プロフィールPROFILE

大澤寺さんのプロフィール

住所
牧之原市
出身
小田原市

浄土真宗はかつて「一向宗」とも呼ばれた本願寺の宗徒で信長に11年も反抗し、その中でご先祖が生きながらえたことによって今があります。 興味の方向は「城郭と墓」です。「城郭」は建物が無いもの、墓は鎌倉期から室町期の宝篋印塔や五輪塔に思いが傾きます。近隣高天神城はじめ遠州を中心に、生まれ育った小田原界隈、当家先祖の出身地近江そして関西方面の歴史について記したいと思っています。

ブログタイトル
墓場放浪記
ブログURL
https://www.daitakuji.jp/
ブログ紹介文
相州小田原生、遠州高天神近住(相良)、戦国時代を中心に雑感を記すブログと寺のサイト
更新頻度(1年)

361回 / 361日(平均7.0回/週)

ブログ村参加:2012/04/01

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ハンドル名
大澤寺さん
ブログタイトル
墓場放浪記
更新頻度
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墓場放浪記

大澤寺さんの新着記事

1件〜30件

  • 駿府城現説情報 駿遠から首都圏降雪情報につき

    昨日早朝「後夜」に入った頃(2時過ぎ)息子が横浜から相良に舞い戻ってきました。 正月に数珠その他忘れて帰ったいろいろを回収に来たとのこと。 彼の深夜行動は勿論、東名高速の深夜割引のため。 仕事から帰って一風呂浴び、うつらうつらと休憩しての時間調整をしての出立です。 それはまずは渋滞に遭遇する確率は低いですからね。 私も割引などない時代から深夜行動の高効率を毎度採用しています。 折角のお休み(正月明けは忙しかったそう)ですから、親としても彼の好きな「さわやか」にでも・・・と考えるところですが、昨日は大晦日の「除夕の鐘」スタッフの「お疲れ昼食会」があったことと雲行きが悪そうなことから「明るいうちに即攻で帰れ」と指示して11時前に追い立てました。 その「雲行き」というのが駿遠から首都圏の降雪情報です。 要は西から雨雲が迫っているということですが、それがかかってくる前に「御殿場は通過しろ」という至上命題を与えました。 「チェーン規制」が出たらアウトだぞ・・・と言い聞かせたのですが、彼は温暖な南遠にあって「雪の怖さ」については未知ですからね。 どんな寒気が、前線が通過しようが、「なんなら雪を降らしてみろ!!」と天に向かって高慢な罵りのことばを入れようとも、まったく大丈夫と言っていいほど相良に雪は降りませんので・・・ 要は滑ったことがない、滑り出しがわからない、制御不能の車の怖さ、チェーン規制の高速道路の大渋滞を知らないということで、「とっとと」帰らせました。 聞けば土曜日は法事が2件だそう。 山間部の霊園などでしたらヤバイと思って「勿論車にはチェーンが搭載されているのだろうな」と聞けば「ない」といいます。仕事の移動は前輪駆動の軽自動車ですから降雪時のチェーンは必需品です。 雪が降ったらどちらもチェーンは売り切れになること、その件言うのを忘れていました。 しかし衣を着たままチェーンの装着など考えるだけでもうんざりしますね。 書生さんたちには大事な試験の日のようでもありますから、その天からのお達しもほどほどにしてあげてくださいな。 さて、昨日はブログの返信で「お祭り」さんより駿府城現説の情報をいただきました。 それによると 新発見の小天守現場説明会 2/22 土曜 9:00~16:30 申込不要 調査員の説明:9:30~・11:00~・13:30~・15:00~ とのことです。 変更等があるかも知れませんので各詳細ご確認くださ

  • 田沼意次遺訓七か条と小和田先生ブログ駿府城

    小和田哲男先生のブログは毎度拝見させていただいていますが、凄い事が記されていました。 私ごときのド素人ではその辺りの件を知るに、まず報道関係からですからね。 その内容が、先日私も駆け付けた駿府城天守台の次に出た小天守台の遺構ですが先生は「今川時代の遺構の確認」という表現までされていました。 何しろ天正期遺物の下(遺構の下の遺構)ということで一番下にあるだろう今川時代の遺構を露わにするためにはその上の全てを取り去るほかはありませんから… 先生もそうでしょうが、一番に知りたいのは今川館の全容というのがそのスジの方々が念頭に入れていたところですからもどかしいところです。 今川館の所在もまぁ、現在の駿府城の下だろうというところは推測されていましたが、ひょっとするともっと賎機山側に近いエリアの可能性も捨てきれないというところでした。 広大な駿府エリアの地下に埋まっている事は確かですが、館の中心部についてピンポイントにここであるとは確定されていませんね。 しかし、先生のブログによると薬研堀が出て来たそうで「これは今川館の堀と見ていい」とのこと。 そうなると今後駿府城公園は発掘現場の垣根を取っ払って掘りまくらなくてはイケませんね。 先の長い話ですが、楽しみが増えました。 さて、先月12月初旬にお知らせしていた通り、藤田覚先生を相良にお招きしての講演会が催されましたが、その演題が「田沼意次遺訓案と田沼時代」でした。 色々その姿勢を脚色揶揄されての歴史が田沼意次の政(まつりごと)のイメージですが、この遺訓は家訓としての意味が強く、何よりも田沼意次の本当の性質がうかがえるというものです。 画像は観光課が作った意次通信に記された七か条の要約ですが、その冒頭に記されたその主旨について藤田先生の記した読み下し文を転記します。 ( )内は削除予定と思われる部分、『 』は削除部分 「人情の正道なるところは相知れぬ候わけに候らえども(もっともその教えの大体を知らざる者もこれなく候らえども)善悪の人これあるは、用いると用いざるとにこれあり候なり、我がままよりおこり候ことに候、学問厚き面々にも、かの教えは別のことのように学問と名付け除け置き、芸のように致し、今日の行いは我がまま次第に過ぎゆく者多くこれあり候(勿論教え方悪しきにはこれ無く、学ぶ者よく心得るべく候)、『学問心がけらくべく、先ず」) これにより、先ず早々(無道これなき「ようにと」ため)

  • ネコと子供にはかなわない コンクリ屋さん

    その方面の第一人者の検証を得るということで、話が終わった当家「波さん」の江戸城大奥土産から作った打ち敷の件。 広大院の着物ですね。 調査費として本年度の予算計上となるようですが、場合によっては「重ねての調査」などの指摘があるかもしれないと牧之原市史料館学芸員の長谷川氏。 要は「お楽しみはゆっくり」ということなのですが、私としては4月頭の「春の法要」の際に昨年に一部史料を公開したのと同様に避難タワー件物置の1階でそれを皆さんにお披露目しようかと考えていました。 見物の方法は掛け軸のような「吊るし」ではなく、大きなテーブルを2枚づづ2セット用意して平置きにするつもりでした。 勿論、その際境内寺楽市で販売されている雑多な飲食物と子供のおさわり災難から逃れるために透明ビニールクロスを敷くという算段です。 経費的に安上がりに紹介できますので自分的にはその頃合いは「悪くないんじゃ・・・」程度にしか考えていませんでしたが、長谷川氏より「一応、正式な専門家の見解を聞いてからでも・・・」との意見を頂きそれに合点した次第です。 しかし衣類等のフカフカのものは家の中であっても油断はできません。ひょいとどちらかに置こうものなら知らないうちにネコがやってきてその上で寝ています。 勿論、ネコの毛だらけについてはカンベン願いたいところですが、毛玉や何か吐かれでもしたらガッカリさせられます。 画像は先月末のコンクリ屋さんのサービス補修作業の図。敷地に架かる路面部分のクラックの修理でしたがやはり何故でしょう翌日見ればネコの足跡が。 ④画像は雨降りのあと傘で砂利をぶちまける子供がいてうんざり。高学年になるとやらなくなるのですが・・・ コンクリ屋さんはニヤニヤしながら「ネコと子供にはかなわない」。

  • 本能寺 本願寺が生き残れたのは偶然に非ず 状況推測

    天正十年六月二日の本能寺の件、かねてから思い出したように拙ブログで記しています。 光秀の「なぜ、どうして・・・」のあれこれが面白おかしく論じられていますが、最近になってから文書の発見による新説が飛び出すなど新旧織り交ぜなお迷宮迷走の様。 ふっと考えれば私たちも普段行動を起こす際、大した理由など考えない「えい、やぁ」の衝動は結構あるものですし。 またもし一つの考えに至ってその結論を出して行動を起こすまでにある程度の時間(躊躇と醸成)を要したとして、その「衝動」は他者から見ればいかにも突発的な理不尽を思ったとしても本人としてはそれなりの思案があったことでしょうね。 従来言われてきた安土家康饗応の失態や信長からのパワハラの数々をその理由にしていたら、光秀のあの決断はあまりにも短絡的を思わざるを得ません。 結果はそれでも大いに各方面の見誤りを多々発生させていましたが・・・ しかし、光秀の性格の「思いやり」の心―これは今回大河ドラマで強調して描かれるはずだと思います―から考えると当初信長麾下で対浅井・朝倉掃討の戦働きの中、進出展開した湖西志賀の人々との接触からその信長を最終的に「摘み取らなければならない」という結論に至ったのではないかと思えてなりません。 先日も「揆を一にする」で記した通り、当流ではあまり明智光秀の快挙を慶事とすることはあまり前面に出したりしませんが、さらっとだけ東本願寺のサイトに記されていますのでそれを紹介させていただきます。 この文中にある『大谷本願寺由緒通鑑 第三巻』『金鍮記 巻上』とありますが、その内容と同様のことは「石山退去録」にもありました。 それが「本能寺の変の前月、四国攻めのため堺周辺に集結していた織田の軍勢は、実は当時紀州にあった鷺森本願寺を目標にしていた。六月三日、織田軍の来襲によって本願寺は滅亡するかに見えたが、突然織田軍が引き上げたため危機を脱した。」の件です。 六月三日が総攻撃の日でした。 本願寺では水杯をあげてその最後を迎える準備と覚悟を決めていたわけです。ところがその日になると信長の軍勢はキレイに居なくなっていたのでした。 その前日に本能寺で信長が光秀に討たれたことによる撤収だったのですが、結果の事象のみを考えてみても本願寺からすればその六月二日の朝の本能寺は絶対に「その日」でなければならなかったわけで、ギリギリのピンポイントなる日なのでした。 私はこの人生たかだかの年数しか重

  • 妻木崇禅寺は土岐頼重開山 菩提寺

    昨日のブログの最期に日本代表オリンピック世代の稀に見る酷評受けるべき試合について触れましたが、本日はその真逆、稀有なる爽快感に満ちました。 それは高校サッカー選手権静岡代表の静岡学園が優勝したことに尽きますが戦前はと言えばどちらの方もまずは青森の勝利は固いと思っていたことでしょう。 私が居間のテレビのスイッチを点けようとすると、奥方からうんざりするように「もう2点取られたから・・・」(もうあきらめろ・・・)と。 半分冗談だろうとテレビを点ければ本当に0-2。 それほど差があるものかと見ていれば、点差はたまたま2点あるもののまったく拮抗している試合。だいたい同じ高校生ですので「次の1点」どちらが取ってもそこまで付き合おうと観戦。 前半中に1点返しておけば、「2-0」のジンクスが効いてきますしね。 力が拮抗したチーム同士、プレッシャーあるチームが「2-0」でリードした場合本当に力の差があれば「1-0」の段階よりは断然有利になりますが、その2点目の奪取による「安心」とその「キープしたい」という気持ちは過度に働いて集団の精神状態は「1-0」の時の緊張感とは違う不安に覆われます。 それが早い段階で1点返されたとき。 前回のWカップでもそれを見た覚えがありましたが・・・ 2点の余裕から「もしかして同点、いやひょっとして逆転されるのでは」という不安で足元も心も揺らいでくるものなのです。 折角の「2点リードが・・・」の心残りも重くあとを引きずります。そして追いついた方といえば「イケるぞ」のイケイケムードとなってその心中縮みきった相手を飲み込めるくらいの勢いに繋がりますね。 案の定前半終了前に1点を返して1-2。絶好のお膳立てができたというワケですね。そこから後半の2点、見ている者からすれば絵に描いたような絶妙の逆転劇。 久し振りの爽快、ご機嫌を味あわせていただきました。 もう既に静岡の「サッカー王国」なる美辞は死後となったと感じていた昨今、高校女子の藤枝の優勝といい、ここ静岡は「春から縁起がイイ」。 さて、標記妻木の崇禅寺(明智関係ブログ)は土岐頼重の開山です。 その「土岐頼重」こそ通説明智家(土岐明智)の始まりで明智光秀の祖と言われています。 よって大河ドラマではその「土岐」は名門守護家流だけに当然の如く頻発するでしょうね。 その崇禅寺本堂と薬師堂の間には土岐家の静謐の空間が仕切られています。ガッチリと木戸が閉められていますが

  • 鰯豊漁は「鰯を喰え」の機 ω-3脂肪酸 

    歌舞伎世界では新作の類「鰯売恋曳網」(いわしうりこいのひきあみ)はその主人公の名「猿源氏」と父「海老名なむあみだぶつ」とはなんとも風変りを思いますが、その「猿源氏」のキャラもまた「バカ殿」そのもの。 それもそのはず鰯売りが大名クラス専門の上級遊女に恋をした挙句、殿様に化けて遊郭に潜入するというストーリー。 先日も記しました「松竹梅湯島掛額」と同じく歌舞伎の中でも喜劇の部類。 ここで思ったのは「猿」といえばバカ、「鰯」といえば庶民のことでその「鰯売りの猿」となれば上流階級の者からすれば歯牙にもかけない低俗底流の部類ということでしょうね。 その「鰯売り」はめでたしめでたしの結末となるのですが、お話の内容は各お調べいただくとして、いわばバカとも言われようとも鰯売りはその策略によって勝利を収めるのです。 さて、昨年来近海漁業の不漁の件、耳に入ってきました。 当地ではサクラエビの件切実ですが、秋の名物サンマの漁獲量が激減していまや庶民の味サンマがその希少度から高級魚に変貌しつつあると聞きます。 そしてそのサンマの代わりに獲れまくっているのがイワシだそう。 先日も鮮魚売り場にそのイワシの新鮮なものが並んでいましたのでそれを焼いて夕ご飯にしてもらいました。 その日は他にもイワシの水煮缶も付けて堪能しましたが、その意図は「オメガ3(ω-3)脂肪酸を取ろう」というものでした。 ブログでも以前「えごま油」について記しましたが、我が家ではずっとそれについて気にかけていました。 その件、昨晩のNHKの「食の起源―脂」で復習しました。 オメガ3脂肪酸摂取の効能は「細胞膜の柔軟性」にあってそれは即血管をしなやかに伸縮させることに繋がります。 またその内部を通る赤血球も柔軟伸縮し、その流れをサラサラにするといいます。 要は「循環」が健やかであるということでいわゆる「動脈硬化」を防ぎ結果「心臓病」「脳梗塞」などの老化を遅らせることができるということ。 特にまた脳の高度な機能に関わるエリアにそのω-3脂肪酸が密集しているそうでその不足が脳機能の維持にも不可欠とのこと。それこそが人類祖先の進化の歴史に関わる重大な成分という説明がありました。 ω-3脂肪酸といえば「海の幸」に豊富。 かつて海辺に暮らすことの有益性が進化の過程で示唆されていましたが、それこそそれが「強さ」を養ったのでしょうね。 先日記した山側に住む人の「海の近くの人は荒々しい・・・強そ

  • 桔梗紋光る妻木崇禅寺 揆を一にする 有難きご縁  

    イラン首都テヘラン上空の悲劇、ウクライナ機が墜落して乗員全員の176人が亡くなった件、「不注意で撃墜してしまった」とイランが発表していました。 色々な角度から見た「証拠」たちから否定はできないとそれまでの立場を180°転換したものでした。 「現実の時の巡りあわせ」というものの恐ろしさを感じたものですが、「やはりそうだったのか・・・」と思ったところでした。 イランにとっては悪夢のような結末となりましたが、詮無き事でした。 命を落とさなくてもいい一般の多くの人たちの犠牲を生んでしまったことは言葉も出ないくらいの悲劇ですが、国レベルの過失というもので100%自らの非を認めるという結末(誤射を認める)はあまり見たことが無かったものですからその発表には少々驚きさえ覚えました。 世にある航空機事故の中「怪しい」事案(どこかの国の関与)というものは結構ありましたが、まずは有耶無耶の終わり方。 「国家」というものの体裁、メンツについては吐き気がするほど平気で嘘で塗り固めますからね。 まぁ「国」ではありませんが政治家が「賄賂を貰ってない」と断固主張するなどというのはそれに準じた体裁なのでしょうね。 ミサイルの誤射をしてしまったイランではありますが、そもそもそのような間違いを起こさせてしまった原因は何かと言えば例のトランプの暴走がきっかけ。 アレがなければ176人の「無駄死には無かった」ということだけは確かなことです。 あの男に引っ掻き回されるのは御免です。いい加減勘弁していただきたい。勿論ゴマを擦って平こらすることも。 昨日は米科学者が多く集う「憂慮する科学者同盟」の方の長崎市で催された講演の記事がありました。 その方は、トランプが実戦的小型核兵器の配備を進めていることに対して「日本は被爆経験があるのに米国の核戦略を支持していることは全く理解できない」と。 そういう人がアメリカにいるというのが救いです。 さて、衣装が煌びやかすぎの感。 溜息の出る画像の大河ドラマ予告編を見ると「あの映像は・・・」やはりクロサワを思いだします。そういう見どころもありますね。 そして最近になって重ねて耳にする「麒麟」の語。 その麒麟とは、「王が仁のある政治を行うときに現れる」と言いますがその「王」様(よう)の、世界の盟主を振る舞うあの大統領殿ではその麒麟などは絶対に現れないでしょうね。 ただわれら真宗門徒には結果として・・・、何か裏にあったのかわかりま

  • 相良海老は再撮影となりました 相良史料館にて

    先日、地元の方との雑談で「〇〇の人はキツイ」(〇〇は地区名)の談。 面白そうなので「へ~ぇ」っとその意味について食い下がってその意味を探りました。 その方は年配の女性で、とても気さくな方。よく私も色々とご指導をいただいています。 その方の住まいは相良でも山間部で半世紀以上はそちらにて生活している方ですが、この狭い町、相良にあってそのエリアによってその人たちの性質について相違があるというものです。 まぁ経験値から得た感想なのでしょう。 そちら出身の方との関わりが多く重なってそのイメージが固まったかそれともたまたまあまりにも強烈な性質の人だったのかは知りませんがその方が断言する「〇〇の人はキツイ」にはインパクトがありました。 勿論アホな私はニヤニヤしながら「じゃあ、波津は? 相良は? 」と立て続けに聞いてその方を黙らしてしまいました。 その方が言うには昔から海岸端に居て、漁に出る人が多くて荒っぽいから・・・と仰っていました。すべての言葉が強く喧嘩腰と制圧される感じとのこと。 そういえば、私のいた小田原でも特に海岸近くの人たちは言葉が汚かったような。他所から来た人だったら驚いてしまうかも。 まぁ「ところ変われば」と言って住む場所によって人の気質というものが微妙に変わるというのはわかりますが、それは尾張、三河、遠江・・・のようにもう少し広範囲のエリアですからね。 その地には檀家さんは一件もなくイメージは沸いてきませんが何しろ驚いて、「〇〇の人」の見方が少し変わったような。 しかしその手の発想というのは実は旧態依然の差別意識に繋がるやも知れないこと。 「○○の人は・・・である」の何気ない会話は特に子供たちには禁物です。笑って流せられない無邪気の中の悪意というものを醸し出しかねません。 その方の話の中で、それは特に年配者の口から出てきますが「〇〇の人たちは顔が似ている」なる言もありました(上記〇〇とは違います)。 これは差別が蔓延する時代(それは戦後かなりたっても残っていました)、地区の外との婚姻関係についても差別がずっと残りました。よって婚姻が長い間同族間で繰り返されていた歴史があったことを仰っているのでしょう。 たしか妹の結婚の際、夫の両親は「念のため」と調査をしたといいます。その「念のため」というのがそれで、ひょっとすると狭い日本にあっても今も尚残っているかも知れません。 日本史そして地区の歴史など紐解いていると否が応

  • 過剰適応による衝動殺人 本能寺 晴れ渡って駿府城

    NHKのBS「偉人たちの健康診断 明智光秀 本能寺の変“敵は腸にあり!”」を視聴。 特に犯罪心理学の切り口から光秀の深夜漆黒の闇の行軍の中、醸成しつつあった信長への「怒り」の爆発、沓掛の二俣の選択について面白く解説していました。 ちなみに沓掛とは亀山から出立して中国と京都本能寺方面への分かれ道(場所はこちら)。 同夜は新月で夜空に月はなかったようです。 また多聞院日記の御ツマ木の件も指摘されていました。 何より光秀は「本能寺」の6年前に「ふうり」なる腸の感染症の病で数カ月寝込んでいて、当時の医療最先端にいた曲直瀬道三の治療を受けていたといいます。 長患いの快癒後に妻を亡くしたうえ、その病から発展したという「レビー小体型認知症」(推測)によって「本能寺」が惹起されたというものでした。 光秀の大河ドラマ放映を前にして新説が次から次に出ていますが、今俄かに言い出されているのが「光秀若き頃は医者だった」というものですね。 論拠は「針薬方」なる文書で、熊本で公開されるようです。 熊本藩細川家の医者米田貞能家に伝わる医学書で6年前に発見されたといいます。 その件、今回の大河ドラマで台詞の中に差し込めればカッコいいですね。 さて、昨日は少々の風はありましたが歩いていてジャンバーがひどく邪魔と感じるくらいの暖かさになりました。 年末から新年にかけて色々なことが重なってどちらにも動けていませんでしたので気分転換に奥方と駿府へ。 数日前に天正期の天守台の並びに小天守の天守台が見つかったという報道がありましたのでその位置だけでも確認したかったのです。 案の定現場は立ち入り禁止になっていて目視できませんでしたし、まだその手の配布史料も出来上がっているワケもなくただの自己満足でした。 岐阜城金華山でも発掘調査が進んで、「信長の手による天守閣の天守台石垣が出た」との報がありましたが、そちらはまだ確証はないようです。 各発掘調査の進捗と文書の発見から歴史の解釈が次々と変わり、見ている方も頭の切り替えを早くしないとあっという間に置いて行かれそう。 画像①②は東海道安倍川の橋上から。これだけクリアな富士山は珍しいことです。 画像⑦右側の2本木が生えている所の下あたりから石垣が出てきています。 家康お手植えのみかんの木の間に通路がありますがその向かい側の発掘現場用のフェンスを拡大していく必要があるでしょうね。 しかしあれだけ広大な発掘現場を「どうぞ

  • 大晦日の危機 追記 春も近い

    日本の総理殿は急遽中東訪問を取りやめたそう。 そこは違うでしょうよ。 御身大切からのご判断の様をお見受けしますがこういう世界的危機にこそ紛争国アメリカとイランの間に立って冷静を促すよう動き回らなくては存在の意味が無いのでは。 「桜」に自身お友達らしい詐欺師を呼んだこと、博打場開設に子飼いの衆が賄賂を貰っていたことなど、次々に良からぬ事案が吹きあがっている現状、それらを晴らせるかも知れない「チャンス」かも知れません。勿体ない。タイミングとしては双方「このあたりで」と手を打ちたいというのが本音であって、直接は役に立たなくても、アピール度は高いものがありますからね。 日本という国は「火消し役」「仲裁」にうっつけの立場にいる国です。両国とも関りが深いですからね。 そういった義務と責任を放棄して「危ないから」と引っ込んでいるのはね・・・ それでいて自衛隊の皆さんだけには「行ってこい」の状況。 まるで自衛隊は「イヌころ?」の様も感じます。 さて、1月としては珍しい土砂降り、しかし温かい。 発達した南岸低気圧の通過で風もビュービュー・・・もしかして春一番・・・のワケは無いか・・・一旦昼過ぎは晴れ間が覗きましたが夜間は嵐の如くの風ビュービュー。 冬場の乾燥と低温は血管に悪いですからね。温暖化の論は別として早いところ温かい春にチェンジして欲しい。 先日もご近所の顔見知りの方の入浴中の急変という事案がありました。特にその「風呂場とトイレ」での異変についてはこの地で多く聞きますがきっとこれは全国的にも頻発しているのでしょうね。 特に飲酒してからの入浴はタブーですね。しかし飲酒は「重ねて」良くないのであって酒を飲まない人でも風呂場で倒れる人は多いです。 ここで運・不運。病状を発する場所もその生死に関わります。 脱衣場に風呂の洗い場ならまだしも浴槽であればそのまま溺死ですからね。ここ相良でも浴槽内での不慮はよく耳にしますが発見が遅れるとまた悲惨です。 かつて父は冬の風呂の洗い場で心筋梗塞を起こして倒れてから奇跡的復活がありましたが、その際は母が気が付いて何とか対応していました。父のその後、往生に繋がる病状は心発性の脳梗塞でした・・・ こういう場合、もし家族に気づかれず、発見が遅れたりしたらまずアウトでしょう。独り住まいの方でしたら危険度が増します。 ちなみに父のそのとき母は「重たくてどうにもならなかった」と裸のまま「寒かろう・・・」と柄杓

  • 一所懸命史観は一所不住に 背井離郷 福知山城の井

    若さは素晴らしい。 それは大いに結構なことで私もそのパワーとバイタリティにはもう既に白幡をあげる齢になりました。 しかし、しばしば経験不足から来る若者の失敗談はよく耳にします。 要は経験不足というヤツですが、その成長の未熟を感じずにはいられませんね。身近な若者といえば息子のことでその頻度は少なくなりましたが年に何度かはまったくもってがっかりさせられることがありますね。 要は「知らない」ということで仏教的にはそれは「罪になりうる」イケないことではありますが、一般的に「しょうがないねぇ」で済む話がまたぞろ。命あっての結果オーライならいいのですが。 しかし「知らなかったでは済まない」といった場面も多々ありますね。 それが「命に関わること」全般です。 ほんの一例ですが、たとえば可燃性物質を空気中に放出して引火爆発させて惨事を起こすことなどよくあります。 若者が車内でシンナー遊びをして・・・、防湿スプレーを撒いて・・・などなどですが、イイ歳した大人で消臭剤を撒いて処分しようとした挙句引火爆発させて周辺地域を大混乱に陥れたことなどつい最近の事案でした。 また京都での大量殺傷行為となったガソリン放火事案など、当初は自身の大ヤケドにあれほどの大惨事までは想定していなかったでしょう。 これは可燃性物質と空気が(密閉空間など)好条件でミックスされたところに何かの引火があった場合容易に爆発するということで(それは小学校の理科で教わったことでもありますが)、その現象がよくあることを理解していなかった(知らなかった)ということに他なりません。 知っているか知らなかったで、痛い思いをするかしないか(死ぬか生きるか)に繋がってしまうのですから「知らなかった」では済まない「残念な事案」が多々ありますね。 だから息子には外に出てよりたくさんの知識を得て欲しいと思うわけです。それがたくさんの経験を重ねるということ。 できれば坊さんだけではなく、色々な職種でそれを得て欲しいものなのですがそれをやっていくことは結局私のような半端者ができあがりそうで親としては半ば怖いものがあります。 それを親バカとでも言うのでしょうが、やはり獅子の如くの振る舞う(崖から突き落とす)ことがホントはあるべき姿なのでしょうね。とにかく私は「井蛙」であってはイケないと思っていますが・・・。 「井」と言えば当家の名のりの一字ですが、井戸端会議とも言うように「井」はムラの生活の中心

  • いよいよ外に向かいたい 「閦」福知山城釣鐘門 狭間

    昨日はご門徒さまご自宅でさらっと正信偈。 今年初めてのお勤めのご依頼でした。 その後の雑談で、今年は「家族一同風邪をひいての寝正月」と聞かされました。 そういえば皆さん鼻声のうえ咳きこんでいたような・・・。 一瞬硬直させられましたが「インフルでなくて良かった・・・」などとそれを確認し、平静を装って早々に退散させていただきました。 何せ私は風邪で寝込んでいる間はありません。 風邪そのものの苦しみを味わいたくないのは当然ですがこれからピンピン元気にしていないと仕事にも関わります。 法事をパスするというのはやはり意識として大問題ですが今年のテーマとして腹積もりしている難題も多く抱えています。 よって帰宅後は外出後の風邪予防の作法を念入りに行ってから、緑茶を浴びるように飲みました。がぶがぶです。 勿論、急須で入れたお茶で、ペットボトル茶の邪道ではありませんよ。ただただ新鮮で濃い緑茶が搾られる茶カテキンの力を借りようというものです。 そのために昼間はトイレに行く回数がひどく増えました。 ベッドボトルでない急須から出す緑茶ほど健康にいいものはないのですが(科学的根拠アリ)、世の中の流れというものはその逆です。 緑茶という強力かつ身近な健康飲料を捨て置く手はないのにまったく勿体ないことです。 「知らなかった」では後の祭りでしょうね。子孫にも伝えて行かなくてはならないのに・・・ さて、漢字の「門構え」について。 上記の中だけでもその「門」で構成される文字が結構に出てきました。 「ご門徒、聞かされ、関わる、間、問題・・」で普通に身近な「門」に関わる文字たちでした。 「門」とはいわば一つの結界ですが私はその中に居ることを否定し「外に出る」ことを主に皆さんに勧めていることは拙ブログでも何度か記しています。 それは「家」とは「癒え」を得る場所ではありますが、そちらに居心地の良さを求め続け、長きに籠っていたりすれば「病気になる」ということです。 たとえば私でいえば「家(寺)に居るから住職」、よって「そこに居ろ」というのは病気になれというのと同じです。 この「病気になる」とは・・・「健康を保ち憎い」ということですがこれは私が多数の方たちの「おみおくり」をしていてこれまで感じたことです。 それは確定的であって嘘や過大なものではありません。 よってもっとキツイ言葉で言えば「家に居れば死ぬ」です。 仏教でいえばそもそもその「門を出る」ことがその教

  • ホントは明智より朽木がお馴染み 福知山城朝暉神社

    しかしあのトランプという男はハチャメチャです。 第三国イラクの上空に侵入させた米国飛翔体からミサイル攻撃をしてイランの要人を殺すという暴挙です。 理由は「テロリストだから」とのことです。 イランだって黙っていられないでしょうね。 戦争になれば罪もない人たちが巻き添えを喰らいます。 わかっていながら何故にそんなことができるのでしょう。 自らの弾劾から目を反らすという手法でしょうが。 ただの人殺し。国の後ろ盾があるから合法ですが。何しろお話にならないほどのバカでしょ。 日本の政治屋さんも何とか言えば・・・だんまりでなくて。 お金持ちというのは何でもできると勘違いしているのでしょうね。ゴーンもそんな口でした。 イランの皆さんお願いですから、ここは一つ我慢を決めてください。 トランプ1人だけその罪を償う機会を待ってください。 何も関係ない人を傷つけないでください。 「眼には眼を」の心情は大いに理解できますが今度の暴走はトランプ1人の独断なのですから。 「今そこにある危機」それはアメリカ大統領。 自国第一主義の風潮は世界崩壊の序章となりつつあります・・・ しかしトランプはビビッて当分外を出歩けないのでは・・・ 飛行機の離着陸の際の地対空ミサイル、絶妙のターゲットでしょう。ハリウッド映画ばかり見ているとついそんな場面を想像してしまいます。 今度の無茶振りにはイランに肩入れしたくなりました。 まぁ今年中にアメリカ国民が何とかしなくてはね。 さて、福知山城天守の真下には鳥居と小さな祠のあるエリアが。 この神社の名が朝暉神社です。 常陸土浦藩2代藩主で後に丹波福知山藩主として入った朽木稙昌 ( たねまさー昨日のブログの⑬) が父朽木稙綱(たねつな)を祀ったのが始まりといいます。 その後裔が天守下に建てたのが朝暉神社。 この朽木氏といえば近江北湖西、朽木谷住の「朽木」(→「江州佐々木南北諸士帳 高島」)が大元で、今俄かに言われ出した明智光秀文献上初登場の田中城とも近隣。 要は京都と琵琶湖に隣接した北陸へ下る要地。 あの信長の越前からの撤収劇、「金ケ崎の退き口」では稙綱の父朽木元綱が手をかして(朽木越え)の功労者となっています。 信長配下への取り立てはかなったものの朽木家は不遇、しかしながら秀吉には厚遇されていました。 関ケ原では当初大谷吉継とともに動いてていたといい、小早川の東軍参加とともに同調したといわれ、タイミング的に微妙な立場

  • 一度で二つの妙 城と墓石 特筆は石垣 福知山城

    日本のペットボトルの消費量に関して国連からチェックが入っているようですね。 何せ「廃プラ出しすぎるので何とかしろ」ということです。 まぁペットボトルだけではないでしょうが「プラスチック容器」のくくりでその国民1人当たりの排出量は年間約32キロに及ぶとのこと。 それほどの廃プラを出していたことに驚き、反省させられましたが、その数字は米国に次いで世界2位の排出量と。 そのうちのいくらかの量が自然界に漏れて、結局は何らかのカタチで自分の首を絞めているのですから。 やはり「自業自得」だけでは片付けられませんね。 今、環境負荷のことを第一に考えなくてはならないことは人類の至上命題ですからね。 以前、ストローについてその絶滅は早そう・・・の如くブログに記しましたが、思わぬ速さでその不使用や代替品が登場していますので今一番に言われるようになったペットボトルの件、その生産と使用について「反社会」を言われるようになるかも知れません。いずれは消えていく素材でしょう。 そもそもプラ容器でもアレは加熱製品を滅菌の効果を狙って封入しますので、プラスチックが製品に溶け出す恐れがありますからね。体にイイわけありませんよ(→環境ホルモン 雌化)。 さて、昨日は福知山の復元天守の画像を適当にアップしましたが、何といってもあの城は野面積みの天守台。 石塔の基台など墓石がふんだん(500とも)に使用されているところに面白味があります。 安土城大手道にも石塔の少々の使用がうかがえましたが、その比ではありません。 天守台下に張り付いて、あれもこれもと墓石探しに目をやるのが楽しみになります。 一応、城郭大系のこの項ついて見れば 1 小笠原長清の後裔塩見大膳頼勝の掻上城 2 頼勝の子頼氏が姓を横山に改める→横山城 3 天正期に頼氏の子信房がいたが天正七年に明智光秀に攻 められて滅亡 4 光秀は城代に藤木権兵衛と三宅弥平治(明智秀光)を置いて近 世城郭化 5 天正八光秀は天橋立見物の途中秀満から七五三の膳で振舞 を受ける(津田宗為「茶湯日記」) 6 光秀滅亡後豊臣秀勝―北政所叔父杉原家次―小野木縫殿助 重勝 7 重勝は関ケ原で西軍方。東軍の舞鶴城細川忠興の父幽斎を攻 めるが幽斎もちこたえる 8 関ケ原で決着したあと細川忠興は舞鶴への帰途に重勝を攻 め滅ぼす 9 有馬玄蕃頭豊氏入り城下を整備のち久留米に転封 10岡部内膳正長盛が亀山より のちに大垣へ 11稲葉淡

  • 福知山城の美形 箱根駅伝の応援は法政の増田クン

    一昨晩2日の夜間、息子は横浜に帰りました。 3日から仕事とのことですがまぁ、寺に年末年始のお休みなどありませんからね。 息子は母の葬儀の後28日に一旦横浜に戻り、30日早朝に再び相良に舞い戻りました。 大晦日の「除夕の鐘」とその片付けをしてからの行ったり来たりでしたが、時間制限付き長距離移動は見ていてハラハラさせられます。 何せ2日の夕刻の東名高速情報を見れば「事故渋滞23㌔」。 私は「バカバカしいので風呂でも入ってのんびりして帰れ・・・」と進言しました。 多少の時間調整をして出発していたようですが夜12時前に着いたとメールがありました。よって、通過時の渋滞についてはまずまず「許容範囲」だったのでしょう。 私でしたら頭を瞬時に切り替えて、睡眠。 早朝の帰宅としますから、息子は真面目と言うかオーソドックスというか「固い」ように感じます。 柔軟性の無いのは私の父からの隔世遺伝でしょう・・・。 しかしながら3日は2日のそれとは比較にならないくらいの大渋滞の様を目の当たりにしました。 午後は客人対応は奥方に任せて奥の墓道氏を送りがてら遅い昼食をと彼が所望する掛川道の駅へ向かいました。 そちらからどちらか山城の散策でも・・・などと目論みましたが、道の駅もバイパスも大渋滞、それを見て私の計略はすへて水泡。お城はナシにして彼を金谷まで送って帰宅する作戦に変更しました。あの渋滞にハマり込むのはアホらしい。 するとバイパスと並行して走る旧道も道の駅の信号機から右折できないほどの渋滞。 唖然として今度は菊川駅に変更したという次第です。少しでも「東へ」進もうとすれば混雑に身を投じてしまうような日でした。 それもこれも新東名高速の事故(車両火災付き)による通行止めが5時間もあったことによるものでしょう。 事故に遭うよりは全然マシではありますがしかし何でみなさんこの日に集中したがるのでしょう。 菊川から静岡に出た墓道氏からは静岡駅のアナウンスで「新幹線に御乗車できないおそれがあります」とあったそう。 日本人の我慢と忍耐力には本当に感心させられます。 忍耐と努力といえば箱根駅伝。 私は幼い頃からそのスポーツイベントは小田原の国道一号線近くに住んでいた事もあって一応は興味がありました。子供を連れて観戦しに表へ出たものです。目の前がフィールドですからね。 まぁ好みの学校としては東洋、中央、法政あたりでしょうか。 今回はどちらも今年はシード落ちと

  • 田沼意知禍の後 若死累々 相良海老発刊遅延

    そろそろ「相良海老」なる不思議な名称が付けられた古文書の解読版が出ることになっています。 その件ブログにて(またはこちら そしてこちら)にい記していましたが、「田沼300年」に関わる色々な行事が累なったために2020年に越してしまったのでした。 特に藤田覚先生にチェックをお願いしていますのでその校正に時間を要したのではないでしょうか。 発行に関してまとめている史跡研究会の小澤会長に聞けば18日に会員の所望する部数を聞き価格も決めるとのことでした。 発行部数は300部と非常に少ないのが気がかりですが、殆どの方たちは「古文書の解読本がそう飛ぶように売れるワケがない」と控えめです。 地元本屋さんの店頭にも並べないそうです。 原文と読み下しを比較しながらのページ配置に仕上がっているとのことですのでこれから古文書世界に入りたい方にはわかりやすいかと。また田沼フェイクの中の悲哀ストーリーについては本邦初公開ですので演劇などの台本作成資料として参考になるかと思います。 300部について会長は基本的に増刷は無いと申しておりますので、「欲しい」という方にとってその1冊は希少性含めて価値があると思います。 吉祥寺の叔父は古文書研究会の教材にするということでそのうちの38部を予約。私も10冊は欲しいと思っています。 また、出版にあたって尽力されまたは、寄稿頂いた方へも配布されるかと思いますので実際に出回る冊数は250冊を切るでしょう。さらにそちらから他の会員さんの希望を取ることになっています。 次の会合で「それでは少ない」の提案がない限りその冊数は動かないと思います。そもそも当初は「200冊案」でしたので。 ということで、もしこちらのブログをご覧になっている方で「欲しい」という方について(こっそり)予約を承ります。 価格については未定でおそらく1000~2000円の間になると思います。 「相良海老欲しい」と1/17までにメールでご連絡ください。 詳細決まり次第ブログアップします。 まぁ書籍は発行後史料館受付に並べられますのでのんびり相良に来られた時にでも間に合うかとは思いますが。 メディアで取り上げられたりすると思わぬ展開となるかも知れませんがその期待値は低いでしょう。 さて、老中田沼意次の嫡男若年寄の田沼意知が佐野善左衛門に殿中で斬り殺されたことから当地相良は散々の目にあうわけですが、この件如何に異常な事かを思わされます。 日本の庶

  • 田沼意次の悔恨は{時の受益}を目論んだこと

    新年早々、恒例憎まれ口失礼します。 幸運祈願の声が聞こえてくること多し、そのシーズンではありますがこればっかりは「禍福は糾える縄の如し」(史記)の通り殆どローテーション・・・。 統計学的にいっても双方巡って「チャラ」になるということでしょうが、まぁそれは合点のいくところではあります。 毎度の一休さんの歌を引っ張れば 「門松は 冥途の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」 年明け恒例の1フレーズのアレ、一休さんの疑問の痛烈ですが、とにかく人の想いなどとは関係なく上下(幸不幸)振幅があるとすればただゼロに向かって収斂していくものなのでしょう。 上ばかり見ていいても下にも落ちる(こともある)ということです。 仏教でいうその「幸せ」・・・仕合わせ・・・について勝手な解釈をすれば「機縁」、つまるところ「すべての物事との関わりあい」の事ですから自らの禍福についてとかく願望利益をどうこう言うのはちょっと違う。 そもそも現代の社会というものは今一つの足りている物に満足できず二つ三つと欲しがるというのが常で、その強欲は計り知れません。一体どこまでを「幸福」というべきかその物差しも無限級ですからね。「無常」にあるのに「常欲」という矛盾に生きているのです。 また一休さんの歌から取れる「仕合わせ」を考えるに人間というものには必ずついて回るその「無常」がそのベースにあるのではないでしょうか。 ということは「仕合わせ」とは「時間の利益」とその頂いた時間の中で遇った機縁(関わり)の奇特、有難さを慶ぶものであって個人の物的要求を満たすものではないものと。 それら人人の願望(いわば私利私欲)について「承ります」の誤解を与えてしまった感。私たち宗教界もまた仏法を曲解していると指摘されてもしょうがないかも知れません。 そもそも「御利益がある」を参拝の主眼、導入部に置くということは企業のコマーシャルみたいなものかも。 本来仏教からしておかしなことになってしまいます。 ということで当流の「仕合わせ」について復習すれば・・・ とにかく私が今あること、私への他者や各事象との関わり機縁の感謝を言うのであって結果的にそれが「私」の利にかなっていれば更に慶ぶということ。 「有難う」・・・「有ることが難しい」ことへの感謝ですからね。 今の風潮は「ただただ他者を蹴落としてでもゲットする」風潮強くそれが圧倒的、将に世紀末の様相の如くです・・・。 一つ年を重ねたこと

  • 寒波襲来前に撤収 465回 今年も出たとこ勝負で

    除夕の鐘の盛況はかつてないもので大晦日の境内は人、人、人で溢れました。 驚くことに、撞かれた鐘の回数は465回。 始まる前は「今年も300超えられるかな・・・」の不安がありました。飽きというものがありますからそろそろ沈滞期に入ることも考えられましたので。 しかし今回のその数字は殆どこのお寺の金字塔になったかも知れないと勝手に思う次第です。 アンケート兼、受付用紙を見ても驚きましたが栃木、埼玉、岐阜、愛知・・・と遠方からのお客様も多数。 小さいお子さん連れが目立ちます。 昼間でなくてはこのようにはいきませんね。 今回は未だかつてなかったようなやはり信じられないような危機に襲われました。 昼過ぎから天気予報の通り、風が吹きまくってこれ以上のテントの耐力はムリだろうと屋根のシート部分を取り外したほどです。雨があがった夜間はとても静かで朝方の気温ときたらジャケット要らず、この上ない大晦日と感動したほどでしたが、時間が進むにしたがって風が吹きだし気温も下がり気味。 すると行列に並ぶ方から「アレ、やばいよ」との指摘。 その方の指さす先に目をやれば、鐘撞堂の階段の真上に強風で折れたケヤキの大振りの朽木が2本、枝に引っ掛かっていました。 落ちて落下すれば大惨事と、とにかく鐘撞きを中止していただき、私は衣からジャージに着替えてその件対応すべく二連梯子を用意しました。 それより一瞬早く、布施氏が鐘楼上から伸ばしたテントの部材でそれらを引っかけ落として一件落着。 アレがもし枝に引っ掛かりもせず地上に落下していいたとしたら・・・など、想像するだけで身の毛がよだちます。 なぜ落ちそうで落ちなかったのか、たまたま偶然と言ってしまえばそれまでですが、よりによって皆さんが今いる頭上での出来事です。 人智を超える事象と「無事」についてやはり「なむあみだぶ」の感謝しかありませんでした。 そして「無事」ほどの幸福感は他にありません。 まるで境内インディージョーンズばりの行き当たりばったりの「出たとこ勝負」と奥方に苦虫を潰したような顔で睨まれました(以前から頭上の枝を払えとの指摘)が、金字塔(ピラミッド)にはジョーンズはつきものですからね。 たくさんの檀家さんたちが集まって協力し、初めて鐘を撞きに初めて来られた方々を歓待ご接待するこのカタチ、悪くないですね。 お付き合いいただいた檀家さんはもとより、遠方よりはるばると当地にお越しいただいた多くの皆様、あ

  • なむあみだぶ ありがとう 大澤寺 

    本堂内の整理の日。 年末で一番厄介な仕事を片付けました。 それは回忌表の作成と展示作業ですが、直近のごたごたでずっとその機会を失っていました。 慌ててこの前日に大まかなところまで仕上げていましたが、ジンクスというかこれを早く用意してしまうと「追加」が出ることがあるのです。よってギリギリまで放っておくのが一番なのです。折角作ったににやり直しになるのも辛いですからね。 例年は大晦日の夜の寒中本堂でストーブを抱えての息子の仕事でしたが、今年はアテにもならないような気がして昨日の朝に仕上げたそれを何時でも付け替えるぞと用意していました。 すると午後になってから1件追加があったことに気づかされました。当月中旬に遠隔地で亡くなった独り暮らしの方が無葬儀で火葬されていたことを思い出したのです。 その納骨の件、御縁の方がたまたま確認に来られたことで気づきました。 葬儀をしていなかったことから過去帳にも記さずにいたもので当然、回忌表には反映されませんでした。 急いで承諾を受けてから法名を決めて過去帳に記載、今年の分の回忌表に割込みさせました。 回忌表はみなさんよく見ています。故人縁者の没年月等の誤りがあっても御注進いただくことがありますが、欠落は最大に失礼なこと。危うく大ポカをやらかすところでした。 朝一にもポカをやらかしました。地頭方の餅屋さんに御内陣の餅を取りに行く日でしたが、念押しされていた持参するべき餅引き取り用のトレーを忘れて先方のものを借りてきたこと。 帰宅してから奥方から散々に罵られました。 奥方の血圧が高くなるのは私のせいのようです。 私にとってはこの程度のミスは日常茶飯事で、奥方も慣れているはずなのに。 最近の多忙、やること山積でお疲れのようです。 そういえば先日「暮れと正月の旅行など・・・あり得ない」と言っていました。私は逆にこの時期は動く気にはなりません。 さて、いよいよ「除夕の鐘」当日。 母の通夜にお参りいただいた相良仏教会会長の心月寺住職にお礼に行った際、庫裏玄関のバスケットにあったのが、お寺のスタンプ。 心月寺の檀家さんで本通りのハンコ屋さんの仕事だそうです。 「へ~え」と眺めていると「片浜の釣徳寺さんのもあるよ」と。 それならうちの阿弥陀さんのハンコも作って「三寺一所に並べたい」と言い出してからなかば強引、無理やり間に合わせていただきました。 尚、心月寺は薬師如来、釣徳寺は千手観音ですが色々なデザイン

  • 「青」には人のいのちの活発を 「青草碑」信國淳

    先日は母の遺影のバックの色を「青」にした旨記しましたがそれは桔梗の青の採用の件でした。 青系といっても幅広く一言ではそれをイメージするのは難しいです。別に私の好みである藍色(勝色)も「あお」ですしまたコバルトブルーの「みどり」系も大きい意味で「あお」とも表現しますね。 時に表現として「青臭い」とか「尻が青い」など「若すぎる」「未熟」の表現に使用されたりしますが、それは今になって考えればその半分は年寄り(私含めた)の嫉妬でしょうね。 生き生きしてポジティブで全てに肯定的、生命力溢れる若者たちに「もはや敵うことはできない」という卑屈がそう投げるかも知れません。 好き嫌いで色をどうこうと選んでいる自分があるのですが、それは単に好みの問題ですが、しばしばそれを人の生き方、性質について形容することがあります。 「バラバラである」ということですね。 宗旨的には「違っていてそれでいい」「それぞれ場で輝け」「他者との比較はするな」・・・なのです。 阿弥陀経にある「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光~」の通りそれぞれの「発色」で自己主張している姿について讃嘆するが如くその色の違いについて強く記されていました。 しかし私は好みとしてはやはり「青」を主調します。それもひとそれぞれですね。 わたしの「青」の趣向とは関係ありませんが、昨日記した大谷専修学院の同窓生学習の会の名を「青草びとの会」と呼んでいるそうです。 かつての学院長の信國淳(あつし)という方が詠んだ歌から命名されたようです。 先生については「東本願寺の時間」にありますのでそちらをご覧ください。 歌の記された碑(青草碑)は京都岡崎別院に(またはこちら こちら こちら)ありました。 それはこの別院が学院のスタートとなった場所だからですね。 「われら 一向に念佛申して 佛天のもと 青草びととなりて 祖聖に続かん」 この歌の「青草びと」はどこからきているかといえば親鸞聖人の「御隣末の御書」ですね。 聖人の遺言として位置づけられている短文ですが、私は御葬儀の際に必ずこの一文を「表白」の最後に入れています。これはかつてブログでも記している通り。 「我が歳きわまりて 安養(あんにょう)浄土に 還帰(げんき)すというとも 和歌の浦曲(うらわの片男浪(かたおなみ)の 寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ 一人居て喜ばは二人と思うべし 二人居て喜ばは三人と思うべし その一人は親鸞なり 我なくも法(

  • 選択肢として僧籍を 大谷専修学院 文化とは

    フランスのマクロン大統領の「年金改革案」に反対してフランス全土にストが広がっているといいます。 大まかにそれを解せば「年金を一律に」というものらしく、私たちの如く外の人間が聞けばさも「当然の事だろう」と思うところです。 しかしそこでお国変われば色々な文化があるものだと驚かされたのです。 その改革の件、オペラ座のバレリーナたちが「文化が危機に直面している」と抗議の舞いを踊ったとのこと。 それはオペラ座バレエ団のダンサーにの年金改革にも及ぶからですが何とその職業には42歳から年金を全額受け取る権利があってそれが17世紀に始まった特別年金制度だといいます。 凄いの一言です。私たち日本人が60→65とか、たくさんやるから75から・・・等「餌と難題」を突き付けられている中「42歳」というのはさすがに驚かされました。 まぁ踊り子の健康被害と後遺症についてはエジプトミイラからも検証済ですがバレリーナも若いうちに特に脊椎系の損傷は顕著だそうですね。 さて、拙寺の大晦日の檀家さんたちによる一大イベントとなりつつある「除夕の鐘」については時折メディアにて取り上げられては各方面から評価を頂いていますが、違和感がある、文化を壊す・・・のネガティブ意見も頂戴しています。 ご意見はそれは結構なことで、今更夜間に戻そうなど言う気はさらさらなし。 まぁ何度かブログでも記していますが、「除夜の鐘の文化・・・」についてはその「文化」の範囲は色々でしょうがその根拠というものは薄弱で、私としては夜間静寂の中にお寺の梵鐘が響き渡るその伝統的文化といっていい(それも今は廃れた)「時鐘」(→「六時」そして「娘道成寺~鐘にうらみは数々ござる~」)の響きはその残存イメージだと思っていますし、先日は江戸文化の一例として木戸と門番―門限の存在・・・「松竹梅湯島掛額」のストーリーの中から記しました。 また一つ付け加えますが鐘とは喚鐘含めて時を伝える以外にみだらに打てば首が飛ぶとも言いますね。 それは鐘というものの役目として火災発生の報せを兼ねていたからです。 戦国期ではそれに敵襲来の危急を拡散させる重大な役目を担ったもの。要は撞き方によっては緊急事態を喚起する代物だったわけで・・・。 半世紀以上前にたしかそれは報恩講だったと思いますが、たまたま相良に来ていた私に祖父が鐘を撞かせてくれました。 その時「くれぐれも早打ちはしないよう」と言い聞かされたことを思い出します。

  • アインシュタインと姥捨て山 仏とは何?

    夜間の雨はやんだものの朝から酷い風。 朝からどちらかJR在来線の運休のニュースもあったほどです。 各御門徒様のお手配で万事支障なくすべての式は執り行うことができました。おかげさまでした。 浜岡から父の妹の「月ちゃん」が参列していますが、自宅からお寺まではタクシー(タクシー券3枚+1500円程度)にて来てもらい式終了後は2回とも息子と奥方が送り届けました。 通夜の法話で導師より「姥捨て山」のおはなし。 勿論数あるバージョンの中「捨てようとした母に想われる」というもの。 これは前振りがあってアインシュタインが日本に訪ずれた際、北近江浅井出身の真宗大谷派の僧侶、近角常観先生と対談しましたが、アインシュタインは「仏とは何ぞ」と質問したそう。 ここで近角先生が喩えとして紹介したのがその「姥捨て山」のお話し。 息子におぶわれて姥捨て山に向かう途中、山中道すがら藪の木の枝をポキポキ折って印をつける「母」のお話し。 息子の「母を疑う心」、私も色々思い当たる節あって懺悔(さんげ)したいところ。 詳細は各検索いただくとして、その「母こそが仏である」という解説です。 ということで叔母さんと息子と奥方の車中、叔母さんが「どこに行くの」と運転手の息子に唐突に聞いたといいます。 勿論叔母の自宅に送ると言って載せているのですが・・・ 息子はニヤリとして「姥捨て山だよ」と一言。 そう言うと叔母は「え~」と絶句。 息子は「ごめんね もうその齢(86歳)だよ」と念を押すと 「まだ早いよ・・・」となって車中大爆笑になったといいます。 ボケているようで冗談はわかる、返しもうまい。 まだまだでしょう。 人の年齢の重ね方に軽重はありませんし人間無常「是生滅法」は決まり事。 どうこういっても仕方ないことですが、「順番こ」で行けば次は叔母の番。 しかし当分葬式の施主はやりたくない。 叔母の場合は庫裏だけにしますが。 ②鐘の下にダブルで発電機の設置。布施氏の手配でした。 これは通夜の時「ブレーカー落ちたらどうしよう」と私がボソッと言ってからこのような対応になりました。 ③は尊前を飾る当流独特の荘厳「根菓餅(こんかぺい)と杉盛(すぎもり)」。これらを仕上げるのは結構に時間をとられます。 「なんちゃって」の代物は出回っていて奥方はそれを用意して済ませといいますが。

  • おかげさま 御恩報謝 舞鶴殿テレビ初出演

    通夜が終わってあとは葬儀式を残すのみ。 「ついてない」とボヤいていれば予報されていた雨は大したことなく無事に通夜勤行は終了しました。おかげさまです。 寒さも例年の今頃とはちがって震えるような寒さではなく許容範囲。何しろ風が無かったのはよかったです。 各方面からのご参りの皆さまそしてすべての御恩に感謝いたします。 あとは本葬を残すのみですね。 さて、お寺ならではの葬儀で致し方ないのですが、お寺の親族のそれ、特に施主という立場はなかなかストレスが溜まります。 父親の際もそうでした。 結果オーライではありましたが、いつもの「思い通り」が行かないところです。 いろいろな方たちの手を借りて大いに感謝すべきところですが、私はそもそもシンプルで簡素が好み。 そして形式、慣例というものに対して「緩い」、というか「あまい」というか、何かの枠の中に押し込められることは本意ではないという質なのでその応力抑制のコントロールと維持の努力は一般的なそれよりも少しばかり変わっていて、それが苦痛にも感じます。 経典の道を歩む者につきものの「掟」さえ守れれば「流儀」は「二の次・・・」の勝手なのですが、その二つは微妙に重なっていますからね。 儀式的なものに関しては私の一存にて何とかなりますが、その他事の運営に関しては私の意思の外で動いているお話。 「おまかせ」とは言っても「え~」と思うようなことは多々発生します。 今回の葬儀は名目上、「婦人部葬」として父の「檀家葬」と分けて明示しました。「私」が施主ながら主催は「お寺の~」になります。 拙寺には以前から、世話人会の男衆、婦人部の女衆という考え方があってそれが果たして時代に即しているかどうかわかりませんが、その「分けて・・・」の考え方を踏襲したというワケです。 今回の件で一番に苦慮したのは葬儀社の選定。 それまで、それは厄介なことと考え結論をずっと後回しにしていましたが「その時」にあたり瞬時に決めなくてはならない状況に追い込まれて、A社にお願いすることになりました。 この地区の昨今の葬儀式差配の業といえばAB二社になりますが、前回はB社にてお願いしていましたのでこれはいわゆる「代わり番こ」の結論です。 しかし、Bとの関わりが強い(仕出し、弁当、供華等)拙寺の檀家さんが比較的多くあってそういったおつきあいがなくなってしまう不礼不義のおそれがありました。 かといってAとも関わっている檀家さんもありますから

  • 以前は「CPR」心肺蘇生 最近は「DNR」蘇生拒否

    通夜の雨予想は動かないところ。 よって3つのテントをバラバラにせず「ストレートに繋げよう」の提案を採用しました。 前回は山門を通して鐘撞堂の前に設置した受付が外からでも見えるようになっていました。 問題はテントとテントの継ぎ目から雨がつたわって落ちることですが、その継ぎ目用に別の素材を用意していただきました。 雨の吹込みもある程度は想定し、梱包用テープで巻きましたが、前線通過にともなう強風までは対応不可でしょう。 そもそもテントなど強風に曝されれば時として凶器に変わりますからね。大抵の師走の今頃といえば雨など降らないはずなのに・・・ 大晦日は強風で荒れそうですが、テントはそれまで撤去せずに張ったまま、引っ張り続ける算段です。気休めのロープで縛っているものの無茶な風雨にならないよう、あとは天にまかせるのみですね。 さて、人には男親・女親、二人の親がいますが、やはり「母」への想いは父のそれとは違いますね。 これは釈迦の弟子目連(釈迦十大弟子の一人 阿弥陀経では「目犍連」―もくけんれん)の母が地獄に堕ちて苦しまなくてはならないというその理由があるからですね。 そのエピソードは盂蘭盆の由来で各お調べいただくとして、要は「母は子を溺愛する」ということ。 今の世は「そうとは限らない」風をしばしば感じることがありますが、まぁ普通はそれが常識ではあります。 よって地獄に堕ちなくてはならないほどの恩を受けた「子」としてはより母へ謝徳の心は起こるというものです。これは大抵の場合、「そんなものだ」と合点を得られるのではないでしょうか。 ということで今日もブログは母の事。 18日の僧俗研修会が終了し帰路につこうという頃、留守番の奥方から「救急車で運ぶので添乗する」との連絡。それが今回の件のスタートでした。 結果的に「良かった」とは思っていますが本来は介護施設で「看取る」ことを事前に承諾していましたので少々お話が違っていたのでした。 私が不在で「お話にならない」ということで機械的に救急搬送ということになりました。 酸素吸入器の装着によって病院到着後は通常とはいえませんが、あと3~6か月はもつのではないかと感じるにまで至りました。 19日に担当医から「リスクもあるが貧血なので輸血をしたい」旨伝えられそれを承諾。20日に入院の申請書を書いて21日に来る妹に保証人記入をしてもらうよう手配して帰宅していました。 まぁ結果的にその輸血は功を奏さず心

  • 成人期のADHDの診断チェックリスト 奥方の見立て

    イイお天気と無風ほどありがたいことはありませんね。 昨日予定していた仕事は捗ってまずまずといったところです。 庫裏玄関前は物置状態でこれまでずっと見苦しい様を晒していましたが今度の葬儀を前にしてその辺りの乱雑を一挙に整理しました。 これも母が「いい加減キレイにしろ」と言っているようで・・・ 通夜は雨予報になっています。 前日の準備設営が雨ではありませんのでそれはそれでラクなのですが雨中暗くなってのお参りのコンディションはそれを待つ身としては恐縮してしまいます。 またそれ以前の予報では通夜・葬儀と雨予報でしたが葬儀の日の雨マークが外れたことは良かったのですが。 愚痴を言えば土曜日が「友引」で、葬場が休業日にあたったものですからこのタイミングになっりました。雨天は仕方ないとはいえイラっとこさせられるのはいつものこと。 毎度悪天強行は「しない」というのが私自身のスタンスなのですがこの手の予定のあるものは致し方なし。 さて、母の病状というかそれは殆ど老衰に近いものではありましたが、今年5月の段階で担当医師からは「その自然の流れに抗っても無駄だろう」という指摘があり、食欲も減衰してきたためにその現状報告と葬儀式について盂蘭盆会の世話人会で報告していました。 それから少しずつ食欲の方は回復してきましたが身体機能の復活にまでは至らず、結局はこの師走に往生したということです。 「ヤバイよ」と言われて7か月も存命できて(これは当人の意思とは違うかとは思いますが)今、当家私どもの「慶び」でもあります。 ただの時間の延長といってはそれまでですが、神奈川県に住む妹や孫たちと数度に渡って会う機会を戴けたということですからね。 また「よろこび」と記すと語弊がありますので付け加えますが、その考えは真宗的思想に溢れています。 それは 「たのむ一念のとき 往生一定御たすけ治定と存じ このうへの称名は 御恩報謝とよろこびもうし候ふ」 と蓮如さんの改悔文(がいけもん)にありました。 御恩報謝とは阿弥陀仏のおたすけそのものも含まれますがそれを伝えてくださった御開祖そして善知識にすべての人たちとの「縁起」(かかわりあい)へのものです。 その機縁をまさに「よろこぶ」というのが真宗門徒のスタンス。 たった「一念」(称名)でその「よろこび」にまで到達できる易行道は浄土真宗ならではでしょうね。 何といっても「雑業雑種の自力の心」は捨ててしまっています。 ぶっちゃ

  • 「大ばかサンタ」青に次いで赤も 原色好き

    冷たい雨は早朝にはやんで青い空が西の方から広がりました。 気温も上昇して師走の季節感にはありませんね。 暖かい冬は地球崩壊の助走と考えると恐ろしいものがありますが、今の私には心地よい環境を提供していただいて有り難いことこのうえなし。 やること山積で、その殆どについて半ば諦めているところですが、奥方といえば葬儀が真っ当にやり切れるのか心配しきり。 朝から晩までずっと動いています。 昨日は2件(地元SBSとフジ系)の取材依頼を快く引き受けましたが、奥方からは「よくやるよ」の苦言。 奥方が頼りです。 尚、放送は前者は夕方、後者はお昼とのことです。 すべてすべて流れにまかせています。 いつも同じお話の繰り返し(問われる事も同じ)で、視聴している方も新鮮味がないでしょうが画面に(お茶の間に)私が登場することの知り合いの驚きは依然意表をついているようで、先週の地頭方の処理場では、「来た来た~」のお待ちかねのニッコリ、鐘撞きの真似をしての歓待を受けました。 目立ちすぎていて何かポカをやらかせばネガティブイメージの方も超絶でしょうね。 イイ子にしていなくてはイケませんよ、これは。 さて、母親から見れば私は決して「イイ子」ではありません。 コレは確実です。 よく母が内々でぼやいていましたが、幼稚園から小学校各年代の参観日に「毎度恥をかかせてくれる」と。 親たちが残っての教師との懇談会、時に教師から「こんな子がいる」という悪い子代表の指摘があったそうです。 それはひょっとして・・・と「それはうちの子ですか?」と聞けばズバリ「そうです!」と返答されてから、以来教師が手を焼く生徒についてボヤきだしたらその質問をしたようです。 それがまず図ったように「そうです!!」と言われて閉口させられたとよく言っていました。 当奥方が言うには、私の長男も次男も同じ。母と同様「またか」の諦めの連続だったといいます。 小学校低学年の次男にはどもりの傾向があり、また教師に匙を投げられて「一度病院に行って見てもらいなさい」と言われたように「どこかオカシイ」と思われるのが当家のDNAなのでしょう。 私からすれば次男の件はさすがに憤慨(表向きは快諾)しましたが、横浜の教師の狭量を呆れたものでした。 当家に於いては「多動性」は伝統の血脈です。 小学校の卒業文集に他者が記した「彼の将来」寸評に「犯罪者」と記されたことにはショックを受けましたが。 尚、以前もその件は記し

  • 遺影のバックはうっすらブルー桔梗色

    昨日も日曜ということもあって法事。四九日と納骨の日です。 降雨予報があって朝から雲行きが怪しいこともあり石屋さんが朝から気をもんでいました。 何せそちらの墓石は古いタイプの石塔で、一番大きな「竿」と呼ばれる石とその下にある四角形の石を外して納骨する方式です。 最近は滅多にお目にかかる事はありませんが、そうなれば素人が手を出すレベルではありません。 クレーンのブームが入る場所でしたら大した苦労はいりませんが案外石屋さんはテクニックを持っていて、2人がかりではありましたが、「これならユニックを持ち出すまでもなかった」と思わせるほど難なく作業を進めていました。 雨に降られたら滑りますから、それはまた話が違ってきますが。 そういうお墓の場合、気になるのは「容量」の件。 要は開けてみたはイイが今回納骨する余裕があるのか・・・ということ。こればかりは「前回」からインターバルがありますので皆さん「記憶にない」というのが普通で「開けてびっくり」なんてことはよくありますね。 以前は入りきらないのでもう一基墓地を求めるなどいう方もありましたが、急遽改変工事(瓶を取り除くなど容量アップ)をして納骨を遅らせる選択肢もありました。 今回はやはりいっぱいいっぱいで、ギリでした。 次は何とかしなくてはならないと判断して、故人の奥様は私はあと30年生きるので「それまで何とかして」と息子たちに。 「私はもっと新しいお墓がいい」と笑顔で付け加えていました。 私が思うにお墓に入るまでの期間が「あと30年」いただけるというのは上出来の類。奥様の弁は昨日の「勤修至無余」の如く故人の前で「満点まで生き抜く」の意思表示だったのでしょう。夫に先立たれての空虚な時間には何か違うもので埋め立てていただければ。 午後からは婦人部と総代が集まって、今後の段取り。 葬祭社担当も同席して「遺影のバックどうする?」という話になりました。 同座の方たちから色々な色味案が飛び出して不安にさせられましたが私が一言「ブルーにする」で決着。 担当者のぶっちゃけ話を聞きました。 「ブルーは免許証のバックみたいでみなさん嫌います」と。 それも「私が青が好きだから」で一蹴。 まぁ何でもいいのですがね。どうでもイイ件でした。 その「青」といえば桔梗。 来春からはその色味が画面を踊ることでしょう。 画像は桔梗紋が各目につく土岐、崇禅寺。

  • 後夜無常偈 「勤修至無余」 余すことなく全うせよ

    朝からぼっーとしてミスばかり目立つ1日でした。 失せ物、探し物の類でしたらまず時間の問題で解決することは目に見えていますのでどおって事はないのですが、本日の法事は掲示した個人の没年を誤り、そのお孫さんから「アレは違う」の指摘。開式前にザワついている様子に気が付いた奥方が尋ねてみてその誤記が判明したのでした。 修正に数分を頂いて一件落着したものの、やれやれのため息が出ていました。 ミスの原因は一言で注意力散漫。しかしそのような屁理屈は通用しませんね。 昨朝「後夜」の頃に病院から「スグ来たれ」の連絡があってから母親の往生に立ち会い、それが長い一日の始まりました。 当時の候といえば夜は長いものと感じますが、瞬く間に夜は明けて時の流れは強制的。 そして法要がありました。準備とケアに欠落がありましたね。 母が数年ぶりに帰宅してからもやるべきことが山積でしたが、その日は土曜日ということもあって法要後も別件来訪者多数。 なぜかおしゃべりが弾むお客さんばかりで夕刻前には喉がかすれていました。 風邪をひく条件が揃っていますので気を付けねば。 「後夜」とは当ブログでも時々記す昔の時間の単位。 「六時」といって24時間を六つにわけていうその時間(時鐘六時礼讃)ですが何せ4時間も幅がありますから、その時代の人々の大らかさが推察できるというものです。 それでは往生礼讃 「後夜無常偈」。 諸衆等聴説 後夜無常偈 時光遷流転 忽至五更初 無常念念至 恒与死王居 勧諸行道者 勤修至無余 最初の二句は日中無常偈などと同様。 この偈のポイントは ①「あっという間に時は過ぎゆく」というところが「時光遷流転」。「五更」なる中国系の1日の時間割が出てきます。 ②そして最後の「勤修至無余」が締め。 「余すことなく」ですから「与えられた人生<時間>を目いっぱいに・・・と、まさに訴えているところか。 歳もおし、あたふたの躰の私如きは蓮如さんから見たらきっと「あわれというも なかなかおろかなり」(白骨の御文)でしょうね。 1日・1年を人の一生にたとえて光陰の如くの時の流れに己の死を感じることの有意をいよいよ感じる頃あいとなったようです。 「念念」の「念」の重複に目が行きます。字を紐解けば「今の心」で念仏の「念」。 母が嫌がっていた本山帰敬式でいただいた法名はナシにしてその字を入れました。 画像は崇禅寺の庭。 大河が始まると果たしてこのベストコンディシ

  • 塩買坂正林寺 今川家臣忠死墓は義忠の反対側

    金曜日の予定といえば境内作業。 師走下旬であっても週末土日には法事が入っているのと、大晦日の除夕の鐘にむかって細かではありますがやりたい仕事がありますので「えいやぁ」の気持ちでまだ積雪の無い越前か近江あたりでもブラつきに・・・という不埒な気持ちは抑え込んでいます。奥方の目が一番怖い。 朝のTBSのニュース番組で例の鐘の件で時間を割いていました。ニュース番組は「変更」がつきものですので放送の決定とはなり得なずあまり他方に吹聴することができませんが、前日の電話取材の際の「もしかしてのお断り」とは違って私の顔とお寺が全国放送で晒されていました。 お恥ずかしい限りです。 それにしても志らく氏が「クレームを言うヤツは日本から出て行け」の語は笑いました。 その雰囲気が蔓延しているから、今クレームが皆無になっているのでしょうか。そうだとしたらやはりそれもちょっとおかしいことかも。苦情というものであっても本来自由に発信されるべきですからね。 全国的に拙寺の件、報じられ有難いことですが、欲を言えば大晦日のお昼の様子を報じていただければ尚有難いことです。 どちらか「ライブで」などという大胆な局はありませんか? さて、昨日は久しぶりの正林寺について記しましたが、大晦日来訪の件含めてコメントを頂戴しました。 ご指摘がありまして 1.入口の石燈籠「今川義忠公」の「今」が左右逆で刻字① 2.本堂から小川を隔てたところに「今川家臣忠死墓」⑨⑩⑪⑫ でした。 ということでその画像をアップさせていただきました。 あの小川は水量が多い時は渡れないかもしれませんが、そもそもお寺の庫裏の近くということと掲示板等はありませんのでぱっと見はまず気づかない場所になります。 川の中の小石を見つけてステップとして藪の中に歩を進めばスグその石塔とご対面できます。 右側の石塔に「今川家臣忠死墓」とあって文明八年1476の塩買坂で義忠の討死の際、彼と同様に落命した家臣たちの墓ということですね。 何時頃建てられたものか、当初は違うものがあって再建されたものか、詳細はわかりません。 それにしてもお隣の石塔はあまりにもおどろおどろしい。 暗がりの藪の中でのご対面はちょっと怖いものがあります。 当方奥方ほどではありませんが・・・。 こちらの墓に向かう際は、庫裏に一声掛けた方がイイかも。 尚、義忠の五輪塔は正面参道から見て左側台地の上。 家臣忠死墓は右側底部の藪の中。 気持ちと

  • 久し振りの今川義忠墓 周辺はキレイに 塩買坂正林寺

    何か新しくて突飛なことをやろうと、大層な大義の旗を振り回して正論(らしきこと)を説いて強行する人には「何かある」と思わせられること多々ありますが、今回の「外為法違反」の強制捜査を見て、その件思い起こしました。 受益者の存在とそれを権力で推進しようとする相互の関係が今回のIR(カジノ)やその誘致企業との間で「裏の取引」があったことを推する事案です。 外為法は外堀、本丸は議員さんの収賄についての捜査立件ということでしょが、今後の展開、東京地検の捜査を待ちましょう。 きっと、首相のお友達だからといって逮捕を取りやめたあの破廉恥な事案の如く、「手心」について裏方同士でごちゃごちゃやっていることが想像できます。 さて、塩買坂近く、正林寺上方にある今川義忠のかわいい五輪塔には、先日約1年振りくらいに立ち寄りました。 先日は塩買坂の武田陣について紹介する新しい看板を記しましたがあのあたりから義忠の石塔まで(またはこちら)の道は細いこともありますし人を案内するくらいの目的でもなければ滅多に通る場所ではありません。 その日は相良菅山から原を上がって小笠に降りる道から分岐しての義忠と正林寺裏山を辿るコースではなく、新塩買坂から正林寺山門から入って登ってみました。 すると以前の如く古い石塔の乱雑な積み重なりは撤去され、樹木は伐採されていかにも明るくスッキリとしていました②。 谷の向こう側の山、左が相良、右が小笠・菊川・掛川方面に繋がる塩の道。いわゆる塩買坂です。 義忠五輪塔はといえば、法名等記された木札が立てかけられているなどお寺の手が加えられていることがわかります。 何もないこれまでよりも良かったと思います。 ③は裏山から見た図ですがスケールの大きい古刹を感じます。

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