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日本人の可能性とは? https://blog.goo.ne.jp/tass_0

世の中のサイトの中から、これからの日本人の可能性を感じさせてくれる記事を紹介していきます。

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2011/10/07

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  • 凡才の集団は孤高の天才に勝る

    日本にスティーブ・ジョブズのような天才的個人が居ないからと言って、嘆くことは全くない。なぜなら、凡人が集まることで、天才の能力を軽々と凌駕することが出来るから。そして、江戸の昔からそのような「コラボレーション能力」に長けているのが他ならぬ日本人だから。『凡才の集団は孤高の天才に勝る…』キース・ソーヤー著の田中優子氏による書評。文芸同志会通信さまよりビジネス書の書棚には近づかない方なのだが、この本の題名を見て思わず手にとった。それは私が、江戸時代の都市部で展開していた「連(れん)」というものに関心を持ち続けてきたからである。連は少人数の創造グループだ。江戸時代では浮世絵も解剖学書も落語も、このような組織から生まれた。個人の名前に帰されている様々なものも、「連」「会」「社」「座」「組」「講」「寄合」の中で練られたの...凡才の集団は孤高の天才に勝る

  • イスラムが賞賛する日本人の生活習慣

    日本人がごく普通に行っている生活習慣をイスラム世界から見ると、イスラム教の教えが最も良く実践されているのだそうです。2009年の世界おもしろニュースより。日本の生活習慣に驚愕するイスラム教徒エジプトからエジプトやサウジアラビアなどアラブ・イスラム諸国は9月21日に30日間にわたるラマダン(断食月)を終了した。例年この期間、国民がラマダンを楽しく過ごせるようテレビなどは“正月番組”ならぬ“ラマダン番組”を組み、盛り上げる。今回、特に注目を集めた番組の一つが何と日本の生活習慣を賛美するものだった。サウジアラビアのシェイク(イスラム指導者)が日本を訪問、驚愕した事実を取材して30日間毎日放映した。視聴者が殊に驚愕したのは、日本人は、(1)時間をきっちり守ること(2)食べ物を残さない(3)ごみが分別されて収集されること...イスラムが賞賛する日本人の生活習慣

  • それでも日本は、極めて魅力にあふれている

    2011年の東北大震災と福島原発事故によって、日本は世界でも最も悲惨な先進国に転落したように見える。だが、それでもなお、日本は海外から見て極めて魅力的な国であり続けている。Newsweek-VOICES高品質の「公共」を誇る東京は必ず復活するより言うまでもないことだが、日本にとって2011年は悲惨な年だった。けれど私は、2012年がついに日本にとって「目覚めの年」になると信じている。もちろん、東京にとってもだ。ここ20年以上というもの、日本からは1つとしていい話が聞こえてこなかった。日本は誰にも止められずゆっくりと、永久的な衰退の道を進んでいるように見える。福島第一原子力発電所の事故は、やる気をさらにそぐことになった。ぱっと見で日本に下される診断は明確だ。この国は長期的な破滅へと向かいつつある──。その一方で、...それでも日本は、極めて魅力にあふれている

  • 「失われた10年」は、失われていたわけではない。

    今日は、1年半前のレコードチャイナから。世界的に金融崩壊が近づく中、「失われた10年」と言われる日本の経済は、経済政策の失敗などではなく、アメリカとは違う新しい選択なのではないか?という見解です。多分、この見方は当たっているのではないでしょうか。日本は落第生ではない、「失われた10年」に学べ2010年8月11日、英紙ガーディアンは日本経済に関するコラムを掲載。いわゆる「失われた10年」は経済的な失敗ではなく、米国とは異なる発展モデルを選んだ結果だと分析した。13日付で環球時報が伝えた。以下はその抄訳。経済学者たちは長年にわたり、日本経済に不当な評価を与えてきた。考えてみよう。世界経済が後退する中、米国の失業率は10%に迫っている。格差と貧困は激化し、4700万人が医療保険に加入しておらず、中産階級の年金は脅かさ...「失われた10年」は、失われていたわけではない。

  • ユダヤ人も手を焼いた戦前の日本の家族制度

    今日は、戦前の日本の家族制度についての意外な事実を紹介。きのせみかの大和撫子な生活さんよりすばらしかった戦前の家族制度面白い話を一つ紹介しよう。かつて国際連盟の労働部長であったユダヤ人、アルベール・トーマが日本の労働事情調査のため来日した。国際連盟といっても、教科書的歴史観しか教えられていない日本人にはその本質を知る人は少ないようだが、これはユダヤの世界政府ともいうべきものである。第一次大戦の結果、金融支配力に自信をつけたユダヤ人は政治面へも進出をはかり、その結果作られたものが国際連盟なのである。この連盟の指導者は、日本人の杉村陽太郎氏を除いて外は皆ユダヤ人だったのである。なぜユダヤ人が労働問題にかくも力を入れるのかということは、マルクス主義の階級闘争史観をご存知の方はお分かりいただけると思うが、かつてユダヤ人...ユダヤ人も手を焼いた戦前の日本の家族制度

  • 日本人の同化力を表す日本語

    今回は、「国際派日本人養成講座」より紹介します。兄弟の子どもが居て、兄の方に呼びかける時、日本の親は「お兄ちゃんは・・・」という。また、知らない年配の女性や男性に話しかける時、日本の子どもは「おばちゃん」「おじちゃん」という親族用語を使う。これが西洋人には理解できないのだそうだ。なぜ、日本語では、このような言葉の使い方をするのか?以下、「国柄探訪:日本語が生み出す思いやり社会」より抜粋引用。■7.なぜ自分の息子を「お兄ちゃん」と呼ぶのか?前述のように親が「太郎は何にする」などと名前を直接使うことはできるが、たとえば太郎に弟がいたら、「お兄ちゃんは何にする」と親族用語を使うことができる。親が自分の子供を「お兄ちゃん」などと呼ぶのは、外国人には理解不能な言い方であろう。この言い回しを鈴木氏は「親族用語の原点移動」と...日本人の同化力を表す日本語

  • 金融市場の終焉に、日本人は江戸を想う

    今回は、今から少し前、世界を震撼させたリーマン・ショックの半年後に寄稿されたフィナンシャル・タイムズの記事から。世界経済の危機を受けて、日本人の意識は賭博のような金融市場など無い江戸に向かいました。あれから2年半後の現在、世界金融市場の終焉はますますハッキリしてきました。この記事に書かれたような感覚が日本人に再来しているのだとしたら、まだ我々の潜在意識にある健全な縄文体質に期待しても良いのかも知れません。イノセントな昔を懐かしむ日本――フィナンシャル・タイムズ2009年3月9日(月)08:00<!--google_ad_section_start(name=s1)-->(フィナンシャル・タイムズ2009年3月5日初出翻訳gooニュース)アジア編集長デビッド・ピリング経済の惨状を目の当たりにしながら世界各国は、こ...金融市場の終焉に、日本人は江戸を想う

  • 外国人からみた、戦前の日本人(10)

    ぼやきくっくりさんからの記事紹介の10回目です。■メアリ・クロフォード・フレイザー=駐日英国全権公使ヒュー・フレイザー夫人。1889年(明治22年)に来日。「英国公使夫人の見た明治日本」より1890年(明治23年)に鎌倉の海浜で見た網漁の様子の記述美しい眺めです。――青色の綿布をよじって腰にまきつけた褐色の男たちが海中に立ち、銀色の魚がいっぱい踊る網をのばしている。その後ろに夕日の海が、前には暮れなずむビロードの砂浜があるのです。さてこれからが、子供たちの収穫の時です。そして子供ばかりでなく、漁に出る男のいないあわれな後家も、息子をなくした老人たちも、漁師たちのまわりに集まり、彼らがくれるものを入れる小さな鉢や籠をさし出すのです。そして食用にふさわしくとも市場に出すほど良くない魚はすべて、この人たちの手に渡るの...外国人からみた、戦前の日本人(10)

  • 外国人からみた、戦前の日本人(9)

    ぼやきくっくりさんのブログからの記事紹介の9回目です。くっくりさんのブログには戦後も含めた事例が満載ですが、ここでは戦前の事例に絞っています。やはり、米国の影響下に置かれた戦後よりも、戦前の日本人の姿がより本質に近いと考えるからです。■ディアス・コバルビアス=メキシコ人。天文学者。1874年(明治7年)、金星観測の国際共同事業のために来日。「日本旅行記」より日本人に関して一番興味深いことは、彼らが慎み深く、本質的に従順で秩序正しい民族であるということである。天皇と女御の間に最初の女の子が誕生した時に取り行われた祝祭行事や、大久保大使が台湾問題で、日本が中国に要求した賠償金を手にして帰還したさいに開催された祝祭、その他にも多くの機会を通して、横浜、神奈川といった人口六万から七万の都市で、国民が、喧嘩も酔っぱらいも...外国人からみた、戦前の日本人(9)

  • 外国人からみた、戦前の日本人(8)

    久しぶりの更新です。もう少し、ぼやきくっくりさんのブログから、戦前に来日した外国人の目で見た日本人の優れた資質を伝える記事を紹介します。■ロバート・フォーチュン=イギリス人(スコットランド出身)。植物学者。北東アジアの植物に興味を持ち、中国で植物を集めるために派遣される。その後、1860年(万延元年)に来日。「江戸と北京」より江戸西南郊へ遠乗りに出かけた時の記述この時われわれが通ったような魅惑的な道に、私は他の国々を遊歩した際に出会ったことはなかった。それは時折、英国の田園地帯のいくつかで出会った道を思い出させたが、最初は先入見があったにもかかわらず、英国にはこれと較べられるようなものはないと認めないわけにはいかなかった。広い並木道や、松やとくに杉の木立としばしば出会ったが、その木立は道を縁どってすばらしい日蔭...外国人からみた、戦前の日本人(8)

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