ミャンマー ヤンゴン環状線 パヤーサイコン 2019年紛争地潜入取材と言うか、ヨンマル見たさに渡航、ヤンゴン環状線を撮ろうにも鉄道にカメラを向けるは現地環境からして危険極まりないから隠し撮りした、という噂も聞く。そういう撮り方をして楽しいかと思うけど、天下御免に撮りまくったあの頃の楽しさがより切なく蘇るところがある。いずれにしても「会津若松」の方向幕を誇らしげに掲げた東北色のヨンマルは会場での人...
昔の国鉄ローカル線、地方私鉄や最近のローカル線など、旅の写真と思い出で綴るブログです。
1980年代、「鉄道のある風景」を求めて全国を旅した風太郎が写真と文章で綴る、ローカル線紀行。バリ鉄ではありませんが、自然溢れる沿線や、出会った人々など、しばし「鉄路の叙情」を感じて頂ければ、と思っています。しばらく「鉄」から遠ざかっていましたが、最近復活、ローカル線の「今」も綴っています。その他自然風景、日々雑感諸々まで。なるべく頻繁に更新したいと思っています。よろしくお願いいたします。
花輪線 北森 2019年「頭と尻尾はくれてやれ」とは株屋の格言。尻尾(最安値)で買って頭(最高値)で売り抜ければボロ儲けは単純な理屈だが、強欲を突っ張らせてそんなものを狙いに行くとかえって大ヤケドするぞ、またビビッた売り買いで結果的に大利を逃したと思ってもクヨクヨするな、程々で良いのだという意。他にも「人の行く裏に道あり花の山」とか、「売るべし 買うべし 休むべし」とか、株の鉄火場の格言には...
小湊鉄道 養老渓谷 2017年 地味な里山をゆく路線だが、トンネル未満の切通しが多く、光線次第で意外な出会いになるものだ。錦秋の幕が開く。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村海外渡航がようやく現実味を帯びてきた中で、外務省の「海外安全情報」を見る機会が多くなった。ミャンマーは昨年2月のクーデター勃発以来、レベル2「不要不急の渡航は自粛」のまま、ロヒンギャ問題のあるラ...
只見線 早戸 2019年時計の針はAM5:52。オマエの写真に付き合うのはイヤダと逃げられても、人の行く裏道に道あり。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村海外渡航がようやく現実味を帯びてきた中で、外務省の「海外安全情報」を見る機会が多くなった。ミャンマーは昨年2月のクーデター勃発以来、レベル2「不要不急の渡航は自粛」のまま、ロヒンギャ問題のあるラカイン州と、中国国境地域のごく...
ミャンマー ラーショー線 2018年始発駅を午前4時に出た列車がようやく朝を迎えた。一日一往復の列車だから、朝食の屋台もここが勝負どころ。呼び込みの声と、ラジオから響く朝のお経が交じり合うひとときである。此処から列車はスイッチバックが連なる峻険な山岳地帯へと向かう。構内のはずれには給水塔が峠越えの記憶を伝えていた。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村海外渡航がようやく...
Project 「 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 」 時代の懸け橋
山陰本線 宇田郷 1983年 写真集 「 旅のたまゆら 1981-1988 」 収録予定平々凡々な宇田郷写真だが、40年前、こんな堂々たる各駅停車が走っていた。最後尾には郵便車もぶら下がる、「本線」の威厳を象徴するような生活列車。ピタリと全編成が収まったのは幸運でしかないが。今、ここを渡るのが単行キハというのは俄かに信じられない想い。90歳の懸け橋は、黙して世の移ろいを示すか。写真集の制作ダ...
日高本線 厚賀 2013年「三面護岸」という治水工事の手法があって、川の左右両岸に加え川底までコンクリートで固めてしまう。もはや排水路と化したそれは、治水上のメリットはあるのだろうが、それが生きている川の姿と言えるだろうか。日高山地の幽境に源を発する厚別川は、日高本線の厚賀付近で太平洋に注ぐ。それほど川幅が広いわけではないのだが、両岸に葦が密生した湿地帯を抱え、日高本線の鉄橋は長大なものにな...
小湊鉄道 里見 2013年静まったホームに秋の虫が騒がしい。それを打ち消すような定刻到着のアイドリング。列車番号確認の声もまた、冴えた夜空に溶けてゆく。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村10月の満月の夜(今年は10月10日前後)、ミャンマーでは「ダディンジュ満月祭り」が行われる。長い雨季が終わり、最も過ごし易くなるこれからの季節、一度天に昇ったお釈迦様が再び地上に戻って来...
只見線 大白川 2019年「その者金色(こんじき)の野に降りたつるし・・・古き言い伝えは真(まこと)じゃったぁ。」は「ナウシカ」のクライマックスだが、鉄道車両が金色の野に降り立ったかの風景は、線路保守上どうなのかという、ローカル線の現在地である。でもミャンマーでは同型車両が線路際の草木を折り飛ばしながら走ってるのを見れば・・・まあ、いいか。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブロ...
東海道新幹線 品川 (出入庫線) 2017年いかにデジタルとはいえ、夕焼け空とビルの谷間の露出差、なかなか灯らない明かりの数とのベストタイミングは、結構短い。まして相手は時間が分からない出入庫だし、一瞬を見逃すまいと。風も冷たくなった、都会の夕べ。(写真展漫遊録)園部澄氏が1952年から1953年にかけて取材された写真展を見に行く。まだ電化前、C62が牽く「はと」「つばめ」の、文字通り車窓から捉えた作...
信越本線 米山 2020年鉄の細道もまた、ざわめく天地の端にある。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村10月の満月の夜(今年は10月10日前後)、ミャンマーでは「ダディンジュ満月祭り」が行われる。長い雨季が終わり、最も過ごし易くなるこれからの季節、一度天に昇ったお釈迦様が再び地上に戻って来る。それを迎えるために玄関に多数のロウソクを灯すのだという。俗に言うミャンマーのクリスマ...
只見線 若宮 2019年とっぷり暮れた駅を後に。帰ろう、月と一緒に。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村10月の満月の日(今年は10月10日前後)、ミャンマーでは「ダディンジュ満月祭り」が行われる。長い雨季が終わり、最も過ごし易くなるこれからの季節、一度天に昇ったお釈迦様が再び地上に戻って来る。それを迎えるために玄関に多数のロウソクを灯すのだという。俗に言うミャンマーのクリス...
飯山線 平滝 2020年「青春」 「朱夏」 「白秋」 「玄冬」季節の移ろいを人の生涯に重ねた、いにしえの世界観。自らが「白秋」を迎えた今、線路際に進む季節がひときわ沁みる。 横倉© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村10月の満月の夜(今年は10月10日前後)、ミャンマーでは「ダディンジュ満月祭り」が行われる。長い雨季が終わり、最も過ごし易くなるこれからの季節、一度天に昇ったお釈迦...
いすみ鉄道 久我原 2014年 小脇に傘を挟んだ構図決めはなかなか難儀なものだ。濡れた竹林は頭を垂れる。時に強く、時に穏やかに。 秋霖は終日降り続けた。 久我原© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村10月の満月の夜(今年は10月10日前後)、ミャンマーでは「ダディンジュ満月祭り」が行われる。長い雨季が終わり、最も過ごし易くなるこれからの季節、一度天に昇ったお釈迦様が再び地上...
Project 「 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 」 1980年代クロニクル
風太郎自身が書く最後の原稿を入稿しました。 年表です。 そうです、卒業アルバムの最後にくっついている「こんな時代でした」という奴ですね。公共輸送機関はもとより社会的な存在なのだが、日本の片隅で草むらに雪に埋もれつつある鉄路と、それを取り巻く農村社会。写真集の舞台となる1980年代とは何だったのか、読者にあっては「鉄道の写真」を離れたところまで思索を拡げて頂けたらとの願いもあって。全くオリジナルに作った...
只見線 魚沼田中 2019年遂に只見線全線復旧。21世紀に起きた奇跡のような出来事を後世がどう評価するのか、生きてるうちに見届けたい想い。2両編成の小出方にぶら下がっていた「只見縁結び号」。魚沼と会津、ご縁が再び繋がるよう、という地元の願いが作らせたのだろうが、運用の半分に必ず入ったケバケバしいそれは、風太郎の不倶戴天の敵とも言えた。縁が本当に結ばれた今、この車両も戦火のミャンマーにある。© 2...
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ミャンマー ヤンゴン環状線 パヤーサイコン 2019年紛争地潜入取材と言うか、ヨンマル見たさに渡航、ヤンゴン環状線を撮ろうにも鉄道にカメラを向けるは現地環境からして危険極まりないから隠し撮りした、という噂も聞く。そういう撮り方をして楽しいかと思うけど、天下御免に撮りまくったあの頃の楽しさがより切なく蘇るところがある。いずれにしても「会津若松」の方向幕を誇らしげに掲げた東北色のヨンマルは会場での人...
川水流駅前バス停留所 2025年6月「かわずる」と読む。五ヶ瀬川が下流域に入り、河原も広く、明るい山里に清冽な流れを感じる駅名に惹かれて37年前、ここで数葉の写真を撮った。今はバス停にのみ名を残す。 跡地には地元の公民館が建っていた。木立に囲まれた在りし日の川水流駅は、交換駅の為一人きりの当務助役がいてタブレットを交換し、構内の花々に丹精を加えていた。国鉄からJRに変わって一年余り、第三セクター「...
ミャンマー マダヤ線 タイーゼィ 2018年線路上のお店を瞬く間に片づける手際は見事なものだが、通過する車輪が潰してゆく果実の、甘い香りも漂う収穫期の朝。本日初日。 生憎の小雨模様のなかお越し頂いた方々からは想定以上のご厚志を頂きました。ミャンマーの民に代わって御礼申し上げます。web版「鉄道ファン」誌にご掲載頂きました。web 鉄道ファン吉祥寺の旅の書店「街々書林」でミャンマー大震災救援チャリティー写...
ミャンマー マダヤ線 オーボー 2019年この国で写真を撮って驚くのは、写真撮らせてと声を掛けた場合、複数の人間がいても全員の眼差しがピタリとレンズの光軸に一致することだ。まさか写真を撮られる練習などしていないだろうし、もとより写真に撮られる機会さえあまりないはずだ。こうして写真の中の彼らと目線が合うと、写真撮りとしてのこちらの真摯さや覚悟まで試されているような気持になる。通りすがりは難しいか...
高千穂線 吾味 1987年 写真集「旅のたまゆら 1981-1988」 「夏の光」より。で、オリジナルとなれば遠い記憶の場所に遡る。なんでマイナーな高千穂線なんて一生懸命撮ったのか。 それは国鉄からJRに変わった舌の根も乾かぬうちに第三セクター化が決まっていたから。国鉄時代がそのまま残っていたから、そのノスタルジーを追うべく、夏休みの年休をやり繰りしたんだろう。吾味と日ノ影の間にあったコンクリートアーチ...
高千穂峡 2025年6月日南から北上、高千穂へやって来ました。阿蘇の溶岩層が侵食されて出来たという高千穂峡、真っ黒な岩肌と白布を垂らしたような滝、深緑を映す水面と役者は揃っている。席巻するインバウンドがこれを放っておく訳もなく、「日本ではない」はご多聞に漏れずだ。真名井の滝のすぐ近くまで寄せられる貸ボートの料金は、ピーク時30分5100円だそうで、調子に乗った法外な価格に財布を開くのは「外人」ばかり...
ミャンマー ラーショー線 2018年写真は露出の加減で明るく写っているが、実際にはほぼ真っ暗である。マンダレー駅を朝4時に出て、やっと山岳地帯の麓に辿り着いたところで夜明けを迎える。ここからはスイッチバックやオメガカーブが連続する険しい山越えが控えている。そんな事情もあってか、ここで独特な「朝食停車」がある。乗務員も乗客もここで朝食をとるのだ。ホームでは勝手知ったる屋台が店を広げている。夜明...
日南線 大堂津 2025年5月干満の差が激しい海のようだ。橋脚の土台まで露出するのでは、という昼間の引き潮から一転、暮れなずむにつれ、満ち潮の時間がやってくる。海水と淡水が混ざる、いわゆる「汽水」は格好の釣り場なのか、竿を操る人の姿が目立つ。列車の前景にするなら当然竿を出してるポーズが欲しいが、見ていると入れ食い状態で、すぐに釣れては針から外す時間があるから気を揉む。それでもまずまずのタイミ...
日南線 大堂津 2025年6月名勝七つ岩を眼下に。今はマリンスポーツのメッカと知る。南九州梅雨入りは何処へやら、蒼い夏が満ちている。オーシャンビューでリゾートはリゾートだがビジネスホテル然とした安宿は、広島カープの毎年のキャンプの定宿と知る。その質素はさすが市民球団! しかしどうも貧弱なレストランでプロ野球選手の腹は持つのかと心配になる。まあヨソの球団の心配をしている場合でもないが。Copyright...
日南線 大堂津 2025年5月薩摩半島に居過ぎた感もあるので宮崎・日南海岸に移動。ひと月って随分長いようだけれど、広い九州を細かく巡るには短か過ぎるよなあと言うのが実感だ。 贅沢と言えば贅沢過ぎる話だけど。日南線沿線も細かく見ればいいところはあるのだろうけど、駆け足で先を急げばやっぱり此処に行き着く。南国の海は早や真夏の光。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
知覧特攻平和会館 2025年5月 再び九州。 加世田から程近いところに「知覧」がある。武家屋敷のお庭は綺麗だし、住人がそこで普通に暮らしているというのが良い。問題はもうひとつの「名所」、知覧特攻平和会館だ。内容を見聞きするたびに一言も二言も申し上げたいところがあって今回も敬遠していたのだが、見もしないでものを言うのもどうかと思って。まあ想像した通りだ。「特攻隊員の手紙」は全て軍による検閲済みの...
2021年のクーデターから事実上の内戦状態にある同国。 追い打ちをかけるように今年3月に発生したマグニチュード7.7の大地震により、多数の犠牲が報じられますが、紛争地故、正確な犠牲者数すら判明しないという惨状です。また国軍は避難民の頭上に爆弾の雨を降らすという非道も伝えられます。国連によれば戦災と併せ避難民は600万人に及ぶとされ、早急な人道支援が必要とされています。 一般社団法人 日本ビルマ救援センター 提供...
長良川鉄道 深戸 2025年4月「九州」はまだまだ終わりませんが、この辺で閑話休題。話題のChatGPT、「ジブリっぽくして。」 やってみた。何というか、物凄くそれらしい出来。ホームが消されちゃって、女が男に代わったりしてるけど、それこそが絵として相応しいというAI様のさじ加減なのだろう。著作権がどうなんだという議論があるようだが、「ジブリ化」というボタンがサイト上に設置されているわけでもなく、あくま...
鹿児島交通 枕崎線 干河駅跡 2025年5月干河駅跡はただの草原に変わっていた。 一筋の道がホーム擁壁のラインだったらしい。写真集を拡げて確認する。撮影位置はここで間違いなかろう。 タイムトラベルではないが、「その現場」に立つたびに不思議な気持ちになる。 その時ここで何を考えてたのだろう、とか。隣地に住むご婦人が通りかかって、駅の跡を見に来たのかね、と言う。 そういう連中は珍しくないらしい。い...
鹿児島交通 枕崎線 加世田駅跡 2025年5月一大ターミナルだった加世田駅跡は広大なバスターミナルに変わっている。蒸気機関車にディーゼル機関車、かつて鉄道ありきのモニュメントが並ぶ。この瓦屋根はどこか見覚えがあると思ったが、多分ビンゴだろう。 セーラー服の、上。 鹿児島交通 枕崎線 加世田 1982年あの猛暑の日の、喉の渇きがリアルに蘇る。 白く乾いた構内通路と、微かに漂う機械油の匂い。「...
昨日発売の「旅と鉄道」8月号、フォト&エッセイ「旅のたまゆら1981-1988」連載第6回は「蝉時雨の駅」です。真夏を迎えた蒲原鉄道七谷駅。 駅まで歩くのが当たり前だった時代、そして大勢の人々が炎天下に駅を目指したあの頃。開け放たれた待合室に降って来るのは、夏草の匂いと騒がしい蝉時雨。上下列車がやって来て、ひととき賑わう駅の情景を、写真が呼び起こす記憶の糸を手繰って描きました。夜行って何の夜行よというご時世...
鹿児島交通 枕崎線 永吉駅跡 2025年5月廃線跡は一部がサイクリングコースになっていた。 そして吉利駅や永吉駅はホームが保存されている。最末期の此処はホームも線路も夏草が伸び放題、駅舎はボロボロに朽ち果て、既に打ち捨てられた空気に満ちていたから、楚々と芝生が貼られ、公園的に整備されたそこはどこか白々しさも覚える。それもまた、あの生きていた鉄道が手の届かぬ遠い過去になったという証なのだろう。あ...
鹿児島交通枕崎線廃線跡 永吉 2025年5月路線が長い割に意外に「決め」になる場所がなかった鹿児島交通。吉利~永吉間の永吉川に架かるプレートガーターは数少ないそれだったかもしれない。いや、だから誰でも撮る場所だった。 アングルに苦しむ。手前の石橋も渋く、これを前景とするのもあったろうが、それでは石橋の写真になってしまいそうで。 しかも完全逆光。南九州の炎天下、クラクラしながらの逡巡が昨日の事の...
鹿児島県 吹上浜 2025年5月薩摩半島と言えば、鹿児島交通鉄道線だろう。 いや現地では最後まで「南薩線」と呼んでいたという。鹿児島本線伊集院から指宿枕崎線枕崎まで49.6kmは決して短くはないローカル私鉄だった。いい時代もあったはず。 しかし高度成長期を迎え、「北海道の産炭地並みの」沿線人口急減に見舞われ、廃止が取り沙汰される。しかし鹿児島の名門企業、岩崎財閥の経営が災いしたか、その度に沿線の廃止反...
吹上温泉 中島温泉旅館 2025年5月旅の時間を鹿児島に巻き戻しましょう。予約するときから「ウチは普通の旅館じゃなくて古い自炊湯治宿ですから。」「仕切りは障子1枚ですから。」云々の注釈多し。値段も値段だし、これは剛の者とは思ったが、なんだかんだでこのご時世である、それなりのソーシャライズがあるものと思ったが。薩摩半島は東シナ海に面した、吹上浜に程近い古い温泉場である。これは来ましたね。物凄い...
「鉄道ダイヤ情報」誌に写真家の米屋こうじさんが毎月連載されている「鉄道写真展 Report」。風太郎の写真展を取材して頂き、本日発売の9月号に掲載されている。期間中に会場での取材だったのだが、いろいろ興に乗って話しているうちに、文字起こししたら10,000字を超えたとのこと、それを何とか3,000字に収めるというご苦労をお掛けした。見開き2ページとはいえ限られた誌面で個展の全貌を紹介というのも無理な話で、毎号...
鹿児島交通 加世田 1982年ネガの端に長く眠っていた、短か過ぎて永遠の夏。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
小湊鉄道 里見 2014年露出の加減にレタッチ、写真のマジックでこうなるが、夜の帳が降りた里見駅ホームの端はこれよりずっと暗い。 カメラのAFは当てにならない。 MFで駅員氏の背中に置きピンも手だけれど、望遠に絞り開放では自分の目玉が信用出来ない。唯一のチャンスと思われるのは、駅員氏の上半身をラインライトが縁取る1秒余りに、AFがそのコントラストを捕まえるか否か。来い来い来い、というその瞬間に...
磐越西線 1982年この写真の主役は妻面に貼られたポスター、「レール・オリエンテーリング」である。カメラを抱えた少年が目一杯弾けて小躍りしている。しかしこの少年の服装センスが凄まじいのだ。上半身は緑のトレーナー、下半身は真っ赤なズボン。 クリスマスかっての。これは1980年から始まった「いい旅チャレンジ20,000km」のPRポスターである。このキャンペーン、宮脇俊三氏のベストセラー「時刻表2万キロ」に便乗...
大井川鐡道 家山 2021年床下のコンプレッサーも止まった発車前、ホームを打つ雨音に耳を澄ます。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
前にも書いたが風太郎は一匹狼というか、自分勝手な人間なので、折角の和を乱すような気がして、グループの一員になって皆で写真を撮りに行ったり、合同写真展とかに関わることは基本的に無い。いきおいその界隈における知人はかなり少ない。それでも目立つ形で前に出ると、思わぬ方まで情報が届くものだ。受付でカードに記されるご芳名を見ていて、ああっと驚くことが結構ある。只見線写真の名著「望郷只見線」の中心メンバーの一...
大井川鐡道 崎平 2018年 そぼ降る雨中のタチアオイ。茎の下の方から開花して、上まで咲き登ると梅雨の終りと聞く。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
退院の朝手術室というところが、あれほど冷え冷えと室温を落としている場所とは思わなかった。手術着1枚しか着ていない風のナースは冷え性にならないのかしらと思ったり、他人事状態のうちに皆でエイヤと幅50cm位しかないのではという手術台に載せ替えられる。真上にいわゆる手術室のライト、両側から見下ろすドクター達。これはいい絵だねえ。縦位置ウルトラワイドで決まりだな。スマホカメラでいいから腹の上に置かせてくれ...
とんだ不注意で外傷事故にあい、1ヶ月ほど入院加療になってしまいました。復活の日をどうかお待ち頂ければ幸せです。風太郎 拝...
只見線 入広瀬 2018年この駅で下車する高校生たちが、ほぼ全部の乗客だった。道筋に残っているのは、あとひと駅。たった一人の為に、列車は闇に沈む山峡へ。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
ご来展者から素敵なフォトブックを頂いた。タイトルは「PORT RAIL」。 車内に駅に線路際に、人々の素敵なポートレートを集めている。作者は川井聡さん。風太郎の3歳先輩で、多岐にわたるジャンルで活躍されているプロ作家だ。見れば見る程、コレどうやって撮ったんですかと驚くばかりなのだが、全て声掛けし、許可を得て撮っているという。それでも意識させない自然な表情の捉え方は素晴らしい。 無論相手と対峙する作者の人柄の為...
もう40年前に全盛を極めた鉄道趣味サークル「日本レイルファンクラブ」というのがあって、風太郎も誘われて末席を汚していた。関東・関西に二拠点があったと言えば大規模集団のように見えるが、会員数は100名に達することは無かったと思う。更にコアな集団に限れば30名以下に絞られ、写真展に合宿、各種イベント等々、関東・関西仲良く交流していた。学生、社会人、属性は様々で、ほとんどが20代前半、30代などジジイと呼ばれてい...
今般の写真展においては鉄道写真はもちろん、ジャンルを超えたプロ作家をはじめ、伝説的なアマチュア作家、そして無名の写真愛好家に至るまで、心に響く交流を持つことが出来た。 そこで感じたことを「余聞」として適宜書き綴っていきたいと思う。1976年創刊、以来1983年春号をもって休刊の告知があるから7年の命だったことになる。「鉄道グラフ雑誌」の触れ込みで、「蒸気機関車を失ったあとの鉄道写真」のクオリティを、孤軍奮闘...
島原鉄道 大三東 2016年天狗が通ったあと、実は長い長い歳月が流れていたのです。いろいろなものが変わりました。 変わらないのは、この空と海。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
「こういう大空間に自分の写真を置いて眺める機会は人生に何度も無いぞ。」とは成程と頷いてきたけれど、今回は「自分の写真を眺める」時間はおよそ無かったなー、というのが実感。正味10日間のご来展者は延べ1000人というところ。 それが多いか少ないか以前に、ご来展者とのコミュニケーションがこれまでの個展と比べ異次元に多く、深かった。他人の写真展を見に行った時に、作者在廊なら何らかの感想を述べて帰るのが、タダで見...
日中線 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)現代に生き残っているローカル線よりよほど乗っているのは皮肉と言う他ない。「葬式鉄」は一人もいなかった。廃止の日まであと二か月。 GWを挟んで長きに及んだ展示は、13日(月)でいよいよ千秋楽を迎えます。 15時まで。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木)...
島原鉄道 大三東 1982年ご来展者によれば。この時代を象徴する一枚なのだそうだ。まず「足だけ」も含め子供が3人も写っていること。地方に子供達が目立った1980年代を人口構成に鑑みれば、戦後日本に巨大なマスを形成した「団塊世代」(1947~49年生まれと定義づければ)が33歳から40歳だったということだ。「団塊二世」である。そして第一次産業専従とは言わずとも、団塊世代が地方に定住した「三世代同居」が当然の...
蒲原鉄道 大蒲原 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)降って、止んで、また降って。越後の長い冬に伸びる、ひと筋の道。今回の写真展の開催告知において、「写真系紙メディア」は冷たかったなーと思う。現在の「二大誌」と思っている「CAPA」はたった一行、タイトルと期間のみ。「フォトコン」に至っては完全スルー。「銀塩フイルムの」ときた時点でお呼びじゃないのかな。かつて写真誌の権威と言えば...
五能線 大戸瀬 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)「この写真のピントはわざと雪に合わせたのか。」と聞かれれば、そんなことは言いっこなしと写真に書いてあるだろう、と開き直るしかない。「こういう写真を見るとさ、ここに写っている人たちは今何処でどうしているんだろうと思うんだよな。」と述懐されれば、撮影技術を越えたところにある意図は伝わったかと思う。女子高生風が持った茶封筒...
宗谷本線 音威子府 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)上りの利尻は0時前に音威子府に着く。ここで降りた目的は下りの利尻を撮ることと、その後4:20発の天北線の始発で浜頓別、興浜北線に向かうこと。怪訝そうに待合室を覗き込んだ駅員が、何を了解したか無言で引っ込むのは、決して珍しくはないお客だったからかもしれない。それからの長い時間をどう過ごしたのか、今となっては思い出...