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風太郎のPな日々 http://futaro1980.blog.fc2.com/

昔の国鉄ローカル線、地方私鉄や最近のローカル線など、旅の写真と思い出で綴るブログです。

1980年代、「鉄道のある風景」を求めて全国を旅した風太郎が写真と文章で綴る、ローカル線紀行。バリ鉄ではありませんが、自然溢れる沿線や、出会った人々など、しばし「鉄路の叙情」を感じて頂ければ、と思っています。しばらく「鉄」から遠ざかっていましたが、最近復活、ローカル線の「今」も綴っています。その他自然風景、日々雑感諸々まで。なるべく頻繁に更新したいと思っています。よろしくお願いいたします。

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2011/12/18

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  • 良いお年を

    日中線 会津加納 1984年 これが今年最後の更新になります。 1年間お付き合い頂きありがとうございました。私事ながら今年は長年勤めた会社をリタイア、新生活を始めるという大きな変化の年になりました。不思議なもので何かのスイッチを入れると、それまで停滞していたものが一斉に動き出す感じがします。「写真集出版」もそのひとつだったのですが、残念ながら今年は間に合わず。 いやお楽しみが長く続くとポ...

  • ベンチの冬

    富山地方鉄道 岩峅寺 2018年佇む人も疎らな冬の駅。渡り廊下に降り込んだ雪は、そのままにかたちを留めている。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ミャンマーで拘束されていたジャーナリストの久保田さん、10年の刑が下りながら無事に解放、帰国出来てよかった。現場に立った人間にしか分からない真実を伝えてもらいたい。それにつけても判で押したような自己責任論を振り回す、SNSスズ...

  • 二重窓

    五能線 風合瀬 1989年五能線には北海道仕様の二重窓、キハ22が配置されていた。別カットで確認できる車番は「キハ22 339」で、資料があったので調べたら1966年に新製された同系列の最終ロット、当初から弘前区に所属、最後まで同区とあるから五能線を走り続けて生涯を終えたのだろう。酷寒地仕様の一部が北東北に配置されたのは、1966年当時、北海道に匹敵する冬の厳しさが考慮されたのだろうけれど、...

  • PRAHA慕情

    チェコ プラハ 2015年必要以上の灯りを備えない街は、豊かな翳を抱く。ヨーロッパの古い街の、決して馬鹿騒ぎではない、静謐なクリスマスの夜をいつか味わってみたいものだ。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村ミャンマーで拘束されていたジャーナリストの久保田さん、10年の刑が下りながら無事に解放、帰国出来てよかった。現場に立った人間にしか分からない真実を伝えてもらいたい。...

  • 日短きこと至る

    只見線 越後広瀬 2018年日短きこと至る。 ようやく明るくなった駅に、6:54の下り始発列車がやって来る。意外なほど多い高校生は車で送られてギリギリに到着するから、ホームが賑わうのも一瞬のことだ。降っては融けた雪が、いよいよ根を張る年の瀬である。定番のスクールバックマスコットがビニールケース入りなのは、雪の用心だろうか。黒板の文字大きくて冬至なり 都筑智子© 2011 風太郎のPな日々 All rights...

  • Project 「 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 」 校正校閲

    Projectはあれよあれよと年越しになってしまうが、「校正校閲を先にやってしまいましょう。」との編集者の提案。本来なら入稿された原稿をもとに、写真と共にテキストもレイアウトデザインする「組版」を完了し、試し刷りたる「ゲラ」が出てからやるのが定石らしいが、時間節約の為となったら異論の余地も無い。出版の素人としては、「校正校閲」など著者が自己責任でやるものだと思っていたのだが、さすがはちゃんとした出版社と...

  • 山陰晩秋紀行 その10 遷ろい

    山陰本線 宇田郷 1983年 特急まつかぜ1号宇田郷は39年前に撮っている。 1983年(昭和58年)11月6日。記録に無頓着な風太郎が日付まで胸を張って言えるのは、当日買った宇田郷駅の入場券があるからだ。大学4年の秋で就職も決まり、テンションが上がっていたのだろう。 馬路の遥か山上の電波塔下から大俯瞰したり、むやみに気張った撮影行がネガに残っているのを見れば、ちょっと微笑ましくもある。惣郷...

  • 山陰晩秋紀行 その9 車窓の夕陽

    山陰本線 湯玉 2022年11月この列車の通過後、不意に現れる観光列車「○○のはなし」にとって此処は見せ場の一つなのだろう、この波打ち際に停車して、しばしの夕陽鑑賞タイムを提供するようだ。生活列車の車窓も見えるものは同じ。 しかしそれは毎日の風景だ。晴れの日、雨の日、その日ごとに違う海原は、窓辺の人にどう映るのだろう。「ノドグロ」は、東京辺りの小洒落た店で食おうものなら、塩焼きだろうが煮付けだ...

  • 山陰晩秋紀行 その8 入り江の夕べ

    山陰本線 三見 2022年11月夕刻になるにつれ雲が切れた。あまり当てにしていなかった夕陽が海を金色に染めるのは、粘ってみるものだ。穏やかな入り江の一日が、終わろうとしている。山陰の秋が、知らず通り過ぎてゆく。水木一郎死す。 「燃えよドラゴンズ」と言えばこの方でした。古いところでは板東英二、舟木一夫から松平健まで錚々たるドラキチが歌ったなかでも、この方のガッツボーカルが一番ハマった。間奏中に...

  • 山陰晩秋紀行 その7 長門市駅

    山陰本線 長門市駅 2022年11月長門市という町はどこか没落貴族の趣があると言ったら叱られるだろうか。海の玄関口ともいえる仙崎に伸びる支線、そしてSL最晩年に至るまで、もう嫌というほどD51の石灰石列車が往来したという美祢線。そのジャンクションはかつて広大な機関区を構えて、今も遺構が暗がりに佇んでいる。駅周辺の赤提灯は膨大な数の国鉄関係者を当てにしたものであろう。そして駅前の古びた旅館兼土...

  • 山陰晩秋紀行 その6 風の谷

    山陰本線 宇田郷 2022年11月「此処は風の通り道だからね、荒れたら凄いよお。」風の谷の入り口、橋脚のすぐ脇に住むばあちゃんは御年93歳と。谷の奥にある村からハタチで嫁いできて73年。 晴れの日、嵐の日、架け橋と共に歳月を重ねた。取材に来た中井精也さんと記念写真を撮ったこともあるそうだ。矍鑠と草を刈り、なんの淀みも無く会話が流れるのはとてもそのお歳には見えない。歳はこう取りたいもの。ご存じ...

  • 山陰晩秋紀行 その5 雨の飯井

    山陰本線 飯井 2022年11月3泊4日の行程は概して天気に恵まれなかった。晴れマークの予報の日も空に雲が広がって、これは概ね曇りと言うんじゃねえの、雲が流れてくるたびに来るな!という状況。通過時に必ず陰るのは二人分の行いの問題か。雨マークが付いたりしたら、「明るい山陰の海」は到底望めない。本来ならエメラルドグリーンの入り江を望む飯井の集落も、雨模様の朝を迎えた。期待していた人は可哀そうだが...

  • 山陰晩秋紀行 その4 海道3万キロ

    湯玉海岸 2022年11月日本列島の海岸線は約3万キロ。世界第6位の長さを持つ海洋大国でもある。更にはカナダ・インドネシアなど最上位にある国のそれが、気候的にはほぼ単一のエリアに属しているのに比べ、日本のそれは北海道沿岸の冷帯域から南西諸島沿岸の亜熱帯域まで含むのだから、これ程多彩な海の表情を持つ国もあるまい。そして鉄道もまた、その「海道」を忠実にトレースして伸びている。日本海といえば夕陽の...

  • 山陰晩秋紀行 その3 明知集落

    山陰本線 三見 2022年11月飯井と三見の間、明知集落は、穏やかな入り江に抱かれて佇む。山陰のもうひとつの「朱」と言えば、石州瓦の甍だろう。塩害に強く積雪にも耐えるという、この土地の風土が生んだ建築素材。浜の流木でも焼くのか、棚引く煙が趣を添える。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村国連によれば、クーデター以降、住み家を追われた避難民は140万人、子供だけでも50万...

  • 山陰晩秋紀行 その2 朱色のイマジネーション

    山陰本線 伊上 2022年11月あー、残り柿だあ、車ストップ、ストップ、というのは、タラコならぬ朱色のイマジネーション。緑系と赤系は補色の関係になって互いに引き立てる訳だから、緑深い日本の自然に響き合うのは自明の理。車両意匠デザイナーよ、聞いてるか。長大な山陰本線をあちこち彷徨うよりはと益田以西に限定したのだが、キハ40系のみしか走らない「ヨンマル天国」とは直前まで知らなかった。7年前にこの...

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