ハンドル名
大澤寺さん
ブログタイトル
墓場放浪記
ブログURL
https://www.daitakuji.jp/
ブログ紹介文
相州小田原生、遠州高天神近住(相良)、戦国時代を中心に雑感を記すブログと寺のサイト
自由文
浄土真宗はかつて「一向宗」とも呼ばれた本願寺の宗徒で信長に11年も反抗し、その中でご先祖が生きながらえたことによって今があります。 興味の方向は「城郭と墓」です。「城郭」は建物が無いもの、墓は鎌倉期から室町期の宝篋印塔や五輪塔に思いが傾きます。近隣高天神城はじめ遠州を中心に、生まれ育った小田原界隈、当家先祖の出身地近江そして関西方面の歴史について記したいと思っています。
更新頻度(1年)

58回 / 58日(平均7.0回/週)

ブログ村参加:2012/04/01

大澤寺さんの人気ランキング

?
  • IN
  • OUT
  • PV
今日 03/21 03/20 03/19 03/18 03/17 03/16 全参加数
総合ランキング(IN) 5,689位 5,810位 5,956位 6,022位 6,019位 6,188位 6,037位 953,037サイト
INポイント 40 60 50 60 60 50 50 370/週
OUTポイント 40 70 50 50 70 50 50 380/週
PVポイント 1,250 1,820 1,900 1,870 1,790 1,770 2,040 12,440/週
歴史ブログ 19位 19位 20位 21位 22位 21位 22位 4,128サイト
戦国時代 2位 2位 2位 2位 2位 2位 2位 444サイト
哲学・思想ブログ 506位 519位 520位 517位 523位 525位 516位 12,939サイト
浄土真宗 4位 5位 5位 5位 5位 5位 5位 50サイト
今日 03/21 03/20 03/19 03/18 03/17 03/16 全参加数
総合ランキング(OUT) 20,388位 20,968位 21,581位 21,684位 21,741位 22,983位 23,075位 953,037サイト
INポイント 40 60 50 60 60 50 50 370/週
OUTポイント 40 70 50 50 70 50 50 380/週
PVポイント 1,250 1,820 1,900 1,870 1,790 1,770 2,040 12,440/週
歴史ブログ 9位 11位 18位 18位 17位 17位 16位 4,128サイト
戦国時代 1位 1位 1位 1位 1位 1位 2位 444サイト
哲学・思想ブログ 782位 801位 812位 804位 795位 838位 845位 12,939サイト
浄土真宗 5位 5位 4位 4位 4位 4位 4位 50サイト
今日 03/21 03/20 03/19 03/18 03/17 03/16 全参加数
総合ランキング(PV) 2,452位 2,483位 2,494位 2,528位 2,515位 2,550位 2,577位 953,037サイト
INポイント 40 60 50 60 60 50 50 370/週
OUTポイント 40 70 50 50 70 50 50 380/週
PVポイント 1,250 1,820 1,900 1,870 1,790 1,770 2,040 12,440/週
歴史ブログ 12位 12位 12位 12位 12位 12位 12位 4,128サイト
戦国時代 2位 2位 2位 2位 2位 2位 2位 444サイト
哲学・思想ブログ 81位 81位 85位 86位 84位 84位 85位 12,939サイト
浄土真宗 1位 1位 1位 1位 1位 1位 1位 50サイト

大澤寺さんのブログ記事

?
  • 摩崖仏(阿弥陀)が川向こうにあるのは お彼岸だから

    発表された日本人の幸福度ランキング(58位-G7中ビリ)ほか女性の社会進出に関しても、みっともない話ですが非常に低い数値が出現していました。「幸福度」の中の「他者への寛容性」のランキングとなると92位。酷い世の中になったものです。 半面日本の「ギャンブル大国」振りについてはアメリカの博打屋(カジノIR会社)からは「雨の如く円が降り注ぐ」などと垂涎ものの如く高評価がありますね。 その根拠はラスベガスの粗利8300億円に対して日本の博打場トップのパチンコ業界だと、こちらは売上ですが19兆超え、他の色々の公営施設の売り上げ5兆円が加わると、すべてのバクチで24兆円のカネが飛び交っているということです。 要は博打天国なのですね。 だから所詮「自己責任」ということにして大いに「やりましょう」と進んでいるのがIR法。 トランプの後ろ盾になっているといわれる大手の博打屋(カジノ王)が日本に進出してのひと儲けを企んでいるわけですね。 よって当国のその推進者はトランプの飼い犬たちといっても過言ではないかも。 「カジノ税」と称するアガリは国と自治体が30%(15%ずつの折半)で黙っていればそれだけの収益が転がり込んでくるという算段です。また7割がカジノ業者側の懐に入るというワケですがその経営も許可権者もそちらに赴くギャンブラーたちもみんなが「甘い汁」を吸おうというのがIRで世間にその「一攫千金」の風潮が流布するというのは困りますね。 社会が荒んでくることは間違いないでしょう。 「ぜにのないやつぁ俺んとこへこい 俺もないけど・・・」の植木等の歌詞が懐かしく思います。昔の日本人にはそんなギスギス感はなかったような。 今は各「甘い汁」を吸うことばかり思考しているようですが、まぁそれはプラス、有意の志向というものですね。 しかしそもそもその一番に「甘い汁」というか射幸心を煽られて入場したギャンブラーの皆さんですが大抵が大損させられることになります。 勝つのは胴元と誘致したノーリスクの自治体に国ですね。 しかしそのプラス効果とおそらく相殺されてしまって効果的にはあまり意味がなかったと落胆する結末が推測できます。 ギャンブラーの損失によるその人物と家族の崩壊は勿論、IRと関連施設の集中によって既存の地域消費が衰退し収益が減ることになりますね。 どこかの収益が上がればどちらかが下がることはシーソーの如くです。 そうなれば当然に雇用も失われますから

  • 三匝 時計回りに三度回って敬意を表す 菊池五山

    先日「恐ろしいサイトがある」とある事情通から知らされクリックして驚いたのが「破産者マップ」。 昨日あたりには完全閉鎖に追い込まれて今は閲覧できませんがハッキリ言って凄かったです。 ここ数年の間に自己破産した個人(会社経営の場合は会社名)の氏名、住所をGoogleマップ上に赤色ポイントで落とし込みしたものです。経営者家族全員の名が出ていたり個人経営の会社の辛辣を垣間見た思いです。 閲覧者はそれをクリックして検索するという凄いシステムです。日本中のその夥しい数の「破産者」を網羅していましたからね。 そもそも破産宣告者は官報に掲載されますのでこのサイトがプライバシーの侵害にあたるかどうかはわかりません。 ただし個々の社会生活の中、周囲にコッソリとその手続きをして借金をチャラにできるシステムですから突然今回のような利便このうえない破産者検索サイトが立ち上がるということは破産者にとっては相当キツイことでおそらくそれを見た破産者は顔面蒼白になったでしょうね。 興味本位で閲覧した人もあって一時は1時間に230万アクセスがあったといい、そこで強烈な数の削除依頼も同時に起こったそうです。 破産者にとってそのようなサイトがあるとなれば真っ先に確認するはずですからね。 私はかつて父母たちと小田原の賃貸マンションにて暮らしていました。父母が相良に戻ってからは私と奥方がそのままその部屋に住んだのですが、当初奥方が入ったばかりの頃、大家さんの奥さんが立ち寄った父親に「貴方の息子さんが女を連れ込んでいます(何とかしてくれ・・・)」とクレームをつけたことがあったといいます。 これは語り草になっていましたが父親は「それは嫁ですが何か・・・?」というと「グーの音も出なかった」といいます。 またその部屋の入口に燕が営巣したとき、それを取り払った者が居たため私はガッカリして大家さんの奥さんに「そういう人がいます」とその無残について報告をしたことがありました。 その際は「ああそうですか・・・」とあしらわれましたが、お隣さんが言うには「なぁにアレはあの人(大家の奥さん)が取り払ったんだよ」と。 ご近所井戸端話も怖いですね。みんな耳に入ってしまうのです。 私の事だと思いますが燕の巣の件での私のクレームについて「民度が低い家族」と陰で語っていたそう。 まぁそのころの私は(今とそう変わりませんが)チンピラ風情に感じられたかも知れません。 私の民度の低さはさて置い

  • どうでもイイとは思うもののこれも 3-7-9

    先日お彼岸のあげ経に先方ご自宅にうかがった際、施主の仕事が「庭師」ということがわかりました。 「外の仕事」であることは承知していましたがその内容まで伺ったのは初めてで私もつい話が盛り上がってしまいました。 その際は先日関西で起こった件、焚き木にしようと他人様の木を伐採したものの、対面に走る電車の架線に誤って倒してしまったニュースを引き合いにして、「私のチェーンソー捌き」はじめ木の倒し方、チェーンソーの管理について大いに語り合っていました。 木の上でも取り回しやすい日本製の小型エンジンチェーンソーについてそれぞれのおすすめの機種、操作性、アイドリングはしっかり、そしてマイチェーンソーは絶対に人に貸さないというところですね。 この道具も世にいう「バッタもん」の如くのどこかのお国製品で格安のものがありますが、ハッキリ言ってそれは「使い捨て」になりますね。 他の電動工具等にもいえますが日本製の名だたるメーカーの品物はやはり安心して使えます。これは「安物買いの銭失い」を重ねた結果、行きついた判断です。 木の上でエンジンが突然止まるのが一番にイラっとくるところですからね。 先日は約1年ぶりに~家族で木を切ってロープワークと落としどころを誤って墓石を傷つけてから~にチェーンソーを持ち出しましたが難なく始動できました。 あのときの使用後は確りと清掃し、注油、ラップフィルムでぐるぐるに撒いて片付けていましたがこれは国産メーカーならではでしょうね。 さて、植木の剪定と庭石の設置について。 「くだらない」とご指摘を受けそうですが「3-5-7」ルールがあるのでした。 たとえば枝の葉を何枚残すかという点でいえば「3枚か5枚」ですね。 踏み石ステップの数はといえばやはり「3個-5個-7個」。 「2-4-6」ではダメなのです。とにかく「奇数」にしろということですがまぁ無根拠な伝承でしょう。 陰陽道などからの因縁でしょうがその件歯牙にもかけない私ではありますがやはり剪定と造園の基本として奇数ルールを意識する傾向はあのます。 他にも七五三を祝ったり「割り切れてはいけない」など偶数を嫌うものもとかくこじつける件も聞いたことがありますが私は基本的にどうでもいいことと思っていますが。 そして一番にコレは絶対にありえないというのは層塔の件。 昨日の「ニヤっと」したのはその件もありました。 層数の偶数はナイということ。こればっかしは偶数はナイ。 三重塔・五

  • 摩崖仏が川沿いにあるのは 石が露出しているから

    仏像泥棒ほか、他人さんのものをくすねて自分の所有物にしたり売り払ったり、また最近の流行りはオレオレ強盗などの無茶もエスカレートの傾向、やれやれです。 そういうことで私がこればっかりは仏像泥も絶対に「かっぱらい」はできないだろうと思うのが摩崖仏。当たり前か・・・ 摩崖仏は自然石に掘った仏の肉彫り・レリーフのことですがさすがに、お持ち帰りはできない代物。 笠置山などにある巨大なものはハナからそのような暴挙は考えつかないでしょうが摩崖仏はごく小さめのものもありますのでもしかするとその石を削ってでも手に入れたいという輩もいるかも知れませんね。何が起こっても不思議がないという時代です。 なにせ摩崖仏は年代が平安時代かそれ以前のものもあって場合によっては製昨年まで彫られているものもありますからね。 まぁ趣味的な所有願望のみとなりますが・・・ ただしこればっかりは出所がわからないと無価値。またそもそもうまく切り取らなくてはなりませんからね。まぁ台無しにするでしょう。 要は自分自身が石工となって何もないところから掘り出した方が早いくらいでしょう。 さて笠置から奈良柳生寄りの阿対の摩崖仏も奈良下狭川の摩崖仏も川の近くにありました。 よって摩崖仏にあう散策の地はまず川のせせらぎが耳に残る場所となります。 その理由は断崖は川が削って作り岩盤を侵食させて露出させるからですね。 石工というか修行者にとってそれが絶好のキャンパスとなるのです。 私が感ずるところ摩崖仏の仏は地蔵が6阿弥陀が3他の仏が1のようなところですが、やはり私の「ほっこり感」は阿弥陀さん。 どちらの仏にも南無阿弥陀仏の称名というのは同じですが、やはりそれは阿弥陀さんが一番しっくりきますからね。 北阪原公民館裏の石塔(場所はこちら)に目が留まってから私が車を停めたのがこの阿弥陀仏との出会い。地図には「北出磨崖仏」なる名称が記されていました。 公民館裏の石塔はひょっとすると当初は立派な層塔だったのかも。石塔の笠の大中小をただ重ねたものでしょうが、バラバラになって出てきたら「集会所ウラにでも置いてけ」になってしまうのかも知れません。 ニヤリとしながら車に戻る手前、川の対岸を見て思わず声をあげてしまいました。 まるで声なき声に呼び止められた思いがしましたが、水のせせらぎの音がまた「顔を洗え 心も忘れるな」とも。

  • 横知 慈眼寺覆堂の五輪塔

    先日舞い込んだ訃報。 この方は数えの九十三歳で大正生まれと私とは年齢が離れますがよく存じ上げている方です。 その年齢を聞いていつ逝去されても不思議はなかったのだとは思うもののお元気にして気さくにしたあの頃の情景を思い出していよいよ寂しい思いがしました。 特にあと少々で元号が変わるというところで命の終焉を迎えたことに少々の残念さを感じるところですが、その件あくまでも生きているものの勝手な願望。 混乱の時代に生まれ戦時下の窮乏を遠州の海と空気の下、生き抜いて与えられた一生を全うした姿に敬意を表したいものです。 さて私が菊川、掛川、浜松など遠州西部に向かう時必ずといって通るのが横地。 横地には全国に散らばった「横地」の会のようなものがあると聞いたことがあります。 では牧之原市勝間田あたりでも「勝間田会」のようなイベントを主催してみんなで遊んじゃおう的企画などできないものかと思ったのでした。 遠州勝間田は勝田、勝俣、勝又、勝股、勝亦・・・等々カツマタの発祥の地と言われている場所ですからね。 この手の事はやはり地元勝間田の人たちが旗を振って走らなくてはなりませんのでおまかせすることとしましょう。 その横地の横地城の南麓に慈眼寺というお寺があります(場所はこちら)。 そちらには比較的新しく作られた覆堂があって少々の石塔が並べられています。 他の横地城周辺に点在する石塔墓塔との関連はわかりませんが、室町期以前の五輪塔他残欠ですね。 風雨をしのげる堂を建ててもらって「有難い」と言わんばかり。世の中には雨ざらし放置など当たり前ですからね。

  • 田沼意次の財政経済政策 藤田覚先生

    庫裏のあまりの寒さに耐えきれず、「今年はおしまい」宣言をしたはずの灯油を注文してしまいました。 雨予想もありましたが、昨日は朝からいいお天気。 外を歩けばポカポカ、車に乗り込めば「暑い」と思うくらいの陽気でしたが庫裏や本堂の中はといえば体感3℃は低いような。 「毎年余らせる」ので足りないくらいが丁度いいとは奥方が主張しますが、私は「我慢したくない」と暖かな庫裏環境を望んだのでした。 本当にあと少しの我慢のしどころなのですがね。 さて、午前が相良庁舎脇の史料館での史跡研究会の会合。 そして午後が法事でした。 法事参集の皆さんには「どうぞコートや上着、マフラーはそのままで・・・」と添えておきました。 大型ストーブ2台稼働で「やっとこさと」いう感じでしたね。勿論内陣にいる私は発声による「運動」で温かくなりますのでストーブ無しでOKですが、参拝者の事を考えるとますます1~2月の法事はやめようと思うばかりです。 しかし今でさえ3月下旬以降法事が重なってしまうのもスケジュール的に辛いですね。 午前の会合では「相良海老」刊行についての概略説明がありました。予算が通過して200部程度を考えているそうですが、私は「少々少ないのでは・・・」という疑問を。 会長に一任していますが、「飛ぶように売れる」といった品ではないというのがその理由。 まぁ一理ありますが、300冊くらいが落としどころではないかと。 また、「講演会行く?」のお誘いがありました。 時間さえ合えば人の話を聞くことは好きなので聞けば藤田覚先生の講演会でした。 しかし会場と時間を知って引いてしまいました。 江戸歴史講座 第59回 田沼意次の財政経済政策 講師 藤田 覚 氏(東京大学名誉教授) 会場 日比谷図書文化館(こちら) 地下1階 日比谷コンベンションホール(大ホール) 日時 2019年4月18日(木曜日) 午後7時~午後8時30分 悩ましいところです。

  • 裏打ち依頼し自前額装 超難解小島蕉園の手紙 

    前夜からの冬が舞い戻ったかと思えるような冷え込みも夜が明ければいいお天気で気温も春なみ。 この日は懸案の巻物の額をDIYしました。 そもそもボロの虫食い掛け軸や文書のうちコレというものは表具師に依頼し修復して新しく軸装しますが、横長のものはイケませんね。 縦型のオーソドックスな掛軸や屏風、襖の類はいつもの表具屋さんでの仕事ですが、その横長のものいわゆる「巻物」に関しては別の職人の仕事なのです。 以前依頼した際は他所のそのスジの人に別注でしたので、今回は「裏打ちだけ」ということでお願いしていました。 時間もかかるし諸経費も嵩みますからね。 ということで裏打ちが完成したそれをどうするかということですが、結局自分で額を作ることにしたのです。 額と言っても超出鱈目、透明のテーブルクロスを表面に材木を切り貼りしたヤッツケ仕事です。 だいたい横1m30㎝×縦30㎝の額など特注でも無いかも知れませんので金額どうこう以前の問題ですね。 ちなみに今ある材を使用しましたので材料費は1000円もかかりませんでした。 さて、その文書(上記画像)ですが、いたって読みにくく内容も難解です。 「蕉園渉筆」の場合は各項比較的短文であるということと不特定多数の目に触れる事を思料しての記述だったのか案外と分かり易いものがありますので、この句読点、間隔ナシの漢字の羅列のうえに私どもが見たこともないような蕉園の感動話ですからね。ピンとくるものが無いのです。 早速いつものように叔父にこの文書の解読を依頼しました。 すでにプロのレベルに近い叔父にしてもこの解読には3日ほどかかったようです。 まず冒頭の四行に「ワケわからん」状態になりますが、これはこの文書の蕉園の結論が記されているのです。 これは「なおなお書き」(尚々書)と呼ばれるもので普通に記せば「追伸」です。 何故に冒頭かといえば書面の都合上、今から記す文書の終いがわからない場合など、冒頭の数行分余白を空けて書き始めるというのが一つのならいだったようで、要は書ききれなくなった場合の締めの部分を予め開けておくというもの。 案の定紙面が足りなくなって冒頭に書き添えたのがそれで、それが「尚々~」であることを了解してもらうために列を下げています。 よって読み始めは五行目からですね。 原文 得江戸信近一奇工以全竹 象人物及禽獣草木之 類供都人士之覧云附 所刊行図乃就図戯詩之 往年江都叡岳傍假屋構 成観物場竹籠極工

  • 周囲が土塁と空堀 海軍工廠 外に逃げられない

    例の下手人の身柄が確保されて、少しはあの「アポ電」というオレオレ特殊詐欺の電話は減っていくのだろうと思いきや、相変わらずその手の電話が掛かっているよう。 まぁそのグループがあったとして、逮捕された彼らを支援するために精力的に掛けまくっている可能性もありますが(一同「身に覚えがない」と神妙でないところ、「本件別人」の錯誤を惹起させようと)年配者を騙し」あるいは殺しいまでして楽をしようという若者がたくさんいるということは恐ろしいことです。 弱い人から手っ取り早くカネを巻き上げるということが個人レベルであっても「正当である」とする考え方が蔓延しているのかも知れませんが、正義とは何か、伝えるべきものは何か教育現場で今一度考察していく必要があるか知れません。 自分さえよければそれでヨシの風潮です。 何故に若者の心がそれほど荒んでいるのでしょう。 奥方の母親は神奈川県内で独り暮らしです。 私は先般より「まずは電話帳から」と自宅の電話番号を削除することを勧めていますが、電話機そのものはそのままにありますので、以前の色々な名簿(名簿屋が集めた個人情報集)にそれが残っていればどうしてもつまらない電話の色々が掛かってきます。 それらの対応に義母は「留守番電話機能」を1クッション入れています。電話が鳴れば留守電ボタンを押すわけですね。 知り合いの声を判別したり、まともな相手かどうか聞き分けてから受話器を取り上げるという作戦です。 在宅でも不在でも留守電にしていますので、所在不明の電話に対しては一切関わらないというものですね。 そもそも特殊詐欺系の電話は留守電のアナウンスが出れば即ガチャ切りするものです。 拙寺も留守電機能がありますが、今のところ相手先番号を確認して(ナンバーディスプレー)出ています。 基本「0800」「0120」は絶対に出る事はありませんが最近は携帯電話や掛川あたりの市外局番での着信を「踏む」(地雷の如く)ことがあります。 「やっちゃった」のため息ですね。 今、よる8時過ぎの機械音声の何かの勧誘が週1ペースでありますがこちらの方でガチャ切りしますので何かわかりません。 さて、豊川海軍工廠平和公園のつづき。 あのエリアは500ポンド爆弾の直撃が少なかったこともあって、今も二つの建物「旧第三信管置場」(画像④~⑪)「旧第一火薬庫」(⑫~)が残っていて、1日4回のボランティアガイドをお願いできます(時間制)。 また豊川市では

  • 豊川海軍工廠公園に残る浅い防空壕他 命の軽さ

    昨晩の7時のニュースの最中に例の押し込夜盗の下手人の3人組が捕縛されたという報が入りました。 捕り方としても威信をかけての大捕り物だったのでしょうが、天晴です。 とりあえず前代未聞の悪辣の仕事人が刑務所に収監されることになって一安心です。ほんの小銭のためにカンタンに人の命を奪う世紀末的犯罪でした。 どんな連中か知りませんが次に娑婆に出られるのは20年後かな? 裁判では後発組を抑止するための「見せしめ」的にその罪の重さを重ねて強調されることでしょう。 それこそ因果応報「自己の責任」に於ける咎。 しっかりとお勤めに励んでくださいませ。 一昔前だったら首が飛ぶところですからね。 さて、昨日は日本人の隠ぺい体質というか「正確な情報」を伝達するということに有意を持たず特に知らせないという姿勢の顕著といえば戦時下の情報統制。 拙寺縁者の「富貴栄さん」が犠牲になった昭和20年8月7日の豊川海軍工廠の空襲の件を思い出します。 B29爆撃機124機と先般記しましたがP51戦闘機45機も護衛で来襲し、海軍工廠のみをピンポイントに日本で以前から「250キロ爆弾」と言われる「500ポンド爆弾」を3256発落として数千人の死傷者(死者は2500人以上)を出したというものです。 だいたいそれだけの航空機が会場から内陸に向かって上空を飛びその方向が怪しいと感じたら真っ先に連絡を入れるでしょう。 情報に際して工場側は空襲警報も退避命令も出していなかったのでした。きっと「まさかここではないだろう」と勝手に決めつけるお偉いさんと無駄な命令系統の存在が推察されます。 あの年の8月7日という日について今一度考えると、前日の6日に広島に原爆が落とされていて翌々日の9日には長崎にも。 周知の通り15日には無条件降伏というタイミングでしたのでまったくの無駄な死であったと悔いるばかりです。 広島に新型爆弾が落とされて軍部では降伏やむなしの雰囲気が流れる中、一部「本土決戦」を断行しようとする力も作用してこちらの工場の操業を停止するに至らなかったのでしょうね。 米軍も夜中に爆撃をしたとすればそれだけの命が失われることは無かったのでしょうが、午前10時という操業時間を狙い撃ちにしたのは「皆殺し」を想定したということは間違いないところ。まぁこちらの工廠には事前に降伏勧告のビラを撒くなどの最後通牒的警告もあったのですがトップは無視を決め込んだのでした。 たとえば退避命令

  • 嘉永六 設楽郡鳳来寺付近古地図 奥平人質磔の場所

    NHKのアナザーストーリーズという番組を視聴しました。 「外国人から見た3.11~あの時 世界はどう動いたか?~」。 原発が暴走しその当事者の東電はじめ政府もマスコミも各地方にいる我々も完全なるお手上げ状態の中、海外のマスコミ関係者の中にはできるだけ「正確な情報」を提供したいと無理を承知で情報を集め、世界に配信した人がいました。 「正確な情報」。被災者にとっては何より重要な事がらです。日本人とこの国には昔から事実を隠そうとする体質があって、特にネガティブ情報はできるだけ大っぴらにしないのが正しいとい雰囲気がそれです。 都合の悪いことを表に出して相互の心が鋭角になってしまうよりも「穏便に丸く収める」方がヨシ、です。 よって本来の危急性富んだ情報も正確性が欠けてしまうのです。 これを奥の細道氏はこの件「パチンコ・競馬大勝理論」と茶化します。パチンコや競馬でドカ勝ちするとつい浮かれて「勝ったからメシを奢る」などと吹聴するくせに負けた時は押し黙っているというところから。負けの話は割愛というものです。 ところが東電さんなどは当初から「メルトダウンはない」でしたからね。仕舞いには「自主避難指示」というヤツ。 原発周辺に住んでいる方はいったいどうしてイイのやらまったくわかりませんね。 私もサラリーマン生活が長かったのでその辺のネガティブ情報をもみ消すという方向性は実によくわかります。 どちらの会社にもそういった陰の部分の発生に関しては大概はそういった風に隠すというのが常道なのでしょう。 津波の後の「自助努力」もそうですが「自主避難」おまけに最近では「自己責任」という言葉の繁盛。これはひとえにお上は「関与しませんよ」の責任逃れを示唆しようとするもの。 原発の場合は私企業ですので、本来はその責任放棄は許されないワケでして、なんともあの迷惑施設の存在と最近の再開大風呂敷の大口(経団連のオッサン)には閉口させられます。 その大口を叩かれているオッサンに反対意見者と公開討論会に臨んだらと勧めても「イヤだ」の一点張りのよう。 変な理屈をこねていました。 そもそもまともな口がきけないのかも知れませんが反対意見に押された場合に対応力がないことを自ずから知ってのことなのでしょうね。 高給取りでお偉いさんぶってはいるようですが人間としては我らでいう「凡夫」未満でしょう。 番組では海外からの日本赤十字社への義援金についてのベスト10が出ていました。

  • 於ふうさんの遺恨はいかばかり? 人知れぬ森の中

    甲州に人質として奥平仙千代に彼と同行した萩(豊川)奥平の虎之助について記しました。 彼の墓と伝わる地の看板にもありましたが「日近久兵衛貞久娘於ふう」の存在もその物語(実話です)の中、悲哀というものを増長させます。 勝頼の怒りというものが「そこまでやるか」というこの無慈悲に感じ取る事ができるというものです。 奥平家の文書には「舞々坂」にて磔とあり、その処刑方法が当時の罪人に対する特に江戸期のオーソドックスが記されていますがやはり仙千代や虎之助同様、「鋸引き」というものも考えられます。 というのは処断を下す者の「怒り」の根源が同様であるということからですね。 怒りの矛先は勿論「裏切り」の主人公奥平貞能ですね。 復習を兼ねて略系図を記します。 奥平貞俊 に始まって →貞久→貞昌→貞勝→貞能→信昌→家昌・・・ 勝頼でなくても怒るのはやむを得ないところでしょうが、人質と出された仙千代ほか奥平一統の二人、そして傳役(ふやく もりやく)の黒谷重吉に乳母たちも例外なく処刑されたり後を追うなどしてその3人の周辺で果てているはずです。 その処断の発想は元は「怒り」ではありますが、今一つの目的は何といっても「見せしめ」ですね。 甲州に「たてつくと・・・こうなる」を人々に見せて震いあがらせその恐怖を地区に伝播させなくてはなりません。 そのためにただの恐怖心だけでなく街道筋に処刑場を設置する必要があるのです。 ランダムに通行する(こちらでは鳳来寺参詣)人たちに木の鋸で首を切らせ、離れた首は晒すというのがスジですね。3人の若者のの処刑地が仙千代を中心にそれぞれ分散させていることもその効果を狙ったものでしょう。 於ふうの墓と伝わる地は鳳来寺小学校の南東の森の中、字名で「玖老勢糀坂」でしょうか(場所はこちら)。「舞々坂」なる地名は今は消滅しているようです。 今の県道32号線からは下に降りなければなりません。 私は森の中の於ふうさんに数度会いに行っていますがこの場所は現在に至ってはまったく人が通行する場所ではありませんね。以前は数基の五輪塔などもあったようですが、今は石碑のみ。おそらく参拝者は殆ど無いような感じがします。 車を停車させる場所がありませんので離れた場所に空き地らしき場所はありますが自己責任。私は小学校の駐車場に置かせていただいたこともあります。 今の地図上「地造入」なる地で32号線が大きく左に曲がる辺りにガードレールが切れる場所(画

  • 蕉園「夾掛記」掛け軸 修復完成 忘れない3.11

    昨日もウグイスは来てくれました。 これからの季節を満喫したいものです。 やっとこさ寒い冬を乗り切って「さぁ」という気分にさせてくれますね。 これといった目標はありませんが・・・ よる9時になってテレビをON。 NHKの「取り残された被災者」の件、視聴しました。登場する皆さんの言葉の端々に切実さが伝わっていました。 東日本大震災から8年が経過し、大概の津波で住処を失った被災者は「何とかなっている」と遠い地に住まう私たちは思いがち。しかし現実は違っていました。 ポイントは国の支援の物差しが「家があるかないか」重視になっているため、充分な支援が受けられる人と受けられない人に分かれるということですね。 たとえば津波で全壊した場合は話が早くまずは「避難所」に入れますね。その後は仮設住宅→公営住宅という段取りで「住処」が得られるという段取りです。 ところが津波や地震に被災してもカタチとして家が残ったとすると避難所に行ったとしても仕舞いには「貴方は家があるだろう」となるワケですね。 半壊程度で1階が水に浸かって多少壊れたとしても「2階があるだろう」というのがその大概の論理。 避難所にはボランティアの援助も期待できますし、財政的支援も期待できますが、「自分の家」があるということで拒絶されるのかも知れません。 家が無残にも流されてしまった方からすれば少しでも残っていれば「万々歳」ではないかという雰囲気も漂っているのかもしれませんね。 ところが津波で家屋の1階部分が洗われたとしたら殆ど住居としての躰を失っているのですね。 床が腐り、穴の開いた壁。 あの寒い冬を過ごすことなどあり得ないでしょう。 半壊の家にも資金的援助はありますが(最大で258万円)その少ない額で家を住める状態には戻せるワケがありませんがそれを「在宅被災者の自助努力」と呼ぶそうです。 努力が生き甲斐に繋がらなくなったら喪失感だけが浮き彫りになるでしょう。 また公営住宅に入れたとしても住民自治として住民同士が把握しきれないといいます。要はコミュニティが増幅できないという支障があり増える孤独死(2018年は76人)にも対応ができないよう。 それを解消しようと住民たちが立ち上がったとしても自治体は個人情報につきどこの誰だか教えられないと。 積み上げられた原発汚染土の解消についても酷いものです。 当初は福島以外での処理が約束されていたそう。 ただしどちらにも国の考える「お人よ

  • 相良資料館緞帳 蕉園渉筆 相良氏古墟埋木の久保氏 

    朝方だけですが二日続けてのウグイスの鳴き声はうれしいサプライズです。 昨日の如く建物を喰い荒らす連中の襲来は困りますが春の訪れを告げる者たちの境内への来訪は歓迎したいところです。 これからどんどん上手になってその美声を聞かせてください。 先日は菊川の紀元前40年の松の発見に当たり「草木国土悉皆成仏」なる語を記しましたが元は涅槃経からです。 成仏のところが仏心とか仏性に代わる事がありますが、あらゆる生き物はじめ無機的なものにでさえ仏性が宿るということですね。 そういう意味からするとシロアリやキクイムシにも仏性というものがあるわけでしてまぁ勝手な事を言っている人間があるワケです。 都合よく記させていただけば、ここで「どんなものにも仏性がある」論を抱いて主張すれば、結局は「この私も仏性がある」を展開できますし、浄土に向かうことは間違いないと確信できるのです。 そのような卑屈を言い出したらキリがありませんが、この言葉は人というものを謙虚にさせる素晴らしい言葉ですね。 今散見されるお手柄自慢の慢心政治屋などは別として大抵の人の場合は「悪性とんでもない私」に気づいて他の事物、事象、生き物に対してまずは敬意を払うということです。 その精神こそ日本の仏教の精神だと思います。 まったく明治維新というものがその日本人の本来の心を壊してしまったのだとここでもまた思い起こしてしまいました。 さて、小島蕉園の蕉園渉筆から。 その短い文書のタイトルは「相良氏古墟埋木」です。 上記菊川に見た古木と同様、古き時代の建造物の柱の事を言っています。 それでは文書から。 相良郷二十四、鎌倉氏時、蓋相良太郎食邑云、徳村其一也 邑民浚田間小渠、獲一断橛於土中、傳云、建久年、太郎由㕝移 于肥後州人吉、距今六百年有餘年矣、意、断橛當時宮材也、而毫無腐朽、黒澤如漆、堅実如鐡、敲之鏗尓有響、同邑窪清名 頗好事、請而得之、携来索記、乃為拙文畀之、割愛恵少許 作筆架、置于机上、古色可玩、実六百年以外也 相良郷二十四は、鎌倉氏の時、蓋し相良太郎の食邑と云う 徳村は其一つ也、邑民は田間の小渠を浚う 土中に一断橛を獲する 傳に云う、建久(四)年、太郎事に由り肥後州人吉に移る 今を距つ六百年有餘年矣、意うに、断橛は當時の宮材也 而して毫も腐朽無し、黒澤は漆の如し、堅実は鐡の如し 之を敲き鏗爾として響き有り 同邑の窪清名は頗る事を好む、請うて之を得る、携来りて記を索む乃ち拙文

  • 晴天につき本堂下に潜る

    朝は冬に戻った?というくらいの寒さで一枚余分に着込みましたがウグイスの声を聞きました。 日が高くなるにに従って気温は上昇。 晴天につき花ガラとゴミの処理に処理場に向かいました。 週末となりますし来週初めは降雨予報ですから金曜の晴れはありがたいことです。 処理場から帰ってからは石灰の購入に走りました。 こちらはシロアリ等害虫の嫌う土壌のアルカリ化を期待するものですが、私の発想では「啓蟄前に散布」でした。 まぁその暦通りに害虫たちが動き出すのか知りませんが、ほとんどその時期に散布できたのでまずOKでしょう。 これまで石灰に関しては粉状の安価なもの―グラウンドのライン引きに使用するアレですーを購入していました。 先般の土蔵を更地にしたあともそれを撒いて土壌に混ぜ込んでいましたね。 ただしその粉は少々作業上取り扱いに難アリ。 粉末が舞って粉だらけになるのは勿論、どうしても吸い込んでしまうのですね。 そこで消石灰粉→苦土生石灰粒への変更となり約200円の奮発となりますがよく見ると苦度分はともかくとしてアルカリ分が100%とかなり私の期待に応えてくれそうです。 何より粒状というのがうれしいところ。 本堂下に潜っての散布ですから粉状とは作業性に関して雲泥の差です。 ただしこれは水分に触れると高温になるという性質がありますので、まさかと思いますが少しばかり不安ではあります。 「腰が・・・(痛い)」といいながらへろへろになって「オフロスキー」(お風呂好き)。 ちなみに本堂下には40㎏、二袋を使用しました。 ①画像は最近来るようになった「阿佐ヶ谷」と当家の「舞鶴」。二匹の間の白く見えるのは相良「石灰山」(いしばいやま)から導入した石灰。境内中、それをブン撒いていますので超アルカリ土壌になっています。 酸性好きの植物(サツキ・ツツジ・アカマツ)について考慮していません。ミツバツツジの成長が悪いのはそのせいかも。 墓地にも撒きますがそうなれば、墓内の遺骨はなかなか土にかえっていかないでしょうね。 害虫忌避に頭の中が傾いています。 広葉樹専のキクイムシの防除も考えなくてはイケません。

  • 伝承虎之助の墓 萩(豊川)奥平家から仙千代に同行

    昨日のニュースでなるほどねと思ったのは今年1月の段階ですでに景気の下降局面に入っていた・・・ということと静岡県が「移住したい県」の第2位になったという件。 前者はやれやれ感満載の「なるほど」でした。 「なんとか景気」バリにお調子をこいていたようですが、統計数字のウソ八百に合点、コレで消費税アップするつもり・・・?というのが国民の切なる声でしょう。 二つ目のニュースは地元愛。静岡県はすばらしいと勝手に「裏付けた」と納得したニュースでした。 地方移住を希望する首都圏に住む人などにアンケートした結果です。1位長野県に次いでの2位。 ちなみに3位以下北海道、山梨県、新潟県のベスト5。 自然が豊かなうえ温暖、交通の便がいい東海道が走り首都圏にも比較的近いというのが上位選出の理由でしょう。 しつこく記しますがベスト5のうち静岡以外の地はざっと見寒そう、降雪もかなりありますね。雪下ろしも大変そう。 私が住まう牧之原市は雪など殆ど降りませんし積もりもしませんね。移住するには最適な場所ですよ。 さて、仙千代(十歳)の甲州行きに同伴した者たちのうち虎之助(十三歳)という同世代の守役がいました。 そうは言っても奥平家分家筋からの招聘で、萩奥平家(現豊川市萩町)の奥平周防守勝次の次男となります。 ここでも思いますがどこの「家」でも長男温存の世の中、次男三男と生まれてくることの辛さが思い知られます。 長子のいざという時のスペアでお鉢がまわることもあり得ますが、人質に出される心配がなかったにしろ宗家には居場所がありません。大身の家から家臣の養子に入ることなどできませんので、今川義元にしろ足利義教などは坊さんとして寺に入っていました。 その仙千代と命運をともにした虎之助の墓と伝わる石塔も仙千代の石塔の近くにあります。 長篠から鳳来寺参道方向への県道32号(伊那街道)沿い左に曲がる万寿(まんぜ)坂と呼ばれる坂となります。 その坂を上ってしばらく行った所に以前記した空中阿弥陀三尊石仏がありました。 こちらの坂が旧の街道筋になりますが(場所はこちら)「砦」なる字名はなんとも興味をそそります。 その県道を坂を左見て少し行ったところにT字路があります。 そちらを右に行けば利修仙人足湯、左に行けば鳳来寺参道交差点(仙千代墓)となります。 坂の手前には新城市消防署鳳来支所がありますのでそちらがポイント。鋭角に左折しますがその坂の手前にはしっかりと標識があり

  • 田沼意次 その虚実 清水書院から

    昨日は「雨が降るまで・・・」ということで外で雑用。 予報では夕刻以降のはずで高をくくっていましたが3時過ぎあたりからポツポツと。 雨が続きそうです。 準備だ片付けだと一仕事するたびに面倒な段取りがありますので天候不順は効率が悪く嫌になります。 まぁ屋根のある場所にもやらなければイケない仕事がいくらでもありますから、適当なところで切り上げればいいのですが・・・。 気がかりなのは花ガラの処理がまだということ。 夕方にはスマホの緊急アラームが響きました。 そういえば避難訓練の日でした。 担当には申し訳ありませんでしたが風呂に入ってしまったこともあり、参加はやめました。 降雨と湯冷めのおそれ、風邪でもひいたら意味がありませんからね。 年配者は雨の中夜道を歩き小堤山の階段を登るのはキツイでしょうね。今日は中止というワケにはいかないものでしょうか。地震発生のタイミングは色々あるとはいってもやはり訓練ですからね。訓練に出て何かあったとしたらいったい何だったのだという疑問も残りますし。 風呂上りにポストを見ると書籍らしき封書が投函されていました。 本を注文した覚えがありませんでしたので不思議がって開封すれば「田沼意次 その虚実」(清水書院)なる書籍が。 同封の挨拶状によればかつて掲載写真の協力のお礼ということで「献本」として送付したとありました。 田沼意次生誕300年に併せた出版ですね。 有難く頂戴した次第ですが、どうしても拙寺本堂の紹介が「余剰材」とされるところが引っ掛かりますね。 廃却材も使用されていることは明らかなのですが・・・。 相良城の破却材を地元相良に残してはならない風の触れが松平の恣意的なものですが、その田沼を陥れようと作為に満ち満ちた松平の今風に言ったフェイク的施策を否定しようという主旨がこの書籍の出版ですからね。 本日は地元メディアの取材があります。 相良城破却材のリサイクルの件、強調したいところです。

  • 仙千代の処刑と墓② そして顕彰碑の誤り 

    奥平家といえば関ケ原にて松尾山の小早川秀秋の監視役、そして獅子奮迅の戦い振りをした奥平貞治がいましたね。 家康にとってはその戦働きとして第一級の家柄だったというわけですね。 昨日の続き。 仙千代の墓です。 人質で甲州に連れていかれた仙千代が三河に攻め入る甲州勢とともに再び帰郷するや無残にも処刑されてしまったのでした。これは戦国の倣いとして許容されるべきですが、命令を下したのは勿論武田勝頼、処刑をしたのは秋山虎繁と海道南下の別動して合流したきた山県昌景といいます。 昨日の如く奥平家を大河ドラマにしたら勝頼と昌景は大層な悪役になるでしょう。 当時の処刑のオーソドックスは磔のうえ斬首、そして首は「三尺高い木の上」のパターンか街道筋の「鋸引き」のどちらかです。 奥平家関連の文書には「切腹」との伝承で統一されているようですがそれは死者への気遣いでしょう。当家ご先祖様の死ですからね。 しかし切腹というものはそもそも「名誉ある死」ですのでこの場合武田勝頼が徳川家康に寝返った奥平貞能の出した人質の扱いに名誉などを与えるはずがありません。 勝頼が怒り狂っての処断でしょうが小笠原の高天神開城(第一次高天神戦)の大盤振る舞いの勝頼とは全く異にしますね。 仙千代の墓は鳳来山参道のまさに入り口にありますがその先には以前記した伝太田備中守の石塔があります(場所はこちら)。 以前はこちらには田口鉄道の鳳来寺駅ができるころに移動されているようですが処刑地として残る字名は「門屋の金剛堂」とあり場所的にはこの辺りで間違いないところ。 鳳来山参道入口ですので、お参りに来て仙千代の首を鋸引きさせられるのはたまったものではないですね。 どちらにしろ古くない墓石で顕彰的意味合いが強いものがありますが、墓石の隅に別に「大正三年一月建之」の顕彰碑が建てられています。 文中に奥平貞能の受領名が出てきます。 それを記すことは一つの名誉であってやはりそれを記す方もなかなかカッコよく感じますがなんともお寒いことに間違いを記しています。 彼は「美作守」(みまさか)が正式受領名ではありますが石碑に記されているのは「美濃守」です。 どうしても長篠周辺で名のある武将というと馬場信春がいて通称で「馬場美濃」と呼ばれるくらいに「美濃」は耳に馴染んでいますのでついついうっかり「美濃守」としてしまったのでしょうね。 どうでもイイといえばそうですが、それを記した方がもしその誤りを知った

  • 破滅を招くより今は時節を待て 奥平貞勝

    遠州は井伊谷の井伊直虎を描いた大河ドラマは切り口も斬新でそれが決まった時は唖然とさせられたことを覚えています。 地方の国衆レベルの「小名」に毛が生えたような豪族たちが、時代の流れというか、周辺絶大勢力に翻弄されて苦難を生き抜き「家」を繋いでいこうとするストーリー展開はなかなか面白いものがあります。 次回の大河ドラマは満を持したようにメジャー級の「明智光秀」の登場ですが、では戦国時代に限って私が勝手に「それならコレ」と思うものがありますね。 今川義元でも伊勢宗瑞(北条早雲)でもありません。 太田道灌あたりも再検証すれば面白そうですが、関東のあのあたりの時代は混乱していすぎて分かりにくい部分がありますからね。 まぁいずれ私が生きている間にはそのうちのどちらかにもスポットが当てられるかもしれませんので期待していますが。 昨今、周辺見廻してみてこの「家」について追いかけたらかなりイケると思うのが三河「山家三方衆」です。 三つの系統は色々と派生していますのでピントがブレてしまいますので一つに絞るとすれば奥平家。 奥平といえばあの井伊谷から西、新城・設楽原から一山北方に超えた作出の亀山城ですね。 井伊直虎のドラマでは「井伊谷三人衆」(② ③) なる猛者がいましたが、この三河山間の地域には「山家三方衆」という語があります。それが長篠の菅沼、田峰の菅沼(① ② ③ ④ ⑤ ⑥ )、そして作手の奥平家。 どうもその「三人衆」や「三方衆」という呼び名の響きは「ただ者ではない」という雰囲気と恰好良さが漂いますね。 ざっと奥平氏の流れを記せば(ブログでは3度目か・・・) 奥平貞俊 に始まって →貞久→貞昌→貞勝→貞能→信昌→家昌・・・ です。 貞能の「貞」は「定」も併用されていたようで以前も記しました通り、より紛らわしいことこのうえなし(こちらも作出亀山)。 ただ「信昌」はわかりやすい。「信」は信長の偏諱かいやそれは奥平家の創作で実は武田晴信(信玄)の偏諱だった・・・の疑惑の「信」が入っているからですね(改名前の名は貞昌)。 その疑惑こそがこの家の苦難を物語っています。 重ねて訪れる苦難と苦渋の選択そして苛烈な運命と絶妙の選択という物語がそこにありますね。物語するにはうってつけの好材料となるでしょうね。 これは三方衆他こちら奥三河の国衆も同様ですが、今考えると戦国時代でも指折り数える強大勢力、名家に囲まれた摩擦点であったということです。

  • 鑑定団 家康書状中條宛の成瀬に驚く 南志賀廃寺跡

    昨日は朝から冷たい雨。 予定では法事も入っていませんでしたので相変わらずハマリ混んでいる「テラス」2階の板張りの調整を行うつもりでいました。 しかし最近の温かさに慣れた身にはこの寒さはこたえてまったくやる気なし。 ちなみに土蔵を壊したあとに建てた色々目的を兼ねた建造物は「寺テラス」と勝手に命名したところです。 床材の選定に誤りがあって余計な手数がかかっています。 高価な節のない幅広の杉材を調達しまししたが、反りが結構にあって、材木屋さんが角を削ってくれたために(そうすべきということで)隙間が目立つところがどうしても気に入らず、フラットにしようと試行錯誤を繰り返しています。 やわらかい杉材ですので隙間は不要と考えますが・・・ これからはもう誰のアドバイスも受けず自分の好きにやらせていただきたく思っています。 ということで夜に放送される「黒い津波」の間まで一日中テレビの前に陣取っていたのですが、お昼は民放の「お宝なんでも鑑定団」にチャンネルを合わせるのはいつもの通り。 当地のそれは東京地区の放送日から1か月以上の遅れがありますから首都圏では1月22日に放送されたものとなります。 そこで出てきたのが家康の書状です。 織田信長の尾張の家臣団の一人中條将監(家忠)に宛てた短い手紙で家康の28歳の時、元亀元年(1570)十月二十三日の日付と花押つきでした。 番組では「志賀の陣」について触れていましたね。 その名を聞くと宇佐山城での攻防戦を特に思いますが信長上洛の永禄十一年(1568)箕作城の戦いで六角氏を近江から追い出したあと、元亀元年(1570)の近江を中心とした畿内の超ドサクサ「金ヶ崎の退き口」から始まって「姉川の戦い」のあとの宇佐山城(またはこちら)の戦いそしてそのあとの信長包囲網の緊迫した一連の戦闘をいいますね。 要は信長ピンチの連続で、当然に信長の先陣で戦っていた家康も家臣団もその年は休まる暇もない程の1年ではなかったのではないでしょうか。 信長があまりに難題がもちあがって「縁起が悪い」と改元させたものですから元亀年間はあっという間に終わります。 皮肉にも改元した「天正」(十年)に本能寺で命を落としたというのは周知のとおりでした。 画像④手紙の原文は番組キャプチャーしたものです。 其表通着陣之 由候御大儀御座候 左候者(さそうらわば)一尅(刻)も早々 待入候猶成瀬可 申候 恐々謹言 十月廿三日 家康花押 中條将監殿

  • 木の強さを思い知る 紀元前40年の松柱

    今首都トーキョー辺りで流行っていること。 高齢者をターゲットとした「アポ電」ですね。 3人ほどのグループの強盗のことですがおそらく手配師や「アポ電話」専門担当など分業システムも確立された組織の匂いがしますね。 この「アポ電」を考えた輩は「かなりのワル」を思います。 先般の押し入りは80歳のお婆さんの命を奪ってまでの強行でしたが、面倒臭そうなオレオレ電話のストーリー展開と銀行入金や宅配便での現金発送などの段取りを一切ショートカット、「イキナリ現金奪取」ですからね。 彼らのオレオレ詐欺のシステムが世間周知の傾向から「仕事がやりにくくなった」ためにその進化した彼らの「チョイス」がこの「イキナリ」系ですね。 まるで戦国時代の「乱取り」を思いだしてしまいますよ。 国の方としては「タンス預金が市場に出てカネの流れがよくなり少しでもデフレ改善の一助となる」などとは100%言わないにしろ現実としてはそれを放置することは「経済」にとって悪くないはずでしょう。 まぁねじ曲がった私の発想はさておいて、以前からそれらの件、名前と住所という重大個人情報が世間様垂れ流し状態の電話番号帳から掲載削除についてをお勧めしています。 ご主人が亡くなってわざわざ奥さんの名に変更する方がいらっしゃいますが一人で女性が住んでいることを外部に知らせているようなものでもありますからね。 今更、知り合いの殆どは電話番号帳(ネット上サイト含む)で調べて電話を掛ける人はいないでしょう。 拙寺の場合はNTTのそれはとうに削除依頼をしていますが、いまだ電話の20%は無用な勧誘電話ばかりです。 寺でなければとっくに自宅電話など撤去したいと思うくらいですね。 「自分は大丈夫」という気持ちは捨てましょうね。 私はいつも「自分が一番ヤバい」が最初に思うところです。 携帯電話をお持ちの高齢者の方は自宅の電話を撤去してしまうのが一番です。今、自宅に掛かる電話ほど面倒なモノはありませんからね。 それを政府や役所辺りが親切心で言い出したとするときっとNTTが「ちょっと待って」と大いに怒りだすかも。 要はここも「経済」レベルの発想がまかり通るのでしょうかねぇ。 今回の首都トーキョーの高齢者狙いの「乱取り」(アポ電だけだと2018年)はそうは言っても「強盗殺人」。法治国家の罪の重さとしては最強レベルに重たいものですね。 今の段階でも二けた懲役は当たり前、悪質すぎるので20年というところか

  • 今年は空白の1月2月 古代ローマの暦は10か月

    昨日はちょいと西の方角に所用がありました。東名ではなくわざわざ新東名金谷島田ICまで。 それを利用したかったのは昨日から時速120㌔制限の区間が設定されたからです。 「どんなものか」の興味本位でしたが、のんびり走るトラックが前に居たら意味なしです。 また走行車線から追い越し車線に入る際、後方をよほど注意していないとイケません。 かなりの速度でかっ飛んでくる車が怖いからです。私もトンネル内で追い越しの際、後方から思いっきりパッシングを受けてしまいました。 また、120㌔区間が終了して突然50㌔制限の箇所が出てきたりしますので慌てますね。まるで罠のようですよ。 昨日も覆面パトカーが人のよさそうなおじいさんを捕獲していました。 まぁ、かっ飛び車の追突も覆面パトカーの追尾も「しっかり後方確認」をしていれば避けられることですが。 特に調子よく追い越し車線を走っていれば時速に関係なく検挙されてしまいますよ。 名実ともに「春」入りの昨日は朝から奥方に「この間あたり正月だったよねぇ」と。 まぁ「あっという間」です。 この分ではスグに報恩講、そして次の年が明けそうです。 その流れはどこかで突然止まることはわかっていますが・・・ 今年はあのインフルエンザに夫婦で罹患して臥せていた苦い思いの時間は語れますがその他の記憶が飛んでいますね。 おそらくですが「歳のせい」は無視して私があの憎っくき病に感染したのは去年8月の土蔵整理の際にかかった気管支炎の影響かとも思います。 ブログには記していませんが、いまだ完全治癒とは言い難い状況で時折深く咳混みます。どうせ弱った肺から狙い撃ち、アレにヤラレたのでしょうね。 また初めてだと思いますが40℃超えの熱は、熱が冷めても体の不調は続きました。普通の風邪よりラクだのと軽口を叩いていましたが、今年の11月には予防接種を必ず受けに行きます。 何より他人様にご迷惑をかけることになりかねませんので。 さて、古代ローマの暦は10か月しかなかったといいます。 春から始まるのは勿論厳冬期2か月に関してはナシ。 結局1年の太陽の動きとの調整もあって現在のような暦となったのですが、「冬の2か月はナシ」は今回の私と同じ。 2か月というのは無理にしろ「2月」1か月間は何もしたくないというのが本音です。 特に2月に法事を行うパターンは大概各「自宅にて」ですね。 寒い本堂に長時間いるよりも暖かな暖房器具の揃った自宅で法要を行い

  • 甲府市武田氏館跡歴史館 そしてアイスランドつづき

    昨日は「世界健康な国ランキング」はじめ国内甲州が寿司屋と日照時間の多さでで一番という件を記しました。 健康について日本の世界ランキングが4番目というところは少々意外でしたが、その理由は環境と食生活+αですね。 その「+α」が国民の健康・・・転じて幸福感というものの方向性の違いであり、それを主導しなくてはならない政治の無策とも感じるワケです。 色々な要素を加味してのその健康度なのですが、昨日のランクで日本より上位にある3つの国のうち、決して自然環境が温暖で「すごしやすい」とはいえないようなアイスランドについて考えます。 その国の3位という位置には一見して意外性がありますがこれはある意味「そうあるべくして・・・」の見方もありますね。 実は別のランキングに於いてアイスランドと日本には「雲泥の差」ともいえる「政治」の違いがありました。 それが世界の男女平等第一位のアイスランド(それも10年連続)。「男女平等ランキング2018」)と110位の日本という差こそが現実です(全149カ国中)。 これは先進国首脳会議七か国のうちぶっちぎりのどんケツで、台詞風に言えば「恥辱の上に恥辱を重ね・・・」くらいのみっともなさ。それを恥じと感じず、「しょうがないねぇ」くらい、いやまったく無関心でいる国民の立ち位置はまったくよくありませんね。 それでは政治が漫然と票集めの場となって政策が動いていかないのです。危機感のない政治の場を提供している原因が衆愚といえばそれまでなのですが、それでは未来の展望が描けませんよ。 ちなみにランキング上位の国々は北欧諸国ですが、上位にアフリカ諸国が入っていたりします。それはそもそも内戦等で「男がいない」という特殊事情でした。極論は男がいなければそのランキングが上がるという程度ではないかと決めつけてはイケません。 そのランキング算出の指標の中に「健康と生存」がありましたのでそういう算出方法からしても健康度ランキングの上位との並列に違和感はありませんしね。 結論を急ぎますがこの痴態(110位)の放置の原因は経済界にあるといえるかもしれません。 経団連の「票」に気遣って策が出せない政治が諸悪の根源なのですが人口減少に歯止めが効かないというか有効策が見いだせないのもおそらくそんなところでしょう。 たとえばアイスランドは女性大統領と火山を利用した地熱発電で有名ですが、大気を汚す火力発電所すら存在はありませんね。 先日経団連

  • 躑躅ケ崎館の武田信玄の便所は六畳畳敷き 沈思黙考

    世界健康な国ランキングなるものがあったようです(ブルームバーグ)。 どうしても「健康」という言葉に反応してしまう私はそれをチェックせずにはいられませんでした。 何をポイントにし基準としてそのランクを付けたのかはわかりませんがとりあえず日本は世界で4番目の健康度であると記されています。 なにかと健康ブームといわれるようにその志向に鋭敏になっている日本人が「1番に健康」と言われても不思議ではありませんでしたから、内心「そんなものか」とも思ったところでした。 ちなみに1番がスペインに2番がイタリア3番がアイスランドでした。5位から続けてスイス、スウェーデン、オーストラリア、 シンガポール、ノルウェーです。 ざっと見て「欧州の知的」を思いますがそれらは健康というものを意識して生活しているかもともとの環境と食生活でしょうね。 昨晩のNHK「偉人たちの健康診断」は武田信玄でした。その番組のあとの「名古屋城」と「ヒストリア」の歴史ニュースランキングとずっとNHK三昧。ちなみにヒストリアのランキングで駿府城金箔瓦が2位。1位が大山(だいせん)古墳の宮内庁調査の件でした。 健康診断では「山梨県は日本で一番日照時間が長い」というのは驚きでしたね。比較的高所で紫外線が強いというのもあるそうです。 要は甲斐の人はビタミンDの欠乏にはなりにくかった・・・であり これは「筋肉と骨が強かった」ということを物語っています。 歴戦の勇士武田信玄が甲斐軍団を率いて各地を転戦し、領地を拡大していったそのパワーだったのかも知れません。 現代人は室内生活が長くシミだの皺が怖い、美白だ夏は嫌いなどを言いながら日光にはできるだけあたらないようにする風潮が当然の如く蔓延していますがきっと私はコレにその健康のポイントが隠れているのかと合点した次第です。 健康度ランキングで1位と2位は南欧。光が溢れていることはわかります。 しかし3位のアイスランドほか北欧の健康度が高いのはそもそもそのビタミンDの欠乏が人の健康度にかなりの影響度があることを熟知し、国レベルでもその不可欠が致命的であることを国民に対して知らせているからですね。彼らは休暇と言えば南欧やどこかの島に行って思い切り日光浴をしている姿がありました。 厚生労働省が「そのビタミンの重要性」について強く訴えるシーンは遭遇したことがありませんね。その件、日本国内教育機関などで、「不健康な美白ブームと室内遊びはやめち

  • 有難い刈谷市の新名所 刈谷市歴史博物館開館

    先日記した信長朱印状の件、つづき。 何が何でもとその朱印状の本状をこの目で見て、繊細画像まで手にしたいという欲求は日頃愚鈍な私の背中を強く押しました。そこでその書面の所有者にダメ元で連絡を取ってみたのです。 まずその朱印状といえば ①信長の「天下布武」の朱印(世間様説得力大アリ) ②遠州高天神城に発せられたもの(地元の私の超推奨の城) ③信長の戦略上の駆け引きについての手紙(面白すぎ) ④遠州小山と滝境(滝坂)の両城の名(郷土の地名ピンポイント) ⑤特に滝境城は私の一押しの牧之原市に残る戦国の城(時代は戦 国でなくては・・・) 等々の放ってはおけない重大性を感じたからです。 黙っていては牧之原市で埋没させられそうな城址ですからね。 今後市の調査のウェイトは「勝間田城に・・・」という方向性となるのでしょうが、私はここで「ちょっと待ってくださいよ・・・」のちゃちゃを入れるが如く「私のゴリ押し資料」として大きく牧之原市民に聞き入れていただこうと思っているのです。 というわけで茨城県立歴史館の歴史資料課のN氏に問い合わせしました。 この書状は別の「所有者」がいらしてそれを歴史館に「寄託」された代物ということでした。事情を説明し所有者への了解を得ることになりました。 その際は所定の書面に記入して提出するという段取りまでしていただきましたので「水戸まで行くぞ !!」とかなりの気合が入っていましたが昨日は「やはり無理」というお断りの電話。 貸出はしているが個人レベルでは・・・ということでしたが、福山城博物館で開催された企画展に貸し出した際、そちらでは図録をつくっていて、その朱印状が掲載されているとの情報を得ました。 福山城博物館に図録発送の問い合わせをするも「売り切れ」でしたがその際、「そもそもその文書は今貸し出し中でこちらには無い」ということでした。 それが今度刈谷にて新設される刈谷市歴史博物館のオープニング企画ということ。 1か月以上も前に貸し出しているということはそちらでも図録を製作するということのよう。 N氏は「水戸より刈谷の方がお手軽ですね」と仰ってくださいましたがまさにその通り。水戸の帰りに牛久大仏や親鸞聖人の旧跡を回るという目論見は消えましたが刈谷とはなんともお気楽気分。現物も目にできて図録も手に入って申し分なしの情報を得られました。 会期は2019年3月24日(日曜)から5月19日(日曜)までですがその朱印状の

  • 小和田先生の福知山での提案光秀堤 賛成 !

    三寒四温などいう春の言葉がありますが、どこかで聞きましたが「それはウソ」のよう。 その語源は大陸の冬場のおはなしのようで、日本の春にこじつけてそれを囃すになったとのことですが実際はそのようにはならないというのが本当のところ。 そういえばここ数日「四温」どころではなくて温かい日続き。また「一寒」もないような。 日も長くなって無風、昨日は今年初めて半袖になって作業をしたくらいです。 さて、小和田先生は福知山にて講演されていたのですね。 当その地は来年の明智大河でこれからの盛り上がりは必定ですから、駿府城新発見もあって先生は今年も忙しくなりますね。 大河ドラマはこのように「関係各地が盛り上がる」という意味でもその主役とストーリーの選定は大事です。 特に明智光秀の出張った地域は複数でこれからそれぞれの地でお祭りになるでしょうね(拙ブログ明智つながり)。 そちらで先生が提案したというのが「明智藪」の件です。 この明智藪とは小栗栖の明智藪(またはこちら)の「藪」とは違います。 福知山の明智藪と呼ばれるものは堤防のこと(蛇ヶ端御藪)。 人工的な堤に竹を植えて竹藪とし若狭湾に注ぐ由良川の氾濫をおさえようと明智光秀が考案したといわれています。 竹の地下茎はしぶとく大地に張り巡らされますから堤の強度はアップするでしょうからね。 小和田先生が提案されたのがその「明智藪」の名称変更です。 通常どなたでも思うそれは明智光秀の終焉の地のイメージですからね。 二つの意味があるにしろどう考えてもその名こそ全国区で皆さんが想うところでしょう。 そこで先生の新名称は「光秀堤」。 また「藪」となると以前から「藪の中」の通り、まずは「ワケわからん」という感じがしますしね。 光秀の名のあとに「堤」と確り名称に入れていただければ一体何なのか誰もがわかるというものです。 「治水名人として知られる武田信玄の信玄堤、加藤清正の清正堤にならって光秀堤といった方がいい」とのことですね。 ②画像は由良川上から福知山方向。△の単独丘は高龍寺山でしょう。 以前福知山城をブラついた時のもの(場所はこちら)。 ⑤⑥辺りが「蛇ヶ端」。この蛇という字も龍という字も河川の近くにあれば過去の暴れ川をイメージします。ちなみに川が無くてその字が登場すれば土石流です。 蛇も龍も「イメージが悪い」と名を変える(地名のキラキラネーム)ことは控えるべきですね。 先人は未来への警鐘のためにそう名付

  • 2019年度 駿府城発掘調査 もっと深く今川まで

    土曜日の史跡研究会同席のSさんが「絶対にボツだと思う」が番組の取材を受けたとのこと。 NHKの「所さん~」だったそうですが、どうやら新幹線の中で弁当などを食べる事がアリかナシかということ。 番組の方向性としてはナシが増えていることで「大変です」なのでしょうが、その方は弁当食べることは大いにアリと一説ぶったためにボツだろうとのこと。 以前も記したと思いますが私もその件はうるさいですよ。 ナシ派です。 隣の席に後から来た人がシューマイ弁当や牛丼をかき込んで缶ビールをプシュっとゴクゴクやられたらどうも気分がイイものじゃあありませんね。 新幹線通勤のサラリーマン諸兄の楽しみというのはわかりますがね。 要は電車中の駅弁というものは鈍行列車の複数人での旅行にて・・・というのが私のイメージ。一人で食べるという度胸もありませんしね。 さて、Sさんはその日の午前1番、駿府城でのその日だけの現地説明会に行ってきたそうで撮影した写真を披露していました。 以前中村一氏と推測されている天守台の発見について記しましたが今度は新発見の本丸升形虎口の石垣の現説です。 時間に都合がつけば私も是非行きたいところでしたが惜しいことをしました。 昨日も地元テレビで小和田氏が話していましたがこれか発掘調査でのポイントは今川時代の遺構。 2019年で発掘調査は終了といいますが、そういう意味では「今川」は今年が勝負です。 駿府では今川義元生誕500年の区切りの年でもありますからね。 というワケで家康時代の復元話も盛り上がっていますが、それ以前の遺構が次々と姿を現す今、当分の間はそちらはムリですね。 もし今川の遺構が出たなどすれば、家康の城はその中で一番の新参者、今川館を再建しようという話も出てくるワケで。 それにしても贅沢なおはなしでした。 画像は200円で販売しているというパンフレットより。 出張った虎口がわかりますが現地の様子も「その通り」・・・だったそう。

  • 大石学氏講演会in相良 「田沼意次の虚像と実像」 

    気温の上昇と陽ざしの温かさはなんともうれしいことですね。 それも心から安堵するといったくらいにです。 ただの静岡程度の冬の寒さに大袈裟な・・・と笑われそうですが、今年は思いもしなかった病(インフルエンザ)に見舞われたこともあってその回復と今の居心地良い境内に懐かしさをも感じるくらいの感動がありました。 昔の人たちが春を迎える事を特別な慶事として捉えていたことがわかる年代に突入したということでしょう。 それにしても冬の無い世界で過ごしたいものです。 若い頃は何時でも実現できた事ですが・・・。 さて、昨日午後は史料館で史跡研究会の会合。 「田沼300年」の予算も確定して会長はヤル気まんまんです。 そして大河ドラマでのニ大時代考証のお一人大石学氏(東京学芸大教授 時代考証学会会長)が相良にて講演されます。 小和田先生が戦国期時代を専ら考証されるのに対し、大石先生は江戸期、特に最近の幕末モノの考証を務められています。 勿論「田沼意次300年」の記念企画の第一号になりますね。 参加費無料、申込不要という完全フリーの講演会であのハコに収まりきるのか不安ですが牧之原市教育委員会の気風の良さに満足しています。 フィクション リアル 「田沼意次の虚像と実像」 平成31年3月24日(日) 午後2時~3時30分(1時30分開場) 牧之原市教育委員会 0548-53-2646

  • 足利義晴の室町殿 築地基礎石敷き 同志社寒梅館

    昨年の暮れに福島県の無住のお寺から計五体の仏像が盗難に遭っています。 恩乗寺というお寺からは阿弥陀如来立像と菩薩像2体。 円城寺の方は阿弥陀如来坐像と閻魔像といいます。 私が驚いたのは阿弥陀さんが被害にあったということ。 どちらかでも記していますが阿弥陀さんは泥棒社会の需要と供給の問題、希少価値という点では千手観音や十一面観音などよりずっとありふれた仏像ですから。 浄土宗では大抵が阿弥陀如来坐像、当真宗系では100%阿弥陀如来立像を本尊としていますからね。 その他宗旨であっても本尊が阿弥陀さんというお寺はたくさんあります。 よって今回の盗難の報せには度肝を抜かれたということです。 そのような理由から「拙寺は大丈夫」などと勝手に安堵していました。 そういえば以前遠州を席捲した仏像専の泥棒が逮捕されましたがその人はS市の骨董屋さんだったことは驚きでした。刀剣の研ぎ師で神主の中村氏が日頃から骨董商を揶揄する「骨董・窃盗・強盗」などと面白おかしく言っていましたので「なるほど」と手を打ったものでした。 その方は「おつとめ」が終了したということで「気を付けろ」などいうお触れもありました。 前者のお寺でいうと阿弥陀三尊形式の1セット「イタダキ」で多少のプレミアムが付いたのでしょう。 おそらくして2件の犯人は同一だと思います。 ネットのオークションサイトと京都辺りの古美術・骨董オークション会場を目ざとく注視していれば彼らの手っ取り早く売りさばくという選択肢を阻むことができるかも知れません。 海外に搬出されることも考えられますので盗難品仏像・美術品としてサイト上にアップし、世界にも知らせる必要があります。 一部マニアの手に入ると以後流出は困難となってしまいますが、できるだけ盗難者にとって「ブツを捌きにくく」してやることが肝要です。 そのためにはしっかりと画像を保管しておくこと。 その時メジャーなども対象の横に掛けて撮影したり、実測しておくことが何より大事ですね。 特に無住のお寺の場合はスグ、仏像など盗難にあいそうなものを画像として残しましょう。 さて、烏丸今出川の同志社大学の薩摩藩邸跡の碑の烏丸通を挟んだ場所に「法科大学院」があります。 大聖寺門跡のすぐ北隣で同志社大学では寒梅館と呼ぶ建物で気の利いたテラスがあります。 そちらの奥にある遺構が「室町殿石敷遺構」です(場所はこちら)。 相国寺側の構内敷地にあるような地下遺構が目視でき

  • 相国寺-薩摩藩邸-新島襄の流れ 同志社建築物

    大須賀郷土研究会のみなさまご苦労様でした。 昨日は相良への「歴史ツアー」の企画があり、たくさんの皆さんに拙寺本堂にお参りいただきました。 一昨日の如くの陽気ではなく肌寒さを感じましたが大須賀地区の真宗のお寺の檀家さんもいらして有難くも熱心に私のつまらない話を聞いていただきました。 皆さんの目的は西尾家寄進の相良城櫓太鼓ほか田沼相良城廃却のいろいろでしたが、先日も記しました通り、次に向かう相良油田の石坂周造の借用書について「勝手に」おしゃべり・・・、さぞかし閉口されたのではと思います。 いいご縁をいただきありがとうございました。 さて、同志社大学構内ブラつきの続き。 烏丸通に面した門の脇に石柱があります。 薩摩藩邸址を記していますが、薩摩藩が相国寺から借り受けたとあります。 二本松薩摩藩邸と呼ばれていますが元々は錦東洞院の藩邸があってそちらが手狭になったため文久二年にこちらに進出したのでした。 薩長による同盟が画策された場所と言われています。 明治に入ってその所有が会津藩の山本覚馬と変わり新島襄のキリスト教をベースにした理念に傾倒して土地を手放したといいます。 構内歩けば地上には明治期の西洋建築に目が留まります。 地下はといえば鹿苑院の遺構が。 ※北海道震度6弱の再びの地震、お見舞い申し上げます。夜間の揺れは不安です。電車も止まっていましたが今回は電気通信の復旧は早かったようです。ただし今後(余震活発化)が気がかりです。

  • 鹿苑院は烏丸通と同志社大学の下 校内ミニ博物館

    風が吹きまくるもポカポカ陽気。 最悪1シーズン3回もあり得るというインフルエンザ禍ですがお気楽気分の一日でした。 たまには・・・ということで遠州豊田のSPをブラつきましたが「なんとかこの冬を乗り切った」の慶び感がありましたね。 ただし調子に乗るとピシッとやられるのがいつものパターンで助手席のドアを隣のおっちょこちょいにヤラれてしょんぼりさせられました。当て逃げというヤツですね。 おそらく乗車時に強風でドアが煽られたのでしょう。あとでゆっくりとドライブレコーダーを解析してみることにします。 全方位のドラレコも必要かとも思われましたがコスト含め面倒なことですね。 さて夜のテレビ小僧は「歴史秘話」。 <プロが選ぶ!日本を変えた室町三大事件>です。 先日も今度の「新元号あてっこ寿司博打」の件を記しましたが(六字選んで一字採用で大当たり)私はあてずっぽうに戦国ド真ん中の永禄・元亀・天正のうちから一字採用を奥の墓道氏に提示しました。 それ以前の観応・永享・嘉吉・応仁などなどキリがありませんが今、室町時代が本屋さんでは特に人気だそう。 ちなみに番組では①「観応の擾乱」②「嘉吉の徳政令」(籤将軍)③「応仁乱」を扱っていました。 一言で「武士の台頭」こそが面白いということですがその室町期で一番の安定期を維持したのが三代義満の頃。上記でいえば①と②の間ですね。 義満といえばどうしても金閣寺(正式名 鹿苑寺 臨済宗相国寺 派~または~こちら こちらも)を思い浮かべます。その寺の名「鹿苑寺」は義満の法号の「鹿苑院殿」からですね。 その相国寺といえば烏丸通から見て同志社大学の裏手という位置関係ですが、その今出川キャンパスと烏丸通は遺跡の上にあるといっても同然。 花の御所も直近というか殆ど同所ですね。 そこには義満の趣向で建てた「鹿苑院」なる相国寺の塔頭がありました。何故に完膚なきまでに消失しているかといえば例のアレ、明治の愚策(廃仏毀釈)ですね。 特にその流れは「足利」というだけで廃墟とさせる方向がありましたのでこの相国寺は相当ヤラれてしまったことを推察されます。 あの伊藤若冲の「動植綵絵」が宮内庁の手に渡ったというのもおそらくそのスジの影響でしょうね。 画像は同志社大学のキャンパスをうろついた時のもの。 警備員に案内を求めた際、気軽に応じてくれたところから部外者が立ち入っても問題なしと勝手に受け取りました。 キレイなホールは