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墓場放浪記 https://www.daitakuji.jp/

相州小田原生、遠州高天神近住(相良)、戦国時代を中心に雑感を記すブログと寺のサイト

浄土真宗はかつて「一向宗」とも呼ばれた本願寺の宗徒で信長に11年も反抗し、その中でご先祖が生きながらえたことによって今があります。 興味の方向は「城郭と墓」です。「城郭」は建物が無いもの、墓は鎌倉期から室町期の宝篋印塔や五輪塔に思いが傾きます。近隣高天神城はじめ遠州を中心に、生まれ育った小田原界隈、当家先祖の出身地近江そして関西方面の歴史について記したいと思っています。

大澤寺
フォロー
住所
牧之原市
出身
小田原市
ブログ村参加

2012/04/01

1件〜100件

  • 焼津小川の公民館の催し物 田沼講座2回

    当たり前といっちゃあ当たり前。 午後1時からの法要の参加者はなんと「ゼ~ロ~」。 よりによって雨が激しいかったのは法要の時間前から1時30分くらいまで、まぁ傘があったとしてもズブ濡れになること必定ですからね。 適宜日時を変えてのお参りということで・・・ 雨域変異の状況を伝えるNHKアプリのマップ睨めっこの一日でしたが当地は赤く記された強い雨域はほとんど通過せず、激しい降雨といえば大井川以東から伊豆半島のようでした。 一応は「台風」ということで敬意を表して本堂雨戸は正面の一か所を残してビシッと閉めてはいましたが・・・。 彼(台風)は此の地の鼻っ先を通過していったワケですが渦の外周に沿う降水帯は当地にはかからなかったということ。 今のところまずまず・・・「どうやら やり過ごせた」の感。 今度の私のお盆、台風ドサクサの中で一番に印象に残った件は京都八幡のお西(本願寺派)のお寺の火事、本堂が焼け落ちていたニュース。 住職が「熱さでこれは死ぬかなと思って涙を流しながら出てきた。阿弥陀さんを助けられなかったのがつらい」の言葉は痛く感じさせられました。 その件、私がいつも心にかけているところで、大いにその気持ちがわかります。 火の中に飛び込んで如来さんを助けに行きたくなる心境にそのシチュエーション、「さぁお前ならどうする・・・」といったころで一番に遭遇したくない事案です。 先日は当方奥方のローソクの火の不始末の件、記したばかりでしたが、そちらのお寺の火事は「出火30分前まで初盆法要があった」とのこと。 夏の法要後はどうしても注意が怠りがちになるのが常、「無事終了」の成就達成感がヤバイのかも。 しかしながら辛すぎる事案でした。 さて、昨日は史跡研究会から「こんなのあるよ~」とlineで情報が届きました。 焼津の「小川公民館だより」です。 田沼意次の歴史講座全2回ということですが、私は都合が合わず見送り。 ご興味のある方はどうぞ。 それにしても焼津という地の凄さよ。 失礼ながら公民館レベルの催し物?などと目を疑うばかり。 中身の充実している様子に感動させられました。 夜間はNHK太平洋戦争ドキュメント・・・「ドーリットル空襲」を転機にした国のウソ八百のはじまり)。 陸軍の発表、米軍機のB-25を「9機撃墜」(16機のうち)発表の件(ホントは1機も撃墜していなかった・・・)がバレて以後、情報は大本営発表に一元化というもの。それが「国

  • つとめてやむな 本多光太郎 評定河原球場

    13日午後1時からの法要はおそらく台風通過によるドカ雨の時間のよう。 拙寺としては淡々と予定通りに法要を進めますが、参拝は無理にその時間にこだわる必要はありません。 天候回復後にゆっくりとどうぞ。 昨日は朝からドカンと降っては止み、青空が見えたと思えばまた土砂降り。その繰り返しでしたね。 私はやはり自宅で「待機」(何もしない)でした。 午前中からのんびり「MLBアット・フィールド・オブ・ドリームス」を視聴していました。 奥方は「ずっと付き合っちゃあいられない」と降雨の間隙を突いて、買い物に一人で出かけていました。映画の方は以前しっかり観ていて「あと2、3度は・・・」とは言っていますが。 近くのマーケットで食品類を漁っていたようですが、いつもと違って店内商品も豊富かつ「スゴイ混雑」をしていたとのこと。 お盆の人口大移動が始まっているということでしょう。 テレビでは行楽地先で家族で発症するなどの例を報じていましたがさぞかし当事者は面倒な事になっていることでしょうね。 何よりもその受け入れと措置、帰るに帰れない、それでいて家族全員を隔離しての宿泊先の手配など到底不可能な話。 各地医療機関で大変なところ、多いのでは・・・。 診療など放棄して「お盆休み」を取ってしまえばいいのにね。 医師・看護師たちも「付き合っちゃあいられない」でしょうに。 手に負えないから放置、結果市中に・・・そして感染が溢れる・・・という構図になっています。 MLBのそのイベントはまさに洒落ています。 相当以前(1989)に上映された「フィールド・オブ・ドリームス」という映画に擬えて映画で使用された球場の隣にMLBがトウモロコシ畑を開墾、新たにMLB規格の球場を作り、レギュラーシーズンの試合を開催するというもの。 アメリカの伝統、ベースボールゲームの祭典のようなものですがこういった企画のスケールの大きさには驚かされます。 広大なトウモロコシ畑の広がる超がつく広大さもそうですが・・・ 昨年でいえば全米で600万人が視聴したというほどの人気イベントになっています。 その映画では主人公(トウモロコシ農家)が、ある不思議な声によって自らの農場を野球場にしてしまった・・・というストーリー。 主役ほか特にその眼差しに特異を感じるジョー・ジャクソン役のレイ・リオッタが印象に残っています。 ちなみに彼は今年5月に68歳で「トウモロコシ畑に入って」しまいました。 命には

  • 東照宮と六角堂 イヌマキとサクラ 岡崎法蔵寺

    午前中は祭日とあって人が居そうなところだけは避けて境内周辺でドタバタ。 昼頃大いに悩みました。 庫裏裏の草ぼうぼうの草刈りと布団干しの件です。絶妙の天気でしたからね。 しかし「台風8号に・・・」といわれている熱帯低気圧が当地に接近しているという予報があってそれを理由に「何もしない」を選択しました。 奥方はノー天気に洗濯&物干しに動きまくっていましたが私はエアコンの利いた居間で「待機」。 ちなみに「待機」とは態のいい言葉ですが、「何もしないで遊んでいること」を言います。 以前お世話になった会社で、何かとそれを連発する人がいたことから当家ではその語を(うまいこと言いやがると感心しつつ、面白がって)使わせていただいています。 すると、突然強烈な土砂降りが発生。 奥方は発狂したように洗濯物を退避させていました。 「聞いてないよ~」とはいうもののスマホにはそれを警告する情報が幾度か入っていましたね。 「スマホばかり見ていられるか~」は当然の事。 私は「水やりをしないで済んだなぁ~」。 布団など干していたら目も当てられないことになっていました。「待機」で大正解。 問題は13日土曜日(13時から)の今年3回目の盂蘭盆会法要(兼戦没者 8月の法要)。 12日は溜まった花ガラを処分したいですし、雨はカンベンしていただきたいのですがね。 「どうするんだ・・・」と言われても。 私は「弱っちい台風だろうしさっさと行っちまうだろう・・・」の楽観ですが・・・そううまいこと行くかどうか。 激しい風雨の中お参りはムリな話ですね。コロナもそうですが天気のことは「勝手にしやがれ」というか「おまかせ」するしかナイ。 東北北部の水害も気の毒ですが北九州小倉の大火は再び酷いことになっていました。映画館の消失は殊に無念をお思います。 広範囲の火災延焼になりましたが天ぷら油からの出火原因が報じられていました。 奥方にその件振れば「自宅揚げ物機会極少にして不安なし」とのことでした。 そのキレ者の奥方ですがそういえば数カ月前、あり得ないようなミスをやらかしてご注進したことがありました。 本堂で法要のあと、即座に墓参に行くなどの場合、奥方が堂内ローソクの火の始末をすることになっていますが、私が帰宅してたまたま本堂に用事があって、たまたま後堂前に目をやった際、消火したローソクを受ける真鍮の容器に火が灯って不気味な光を放っているところを見てしまいました。勿論呆然と・・

  • 檀家さんのペット葬祭「ドマーニ」開業 後藤海堂額

    全国の感染者数初の25万人超え。 静岡中部の病床使用率は90%超え。 「ヤバいと思っても家に居て」のアナウンスが。 ここまで来るとコロナは「罹って当たり前」になったような。 最近、境内で会う人会う人、「実はね・・・」という具合に「コロナに罹っちゃって」の告白タイムになっています。 一昔前ならばひっそりとその普通ではなさそうな病気を隠し通したものでしたが、今はあっけらかん。 「何時頃?」と聞けば「牧之原で56人とかの日・・・」などと。 家族で自分だけとか、子供は何でもなかった・・・とか色々。 症状は例の「喉」の痛みから高熱のパターンは変わりませんが。 というワケで昨日からお盆休みに入ったという横浜の「奥の墓道」氏は帰郷見送りを決定。 朝からMLBとのんびりの様子でした。 先日、息子の友人が自虐的に送付してきた画像の紹介がありました。 体中の発心から始まって全身皮膚がズル剥けの悲惨でエグイい図、指紋もなくなったそうで、入院先の病床からの図でした。 当初は原因不明、流行りのオトナの手足口病ではないかとのことでしたが快方に向かいつつあるとき病名がわかったそう。 それが「中毒性表皮壊死症」。成人死亡率は25%とのこと。 クスリの副反応というのが一般的に解釈されている発病原因ですが、どう考えてもコロナワクチンしか考えられないですね。 これを見た息子たちはますます3回目は打たない宣言。 しかし先日記した心筋炎の件もそうですがレアケースだから無視して公開しないというのも変な話。 打つ打たないは個人の自由。 さて、昨日はN師より「そちらで・・・」という具合にいただいた高橋泥舟の詩句について記しましたがその際、「これも一緒に」と渡されたのが表記①②。後藤海堂について最近では相良史料館の企画展、「まきのはらを築いた人々」でその作品を拝見しています。 相良の在住では「知る人ぞ知る」といった方ですね。 そして昨日「開業しました」と連絡を受けたのが拙寺檀家さんが始めたペット葬祭業。 牧之原市中心に「周辺各地に出張」というのがウリですね。 地元の産業衰退の様の中、「一つやってやろう」の気概、うれしい限りです。 今、人以上にペットを手厚く弔うという傾向が強くなっていてそれに応えようというもの。 名称は「ドマーニ」。 是非に気張っていただきたいものですし、私も気合を入れて応援しています。

  • 「そのすじょうおさえがたし」 額入り高橋泥舟詩句

    つくづく自らの間抜けた押っ取り刀的短絡振りを再び思い知ったのがここ数日のこと。 一昨日は午前中にN師宅で刀を振り回したあとは午後から静岡に行く予定を入れていました。 数年に一度やってくる大嫌いな時間、運転免許証の更新です。 私の誕生月は7月でしたので「そろそろ限界」に達するところまで日延べになっていました。 奥方も先日更新したのでしたが榛原警察署でのカンタンなものでした。 私が静岡まで行かなくてはならなかったのは2.5年前に青山通りで御用になったからです。 東京ルールの「左折信号」の存在を知らず、歩行者信号の「青」を見て左折したために御縄頂戴とあいなったのでしたが(白バイの待ち伏せ攻撃)、助手席にいた奥方は歩行者の有無を見て「GO!!」と大きな声で私を煽った都合、ご担当のバイカーに執拗に喰いついていたことが思い出されます。 私はこれ以上のトラブルは御免と「まぁまぁまぁ・・・」と奥方を宥めたことも。 しかしその件があっての静岡行脚ということですから今更ながらクサクサでしたね。半ば奥方のせいといってもいいかも知れません。自分は運転せず、いつも私に・・・それではリスクはいつも私が被るだけです。 というわけで、なかなか「さぁ・・・」という具合に踏ん切りがつかなかったのですが、一昨日「買い物ついでに静岡へ」ということになりました。 まず車に載りこむにあたって奥方から「召集のハガキは?」と聞かれて慌ててそれを取りに戻りました。 まずそれが無ければお話になりませんからね。 胸を撫でおろして東名牧之原に向かいますが、事もあろうか途中で免許証を忘れたことに気づいて再び自宅に。 勿論助手席から罵声の声が聞こえてきましたが、いつものこと。 再びバイパスを走りだすと、「ちょっとハガキを見せてみろ」と奥方が。 それを差し出してしばらく、「お前の講習は午前しかないぞ!!」。唖然呆然としながら、それなら「浜松の講習会場はどうだ・・・」と再びそれに目を通してもらうと「13時の講習会がありそう」ということで急遽浜松方向にナビを入れて走行しばらく、「やっぱその講習はお前の更新講習に非ず」ということが判明。 腹立たしくも掛川でその時間を埋めるためデニーズで食事して帰ってきた次第。 ボヤキを記させてもらえばあの三つ折りハガキには小さい字でたくさんの情報を入れすぎなのです。 わかりにくいことこの上なし。 というわけで心を決めて、準備万端、昨日は午前8時3

  • 長い厚い重い・・・幕末の人斬り包丁を感じる 那須の件

    昨日は朝から刀剣の研師兼神主のN師のご自宅に伺いました。 ちょっとした所要があったからですが丁度「預かり物」という幕末もの(安政四戊午銘)の刀を拝見する機会に巡り合いました。 撮影はさせていただきましたが、公開できませんので口で解説すると、一言で「長くて肉厚で図太い、よって超重い」。 先生は「榊原(鍵吉)門下」の刀だろう・・・とのことでしたがやはり以前記した今井信郎の刀に似ていました。 要はその重くて切れ味抜群の刀を相手の頭上に「振り下ろす」ために作られた一物。 あれほど重たい鉄の塊を自在に振り回すことのできる肉体とその鍛錬とはどれほどのものだったのか。 「一日千振り当たり前」と聞きますからね。ましてや「片手斬り」の鍛錬も・・・ 今、私がそれを振り下ろすこと、チャレンジしたとすれば、両手でできて3回くらいか。 それ以上修練すれば自らの足を斬り裂くか両腕の関節炎になることは必至。 剣術に限れば特に一対一などの場合、講武所あがりはじめ佐幕派の腕っぷしというものは半端なく強かったと感じるわけで・・・。 やはりその手の武人との一対一のシチュエーションがあったなら・・・などと想像してしまいますが、これは「逃げるが勝ち」。 受け身として刀でその振り下ろされる刀を受けようとしたら100%頭を割られて即死でしょう。 健吉は土佐藩士を何人か斬っていますが相手が健吉であっただけで一刀両断にされてしまったということでしょう。 薩長の鉄砲と大砲を主体とした「よってたかって」の戦闘方法として個人の突出した技量と鍛錬は不要になったのでした。 要は完全なるチームプレーとなった時代。 そして日本刀は(槍もまたしかり)握って初めてその威力を感じます。 ちなみに槍の泥舟、高橋泥舟ですら将軍家茂、井伊直弼を前にした模範試合で健吉に負けていますので、その槍をかわしまくって振り下ろす、その運動神経・・・身体能力も特筆モノだったでしょうね。 今井信郎が竜馬を斬った刀は「健吉に所望された」・・・とのことでしたね。 薩長主体の新政府からの招へいを断っているところもまた、先日記した継之助同様その気概に好感が持てます。 ガラスケースの中の美術品としての刀は美術館博物館で拝見することはありますが、あの幕末ものの感触、そのパワーは圧巻でした。 画像は友人の女墓場の余興、那須岳縦走、茶臼岳、朝日岳、三本槍岳を「楽しんできた~」の画像報告。私にはサッパリわかりませんが・・

  • 井口冨田館 井の神社鐘楼鎌倉期梵鐘 城館址周辺

    昨日はやはり予報に反して当地は晴れ間が広がりました。 午前本堂と墓参り、午後はホールと墓参りの2件の法事がありました。 御一同異口同音に「暑い!!」でしたが、私は内心「いつもより暑くない・・・むしろイイ風が吹いている~」とは思ったものの、それを言ったら嫌味になりますから「そうですね~」。 まぁ皆さん、私の装束・黒衣からくる「暑っ苦しさ」を口に出していたのでしょう。 その午後のホールとは旧榛原、台地上の墓地に併設された施設。 ホームとアゥエイの変則ダブルヘッダーでしたが、どうしても午後の方は声の具合が気になるところです。 午前はクマゼミと張り合っての読経とあって「喉の消耗疲労」が顕著、まともな法要になるのか不安、特にそちらには墓参では何度か伺っていますがホールでの法要は初めての登板。 奥方には「マイクがあると有難いが~」と言いながら施主より先乗りで現場確認。他にご本尊、そしてキンや御文箱のセッティングがありますから。 ところがマイク&スピーカーのシステムは一見したところありません。 「まぁいいか」と少々の不安を残しつつの開式でしたが、第一声の瞬間、驚かされました。 ホール設計の極みか、「これが私の声なのか・・・」と自分でも疑わしくなるほど、惚れ惚れするほどのスバラシイ音響。 経机にマイクとスピーカーが隠しているのではないかと読経中にキョロキョロしてしまうくらいでした。 室内はエアコンが効いて、快適そのもの。 皆さんの「お寺の本堂で葬儀・法事はやりたくない」の雰囲気が漂う理由がわかった思いです。 冬季の極寒、夏季の極暑がありますからね。 しかし、一昔前、父母祖父母の時代はその寒さ、暑さの環境の中、今のように椅子ではなく、座布団正座で今よりも長かったであろう先達ご縁の時間を過ごしていたのですからね。 すべてが便利になったものの私含めて、甘っちょろくなったものです。 さて、長浜の高時川の豪雨氾濫のニュースをテレビで見て、そちらをふっと思い出させられてから、その地の「大変」にも関わらずノー天気にもかつて行ったその地の画像をupしています。 報じられていましたが、市街が水に浸かってしまうと下水道、トイレの使用ができなくなり、仮設トイレが不足しているとのことでしたが、まったくそれは盲点でした。 発展途上国ではそれが原因でコレラなどの伝染病が広がるといいますからね。 上水・浄水だけの問題ではなく下水までがパンクしてしまうというこ

  • 井口弾正 城館址周辺を歩く つい「化けてでるよ」

    昨日も西に東、遠方からの来訪者があったため14時からの盂蘭盆会法要の開式でした。 午前早くからは「広島の黙祷」にあわせて拙寺の鐘が七回撞かれました。 夜間はNHK「原爆が奪った"未来゙」(6000人の中学1年生の死)を視聴。 なんまんだぶ なんまんだぶ。悲惨な画像を視て画面に向かって手を合わせてしまいました。 子供たちとその縁者たち・・・何という「不仕合わせ」。 気の毒すぎます・・・それぞれ子供たちを出した親は「後悔の念を抱く」とはいいますが、きっかけはあの時の国のありさまがもたらしたものですね。軍が依頼した建物疎開の勤労奉仕、人工(にんく)として子供たちが動員されていたのですから。 「戦争遂行の為」(陸軍中将)のその理由。 被ばく後遺症(癌発現)もそうですが「生き残った者の葛藤(トラウマ)」というものも尋常ではありませんでした。 その日は納骨がありましたのでお天気の具合が気になりましたがうまい具合に晴れ渡っていました。それこそ「仕合わせ」。 ご納骨のタイミングといえば四十九日法要のあとというのが一般的ですが、拙寺は施主、ご家族の意向を尊重します。 その四十九日法要といえば雨降りでしたので「こだわることはないですよ~」ということで昨日まで日延べに。 また「四十九日法要」の開催について、きっちりと49日目をカウントしながら「一同都合が合わない、何時にしていいかわからない・・・」の声があがりますが私は「いつでも都合のいい日にどうぞ・・・」というのが常です。 しかしそのあまりにも「都合のいい」ことを先日依頼されて思わず「(私なら)化けて出るよ~」と言い放った件がありました。 真宗坊主がその手の脅し台詞を吐かないというのは当然のことなのですが、あまりにも勝手な差配にその言葉がつい出てしまいました。 先般、私がこちらに来た当初から親しくお付き合いしていただいた方が亡くなりました。勿論、檀家さんというか、檀家さんだったというか・・・そんな方。 ご長男がエホバに入信し、家を相続することになり他の弟妹たちは色々あって家を出てしまったため、その方の生前、元気だったころに地頭方の山の上(こちらはいつも記している地代の墓地ではなく地頭方辻に近い山)の墓地を廃して拙寺一所墓(永代墓)に代々の遺骨を納めていました。 その方と初めてお会いした頃からその「悩み色々」を聞かされていたく同情していたのですが、墓じまいしたとはいえ「ご当人はどうなる

  • 高時川(妹川-姉川に対し)といえば湖北の井口弾正 

    昨日は14時からの法事でした。施主が「午前は研修会がある」とことでした。 それは近々当地相良にオープンする大型店舗の従業員募集に応じたそうで、昨日は午前中にその研修会があったとのこと。 法要終了後「何の講習会?」と単純に私が質問したためその他色々の話となりました。 時給は960円でこの地区では最も条件がいいとのこと。 他府県ナンバーの車が大挙して駐車場に停まっていましたが、他県資本だから「お店には行かないだろう」と憎まれ口を叩く私がいました。 おおいに流行れば地元の小売業をぶっ壊すことになりますからね。 「主婦は安いもの大好きだから・・・」のお言葉は響きましたが。 淘汰の時代が始まるようです。オープン時の付近大渋滞に巻き込まれるのは御免ですね。 法話は親鸞さんの「御臨末御書」の通り、「仏は常に(貴方・私を)見ているよ」でした。 盂蘭盆会の法要でしたから「逆さ吊り」(ウラバンナー)と目連のお話をして、しかしながらその壮大なるスペクタクル救出劇(地獄からの生還)のお話は中国産の偽経からであって真宗の仏は実は「地獄なんかに堕ちない・・・」という流れです。 よって「ご先祖様が地獄で苦しんでいる!!」を常套句にする統一教会系霊感商法の類とは「違うんです!!」。 今、おかげさまで法話に説得力が付きました。 ただ母が我が子可愛さをもって自分本位に生きるのではなく、なにより「他者への思いやり」と「おかげさまの心」が肝心というところが仏教的示唆ではあるとは付け加えておきますが・・・。 他を誹謗中傷することは「よくない」ことは承知していますが黙っていたらあの不気味な団体のやりたい放題の現状が浮き彫りになってきました。 声を大にしてその深き欺瞞に満ちた教え・・・よ~く考えればチンケなタダの詐欺ですが・・・について指摘していかなくてはならないでしょう。 何故にしてあの胡散臭さプンプンの韓国の夫婦にのっかってしまうのだろう・・・それはただ「人の弱さの一遍につけこめ」なのでしょうね。 昨日記した通り当流の正解は「如来にまかせておけ」ですが。 さて、冬場の日本海側のドカ雪に対して太平洋側は大したことないといったことと同様この夏「これまで経験したことの無いような」の警告で耳に馴染んでしまったドカ雨です。 すると越前大野の水位上昇、国道8号線は土砂崩れ、近江長浜高時川などの氾濫の状況がテレビ画面から報じられてきました。 高時川と聞いてここは一つ久

  • 片岡半右衛門は不明不詳 一斗缶盛に歴史を感じる

    天気予報で「ドカ雨が降る」と脅されていましたので朝イチで地頭方の処理場に向かいました。 福井・石川・新潟から東北にかけて濁流が溢れかえっている図を見せつけられたというのが昨日でした。 これから「雨が降りますよ」など、まったく信じられないくらいに晴れ渡っていました。そして午後にかけて雲には覆われましたが、雨降りには程遠い天候。 そうなら松の剪定の一つもできたかも・・・とは思うもののどうこう言いながらMLB放映視聴の時間を過ごしていましたから「しょうもない !」。 さて、昨日記しましたよう一昨日は袋井方面に向かったのでしたが、私のその「ついでに・・・」と立ち寄ってもらったのが法多山でした。 高天神城まで出て北上、小笠山を西側に廻ってのコースです。 以前にも記しましたが一般の人たちが使用する繁忙期大渋滞の道の真逆側。裏道です。 いずれにしろ境内はガラガラでしたが。 この辺りでいうそちらのお寺のイメージと言えば「だんご」でしょうかね。 私も団子は嫌いではありませんが、それはみたらしか醤油限定、餡まみれのそれをわざわざ購入に行ったわけでも、また厄除けの祈願・・・でもありません。 話は逸れますが、よく人は都合の悪いことに対して「厄」と言ったりしますが当流にはその感覚は皆無です。 それは「まさかの坂」と「四苦八苦」のことを言うかと思いますが、まぁそれが「もれなくついてくる」というのが人生であって「避けることも落とすこともできない」のであるから(感謝と反省のもと)「つきあっていくもの(生かされている実感)」。 真宗は絶対他力「如来にまかせる」という宗旨ですからね。 それに理由を求めようとするからみなさん心がぶっ壊れる・・・ 学生時代はそれを麻雀用語にシャレて「役が無ければアガれない」とその語を笑いながら一蹴していましたが・・・。 やはり家康に擬えたくなりますが、難題に遭遇し、解消努力してこそのステップアップがあるというのが人の生きざまでした。 それにとらわれて悩むなんぞ、なんとも時間の無駄なことか。 まぁ霊感商法のカルト教の類はそれを脅しに使うというのが常道ですからね。 トークでもってやたらと不安を煽り、その解法として高額商品の購入を進めるのですが、それを買ったとしても四苦八苦の解消にはならないし、ますますドツボにハマるというのにね。 いいのかね、この国の在り方。 政治屋どもは票のため自分の利益のためにカルトを持ち上げ持ち上げら

  • 弾正左衛門 西郷頼嗣 西郷信貞 の墓 岡崎大林寺

    暑いから、危険だから・・・と毎度御託を並べて外仕事が捗りませんね。 放置状態の静波墓圓も気がかりで、奥方を誘うも「涼しくなってから~」の一点張り。 あちらは伐採した物を回収しなくてはなりませんので、役割分担、人手が必要なのです。 そして昨日は奥方が袋井方面に所要があるということ、私もそちらについでの用がありましたので同行しました。 要は汗だくになり、蚊に食われて、時に蜂に刺されて・・・雑用をしたくないということです。 これからどんどん寺は荒れていく・・・ 門前の街灯が完全に壊れて夜間、真っ暗。 蛍光灯のプラスチック製電極部分が劣化してボロっと砕け落ちていました。 よって蛍光灯の交換レベルではなく、全交換。 以前なら、「私が・・・」とも考えるところですが、檀家さんの電気工事屋さんにLED街灯を2つ注文工事依頼しました。 季節が違っていたら私が着手したのでしょうが。 面倒ですので機種等「おまかせ」ということで。どんなものが付くのだろう・・・不安と期待。 さて、昨日の大林寺の墓域の続き。 廟には清康-広忠父子と清康の妻春姫(於波留)の墓がありましたがその春姫の父が西郷信貞でその人の墓があります①②③。 一石五輪塔の残欠が2つ重なってやたらと背が高くなっていますが、まぁそういうことで・・・ 松平氏が西三河覇権のベースに台頭するにあたって岡崎の地を治めていた西郷氏との競合となりますがその西郷氏→松平氏の過渡期を表す縮図がこの墓地に見ることができます。 家康の「名家好き」というところ知られていますが名門三河守護の仁木氏の守護代にあった西郷氏の名跡を家康の祖父である清康あたりもうまく利用しようとする意図があったか、西郷氏を吸収すねことを成功させています。 相手を壊滅するために侵略すればたとえ勝利を得たとしても損失と痛みを伴いますからね。 そこで調略そして相手の「家」との姻戚関係の構築をするというのがスジになりますね。 こちらでは西郷信貞としていますが「松平昌安」の名のりも。 彼は一線を退いて大草の地へ(大草松平家)。 そして西郷頼嗣の墓も。 こちらもオカシなカタチ。五輪塔の地輪部分が宝篋印塔の笠が代用されています。 松平家と西郷家の家系で歴史の中の曖昧な部分があるからですがその西郷信貞の父であるという説もある人です。 西郷頼嗣については拙ブログにて岡崎城清海堀で記していましたが岡崎城のあの堀は北にあった松平を警戒しての堀であり

  • 次郎三郎清康・広忠そして清康妻春姫の墓 岡崎大林寺

    平日オフとあって奥方の買い物の運転手。 御方は「暑すぎる」ので長時間家を空けることはできないと主張しますので今年の墓参りを兼ねた夏の小田原行脚は見送りになりそう。 その「暑すぎる」のは猫たちにとってのこと。 根っから「保温」を目的とした獣(けもの)は毛に被われていますから。特に室内限定の連中には夏は試練でしょうね。 当然の如くエアコン稼働となりますが、信用のおけない家電製品を長時間不在のままオンにしておくのはどうしても気がかりになります。 私どもが車中「外は暑いが車の移動はお気楽・・・」などと話していると、友人の「女墓場」からメールがありました(下の画像)。 埼玉の実家に帰ろうと関越自動車道に乗ってしばらく外気温が「42℃になった」と感動して送ってきたもの。 負けましたね。 そこで当方のメーター上に表示された気温は「37℃」。 「5℃も涼しいよ!」と負け惜しみ。 政府の対コロナの施策はまったく「ない」というか、静観しっぱなしの状況。 その苦痛を味わう者といえば医療従事者と診療を得られない患者たちになりますが「医療崩壊」の放置に他なりません。 それでいいのかという単純な疑問。 まぁ国民が選んだお偉いメンバーなのですから甘んじて受け入れるしかありませんね。それもよくいう「自業自得」の一種か・・・ あれだけインチキくさいのでやめとけ・・・と思っていたオリンピックの高橋とやら元理事(78)の件。 各団体に配布しなくてはならない資金を自身の焼き肉屋の借金の返済に充てていたというのだから爆笑です。 やっぱり日本のお役人(今は五輪組織委は解散していますが・・・)は自分の懐のことを考えながら仕事に「ありついている」のでしょうね。 それにしても年配者にもかかわらず悪どいものです。 同じ世代でもアメリカのペロシ議長さんときたらガッツがありますね。昨晩遅く、遂に台湾に乗り込んでしまいました。 そこが日本人とアメリカ人の違いかな。 さすがに手前の焼き肉店の借金返済に「国」を名目として集めた資金を充当するなどのえげつなくセコイことはしないでしょうね。 ご自宅のテレビに映された高級外車が並んだ様子を見ても「なるほどね・・・」と唸らされました。 どのような「様」になるのか経緯を見守りましょう。 彼を守るような発言をした者もきっとお仲間でしょうから・・・ よって誰も護る者はいず、仕舞には「あいつも、こいつも・・・」などとボロ出しまくりになったり

  • 岡崎城北から西に菅生川に合流 伊賀川 竹千代橋から

    午前の法事が終わって少々の休憩のあと、玄関前のクロマツの低木の剪定を。次は山門近くのクロマツになりますね。普通は松の剪定は5月と11月末くらいというのが定番ですが、そうのんびりと時間をかけられません。 夏前に伐った本堂前のソテツはすでに新芽が出まくってボサボサ。本堂北のソテツに手掛け出したところで梅雨入りしてずっと放置状態。 私どものハッピーな7月(横浜の次男も私も7月うまれということで)は終わりこれから2週間、気合を入れて過ごしたいものです。 暑い夏ですが体調としてはもってこいの十分さ。 「御ありがたさ 御うれしさを申す 御礼のこころなり」の 称名がスッと出てきます。 それは季節は私の常なる思い、沖縄に似てきたからです。 まぁ内地の気候が沖縄に似てきたということは異常そのものなのですが。 単純に、沖縄に行かなくても内地で沖縄が味わえるなんて・・・ただの短絡・・・しかし気温的には沖縄は30℃代前半くらいなのですがね。 まぁ法事以外でしたら草刈り伐採の外仕事より、どこかブラブラっと意味もなくほっつき歩きたい。海でただ寝ていてるのもいいかも・・・ さて、昨日の菅生川端石垣の西端の看板あたりから土手をあがって少々、伊賀川とその川に架かる竹千代橋に当たります。 岡崎の地に「伊賀」とは・・・と思いつつ「岡崎城 本丸南側 月見櫓跡」で記した地図掲示板を思い出しました。 岡崎城の北側から西側に廻り矢作川と並行しながら菅生川に合流する形はまさに城の堀です。 その橋から竹千代通がスタートするのでしょうが③を奥に進めば「胞衣(えな)塚」に当たります。 ⑤⑥は月見櫓方向。 8月に入ると恒例、NHKの特番が見もの。 昨晩は「沖縄戦゙記憶゙の旅路」を視聴しました。 対馬丸の悲劇は承知していましたがその記念館があるとは知りませんでしたね。 私どもの居た頃は那覇という繁華街でブラつくことはまずありませんしその頃まだその記念館はできていません。 ちなみに私どもの住処と活動の主たる場所は恩納村・読谷村・うるま市(旧石川市)で賑やかな場所といえばコザ(沖縄市)でした。 そして番組内にあった「ソテツの下は死体だらけ・・・」の語。 のんびりソテツの剪定ができること、それは何よりも仕合わせということです。あとどれくらいの夏を味わうことができるのか、できたら沖縄にも行ってみたい。 昨晩は奥方も盛り上がって、かつて住んでいたうるま市東山の家をグーグルマップで

  • 竹千代通菅生神社川端東から400m 菅生川端石垣 

    法事開催の判断は各家色々。 もう大丈夫だから一族殆ど~親戚は呼ばずに近しい者のみでまで多様です。人それぞれ考えの違いはありますね。 あとはすべて先方の意向通りに。 最近では本堂のみで「墓参は中止」宣言もありました。 私の場合、お斎は自粛中、ただそれだけ。本堂内でマスクを着けていれば大丈夫の躰です。 ただし昨日の本堂「激暑」でしたね。おそらく皆さん気が遠くなっていたのでは・・・ まだまだこの夏、気温上昇の気配。 昨年味わった浜松の40℃、久しぶりに体感してみたいものです。 異常気象も実際に感じてみなくては・・・生態系をぶっ壊しています。 どうやら苦しい思いをして何度も何度も発熱外来に連絡を試み、行列に並び続ける理由がわかったような・・・ 昨日記した友人「奥の墓道」氏の友人はやはりコロナ陽性の判定が出たそうですが、ちゃっかりその保険がおりた(ゲットした)件(誇らしげに?)語ったそう。 私は昨年梯子から落ちての一日入院があったわけですがそういえば奥方は「保険がおりた・・・」と喜んでいましたからね。 その保険がコロナ罹患によって保険金が支払われるものか、私にはさっぱりわかりませんが、首都圏在住の方たちはそのリスクの多さからそちらの方の対応策をとっていたのでしょうか。 墓道氏が「保険に入っているから・・・罹ったら罹ったで・・・」の勢いが生じてよりお気楽になるのではないかと分析していました。 その人は約7万円、そして他に10数万円の支払いがあった例を話してしましたが、少々高めの熱と喉の痛みで終わるのならば「会 社も休めるし・・・その金額は悪くない・・・」と。 炎天下の労力。どうしても陽性判定のお墨付きが欲しい理由は決して徒労ではなかったということで。 尚、その人の母親は快方に向かって普通に家事をしているとのこと。 本当に症状の発現、軽重は「人によって違う」それだけは言えます。 さて、昨日の岡崎乙川(菅生川)川端の菅生神社前の竹千代通から川っ淵に降ります。 するとその辺りから西側にかけて約400m繋がる石垣(根石からの高さ5.4m)があります。 こちらが菅生川淵石垣です。 「日本一の石垣」といわれるほどの代物・・・眼前の手で触れられる近さにある「城壁」ですね。 拙ブログで記すよりも手っ取り早いので岡崎市教育委員会による「菅生川端石垣発掘調査現地説明会」の三浦正幸教授による解説がありますのでそちらをどうぞ。そしてこちら「石垣根石

  • 岡崎竹千代通の菅生神社 

    お国はカンタンな抗原検査キットの市中普及に力を入れるとは言っていますが、その信頼性はPCR検査には及びませんね。 横浜の友人「奥の墓道」氏のその友人は39.3℃の高熱によって木曜の朝から発熱外来に電話を掛けまくるものの繋がらず、金曜もまた同様だったと。 熱以外の症状は無かったそう。コロナだとしたら個体差があることがわかります。 発熱外来はアテにならないので抗原検査キットで調べたところ「陽性」の方にもうっすら線が出ているような「陰性」だったとのこと。 すると熱は低下傾向になって収束かと思っていると今度は同居する母親81歳が38度の高熱に。 すぐさまかかりつけ医に向かい検査してもらうと陽性判定となったとのこと。 濃厚接触者として来週早々にPCR検査を「晴れて」受けられるそう。 ということで「発熱外来」と「抗原検査」は殆ど意味がなし。 体調不良の中その二つのために努力、徒労を考えるとまったくバカバカしさのみを思います。解熱剤を飲んで寝ていた方がマシ。 「墓道」氏は「彼とはこの1週間で食事含む歓談の時間を数度持っていた」らしく戦々恐々の様。 そしてまた8月のお盆休み、「3年振りに相良へ」とは言われてもね・・・ さて、東岡崎周辺の件つづけて。 あの家康像の建つデッキから乙川の川っ淵に降りて川沿いに岡崎城方向に歩きました。 この河川、「乙川」の名称で馴染んでいますが古くからの別名を菅生川。 その名称は岡崎城の守護神社で歴史の古い「菅生神社」がありますのでより古い感覚がします。 岡崎城は東岡崎駅から見て対岸になりますので橋を渡らなくてはなりませんね。 岡崎城方向に渡るにはどちらの橋でもかまいませんが、それらしい名のついた「殿橋」を渡ります。②は橋の手前からの図。岡崎城天守閣が見えます。 渡ってスグの通りが竹千代通。 そこからスグの場所にあるのが菅生神社。 昨日の六所神社の東照宮の如くの煌びやかさはありませんが、こちらもいわゆる東照宮の名称が(場所はこちら)。 この季節、あの川沿いは夕涼みにはもってこいでしょう。 今年はこちらもコロナノーケア戦略か。 提灯と花火のイベントが控えているのでしょうね。

  • 岡崎六所神社 家康の産土神-うぶすながみ

    静岡県の病床使用率が74%超えだとのこと。 これは全国で2位タイ(首位は沖縄93%)。神奈川県と同じです。 昨日は相良の「人少なし」から「田舎の良さ」を吹聴していたわけですがどうやらお調子をこいているのもこれまで・・・ コロナにヤラれても庶民が医療のご加護をいただくこと、いよいよかなわなくなるということです。 現状自宅療養者は県内35000超えです。 ちなみに新規感染者は牧之原市も御前崎市も55人とは・・・ しかしこれまでエライ人たちが喚きまくっていた「経済」とやらがまともに動いているのでしょうか、甚だギモンです。 経済という言葉は聞こえはいいですが、「死ぬべくして死ぬ人 それはそれでヨシ」ということですからね。 まぁそんな施策であればいつかは「自分のところに廻って来る」ということ、わからないのでしょう。 私が「ある」と信じる「因果の法則」ですが・・・ 「私が撒いた種は私が・・・」の考えですが大抵よく言われる四文字熟語「自業自得」の文字が思い浮かびます。 あれも、これも・・・また他人のことはよくわかるもので。 これもよく聞く「ザマぁ見やがれ!!」というやつ。 お調子者の私にはよ~くわかります。うしろ指を指されないようしたいものです。 待望の晴天の下、境内にお参りの方は殆どナシ。 喜んで外に出てアカマツの剪定を大雑把ですがだいたいやっつけました。 蚊が大挙して襲い掛かってくることに苦慮していましたが対応策として剪定した松葉を集めて着火。足元に燻して白煙のもと脚立にあがりました。 あ奴らも煙は嫌いのようで効果があったような。 追い散らすことには成功しましたが、休憩に家に入るとその染みついた匂いに奥方から大いに怒られました。 「風呂入れ!!洗濯物にうつったらどうするんだ・・・」 これも自業自得か・・・ 染みついた悪業はちょっとやそっとでは拭えないものですが私は風呂に入ってさっぱりキレイにさせていただきました。 さて、昨日の続き六所神社。 松平清康創建とあって家康以下(家康の産土神-うぶすながみ)代々の加護を受けた神社ですが、石垣とその荘厳に着目。 その石段を上ること拝殿への進入は「五万石以上の大名」限定だったといいます。 三代家光が特に煌びやかに荘厳していったようです。 まぁ「東照宮」のミニチュア版ですね。 大河の放映のある来年は家康像もある東岡崎が賑やかになるかも・・・

  • 明大寺城 主郭部を推す 六所神社 名鉄駅と都市開発

    「軽症だから通常通り」のお気楽気分とはいいながら7月に入ってコロナが原因で亡くなった人は1000人を超えているとのこと。 「軽い」とはいえ感染者が爆発的に増えていることから亡くなる人が増えているということなのですが、「経済、経済」の大合唱のもと政府はコロナ感染には何もアナウンスなし。 地方にまかせるのスタンスでダンマリを決め込んでいますが 27日のWHOの報告によれば「新規感染者は日本が世界最多」との哀れ。 「1週間当たり約97万人」のダントツでした。 以前と言えばコロナ感染とその対応について「日本はスバラシイ」と世界からお褒めの言葉を頂いていて、かつ日本政府も日本人も「どんなもんだい」のドヤ顔であったわけですから、何とも華々しい逆転現象です。 経済界からイケイケドンドンと尻腰を押されて、おっかなびっくり海外の真似ごと、「開国」してからの緩和政策だったのですがまさにそれらがもたらした人災にも思えます。 死ななくてもよかった人たちがたくさんいたのですから。 検査キットも厚労省は「28日以降に」全国に配布するとは言っていましたが配送業者をどうするか「決めていない」の着手未定のマヌケぶり。 後手後手マシーンの厚労省。 先日は軽症者用の国産錠剤の承認を却下して以来の爆発感染者数です。バカ丸出しの躰。 何もできない・・・無能集団なのか? この危機的状況は政府が作ったのと同じ。すべてが甘い認識と緩慢さと自己保身の上にありますね。 ひょっとして近いうちに全国で「一日100万人」などがあったりして・・・。 東京の友人「女墓場」は自宅に籠りっきりで「どこにも行けない」とのこと。 マックのドライブスルーを重宝に使っているよう。 「体にいいわけないが旨い!!」と話していました。 それを聞いて昨日は私どもも・・・ポテトは揚げたてが旨い・・・などと。体には最低であることは承知、悔やみつつです。 横浜の「奥の墓道」氏は39℃オーバーで自宅待機になっている友人があるとのこと。彼は一応イベルメクチンは持っています。 当地でも色々と噂はありますね。 あそこの家は「きっと子供からだね・・・」などなど。 子供と年配者が居る三世代家庭など頭が痛いことでしょう。 都内で発熱外来の窓口の行列の様子をモニターから見ます。 それを見ていてやれやれ・・同情します。 「あそこに並ぶくらいなら寝ていた方がマシ」と思ってしまいますがきっと陽性の証明をもらわなくてはなら

  • 巨大家康像追記 平岩城址 明大寺古屋敷跡

    昨日もまともとは言えない天気でした。 朝は晴れましたので「ヨシ布団でも干すか・・・」と立ち上がると「お前はどこまで目出度いのだ・・・」と奥方。夜間の雨降りで湿気まくりの空気の中ではムリとのこと。なるほどね。 また何よりその1時間後には雨が降り出していました。 持つべきものは賢い坊守。 松の木の剪定は30分を3回程度。蚊取り線香をポキポキ折り、いっぺんに5つ火を点けて対抗しましたが昨日もボコボコにされました。 一昨晩の紀伊半島から岡崎にかけての線状降水帯通過と降雨は強烈だったようです。 夕方のニュースを見ていると西尾、安城、岡崎と耳に馴染んだ地名と大雨、そして落雷による建物火災の画像が映されていました。 線状降水帯なる名は最近になって聞くようになりましたが、雨だけなら何とかなろうというものの雷が落ちるというのはまったくかないませんね。 それも出火するなど唖然、呆然です。 「ブレーカーから火が・・・」という証言がありましたので消火器(電気火災用)を置く場所にブレーカー近くというのも頭に入れておきましょう。 各所に消火器の設置はありますが、ブレーカー近くに・・・というのは目から鱗。 あまりにも高い電圧の電流はブレーカーをぶっちぎって通過してしまうといいますのでコンセント近くも危険だといいます。 勿論、それに繋がっている家電製品はすべてパーになりますので まぁそれも「天にまかせる」他はありませんね。 高い屋根、高い木々・・・雷から見て落ちるに「もってこい」の拙寺の環境は寝ていて気が気ではありません。 「どこか他行ってくれ・・・」というのが心底本音です。 さて、先日記した家康の巨大像。 東岡崎駅前のデッキ上に聳え立っていますが、その市民による利用頻度とそもそもの目的についての詳細は知りません。 ハッキリ言って人はあまり多く見えませんね。まぁ平日の昼間ということもありますが。 もう少しばかり付近の探索を待たなくてはなりませんが私はどうしてもビルの中に入ったり気の利いた店を覗くことなど遠慮しがち、その本質を理解するまでは時を要するでしょうね。 これほどの家康像は素晴らしいもので文句の付け所はありませんが・・・ 先日は「平岩城」についてさらっと記しましたがデッキの橋脚、乙川方向に伸びたその底部にその紹介文とQRコードが提示されています。

  • 岩根集落の地下 加藤氏岩根城址 加藤嘉明の名 

    「3度目の梅雨入り?」の感。 未明から一日中ずっと雨。途中傘要らずの時間はありましたがボヤキの一つ二つも言いたくなりますね。 何より家の中は酷い暑さ。 就寝時は久しぶりに苦しみました。 エアコンの設定温度は27℃でした。 基本控え目、日によってその設定を変えていますが眠っている間に室温は30℃近くまで上がっていてそのまま朝を迎えたわけですがまともな深い眠りは得られませんでした。 そのせいで一日中疲労が残っていましたね。 よっておそるおそる26℃に設定温度を変えてみようと思います。 いや、まず26.5℃かな・・・風邪をひいたら元も子もないので。 設定温度高めは、喉のケア重視です。ちなみに室温を26.5℃にするためにはエアコン温度設定を24℃くらいにしないとダメかもしれません。 通常生活の中において、喉、いわゆる発声ができないことは私にとって最大のリスクになります。 何より療養に3週間、その間ずっと寝ているとして、仏事法要に関与できないということになります。 何より寺は「人の中」に存在してのものですから。 そういう意味からしても、坊さんのコロナへ感染など想像できません。 他人様の感染体験談からすれば「喉の痛み」について強調されていますし。 しかし「まさかの坂」ということもありますので「その時」の「ごめんなさい」と多少の「みっともなさ」(不摂生)の思いは覚悟しています。 しかし私が「コロナに・・・」などあったとすれば、寺に誰も訪ねてくる人はいなくなるでしょう。墓参りもお気楽というワケにはいかないでしょうし。 小さな町ですから、噂はあっという間でしょうからね。 今、喉を傷めて風邪の症状となるのも、コロナ症状との類似から他人様にも不快感を抱かせてしまいます。 トーキョーの3万超えオオサカの2.5万・・・強烈なことで・・・。 やれやれです。 さて、昨日は加藤嘉明の生誕の碑の建つ神明社について記しましたがその前日の岩根稲荷社の近く南東方向に加藤氏の岩根城址があります。 まさに住宅地。この区画の下にその城址があったということですね。 岩根公民館前にその看板が立っています。 常夜灯の前の石柱の裏側を除くと加藤さんの名が・・・ 最後の画像が「いわねしたばし」から鹿乗川越しに見た岩根城址方向。昨日も記しましたが防御と水運を期待する河川の存在がありました(場所はこちら)。 本證寺とも目と鼻の先で古くからのその関りが推察されます。成瀬の木

  • 加藤喜明生誕地の碑の存在 上永良神明社

    朝から溜まっていたアロハシャツのアイロン作業。 断捨離できない私、30年以上も前の生地が擦り減ったシャツにアイロンがけをしていると奥方に「いい加減に捨てなさい」と。 それがなかなか捨てられない・・・成瀬藤蔵の悋嗇ではありませんがそれらは「外で思いっきりフラつく」ことの代名詞でした。 それへの希望と達成できないフラストレーションからなのですが奥方のさらなる「それだけ大量のシャツを何時着るのだ・・・」と単純なギモンをぶつけられてまったく反論できず。 「どこかで野垂れ死んだら棺桶にでも突っ込んでくれ・・・」 昼過ぎからは松の剪定を。これから3本+盆栽、少しずつやっていくつもりです。 「炎天下には蚊の襲来はない」を信じ、尚且つ蚊取り線香2つを点けで仕事にかかりましたが蚊も必死の様、ボコボコにされてへろへろ、30分で逃げ帰りました。 棺桶で思い出しましたが葬祭屋さんの提供する棺桶の価格はピンキリですね。 たった1日~2日納まるだけの箱に数十万円の値段のものもあったりします。 施主が短い時間の中で決めなくてはならないものの一つです。リストを提示されて選ぶのですが何故か1番安価のものは出ないようです。 中には「皆さんどのくらいのものを・・・」などとと担当のアドバイスを求める方もいたり。 当然「中の下」あたりの推奨をするのですが、それで「お願いします・・・」。どちらでも経験があることでしょうが皆さん結構に見栄ッぱり・・・。 私など自分で作った厚さ12mmのコンパネでOKなのですがね。 やはりわたしは悋嗇か・・・。 先日はそのコンパネで作った棺に入って遊んだことを記しましたが、またその中に敷く「畳」状の敷物にオプション設定があることを初めて知りました。 「それは何で?」と聞けば畳の上で死ねなかった故人のために「せめて・・・」という具合にそれを棺の底に敷くようです。 そういえばどちらでも自宅で看取られるという機会は激減していますからね。 そうであってもそれも私には不要かと。 さて、先日は三浦姓を記すにあたって誓願寺の三浦雅楽之助墓石の件引っ張ってきましたが、こちら誓願時といえば片桐且元の墓ですね。 片桐且元といえば一言で「賤ヶ岳の七本槍」。 そこでやはり七本槍の一人である加藤嘉明を思い出して無理やり加藤姓云々などと昨日記したのでしたがこの三河には加藤嘉明三河出生、いわゆる元は三河武士だという伝承があります。 その加藤嘉明は父親ととも

  • 三河 安城岩根の加藤 岩根稲荷神社

    昨日の法事は焼津方面からということで11時開式。 カンカン照りでしたがクマゼミは休憩時間。 マイペースでお勤めができました。 ご納骨がありましたので晴れほどうれしいことはありませんね。墓地は境内ですので移動もナシ。 牧之原の葬儀社・火葬場では真宗寺院ともなれば分骨用の小さな入れ物を別に用意してくれますが、焼津・静岡ではその件の配慮はありません。 そもそも遺骨を複数に分けるということに関して「それぞれに埋葬許可の書面が必要」という建前があるようで、その件現場での「配分」を許容しませんね。 当流では大谷祖廟に分骨するというのが代々の倣いですのでそういった場合、大抵は四十九日法要の納骨の際に「分ける」ことになります。 施主は昨日その容器を葬儀社に依頼して取り寄せ、墓前にてその作業を行っていました。最初から大小の容器が用意されていれば、その手の余計なことをしなくて済むのにね。 大井川を超えるとやはり(真宗寺院少なし)、当流の「分骨」イベントへの理解が少ないからなのでしょうか。 さて、拙ブログでは勝手に苗字を並べ立てては好きな事を記しているわけですが、最近は三河から駿遠の大谷派寺院の苗字・・・ 本多 安藤 石川姓の多さの特筆・・・そして昨日は三浦でした。 どうしても他人の苗字を見聞きして「その出身は・・・何系・・・」などとついつい興味を持ってしまうのですが、最近ではプロ野球の日ハムの「今川」でしょうか。 北海道出身といいますが、一体何故にしてその名が・・・と思います。元は三河か、駿遠か・・・などと。 その手の珍しい苗字で勝手にその歴史推測することがよくあることですが、あまりにも身近でさほど珍しくない苗字に加藤姓がありますね。 この地区では榛原に少々(大抵がご門徒さん)、大谷派寺院で身近なところでいえば横須賀(旧大東)の林正寺があります。 安城のこちらの神社の石碑に刻されたその名たちにその「加藤姓」の連なりがありました。 この地区を歩くのは三河の真宗と三河武士団の痕跡に触れるという独りよがりの趣向でブラつくわけですが、遠景こちらの林の中を覗いてみようという単純な興味でそれを発見したという次第。 三河一向一揆を主導した三か寺の一つ本證寺(小山)や既出の蓮泉寺(石川)、法行寺(石川)・長因寺(石川)などとも遠からず岩根稲荷神社-岩根石塚-(場所はこちら)です。 その近くには安正寺(加藤)もありますね。 由緒碑には近くの岩根城初代

  • 拙寺九代釋祐厳実家 刈谷安養寺の三つ引紋

    昨日の法事開式は11時30分から。 よってクマゼミ大合唱下の発声は回避できました(→昨日)。 彼らの習性なのでしょうが朝の一通りの合唱が終わると昼をまたいでの休憩タイムに入るというのが常。 夏の法要、本堂開式について11時頃が丁度イイと思った次第。 10時開式ですと彼らとの対峙、張り合わなくてはなりませんから。 施主からの依頼でこの日は先にお墓参りをしてから、本堂で本法要になりました。11時に菅山区の山上の墓地からがスタート。 先日にこの山の墓地に参った際は降雨あとでしたので、施主には「スニーカー履き失礼」とその許諾を事前に頂いたほどでしたが、昨日は「2度目の梅雨明け宣言」と吹聴したくなる絶好の「山上日和」。涼し気な風にトンボも飛び交う林の中、ウグイスの美声に酔いながらとことこ山道を上がります。 しかし草履に足袋の出で立ちでこの急坂を上ることは、結構にふくらはぎに来ます。 道中着ながら法衣で、草履と地面のスリップ+足袋と草履のスリップという2つのリスクとストレスで上り下りの1セット、法要前にいい運動をさせていただきました。 ここの墓地は数ある墓地の中、難所ではありますが、こちらで墓地を各管理される家の皆さん方もその「苦痛」を口にしています。 「若いころは良くても齢を重ねるとキツイ」と。 墓参を敬遠したり「下で待ってる」等々よく聞きますからね。 さて、昨日記した拙寺代々の羅列について左側ナビゲーションに「道場-寺-継承の歴史」として転記追加しました。 思いついたところを適宜追記していくことにします。 その「歴史」の中で九代祐厳について。 天保十三(1842)に亡くなっていますが、彼の知性というか「頭が良さそう」なところはお城に上がって講師として、また知性溢れる一橋代官の小島蕉園(こちら)はじめ駿遠ほか各知識人との交流から察するところですが、単純にそれについては悲しきかな私には「伝わっていない」と思うところありますね。 その人の実家が現刈谷、海上山安養寺。 先日は三河を中心にした当流岡崎教区の寺院のうちその姓について羅列(トップスリー 本多-安藤-石川)しましたがこちら安養寺の三浦姓についても4件ほどありました。 特にそれぞれの関連性については不詳ですが、こちらの「三浦」に関しては当ブログで記す「三河武士団」と単純に片づけられないところがあります。 「三浦」と言えば鎌倉殿の三浦であって地名としては相模の三浦半島を思い

  • 十五代中7件 男子不在につき 御臨末御書 徳応寺

    またも朝、土砂降り、そしてスグの「ドP」、晴れ渡り。 墓参が山の上でしたから、朝はその雨にイラっとさせられましたが、終わってみればいつもと同様のほっこり感。 いつもいつも「今日こそズブ濡れ」と騒いでいながら一度たりともそのようなことになっていません。 ここ数週間の大雨の期間、どうやら無事にすごすことができたようですね。 2度目の梅雨明けが間近、ここでまた「おかげさま宣言」をさせていただきましょう。ありがたい。 晴れれば境内はクマゼミの大合唱。 自身の発声がかき消される感覚です。 こちらも負けじと対抗、声を張り上げるものですから終わってみれば喉がかすれ気味。 セミと張り合うことに違和感があるかもしれませんが、当家のセミには圧倒されますよ。特に午前中は・・・それが自然、いつもの夏の到来です。 さて以前、小島蕉園による「蕉園渉筆」の拙寺の記述にて9代の 祐厳、10代祐賢、11代祐曜の三代について記しました。 「寺に父祖以来男子無し。養子を以て嗣ぐ焉。 現住(十代祐賢)一男児を挙ぐ。喜び甚し。」でした。 今時それに拘ることはなくなりつつありますが、以前と言えば「男子」の誕生こそが「家」存続の基本でしたので絶対本望となるところ。 真宗寺院も武士社会と同様で血脈=DNAの如しで血脈=法灯の感覚にあった他宗とは明らかに違いました。 そういうわけで何故か男子誕生に恵まれない当家が寺を存続させるために取った手段は養子。おそらくその件、血眼になって探索したことがわかります。 祖父の代までその傾向が続いて祖父の姉たち3人のうちの誰かに婿をとる話が進められていたことはどちらかブログでも記した通りですね。 当地では「女子」(娘)に関してよく使われる語に「呉れた」という表現を使いますが要は他家に「くれてやる」ということです。「くれてやる」のですから御当家の所有を離れるということですのでどちらかというと「捨てた」に近い感覚でしょうか。 そして女子は明治以降程度でしたら何とか判明できるところがありますが、それ以前となるといわゆる「ご先祖様一同」になってしまうのです。 要は「女」はどうでもいい時代だったということで。 過去帳には他家に出した娘に関してもそうですが、誕生した娘の名前の記述はありませんからね。 その手の記述があったとしても「○○女(娘)」程度でした。 寛政譜なども女子についてはその感覚です。 そういうワケで当家には多くのお寺からの養子

  • 「私は正しい 争いの根はここにある」

    静岡4734(牧之原市33人)。トーキョーは勿論断トツ。 どこまで行くのやら・・・スゴイ・・・ 子供の発症が多くて、子供を学校に出してウィルスを持参帰宅、親や祖父母に感染させるパターン多し。 最近は法事の「大量動員」というか以前の如くに縁者を集めることが多くなっています。 お斎も開催されるようになっていますからね。 さぁ、これからどうする・・・ 小さい子供と同居している家は辛いね。 そしてそんなお宅にはお参りに行くのは躊躇してしまいます。 自宅仏間の法要もこの二か月で2件ほどありましたが、これからはまた「ご自宅敬遠」に戻すべきか・・・ さて、昨日の続き。 親鸞さんの「恩徳讃」は真宗寺院堂内でよく見かけます。 要は「歌詞カード」のようなもので、法要の締めで「さぁ・・・」などと皆さんで歌う場合、それがぶら下がっているのは親切ですからね。 その歌詞には音符が付くわけですが真宗限定というか、他流でそれと遭遇することはあり得ないとは思うところですが、当地のJA系の葬祭場の出棺の際、霊柩車から流れてくるのがその当流恩徳讃の音。歌詞はありませんが、当流の坊さんが耳にすればスグわかります。 真宗ご門徒限定とは思えませんが、他流の葬儀に立ち会ったことはありませんのでそれはよくわかりません。 ただし、出棺のバックミュージックとしてマッチしなくもないので、それでOKかも。「如来大悲~」の主語含めて他流の坊さんにはわからないでしょうね。 本願寺派の徳応寺(場所はこちら)。 「どなたでもお参りください」の旗がたなびいていて一層お気楽に本堂へ。 やはり本願寺派のお寺となると私の如く野暮で「らしくない」(奥方)「小汚い」(亡父)坊さんにとってその漂う拙寺とは違う「高貴さ」なのでしょうが少しだけですが緊張がありますね。 そちらにも恩徳讃がありましたが、私が初めて拝見し、歓んだのが「南無」の二字の額。南無の文字の下に阿弥陀仏。 二つ合わせて「南無阿弥陀仏じゃん・・・」。 「あえてよかった~」の言葉もインパクトがあって良いですね。 私に一番に迫った言葉が掲示板の「私は正しい~」でした。 先日の司馬遼太郎の言う通り。 しばしば「残酷」な振る舞い、そして結果となることも大いに承知しています。 しかし、国会ギインさんたちの演説は全部が全部「私は正しい~」ですよねぇ。それなら浄土に行ける輩は一人もいない・・・。 閻魔さん(浄玻璃鏡)に聞いてみればスグわかる

  • 阿弥陀さんの御恩 御恩と奉公 法行寺 お内陣 

    毎日文句タラタラ、ブーっとしていると昨日は晴れ間が広がってくれました。 午前は法事に付き、午後からは溜まった花ガラ(4袋)とゴミの処理ができて「あ~嬉しや・・・」。 適度に風も吹き、久々快適な一日を送ることができました。 おかげさまです。 法事に参集された皆さんから「5月に大谷祖廟に納骨に行ってきました」と。 東山にある高級な宿をとって一泊、比叡山や知恩院にもお参りに行ったそうですが、どちらも修学旅行生の集団で閉口させられたといいます。 「二条城なんて酷いもの」とまで。 外国人観光客がいない分マシとのことでしたが以前の如くに集団観光の襲来は戻っていたのですね。 当然の如く昨年の誰もいない東大寺行脚の件、自慢しておきました。あのようなチャンスは二度とないでしょう。 もっといろいろなところに行けば良かったと、またも後悔の念が沸き起こりました。 今一度「緊急事態宣言」を出してくれないかなぁ~・・・など。 拙寺はその大谷祖廟のバス遠足をこの秋に予定しています。 この7波の蔓延状況前、「どうなるのでしょうねぇ?」などと投げかけられることが多かったのですが、「錠剤のクスリが承認されるだろうから(大丈夫)」の軽口を叩いていました。 しかし昨晩その期待はクシャンという具合に叩きのめされてしまいました。 その薬を緊急承認制度にのっとって承認するかどうかの結論が「薬事分科会・医薬品第二部会」(18時から)で出ることになっていましたので、興味本位でその部会の流れを視聴していました。 こんなテキトーな討論(意見の言い合い)で薬の承認の可否が出るというところ、ただの「やった感」しか感じないところでしたが、後半になってから委員(各医者たち)の否定的意見が溢れて結局は「審議継続」で緊急承認は「ナシよ~」と相成りました。 先月も結論持ち越しでまたも決められない姿を見て、厚労省の間抜けぶりを確認させられました。 状況は爆発的感染者が溢れかえっている状況、コロナウィルスの治療とは関係ナイお医者殿があーでもないこーでもないの一般論のご披露でこうなったのでしたが、要は何かあったら「責任をとるのは御免だ」の発想でしょうね。 「決められない」の国民性なのかも知れませんが。 何のための緊急承認制度なのでしょう? 制度は決めても承認は「しない」ではなく「見送り」という態のいい言葉。要は承認しないのですがね。 まぁ、アメリカの製薬会社(他の国内製薬会社も)の、し

  • パワフルな家康像 東岡崎 西郷稠頼の明大寺城址に

    本堂内は物凄い湿気。 先日まで水位低下、渇水、水不足、節水の言葉が行き交っていましたがそれら「今は昔・・・」の様。 また日本の自然は「変化に富む」とはよくいいますが、精神衛生上この環境の継続はいかにも良くありませんね。 早いところまともな夏の到来を望みます。 障子をあけ放ちカラッとした空気を吹き込みたいものです。 まぁそうとなれば日本中、暑い暑い、熱中症で救急車・・・のこれまでとは正反対の如くの言葉が聞こえてくるのでしょう。 まぁ人間というものは勝手なもので。 毎度適当な事を年がら年中言いながら、時に何か、とんでもないことをやらかしますからね。 現代でいえばロシアとウクライナの戦争などがいい例です。 「人間は、自分は絶対に正しいと思いこんだ時、最も残酷な事をする」(司馬遼太郎)-先日の法性寺住職の記述-から。 そして国家レベルの「正しい」が一番タチが悪いということを理解しています。 日本も明治以降、色々とやらかしましたから。 さて、先日のNHKの三河一向一揆の番組でさらっと登場した像を。 高さ4.2mの台座の上に5.3m高の巨大像で私がこれまで見てきた家康像でその類を知りません。 2019年に出来たばっかり、東岡崎駅と乙川の間にある施設のデッキにそびえ立ちます。 「岡崎こそ」の気概が手に取るようにわかる代物で、来年はさぞかし名所として全国デビューするのでは・・・ 近くの岡崎城については何回が拙ブログに登場していますが、ここで例の「日本城郭大系」岡崎城冒頭部分から。 「矢作川と菅生川の合流する地点、龍頭山と称する丘陵上に初めて城を構えたのは三河守護職仁木氏の守護代、西郷弾正左衛門稠頼で享徳元年(1452)から康正元年(1455)の頃という。 その後、西郷氏は大永初年の頃まで代々居城したが、西三河賀茂郡松平郷から興った松平氏の力が増大し、特に清康の進出の前に西郷氏は松平氏の麾下に入った。 そして清康はこの城を拠点として東三河から尾張方面にまでその勢力を拡大し、のちの家康による国内平定までは、松平氏の一時代を築いたのである。」 と前段階の敬意を纏めていますが、家康以前のお話ですね。 以前ブログでは岡崎城月見櫓のところで「今川義氏一門が吉良、 今川、一色、仁木、細川・・・」とその系を羅列していましたが、松平氏が田舎の土豪から「さぁこれから・・・」とばかりに既存の勢力を押して世に羽ばたく前夜ということになります。 巨大像の

  • 「散弾の弾丸 Indian shot 」欲しい方あげます 檀特

    降雨順延になった相良高校野球部の試合結果が5回コールド 0-10の負けとのこと。 それでも1年生7人主体の急造野球部が強豪校相手に「よくやった」の声もあがっているよう。 「ヒットも2本、ダブルプレーも1回取れた・・・」と。 ここは勝敗ではなく、出場できたことを歓び、今後の飛躍を見守りましょう。 ただし3年生の抜ける秋の大会のメンバーは8人といいます。 サッカー部でも陸上部でもいいのでこの夏何とか引っ張り出して特訓ですね。 また酷い雨になるようです。 19日火曜朝一番で処理場に向かう予定でしたが今回の大雨の予報を尊重して昨日夕方には花ガラ袋を屋根のある場所に退避。 タイミングが悪すぎ。また次の機会に・・・。 午後、「梅の剪定はまだなのね・・・」と檀家さんが。 まぁその件はこんな天気が続いていればムリですからね。 すると前日の好天お日和は「私も何もできなかった・・・」と切り出されました。 というのはその前日に4回目のワクチンを打って「倦怠感があった」とのこと。 私はその方が数年前に心臓の血栓による手術をされていることを承知していましたのでつい「大丈夫?」と聞き返してしまいました。 それは最近になって「ワクチン、ヤバいよ」の件、多く聞くようになっていることと、数日前に中日の投手がワクチン(モデルナ)接種後に変調をきたして亡くなっていた・・・というニュースがあったからです。 27歳の健康バリバリと思えるアスリートがお子さん二人をのこして突然逝去するなどの悲しい現実、そのワクチンというものに不信を感じざるを得ませんね。 原因を「ワクチン接種による心筋炎の疑い」とのことですが、その手のことが何故今になってからニュースになっているのか、その「やり方」(これは特に国の)に不信を感じます。 そういったネガティブニュースは伏せたいといった理由をも思います。 野球選手の件、奥方は「人それぞれの体調にもよる、たまたま。タイミングが悪かった」とはいいますが、それ・・・イチかバチかってこと? さて、「壇特」について。 先日はたつの市からのお客様の件、記しましたが壇特というと彼の地には「壇特山」(太子町)がありますね。 名称もそうですが古戦場でもあるその山の古い歴史に興味をそそられます。 また、その名は国内では香川県にも見えますが、本家本元といえばガンダーラ(アフガニスタン)の壇特山です。 釈迦が修行したといわれる山と云われます。 兵庫県の太

  • 木戸城隣接墓地再訪 野辺送り蓮台と前卓

    昨日は、朝方のデタラメな降雨を見て「ハイ、今日もいつもと同じね・・・」というのが奥方との会話の第一声。 天気予報ではお日さまマークがありましたが、最近の予報は「まったく信用できない」ということで、「今日こそずぶ濡れ」と覚悟していました。 それは法要の最後のお墓参りが牧之原の台地から伸びる丘の東側。雨が降れば風もキツイ場所でした。 ところが不思議というか、昨日の予報はアタリだったのです。 開式直前頃から遠州の空は晴れ渡りました。一番の遠方からの参列者は名古屋からだといいますが、高速道路の走行は酷いの一言だったそう。 新東名高速は法面が崩れて通行止めになっていましたからね。 午後はズブ濡れかつ溢れかえった花ガラの袋を日の当たる場所に引き釣り出して天日干し。火曜日まで「雨降らないで・・・」が次のお願いになります。 そして繁茂する「檀特(ダンドク)」の種を採取選別したあと休憩していると檀家さんが来訪。 コロナワクチンの話になりましたがその方は「実は・・・一度も打っていない」とぶっちゃけられました。 「あんなもの打ったら殺されちゃいますよ~」と。 そういえばそれを打つようになってから神経に触れているような痛みやら手の震えが起こるようになりましたし今年になって高齢者の葬儀が増えたような・・・。 その方の淡々と説得・・・ではありませんがやはり私は「4回目は打たない」の腹積もりです。打って「ハズレ~」(酷い副反応)になったら後悔します。 周囲には「打たないよ~」「もうやめた~」という人がまたぞろですし皆異口同音に「あんなものヤバい・・・」。 3回接種してもコロナに罹っている人たくさんいます。 まぁ、打ちたい人は打てばいいのです。 さて、先日は木戸城再訪の件、記しました。 前回ブログでも記していました木戸城の脇にある墓地にある蓮台、そして前卓(まえじょく)を。 前回はその画像はupしていませんでしたからね。 この手の墓地に設えた昔ながらのグッズたちについては拙ブログ頻出のものですが、しっかり年号まで見えます。 墓地の西側、棺を北枕にして棺を置き、前卓は三つ具足の荘厳、中央には名号を掲げたなどなどが想像できます。 というとその前方が火葬場?ということになるのでしょうか。 勿論、今周囲に散らばって見える墓石たちはこちらには無かったはず(長因寺の無縁さん)。 墓地周囲には手が入っていて木々は伐採されてスッキリしていました。 奈良辺りのそ

  • 姫路近く、たつのからの突然のお客様

    驚いたこと嬉しかったことたくさん。 驚かされたことその①はあの感染再爆発の様(コレは予想通り)、京都祇園祭の「復活」を放映していたNHK番組。スゴイ人が集まっていました。 準備が念入りだけに突然の状況変化に「やっぱり中止」とは言いにくいのでしょう。 感染力が強い株と聞きます。こんな調子で賢いウィルスにお許しをいただけるのでしょうかね。 祭りの意趣は「疫病退散」、さぁどちらが勝つか・・・テレビモニターからは感染しませんので大口が叩けます。 それにしても「京都は雨が降っていないのかよ~」というのが私の第一声。 ここ相良は一日中大雨警報が出ていたような・・・ 午前の法事、10時前頃の土砂降りは特に酷いものがありました。 しつこい降雨とその大量にはほとほと驚かされますが、まだまだ続きそう。もはやこの湿気には不快以外のものを感じません。水不足の解消?・・・「辟易」に変わっています。 一番に驚いたことは、午後からの来客です。 前日に電話があって「明日9時に姫路を出てそちらに向かうが住職は寺に在るか?」というものでした。 その旨奥方に伝えると「知っている人か?」・・・「いや、知らない方だ」と私が応えると「仕置き人による所在確認だね・・・」とニヤリ。大いに脅されました。 ここからはいつもの我が家の冗談。 そんなら「脇差を持って対面するか・・・」、「刀は左側に置くか、右側に置くか?」と奥方に問い返せば「いくらなんでも右手側だろ」(最初から喧嘩腰はイカン・・・)と。 というワケで玄関右手の長槍の掛かっている部屋の襖裏にそれを立てかけておきました。 ちなみに当家には銃刀法に触れる刃物はあちらこちらに転がっています。 かつて息子がそれを外に持ち出した時は冷や汗をかかされましたが・・・警察官の虫の居所によっては文房具のカッターでさえ検挙されるご時世ですからね。 そこへ現れたのが私よりあきらかに年上のご夫婦とその母親らしき御三名。 まったく失礼なお話で、刺客などではありませんでした。 映画の観すぎ・・・だいたいこんな小者にどんな恨みが・・・と奥方。 ただお参りに立ち寄って無量寿茶を所望されたということでした。拙寺のサイトを見て知ったようです。 途中酷い雨に見舞われたそうですが「ガソリンスタンドはどちらに・・・」とガス欠寸前だったよう。 何しろ姫路となるとちょっと気楽に・・・といった距離ではありませんからね。 「いつも姫路城が見られてイイです

  • 定説は成瀬の城だが 木戸城 相良灯篭流し中止

    相良サンビーチにて相良仏教会による水難者供養の集まりがありました。 主催は観光協会、市長さんはじめ議員さんは勿論、警察、消防、救護関係者が集まります。 そして前夜から朝方まで土砂降りというのは最近の恒例のこと。 今年の相良のビーチには「海の家」の営業がありませんので法要は屋根が無いということになります。よって「ずぶ濡れ覚悟」ではいましたが、朝行けば急遽テントが設営されていて何故かその時間だけといってもいいくらい雨があがっていました。何ともラッキーなことで有難し。 そのあと再び雨が強くなっていました。 そして、伝達事項としてあったのが「今年の灯篭流しは中止になります」・・・。早く決めれば余計な準備は不要ですからね。 これからドカンと増えそうなコロナ感染者・・・適切な判断かと。 さて、三河から駿遠にかけて(殆ど三河ですが)真宗大谷派の寺院に16か寺(テキトーに数えました)を数える「石川」があることを昨日記しました。 先日も長因寺にお参りしたこと(重ねて)を記しましたがその近くに成瀬の木戸城があります。 その際、木戸城にも久しぶりに寄ってみました。 殆ど改修改変の跡は見られませんでしたが、春日神社の杜、全景を撮影してきました。 いかにも鉄柱と電線が無粋ですが、この右側の土手が矢作川。 対岸が岡崎市になります(場所はこちら)。 当時のことを想像すれば、河川の流れの位置も変わるかもしれませんが、殆ど矢作川の河川敷に建つようなものと感じます。 水運の利便性は捨てられませんが、「中島 浮島」の状態を幾度か経験しているでしょうね。 長居はできなかった城塞と思われ・・・ 神社社殿の前に建つ掲示板の通り、「成瀬の城だが石川も・・・」の感覚がわかります。 ②は「二葉松」の木戸城の記述。

  • 本多 安藤 石川が三河系大谷派寺院三大苗字

    昨日も降りそうで降らず、晴れそうで晴れない・・・どちらにも煮え切らない一日。 84歳の独り住まいの女性がシニアカーでお参りに。 足腰の具合が悪いので本堂に上がることができないと悔やんでいました。 スロープの使用を勧めましたが、庫裏の玄関にある九字と十字の名号、そして親鸞さんの像にお参りして「おゆるしいただく」とのことでした。 その方は以前自転車で転んで腰を強打してから神経の具合が悪くなり「このところいよいよ足の動きが覚束なくなった」と。 食事やら熱中症やらたくさんの心配事がありましょう、「困ったことがあったら気軽に電話してね・・・」と言って別れました。 お話を伺っている際、実は先般「こんなことがあった」・・・ それが、如何にも「まともでしっかり」した若い男がやってきて・・・(しっかりした・・・とはビシッとスーツとネクタイ、革靴に皮の鞄というスタイル・・・そう) 「では私とは大違いね?」と笑いながら、その人が「お宅で昼食をとりたい」(昼食用の弁当を持っていたのか、昼食を出してほしいということかはわからないとのこと)と言い出したそう。 さすがに「こりゃヤバい」と思って玄関をピシャリと閉めて、完全無視、その件以来玄関は閉めっぱなしにしているとのこと。 国道沿いでありながら人の往来は滅法少ない場所です。 何しろこの社会は年配者を喰いものにしようとする悪辣の横行がやたらと目立つようになりました。 世の中、キレイごとの多数を見聞きしますが「真は嘘ばかり」と言っては短絡的でしょうかね。 ワルい奴、いっぱいで溜息がでます。 本日も勝鬘寺。 御内陣にはご本尊に御開祖、そして蓮如さんに聖徳太子の各像が鎮座しています。 拙寺はご本尊以外はすべてお軸ですからね。 あの黒光りする像の整列はさすがです。 ただし、当流は像でなくて、軸(絵像)でいいよ~、そしてまた絵像でなくて名号でいいよ~という蓮如さんの言葉がありますように「どうでもいいこと」でむしろ字の並び(名号)が一番イイのだよ・・・とありました。 さて、一昨晩の三河一向一揆のNHK番組の内容は以前記したブログ、上宮寺釋尼妙春のところで記したところではありますが番組で紹介された本證寺門徒連判状について。 天文十八1549年に本證寺の武士115名がご本山の護持と本證寺に何事があっても護るといった誓約書を記したもの(最後の画像 ネットから)。 筆頭署名は「石川忠成」(清兼)で、石川一統だけで

  • 「心は花に なさばなりなむ」河井継之助を愉しむ

    朝方までは小雨があったようですが、昨日はまぁまぁ良い天気。 その陽ざしには少々の驚きはありましたが、前夜にネット予約していた映画館へ奥方を連れて。 最近の映画館に足が遠のいていたのは、ハッキリいってコロナの件もありますが、そもそもその映画への食指が動かないというところ。 齢を重ねたということもありますが、どうもお子様受けを狙ったかのようなそのオンパレードには「ついて行けない」・・・というのが本音。 まぁその手の傾向が強くなったということは私など少数派なのでしょうね。 会員になって「6回観れば1回タダになる」としきりに宣伝していましたが私に言わせればそれは「タダの苦痛」としか・・・ 憎まれ口はそのくらいにして、昨日の上映は「峠」。 以前ブログでも何回か記していますが、内容は映画館で。 この件友人の「奥の墓道」氏は「歯がゆさばかりが残る」ので(コロナ感染者増大もある・・・)「ヤメておけ」の忠告がありましたが、このまままごまごしていれば映画館での上映期間が終わってしまいますからね。 ちなみに「歯がゆさ」というのが結局は「薩長の破廉恥(継之助の台詞)にボロボロにされてしまうというところ。 まぁ、私の念願のシーン、ガトリング銃をぶっ放す画はしっかりありました。このガトリング銃についての情報は今井信郎の記述にもたしかありました。 奥方は継之助の「わかっちゃいない」ところは私に似ているといいます。 継之助が妻の「すが」に「たまにはいいところに連れ出してやる」と言って連れて行ったのが「芸者遊び」。 そんなところ(女にとって)「面白くも何ともないだろ」。 私も「ハカ・テラ・シロと連れて行かれるではないか・・・」。 映画の最後に歌われた歌(古今和歌集)が表記。 かたちこそ 深山がくれの 朽木なれ 心は花に なさばなりなむ でした。 今年の盂蘭盆会のテーマ。 齢を重ねて(ボロボロになったとしても) 心さえ(気概)を持ってすれば 花など咲かせてしまう いい歌です。 演出用でしょうが扁額に軸の文字を各目で追っていました。 やはり歯がゆいものがありましたが、観てよかった。 「役人は民の僕」の語もしかり・・・ 長岡が独立国家となるなど想像が付きませんが、河井継之助が生き残っていたら・・・のたらればを考えてしまいました。 画像は昨日記した勝鬘寺の外構と看板。夜間のNHKの「一向一揆」を扱った番組は録ってあとから。 境内地は一段高くなっています。

  • こんなNHK番組はうれしいね 勝鬘寺渡辺高綱の墓

    それほど酷い雨にはなっていませんが、何故か当市には大雨注意報が出ていました。 昼間はクマゼミも待ちきれずか、地味目でしたが合唱があって一応は彼らの「夏」が始まったようです。 またそしてコロナ感染者数、トーキョーの11511人(静岡1882-牧之原市2人)のスゴイ増え方、勢いには唖然。スゴイ感染力。 どちらの地てでも感染者数の記録を塗り替えるような勢いになっています。 来月初めには「トーキョーで5万人」という予想もありますが、大変なのは医療従事者だけでしょう。 社会のあり方(経済をまわす・・・とやら)に恨みつらみをぶつけてください。 もっと増えるとすればすべてが廻らなくなるのでしょうね。 昨日はトーキョーの「女墓場放浪」から「有給を取るので夫婦で遊びに来い」などのノー天気なお誘いを受けましたがどう考えても今はムリでしょう。 また昨日見えた檀家さんから。 10月のお寺の遠足に行きたいと思っていたが「この分ではムリでは・・・?」と。 私も同感。 今度また中止順延になったとしたら・・・いったい何度目の順延になったのか、たしか6回目かなぁ?忘れました。 いつもの「勝手にしやがれ」ですが。 早いところ飲み薬の流通を望みます。 私どもの場合、「盂蘭盆が終わったら、久々に映画館に行こう」というのが当面の希望だったのですが(雨降りに最適)少しばかりイヤな感じになってきました。 奥方には「映画館で感染した話は聞かない・・・」などと説得していますが、2時間弱の間マスクの着けっぱなしの観賞、耐えがたいのかも。 さて、今のところのお楽しみはテレビ。 来年の大河ドラマ「どうする~」でも一つのテーマとなることは必定。 史跡研究会のストローハット氏も録画設定して見逃しはナイと豪語する「英雄たちの選択」の今回のテーマが「三河一向一揆」です。 英雄たちの選択 「家臣団分裂!若き家康・最大の試練~三河一向一揆の衝撃」[BSプレミアム 2022年07月13日 午後8:00 ~ 午後9:00 ですね。 画像は1563(永禄六)~1564の三河一向一揆に戦場となった勝鬘寺(岡崎市針崎町朱印地3)本堂裏の墓地。 勝鬘寺は三河触頭三ヶ寺(勝鬘寺・上宮寺・本證寺)の一つ。 拙寺七代として入り婿した祐信の順成寺は勝鬘寺安藤からの系 でした。 番組ではより城郭らしい遺構の残る本證寺が取り上げられるで でしょうが・・・ちなみに本證寺が江戸期までの拙寺の本山への手接ぎ寺

  • うれしさを~こよひは身にもあまりぬるかな 一帖一

    やっぱり再びの「梅雨入り」の予感。 週間天気は雲のち雨のオンパレードでした。 予報では「太平洋高気圧が弱まってその淵にそって日本列島に湿った空気が流れ込むから・・・」それを見て私は「何のこっちゃあない、それ梅雨じゃん!!」と奥方に。 というわけで昨日の久しぶりの日差しは貴重でした。 境内の花たちも元気を取り戻したようですがこれからの時間また気の毒なこと。 昨日は月曜日でしたが、御当家の都合によって法事がありました。 80代女性の方がいらっしゃいますが以前とは違って杖を片手にして歩に相当の危さを感じさせました。 つい、私も「どうしたの?」と伺えばそのご家族の方が、ワクチンを打った途端に倒れたとのこと。 発症は脳出血だったそうですが、その件ご家族の方はワクチンの副反応であると断じていました。 その手の話を耳にするとどうしても4回目の接種について考えてしまいますね。 「齢だからしょうがない」のレアケースで片づけられるのではかないません。 さて、盂蘭盆のテーマは生老病死の無常。 「病に関してはしょうがないが、対応ヒントはある。老に対しては大いに抗おう」でした。 昨日の法話も健康長寿。「楽観主義は寿命が伸びる」ところから始めて「病は定業」のところ。 どうにもならないことについて「悩むな(心を痛めるな)」でした。 病を得て死するは「非業にあらず」というところですね。 こ蓮如さんの御文「疫癘」に記された当流の理念ですが、実はこちら、そこは宗教の(特に新興の)肝なのです。 要は「病気になった」ことそれによって縁者が死したことに「理由」を探し、あるいはこじつけ、そのような時にまず大抵は「ご先祖様が・・・」「あなたの信心が足りない」などのフレーズを出して、相手の「悔やみの気持ち」を刺激、不安を煽ってその解決のための「キー」を提示するというパターンですね。 その鍵をゲットするために宗教指導者の言うがままに(洗脳)多額の献金をしてしまうという流れ。 まぁ私ども宗旨は「病気は定業」であるので「拘るな!!」というところ、ハナからその「病」のネタで人の心に踏み込もうという魂胆はありません。 ここ相良でも早世した子を持つ親たちに「その理由はこうである」と説く「変な電話」があると聞きますからね。 まずそれは不幸の上塗りに繋がるというか弱り目に祟り目。 また、弱い心に付け入る悪辣、その手の宗教詐欺と思しきものは枚挙に暇がありません。 病と死は場合に

  • 蓮泉寺石川墓域ウラ 本城公園小川城址的場 猟漁

    再びの梅雨入り宣言でもしたらどうだい・・・とブーたれたくなるような不快な天気が続きます。 昨日も法要があってやきもき。 施主家より「予報では雨だったからラッキー」との談がありましたが、墓参が終わるころから雨に見舞われました。 「運がイイ」「幸運」の巡り合わせ・・・とは言いますがそれを私は「ご縁」と。そしてまた多々ある「不運」「ツイてない」も「ご縁」ですね。 余計な事ですがその「ついてない」の語を記したりすると「ついてないぜと苦笑い」(RCサクセション「いいことばかりはありゃしない」)の歌詞やら映画の中の台詞「今日はツイてないぜ」等々を思い出します。 運のイイ人悪い人、運の良しあし・・・「まぁ、色々ある」(アルカポネ役デニーロの台詞)も。 まぁ一般人としてはその手の台詞を吐くシチュエーションはまずないでしょうし、やはり何事も「ご縁」として承るだけですね。ちなみに「ご縁」といえば我らはこれも「如来さんのはからい」だから・・・と了承するのでした。 しかし、なんとなくその語には哀愁が籠っていて聞いている方、見ている方こそがニヤリとしてしまうのでした。 あるギャング映画のラストで、FBIに撃ち殺される前に「今日はツイてないぜ~」には「奥の墓道」氏と爆笑したものでした。 たしか30年以上前の映画だったような。 昨日の法要の締めの御文拝読は「猟漁」(りょうすなどり)。 真宗の教えの真骨頂のところで、私の好きな御文の一つです。 御文の拝読で何を選ぶかは一周忌~三回忌あたりまでの「白骨」(五帖-十六)の拝読という暗黙の了解がありますが、それ以外は各自由というのがスジ。 カラオケのページを捲るのと同じようなもの、真宗の坊さんなら "my favorite"を持っていますね。 その「猟漁」の中でも私のもっともお気に入りの箇所が冒頭の 「われらごときの いたづらもの」のところ⑧。 まぁ私など小さいころからそのフレーズを度々聞かされ続けていますので親しみ深く、ここもニヤリとさせられるところですが、ココはいわゆる「悪戯」の方ではなし。 「いたずらもの」とは要は偉くも何ともない「フツーの人」のこと。 では本文を。 「まづ当流の安心のおもむきは、あながちにわがこころのわろきをも、また妄念妄執のこころのおこるをも、とどめよといふにもあらず。 ただあきなひをもし、奉公をもせよ、猟・すなどりをもせよ、かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどひぬるわれらご

  • 当日も「ありがたさ うれしさ」ただそればかり

    昨晩というか夜中から早暁まで当地は強烈な、盥をブチまけたような雨が降りまくっていました。 以前修繕した雨漏り箇所も何度か目視に行ったほど。 おかげさまで何ともありませんでしたが・・・ 掛川辺りでは「雷も酷かった」といいますが午前3時辺りにたて続けに2度ほどスマホから「土砂崩れ警戒警報」?なる警告音が鳴り響いて、慌てさせられました。 以後激しい雨音の中、殆ど寝付くこともできず、うとうとレベルの眠り。 前夜の天気予報では「本日と同じような天気」と言っていましたので「どうせ朝にはやんでいるだろう」の超楽観。 すると「うれしや・・・」、起床時には雨はあがっていました。 まさにガッツポーズですね。 昨日は10時と18時の2回、盂蘭盆会法要でご門徒さんをお招きする日でした。 雨がストップした朝方からその時間まで「なんとか大人しくしてくれよ・・・」と思いつつ内心ひやひやでしたが、その2回の法要まで傘の出番はありませんでした。 まさにこれこそ「御ありがたさ 御うれしさ 南無阿弥陀仏」です(昨日ブログ)。 阿弥陀さんは私のことを「見ていてくれている、気にかけてくれている・・・」と思った次第です。 2度目の法要が終わった19時以降、雨は再びドン降り状態。 この地区には再び各災害警報が発令されていました。 ああ、うまいこと「今日一日を送ることができた」の「ありがたさ うれしさ」・・・おかげさまの気持ちで一杯です。 先日の「七夕・・・棚ぼた・・・棚からぼた餅・・・僥倖」ということで。 歎異抄の「ひとえに親鸞一人がためなりけり」の語を思い出しました。 「ひとえに私一人がためなりけり」と代えて・・・ すべてのことに感謝します。南無阿弥陀仏。 画像は昨日法要のPPで使用したコマ。 プロジェクター+スクリーンに各モニターに出力しています①。 蓮如さんの「疫癘」の拝読、そしてその中の言葉を紹介し、「白骨」(五帖-十六)からもお気に入りの語を・・・。 テーマは「健康長寿」で、その中でも突っ込んだ内容は血管について。 父が脳梗塞で倒れた時の状況を目の当たりにしたこともありますが今回はその「老化こそ毛細血管の消滅である」と決めつけて今流行りの「血管伸ばしストレッチ」を紹介したというところ。 「ノーストレス、コミュニケーション、協調、楽観、怒らない」の件も・・・ ②⑤は老化も病気も「定業」だからしょうがないけれど・・・の前置きでした。ちなみにその反意語が

  • 御ありがたさ 御うれしさを申す 御礼のこころなり

    うんざりするほどまったくの「梅雨」感。 「明けた明けた、暑い暑い」などとのバカ騒ぎ、一体何だったのでしょう。 どうやら空歓びをさせられたようです。 昨日は夜間から朝まで雨。じとじとムシムシ不愉快この上ない庫裏で盂蘭盆会法要の支度。 エアコンを適宜オンにしてあたふた。 昼前には雨がやんでいましたので花ガラの袋を空にするために地頭方の処理場へ。 雨で湿気を含んだ花ガラの扱いは無茶苦茶気持ち悪し。 何事もお天気がカラっとしてくれないと・・・。 夜間もずっと酷い降り、法要も怪しい気配がします。 ということで毎度の「勝手にしやがれ」。 午後は多方面からの来客がありましたが、遠方の方だと茅ヶ崎から。 一泊で静岡の温泉に入ってから墓参りに来られたとのこと。 お昼は鰻屋さんだったようで奥方も加わって食べ物の話題となりました。 小田原辺りにも遊びに行くということで私の好み、お堀端通りの「松琴桜」の件。是非にと勧めました。 岡崎の「はせべ」のカリカリ触感も悪くない・・・などとも。 七月という月は私と息子の誕生月とあってとかく「めでたくもあり めでたくもなし」の語が行き交います。 私も息子も「ええっ・・・」と思わさせる年齢となったことを気づかさせられるのです。 奥方まで「ついこの間まで・・・」と毎度の溜息をつくほど。 拙寺の法要のお話の進行はPPを使用するのが最近の傾向。 どちらかのお寺さんでは紙芝居風のボードを捲って使用する法話といった話を聞いたことがありますが、PP(パワーポイント)は至極便利です。 昨日午前はそれに手を加えていたわけですが、御文は最近継続中の「疫癘の御文」(四帖-九)。 お話の中心となるテーマは「健康長寿」ではありますが、その疫癘の御文からの文言、私が最近ハマっている 「御ありがたさ 御うれしさを申す 御礼のこころなり」の称名(南無阿弥陀仏)の意味を重ねて記しました。 「御」×3の特異な箇所、蓮如さんの思いが表れています。 いのちを全うすること・・・それもテーマになっています。 ①当家におけるその念仏の対象。 左が「五六八(いろは)」、右が「なな」彼らもかなりのお婆さんになりました。 ②~は三河の某墓域、②③は平岩と石川の墓地が並ぶ図(昨日)。そして④成瀬一統の墓域。 大河「どうする~」では勿論その「成瀬」の登場を期待していますが・・・

  • 小川町志茂 蓮泉寺石川政康 チャキチャキの真宗有徳人

    七夕といえば当家の習いは、ぼた餅を喰らうこと。 当家と言っても私だけの趣向ですが、それを所望して店に奥方と。 言葉遊びです。棚からぼた持ち、棚ぼた・・・七夕。 今日のそれは失敗、胸ヤケぎみになりました。ぼた餅も奥が深い。 ここへ来て島根がぶっ飛んでいるというのは驚きです。 急増する新規コロナ感染者。 いよいよ覚悟が必要ですね。 私ども庶民レベルもそうですが政府は選挙前ということで判断先送りのいろいろ。 再び後手後手対応となれば「間抜け」の汚名をまたも着せられること、御覚悟を。 特に先般「様子見、判断繰り延べ」の判断をした、国産コロナ薬の承認の可否について、「7月20日」に判断が出されるようですが一応コレ見ものです。アメリカさんに遠慮して再び様子見にするか・・・それとも。 不祥事色々がバレても「絶対やめない」と勇ましかった英国のジョンソン首相が突如として「やめる」と決断したようです。 英国人、なかなか大したものです。 ヤメルの結論を出したこともそうですが、引き釣り下ろしたことも。 日本だと、周囲の忖度雰囲気が覆って「責任を取ることでもないでしょう・・・」などと肩を持って「ヨイショ」の嵐吹きまくり。 根っからの図々しさもあいまって現状維持。 時間が経って無かったことにするなどこれまでガッツリと地位にしがみ付こうという醜態を見てきたものですから、いたってこの英国劇場は新鮮に感じました。追い込まれたとはいえ、まぁ潔かったと。 少なからず日本の政治家として名乗りを挙げんとする者の中に昔のジャリタレ(差別用語でしたら失礼)の如くのチンプンカンプン氏の立候補には辟易。 当選したとしたら「世も末」なのかも。 どうでもいいことですが・・・ しかし誰もかれも「われこそは・・・」の大挙立候補の姿を見て、やはりその仕事は「オイシイ」、「一度やったらやめられない」と思ったところ。 またそれと同じような場所が刑務所のような・・・。 そこに「入りたい」「是非行きたい」「戻りたい」という人が時に登場し、人を無差別に傷つけるなどの事件が起こるのもそこがそれほどいい場所ということなのでしょうかね。 どちらの皆さんの心情にもまず近づくことはできませんが前者の街頭演説を見ていて「よくもまぁ・・・」と思わせることばかり。 ウソ八百のオンパレードの様、いよいよ誰も信じられないという気持ちが・・・アレばかりは自身教祖となる新興宗教のようなものだと思うばかり。

  • 小川町志茂 蓮泉寺裏石川台嶺「護法有志墓」

    昨日のコロナ。トーキョー8341人静岡853人。 これはやはり第7波が来たという感じ。 お調子にのって盂蘭盆会法要の分散させない通常パターンの開催を決めてしまったこと、時期尚早の語がチラっと頭をよぎりました。 ここまで来たらいつもの「勝手にしやがれ」の心で誤魔化します。大の字になってひっくり返ってやりすごす・・・それだけ。 叔母の施設から「4回目を打ちました」の連絡がありました。 しかしながらその4回目については私の知っている限りいたって不評。というか4回目はやめた・・・という人が多いような。 都内の医療従事者の友人は、「みんな(先生も看護師も)打たないって言ってるよ」とまで。 息子は3回目も接種していないくらいですが、その副反応を恐れているか接種に意味がナイと判断しているか。 私どもなど通勤ラッシュなどに揉まれる機会は皆無の身。 ワクチンの意味が薄弱ならば余計な副反応は味わいたくありません。それでいて打った方がイイという論もあってどうしたものか悩みます。ただ国のどんぶり勘定の統計の一部に組み込まれるのは御免ということ。 私の数値目標・・・「牧之原市で三桁・・・」でしょうかね。 様子見。 さて、昨日の石川台嶺の墓は蓮泉寺(小川町志茂)本堂のスグ裏にあるのですが、その本堂の裏側に通る道筋に2区画に分けた墓域があります。 左に石川政康、右側に「護法有志墓」なる墓碑と台嶺の紹介が記された看板が建っていました。 本日は「御法・・・」。 一番に気づくところは看板にある「石川台嶺似影」の法名。 「常心院釋了圓」です。 法名の釋了圓の名のりは当然というか生前からのものでしょうが院号の「常心院」については墓碑(昨日)のそれ「誠心院」と違っています。その読みは「じょうしんいん」で同じ。 院号というものは本山から下賜という建前がありますのでどこかでこんがらがってしまったのか・・・ まぁ墓碑、墓石の類の方の信頼性は低いというのが私の経験則。 あまりアテにならないのは、石屋さん、石工が文字を彫る際の誤りが結構に見受けられるところ。 ⑦は台嶺が獄中から妻「おとしどの」へあてた書状の文末の辞世の句。 「 露の身は こゝかしこにて きゆるとも 心はおなじ 西のかのきし 」 下図は墓碑に刻まれた各有志の名は特別展図録から。 そして先般記した西尾の台嶺殉教記念碑の文字も。

  • 石川台嶺の墓 蓮泉寺本堂内部の補強材にも合点

    昨日の法要のあとの墓参は本堂でそのまま行いました。 台風による雨雲の発達に付き酷さはないものの朝からずっと雨降りでした。 車椅子のお婆さんがやっとのことで本堂に上がっていただいたところで、墓地まで皆で行くというのは無理だろうということ、施主からの提案がありました。 そしてそのお墓が本堂の真裏、阿弥陀さんの後ろにあるという点も一理。 法要終了後は雨はやんでいましたが、墓地は車椅子での往来を考慮していない作りですからね。 拙寺だけでなく、丘の上に造成したような墓地など、身障者・年配者への配慮は微塵もありませんからね。 拙寺の場合は「絶対無理」とは言えませんのでまだマシではあります。 昨日の墓参断念はあくまでも降雨というところでした。 東京から一泊で来られた方たちもいらっしゃいましたがまさかこの7月初めの台風による嫌がらせは想定外だったでしょう。 その東京ですがコロナ感染者の増え方は一気の感。 4/28以来の5000人超えでした。当牧之原市も15人と久々二けた。 ここまで緩んだからには再び酷いことになるような・・・ 減っては増え、減っては増え・・・この繰り返しがいつまで続くのか・・・いつか私も大当たり・・・嫌な感じ。 さて、蓮泉寺。勿論石川台嶺の墓はこちらに。 本堂阿弥陀如来は先日登場済みですが外陣の格天井を眺めていれば外部の鉄材の耐震補強材(昨日)に続き壁を渡す補強材に目が留まりました。 各柱をこのように留めるという方法も検討課題ですね。 簡単そうですがボルトの下穴をあける際、乾燥したその材にクラックを入れるというヘマをやらかしそうな気がします。 その本堂裏に石川台嶺、釋了圓の墓がありました。 他より一回り大きな墓碑となります。

  • 蓮泉寺本堂に見る耐震対策 楽観主義者は長生き

    ホントは梅雨は明けていなかったのでは・・・と思うここ数日の天気。空を見上げて恨めしや~。 週間天気予報を見てもこの先まさに梅雨の如く・・・が続くよう。 せめて盂蘭盆会法要の九日の土曜日は何とかなって欲しいのですがねぇ。 先日は長因寺の掲示板から楽観主義者「オッドボール」について記しました。掲示板の文言は「人生はネガティブで当たり前」でした。 そこのところ私は「ネガティブであっていい。阿弥陀にまかせるだけ」と解釈しましたが。 というのも人間すべてが楽観主義を崇拝しているのではなく、根っからの悲観主義・・・とは言わないまでもその楽観にはまず、なじめないという人もいるわけで、ただ単にその「楽観はスバラシイ」の主張と雰囲気がまかり通ったとすればそれら楽観にはなりきれない人の心を捨て置くことになりかねません。 お寺の掲示板はそんなところを伝えようとしているのでしょうが、ここ数年「楽観主義は長生きする」といった内容の記事が目につくようになりました。 「オッドボール」のキャラに好感を持って齢を重ねてきた私にとって何とも嬉しい論です。 「楽観的度合いの高い人はより長生きする傾向にあり、特に85歳以上の人には顕著である」というものです。 ネット上で「楽観主義者 長生き」の語で検索すれば出てきます。 また「ストレス」をストレスとして感じない精神、またはそのトレーニングも必要でしょうね。「今からでも遅くない」とも言います。 映画のキャラ「オッドボール」と言うとピンと来ないでしょうから、日本人のキャラクターで喩えれば「植木等」でしょうかねぇ。ノー天気は時に他人様に迷惑かけることもありましょうが、ある意味図々しさも必要かも。 また一つ自身の楽観主義は他人を悲観に陥れる・・・かも・・・などと少々思いがちになりますが(それで生かされてきた、きらいがありますので)まぁそれは置いておいて、皆が楽観的スタンスにあればいいのですから。 ストレスのない、あるいはストレスをストレスとして感じない、溜め込まない生活をおくることが肝心でしょうね。 ストレスは心の炎症です。 そのキズがじわじわと広がって大きなダメージに成長していくこともありましょう、そして肉体の変調として病が現れることもあるからです。 楽観主義は長生きの秘訣・・・何事もケセラセラということで。 さて、地震被災に関して。 それもさらりとケセラセラとは言いたいところですが・・・、しかしまたそれを深

  • 西尾 大浜事件特別展の帰り途 法行寺

    面倒な厄介ものが南の海からこちらをうかがっています。 恒例とはいうものの予定が台無しになりますね。 スケールとしては大したことは無さそうで雨が主体でしょうが、西から日本列島に沿うように北上するコースは、日本に住んでいる私たちは地域の当たり外れなく漏れなくその「面倒」を被ることになります。 自然のものですから「おまかせ」する他はありませんが、それに人の誤った判断、人が作った構造物の欠陥が災害に繋がることも多々ありますから。 熱海の盛土崩壊事案から1年経ちますが、その手のものがまだこの社会にはまたぞろあるとのこと。 金儲け主義の業界の形振り構わない行状を容認してきたお上の罪は重い。市、県、そして国。 容認にはバック(マージン)、利権が付き物。 懐を肥やした輩がいたと思うのが普通ですね。 さて、先日は長因寺のところで記しましたが長因寺の石川姓も 蓮泉寺の石川姓も法行寺石川姓との関係は「よくわからない」との法行寺住職の印象を記しましたがこれは法行寺発祥の経緯の事。 「よくわからない」の回答はいたって適切です。 それが「歴史」の当然のところですからね。 文献があればそれにのっとって「推測」するだけですから。 しかしながら私の勝手な推測をすれば法行寺「石川」はどちらかといえば蓮泉寺「石川」に近いような気がしないでもありません。 私など毎度勝手に想像力を働かせるばかりです。勿論その余計な想像力とは私の父の母親(要は私の祖母)が法行寺から拙寺に嫁として参ったからですが・・・。 真宗王国といっても過言ではない三河安城に育ち仏法といえば「六字名号」しか知らない人にとってこの遠州のド僻地の相良の水はさぞかし苦かった(合わなかった)でしょうね。 何から何まで・・・ そもそも法行寺の歴史は深く、開基は天元二年(979)で応仁年間(1467~)に蓮如さんに帰依するまでは天台宗。 真宗寺院としてリスタートが拙寺よりも約100年も遡ります。 その時から現住が28代を数えるところ頷けますね。 その法行寺の数代前に「高野-たかの」(天保十三~明治三十七)という坊守がいたといいます。 その「高野」が順成寺十世の了皆(布界)-専覚寺の二男-と妻「けい」との長女。「けい」蓮泉寺了遷の娘でした。 そもそもその「けい」は順成寺九世「得成」の妻でしたが逝去のためその長子、のちに順成寺十一世となる「見成」の成長を待つため順成寺にピンチヒッターとして入ったのでしょ

  • 藤川本陣石垣 昨年の吉田「レック」火災のトラウマ

    昨日は消防署員の方をつかまえて、仕事の内容根掘り葉掘り。 私の興味の1と言えば去年起こった家庭用品メーカー「レック」吉田工場の火災の件。 消防署員3名と警察官1名の命を奪った稀なる火災事案。 私が映画の中でのみしか覚えの無かった「バックドラフト」の語とその脅威をあらためて知らされたものでした。 つい最近まで近くの道路からその無残な姿を晒していしましたしこの地域の人はその大火災の件知らない人はないでしょう。 「あの日のことは忘れられない」の如くの感、署員たちにはその残像が未だ頭から離れることがなく精神的ダメージを引きずっている様でした。 火災消火にあたっての第一の命題は署員の人命であることは当然のこと。 そのプロフェッショナルな精神で消火活動に当たろうとしてもそういった事故は起こってしまうのです。 あれから幾度か研修会が催されたと。 私ども坊さんはそれを「まさかの坂」などと語呂を洒落て言ったりもしますが、まさに信じられない、想像を超えるようなことがこの社会では頻繁に起こっていることも現実。 たまたまそこにその「坂」があったのでしょうが、ちょっとしたところにその坂を転がり落ちないで済む「何か」があることも事実。 注意深くそのヒントに気づくことができる幸運に巡り遇いたいものです。 その興味の2は先日記した一過性脳虚血発作(TIA)の諸症状の状況があった場合、「即座に119」の可否についてです。 勿論、その症状の場合は考えることなく間髪入れず「119」を・・・とのことでした。脳梗塞のヒントですからね。 ヤバい、いつもと違う・・・と思ったら即「119で」OKです。 「何でもなかった」ということで回復したとしても「心苦しく感じる」は何ら不要。 救急隊は「何事もなくて良かったですね」の心情だとのこと。 何故ならそれが仕事だから。 ちなみに救急ヘリは浜松から飛んでくるそうですが、第一報のドクター判断でヘリは離陸するとのこと。 飛び出したあとから近隣病院で対応が可能であると判明したとしても「良かったね・・・」で帰還することままあるそうです。 できる限り早く対処するために現場の報告から判断してヘリが「まず飛びだす」ことがあると、このシステムは素晴らしい。 利用しない手はありません。ヤバい、いつもと違うを感じたら「119」へ。手遅れになるより「良かったですね」。 さて、藤川本陣の裏手。 谷間にある藤川宿の国道一号線や名鉄側、そちらには

  • 品川から37番目 藤川宿本陣・脇本陣 底辺のお仕事

    スゴイ・・・と思ったのが「就職活動情報サイト」とやらが出した「底辺の仕事ランキング」の件。 その手の仕事を勝手に決めつけ「そもそもランキングなどを点けるものか?」とまずギモンに思いました。 そして挙げられた職種に従事している方たちが実際にあるわけでその仕事を「底辺である」などと決めつけられるというのは気分がイイものではないでしょうからその見下し感には配慮というものを微塵も感じられません。 一言で言って意味不明といってもいいランキング羅列。 既にサイトは削除されているとのことですが、その手の事を本気で記した人間の神経のやれやれ感。 要は職業差別ですね。 羅列すれば・・・ 「土木・建設作業員」「警備スタッフ」「工場作業員」「倉庫作業員」「コンビニ店員」「清掃スタッフ」「トラック運転手」「ゴミ収集スタッフ」「飲食店スタッフ」「介護士」「保育士」「コールセンタースタッフ」といいます。 その「低年収で避けるべき」仕事とは肉体労働で「誰でもできる仕事」「くりかえし」とのことですがじっくり考えるとまず思いつくのは私の仕事。 後の4つの職種は私はまだ経験がありませんが、その他の仕事は日々繰り返して行っているもので過去にもその経験があります。 寺の経営(経を営むが主ではありますが)はその手の仕事の集積になりますから、ランキングに登場してもらわなくてはいけません。 坊さんなどヤル気さえあればどなたでもできる仕事ですからね。 結構に「後ろ指」の話題も豊富なようで・・・ また、みんな同じ、底を這うような痛みを伴う感覚・・・は特に当流には必要です。 またどうしてその「お仕事」がこちらに登場していないギモン。それが国会議員のセンセーですね。 雲隠れしたあの御仁の如く、ガッツリ議員さんのボーナスまで貰えるほど大甘、稼ぐことができそうな職種。 経験上「えげつない」心の持ち主の方が多い職業かと・・・ 多少の図々しさがあれば誰でも立候補できますからね。 運よく当選しちゃったらそのご利益は半端ではありません。 選挙はバクチ・・・ともいいますし。バクチの勝者という点も底辺感ありますね。 最近の芸能化しているところもまさにある意味「底辺」を感じます。庶民の認知度をターゲットにしてる点がそれ。 一体その手の偏見をわざわざと記すその意味は不明ですが、要は「ラクに稼げる仕事に就け」ということなのでしょうか。 「それを言っちゃあ、おしめぇよ~」ではあります。 そ

  • ここにもあった家康像 東海道藤川宿

    猛暑日が今年最多の179地点、東京で熱中症で搬送された方が229人と。 オオタニサンのMLB中継を除いてテレビ各局はその暑さの話題一色です。 ウクライナの話は「もう飽きた」の如く・・・。 昨日は午前中から昼過ぎにかけてテレビ小僧だったワケですが扇風機のみでエアコンはナシ。 奥方は洗濯だなんだのと動き回っている中、私一人ふんぞり返ってテレビというのはさすがに心苦しいものがあります。 すると室温系は30℃の表示。 暇さえあれば冷蔵庫のお茶を出したり入れたりでした。 以前も記したことがありますが、沖縄の夏でコロナの感染者が増えたその理由は「暑いから」。 あの地は外に出ないでエアコンギンギンの室内に籠るというパターンが多いですからね。 エアコンをガッツリかけながら「喚起をのために窓を開ける」などあり得ないのです。そしてコロナは空気感染するから・・・ よって暑い夏こそコロナの感染は広がるでしょう。 相当に社会の警戒心は緩みましたからね。 横浜の「奥の墓道」氏は「この夏、本当に帰れるかギモン」と。「隣家の目」など構うことはナイ・・・と私が言っても「そういうワケにはいかない」とのことでした。 さて、本宿から国道1号東海道をさらに岡崎方向に進むと名鉄藤川の駅があります(場所はこちら)。 そちらにもまた家康の像があって、「さすが岡崎」と唸らされました。来年の大河の主役は三河そして岡崎でしょうからね。 岡崎には石材屋さんが多いようですが、こちらの像は石造の家康です。 道の駅藤川宿が隣接していますので駐車と休憩も可。気軽に寄り道できます。

  • 梅雨明け3日目も外 刈払機復活 読谷村の青い空

    お天気続きで外にいる機会が増えました。 昨日も風が吹いてそれほどの暑さを感じない当地でしたが。 そもそもまだ蝉の声が一切聞こえてきませんからね。 本当の拙寺境内の夏といえば蝉の大合唱に頭がクラクラとさせられるものですから、まだまだです。 この好天続きと気温上昇に驚いたのは、水屋の水道から出る水がお湯になっているということ。 冬場にコンクリート通路の下の配管からの漏水を発見したものの、コンクリートのハツリは避けたいことから排水溝に廻らせてその隅に3~4倍程度の距離を遠回りさせて塩ビパイプを配管したのでしたが、土の下を通さず外部に露出しているというのがその原因。 しばらく蛇口を開けっ放しにすれば通常の「水」にはなってくれますが、それを待てば無駄な水を捨てることになりますからね。 太陽光エネルギーの凄さをあらためて実感させられました。 空中や屋根の上に塩ビパイプを長く接合してチョロチョロっと蛇口から「お湯」を出せば風呂の1杯分くらいは楽に溜めることができるでしょうね。お昼前から3時ころまで気長に・・・ コストをかけない原始的でチンケな自然エネルギーの活用を前向きに検討することにします。 さて昨日は前日使用したチェーンソーの整備と懸案の刈払機の修理にやっとこさ重かった腰をあげました。 軽トラの荷台が作業台になります。その手の整備は晴天の日の下で行うのが一番。 目視が容易であるのとコンプレッサーのエアで油を吹きまくりますから外の仕事になります。 刃研ぎが終了したらキャブレターに虫やゴミが入らないように 梱包用フィルムでパッケージして次の使用まで待機です。 そして次。刈機の「懸案」の症状とはエンジンはスタートするものの回転が上がらずに止まってしまうというイライラ。 何度コードを引っ張り上げたことでしょう。 よって昨日はキャブの分解まで覚悟していました。 燃料パイプかキャブレターの燃料の通り道に「梗塞が起こっている」と読んでいましたので。 ところがキャブレターキャップを外してみて唖然。 フィルターがドロドロに溶けるようにして崩れ、燃料が浸っていました⑤。 とりあえずそのフィルターと崩壊したその残りかすをキレイに吹き飛ばし洗浄(エアとクリーニング用スプレー缶使用)。 フィルターなしでエンジンをかけてみると完全復活したという次第です。 あとで気づいたのですがその機種のキャブレターとエンジンとの装着はよくあるプラスねじではなく、星形

  • 梅雨明け2日目 早速一仕事 無視禁物脳卒中前兆

    昨日の午後の庫裏の室温はエアコン使用で29℃。 それでも外から帰れば別世界に感じます。 ただし相良はいい風が吹いていて、関東内陸部のその気温とは違うでしょう。 勿論エアコンを点け放しにして外にいたということです。 10日ほど前に「お願いがあるのだが・・・」と丁重にお伺いをたてられたのが拙寺鐘楼南側のA家の奥様でした。 洗濯の物干し場に拙寺の樹木の枝がかかっているので「どうにかならないでしょうか・・・」の件でした。 そういえば私が来てから1回は剪定したことのある木でしたがそれっきり手つかずの伸びっ放し。 放置していた私の責任を痛感。謝罪し、梅雨が明けたら・・・ということで「1か月くらい時間ください」とお願いしました。 ということで、頭の中でどう「やっつけてやろうか」と絵を描いていましたが、思わず梅雨が早々に明け、盂蘭盆会法要の段取りもひと段落ついたことから、奥方を誘って午前中からその木に取り付きました。 「今日中に一気に・・・」と気合を入れて・・・。 二連梯子で、トップまで。 チェーンソーを振り回すのはいつもと同じこと。 エンジンがかかるかどうかが少々心配でしたがいたって快調でした。 先方の敷地に奥方が待機しチェーンソーを結んで枝に掛け、ロープの端を持ってコントロールしてもらいます。 それはチェーンソーを落としたくないことと、自身の確保に専念ができます。イザという時はチェーンソーを放してしまえばいいだけです。 軽トラ1.5車の伐採材が出ましたが2回戦で処理場に向かうのは効率悪しと0.5は境内の境界に積みあげました。ちなみに処分場の処分費は670円。 お昼休憩に自宅に戻りましたが、今まで一緒に動いていた奥方に「何か喰わせろ」は酷な話ですし、また冷たいお茶をがぶ飲みして食欲はまったくナシ。 A家の奥様は終始「申し訳ない」を連発していました。 私は鐘撞堂の真裏にて「迷惑を掛けているのは私の方」であり伐採は当たり前のこと。それを放置していた「私がまた悪い」を主張しましたが差し入れの飲み物の多量と「布施です」と金券を差し出されてしまいました(固辞するもムダでした)。 ご主人は10年ほど前に亡くなっていますが、そもそも脳梗塞からその不慮の色々がスタートしたとのこと。 そんなに経ってしまったのか・・・と感じたのはその方はよく付き添いの方と車椅子で拙寺に散歩に来ていたことがありそれを思い出したからです。 工務店を閉めて広い敷地に独

  • 遠慮することなし エアコンギンギンでいきましょう

    大嫌いな季節、梅雨が明けてああ嬉しや・・・ これほど早い梅雨明けは記憶にありません。 しかしここ相良にあっては今のところあまりそれがピンときません。 昨日朝方は青空が広がっていましたが午後過ぎてから雲に覆われていました。降雨はなかったものの本格的夏という感覚にはないような。 日曜日など朝の晴れ間に騙されて法事に出たもののお寺に入る直前にドカ雨に。そして自宅のベランダに干された洗濯物はズブ濡れという悲劇を味わった方たちがいらっしゃいました。 晴れでも怪しい・・・そんな感覚の「梅雨明け」です。 望んでいた梅雨の終了だったわけですが、私は盂蘭盆会法要の案内をまだ遠方者に出していないためにその作業で外仕事ができませんでした。 気温上昇につきエアコンのスイッチオンは当然のこと。 庫裏の温度計は朝から28℃を示していました。 「電力需給逼迫注意報」とやらが言われていますが、どなたも「そんなものお構いなし・・・」ではないでしょうかね。 また一般家庭の年配者がそれを真に受けてもらっては困ります。 東京都知事がテレビでその節電を訴えていましたがオシャレな涼し気のスーツと冷徹な顔から感じるものにまったくその説得力は無し。 スーツとジャケットでおめかししたいという気持ちはわかりますがね。 緊急事態を煽るなら・・・いっそのことシャツイチでアナウンスしてみてくだされ。 トーキョーのコロナ感染者数1517名、いよいよ反転攻勢の感。電気の消費量も断トツで多いトーキョーには「勝手にしてくれ・・・」と田舎者(私)の声しか出ません。 昨日の檀家さんとのお話。 1件目は「おじいさんが言うことをきいてくれない」との訴えです。エアコン嫌いとのことでせめて扇風機くらい廻して・・・と言い聞かせてオンしてもらうもしばらくして気づけばそれが止められていて、「風は嫌いだ」と主張するそう。 あつ~い部屋に籠ってテレビを観ているようですが、あのテレビというものは結構熱を発するもの。 冷蔵庫などまた近くにあれば部屋の温度はup!up!ですからね。 年配者に「水を飲め」と言っても理屈がわかりませんからそれもなかなかムリですね。 2件目はある檀家さんの自宅に入った時、窓は開け放たれていたものの外と比べて「暑い」を感じました。 ひょっとして「エアコンは?」と聞けば「まだ・・・」。 「点けた方がいい」とつい言ってしまいましたが「それは息子にも言われた・・・」と。切迫感はなかった

  • 石川、平岩姓に歴史感じる 幸田久保田城 脳溢血

    昨日は2件の「脳溢血」の症状についてお話しを聞きました。 双方とも命はとりとめたものの後者は退院後1.5カ月ということで現在リハビリ中。 前者の場合、発症は今から「27年前のこと」といいます。 重篤で後遺障害が残りやすいその方のそれは脳梗塞でしたが、余程初期対応が良かったのか、以降の療法が適切だったのか(その両方・・・)後遺症の類はナシ。 少々の不便といえば初期の発症時のトラウマから自動車免許を返納したことだそう。以来自家用車を使用しない生活が始まったということですが、その当初の発症こそ車の運転中のことで、突然、視界はあるが「暗い気分」になったこと、ブレーキを踏んでも車が停まってくれない(実際にはブレーキペダルに力が入っていない・・・)ことから「これはマズイ」と思って電信柱に車を衝突させて停車させたというもの。 その際、近くに居た人がその近くの病院の医師だったという幸運、すぐさまその病院に担ぎ込まれたというものでした。 極端に言えば病院の前でそこの医者の目前で発症したということになりますが、そのようなことは滅多にないことですから私たちはその手の「出会い」を期待することはできません。 後者の方は私と同い年。昨年、脳出血で突然倒れました。 仕事を終えて帰宅、まずは風呂に入ろうとしたところ手が震え出して昏倒したそう。 発見されるまでに前者の方より時間がかかっていますが、運よく近隣の方に発見されたとのこと。 退院できたのが1.5カ月前で私が自宅に行くと「リハビリ週3日」で頑張っている姿を見せてくれました。 ゆっくりのんびりでいいので人間本来のレジリエンスを信じ 確実にリハビリメニューをこなして行って欲しいものです。 さて、子供の数が少なくなったということでお稽古事の教室や学習塾の経営が難しくなったということを聞くようになりましたが、それは将来の人口減少を意味していますのでその放置はいずれは国としての体裁も取れなくなってしまうことが推測できます。 当相良辺りで見廻しても空き家と売地だらけでその「人がいない」の変異はひしひしと迫っている感あります。 私の「ハカ・テラ・シロ」行脚で実感するその手の傾向の一つの語彙に「廃寺」があります。 お寺としての長い歴史を閉じようと結論を出すこと、それはまず「苦渋の決断」の類になるでしょうがその「廃寺」こそ寺としての活動が終わるということで、人の死と同様のこと。 真宗寺院の場合は血縁関係で継

  • 平岩の射割石 弓削から 坂崎陣屋址 平岩氏発祥

    ブログにて「40℃」の体感について記したばかりでしたが早速昨日は東京が猛暑日、伊勢崎市で40℃超えとなったといいます。 6月に40度を超えたことはこれまで無かったということでこれから本格的な夏を迎えるにあたって一体どうなるのか・・・その先は何が待ち受けているのか・・・人智を超えた未知の領域に足を踏み込んでいることは確かなようです。 しかし最近は天変地異クラスのいろいろな無常観をおおいに味あわされていますからね。 勿論「人間の行い」という不可思議の数々も含まれますが。 そして昨日は久方ぶりにお世話人会が本堂で開催されました。 殆ど3年振りの会合で、回文をお願いした書面の枚数はいつもより多め。 盂蘭盆会法要はじめ今後の予定いろいろの告知が主でしたが、「一寸先は闇」とも言いますよう、予定は未定で「わからない」というのが本当のところ。 特に気がかりなのは下げ止まり感あるコロナ感染者数ですがここのところ反転傾向で前週曜日を連日上回ってきていますから土壇場になって「さあ、どうする・・・」も思います。 つまるところ「そのときはそのとき」で柔軟に切り替えていくだけですね。 夜間は恒例のメディテーション。6名の参加がありました。 本堂は無茶苦茶蒸し暑くて閉口させられました。 障子を開ければ蚊の襲来がありますから・・・扇風機で対応するしかありません。 さて、一昨日はNHK番組で東海地区限定だったようですが来年の大河ドラマの特集がありました。 奥方から奥の部屋から「岡崎、岡崎と連呼しているぞ~」と声があがって居間のテレビを点けてから気づきました。 それは奥方を連れ出そうと(ドライブと称して)最近になってその語を連発していたところでしたから。 番組には配役の若い役者たが出ていましたが(まったく知りません)、その「若さ」を見れば描かれるその時代がだいたい推測できるワケで・・・ 「どうする・・・」といえば「WHAT DO YOU DO」の台詞を「さぁ、どうする」と訳していた映画(たしか「スピード」?)を思い出しますが「家康」にその語を突き合わせてみれば①桶狭間 ②三河一向一揆③三方ヶ原といったところが思いつきます。 というところで今回は駿府の出番は少ないのでは・・・などとも。 しかしその配役の中に平岩親吉の役という芸人が居て、少々の驚きがありました。 その手の番組にその人(平岩)が登場するということは本編に彼の登場機会が多いということでしょ

  • 大久保彦左衛門家 坂崎陣屋址 八百富神社

    週間天気予報を眺めていると何故かお天気マークがズラッと並んでいます。 ここ相良は朝からずっと曇天。 まさかとは思いますが梅雨は今月でおしまいかも・・・の如くの予想も聞こえてきました。 個人的にはこのうえなく嬉しいことですが、例によって熱中症騒ぎが各地で報じられることになるのでしょうね。 その症状は死者が出るほどの危険性がありますが、ある程度の対策ができるはず。 「自己の管理」と一言で言ってしまうのは発症した人には酷ですが、その感覚はその人でなくてはわかりませんからね。 「古い奴」だと笑われましょうが夏合宿の炎天下、グラウンドを走り回ったその休憩時間、「水は飲むな」といきりたって監視する先輩の姿に「このバカめ!!」と内心思いつつ、耐えた経験がおかげさまで耐性が付いたのか私の神経がそもそも鈍いのか仕事中の暑さなどまっく苦にもならず、むしろ楽しく感じるほどです。 それは「いつまでも変わらないと思っているお前・・・」と言うのが奥方。 「確実に年はとっているぞ」・・・なるほどです。 そしてまた「自分は大丈夫」・・・それが「古い奴」の一番悪い発想ではありました。私も自身ケアしていきましょう。 まぁ、早いところ梅雨に明けてもらって、外仕事に、三河行脚にと思いっきり夏を楽しみたいものです。 また去年と同じ浜松の40℃超えが味わえるのでしょうか。 アレはまったくもって凄かった・・・。 さて、先日記の幸田の正源寺とその南側の古墳でしたがその正源寺に隣接してある神社が八百富神社(場所はこちら)。 大正期になって古墳上にあったという神社が移設、増築されてきたものですが、そちらが明治維新まで続いた坂崎陣屋になります。 今は陣屋の境界、石垣が僅かに残るばかり。 大久保陣屋とも言い、大久保忠教(ただたか 彦左衛門)。 大久保忠隣が失脚、改易の連座の憂き目で忠教も改易されたあと この坂崎に1000石を手当てされて復活したという経緯です。 尚、代官が配されていますのでご当人忠教は江戸住まい。 あの「三河物語」は江戸で記したということで。 国道248号線脇⑨で隣り合わせのコンビニの名称が幸田坂崎店⑩。弁天交差点の北側になります。あの古墳を背にして。

  • 西尾(西条)城の別名鶴城 岩瀬文庫は鶴城公園

    昨日6月23日は沖縄行きを常々意識している者にとっては大まかな梅雨明け日でその訪問機会の目安。そして同時に「慰霊の日」でもありました。 沖縄に行くならばそこから7月初旬にかけての狙いがベストであると意識するポイントの日ですね。 まぁその体感は人それぞれ雲泥の差になるかも知れませんし年齢によってもその差は物凄くあるもの。 人によってはその時期に地獄を見る人もいるかとも思います。 快晴灼熱無風熱帯夜の日々。日焼けによる肌身焦熱ときたら内地とは比較になりません。 その時期を外すと・・・沖縄は台風の通路で夏季といえば運悪く荒天など多々あって、最悪飛行機が飛ばないなどの悲惨がつきまとう場所ですから。 私がその時期がベストというのはその襲来の確率が低いということ。よって夏の特に8月のお盆の頃に大枚叩いて(ハイシーズン価格)沖縄に行くことは「バクチ」のようなもので避けるべき。絶対にありえないと長年得た結論でした。 そしてまたその23日は駿府慈悲尾増善寺(またはこちら)の「今川氏親公命日法要」の日でもありました。 文芸まきのはらの秋野氏はその法要の参加は毎年恒例のことで昨日も法要後にあの墓地頂上の祠まで上がったそう。 「例年になく多めの参列者があった」とのことでしたが、静岡市のご担当者御一同ほか「臨済寺詣での件は良く聞くが増善寺となると何故かイマイチの感」と嘆いていらっしゃいました。 交通の便が悪いのと、ちょっとばかり通好みの場所ですからね。 一般には取っつきにくいかも知れません。 私はこの日はたまたまその近くのホールにて法務がありました。 相良新町のかつての知る人ぞ知る「ひっこみや」のおかみさんの葬儀式でした。 数年前に静岡の施設にて暮らしていたようです。 その風変りな店の名はいわゆる駄菓子屋さん。 子供たちが集結する憩いの場です。 殆どお向かいの駄菓子屋さん「なべや」とは親戚関係ということも今回初めて知りました。 実はその店の本当の名称は「そもそもナイ」というのが真実。その通称名は「知らぬ間に地元でそう呼ばれるようになっていた」といいます。 当時は2mばかり本通りから「ひっこんでいた」からだとのこと。その件もここで初めて知らされて腑に落ちたところでした。 また、今一つそれを聞いてひっくり返らんばかりに「なるほど」と唸った件がありました。 今年に入って慈悲尾の斎場に訪れたのは今回で三回目。 相良から静岡市内に転居する家(先日は

  • 御様御用(おためしごよう) 役人の気概 西尾岩瀬文庫

    承認されなかったようですね。 「厚生労働省の専門部会は22日、塩野義製薬が開発した新型コロナウイルス治療薬『ゾコーバ』(販売名)を承認するかどうかを議論する。 5月に創設した緊急承認制度を適用する初めての審議で、認められれば国産の新型コロナ向け飲み薬第1号となる。」という記事がありましたが、その部会では結論を持ち越し、先送りにしたよう。 まぁ「またも決められなかった」というモタモタ感を感じたのですがオカシさ満点というのは私の庶民感覚?。 アメリカの大手製薬会社(ファイザー、メルク)の飲み薬は「特例 承認」ということでまさに速攻で承認されていますからね。 先日もやはりアメリカの製薬会社J&Jのワクチンが承認されていましたが日本製はいまだゼロ。 やはり厚労省のお役人さまたち、アメリカの製薬会社の「袖の下」いや結構な現ナマが動いているような気がしてなりませんね。決定の「プロセスが違う」など適当な言い訳を主張されるでしょうが、そこに「インチキ」臭が漂っていると思うのが庶民の感覚。 「もうちっとばかりアメリカに儲けさせてやれ」というのもあるでしょうね。 そこの「アメリカの顔をうかがって世渡りしよう」というところ核兵器禁止条約の締約国会合に日本が出席しないなども、もろにそこが見え見えであさましさばかりが顕わになります。 恥ずかしいことと思えないところがまた恥ずかしい。 先般も静岡県選出の「センセー」の雲隠れについて記しましたが、お小遣いと金儲け(自己の懐と名誉)のためではなく、国民の為に身を粉にして働いていただくお役人と、政治家が欲しいものです。 さて、先日は長因寺のネガティブ掲示板のところで記した通り私は西三河をフラついていました。 第一義は西尾の岩瀬文庫です。「石川台嶺」の企画展(前期)が開催されていました。 こちらの蔵書はハッキリ言ってスゴイということで国内有名な施設ですがそもそも地元の豪商で資産家の岩瀬弥助の寄贈からが始まり。 彼は資産を学校教育やら赤十字社活動にも分配し、まさに西尾を代表する偉人です。 特に今回私がざっと色々目にして面白い史料と喰いつきたくなったのが「山田家秘伝巻物」の紹介と見出し絵図です(最後の画像)。 据物斬り(すえものぎり)の名家山田家の秘伝。 「首斬り浅右衛門」の件です。 「土壇場」の語源となった「土壇打」についてそのプロの修練についての記述がありますがそれが「土壇打は毎日朝三百本、昼三百本

  • 多聞山城の石垣にされたかも 松永の物分かり 徳融寺

    「これが梅雨か・・・」と思い起こさせられるほどのジメジメ感と土砂降りの一日。気分は最低、耐えがたいものがあります。 毎度の季節のイベントとはいえ早いところ明けて欲しいものです。 沖縄の梅雨明けは例年より早くて、テレビ画面の中の快晴と穏やかな青い海の景色を見ると、かつて体感した至極の時間を思い起こすわけで、奥方に「今年も行けなかったね」とため息をつくと、「あんなところ、もうサラサラ行く気にはならん」とつれない返事。 シミだらけのボロボロ「廃墟の如く容姿」になるのでカンベンしてくれ・・・といいます。 そして奥方は最近になって特に「飛行機なんて信用できない」を強く主張。 年齢を重ねて「守り」に入っている感があります。 それがまた齢をとらせてしまう発想なのですがね。 老化に抗うには現状維持守勢は老化の思うつぼになります。 まぁ、私ども場合はただ単に「寺を空けられない」の一語に尽きるのですが。 さて、福融寺本堂前には石碑と看板が建っています。②の図ですがしっかりと石碑に彫られた文言も撮影したのですが、まっくわからないような出来栄えでそちらは控えました。 光の加減もありますが、黒系の上等そうな石質の場合、凹凸がハッキリとせずに判読できないことはよくありますね。 内容は掲示板の通り歌が記されています。 松永久秀が多聞城(またはこちら こちら)石垣のための材料として付近の寺から集めていた石材について、寺から届けられたその歌を弾正が詠んで感じ入り石材徴収をやめたとの談。 その歌について無教養の私など何の事やらチンプンカンプン。 その件事実ならかなりの教養人であったことが・・・ ①手前方の石柱も吉村長慶⑨の手によるものか。

  • 藤原豊成と中将姫の宝篋印塔 笠塔婆支柱の四方石仏

    世の中、「暗くなった」の感。 「家計の値上げへの許容度が上がってきている」と大金持ちの(日銀の)クロちゃんが言っていましたが、許容というより、ただ「受け入れるしか他はない」というところ。 庶民としては「どうしようもない・・・」ただそれだけ。 許容などできるはずもなく。 あげればキリがありませんが、ガソリン代のupは強烈ですし、私の日々の各メンテに不可欠、使用頻度の高い杉の間柱5本セットなどかつての3000円台から今は5000円以上に値上げされています。 飲食店でも軒並み料金改定のお知らせの掲示が目立つようになりました。 お店も体力が無くなってつまるところはそこに向かいますので庶民感情としてはイラつきは増長するばかり。 ロシアという国のバカさ加減には呆れて物も言えませんが、それを元凶のインフレ傾向を鎮静させるために、ここは国として対すべきことがあると思うのですが・・・ 「年金下げないで税金下げろ」ですね。 庶民あたふたの中、おエライ国会議員のセンセーさまたちが安泰というのも腹立たしい。 当静岡県選出の破廉恥事案の「被疑者」・・・これは当人が雲隠れして説明責任を果たしていないためその語を使用しましたが、ただただ「そんなんでイイのか日本人」と呆れ果てるばかり。 昨日は結界石の存在について記しました。 その「不許葷酒」について当流の寺に「絶対にナイ」ことから煩悩への「許容度」が高いと思われがちですが、ハッキリ言って当流は「煩悩あってこそ」の宗派。 当然にそのセンセーと女性、飲酒の件、許容すべきではありますが、聞くところによれば議員としての道徳に反する何かがあったとの疑い。 それを週刊誌で指摘されて慌てて姿を隠したというのがその経緯でした。逃げ隠れするということは「ヤバい(弁明不可)から」ということですからね。 ただ逃げ廻っているセンせー殿、庶民感覚から程遠いその報酬、金員の色々が今後も自動的に振り込まれるわけで、そのセンセーのお仕事が「一度やったらやめられない」というところだけはよくわかります。 さて、結界石のある徳融寺。上記最後の画像の通り、山号が「豊成山」とあります。 右大臣藤原豊成の屋敷跡に建てられた寺と伝わります。 娘が中将姫。 その二人の供養塔・墓碑両説ありますが宝篋印塔が二基。 幼いころの彼女の伝説も伝わる地でもあります。歌舞伎上演の際には役者がお参りするというのが常のようで、片岡仁左衛門の建てた碑も見えます

  • 徳融寺常夜灯と結界石 本堂と毘沙門堂

    昨日お会いした方は関東地区の御城印集めに「3000㌔を走ってきた」と。 車中泊で1週間とちょい、80歳の一人旅。 奥さん家族からはハナから止められたそうで勿論同行者もなし。 行ったからには山城も登らなくては気が済まないということで、強行軍として覚悟はしていたそうですが「さすがにキツかった」と。 宿も取らず昼食も摂らない・・・私はそのキツさは大いにわかりますが、まったく驚きです。車中泊などはかつてならまだしも、もはやこの齢ではムリのレベルです。 四国のお遍路もすべてそれで完了させたとのこと。 おそらく最速記録であろうとのことでした。 通常ならば御朱印を頂戴するに並ばなければならないところ、コロナのおかげで、人は居ず、大抵の場合窓口に並ぶことは無かったとの事。 その御朱印並びの苦労については私はわかりませんが・・・。 御城印の方は印刷が多いでしょうから、山登りさえなければ案外ラクかも知れません。どちらにしろ私の趣向とは違いますのでその色々の談は新鮮でした。 その方のパワーは圧巻。「次は西の城へ・・・」と。 飽くなき挑戦「年だから」の自重は皆無です。 私も、昨年の奈良の街、東大寺の景色が忘れられません。 今更ですが、もっといろいろなところに行けば良かったと後悔しているところです。 さて、その奈良の徳融寺。 融通念仏宗のお寺ということで興味津々でしたがまぁ一言で「浄土系」のくくりになりますから、発祥は当流と同じ世界があるわけですが、門前の結界石の文言を見て、「葷酒」に関しての戒めの強さを感じたのが第一印象。 何といっても「門に入るな」の主張ですから、葷酒への弥陀の救済はナイとの断言です。 以前にもブログで記していますが、蓮如さんは寒中遠方からお参りに来られた門徒衆に労をねぎらって「体を温めて・・・」という具合に酒を勧めたといいますからね。 「やっぱりそこのところ、違うんだ・・・」でした。 厳しいね・・・というか当流が甘いのでしょうか? 当流には「戒律」はありません。ただし「掟」のようなニュアンスのものはあります。 「~このうへは定めおかせらるる御掟 一期をかぎりまもりまうすべく候ふ」 『改悔文』 敢えてその一、二番のものをあげれば「二心なき信心」と「聞く」というスタンスでしょうね。 その前段には「雑業雑種自力の心をふり捨てて 一心に阿弥陀如来」の件ありました。 あの時はこちらのお寺も人っ子一人すれ違う人はありませんでした

  • 人生はネガティブで当たり前 明来暗去 長因寺再掲

    映画の中のセリフから。 C・イーストウッドの若いころのおチャラケ戦争映画(1970「戦略大作戦」)からです。 「慎重な意見」を発する者に「また、君は悲観的な事を言う~・・・」の如くの反論を連発する戦車隊長のオッドボール軍曹、ネガティブ発想が大嫌いな超楽観主義者でした。 ハチャメチャ映画のなんでもアリのストーリーでしたが、その人物の無茶苦茶ともいえる超楽観の性質があまりにも印象深く、そのポジティブ思考を見習うべきものと悲観を嫌う人生を歩んできた私の頭の中に常にあるキャラクターの一つでした。 途中何度か視聴する機会はありましたが、半世紀以上前の映画のそれも主人公ではナイ人物のセリフが頭から消えないで残っているというのは余程そのキャラが気に入ったということでしょうね。 ただし、そのポジティブ思考、それこそが自分を着飾る方向性、そうあるべき趣向であったことがわかってきたところです。 それは偏に年齢を重ねた結果なのでしょうが、本来そのポジティブもネガティブもセットであるというのが人生ですね。 私は時にそれ(人生)を(おぎゃあと生まれて)「出された定食」であると形容することがあります。 要はそのトレーに出されたそれぞれを完食しての人生であるということ。 子供たちがいる時には「好き嫌いは言えないのだよ・・・」と添えています。 陽と陰、プラスとマイナイスが双立しての人生。 モーターの回転の原理はSとNが引き合ったり反発したりの連続で生まれるように。 よってこの件、ポジティブ思考だけでは回っていかないというのが結論となりますね。 ただし自身の疲労度が蓄積しないように「陽」を着飾るようにでもOKなのでドーパミンを増やすよう振る舞うことは必要ですね。 「振る舞う」というのはそもそもが人間は悲観的に思考する生き物であってつまるところ現実もまたその期待とは程遠い結末を迎えることが多々あるからです。そしてまた「それはそれでしょうがない」ということでは納得しているもののそれでは、人間は病んでしまうものなのですから。 よってある程度の「自己の演出」が必要になるのです。 オッドボールの楽観を取り入れながら、ネガティブも受け入れて面白おかしく人生を歩きたいものです。 さて、先日また木戸の長因寺にお参り。 西三河に用事があって立ち寄りました。 前回記した際に、三河の寺院に当たり前の様にある本堂前のツートップの灯篭について、「明来」と「暗去」の文字。

  • 藪 冬季ならば基本「入る」 正源寺付近の古墳 

    ある方が息子さんのいわゆる「家庭内暴力」について語っていました。他でもその手の類、よく耳にするようになった昨今です。 要は子供がイライラを家の中でバクハツさせてしまうものですが、別の方は夫逝去後の母親の闘いとなっていて、かなり深刻です。 どうやら就業意欲も無いようでそのイライラはゲーム等の結果が主の様。 小さい頃はゲームをやる、やらないでしばしば親の注進に反抗的になるところは知るところですが、成長して尚それがエスカレートするというみのでしょうか。 それならやはり最初からゲームなどナイ方がみんな幸福なのに・・・と考えてしまいます。 そしてある家ではお母さんのかけもちパート収入で家計を支えているような状況もあります。 「毎日くたくたはしょうがない」が「何時までつづけられるやら・・・」と切実です。 数年前では某地区で障害認定された子供(と言っても40代くらいか・・・)が父親を殺めた事件もありました。 一言で「ひきこもり」という精神状態として一括りで言うようになりましたが、その手の状態に陥る「子供」を抱える家庭というものは数件に1件の割合くらいに、かなりの数に上るような感覚がありますね。 人間だから色々な性質はあるものですが、社交性、協調性、親和性の欠落というものは「人間」という文字の如く、「人と人の間にある私」にナイことになりますので、本来のあり方ではありませんね。 どうすることもできない私の無力に歯がゆさばかり感じさせられます。 やっぱりこの国、イカレているのかな・・・ それも人口減少の一端。 さて、昨日の正源寺のポンプですが、たまたまNHKの番組に出ていましたね。在留外国人への方に防災アイテムをどう報せるかという番組でした。 殆どメンテナンスフリーのようですからね。欲しいものの一つ。キリがない。 その正源寺は幸田(こうた)の地の北、岡崎から真っすぐに南下する国道248号線沿いの平坦な場所にあります。 「田」の付く地名ですので古くから「田」主体の生活が思い起こされますが、普通に考えれば「福田-ふくでん」の如く仏教的感覚(「世の燈明と為りて最勝の福田なり」)を含めた「果実」を比喩的に名づけたものもありますが、「田」であるからといって「稲作に供する地」という意に限りませんね。 やはりこの地区周辺にも見られる「深田」の如く「湿地帯」を意味したりします。 まぁこの「幸田」の地名を見て、まずは元はその「コウ」は「幸」ではなかっ

  • これもテーマ 検討中 幸田正源寺井戸のポンプ

    真宗寺院は勿論、時間があればフラッとたちよるお寺の境内。 勉強になること多々ありますね。 大抵の場合は拙寺よりも境内が広いものばかり。その敷地は各段の「余裕」を感じます。 特に三河の真宗寺院の本堂の前に鎮座する2トップの灯篭の威風は共通のようです。拙寺にはナイものの一つでした。 それは広い境内ならではですが、どちらもまず寄進者の名が記されていますね。 拙寺も各時代に値の張りそうな品物の寄進がありますが、打敷から法衣、そして椅子や水屋などになります。 要は灯篭の場合はそれがあると邪魔になるので不要ということですね。 今それがもしあったとすれば車の切り返しができなくなりますからね。 石灯籠は趣味的には好みではありますが(特に古いものはイイ!)地震などで倒れることを考えると不要。 寺には地震対策しなくてはならないものがたくさんありますからね。 先般も拙寺門前の石柱が倒れないようそのベースをガッチリ固める工事をしたほどでした。 さて、三河幸田の正源寺(場所はこちら)。 やはり真宗大谷派のお寺ですがそちらに参った時の事。 広い境内の中央近くに井戸があって拙寺の如く水屋の陰に隠れるように隅っこにあるものとは違いました。 この井戸の存在というものも結構に頭の痛いところがあって、近隣の保育園児たちが遊びに来た時などその井戸の上で飛び回ったりしないかヒヤヒヤになりますね。 上部は竹材でガッシリと。 そこから突き出たポンプを見て思わず私もチャレンジしてしまいました。 感想は一瞬で「コレに変えたい」でした。 以前(2019年)、井戸のポンプの修理の件、記しましたが、あれから一度不調に陥って再修理をしたことがありましたが、すぐに水を汲み上げなくなって現状放置状態です。 あのタイプはどうしてもダメになるのが早いのです。 というのはパッキンの役目をする素材が湿気と乾燥の連続によって劣化してしまうからですが要は使用頻度が少ないから。 特に乾燥時期が長い(使用していない)と劣化は早いものがあります。 緊急時の使用限定の井戸ですが水が汲めなくては意味がなし。 ということでその劇的な仕様(内部が露出していない)のポンプの型番を自宅にて検索。 どうやら私でも工事ができそう。 滅多に使わないのなら「ロープとバケツでOK」ではありますがね。

  • 牧之原市の本腰 お付き合いいただければ有難い

    やはりパーキンソン病の件、先日もお聞きしました。 その方の病の発症は「忘れもしないあの3.11の年」といいますので東日本大震災、2011年。 11年間もその病との闘いだったと。 当人はもとより家族の皆さんもその長期間、辛苦を共にしたということになります。 そしてその病気が発症しやすい人の性質があるといいます。 すべてがそうであるとは限りませんが一言で言って私から見れば「煩悩」の抑制が効いている方・・・というか欲望を前面に押し出さない謙虚な方のよう。怒り、嫉妬、主張の少なめな方。 欲望を前面に出すことなく謙虚な方には好感が持て、私の如く感情の起伏が大きく、いわば「煩悩の塊」の如くではない方。 そのコントロールのために日々メディテーション等に力を置いている身からすればむしろ羨ましさも感じる姿です。 そしてまたもっと突っ込んでその傾向を記せば、多くの人々の中に居るよりも、どちらかといえば孤独好きのタイプ。 沈着冷静さはスバラシイの性質ですが、逆に言えば「踏み込んで対応」といういわば積極性が少ないというきらいがありますね。 脳科学的に言ってその病気はドーパミンという脳内分泌物質が関与しているといいます。 なるほどとといえばなるほどな話。 ガツガツ積極的に動き(運動)肉を喰らって好き勝手に振る舞う人はその病になりにくいということでしょうかね。 やはり運動、外出、おしゃべり、肉食そして緑茶飲みの肝要を思います。 年齢を重ねたらますますそのポイントに注力していただきたいものです。 「脳内ハッキリ」のままその時を迎えることができたらスバラシイこと。 さて、昨日届いた冊子。 いよいよ牧之原市は本腰、ガツガツの積極性がうかがえます。 どうなることになるのか・・・まぁ、ぼちぼちで結構ですのでお頼み申し上げます。

  • 大井川以東「向う榛原」宗高権現 家康床机据え跡

    昨日は焼津のホールのドタバタについて記しましたが、それは一言で地域性なのかも。 私ども真宗宗旨への理解度の低さでもありますが、それはまた真宗寺院が少なく、当然ながらご門徒さんが少ないということですね。 ホールは数少ない真宗門徒のために「設備を合わせる(用意する)必要がナイ」ということでしょうかね。 発言力が少ないだけにただ与えられたもので「黙ってやれ」というのもまぁ仕方なし。 捻くれ者の開き直り、私なりの対応をさせていただくだけです。 この焼津方面真宗寺院少なし・・・の件、駿河湾沿海域に住む私たちはその状況の線引きとして(そもそもこの辺りの門徒衆は少ない)特に「大井川を超えると・・・」というのが定説になっています。 信長による覇権を嫌って河内、近江、三河の門徒衆が東海道を東へ、ちょうど大井川をもって止まるということです。 温暖かつ肥沃な大地は魅力、敢えてそれ以上の東行きは不要と考えたのかも知れません。 その大井川といえばいわゆる遠江と駿河の国境線ということで認知されていますが、最近では両国とも同じ静岡県ということでもはや「どうでもいい」ようなかつての線引きとなりました。 金谷が島田市に併合するなどその川で区切る意味は無くなってしまいました。 そのかつての国境線たる大井川、昔から流れを変えていたことで有名ですね。東側では今の栃山川辺りが本流であったと言いますし、西側でいえば小山城下から吉田漁港に流れる湯日川、そして武田水軍があった・・・などと思量した坂口谷川、それ以上遡れば勝間田川などかつての大井川(国境)の位置が変わっていたことが推察できるところ。 小和田哲男先生の「信玄・家康の駿遠分割案と駿遠国境」という論文に詳しく記されていますがそちらから少しばかり転記。 「(文献の記述を示して・・・今の大井川より東側の地の) 近世の村でいえば、上泉村(善左衛門新田)・相川村・上新田村・下江留付・西島村・宗高村・上小杉村・下小杉村・藤守村・中島村・吉永 村・吉永利右衛門分・吉永高新田・飯淵村・飯淵新田が遠江国榛原郡に所属しながらかつ大井川以東の地域という意味で大井川の向う側の棒原郡という意味で向榛原の名でよばれていた。」という件です。 「向榛原」という名称は大井川の向こうの榛原郡ということですが、それは「今はその地とは大井川が隔てているが古くは大井川はその向こう(栃山川-別名、「堺川」辺り)にあった」ことを示唆する名称でしょ

  • お隣の真宗大谷派了見寺住職 堀了裕師逝去の件

    以前、焼津市内のとあるホールでの通夜式のこと。 仏前経机脇に置かれた禅宗様式の「大鏧(ダイキン)」の威風堂々の姿に度肝を抜かされたことがあります。 頭をすっとよぎったのは①さすが焼津(真宗系寺院少なし)②平鏧を持参すればよかった・・・の後悔。 「郷に行けば郷に・・・」が基本ですが、正信偈の拝読に最適である平鏧はそれとは小さいとはいっても重量はなかなかのもの。 また「御文箱」は必携。それも2冊(三帖・五帖)携行。 法衣の納まる鞄からそれら一式を持ち込むのは一仕事になります。尚、御文箱についてはホールに設置されていたり、書面拝読のパターン(ハコなし)のお寺もあるようですが・・・ またホールに設置してあっても五帖の御文というのが定番ですからね。 その際はその平鏧の持参をしなかったのでした。 いつもなら車の後部座席に置きっぱなしにしているものですが、何かのタイミングで庫裏に戻していました。 それをわかっていながら、どうにかなるだろう・・・の安直もありそのままでGO。小さめの鏧であれば違和感も少々といったとこ ろですからね。 ところが設置されていた鏧ときたら特別にデカイ代物。 開式前に打って響きを確認したくなりましたが、それは控え、通夜式にてイキナリ実践した次第。 結論から言ってあの超重厚低音の響きは高音域の発声となる正信偈にはまったく合いませんでした。 阿弥陀経などで無理に低音で発生すればまだしも・・・ それを私が第一に実感したわけですが、参列者からどう感じたのか、それはわかりません。 ということで翌日の葬儀式には平鏧を持参、早速交換していただき葬儀式を済ませたのでした。 葬儀式場自体もスケールはデカく、当地の二大斎場とは明らかに違うもの。 JRの沿線、「都会」に近い人口多しの街ということでしょうが田舎坊主にとってはどれもこれも目を丸くするばかり。 終始ドギマギさせられました。 逆に東京横浜辺りではやたらと小人数の、中には火葬場に併設された小ホールでの葬儀が主流になっていますのでこの大規模ホールの式がいつまで続くのやら・・・と思うところでもあります。 相良あたりでも徐々に規模が小さくなっているような気がしますが・・・。 さて昨年、堀新田の了見寺の住職が亡くなったのですが、異例と感じたのは、その触れが皆無だったこと。 その訃報を知ったのが半年ほど経ってからのご家族(奥様)からの手紙でした。 拙寺同組の寺でその情報が拙寺に舞

  • 「相良史蹟」創刊号の石山本願寺 父の記述と尾瀬

    雨に降られても仕方ない・・・と半ばあきらめて目を覚ましてみれば朝から太陽が顔をだし、これは嬉しいサプライズ。 この晴れ間に感謝して午前の法事、続けて他家にて正信偈のお勤めを済ませました。 午後は溜めこんだ花ガラを地頭方の処理場へ持ち込んで一段落。 日曜オープン日の処理場はしばしば搬入が集中して渋滞がありますが、昨日は拍子抜けするほどスンナリでした。 帰宅すると雷鳴が、しばらくしてどっと雨が降り出し、そしてまた晴れ間。目まぐるしく天気が変わりました。 タイミングが悪ければ、酷い目にあうところでした。 その前日、東京の友人「女墓場」よりメールがあって「尾瀬に行って頭を冷やす」とのことでした。 私は呆れて「雨だろ(よせ・・・)」と忠告したのですが、昼過ぎに「ずぶぬれ」の文字と画像が届きました。 私が「ハカ・テラ・シロ」に参る場合は天候良好が絶対条件ですからその強行には呆れるばかり。 まぁ彼女の休日は土日限定ですから仕方ないのでしょう。 それにしてもよくやるよ・・・人の事は言えませんが・・・ 季節季節のその地の変化を楽しんでいるようですし、この時期を見逃すと見られないものもあるそう。 5月の晴れ間のその景色①②もついでに送ってきました。 ③が昨日。 人それぞれ、いろいろな趣向があるということで。 さて、「相良史跡」の創刊号から。 父の大澤寺初代今井権七(郎)の記述がありました。 まぁ、その手の話は爺様から聞いてきた話でさして目新しいものはありませんが、まぁ父も私同様、田沼さんより阿弥陀さん(石山本願寺)のスタンスが見えてきます。他の方々は田沼さんはじめ地元に特化したものですからね。 それにしてもその冊子は史跡研究会の発刊になりますが、巻末の会員名簿を見廻すと、既に逝去された方ばかり。 それも大層な会員数です。 これから若い人たちの参加がないと、消滅の憂き目も有り得ることで。 息子に「どうよ・・・」といえば笑っているだけ。 最後の拙寺本堂の画像は懐かしく感じます。 今は無き植栽たちが見えます。 そして右側のビャクシンの背丈が今より低く幹も細い。 20年よりずっと以前の画像でしょうが、今のそれはずっとデカい。 ビャクシンという木がそれほどに成長のあとが目で見てわかるものとは。 本堂建立の時期に植えられたのかも知れません。

  • ただ思うことは力関係 ズルイ 梵鐘供出 金属回収令

    昼前には雨が降り出すという予報があったので、昨日の法事はいつもの順番を変えてお墓参りから。 それから本堂に入っての本法要でしたが結局4時過ぎまで雨は降りませんでした。 梅雨入りは覚悟していますが、早いところスカッと晴れ渡って欲しい。 それでいて暑ければ暑いでヒーヒー文句たらたらの皆さんが居るのですがね。 ちなみに私は暑さへの耐性はかなりある方です。 その私の対人スタンスの基本は怒らないこと。 仏教世界では特にイケない心であると念押しされている「瞋恚」ですが、人と人との間に居て「おかげさま」「生かされている」などと日々説法している身がそのドロドロの怒りを抱けば坊さん失格です。 しかしながらブログでもどこかで記していましたが私も人の子、怒りを顕わにしたこともあります。 性格上その怒りには遅延性があってじわじわタイプ。 いわゆる「瞬間湯沸かし器」ではありません。 声がデカイというのが負のイメージを増長するというのもありますが、ついつい反論口調のトーンが大きくなって喧嘩腰になってしまうということがありました。 「影武者」撮影中のクロサワが主演の勝新太郎に意見が合わず「やめてもらうしかない」と引導を渡すような経緯があったと言いますが、私もかつてその同じ台詞を吐いたことがありました。 理由は一つが「先方が本堂での法要を拒絶、墓前での法要」に拘ったことに対して、二つ目が檀家さん同士の墓地区画の問題。 両事案とも先方のヒステリックな感情の高ぶりを見て、私は「そんなら、お引き取りを・・・」と。 要は寺の中でのイザコザは御免だ・・・ということですが、両事案とも私の心に今もある「残念」でした。 クロサワは「監督は二人もイラナイ」と述べていますが要は私も「住職は私である」というところでした。 まぁ若気の至りということもありましょうが、怒りの基本は「阿弥陀仏一向専念の寺」としての気概でしょうか。 その意を無視された際にカチンとくることがあります(今更ながらそれも恥じいるばかりですが)。 それは人間としてまず致し方ないことではありますが、要はそれをコントロールできるかどうかという点が大事。 それこそ耐性の養生、蓄積ですね。 それは経験を積むことによって得られるものと考えていますが、昨日ある方から単純な質問を受けてまんざら、その積み重ねだけでは語れないものだと思ったものです。 その方の質問は「腹が立って(住職とケンカして)〇〇寺の檀家をやめて

  • 嘶軍馬即亡国 吉村長慶 キリストと釈迦の間に

    いよいよ梅雨入りの予感。 昨日は「良き風」が吹き、お天気に恵まれました。 「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」というくらいですからお日さまが出てきてくれること=阿弥陀さんに見守られているという感じにもなって嬉しいものです。 ちなみにその「良き風」は芭蕉が言えば「好風」ですがそれは景色のことをいいますね。 たまたま昨日の法縁で故人の法名が「釋良風」だったため、それを記したくなりました。 「五輪」の地水火風空は自然界の基本の基。 施主は当初からその中、地と火を除いた中から選びたい旨話していました。 「無常の風」(白骨の御文)と表現される中、その明解「良き風」は「生」へのポジティブ感覚。阿弥陀さまからそれをもって背中を押していただきたいものです。 さて、石積みから石仏、石塔への興味は他人様より少々余計にあるのでは・・・と思う私ですがその人のそれらへの格別な思いといえば殆どドン引きさせられるほど。個性的と言えばそうなのですが「その方向?」とちょっとした驚きをもって見てしまうのが吉村長慶という人。たくさんの生前墓ほか無数の石仏、石塔を作った人(石工を動かして・・・)でした。 勿論超が付くお金持ち、有徳人であることは間違いないところですが政治と宗教にも足を突っ込んで、自らの名の「長慶寺」なる寺を建てたりしています。 まぁ金持ちの酔狂といったらそれまでの話。 突飛な題材で自分も登場したり、まったくスゴイの一言ですが、そのアピールするところはまさに「平和願望」というところ人間の良さというものを感じます。 昭和十二年の作、私が立ち止まったのは奈良の融通念仏宗、徳融寺の遺物(場所はこちら)。ならまち元興寺近く。 石碑にはキリストと釈迦が並んで寝そべっていてその間に当人が割って入っている様。 「嘶軍馬即亡国」の忠告が入っています。 内容は看板の通り。

  • ウクライナとロシアの国旗を思い出す 阿弥陀経

    ハッキリしたことはわかりませんが通説では遺伝的な病ではない旨承知している脳梗塞(脳溢血)と心臓の動脈疾患、案外と縁者に脳梗塞があると脳梗塞に、心臓の疾患には同じように血縁者に心臓の病が出現すること最近感じるようになりました。 以前だと糖尿病に肺がんなどもよく言われましたが、その二つは生活環境(食生活と禁煙)に留意さえすれば避けられそうな病気です。 最近やたらとその脳梗塞と心臓の件、よく耳にします。 同族一統とは言っても各人によって体質も違えば生活内容も違っています。にも関わらず、同じ病気になるというのはやはりどうにも避けられない何かがあるのかも知れません。 その二つの突発性の病の出現にはツキというものがあります。 イキナリの致死的発症の場合はともかくとして、発見が早く対応がすばやくなされれば軽微で済む場合が多くみられるのもその病気。早い対応があれば後遺症なども軽く社会復帰も早いですからね。 やはり周囲の目によってその異変に気付いていただくこと。 当人は少々のことには何事も「正常である」と思いがち、他者外部からの評価が大切になるのです。 いずれも即、救急車の手配が必要になりますが、一人で居れば異変を感じたとしても「一休みすれば治る」という健常時の経験則が優先されて対応が後手になってしまいます。 その「後手」こそが致命的。自分で119通報をしたなど稀な事ですから。 さて、最近阿弥陀経を拝読していて、その箇所に来るとウクライナとロシアの国旗が思い浮かんできます。 それが③ 「大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光 微妙香潔」 の箇所。 「大如車輪」とあるとまるで今のウクライナに於ける戦闘車両が花火のような閃光を放つ地獄の様相のようにも感じますが 「大如車輪」の直前には「池中蓮華」とあって「色たち」の記述の最後に「微妙香潔」と。 車輪の如く大きな蓮の花の色々美しさのことを表しています。 その件、わかっていても青と黄と赤と白の四色が並ぶ様から得るところはその両国の国旗なのでした。 阿弥陀経のその「色々」については「人はそれぞれ違っていい」「一人として同じ人はいない」「それぞれのあるべき色を出せばいい」「お前はお前でそれでいい」「ありのままに生きよ」「他者も認めよ」の意(こころ)です。 また先日の「微妙」について追記します。 ここに「微妙香潔」出てきました。 「みみょう」読みのポジティブイメージ、「美」を連想する語

  • 西尾の順成寺から謎の石垣のあるあの山へ向かう

    昨日のお寺の掲示板について追記。 転機すると 「自分のあり方に 痛みを感ずるときに 人の痛みに 心が開かれる」 宮城 顗-みやぎしずか- です。 先生はある場での法話の中でそれを発したとのことですが、それをまたどう解釈、受け取るべきか・・・その現場に私がいたワケではありませんので単にその言葉からのみ受け取ったところは、昨日短く記した如くに「己の痛みを感じ相手の痛みに気づけ・・・」 でした。 同時にその先生の少々遠回りとも思える表現、特に最後の「心が開かれる」について今一度記してみたくなりました。 「人の痛みがわかるように」の風ですがその「わかる」を使用しないで違う表現、「心が開かれる」を使っているのか・・・と感じたのでした。 今その「わかるよ~、わかったよ~」の語が問題提起者への返答として「かえって腹が立つ」という感覚を抱かせることをしばしば聞いていたからです。 要は、何が「わかった」のだ(偉そうに・・・)、何もわかっちゃいないくせに・・・親身を思わせながらしばしば「話を切る」言葉として使われている風を漂わせてしまうのですね。 その件を承知している先生は、敢えてその遠回し、「わかった」ではなく「心が開かれる」を使用したのでは・・・などと感じたのでした。 実際問題として痛い辛いの訴えに「わかるよ~」という語を使用せずとも「心が開かれたよ~」などとは言いませんので、そのような時はただただ「黙って聞く」、適宜頷く程度での対応がよろしいのでは。 正しい回答を求めているワケではないのですから。「痛くて辛いのだね」と。 難しいのですよ。 やっぱり「わかるよ~」は詭弁にしか受け取られないということ。「聞き役」の立場にある私はその語の使用はタブーであるとますます思ったのでした。 さて、私の石垣遊びについて記しましたが、面白そうな謎の石積があるということを以前から知っていました。 よってあるとき、ついでということでその探索に出向きました。 季節は厳冬期、地理不安の山の中で、殆ど地元限定でしょう、いわゆる「知る人ぞ知る」的な遺構です。 城址説もありますが、現場に行って果たしてここに城をつくる意味があるのか疑問にも思ったほど。 場所は、拙寺の七代住職祐信の実家、順成寺に入る道を入ってしばらくの山の上(場所はこちら)ですから順成寺墓参のついででした。 おそらく無理だろうの半信半疑の「エイやぁ」の強行でしたが何とか辿り着くことができました

  • 山号「微妙」と「破闇」 無明の闇を破する・・寶林寺

    最近になってよく聞くようになった病気の名前。 それがパーキンソン病。 長患いで回復が難しい病で、寝たきりになって終末を迎えるというパターンを耳にします。特に症状として「痛み」を伴う部位が出るといいますね。 どなたでもそうですが、「痛み」というものはことのほか辛い。 頭痛を主体に(その病気から比べれば軽微ではありますが)「痛み」との付き合いが長くなってきた私は鎮痛剤のお世話になることが多くなりました。 その効果が出た時と痛みを我慢している時ではその気分たるもの雲泥の差を感じます。 時として薬の効果が出ず痛みが消えない場合がありますが、当方奥方のそれへの見解は直前の食事の量にあると。 痛みを消すためには薬によって胃を荒らさない程度に軽く食事をとることが肝要と。 経験則からいってそれはまずまずの感ありますね。 最近、お姿が見えなくなった・・・などと思っていると「実は・・・」と縁者からその病名「パーキンソン」を告げられたりします。 私はこれまでのそのイメージとして長期に渡って(時に10年以上)の痛みと闘っているというところが推され、当人とご家族の尋常ではない辛さと努力を感じ取ります。 昨日お聞きしたのはその病気の発症のスタートの推測。 脳梗塞で倒れた後に発症したケースです。 そしてそれがまたアルツハイマーになる場合もあるということ。 脳梗塞で倒れてパーキンソン病かアルツハイマーか、その件話された方は「二つに一つ」と仰っていましたがどちらもその病は怖いですね。 ということは対策として脳の血管へのケアでしょう。 食べ物に尽きますね。 先日の人間ドックの先生が「天ぷらとラーメン」などとそのNG食品を名指しされていました。 さて、輪中でおなじみ、桑名長島の地に山号を「微妙山」、真宗大谷派の寶林寺があります(場所はこちら)。 以前にもブログで記したことがあったかと思いますがその「微妙」は今の軽々しく言われる「あまり良くない」の意味で使用される「ビミョー」とは違います。 仏典での読みは「みみょう」で意味としてはそのネガティブイメージ漂う「ビミョー」とは反対。 端的にその語から漂う意味を記せば「サイコー」でしょうか。 文字は同じで読みと意味が真逆・・・そんな不思議な文字ですね。 だいたいワープロで「みみょう」と打っても「微妙」とは出てきませんので「びみょう」と打った方が早いくらい。それだけ世の中は「ビミョー」読みで通っているワケで。

  • 相良小正門 二の丸土塁裏の原標 小島蕉園先生の名

    朝から横殴りの酷い風雨。夕刻過ぎても。 本堂脇のスリッパは飛ばされるは、縁側は水浸し。ロクな日ではありませんでした。 ユリの鉢たちが倒れているのはわかっていましたが、起こしたとしてもまた倒れることは必至。仕方ないので放置。 翌朝まで我慢してもらいます。 鉢だけではありません、他に何か問題が発生していないこと願います。 そして午後、叔母の新しい介護認定の通知が来ました。 事前に施設担当者から「ヤバいよ、ヤバいよ」という具合に脅かされていたのが、最近になってことに叔母88歳の具合が絶好調の件。介護不要の「ひょっとすると退園」ということでした。 そしてその認定は市から派遣された各家庭事情など加味されない「厳然、機械的」判定ですから。 よって「次に入所できる施設を探しておいて・・・」と宣告もあって、強烈な面倒な「試練」を覚悟していたのでした。 現状、「要介護3」ですが「格段なる復元」ということで「要支援」へのレベルアップがあったとすれば退所ということになるということです。 絶好調といっても車椅子から解放されたワケではありませんので、「とりあえず自宅」ということになればまず超絶ムリのレベル(私の身勝手ですが)。 拙寺庫裏は段差だらけ、殆ど迷路のお化け屋敷。 風呂にトイレは車椅子での通行などを想定したつくりにはなっていません。 当人も今の施設を大いに気にいるようになって「毎日楽しくお気楽に」過ごしていますので今更違う環境へ変わることはそのことが「致命的」となりかねません。 相当ビビって届いたその書面を開けると「要介護1」認定。 ギリギリのセーフでした。すべてが丸く収まったということです。 独り住まいから集団生活に移って痴呆具合が改善したのですが、そこでも「人間」(人との交流の中)という生き物が「生かされている」こと、よくわかります。 さて、昨日の相良小学校の裏の現場からの石の移動の件を記していましたが相良小学校の正門を。 相良城の遺構と言われる二の丸土塁の開口部が今の相良小学校の正門ですが、その正門入ってスグ左側にさりげなく建つ石標があります。 昭和六年の建碑ということがわかりますが、小島蕉園の墓の位置を記すというところ、今考えると結構唐突に感じます。 この石標を建てることを進めた人たちは江戸末期から明治生まれの方たちでしょう。 小島蕉園先生とあるように当時の相良の人たちの蕉園への畏敬の念を感じます。 今の相良小学校の先生た

  • 昨日で石積み遊びおしまい まったく足りない・・・

    世の流れは「緩和」。 社会のレジリエンスでしょう、元に戻ろうとしています。 まぁ経済界をバックにお国の尻腰を押す姿がありますし・・・。 そして何より、それをさらに後押ししているのがコロナ感染者数の減少ですね。 良き方向に向かっているのなら有難いことですが、まだまだ先の事はわかりません。 国の「金儲け」基本の施策はまったく信用ができませんし、罰を受けるのは庶民ですから用心していかにくてはなりません。 昨晩のNHK「浸水リスクエリアで人口増加」など見ているとそんなところ(国民の命より大きく俯瞰して「経済重視」)が匂ってきますからね。 「市街化調整区域」の捉え方の変更があったから故ですが、開発を抑制すべきエリアにバンバン住宅が建てられていたという現状。 それでいてそこに住まう住人は「浸水エリアとは知らなかった」というお粗末さ。 とはいいながら、「今回も世話人会開催はしない」(盂蘭盆会法要)と決めていたものの、その緩み気分に乗っかって「とりあえずやってみよう」との気持ちが擡げだしました。 ということで世話人会開催の予定を急遽入れることになりました。 久しぶりの世話人会で新総代による会は初めてになりますがどれだけの世話人様が集まってくれるか・・・。蓋を開けてみなければわからない・・・ さて、相良城本丸裏にあたる相良小学校の裏に散乱していた、相良城の堀に使用されていたと思われる石の回収と拙寺外構への設置は昨日で無事終了しました。 奥方は「全部が全部、相良城に関わる石ではないだろう・・・」と訝しがりますが、私は「石に聞いてくれ・・・」です。 相良城建築時代の石積みは表の面を平らにして左右の石との接着が見栄えがよいよう一つ一つを加工を施していたか(打込み接ぎ)と思われます。 石材は安山岩伊豆石が多いようですが、カタチが均等でなくかつ石質の違うものも見受けられます。 特に後者の場合「相良城とは関係ないのでは・・・」と奥方。 その件も「石に聞いてくれ・・・」。 相良小学校は田沼時代の相良城以前にといえば、家康の鷹狩陣屋、それ以前と言えば武田方による相良館など推測できるところですからね。何に使用されていたかなどわからない。 石に標識でも付いていれば・・・などと笑って応えておきました。 ただ積み方と直線になっていないなどなど・・・ご指摘の多数、頂戴しました。 積石は高さ2m超えにならなければ許認可不要。 そこまで積もうなどという気はサラ

  • 木のもとに 汁も膾も 左久良哉 岡崎城の石垣の美

    先日、大正生まれ、百歳の方が亡くなりました。 お名前が「ふみ」さん。 欲深い私ですから、もっともっと長生きしていただければ・・・などと思いもしますが、ご当人からすれば「もう十分」と吐き捨てられるかも知れません。 私の母も晩年そのフレーズを連発していました。 俳句を愛した方でその俳号が「芙美」だったそう。 そこで、法名について縁者のリクエストを聞けばズバリその俳号を・・・とのことでした。 私はそれを即了承しました。美しい法名です。 それは芙蓉の「芙」ですね。 私が長年お付き合いいただいているハイビスカスたちはアオイ科フヨウ属。芙蓉のお仲間です。 この時期にして旺盛に開花してくれていますが、昨夏あたりに墓参のふみさんの目に入っていたか・・・それをふと思ったのでした。 百歳超えの女性といえば、私の身近なところでいえば、当家三代祐傳の母、勒さん釋尼妙意ですね。「勒」の名も素敵です。 そして三方ヶ原で亡くなった成瀬藤蔵正義の妻ですね。 当家で百歳超えの奇特な人といえばこの勒さんだけです。 その齢については甚だ疑問が残るところですが私はその勒さんに関する記述「釋尼妙意記」を眺めるにあたって、やはり毎度毎度、頭の中が「なにもかにもがくしゃくしゃ」(ブログ)になって結局は「まぁ、いいか・・・」で思考を停止してしまいます。 思考停止の第一がそのブログで記した通り、勒さんの過去帳に記された年齢ですね。 まんざらすべてが「作り話」とは言えない釋尼妙意記の内容ですが、その件が腑に落ちないことによって他の件も首を傾げてしまいたくなります。 年代の誤記もありますし、表現の仕方も・・・。私がただのアホなのか・・・ 結局は450年も昔のこと、ひとえに「よくわからない」ですね。 さて、私の石垣遊びについてテキトーに記していますが、ブログでは昨日は観音寺城の石積みへの思いを少々。 野面積みの美しさでいえば松坂城も特筆でしたが・・・。 石積みを見ているだけで色々な思いが沸き起こってくるのはその真似事のチャレンジがあるからですね。 それも痛い思いをしながら・・・奥方は初回に手伝ったそれ(ゴロン・・・下敷き)で指の腫れがまだ引かず、日々私を罵っています。 最近ブログにて記していた岡崎城の堀の石垣もなかなか見事ですから角度を変えた画像を。 近くに何故か芭蕉の句碑がありました。 「木のもとに 汁も膾も 左久良哉」 桜の花見の情景、満開が過ぎた頃の花見の宴。

  • 観音寺城に見る石垣石積みのオンパレード

    昨日もウグイスの歓迎を受けました。 鬼女新田、行僧原の茶畑の奥に河原崎家一統の墓域がありますが、そちらにて墓参り。 風が吹き渡る台地上は日差しが強くても心地よく梅雨入り前の至福の時間をいただきました。 当家は分家を重ね、池新田地区に下りたグループも多くあります。 明治期の役場の記載ミスから河原崎→川原崎との変更やら「カワラサキ」「カワハラサキ」「カワハラザキ」など読み方も多様です。 ちなみに菅山の澤田一統でも「澤田」と「沢田」の字面が二通りあって、これも役所の当初の記載からのダブルスタンダード。 当時の事だから「仕方ない」。また戸籍上のこと、「今更訂正」というのも面倒というのが皆さんの共通の考えですね。 その澤田家もそうですが河原崎家のご先祖も拙寺初代今井権七(郎)とともに大坂石山本願寺に籠城し、和歌山へ退避後、天正十年六月の僥倖を機縁として遠州に下ったグループで、どちらも観音寺城周辺に居た地侍というのが私の推測するところ。 勿論、増田や野村そして布施も拙ブログで近江出身を強調していますが。 領主は佐々木六角、宗旨は本願寺門徒のパターンです。 今井権七は安土の広済寺の門徒だったことはわかっていますが 近くには足利将軍家とも親しかった唯念寺もありました。 そもそもデビューが比較的「近頃」の新興勢力、信長への反抗心は強いものがあったことでしょう。 さて、私は次回の土日で相良城本丸跡の相良小学校の裏に放置してあった「石垣の石」と思われる石たちの搬出を終わる予定です。その一つ一つの重量を腕と足の関節に受けて(腰を使うことは意識しません)思うことは、当時の人(まともな栄養ある食べ物もロクに食すことができないはず)たちの「力持ち」に「頭脳」と「統率力」そして確固たる「計画」の凄さですね。 私は石を軽トラの荷台に載せて、地面に下ろすだけの仕事。 積み上げについてはまったくデタラメ。 中でも重たい石は地面に並べるだけですから。 その「お遊び」(奥方)の最中、思うことはそれ(昔の人のスゴさ)ですし頭に蘇る画といえば観音寺城の石垣たち。 まさにオンパレードの如くその残存遺物は「石垣とはこうあるべきである」とあたかもその展示会のようにも感じます。 それらは山頂本丸付近に集中していますが、ひとえに思うことは「そもそもどうやって運び込んだのだ・・・」ですね。 他の城郭でも言えることですが、観音寺城はデカくて高い。 高低差と距離ですね。 ま

  • 松平城 在原氏以来代々の産湯の井戸

    ブログにても記していますが、今係争に発展しそうな離婚後の夫(まだ判を押していない)との財産問題と夫逝去後の財産継承問題を抱えるお二人の件を記しましたが、まさに今両方ともギリギリの判断に迫られている様。 後者が対する代表の方は「強圧的で最低な人間」(奥さん弁)で80代。「そろそろ痴呆も出てきた」(同)そうで、その方より15歳ほど若い奥様は「時間をかけてただただ待つのも一手」とは言うものの「怒りで夜も眠れない」と嘆いていました。 「精神的にいたぶって各権利を放棄させ出て行ってもらう」作戦が見えていますが、私の注進としては、その寿命について「まかせる」ことは良策でありますが、気の強い奥様だけに感情的になって無茶な返答をしないことを付け加えました。 「強圧的で最低な人間」に対する言葉は、反論として「承服いたしかねる」の一言だけ。それもニッコリが原則。 逆に相手を怒らせてあとあと訴訟になった場合の証拠集めの時期であると。 特に発言を録音して日記に記しておくことなど尚可ですね。 基本は「妻の存在は圧倒的に有利」なのですから。 「相手を怒らせてしゃべりまくらせて、自分は決してキレてはいけない」と。キレると周囲の同情もなくなりますからね。 特に「出ていけ!!」の売り詞に「そんならアバよ!!」の捨て台詞は絶対にダメですよ・・・。 その後「早速、録音機を買った」と連絡がありました。 前者については私は本人裁判を推奨していますが、彼女の本音としては「調停の色々で疲弊、今後定期的に会社を休むのは辛い」と言い出しています。 以後、地裁で継続して訴訟を維持するのは「ヘロヘロに・・・」とまで。まぁそれも選択肢の一つです。 私は、毎度の準備書面を用意、証拠となるものを提示して主張。 要は作文です。 前回の相手の主張を否定し「イベント」(口頭弁論)にちょいと参加するだけで「大した苦労はない」ことを告げています。 そもそも彼女は調停の帰りに「面白そうな裁判を見て帰る」ほどの好きものですからね。 まぁ私は、後悔しないよう「気張りなさい」と他人事ですが。 すると先日「余程裁判所に好かれているのか・・・」と画像が届きました。 よりによって東京地裁からの特別送達、裁判員の招へいです。 「当たり年」と苦笑いしていました。 さて松平城。 縄張り図は①の通り。 小振りながら戦国期を彷彿とさせる山城です。 曲輪の奥の藪の中にある井戸は「在原氏以来代々、出生に用いら

  • 正林寺義忠墓の静寂 ウグイスとホトトギスの競演

    先日、元総代が奥様を連れてお参りに。 門前のクランクに神経を使うことになりますので、普通車の場合は腕に自信がないと躊躇するところですが、境内に車を乗り入れて来られました。 それは、奥様が退院直後の杖を突いての状況、リハビリを兼ねての寺参りでしたから。 2か月以上前に自宅前の本通りで転倒して「どうにも立つことができない」で歩道上で難渋していたそうですが、そういう時に限って通行人はまったく無し。 ようやく目に入った人が近所に住むやはり檀家さんだったそうで大声で助けを求めたとのこと。 3人がかりで自宅に引き込んでから救急車を依頼。 大腿骨を骨折して即手術。2か月の入院とリハビリ生活となったとのことでした。 「ボルト装着の違和感はない」そうで、リハビリトレーニングの効があったのか「調子は良く、杖を忘れる」とも。 そして現時点の「入院」というものの難儀の数々を話されてはいたものの順調な復活の途をしっかりと歩んでいる感。 安堵させられました。 元総代はその間、「相良じゅうの飲食店を食べ歩いた」そうで、どの店のどのメニューがおいしいか、数店ピックアップしていました。 タイミングによってはあの相良で一番の繁華街、本通りであってもなかなか助けは来ないこと、あるものなのですね。 私が「転ぶ」「落ちる」時はもっと人の目につかないような場所です。 境内ならお参りの方もありますが、山城行脚などは人っ子一人遭遇しないこと、普通にありますからね。 山歩きの「一人遭難」よくある話。 私が「転んで、落ちて」動けなくなることと入院して2か月間リハビリ生活を送ること、しっかり頭に入れておかなくては。 「お前はどうする?」「まさか・・・」と平チャラの躰ですから。 スマホの電池と電波の状態は気にするようにはなりましたが・・・ さて、昨日の午前は境内で少々過ごしてから菊川方面へ。 その帰り、いつもの横地城を左に見ながらトンネルを通過後少々菅山方向に上がりますが、台地上に上りきる前に今川義忠の墓参りを兼ねて昼寝でもしようということになりました。 先日は笹子について記しましたが特に今の時分は彼らの声はもう一人前。特に山間部に入ればウグイスの声は当たり前になっています。 そのウグイスに交じって台地ではホトトギスの主張も耳に入ってきました。 ハッキリと大きな鳴き声を間近で聞くことは、田舎住まいの相良であってもなかなか味わえないもの。 その目には見えない耳からのみ得

  • 松平、徳川の世 スタートはこちら 郷敷城(松平城)

    先日、一回の軽度な脳溢血を患った方で、リハビリ療養、退院後に自宅で転倒してさらなる重篤な状態に陥ってしまったという例を聞かされました。 その奥様は「独りで行動してはダメ」と強く言い聞かせていたといいますが。 やはり当人はリハビリの効果による回復傾向にあって、「少しくらい(散歩程度)なら・・・」という気持ちも出てきたというところ。むしろその前向きな気持ちは必要です。 そして奥様が外出から帰ると玄関で転倒し意識を失っている夫を発見、救急搬送を依頼したとのこと。 症例は「外傷性くも膜下出血」。 要は独りで外出しようとし玄関の段差で転び、その際、運悪く頭を強打してしまったということ。 外出といっても外の空気を吸う程度、リハビリの一環だったわけですが。 「リハビリ」とは昨日記した心の回復能力「レジリエンス」の肉体版で体力復元のためには絶対に不可欠な回復トレーニング。長丁場になることは必定、晴れて健常復活することを念願にひたすらその長期にわたる難門をこなしていく他はありません。 忍耐力がものを言うワケですが比較的女性の場合はうまく進み、男性が脱落するというのもよく聞く話。 男の弱さが際立っているような・・・ その件はともかくとして、その転倒は一言で不運なことだったとしか言いようがありませんが、医師や妻の忠告を厳格に守っていればそうはならなかったのでしょうね。 転倒して大腿骨等の骨折もあとあと困ることになりますが頭部の強打となれば即ち「死」に繋がってしまいます。 私が思うこと。 リハビリ、歩行訓練中はヘルメットの着用がベストかと。 リハビリ介助の方が傍らに居たとしても瞬時のフォローは不可能です。 (おそらく復元・復活に)「2度目はない」ということも・・・ 「私は転ぶ、落ちる」を常日頃から頭の中に入れて置かなければならないでしょうね。 100%ミスをやらかすというのが人間(私)です。 さて、松平郷の「ハカ、テラ」について断片記してきましたが、本日は「シロ」について。 松平郷には松平親氏の手によると伝わる城があります。 松平親氏について、またこの城についての概略と復習はいつもの城郭大系の記述から。 「松平氏のこの地への入郷に関しては諸説があるが、応永年間(1394~1428)上野国新田郡世良田荘得河郷から徳阿弥と称する時宗の僧が来て、郷士松平太郎左衛門重信の婿となり、太郎左衛門親氏と名のったのが始まりという。そして重信の父在原信盛

  • 松平親氏 メディテーション(三昧)はレジリエンス養成

    拙寺が月一回、催している「念仏メディテーション(三昧)」。 なんとかこれまで1度も休まずに継続させていただいて、今月で1年と5カ月が経ちました。 堂内は薄暗くて当初はどなたかわからない部分がありましたが、参加者の異動もあって最近はいつもの顔ぶれとなっています。 当初この「メディテーション」の、やりかた、思考方法などを説明したことがありましたが、それは主に呼吸法に重点を置いたもので思考については「感謝に帰結するポジティブなもの」であれば比較的自由というのがこれまでのところ。 そして基本「私のお話は無し」で「質問があればどうぞ~」的に閉会していましたが、今回は少しだけお話の時間を前後に付け加えさせて発展を考えました。 それが表記、「メディテーション(三昧)はレジリエンス養成」のための訓練である・・・という件です。 あまりにカンタンそうで人によっては「バカバカしい」とも思われがちになるこの瞑想タイムは何時でもどこでも「自分勝手」ではありながらも3回くらいはやって欲しい「訓練」です。 また「念仏メディテーション」と「念仏」を冠にする理由はやはり同じように瞑想修行と一般に知られる「座禅」との差別化ですね。 その禅の中心的考え方は「私の心を(時に「無心」に)一点に集中すること」と私が決めつけるとすれば、念仏~の「集中」に関してはそれを努力するもののその散漫・無集中についてはただ許容するというところ。 人間だからその集中はそもそも無理であるというのが大前提であるということです。 集中しようとしてもし切れないのが人間の本性であり、逆に集中しすぎるとドツボにハマってしまうもの。 最近の私の例でいえば内視鏡検査かも知れません。 内視鏡カメラが口の中から食道を通って胃の中をあっちこっち行ったり来たり、人体の構造の問題(異物を吐き出そうとする拒否反応)と心理的不安が増幅する瞬間ですが、看護師たちのアドバイスは「目を瞑るな」ですね。 目を閉じて自分の世界で「集中」するということは「不安」の増幅以外の何物でもありません。 よって目を開けたままにして外部の情報を収集し要は「集中するな、散漫になれ」ということを示唆しているのかと。 健常状態に於ける「究極の苦痛」を体感した際、そのストレスに対してその心はストレス一点に集中してしまい、思わぬパニック状態になり得るのです。 そこでメディテーション。 おかしな話というのは、そもそも「完全な集中」などで

  • 相良城本丸跡 相良小学校 その敷地の裏側に

    昨日は快晴でホットな一日、例の石材搬入にはベストな日和でした。 積み―おろし―積みの1.5回戦を。 奥方はペットボトル1本を差し入れに徒歩で来てくれました。 最近は奥方の石の手伝いは一切なしです。 私も独りでやりきるコツは習得しましたし・・・ 「男女に差別はない」が主張される時代とはいえ、この手の仕事は「女は足手まとい」に感じること他なりませんからね。 余計なことですが3Kの仕事に関しては女性たちは率先してその「均等」を主張してこないように感じます。 現場を知らないということにもなりますから、やはり女性陣はバリバリ、泥だらけ傷だらけ重いものだらけの世界に飛び込んで自ら「叩き上げ」ていかなくてはね。キレイな仕事をなどと「選んで」いてはその「均等」にはならないでしょう。 石を軽トラの荷台に載せたままにして風呂にザブン・・・でその日の仕事をおしまいにし筋肉痛をほぐすことにしました。 何しろ1回戦目の積み込み後、しっかり昼休み(通常は一気にやっつけるまで・・・が基本)を取ってしまいました。 それは腕を守るために長袖のツナギを着込みその暑さのため思わず体力が消耗したからです。 水分補給に関しては「よくもまぁあれだけ飲んだ」と圧巻の補給量でしたが、それだけカラダが欲っしていたからでしょう。 ちなみに「長袖」「長ズボン」のツナギはどうしても石を抱える状況があるため、特に両腕が傷だらけになるからです。 相良小学校の裏にバラバラに放ってあった相良城の積み石だった(かもしれない・・・確証はありません)石材をせっせと寺の外構に並べてきましたがあと10個程度を残すのみとなりました。 気持ちとしては産廃として砕石されて路盤材となる運命となるならば・・・と拙寺にそれらを集積しようという勝手な発案をしてそれを教育委員会が了承したというもの。 「ご自由にどうぞ」ですね。 またそれらを並べることによって拙寺西側土塁下の土砂の消失に歯止めをかけることができます。 奥方から「(あの量の石材を)一人で積み下ろしするヤツは・・」「まぁ一言、異常だ」などとお褒めのことばをいただきました。 作業中も通行人にしろ檀家さんにしろ「よくも・・・」と呆れられたような声をあげてくれますがそれも励みになりますね。 しかし私も当初は「大変だ」とは思ったもののやってみたら意外と「大したことなし」の感。 あれだけあった石たちも並べてみれば量的に「少ない」をも感じるくらいでした

  • 笹子鳴く 高月院の 昼澄めり 家康お手植えのシダレ

    昨日ブログでは訴訟に発展しそうな事案を2つ記しましたが昨日の法要の施主も同様の問題を抱えている方でした。 坊さんがその手の紛争の件、知ることが多いのはそれが人の「死」をもってスタートするということでしょうね。 ある意味自身の「死」についてあまり理解されていないうちに後処理をまかせて逝去する方が多いのかも知れません。 「まだまだイケる」と思い続けて亡くなってしまうのですが、「飛ぶ鳥なんとやら・・・」とも言いますし、「あとのこと」とはいえまかせずにできるだけ事前に片づけて始末、それ基本でしょうね。 檀家さんのドロドロの訴訟合戦に坊さんが顔を突っ込んで恨まれるという例も聞き及びます。どちらかに肩を持てば相手の心情を悪くして良からぬ噂を立てられる・・・是非に避けたいところですね。 檀家さん同士の場合は静観、檀家さんと私と無関係な人との「諍」でしたら檀家さんの肩を持つというのは当然ですね。 しかし大抵その財産権の主張合戦にいくら坊さんが仲裁に入ったとしてもこじれ具合が修復不可能な域に達しています。 双方とも冷静さを失っていることが多いものです。 何度も記しますが「私も死ぬ お前も死ぬ」のですから、そのあの事大したことがないのですから何とかしておきたいものです。 今回の事案は正式な葬儀主催者不在、嫁に出た娘が相続権者となりますがそれが後妻の娘。他に前妻の娘が居て、その方と土地家屋の相続で争っているとのこと。 またご夫婦には養子で居れた娘が居て、家を出てきり、葬儀式にも来なかったとのことでした。 本来ならその幼女が葬儀を出さなくてはならないはずでした。 「育てていただいた恩もへったくりもない」というのがこの世に棲む人間の本性なのか・・・とも感じた次第。 鳥たちでさえキレイに旅立つのだから。 人の「死」に立ち会うということは他にも見たくない色々なものとの遭遇がありますね。 かつて罵りあいの場面に出くわして「まぁ、まぁ そういわずに・・・」と宥めれば「住職は帰ってくれ」とまで言われたこともある私です。 さて、心和む山のお寺の境内の歌碑。鳥の声を聞いて心の濁りを一掃したというのでしょうか。 場所は昨日ブログと同様、松平郷の高月院です。 ③画像 「笹子鳴く 高月院の 昼澄めり」。 今の時分ともなればウグイスの声は既に立派な美声ともなっていますが、春先のその声はいかにもヘタクソでそれでいて一所懸命さを感じさせます。 「笹子」とは冬場のウ

  • 高月院の松と松平東照宮前の見初め井戸 訴訟話2題

    日頃檀家さんから各問題の提起を受け、お話を聞かせていただくという立場にある職種にある私。 傍から見れば「首を突っ込む」が如くの私的な問題であっても最善を尽くすようアドバイス・・・になるかはわかりませんが、一応の私なりの意見をさせていただいています。 基本スタンスは「阿弥陀さんにおまかせ」ではありますが、「命ある限り一所懸命」というのは私どもに課せられた当然の生き方。 突き付けられたテーマに関しては淡々とできる限りの対処をしていくべきことが第一となります。 そこで私が聞いているお話の中「ややこしい」問題2件について記します。 二つとも裁判沙汰に発展しそうな事案で要は民事訴訟に発展しそうな件。 それは「おカネ」での解決を目途とするものですね。 世の中、権利関係が複雑になった・・・とはいいますが、この2つはともに実にシンプル。かといって難題。 どちらも女性の権利をどう保全するかというもので(当然に2件とも女性からの相談です)、一つが離婚と財産分与。 そしてもう一つが夫逝去後の遺産分割。 どちらも相当複雑に絡み合っていて前者は(相手は弁護士を雇っている)調停の不満から民事に移行して本人裁判が維持できるかどうかの段階。もう一つが弁護士を既に雇ってはいるが、どの段階で訴えを起こすかというもの。できるだけ相手が行動(おカネに手を付ける、移動する)に移すのを待つというワケです。 悪い表現ですが後者の場合、「お相手はお年頃(80代)だから我慢一筋。こっちが長生きして頑張る・・・」と。 家庭の財産についてとかくどうこうと知りたくもありませんし、それらの主張を鵜呑みにすることはできませんが基本、①の場合は本人裁判にするならば支援は惜しまないので勝てると思うなら「(後悔しないよう)やるだけやれば・・・」ということを伝えています。その場合書面の作成をコーチ、相手の不合理を指摘して書面で戦うことになりますので詳らかに財産内容を把握する必要がありますね。 そしてまた本人裁判は口頭弁論の準備書面を送付したあと呼び出し日に必ず出廷しなければなりません(10か月程度)。 それがなかなか厳しいというのが実情ですね。 本人裁判のメリットは素人風を吹かせられるということ。 プロの弁護士同士に裁判官の3者で事が進んだ「和解勧告」ではしばしば納得がいかない場合もあるもの。 本人が参加してより良い和解勧告を勝ち取る、それに尽きます。 後者の場合は本人以外の他の

  • 高月院墓域 松平親氏と泰親 遠く西林寺を思う 

    昨日はたくさんの学びがあった日。 平成四年に幼少児教育の道に専念すべく菊川平尾の西林寺を廃して活動拠点を現在の堀之内幼稚園に完全移行した藤本照夫氏氏が逝去されて、私は菊川の葬儀会場に初めて出向きました。 藤本氏は西林寺の最後の住職でしたが以後私が耳にする園長先生、理事長先生の語の方が馴染み深いものがありました。 最近、体調がすぐれないということは菊川在住の檀家さんから聞いていましたが、私としてはもっとたくさんの事を伺いたかったと後悔の念も沸き起こります。 私は開式時間より1時間ほど前に到着。 ご家族の方たちに事前に面会、挨拶をしました。 無沙汰の失礼をお詫びし、御悔やみを。 葬儀は「内陸ルール」。 ご遺体前で葬儀をして葬儀終了後に火葬場へ。 その後葬儀場に戻って換骨の七日法要を行うというものですが、脇僧たる私は葬儀式のみでの解散。 ご家族縁者にはお話ししたいことは山ほどありますが、ここは自重するところでした。 よってほとんど仕事らしい仕事もせずに帰路につきました。 尚、その「内陸ルール」に対する語が当地区の「沿海ルール」。 要は先に火葬して遺骨の前で葬儀式を執り行うパターンですが、導師のご理解では「海難死者が多いから・・・」それに対応するためと。 説得力あるご説ですが、私はそれだけではなく「たまたまの習慣」だと思います。 それにその「沿海式」だと火葬場可動の時間が午前早くからになって、件数が増えても対応が利きます。 とにもかくにも式進行について「私と違う」ことばかりの発覚。 きっと私のやることなすこと、ダメダメなのでしょうが、「通夜に勤行をしない」「出向かない」「通夜は脇僧」「通夜は法話だけ」「火葬場勤行には行かない」等々のお寺さんのやり方もあるとの件。 省略系「やらない」と思われがちの各お寺ごとの習慣(お寺グループの分業制もあります・・・)が見受けられる中、とにかく「手厚く」は私の初心からの習慣ですのでそれだけは継続してやっていきたいところです。 私の如く時間を持て余しているのですから、「全部」を私の手で・・・です。息子が来たらまた考えます。 さて、昨日の太郎左衛門系の墓域とは別に初代太郎左衛門、松平親氏の墓がそのさらに先の石垣と階段のある「高い場所」にあります。 向かって右が松平家二代の奏親の墓。 看板の通り「宝篋印塔」であることは間違いないところですがいずれも完全な姿でない「残欠」に近いところ、かなり妙です

  • 高月院寂静寺 太郎左衛門家墓域

    先般、息子の3回目ワクチン「打たない宣言」に閉口したわけですが、数日前のニュースを見ると「3回目ワクチン」の効果の有無について、3回目接種率を上げるための厚労省のデータ捏造があったことを報じていました。 新規陽性者数のデータを「未接種者の陽性者数」を増やすために操作していたといいます。 やっぱりこの国の政治についてあらためて「信用できない」を思うワケですが、息子の方がその辺りの件いち早く察知していたということ。 先日来、息子へ「3回目ワクチン早く打て」の私のその根拠レスをも思いました。 齢を重ね、出されたデータをただ信用しまくり、騙されたということでしょうか。 若い連中にはその接種有効の根拠はなかった(かもしれない)のでした。今のところよくわかりませんがね。 4回目の件、スタートするようですが、とりあえず私も様子見させていただくということで。 オレオレ詐欺だ結婚詐欺だ不動産「借金投資」だの人を欺くことばかりの世、国のデータの改ざん(フェイク)の風潮も一役買っているのでは・・・ その不動産「借金投資」に関しては今、若い連中がカモられてい るという流行りものの詐欺的契約です。 経験の少ない分、人の話を真に受けて甘い儲け話にのっかってしまうという構図。 息子にもその件メールで念押ししましたが、「放送を見たからって・・・」とウザそうに返信してきましたが、一応その番組を彼も視聴していたということで安心したところです。 一昨晩のNHK「クロ現」でしたが、スルガ銀行による不動産投資向け不正融資の「うまみ」についてヒントを得たのかあくどいペテン連中がうまいこと若い人たちを騙して金品を掠め取っているそう。 それも将来未来の財産を身ぐるみ奪い取るというやり方ですね。 銀行を騙し(不動産購入のための収入、資産の捏造)て借金契約を仲介、その金をそのまま奪い取るやり方ですが街頭やマッチングアプリ等で知り合った人間にランダムに、言葉巧みに近寄って不動産の投資話を持ちかけるというもの。 契約まで持ち込んだ「カモ」をゲットしたその勧誘員の成功報酬たるや1件100万円と高額ですが、詐欺システムの利益からすれば微々たるもの。 現状、法的責任はローン契約をした者のみ。 要は銀行との直接取引をしたのは当人ということになりますから・・・それを唆す勧誘システムのあくどい連中はウソだらけのローン申請書の作成を指南します。 それに基づいて銀行は資金提供するので

  • 山号は本松山 阿弥陀如来立像と葵紋 高月院寂静寺

    昨日も朝から連日の榛原病院行き。 人間ドッグで内視鏡検査(胃カメラ)を選択した場合は一日前にPCR検査で陰性の確信を得たい・・・というのが今の病院の態勢です。よって一昨日の来院は事前検査でした。 最近はブログにて「死ぬよ 死にます・・・」と「死」の語を吐き散らかしていますが、実は私、今年になってからこれまでになかったような体の不調が出てきていたわけで、まぁそれをあげていればキリがないのですが、特に「そろそろお年頃」ということでしょうね。 また、仕事がら頻繁に耳にする嫌悪すべき、「ステージ3」だとか「余命3カ月」の宣告について、それが今あったとして「覚悟があっていい」というのが昨今の気持ち。 それ(病)ばっかりは年齢に関係はありませんしいつもの蓮如さんの御文(5-16 白骨)からすれば 「我や先、人や先」の通り「私が先に(死ぬ)」こと往々にあって「(今日とも知らず、明日とも知らず)おくれ先だつ人は、本(もと)の雫、末(すえ)の露よりも繁しといえり」・・・で後から後からどんどん追いかけていくように人は死んでいくもの。 命の儚さをしばしば「露」に喩える(あっという間に消えてなくなる)ことがありますがその「もとの雫」と「すえの露」の対比について松の大木を連想してみてください。 「もと」とは大木の幹部分、「すえ」を松葉とし、その松葉の先端から零れる露を命に喩えます。 するともとの大木の幹に流れ落ちる雫は先端の松葉の先からの露より断然多いもの。 なにしろこの「私」の生かされている世界には「死」というものが隣り合わせの如く無数に「ある」ということです。 それも「人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば」であって年齢老若の順番などまったく関係ありませんから。 ということでいつもと違った人間ドックの(仮の)検査発表を覚悟しながら神妙になってその部屋に入ったのでしたが、結果は「概ね問題ないだろう」との弁。 私のその継続許諾を頂いたようでありがたく生かされている自身の命をまたも実感。 改善すべき点への指摘は多々ありましたが、一番気になったのは心電図を見ながらの「飛んでいるね・・・」。 「心臓が止まっている時があるの?」と聞けば先生はニヤニヤして黙るのみ。 そもそもその件、若い頃に私は「洞性不整脈」を指摘されてい て、この頃それを言われなくなったものだ・・・と安心していたのでで、治ったワケではなかったということですね。 スグにどうという

  • 手作り棺 プロに依頼してみた コンパネ製

    昨日は榛原病院からの帰りに、榛原警察署に寄り道。 交通課のカウンターで例の標識とその対応についてその担当部署を聞きに立ち寄りました。 すると管轄が島田土木事務所ということが判明し、自宅に帰ってから電話で陳情した次第。 対応を検討するとの返事をいただきました。 今のところはあの「直進の錯覚による逆行」からの事故発生はないようですが、まぁその件「わざわざそこまでやることもなかったのかもね・・・」と奥方にぼそりと言うと、「冗談じゃない。あの道は我らも頻繁に使用する道。私たちが走っている際に、たまたま逆行車があること。それを考えよ・・・」。ごもっともなことでした。 まぁ「錯覚を起こす構造」について、それを黙っていたら、法律上「故意」に近いような市民としての無責任。 早急な対応を期待しますが、さぁ、どう動く島田土木事務所殿。 進入路のレーンにポールを数本立てて進入禁止の掲示をするか、あの「矢印」の掲示の方法を再検討するか・・・ ここ数日、市内は交通事故頻発。 当方過失についてそれが無きよう厳重な注意をもってハンドルを握ることは承知していますが、無過失でたまたま、いわゆる「もらい事故」による死亡事案も多く見受けられます。 普通に自動車を運転していてどなたか知らない人の一方的な過失によって突然の死を迎えることになるのですが、被害者からすればあまりにも突然すぎて「自分が死したことさえも知らない」ようなこともあるでしょうね。 交通関係の「死」の悲劇は案外と身近なものがありますが、特にそのタイミングはそれだけに関わる物でなく他にもいろいろ、そこここに転がっている事案です。 「突然」で「身近」が昨日も記した蓮如さんの「朝には紅顔あって~」の通り。 「どこにでもある」のですから、「そろそろ死ぬぞ」といいながら、たまには息子にとlineではなく「直電」してみました。 3度目のワクチンを「打たない宣言」している彼で、メールでは苦言を呈していましたが、電話ではその件触れず。 いたって元気そうな声でした。 問題は何時「相良に帰ってくるか」ですから少々の振り。 「いつ死んでも不思議のないところだが帰ってこれるのか? 」です。その時はいつでも・・・と臨機に動くとのこと。 それさえ聞ければ、「ありがたい、ありがたい」と棺桶の蓋を締めてもらえるというものです。 というのは先般、ある事情から棺桶を一つ大工さんに作ってもらいました。 早速本堂中央に設置して

  • 高月院 元は在原信重が足助氏から招いた僧の寂静寺

    昨日の法事でのお話は「お前も死ぬぞ」でした。 先日の掲示板の記憶があってそのような人様の耳に障る語を成行から吐いてしまいました。 まぁ法話としては死はベストな題材ですが。 人間は愚かですから、自身の命は未来永劫にわたって続くものと錯覚しがち。 時に「神の如く」我が物顔に立ち振る舞うというところ「ある ある・・・」。 蓮如さんの仰る「朝(あした)には紅顔あって 夕(ゆうべ)には白骨の身となれり」の文言もまた。 なにしろ人の命は「あっという間」ですからね。 感謝と思いやりが足りない昨今。修正していかなくては。 午後になるとある檀家さん(女性)からの電話で「今から寺へ行くのでヨロシク」と。 午後からは例の相良城石垣に使用されていた(模様・・・)の石を一回戦でも運び出しに行きたい・・・などと考えていたところでしたが、その声にいつもと違う雰囲気が漂いまさに非尋常。 「どうぞどうぞお気軽に・・・お待ちしてま~す」と予定を変更したのでした。 その手の「お話を聞いてください・・・」の件は、他の葬儀依頼の電話から比べれば私にとっては余程お気楽です。 ただし今回はその話を聞かされて、それはそれはひっくりかえらんばかりに驚かされたわけですが、ハッキリ言って前代未聞の無茶苦茶、「怒り心頭に発する」とのことでした。 それでいて要は軽々にブログに記すことができないようなことで残念。 そのような「ヤバそう」な話を私ども(その方は当方奥方とも懇意)にブチまけてしまうなど、ある程度の「信頼」の証拠でもあって、少々の嬉しさもありました。 雰囲気的にその差し迫った問題に対して当人は「訴訟になるだろう」との決意がありました。 気の小さい私は「その件私は聞かなかったことにしますが、応援はします!!」「『地裁で会いましょう』の台詞を吐いてやってください・・・」と。 その件、(私どもに)迷惑をかけたくないので勿論今後関りについては口外することなどなく、「弁護士を雇って徹底抗戦する」とのことでした。 今後の推移を見守るだけです。 尚、訴訟に上がる先方様は当方檀家さんではありません。 いろいろ存じ上げている方ですが。 その方は「あいつが死ぬまでこっちもとことん頑張る」とぶちまけて帰られましたが、内心その相手さんも「いずれ死ぬ」(少なくとも年の順番だと「早い」)のだから「飛ぶ鳥~なんとやら」でもっとうまいことできないものかと呆れたところです。 死んだ後に「アホ」「

  • 松平太郎左衛門親氏の始まりは在原家 信盛信繁水女

    昨日は朝からずっと一日中、くずぐずの天気。 曇天-ポツポツの繰り返しで、堂内は「少し肌寒い」との声が聞こえてきました。 傘を持つか持たないか選択に迷う日でしたが、考えてみると私は最近になって殊に傘を持ち歩かなくなったことは確かな事です。 少々の降りならば「大したことない」とばかりに傘を持たずに家を飛び出すことが多くなったのは自家用車利用の「ドア―ドア」ばかり、その始末が面倒というのもあって存在意義が低下したのでした。 その件、基本雨の日は出歩きたくないという性分もありますが、自分の足で歩かなくなった証左。 「歩かないと死ぬ」に近い事を日々記している割に自分の事になるとこのザマ、恥ずかしいことです。 昨日は正座の時間が比較的長くあった一日でしたが、足の関節の痛みが久し振りに出現しました。 どちらの坊さんも最近は「椅子習慣」が常態化し、いざ正座となった際、耐力が落ちていると聞きますからね。 習慣というものは恐ろしい。 せめて足が退化してしまわないよう心掛けたいものです。 要は「歩け」なのです。 この雨がちな天気は逆に西三河の農家にはまずまずの天気でしょうね。 抜本的な改善(矢作川明治用水漏水事案)には至っていないのですが、私の単純な疑問・・・工業用水と農業用水の二者択一。 工業用水優先で水を供給するの件です。 あたかも強い者と弱い者を分けて強い者の方に肩入れするの施策。どちらが大事かの判断がそこで「勝手に」されたということですが、その根拠は・・・?です。 せめてその理由をハッキリ聞きたいものです。 世界のトヨタさんとその系列VS個人経営の農家たち。 個人的には「食の大切」を思いますが。 さて、時宗の流浪の念仏僧、徳阿弥がひょんなことから三河の矢作川中流域、準山間部の松平郷に現れて田舎の一土豪として松平親氏を名のり、めきめきと頭角を現して周囲を浸食、勢力拡大し瞬く間に三河松平の名を確固たるものとして、紆余曲折の中、家康からの天下獲りの道、というのがこの松平家サクセスストーリーの大雑把なところ。 徳阿弥こと松平太郎左衛門親氏を名乗ったそのきっかけが在原信重がその女(むすめ)「水女」の婿として徳阿弥を迎え、松平郷を継承させたというのが定説。 昨日記した松平東照宮の「産湯の井戸」の裏山、といっても前の道をしばらく行った場所に在原家の墓域があります。 正面中央に在原信重の父、信盛。向かって右が信重。「三峰院殿従五位下天外重林大

  • 松平郷 松平東照宮の家康産湯の井戸

    昨日は大腿骨等の骨折を起因とする高齢者の「五年以内死亡」について記しましたが、骨折は高齢者に限らず誰でも起こり得ること。 事後快方の行方は治療から同時進行するリハビリに当人が着いて行けるかどうかにかかっていることですね。 高齢ともなれば、根気も精神力も消えゆく身でありますから脱落も無理もないことです。だから「5年」なのでしょう。 また、「老」ではなく、高齢と骨折とは関係なくいわゆる「病」によって長期療養という例も多々あります。 昨日はたまたま11年間の診療入院のうえ亡くなった方と5年間の療養も「悪くなるばかり」という方のお話を伺いました。 前者は50代後半に若年性アルツハイマーを患ってから乳がんが発見されそれが、転移を重ねた結果の「死」でした。 終末はもはや意識が無くなって昏睡状態に近くなっていたそうですが、後者の方の進行性パーキンソン病の現状も同様のことといいます。 病にも色々あってまた、同じ病であっても人によって症状がまったく違って出現し、甚だ「よくわからない」というのが本当のところ。 そして他人様の病の辛さはやはり「私がそうでない」ことから、なかなか身に伝わってこないものがあります。 「気の毒なこと」とは思いますが、ニワトリではありませんが、ついつい刹那のうちに頭から消えてしまうものです。 かといってその件だからといって「私はダメだ」とは言い切れません。 「他人(ひと)のことはわからない」のは人間の性。 またそれぞれの人たちは「私の問題」を大いに抱えていますから。私なんぞは「私のこと」すらわからないくらいですから。 みんな「いっぱいいっぱいで生きている」ということですね。 そこのところが御開祖の言う「悪人こそ・・・」の悪人正機と「他力の本願」なのでしょう。 なんでもかんでも意に反する都合の悪いことあれこれ「しゃあない しゃあない」とそれでも感謝しながら「今」生かされているご縁を心にして、前に進んでいこうとする心が当流の言う仏心でしょうね。途中サボったとしてもそれもヨシ。 さて、「老と病」そして「死」について記しましたから「生」について。 本日の「生」は「産」の方。 この字は「生きていく」苦しみを含めた産(生)まれたことから始まる「生」で四苦のうちで一番に長期に渡る苦しみなのかも知れません。 人によっては「楽」の境に持ち込める「遇う」があるのもこの生ですから人次第、多岐にわたって変化するところでもあります。

  • 「おまえも死ぬぞ」 高月院掲示板から 

    昨晩の「トリセツ」(NHK番組)のテーマは「骨」。 骨といえば最近よく耳にするのが「大腿骨骨折」です。 叔母がそれで施設入所となりました。 年配者の場合はその事案の結果5年生存率が低くなるとのこと。 要は5年以内に亡くなることが多いということですがその件大いにわかります。 数日間寝込むことから始まるその治療そのものが致命的なのですね。筋肉を失うということです。 かといって治療はしなくてはなりませんしまた安静が大事ですから・・・ 動かないで寝ていることからくる筋力低下のチェーンリアクション。動けないから動かない・・・すべてにおいて「ヤル気」をも喪失させますからね。治療が老化を早めるという歯がゆさ。 歩行ができなくなることによって「今」という恩恵を無くしてしまうのです(「死にむかって進んでいるのではない 『今』をもらって生きている」 西念寺坊守 鈴木章子さん)。 ということで寝込むことはヒジョーにヤバいのでその原因となる骨折をしないことが肝要となります。 骨の強さを死ぬまで維持してかなくてはならないのです。 40~50歳で骨粗しょう症と診断される人もいるようです。 骨を折ることなく「今」を全うするために番組推奨の体操を。 「30代から始める!1日たった90秒“骨の若返り術”」はたったの一日50回/90秒の「かかと落とし」です。 数回に分けてもイイその50回。 カンタンすぎるその効果が出るのは半年後とのことですが「続けること」大切です。 呆気に取られるようなカンタン体操。 以前から言われていますがますます拙寺本堂でも推奨していきます。 さて、表記のネガティブ風掲示板文言は以前もどちらかで記していますがそのダイレクトに心にインパクト与える文言は、世間様からは案外と肯定的に捉えられるようです。 まぁ「いたって当たり前」の事なのですが。 そしてそれは「突然」の到来も大いにあるということですが、「いつまでも『今』の如く」続かない」(無常)という仏教的思量からくる「私自身への警鐘」であると了承するのでしょう。 これから迎える夏、芭蕉の句 無常迅速 「 やがて死ぬ けしきは見えず 蝉のこえ 」 なども心に染み入るようになる年頃となりましたね。 「年頃」というのは若いころのイケイケ感が年とともに「諦観」へと変化していくということですが、とかく人というものは「自分のことはわからない」のが必定。 他者の「老病死」については「わかる、わか

  • 松平東照宮の無量寿経の件 何事も「念には念を」 

    矢作川の堰(豊田の明治用水)に大規模漏水が発生して下流域、工業用水と西三河の農業用水に影響が出ているというニュースがありました。 今時、我が国で水が枯渇することなど想像もできないことでした。海外では気温の上昇傾向、特に今年はラニーニャ現象による影響とやらで「少雨」になり異常な乾燥状態が続くという自然災害については聞こえてきますが、今回の「漏水」は人工物の経年劣化を思うところ。 流水の地下のことですからカンタンな対応はできないことですし日常のメンテナンスでは「手が届かない」ことはわかりますがこの件、対応が長引いたりすれば「どうするんだよ・・・」と素人の考え。 田に水が引き込むことかできないので田植えができないと農家の方が嘆いていました。 井戸水等水源の手当てのできる人は稀でしょうからね。 水というものは普段何気なく時として「無駄」(湯水のごとく)とも思えるほどタップリと使用させていただいていますが、イザそれが「一滴も出ない」などとなれば大慌てになることは必定のこと。 拙寺の井戸について旧来からの手動ポンプをメンテしつつ「時々」思い立った時に使用していましたが、今はまったく不能となってただのガラクタとなり果てています。 ピストンを新調してまもなく、革製パッキンが乾燥によって劣化、その後もピストン周囲に対策を施しましたがダメ。 諦めました。 それは「時々使用」という頻度の少なさが問題。どうしても「近くの蛇口をひねるだけ」に頼り切ってしまうということですが今はポンプそのものを交換しようと考えています。 今回の「水が無くて困る」は他人事ではありませんからね。 大井川上流の例のトンネル工事で「水」が消えてしまったら頼ることができるのは井戸ですからね。 それこそ「念には念」。ポンプの新調は一大事です。 さて、松平家始祖松平親氏の松平郷には当たり前の如く東照宮があります。 ただしその名称は「神君家康」以降のものですから当初からのものでない「後付け」であることは推測できますね。 当初はやはり松平家の屋敷内の八幡だったとのこと。 そして当時は親氏自身「神になる」など考えもしなかったことでしょう。親氏が家康の東照宮に合祀されたのは昭和40年といいます。 本殿をさらっと拝見させていただいて、他の神社では見かけることはない文言が。 さすが時宗の僧「徳阿弥」=太郎左衛門親氏を祀る神社ならではを思いました。 天下和順 てんげわじゅん 日月清明

  • 松平郷 徳阿弥の放浪の仕舞い 松平太郎左衛門親氏

    天気予報を参考に、午前から「さぁ、ひと仕事」という具合に取り掛かりました。 すると雨がポツポツと。しばらく様子を見ましたが雨のやむ気配はなく、途中で放り出しました。 カンタンなセメント敷設の仕事でしたが降雨はさすがに具合悪し。型枠のみ工作設置しておしまい。 晴れとはいわずもせめて雨が降らなければやれる仕事はあるのですがね。昨日はそのあとの仕事の予定も入れてありましたから残念な一日でした。 それが先日来持ち込んで並べた石垣の設置しなおしです。 どちらにしろ大差ない仕事になりましょうが・・・ また、搬出する石垣が置いてある場所は雨が降ればぬかるみますので、そちらでの行動ができる土日のその3日~4日前の連続した晴天が必要となります。土日は大抵は法事が入っていますのでタイミングがなかなか合いませんね。 さて、法蔵寺(昨日まで)が松平家の菩提寺としての始まりは松平家そのものの始まりと言われる松平太郎左衛門親氏がこちらのお寺の有徳人となったことから。大旦那ですね。 徳川家の「菩提寺」といわれる寺は多々ありますが、法蔵寺も同様、宗旨は浄土宗というのが定番。 家康の旗印「厭離穢土 欣求浄土」の通りです。 それはそもそも始祖親氏が「徳阿弥」(→當麻山無量光寺)を名乗っての放浪の結末、三河松平郷に赴いての出世だったということ。 まぁその徳阿弥のストーリー含め、徳川家の源氏出自を脚色演出の創作だったというところは各指摘されていることで、その時代に関わる系譜等どれも「一説に・・・」付きの記述となることは致し方なし。 「都合よく書き換える」、「体裁を整える」は勝者の常道ですからね。 画像は松平郷(豊田市)に建つ松平親氏の像。 武将の銅像数ある中、私はこのあたかも短パン+ゴム草履の如くの恰好でデカイ人差し指を指す姿は「悪くない」と思います。 キレ者の性質(タチ)を連想。 「

  • まさかと一蹴できない近藤勇の首 法蔵寺

    「あれからどうした?」と息子に問えば「まだだよ」と。 「あれ」とは牧之原市の3回目のワクチン接種券を転送したことです。 てっきり接種は済んでいるものと思いきや、平チャラの態で生活していたようです。 「自分もそうだが他人に迷惑がかかる」と説きましたがおそらく彼はその予約はしなそうな感じ。 それでも私は「お調子にのるのはほどほどにしろ・・・」。 若い連中のすべてがそうではないのでしょうが、ワクチンを打った副反応で具合が悪くなるくらいなら、軽度で済むことも多々あるコロナに罹った方がマシ、「仕方ない」という感覚が「蔓延」しているよう。若さ故のお調子者感覚なのでしょうね。 3回目のワクチンの接種が進まず、各地で有効期限切れのワクチンが廃棄されているようですが、彼らの体を宿主として強かにそのDNAを伝播させるべく変異を遂げようとするウィルスは今の収束感漂う人間界の雰囲気は大いなるチャンスなのかも知れません。 ウィルス(自然からの警告?)の戦略というものを考えれば「今はヒトへのダメージ」強毒性の致死率を下げて「種の保存」に傾注しているが如くに見えます。 未発症の若者の多さからそれを感じます。 そして淡々とヒトの体、あちらこちらにと生き続け、また再び人間たちに都合の悪い形として変異してさらなるパンデミックが起こるのでしょうね。 私の思うその根拠は毎度毎度「人というものの都合通りに物事(自然)は動いてくれない」というところ。 私もこの齢になって感じること。その「都合」は拒絶されることばかりで。 ここへきて北朝鮮の感染者が爆発的に増加しているようですが、大量なるウィルス培養地帯がそこに発生したということですね。 あのお国にはコロナ対策としてワクチンを接種するといったシステムがありませんので今後の展開が見ものとなります。 世界的なコロナ実験場になったということかも。 これまではそのお仲間の中国がヘルプするというのが常でしたが、今でいうとその国もまたコロナで国内経済が疲弊しているというニュースが毎日のように届いています。 日本では期限切れのワクチンを大量廃棄、あちらにはワクチン無し。人道上の支援の道を閉ざさないことは人として国として不可欠なことですが、あれだけ日々ミサイルをぶっ放していきり立っていたそのお口で「お願いしま~す」はさすがにみっともなくて言えないでしょうね。 「みっともない」といえばウクライナが日本に「感謝しないのはけしから

  • 将棋王位戦対局実現? 鐘楼門の雄姿色々 法蔵寺

    先月末発信の牧之原市のサイトにもありますが、将棋の藤井聡太氏が相良にやってくるといいます。 将棋と言えば県内では掛川市が名乗りをあげていますが、ここへきて当牧之原市も手を挙げたよう。 それが「お~いお茶杯 第63期王位戦」第6局~というもので相良大江の平田寺書院が会場とのこと。 ただし第6局というところ。 王位戦のタイトルは4勝先取で決定するため、その「6局」まで対局が持ち込まれるかといえばかなりの確率の高さで空振りに終わるような気もします。 一方的な連勝があったりすればその企画はおじゃんですからね。3勝2敗、2勝3敗の拮抗した勝負がなくては・・・ それに関わるということは最初からその勝敗結果にやきもきしつつ待たなくてはなりませんので、結構に疲れますし辛いですね。「藤井さん、どうか負けてくれ~」となるのでしょう。 一応、予定は決まっています。2022年9月4日5日ですが。 せめて1局~4局、1歩譲って5局目くらいでないと実現は難しいかもね。 まぁその実現も時の運ですが今回その対局会場として誘致できたということは「へ~え」と感心したものです。 そのうちにいずれ実現できるのではないでしょうかね。 その際は、「い~ら」のステージに大きな将棋判を用意して、対局をライブ実演できるようにするとのこと。 この誘致活動の根拠というものが将軍家治が将棋好きで七~八段の名人クラスだったと。 「対局に忖度があったから」というのが定説(当然でしょう・・・)ですがその将棋を指南したのが「田沼意次だった」というところがその将棋の街に仕立てる道筋になります。 掛川が先行した将棋の街ですが、これから仲良くやっていけるかな? どちらであってもその対局の場を提供したいというか「藤井氏に来てもらいたい」ところよくわかりますから。 さて、昨日の法蔵寺来迎橋を渡っての圧巻は鐘楼門の存在です。 その門のタイプはそう珍しい建造物ではありませんがこちらのお寺の場合、その門が階段上にあってあたかも頭上に聳えるが如くに建っているところ。 別に1度撮影すればいいのですが、ついつい2度3度とこの門と景色に感動してカメラを向けてしまうのでした。 この門を潜ると阿弥陀さんが鎮座する堂があるというワケです。

  • 鉢地川に架かる来迎橋 六字名号碑と松 法蔵寺

    昨日は史蹟研究会の会合がありました。 ある方から「ここへきて体調があまりよくない」と浮かぬ顔。 私もパっとお顔を拝見すれば、覇気がなく「いつもと感じが違う」を思いました。 詳しく問えば「70歳中盤になると色々あるのだ」と。 とにかく今一番苦しんでいることは「眠れないことと便秘」とのことでした。 便秘に関しては「喰って運動で解消」と一蹴しましたが、問題は前者の方。 要は「精神的不安定」を推すものですが、その方と同い年の方がそれを聞いて「最近は『縊死』ってヤツあるからな・・・」と。 冗談のつもりでその方はその語を口にしたのでしたが、てっきり「一笑に付して」くれるものと顔を今一度見ると、いたって神妙な様子。 よって深くその「理」を聞き直してみればコロナで行動限定が当たり前となった世の中、人との交流が無くなったこと、おそらく社会との隔絶が長くあったからだろう・・・と自己分析されていました。 「この場が滅多にない楽しみになっている」とのことも。 私はその談に少々の不安(鬱の前兆)を感じ、内心拙寺の「メディテーション」に参加してもらいたいものだとは思いましたが、それは抑えて、とにかく(人には船が転覆しそうになっても復元力があるように)復活・回復する力をそもそも持っているものだから、それを引き出させるようスイッチングできればイイ・・・などと話しました。 スイッチング、コントロールの訓練がその「メディテーション」ですからね。 それは日常の訓練で徐々に身に付けられることですが、とりあえず「うまいこと」対応していくには「楽しく面白がって平気に生きる」よう仕向けることですね。 付け加えておけば「頑張る気などさらさら持たずにありのままに」。 さて、二上山法蔵寺。 「二上山」の山号といえば奈良當麻寺と同じ。 やはり法蔵寺が真言→浄土の流れにありました。 本宿国道一号線からスグとあってのんびり行脚の際は「参拝」していく・・・というのがいつものパターンです。 岡崎教務所に向かっていたとしても東名高速岡崎インターで降りるのではなく一つ手前の音羽蒲郡で・・・という感じ。 山門前の様相は「浄土」的レイアウトになっています。 まずは家康関りの「松」がお出迎え。 松平氏だけにあの「二葉松」ではありませんが、松は徳川を語る一つのアイテムですね。 そして鉢地川(結構に離れていますが矢作川水系)の赤い欄干のある橋を渡ります。 尚、川の名称は本宿法蔵寺より南側

  • 「一切が諸仏」木村無相 田原安楽寺の掲示板より

    バイパスの大沢インターの逆行車両について今回で2度目の目撃をしました。 以前は相良街区から牧之原インター方向へ向かう車が、バイパスから相良方向に降りる道に入らんとする状況だったのすが、今度は逆のパターン。 バイパスを南下する車が、相良からインター方向に北上して合流する道に「右折」する感じで進入したもので、まぁ普通それは「あり得ない」と思うところ。 たまたま私はその大沢インターではなく須々木インターからバイパスを北上していましたので、その恐怖を味わう事はありませんでしたが、その突破の様を横目で見たというわけです。 合流せんとする対向車がそれに気づいて車を脇に寄せて唖然としていましたがその進入車は「我関せず、躊躇なし」の平チャラの躰で突っ込んでいました。 その後の事は知る由がありませんが、帰りにその道を通った際、事故の様子はありませんでした。 言い換えれば自殺行為とも。 まぁ事なきを得て「よかったね・・・」。 しかしアレで事故が無かったなど将に強運の持ち主を思いました。本線を横切っていますからね。 助手席の奥方に「人間とはしばしば信じられない事をやらかすものだ」と言うと「アレはただの逆行じゃ・・・」と呆れかえって吐き捨てていました。 運転手の顔を見ましたが高齢首ではない女性でした。 帰り際にそのミス発生のメカニズムを私なりに推測、理解しました。 大沢インター直前に「←左」の相良と「↑直進」の御前崎方面を合体させた案内標識が出てきますがその直後スグ右側にこの車が「右折」した相良から合流する出路が見えてきます。 おそらくその道が御前崎方面である(直進)という錯覚があったのでしょう。 本線は左カーブで相良方面への出口は目視できません。 相良に降りたいなどと思っての逆行ではなかったということですが、その入路出口には進入禁止の標識はありませんでした。 それを付けなくては今後もヤバイことになりますね。 まさかと思うことをやらかすのが人間。その標識は必要でしょう。 今一つ思うことは、逆行車両との対抗遭遇した場合、「道を譲って事故回避」しようとすることはひとまず必須。本能的なことではありますが、それをそのまま進ませてしまうということはダメでしょう。 普通車でのすれ違いギリの道ですから当然スピードを緩めますので、そこはしっかり強く知らせるべきです。 そのまま進ませてしまうとなれば事故の誘発を招きます。 それを推測しながらの放置ですから

  • 順成寺の石川台嶺 石川山蓮泉寺へ 門前石標の3面 

    GWの無軌道とも思える、お国も国民の尻腰を押した「お楽しみ」のあと、新型コロナの攻勢が強まっているよう。 まぁそのお楽しみへの参加者の皆さんたちであってもその件、ある程度の想定のうちだったことでしょう。 この期に徐々に増えつつある感染者数(全国で410741人)ですが、いずれこれが「第七波」と呼ぶような大波になってしまうのかは予想できませんが、これまでの様でいえば、大いにそれは有り得ること。 今も毎日のように死者が出ていて「お楽しみ」はまだ早い感ありました。 また、果たして取りあえずの「収束」やら「終息」の雰囲気が出てきたとしても今後そのウィルス変異は果てしなく連続し今後人類との毎度毎度のおつきあい共存が継続していくというのが定説ですからね。 継続的なワクチンの開発と接種が必要であるということになりますが、もはや私の感覚では「降り注ぐ紫外線の外気の下以外」はマスクとアルコールボトルの携行は必至。 「かかっちゃったら仕方ない」は今の社会の風潮にあるかと思いますし、私もそうではありますが・・・。 例の「自己責任」というヤツで社会参加していくことになりますが、やはりコロナに罹って苦しい思いをしたくないというのが本音です。 また制約その他、このうえなく不便なことになりますからね。 イギリスからの研究記事にありましたがコロナに罹ると回復しても「20年ほど老化が進む」などといいます。 体に痛みが走る中、できないことが増えた中、「歳はとりたくないねぇ」が口癖になっていますが、ここへ来てコロナで助かる「利」を得たとしてもその玉手箱を開けた煙を浴びた如く一気に「爺さん」になるなんて、くわばらくわばら・・・迂闊な事はできません。 そして大抵皆が思う「私は大丈夫」など、あり得ない。 つくづく、健勝で老病死を免れていられることに「奇跡」と感じるようになりました。 いつまでもそれが続かないことはわかっていますが、ここにある限りの一所懸命と時間の大切さをまた思いますね。 さて、昨日は石川台嶺の殉教の石標を記しましたが順成寺の安藤姓に生まれた台嶺が石川姓に変わるのは石川姓の寺に義子として入ったからです。 そのお寺が小川、志茂(安城市)の蓮泉寺です。 山号が石川山ですがこちらの「石川」は木戸の順因寺の石川と並んで三河石川の発祥説があるお寺で勿論真宗大谷派(場所はこちら)。 門前と本堂前のそれぞれ対の石灯籠は圧巻。 門柱の3面には石川台嶺について

  • 石川台嶺殉教記念碑と西尾の女工哀史 吊魂碑

    先日シニアカー(電動カート)を駆使して境内にお参りに来られる檀家さんの「入院」の件を記しましたが、詳しいその内容がわかりました。 昨日なんとなく先方の携帯電話を鳴らしてみたというわけですた。 筋力不足に至った原因はそのカート一本やりの生活であったことは違いないことですが、たまたま自宅で椅子に座る際にそのまま床に臀部から落ちてしまったよう。 その際「全身が動かなくなった」とのことです。 病状は「坐骨神経痛」。 「痛くて動けない」ということから2カ月弱の入院とリハビリ生活となったわけですが「何しろリハビリが辛い」と仰っていました。 リハビリの辛さ、苦しさは誰もが感じていることですし、その積み重ねをこなしていかないと、あとあと酷い不便の身となることは決まっていることですので「しっかりね・・・」と励ましました。 するとこれから墓参りは「墓近くの本堂脇までカートを乗り入れるのでヨロシク」と。 先般、それの進行を阻む大きなソテツの張り出し部分を伐っていますから何とかなるとは思いますが私としてはできるだけ「自分の足で」と思っていたところでしたからその言には驚かされました。 え?と聞き返せば神経系の先生は「歩くな」とのお達しだとのこと。 筋力の維持と神経に障らないよう生活するは相反することだったのでした。筋肉の維持は大事ですが、「痛み」は避けたいところ。 まぁ「神経」の先生の主眼は患者の痛みの除去ですからね。 私の気持ちとしては少々の痛みは無視して筋力維持のための歩行を重点的に行って欲しいのですが。 さて、昨日の石川台嶺ですが、彼の不運は教義維持のために死したことになりますので、よくそういう場合に使用される「殉教」という形容がされます。 どちらかの方面でもよく言われる「自爆テロ」首謀者のことをそうも言いますから、今でいうとちょっとした違和感のある語彙とはなりましたが。 彼はあの高倉学寮での当流講義修練を経ていて専らの真剣さも相まっての行動でした。 ただあの大問題(大浜騒動の端緒)について「気合を入れて本意を聞きただそう」くらいのの感覚で立ち上がったところに人々が集まりそれを先導しただけだったのですが、よりによってその行きがけに竹藪に入り竹やりを作って持ち出した者たちがいて先鋭化、そして偶発的な衝突に発展したということです。 小競り合いの中、相手方に死人が出てしまい大きく問題化したのでした。 結果その責任を取らされたということで、

  • 大浜騒動150年 順成寺は石川台嶺出生地

    私の周辺でも数ケ寺の廃寺の件、見聞しているということを記しました。 その「廃寺」の語はあまり気分のいいものではありませんね。 日本史上、その廃寺はいたるところにあって「○○寺廃寺跡」等の石標を見かけることはありますが、それは長い歴史の中での消滅。ところが、これまでこの時代まで続いていた古い歴史ある寺が消えていくことは見ていて辛いものがあります。 廃寺とは最近の別の言葉で言い換えれば「宗教法人の解散」です。「これからはそれぞれ皆さんののご意思におまかせする」と檀家さんからその了解を得て本山やら県庁に手続きを進めることになります。当流では「代務者」としてその手続き進行を手伝う寺の住職が指名されますね。 拙寺先代(父)は静波の光正寺の解散に際してその代務者をしていましたが、かなり面倒な手続きだったように見受けられました。 本堂の解体が伴いましたので本尊と周辺遺物の取り扱い。 本尊に関しては本山に引き取りを依頼したそうですが、あとの色々の「始末」については私は関知していません。 何度か記していますが、真宗はその発祥が個人の所有家屋を聞法道場に変更したものが寺であるというところがありますのでまずは本堂・庫裏の解体も土地の転売も個人での処分になります。 当時は今のように当地の不動産にはそれなりの評価があった時代。 そして驚くべきことは解体更地後、スグに買い手がついてスグに家が建てられていました。 聞けばお墓はダメだが本堂の跡地は「むしろ好まれる」とのこと。その辺りの事情についてよくわかりませんが。 そのお寺も①後継者不在、②経営継続不可(檀家数少なし)、③本堂維持修繕費の3点のうち①が最大ネックでした。②③も当然の事ですが嫁に出た娘たちのみで男子は不在でした。 厳しいご時世ですから「無理なものはムリ・・・」という具合に解散申請-解体と今思えば「あっという間」の出来事だったような。 先日も「本堂を解体して更地にする・・・」といったニュースがありました。 信長の側室、吉乃(きつの)の墓のほか生駒家の菩提寺としてこれまで続いていた尾張は(現江南市)久昌寺の件。 以前からその寺の解散について報道で知っていましたがどうやら継続のための資金の工面ができなかったようです。 法人の解散があったとしても行政あるいは有志、有徳なる人の力で史跡保存できるのではないか・・・などと楽観視していましたが、このほど住職(生駒氏)は苦渋の決断をしたそう。

  • 順成寺創建は顕宗寺 顕宗寺創建は勝鬘寺住職の隠居寺

    先日はNHK「ヤングケアラー」の番組を視聴しました。 それはそのまま「若者介護人」ですがまさに「壮絶」を感じました。 ざっと記せば老いた父母、祖父母から始まって障がい、病気、怪我などの要介護の兄弟縁者のすべてまたは殆どの生活の補助を大概の場合「独り」で背負いこまなくてはならないという過酷な現実がこの華美で能天気ともいえる社会にいて私たちはそれらを見過ごしているというもの。 そして介護の連続によるストレスでその介護者自身も「病む」ことを知りました。 当然でしょう。 「自分」というもの主張したい自由な時間に恵まれませんし、自身も社会から隔絶された世界で「私」を抑制し、家族のためにただ、ひたすら尽くし限界ギリギリの時間と生活を強いられるのですから。 同世代の者たちが何不足なく、あるべき今あるはずの姿、若さそのものを謳歌している頃、縁者の介護に没頭し日々そのすべてに心を向けなくてはならないのです。 精神と体力は勿論、そもそも経済的にも彼らは困窮しています。 介護を受けている親たちの心境も苦しいものがあるでしょう。 親という者は子の成長と仕合わせを願うものですから。 私が日々「あーでもないこーでもない」と不満を記している中、今も「身を粉にして」親のため縁者のために「尽くす」若者がいるのですからね。 その「若い介護者」たちに何とか補助の手を向けられないものでしょうかね。 しっかりとお国はその手当てについて真っ当な援助のシステムの法制化なり、手を伸ばして欲しいものです。 彼の地の手違いとやらで補助金を振り込んでの「返せ!」、「いや返さない!」のお寒い問答を聞いていると、テスラのイーロン・マスクも言っていた「将来、日本は消滅する」・・・、まんざら極端な話でもなさそうな気がします。 さて、拙寺の遠い親戚(拙寺の七代目祐信の実家)順成寺(安藤姓)の創建は顕宗寺(安藤姓)から。 ではその顕宗寺の創建はといえばそのスタートは勝鬘寺住職の隠居寺からといいます。 「隠居寺」とは住職がその職を子に継承させて身を引くのですが、別の場所に住処を求め、そちらをさらなる聞法道場にするところから始まります。 今の如く「二世帯」的、感覚はなく寺としての継承は自らの死を待つのではなく「健勝のうちに寺を去る」ことによって次世代の者を育てるという意図があったのでしょうね。 たくさんの男子ができればそれぞれに聞法道場を起こさせ各地にその「血脈」・・・何度か記して

  • つまづくのも悪くない 顕宗寺掲示板より

    昨日の日曜日は午前から例の「相良城の石」を軽トラで2回戦、トータルで17~8個を拙寺まで搬出しました。 この日の快晴は貴重でした。 週間予報は以降雨予報ばかり、「梅雨の走り」が始まるよう。 石が集められている場所は学校の裏の原っぱで、雨が降ると、ぬかるんで作業効率が悪くなることもありますが、最近の晴れ続きで車が「石たち」の直前まで近づけるという利がありました。 それまでは重さでタイヤがスタックするおそれがありましたからまさに「今日しかナイ」のチャンス。 そしてこの仕事はそもそもが土日祭日限定と市からお達しを受けていますから。 奥方の手伝いもあって大いに捗りました。 土曜日に菅山でシロアリの大量飛翔を目撃し、すっかり失念していたバルサンを本堂後堂から天井小屋裏にかけて4つ設置してガタガタになった筋肉をほぐそうと風呂に漬かって終了・・・。 私の方は足も腕も関節に梅雨どころか「電気」が走っていました。 昨日も記しましたが以前こういう日に「何か仕事を」という人がたまたま現れて(以前はよく現れた)、「それなら」と穴掘りをお願いしたところ、半日もたずに「帰りたい」と泣きが入ったことが思い出されます。 また本堂下でシロアリ防除剤の噴霧の件はその件、それを言っただけ、二連梯子を使用しての塗装など「明日頼む」などと依頼して次の日に現れないなどありましたね。 高所に上がってチェーンソーを振り回せなど頼んでいるワケではありませんが結構にみなさん安直でヤワなものです。 ただし拙寺がお世話になっている石材屋さんは親方と若い人の二人コンビで仕事をしていましたが、最近その若い人は入院してしまいました。そして長期の療養の様子。 腰を痛めてのことですが、毎度重量物といえば私と違って100~200㎏級当たり前の世界ですからね。経年痛めてきた積み重ねでしょうね。 親方も最近足を引きづって歩いていますので色々体調悪化の様見受けられ仕事の進捗も遅れがち。檀家さんもやりかけの仕事に対して「せっつくのはやめた」と配慮されるくらい。 仕事とはいえ体力勝負の限界を見せつけられています。 ちなみに私は重量物を動かす際は「腰を使わないよう意識」がモットーとなっています。 よって腕と指の関節はその日も「ミシミシ」言ってまた2日ばかり全身に痛みと痺れが残るということになります。 さて遠い遠い親類、顕宗寺の門前に立つと二つの掲示板に目が留まりました。 それが③お寺の掲示板

  • 順成寺創建 顕宗寺安藤袈裟太郎の子房太郎 浄恵

    権勢を握ると「馬揃」の行進をするというところ、よく聞く話です。 本邦では頼朝あたりからでしょうか。 要は軍事パレード、示威行為ですね。 特に著名なのは信長(1581年)でしたが秀吉の場合は朝鮮半島と大茶会の方に傾倒、家康は武家の嗜み、体力と勘の維持(いわゆるスポーツ)としての鷹狩程度でしたから以後軍事パレードの類といえば昭和の学徒動員くらいまで大きな威勢の誇示はなかったような。 それだけ徳川時代が平和だったということです。 徳川時代が終わってから日本の国は戦争だらけになったことからもその安泰は特筆でした。 現代のその「馬揃」と言えば各お騒がせの独裁者が威勢を張っている国というのが定番。 アレを目にするのは吐き気がするほど。気分のいいものではありませんね。 それに悦に入っているそのお偉いさんの顔はまったくアホに見えてなりませんし行進している連中も「よくやるよ・・・」です。 私などその行進に行列に修行に行儀・・・どれもこれも「行」が付くものは大嫌い。 過去には、ヒステリックに指導とやらを振りかざす教師に「ヤル気なし」の態度を察せられてさらに雷が落とされたものです。 平和はいいですね。 そしてまた、教育という名のもと、半強制によって自分の意思に反する事を無理強いされることがなくなった今、それを「あ~良かった」などとつくづく感じます。 私などは教師からすれば統制を乱す厄介者だったことでしょう。血は争えない、代々当家はそんなものなのです・・・ むしろ私など息子が幼稚園やら学校で何かをやらかして奥方が呼び出された際など内心腹の中でニヤニヤしていたくらいですが。奥方は「謝りに行く身にもなれ」でしたが。 ということで軍事パレードなど糞喰らえ。 プーチンのそれも今、話題になっていますが、悦に入るのは勝手ではありますが、お気をつけになった方がよろしいのでは。 ウクライナで散々に無茶をやらかして、無残な死に方をしたその縁者たちが溢れるほどいるということを。 「殺したら殺される」という理は鼻高々の者には意外と通じないものなのでしょうね。 特に日にちも時間も観覧、演説の場所もすべて決まっているようですからね。 「ゴルゴ」(スナイパー)の登場に関して、対策として周囲のビルに警備隊を配置し厳重をアピールするといった画像を流していましたが、射程が長く精度の高い兵器はたくさんありますからね。 ハリウッド映画好きの私など遠距離周囲から何が打ち込まれ

  • 三河龍照山順成寺 西尾市教育委員会報告書の存在

    いつもお参りに来られていた方の顔が見られなくなって1か月。 別の檀家さんから「知ってる?・・・」と投げかけられました。 聞けば「今、入院しているよ・・・」とのこと。 お酒大好きでそれが原因の脳溢血で倒れてからこつこつとリハビリに励んで「復活」していましたが最近はそのお酒について「もうきっぱりと止めたのですよねぇ~」などと問えば(冗談じゃあない・・・)「飲むよぉ~」の語が返ってきていましたのでその入院を聞いて「やっぱり、やっちゃったのか・・・」と思ったのでした。 しかしその入院の理由は「転倒」だったとのこと。 転倒してどこかを負傷したということではなさそう。 その転倒の原因がただ「筋力不足」ということでその回復のためのリハビリ入院と聞きます。 何故にして筋力がなくなったのか・・・ それは数年前にシニアカー(電動カート)を導入したからだそう。それまでは杖と自分の足で墓参りに来られていましたね。 これで介護ナシで「どこにでも好きな時間に出向くことができる・・・」と喜んでいたことが思い出されます。 結局自身の足を「使わなくなった」というのが筋力低下の最大の原因のよう。 足が悪くなったら・・・より一層自身の足をイジめてやらないとイケないということでしょうね。 家康の「御文」の如く、幼少時教育だけでなく毎度自身を甘やかすことなく「きうくつ」にしておかないとダメなのでしょうね。 日々ラクばかりを求めている私は大いに反省させられました。 私はその方の今回の「リハビリ入院」に関してお酒も飲めない環境になるでしょうからむしろ良かったのかな・・・などとも思ったところです。 他にも医師から「酒はやめなさい」と言われながら「少しくらい」「たしなむ程度」から始まって「毎晩晩酌」に戻ってしまっている方を知っています。 人が自己のコントロールができないということはわかっています。私がそうですから。 さて、昨日の拙寺や私自身の「遠い親戚」三河の順成寺ですが残念ながら今は無住寺院になって、本堂に立ち入ることはできないというところ昨日記しました。 しかし西尾市教育委員会の発行する調査報告書にはその本堂についてさらっと記されていました。⑤画像がその一部。 そちら西尾市での研究課題としてただそれ(真宗寺院のくくり)だけで一つの冊子が出来上がってしまうということには驚き以外何もなかったですね。 さすが、真宗繁盛の三河の地というところです。 「現状(平成15

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