現役官僚の中野某が個人としてメディアで発言する事の是非(其の四):『日本思想史新論』雑記㉒
前回、記事の最後に、中野某が「官僚資本主義」のイデオローグであると指摘したのだが、この「官僚資本主義」とは如何なる主義であろうか?本ブログで過去に採り挙げた…
現役官僚の中野某が個人としてメディアで発言する事の是非(其の三):『日本思想史新論』雑記㉑
前回の続き、「経産省は、何故、中野某の行為を許容し続けているのであろうか?」についてである。無論、経産省での内部の議論については全く知らぬが故、以下、推測の…
現役官僚の中野某が個人としてメディアで発言する事の是非(其の二):『日本思想史新論』雑記⑳
前回、「国費によってデマが流布される、国費がトンデモ売文屋を養うといった事態は許容されるべきか否か……答えは決まり切っている。」と指摘した。デマに等しい低俗…
現役官僚の中野某が個人としてメディアで発言する事の是非(其の一):『日本思想史新論』雑記⑲
今まで見て来たように、本書は、学術的な真理の探究を目的とするものである等とは到底言い得ない代物である。それは、世の右傾化・保守化の流れに乗じ、単に低俗・卑俗…
中野某における「アジテーション=使嗾」の目的は?(其の三):『日本思想史新論』雑記⑱
それにしても、経産省の一現役官僚が、一体全体、何のために、専門外の事項に関し、意図的にトンデモ本『日本思想史新論』を書いているのか? 自然に「意図的」と書い…
中野某における「アジテーション=使嗾」の目的は?(其の二):『日本思想史新論』雑記⑰
前回、他者の信念に対してすら故意の誇張表現(アジテーション)を見て取る人格破綻者的な中野某の解釈は、その解釈を為した当の本人である中野某の在り様・姿の忠実な…
中野某における「アジテーション=使嗾」の目的は?(其の一):『日本思想史新論』雑記⑯
前回に続き、下記引用の中野某の記述に関して記す。今回は、改めて、少々、噛み砕いて述べて置こう。『新論』は、対外的危機が迫っているにもかかわらず、泰平の世に…
会沢の尊王攘夷論は「プラグマティズム」か?(其の三):『日本思想史新論』雑記⑮
本書を通読する範囲内においても、会沢の尊王攘夷論が「国際問題に応用されたプラグマティズム(p54)」などとは到底言い得ない事は、本ブログの今迄の考察より明ら…
会沢の尊王攘夷論は「プラグマティズム」か?(其の二):『日本思想史新論』雑記⑭
前回に続き、本書『日本思想史新論』を通読する範囲内において、会沢の尊王攘夷論に関し述べる。 本書によると、会沢の「『新論』は、当時の水戸藩徳川斉脩に提出され…
『日本思想史新論』雑記⑬:会沢の尊王攘夷論は「プラグマティズム」か?(其の一)
本書『日本思想史新論』が企図する「日本政治思想の系譜を明らかにしようとする(p14)」との文脈において、「実学」と言い得るのは、本書が参考文献とする専門家の…
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