影した遠い昔を色々な思いでと共に懐かしさに胸がじんわりとした。以前はここまで平気であるいたような、今回はどうだろう”へいこら”状態に近い。三重塔の風景に、酒田市なのだが京都奈良を訪れているような気持ちなってくる。以前は中町通向こう側まで歩いた記憶がある、そして酒田駅までも歩いていたようなないようなだが、そんな昔私はまだまだ歩いてのは確か。この日それを...
何度も酒田市を訪れているけれど、久しぶりにあの寺院へ行ってみるかと足をのばした。酒田市を訪れ2回目か、3回目の街歩きで遠くに見える塔が気になった。さすが北前船の町、豪商の町、寺院風景に酒田だなと納得させられた記憶があるし、久しぶりに訪れてもそう感じる。海晏寺(かいあんじ)初めて訪れた時は違和感はなし、遠い親戚のように感じる寺院だった、調べると当家と同じ曹洞宗寺院に”やっぱり”感があった。それでも、あち...
にぎやかなんだか、”にぎやかだった”のか酒田市たくみ通り、私が車は通過したけど歩いている時には人は誰も見なかった。たくみ通りの天満宮天満宮の鳥居、実は私はひとつ向こうの通りからこの上の公園へのぼり、天満宮参拝してからこの石段を降りてこちら「たくみ通り」へ。酒田市天満宮の由緒天満宮の下にある旧上内匠町標識とお箸塚、箸は個人の家の箸もあるのだろうが周囲には飲食店が賑やかなのだとわかると想像できるのだけど...
山形県酒田市中町酒田市中町のビル裏中町旧マリーン5の建物、私には建物のよりも、この「マリーン5」が気になった、これってあの「マルーン5」を意識したのか、それとも偶然なのか。ここで私にはマルーン5の曲が頭に浮かんできた。実に久し振りのビル風景、酒田市を訪れるようになり、”酒田おもしろいじゃん。”と感じなら歩いた時の光景を思い出す。あの映画「おくりびと」のロケ地、ここまで歩いてきたらやっぱり撮ってしまう...
酒田市中町通、訪れるたびに街の風景が変わっているような。それは街の発展というか、街の光と影のようなものである。中町3丁目の灯台、車止め防止のなのだろうが、オシャレである。京都だと石ころである、だけど京都だと石ころが粋に見える。ここでは日和山公園の「木造六角灯台」、品の良さを感じた。酒田市中町3丁目そして酒田を訪れて見てみたかった建物、柳小路中町2丁目のかつては有名喫茶店「ケルン」、店じまいしたと聞...
舞娘坂の理髪店のサインポール、人様ならさらりと素通りするのかもしれないが、私は素通りは出来ない。ゆえにカメラを持って街歩きはなかなか進まない。そんな理髪店の前ですら素通り出来ない私は、舞娘坂にある料亭校香梅咲と竹下夢二美術館の間のこんな路地も私にはやっぱり素通りは毎度出来ない。当然毎度舞娘坂の路地に来ると奥へ入っては私には”路地はいいなあ、いいなあ。”になるのである。路地の竹下夢二美術館(相馬楼)、...
酒田市を訪れるとやっぱりここは私の酒田街歩きのルーティンのようなコース。映画「おくりびと」の劇場のロケ地。主人公はこの階段を登って行って、社長より撮影を強要されるのだが。そんなロケ地の劇場ゆえに、ゴジラ襲来を上映したりしての町おこし。そして「ゴジラ」と大杉連氏の追悼上演の宣伝。シン・ゴジラの絡みか?日吉町まちかどギャラリーと「兵隊やくざ」上映の看板、当時2016年のものがそのままに。日吉町まちかど...
リアルでは当に桜は行ってしまったけど、今更のような桜景。新潟市江南区沢海大栄寺の石灯籠と桜。本堂からの中庭、「大栄寺」は曹洞宗のお寺である、だからって訳でもないが本堂へは誰も自由に入って手を合わせることが出来る。神社の神様も良いけれど、仏様っていうのもまた手を合わせていると自分どころか御先祖までも供養してくれるような気持ちになる。山門から本堂と桜。どこかで書いたが新潟の神社仏閣の山門は赤い色の所が...
久しぶりに訪れた沼垂西の赤い工場。カメラを持って街歩きして気づいたのが”オレは錆びが好きなんだ。”と感じた事。”撮りながらも俺っておかしいのか?”と思ったが後で、SNSで錆び好きサークルを見つけて、そうかそうなんだ、いるんだと、お仲間を見つけてオレはおかしくなかったと思うようになり、錆び以外でも、自分が好きならそれでいいじゃんと思うようになった。湊稲荷神社、コロナのせいなんだろう鈴緒は、触れないように端...
お寺なんて関係ない、”じい様になってからの世界”と思ってらカメラを始めて被写体になり、そして新たな発見があった。そうなると”ここに、こんなお堂もあったのか。”と、京都奈良でブラ歩いて神社仏閣遭遇する目線で地元を歩くと「なにここ?!」と再発見。実はこのお堂の中に観音様がおられ、それを初めて見た時は「なになに!」だった(正月に扉が開く)。「朗小路」、角の家は知る人ぞ知る昭和を感じる外観、街撮りスナップ派な...
極端に多くはないけれど、シャッター通りだったのが、シャッターに店舗が入るようなり沼垂テラス商店街となって数年。赤錆びたシャッターの通りは私は好きだったのだが、”オレの街”から”若い街”になった、それってオジサンには落ち着かないだよなあ。ここの古本屋は、今の沼垂テラス商店街と云われ前からあったような、こんな佇まいが”ここでお店やってみるか。”と他を引き付けたのかもしれない。銭湯さか井湯、営業時間を見ると1...
万国橋の船着場に係留中の漁船、しかし何ゆえにこんなにたくさんの”もやい”があるのか、1本2本あれば十分だろうと思うと逆にこれはなんか意味があるのだろうかと、そう思うと恋人岬のハートのような、縁起、願掛けなのかと本数を数えた。久しぶりの中央区沼垂東。久しぶりの空き地、初めて訪れた時はこんな住宅にこんな空き地があったんかあと贅沢感感じた空き地のスペースだったが、あれから片手は過ぎているはず、尚もまだ空き...
カメラが趣味なり街撮りに目覚めた時は、ここ、この辺りはよく訪れた。ここの新潟伊勢丹前の交差点を歩道橋から毎度撮っていたが。いつの頃からか訪れることがなくなった、理由は思い出せず。人間だってそんなことがある、気が付けばあの人とは疎遠になっていたりして。久しぶり訪れて見ると、数えきれないくらい訪れているのに無機質な知らない街のようになった。だいたい右の伊勢丹の駐車場が嫌いである、運転下手とかでなく立体...
新潟市中央区三和町の三社神社境内にある御神輿。8月末に秋季大祭には神輿巡行、冬は終わったとは云えこの時はまだまだ寒い、そして開催される夏、枝豆を食べながらビールをぐびーとやってる自分を思い浮かべた。万代東港線十字路、万代シティの大階段、実に久しぶりの撮影。以前はこんなペインティングはなかったし、階段の向こうには万代タワーが見えた、なくなってから訪れているのだろうが、いつだったか記憶になく、私の頭の...
胎内市笹口浜、村上市岩ケ崎なのど撮りまわり帰途、もう一か所くらい寄ってみるかと運転中に思いついたのは、日が延びたからだろう。冬場なら空は暗くなっている、ましてどんよりした雲の多いような日は尚更。とは云え、ここ浜辺は想定よりも風が強く、冷たく”これが冬の海だぜ。”と荒々しい波を眺めていた。もっと浜辺から離れて広角で撮りたかったが、そのど真ん中に軽自動車がとまっていた、車内をのぞくとバアサンが一人、それ...
フェンスのすぐ下にはJR羽越本線の下り線が走る、電車、貨物でも通ってくれたらなあと思うが来なかった、もっとも下調べしてないのも悪いが突然やってきてタイミング良く通るのはローカル線ではちょっと無理だった。そんな鉄道のタイミングよりも私個人としてはこんな光景に出会えたら、撮れたら大満足、到着したばかりなのにシャッターを切っての手ごたえで、今日の撮れ高、ノルマは達成したような気持ちなった。だけども、冬場あ...
素通りしようかと思ったが、村上市海府ふれあい広場の公園に寄った、まさかと思っとが、この光景にまた出会った。離れているので問題はないけれど、見方によるとおっかないブランコである。もっともこんな時は冷たい風が海から吹いてくるので遊んでいるような子供はいないと思うのだが、”子供は風の子”って言葉があるからなあ。でも大人だってカメラ持ってたら風の子だった。北の海へとご帰還中のカモメ、色の違うのは幼鳥なのだろ...
春を待つかのように荒れる海の村上市柏尾海水浴場、そして沖には粟島。果たして現役なのかシャワー室と更衣室だけど、この時期にどこでも駐車可能なのだけど夏場になると車を停られるスペースは1回1000円の有料駐車になる、個人としてオフシーズンのどこでも駐車可を知っているので、1回1000円は抵抗感ありありである。そんな柏尾海水浴場だけど、光景が変わった。コロナ以前は5月のオフシーズンでは人がいなかったけど...
白波立つ光景にやっぱり海はこうでなくてはと思う。毎年もっともっと大荒れの時に訪れては防波堤にぶち当たり20mくらいは舞い上がる波を撮っていたけど、なんなんだろう、コロナの自粛と、その時事情から撮らずにいると出掛けるのは”どうでも良くなった。”これもコロナ病である。この日天候は雲が厚くて良くなかったが、これではいけないと車を走らせた。そしてこんな光景を目の当たりすると”出掛けて良かった。”と思った。いつ...
まだDVDとかでなくレーザーディスクの時代、開高健の「河は眠らない」を持っていて何度も何度見た、同時に自分は釣りにハマっていった。その時「河は眠らない」の中で雲間から光が斜めに降り注ぐ景色をさしてあれは”レンブラント光線”とまたは”天使の階段”云った。それまで見て光に名前があったなんて、それもあの画家レンブラントの絵画の特徴から”レンブラント光線”って云うのかと、釣りの内容なのに「へえ。」と無知な私は感心...
プロレスに「金網デスマッチ」と云うのがあるが、私は前に見える光景の金網が邪魔だなと思いながら、金網とデスマッチした。”あれ以前はこんな電線があったか?”と2本だが3本だったような。今しか撮れない光景、春、夏になったら前の木は葉っぱが茂って向こうが見えなくなる。そんな理由もあって、波の荒い冬場に訪れている私である。この坂を下るとトンネルがある、天井の低いトンネルと、それよりも高いトンネルがふたつ。低い...
「俺だけの場所」と云うのがある、ひょっとしたら有史上というか、地球誕生してカメラを向けたのが「俺が初めて」ではなかろうかとそんな場所が自分にはいくつもある。ただ、それがプロの写真家が撮って有名になり撮影スポットになるような場所かは別として、それは自分の「お気に入りの場所」だ。車運転中は海が良く見ているはずだけど、カメラ向けている私の脇をブンブンと通り過ぎていくのだが、時折気になる海の景色だけど先を...
雪のちらつく村上市岩ケ崎。村上市国道345号線岩ケ崎で雪がちらつく間、良いじゃね、良いんじゃね。今度はいつ来るかわからない、その時は雪の季節ではないはずそう思うと、とちらつく雪がやまないこと祈りつつ「いまでしょう。」とここか、ここかと歩きまわった。この注意看板に恐怖するも何度も何度も訪れているが熊なんて見たことがないが、「熊出没注意」にひょっとしてと毎度のように車から離れないようにしている、ビビり...
海辺に降る雪を撮りに訪れた訳でないが、ちょうど雪が降ってきた、いやちらつくってやつだろう。上空を見ると何かが降ってきた。そんな感じの雪のちらつく瞬間だった。今冬のシーズン、雪降る光景を撮ったが、雪っていっても積もる事ない、寒くもない、春に向かっている冬の一場面だった。時折変なことを思うだが、眺めているとこんな雪粒はどれくらいの数が降るのだあろうかと、下世話の私にはこれが福沢諭吉で、「俺の懐に入った...
弥彦神社の絵馬殿の雪、いつもこれくらいの雪だったら私は雪は嫌いなってないと思う、しかし大概が雪が解けたのにある場所に行ってみるとそこに雪を発見すると「雪じゃん。」と愛おしく感じてくるのである。弥彦神社の境内の雪、雪が積もって白い光景になるよりも自分としてはこちらの方が常緑樹の緑がキレイに見えて、またその雪は心に余裕を持って眺められる。残雪というイメージ、と云うことは冬の雪は峠を越えた思うだが、その...
私はどうもこんな地元しかしらないようなある意味で秘密の階段・迷路が好きである。発見と歩くことでその地元住民になったような気分になるから。新津屋小路、毎度ここは車の通りが比較的ないので、仕事でもプライベートでも抜け道として利用していた。西堀通善導寺、初めて本堂の扉まで近づて「はて?」と驚いた扉には葵の御門、本山は京都知恩院であり、その知恩院は徳川家康が知恩院を菩提所と定めた寺院。なので系列の寺院も葵...
新潟市北区雪積もる島見浜を運転中、普段はただの砂山だけど雪が積もり詫び寂のような美しさだった。雪はあんまり好きではないけどこんな光景なら”あり”だと思える光景である。雪の上に足跡もない、未開の土地のようで”これを見つけたのは俺だ!”とコロンブスのアメリカ大陸発見のような気分。初夏から秋までは雑草でうざったい光景も、雪上に痩せたような雑草が生えてるような、”これもありだな。”と腰をかがめてカメラを構える。...