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ピットブルのハヤコ https://blog.goo.ne.jp/hayakokasan

ハヤコとかあさん

ピットブルのハヤコとかあさん。 ピットブルの存在を知らなかった人間が、縁あってピットブルのハヤコのかあさんになった。 世ではピットブルは悪名高いようだ。 所以は、「アメリカンピットブルテリア」が作出される前、された後に続く長い月日のなかで起きている出来事に因るようだ。 たしかに、恐い。 だか、かあさんはピットブルのハヤコと暮らして笑っている。 かあさんは、ハヤコを溺愛している。

ハヤコのかあさん
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2012/01/09

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  • 12回目の誕生日会

    ハヤコ、12歳になった。今年も、誕生日会を、した。今年の参加者は、私ととうさんだ。ハヤコは、自分の誕生日というものを、分かっているかは、わからない。1年に1度、目の前で、でかいケーキに火をつけられ、暗闇でかあさんの歌を聞かないと、ケーキが食べれない。「ハッピバースデ~♪~」いい歳のおばさんが、本気で歌う、とても、イタイ、分かっている、自分で。ハヤコは、「ああ、またか」とか、「このパターンか」くらいにしか感じてないかもしれない。ケーキが食べられるまで、いつもより、時間がかかることは、知っている。私は言う、「はぁちゃん、かあさんはあと3回はお誕生日会したいなぁ。」父さんが言う、「8歳のとき、あと4回とか、言ってなかった?」私は、笑う、言ってたよと、8歳の時だけでない、9歳の時も、10歳の時も、11歳の時も、あ...12回目の誕生日会

  • 追跡

    1センチ四方もないオヤツ、口を開いたハヤコに向けて軽く放る。ハヤコと私とのいつもの間合いで。オヤツが跳ねた、私の手か?それともハヤコの唇でか?ハヤコの歯でか?一瞬でオヤツが消えた。私は言う、「はちゃん、へたくそ」ハヤコは頭を揺らす、「アレ?」私は跳ね落ちたはずのオヤツを自分の周辺で探す。が、ない。ハヤコに言う、「ハヤ、探せ」ハヤコは鼻を吸う、吸う、吸う、「フン、フン、フン」、腰を浮かせ、当たりを探す。が、ない。私も探す、自分のポケットに入ったか?カバンの中に跳ねたか?小物入れのカゴに飛んだか?探すも、ない、ハヤコに言う、「はちゃん、探せ」ハヤコは鼻を吸う、「フン、フン、フン」私も探す、三回ほど、周辺を繰り返し。そして、気が付く、ハヤコ、鼻吸ってるけど、匂いを捉えようとしているけど、頭動かしているけど、ほと...追跡

  • STOP WAR

    テレビや新聞やネットで流れ届く言葉はたくさんある。背景は、私なぞが語れるようなレベルのものではない。私は、日本語以外、ほとんどわからない。それでも、多少の外国語の単語は、わかる、映像で聞き取れた言葉。STOPWARSTOPWAR

  • うた

    私は、基本、陰鬱だ。それを自分は持ってないかのように取り繕ぐ術は、少しは、持っている。ハヤコはうたう。かあさんかえってきたかあさんおきんのかあさんおきろかあさんあそぼうかあさんおでかけでしょう、でかけるんでしょ、でかけるんでしょ、あたしもかあさん、かあさんハヤコは、小さいころ頃から、あまり吠えなかった。たぶん、元々そんなに吠えない気質のところに、私が、吠えないようにと、伝えてしまったことが更に声を出さなくなったのではないかと、推測している。記憶としては、7歳くらいまで、ほとんど声を聞くことがなかった。だんだん、歳を重ねて、今のハヤコは、心の願いや喜びが溢れている時には、声が、出る。そして、私も、とうさんも、一緒になって、うたう。ウォーーそして、言う、「はーちゃん、ウォーが出るんか、そうか。」と、口元が緩む...うた

  • 私は、嘘とか、嘘っぽいとか、それをジョークに話をするのは、ある意味、話術だとも思っている。ただ、私は、それが、めんどうくさい。少し、歳も、少し重ねていることもあるのだろうが、面倒くささが、増している気がしている。嘘というのは、虚勢を含んだ、嘘だ。私自身の虚勢も、嘘だ。嘘というのは、とても面倒くさい。多くに、認識が通わないからだ。人間の意識は、複雑だ。私自身が、嘘だ。本当が、わからない。ただ、ハヤコには、全てにおいて、嘘なぞ、通じない。嘘なんて、ハヤコからの信頼を損なうだけで、私によいことなど何もない、ハヤコには、虚勢も嘘もいらないから、楽ちんだ。嘘

  • 踏んでしまった。

    ハヤコのうんこを、踏んでしまった。一年に一回くらい、踏んでいる。ハヤコはのトイレは、我が家の外だ。ハヤコは、勝手に家から出て行って、用をたして帰ってくる。ハヤコのうんこ場は、一か所に限っておらず、大体ここらとココらと此処らと、数か所ある。本日、外での水洗いに家の勝手口から出た私、「あ、ハヤコのうんこだ。」と存在を認め、「あとで取っとこう。」と、洗い物を片付ける。そして、うんこ袋を家の中へ取りに行き、認めた存在へ戻り、踏み出し手を出した。が、違和感。目の前のうんこからではない臭いを感じる、なぜだ、嗅覚の違和感を認識する前の一瞬に間接的に伝わった物質の微細な違和感が、足元で大きくなった。右足を上げスリッパの裏を見る、ものすごい、自然な動きだ、勝手に足が翻る。ああ、ここにもあったのか。今日は、雨が降っていた。勝...踏んでしまった。

  • はらへりマンボー

    ハヤコの状態をとうさんに伝える言葉がある、「はらへりマンボー」、はらへりは、腹減り、だ。ハヤコは、小さいころから、アレルギーの持ち主で、注射やら薬やら、対処法でずっと、今も。もう、慢性的なもので、現在に至っては、かゆみを一気に抑える強めの薬と痒みをごまかすの軽めの薬を症状に合わせて使って、なるべく安定した低空飛行を続けている。薬を与えれば症状が治まる、薬を与えなければ症状が出る、表現は簡単だが、それを操縦するのは、なかなかに難しい飛行なもので、私はよく症状の水準を落としてしまうのである。水準が低くなると、強めの薬を与えるのだが、この薬の副作用は、空腹。そうなのだ、これはツライぞ、ずっと、腹が減っているのだ。ハヤコは、ずっと、なんかくれと、はらがへったと、訴えるのだ。ごはんもオヤツも、3倍、食べる。私は、い...はらへりマンボー

  • ふぐ

    家に帰り、冷蔵庫を開けたら、四角い皿に魚の身が、二つ、乗っていた。皮を剥がれ、内臓もない、そしてラップもかけられていない、きっと、朝からこの状態で、冷蔵庫の中で上表面の水分が乾いてしまっていることは、疑問もなく理解する、ジジイのすることだ。こういうのに、うんざりするのだが、ラップをかけろとかビニール袋に入れろとか、冷蔵庫の中で干からびることを、どれだけ言えば、いつか、私の言うことが頭に入っていってくれるのか、死ぬまで無理だとも思っていながらも、分かって欲しい、聞いてほしい気持ちがあって、ずっと攻撃していたのかもしれない、そういうことは、魚の身だけのことではない、ほぼ、全てにおいてに渡ることなので、ずっとずっと前から、度々に、怒っては心を閉ざすことを繰り返し、未だに、どう心を持っていけばよいのか分からないが...ふぐ

  • およそ3年の間に

    ブログを再開しようかと、昨日投稿。投稿の仕方は記憶から操作。フォーマットは大きく変わっていなかったから、たどたどしくも投稿できたが、やはり、3年という年月は、そりゃ変わる。なんか、進化、していた。そりゃそうだが。ハヤコの話をしよう。ハヤコは、とても、かわいい。ハヤコは、とても、かしこい。ハヤコは、とても、愛おしい。ハヤコは、とても、とても、大事なのだ。私は、ハヤコがいつかいなくなることは、分かっている、だが、私は、どうしたらいいのだろうか、私は私が不安だ。これは、およそ3年の間に、現実が、近づいている、現実だ。およそ3年の間に

  • 再開しようかと、思った。

    ブログの入力の仕方さえも、たどたどしい。そもそも、ブログという媒体自体、古臭い媒体の世だろうとも、感じるが、ある意味、一国一城の主だ、寝ていた主、私とハヤコはその城で起きる。約3年か、豪雨災害にあったとか、ばあちゃんが亡くなったとか、あった。生活の基盤は少しづつ、少しづつ、少しづつ、そしていつかの時点から比べると、結構、変わっている。歳も、取る。私も、とうさんも、ハヤコも、そしてジジイも。ブログは、放置していた、時折、管理者サイトからの自動配信メールに目を通すくらいで、今の世で当たり前のSNSもロクに使わず、かといって、自分の目で見えている実世界で何か輝くものに惹かれていたりしたわけでもなく、ただ、陰鬱な感覚に支配されぬよう自分を保つことが、精一杯だったのかもしれない、それは、まだ今もだと、思う。放置して...再開しようかと、思った。

  • 時間の使用

    明後日、ばあちゃんが死んでから、一年となる。一周忌というらしい。ばあちゃんが死んでから、私は、余裕が少なくなった気が、する。背負うつもりはないが、ばあちゃんに甘えていた分、時間の使用が、うまくできない。それだけ、母がいたことは、甘えられていたのだろう。ハヤコは、ハヤコも、私も、歳をとる。ただ、ハヤコは時間を駆けるスピードが、私と違う。いろいろと、寂しいものだ、時間は。時間の使用

  • ハヤコのお誕生日会

    9歳になったのだ。うっかり、逃がすところだった。シゴトででかけているとうさんがメールで私に知らせる、「ハヤー、誕生日おめでとう」と。「もうすぐ9歳だ」と、思っていた、足早に過ぎている私の日常、「もうすぐ」ではなくなっていた、「もう9歳じゃん」。だから、今日は、とうさんいないけど、ばあちゃんも部屋で横になってるだろうけど、ジジイは帰ってないだろうけど、ハヤコと私だけだろうけど、シゴト帰りにホールケーキを買って、お店に人にお誕生日で「ハヤコ」と書いてもらうよう頼んで、ろうそくは9本つけてもらって、四角い箱を揺らさないように、持って帰ったんだ。そして、ハヤコに言ったんだ、「はやちゃんお誕生日だ、おめでとう、ケーキ買って帰ったよ」って。そして、ハヤコと私だけで、ハヤコの9歳のお誕生日会をしたのだー。我ながら、頭がおかし...ハヤコのお誕生日会

  • 自分の文章

    昨年、豪雨災害に見舞われてから、混乱期を経て、復旧への対応へと移り行く。そして、今、まだまだその真っただ中で、とても忙しい。一見、もう過ぎ去ったことのように、日々は過ぎているが、実は、まだまだ渦中であって、私もその渦の中にいる。そうはいえ、やはり、人間、根を詰めて、一度になにもかもどうにかなるものではない、だから、息抜きもする。だけど、負荷と息抜きのバランスが取れないことが続くと、ついつい、攻撃態勢をとり、時には迷わず発射することになる。あああ、よくないね。そんな最近、ハヤコのブログをしばらくぶりに開いた。直近を読んだ。思わず、笑った。自分の文章だというのに。そして、いつも見ているハヤコの、写真だというのに。自分とハヤコに癒される、おかしな現象に、また笑う。だから、今日は、少し、文章を書こうと、思ったんだ。自分の文章

  • ハヤコ

    私は、この子が、かわいくて、かわいくて、仕方がない。ハヤコ

  • 陰鬱

    人間にも犬にも陰鬱な時間や心があると思う。ハヤコなんて、陰鬱はもちろん、陽気ももちろん、不満も不満足も、ぜんぶ、顔に出す。私は、そんなハヤコの顔が、ただ面白いだけでなく、愛おしく、ついついついつい、ハヤコの負は、取ってやりたくなるのだよ。陰鬱

  • 半年前ほどからのこと

    ハヤコは昨年の7月の誕生日で8歳を過ぎてからのこと、今から半年ほど前の10月頃、急に老いが加速し始めた。最初に異変を察知したのはとうさんだ。ハヤコの調子がおかしい気がすると。私は大枠では同意見だったが、すぐに調子が戻るだろうと思っていた。しかし、転がるように、ハヤコは、おばさんの後半に差し掛かった。老けた。溢れていたエネルギーが溢れなくなっていった。そして、腰痛まで患って。腰痛の話は、またの、気が向いたときに書こう。今は、腰痛は随分改善されていて、私ととうさんが一安心してからしばらく経っている。おばさんからおばあさんに、きっと、早いスピードで駆けていくのだろうとは、感じながら、私の、ハヤコをいただいてからの不安、ハヤコを失う恐ろしさ、いつかが、一日一日短くなっていることは、現実で、だけれど、今は、まだ、もうしば...半年前ほどからのこと

  • 独り言にしかならない憤り

    「躾」しつけと読む、しつけと言う。私は、ハヤコを、狂い叩いたことはない。ハヤコをしつけるに、ハヤコを痛めつけたことなどない。ハヤコは、犬は、痛めつけなくても、人間が思っている以上に人間を見てくれている。犬でさえ、分かるのに、人間が、人間を「躾」だと痛めつける、狂っている。独り言にしかならない憤り

  • 暖かい冬

    暖かい冬なものだから、雪遊びに出かけられない。2月も終わろうとしてるけど、お休みのもう一回だけ、雪が降らないかな。今シーズン、最初で最後の雪遊びに行きたい。そんな私の希望とは違うところで、ほんのり春の空気を纏う瀬戸内の島で、ハヤコは、笑顔を見せてくれる。ま、それで、いいんだけどね。暖かい冬

  • 攻防

    休日コタツに体を埋めている私にハヤコは自身の感情で私を覆う、「なにかくれ」と。あんまりしつこいから、スマホのカメラを起動させ向ける、ハヤコは、私に、おやつが食べたいと訴える。ま、しつこいの、無視していても、しつこいし、私、甘いから、このあと、一口、ハヤコにおやつを。ハヤコとの攻防は、たいてい、私が負けているような気がする。攻防

  • 相好

    ハヤコの顔が崩れる。潰れている。瞳は四分の一くらいしか見えない、頭蓋骨まで潰れているようで、顔の皺がくっきりする。勤め人の私は、この時期分から送別会だとかイベントが集中する、4月初めくらいまで。慣れぬスーツらしき衣装で、私は本日ほろ酔いで帰宅する。薄暗い玄関で、ハヤコは、喜んでいる、静かに顔を潰して。ひどく、待っていた、ようだ。ハヤコのそんな顔は、時々見るが、面白い顔だと感じながら、私も、きっと、顔が潰れている。相好

  • 世界

    私の世界はとても狭く、その狭い世界にハヤコがいることが、私にとって、阿呆なくらいまた世界の中の密度を上げる。しばらく、このブログの世界から遠ざかっている、これは、いいこともあり、わるいこともあり、ハヤコという、愛しき犬と過ごすに、もしかしたら、私が、どこか違和感を感じていたハヤコとの時間の無駄遣いを無駄なく過ごしている面もある、しかし、だが、実際、私がハヤコとじゃあずーーーーーーーっと向き合っているかと考えると、そうではない、私も、ハヤコも一緒の空間で、おのおのの時間を過ごしている。私はハヤコと、ハヤコは私と、一緒にいる空間を、ただ、それぞれに背を向けていても、互いに、存在は、そこに。だから、ゆえに、私は、ハヤコとの世界が、いごこちがいい。犬だから人間同士ほどいちいちの言葉は通じないのが現実だが、それでも、ハヤ...世界

  • newyear

    HIKARI,HIKARU,HIKAREnewyear

  • 健在

    ブログをまた放置していた。理由はいろいろあるようでない、ただ横着者の私が毎日先頭切って出てきていただけだ。横着者だと、ものすごく自覚がある。怠惰、堕落、面倒くさがり、自分と繋がる言葉だ。面倒くさがりは、本当に面倒な性質で、ちょっとしたつまずきで神経が逆立ったりする、自分の許容が狭まるのだ。感情のコントロールができる範囲が狭まるのだ。本当に面倒だ、あらゆるところに影響が出る。そういう時間が長いと、自分自身が分からなくなる、何をしたいのか、何かしたいのかも、そして、たくさんの興味がなくなる、そして、なんで生きてるんだろうなんて何千年も前から答えの出ていない問にまで考えが及ぶ。ああ、面倒だっつったらありゃしない。面倒くさがりは、本当に面倒なのだ、何歳になっても、健在する。そんな私の陰鬱とは別に、ハヤコのおっさん座りも...健在

  • ごろ寝と心配と希望

    私が。この夏。いやそれまでも。ハヤコはたくさん散歩に行っていない。家の中で、ごろごろごろごろ、それしかハヤコはすることがない、ごろごろごろごろ。私は、ハヤコがうらやましいとも思っている、ハヤコが自由に寝転がっている姿は、私の心の真ん中へんをやさしくさせる。だが、理由があるとはいえ、ハヤコが文句を伝えてこないとはいえ、どこか、ごろ寝し過ぎて退屈で心の起伏もそんなになく足が弱ったりしないかと、漠然と、心配な気持ちが湧いてくる、それほど、この夏ハヤコは散歩に行っていない。だからか、少し前から気になることがある、ハヤコがあまり飛び跳ねない。たまに足取りがおかしい。これは、暑さが引き起こしている一時的なものか、ただ歳のせいか、私のせいか。ハヤコは8歳だ、まだまだ元気に生きてもらわねばならぬ、私、かあさんのために、それが、...ごろ寝と心配と希望

  • 災害発生の夜

    7月6日の夜だったなー、7月7日の明け方だったなー。じゃんじゃん雨が降って、我が家裏の待ち受け擁壁の水抜きから泥水が噴出してた。それに気が付いてジジイを起こし、普段鉄板を蓋にして暗渠となっている水路を開渠にして水道を確保する。7月6日の夜、あれで終わればよかったのだが。数時間は寝た。が、裏山が「ドン」と音を立てた、一瞬で目が覚めた、ヤバイやつだと悟る、裏山へ向いた窓を開ける、我が家の横にある裏山へ向かう階段に小島のような木切れたちが滑るように流れてきたのが見えた。迷わない、ジジイを起こす。出動だ。この日、我が家には、私とジジイとハヤコしかいなかったのだ。明け方の時間とはいえ、暗かった。懐中電灯を手に、我が家周辺の様子を確認する。雨に濡れることをどうこういっていられない。裏山から流れてくる再びの泥水と、降りしきる...災害発生の夜

  • thank you

    ありがとうございました。災害にあったと、ブログ休止をし、それでも、声をかけてくださった方々、ありがたく、うれしかったです。感謝。感謝。感謝。失礼を承知。しかし、どこか、気になりながら、それでも、放置をし、今に至る。故に、深く、感謝申し上げます。酷い災害にあったあと、しばらくは日常が一変。自然が起こした状態は、どこか、多くに、諦めというのか、気持ちが、削がれるようで、一様にうなだれはしないけれど虚を張る勢いもなく。ああ、だから、謙虚に生きろということか、もしかしたら、そういう、ことか。そんな、気持ちに、嫌でもなる。しかし、そういう気持ちは、都合のいいもので、日常で、できれば忘れたい。なんて、勝手なものか。そんな、勝手な日常を、再び、書き残そうと、思う。なので、夜露死苦、候。thankyou

  • 災害

    我が家地方、広島県呉市、酷い災害に遭ってしまった。豪雨のあと、ご心配をいただいたきました方々、ありがとうございます。我が家だけのことを言うと、豪雨の最中からいろいろ大変でしたが、家族は皆無事ですし、家の本体は無事です。我が家は裏に抱えた小山が崩れてしまいましたが、テレビで流れている被害を見ると、我が家は軽症の軽症です。そして、我が家地方のことを言うと、いや我が家地方だけでなく広域に、しばらくの間、災害対応に、とても大変です。私のシゴトは、こういう時、力を出さなければならないところです。ですから、しばらくの間、ブログはここのところ放置気味だった以上に、キレイに放置します。もし、お気遣いいただいき、コメントくださる方がいらっしゃったら、大変失礼なことにご返事を返さないことになりますが、どうぞご理解ください。それから...災害

  • 開口

    朝。私の横にピタリといるものだから、枕元に置いておいたスマホカメラを起動させ、ハヤコに向ける。いつもの朝の臨場感を撮ろうと。これでどうだろうか。開口

  • 散歩の始まり私の横着者の性分が前面に、先頭きって顔をだしている、ばあちゃんが少しずつ不自由になっていっている、一日の時間は、たくさんあるようで、あんまりない、なにせ、休息の時間がなければ壊れる、私の脳みそは、弱い。久しぶりに、ハヤコと、散歩にでかけた。いつも、とうさんに任せっきりになっていて、私自身が、横着者になっていっているのも、自身で感じている。だからこその感慨、ハヤコと、遊んだ一時間、楽しかった。楽

  • 夢、満足

    ハヤコの夢って、なんだろうか。ありきたりに、「主人と一緒にいること」っていうことじゃない、気がする。ハヤコの満足は、なんだろうか。ありきたりに、「主人と一緒にいること」でない、気が、する。そんなに、単純じゃない、気がする。夢、満足

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