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魂暴風;Soul storm https://blog.goo.ne.jp/kaze629/

僕が見た、あの日(と今日)の悲喜哀感。 A writer;美城丈二Another face綾見由宇也

こちらのサイトでは主に過去録の再掲、並びに日々の哀感を綴っております。 SINCE2001 presented by Jyouji Yoshiki

本ブログ / 作家・小説家

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美城丈二
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湧水町
出身
えびの市
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2011/12/24

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  • 夏眠

    2006/7記述笑い噺(ばなし)みたいで恐縮なのですが、「夏眠(かみん)」という言葉をご存知でしょうか!?冬眠という言葉はよく聞きますが、「夏眠」……?先達て中国の古書を紐解いておりましたら、そういう単語が出てきたのですね。父の書庫から、無論、翻訳書なのですが、かの地には古くからこの言葉が存在しており、まさに夏の暑い盛りを避け、ほこらみたいな場所で人知れず、うんと暑い時期を眠るがまま過すことを指してそう言うのだそうです。転じて仮眠、そう、この言葉はここから来ているらしいのです……。東京の某所ではリラクゼーションの一環として、人間ひとりをすっぽり覆うかのようなカプセルの中に入り込んで、この暗闇の最中、「せせらぎ」だの「鳥のさえずり」などの音だけを流してもらい、まさに仮眠する行為がいっとき盛んに流行っているなどとい...夏眠

  • “魅せる”というジャンルの奇特性に背を向けたとされるボックの精神世界

    “地獄の墓掘り人”ローラン・ボック「“魅せる”というジャンルの奇特性に背を向けたとされるボックの精神世界」(07.7筆記【美城丈二@魂暴風;Soulstorm*amartialartside】“魂暴風”popularrequestcolumn)ボック(RolandBock)の神秘性が俄かに台頭、猪木との再度の対戦が囁かれ始めた最中、私はボックが以前、アンドレをスープレックスで投げ放ったと聞き及んだことに想いを巡らし、あれはプロレス特有の“魅せる”が為に果敢に挑みかかっていったのか?或いは自身の“意気地”の為に放ったのか?そこを是非にも知りたいと思ったものである。ましてあの“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントである。アンドレの同意があったとしてもそうそう持ち上げる所業は容易いものではない。更にこの投げ放したことに...“魅せる”というジャンルの奇特性に背を向けたとされるボックの精神世界

  • 千の夜‐ある夏の日の朝

    千の夜‐ある夏の日の朝僕に忍んでくる悲しみよ、お願いだ、今こそ僕は、その千の夜を越えたいんだ。僕は僕を憂う。僕はもう、そんな僕に果ててしまった。僕は幼い頃から、空を見やるのが好きだった。いくつもの夜を越え、僕は満天の星屑を憎んだこともあった。月が翳る、そんな吹きすさぶ早暁、祈りを捧げたこともあった。けど、けど、いまこそ、僕にこの大いなる空よ、僕のそんな千の夜を癒しておくれ。僕が求めてやまなかったもの。「そこを飛び越えろ!!」と千の夜は嗤う。まだまだ迷ってもいいさ。だけどさ、もう、悲しみなんて、僕の中で朽ちてしまった。悲しいことばかりで、迷いたくはないんだよ、ほんとさ。「悲劇のヒロイン気取り」。嗤うがいいさ。僕は拭うなら、いまこそ暖かい泪を拭いたい。お願いだ。どうか、今こそ僕に、千の夜を越える運(さだ)めを与えた...千の夜‐ある夏の日の朝

  • いまとなっては忘れようにも忘れられようか・我が父が愛した童話作家;椋鳩十

    父が座した胡坐に腰掛けて父の朗読する童話に聞き入っていた、幼かった頃の私。最早、遠い遠い過去のようで、ただ想い出すのは酒さえ飲まなければ優しかった父の面影。時は過ぎ、入院加療中の父がまだ多少元気だった頃、父にせがまれてそんな父の片腕を抱きながら、入館した椋鳩十文学記念館。ほんに寒い日のことで南国だというのに、霙が降っていたような。なのになんだか頑強に「行くぞ」とせがんだ父。「俺は一度はここに来たかったんだよ」と確か父は言っておりましたっけ。そんな父も、もうこの世に居ない。出来ることならば父とふたり、元気にきっと快復した父と今度は信州の図書館の方にも尋ねてみたかった。もう、それは叶わない。椋鳩十の童話を手にする度に父が私に人として何が大切なことか、知らしめようとした当時の心根が感じ取れて、今はただただ今在るはあの...いまとなっては忘れようにも忘れられようか・我が父が愛した童話作家;椋鳩十

  • 亡き父の面影、いまここに在る生

    FBの方では執筆を重ねたシリーズなのですが……。美城丈二の“ふるさとは遠きにありて思うもの”ブログ篇『亡き父の面影、いまここに在る生』写真は仏壇に掲げたものであり、本来の父のイメージは一升瓶が相応しい(笑)。私の父は生粋の薩摩隼人であり無粋で融通が利かない、頑固で寡黙、そう無口で堅い雰囲気。普段は黙ってまさにじっと動かずご本ばかり読んでいた、といった塩梅でしょうね。蒸気機関車の運転手で、非番(自宅待機)の時は本を読んでいるか、或いは酒を飲んでいるか、このどちらか。酒と言えば無論、焼酎で分けても芋焼酎は父の大のお気にいりだった。あのぷ~んとくる匂いがまた生前の父の面影を忍ばせる。息子が言うのも変でしょうが、その焼酎が父の人生を狂わせたと言っても過言ではないでしょうね。博識で鹿児島でもっとも名高い高校に進学した父も...亡き父の面影、いまここに在る生

  • 第二の古里

    私の“第2の古里”と言えばどこになるのだろうか?現在までにおけるもっとも長く居を構えていた場所と言えば東京は下北沢ということになるのだろう。南口をまっすぐ通り抜け、「餃子の王将」を越えた坂道を駆け上がった辺り、代沢5丁目、そこにあるアパートで8年ほど過ごした。『桜の森の満開の下』坂口安吾も若き日には近くに住んでおり、通りがかりの桜吹雪に出会うと悠久の当時を思い起こし、感傷的になったものだ。まぁ言葉では尽くしがたいほど嫌な思い出も多い場所。実の妹とも一時期、この場所で住んでいたが、あるとき、その妹が「お兄ちゃん、田舎に帰ろうよ」と意味有りげに告げてきた。だが、私はその申し出を断った。あのとき、古里・霧島に帰っていたらまたその後の人生も変わっていたことだろうけれど……。どうしても帰る気になれなかった。東京に数々の未...第二の古里

  • プロレス道の神様

    力道山亡き後の日本のプロレス界に道筋を与えた男、その名はカール・ゴッチ。“プロレスの神様”。そのストイックなまでの強さへの探求心、指導方法に感化され、幾多のレスラーが影響を受けたことか?まさにプロレス道の神様と言っても過言ではないだろう。プロレスの上手さという点から何かと批判や非難も受け、プロレスラーとしては賛否両論、毀誉褒貶があったゴッチ。エンターティメントとしてのプロレスに魅了されてきた私だけれど、プロレスリングという“凄み”も生涯、探求し続けてきたゴッチにも何か凄まじい魔力を感じて追いかけていた、幼い頃の私。どうぞそのご冥福を改めてお祈りさせていただきたい次第。合掌美城丈二プロレス道の神様

  • “独眼竜政宗”の頃。

    美城丈二@Jyouji_Yoshiki私は仲間内ではかなりの歴史好きで知られているが(歴史通と歴史好きは違いますので念の為……笑)本年度、よく報じられているのはNHK大河ドラマの不振である。製作者側の苦心振りをよく存じているつもりだから非難はする気にはなれないけれど、大河ドラマなどは若い世代も入り込みやすい側面もあるから、そういう意味からも今回の不振は残念だなとの思いがある。いくつもの要因が重なっての不振なのだろうけれど、かつての大河にはフィクションならではのエンターティメント性が感じられただけに惜しい現況ではある。写真は大河ドラマ史上、最も視聴率が最高・平均共にトップだった渡辺謙さん主演の『独眼竜政宗』その後、政宗ファンが無数に増えた一要因ともなった。“独眼竜政宗”の頃。

  • 次の伝説は“狂虎伝説”か?

    美城丈二@Jyouji_Yoshiki“不沈艦伝説”“超獣伝説”“大巨人伝説”いずれも迫力満点!!一時代を築いた“カリスマ”たちのナチュラルなパワーにはいまでも圧倒されんばかりだ。モノクロームな世界観が幾年経ても色あせないのはやはりそこに“真実”が潜んでいるからだろう。プロレスは互いの信頼関係のもと、相手の力量をどれだけ引き出せるかの真剣勝負の舞台。「ほんとに“プロ”の世界は奥が深いぜ!!」と、若き日の美城はアンチプロレスファンに胸を張ったもんだ!!エヘン(笑)。さて次はどなた?(笑)“狂虎伝説”を忘れてはいけませんよ。※日々、執筆の励みに致します。宜しかったらクリック願います。⇒次の伝説は“狂虎伝説”か?

  • 焦がれる。

    美城丈二@Jyouji_Yoshiki私は何歳になってもこの人に焦がれる。きっと死ぬまで思い続ける。まるで儚い、永遠に叶わぬ初恋のそれ。焦がれる。

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