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  • 粟島公園のガゼポ(浜田市元浜町)

    浜田漁港を見下ろす大歳神社の後ろに、ちょっとした展望広場がありまして、そこにはこのような洋風の東屋(ガゼポ)が残されています。正確な建築年は不明ですが、昭和8年に浜田漁港が改良された際の記念絵葉書にその姿が確認できますので、昭和8年頃までに建設されことは間違いなさそうです。キャプションに「粟島公園住吉鼻の景」とあり、粟島公園の一部だったということがわかります。浜田港を一望できる絶景スポットに建てられ...

  • 旧海潮青年研修館(雲南市大東町北村)

    海潮小学校のそばに、木造の建物を見つけました。海潮小学校の敷地の道を挟んですぐ隣という立地なので、学校の付属施設なのかな?という感じはしましたが現地ではよくわからず。(大東町誌より)後日、大東町誌を調べてみると、このような写真と記載がありました。「大東町誌 」(1974)より引用なお海潮青年団は昭和11年に小学校校舎に接して青年研修館を建設したが、戦後昭和27年には現在地へこれを移転増築し、現在研修・会合...

  • 旧美又信用購買販売組合その3(浜田市金城町追原)

    浜田市金城町追原の美又信組事務所については、日本ジャーナリスト教育センターさんが建物利活用を目指してクラウドファンディングを実施中ですが(2023.10.10現在)、その活動報告から、大きなニュースが飛び込んできました。島根建築士協会の協力の元、屋根裏から取り出した板図に、昭和10年12月25日に竣工したことが記されていたというのです。当ブログでは2014年に、資料の調査により金城町誌に「昭和12年2月に追原に二階建て...

  • 旧美又信用購買販売組合事務所のクラウドファンディング

    浜田市金城町追原の旧美又信用購買販売組合事務所の建物について、本ブログでは何度かご紹介しています。近年は空き家の状態が続いており、今後どうなるのかと心配していました。今年(2023)の9月に入って、クラウドファンディングにより、この建物を再生・活用するという、とてもうれしい動きがありましたので、ご紹介します。クラウドファンディングにより、この建物を改修・活用しようという取り組みを行っているのは、一般社...

  • 木村義男アトリエ(松江市新庄町)

    (松陽新報 昭和5年11月11日付)昭和5年の松陽新報に、本庄村(現松江市本庄町)に木村義男のアトリエが新築されたという記事がありました。「木村氏にアトリエを新築し贈呈式を挙行す」昨九日八束郡本庄村木村画伯のアトリエ落成式挙行、(中略)午前十一時挙式来賓吉岡勘之助氏、大坪博士、西尾家政女学校校長、森澤松操女学校長、櫻井天象氏等五十余名先づアトリエ建築後援会幹事長森山與八郎氏左の如き式辞あり、次いでアトリ...

  • 旧阿井村産業組合事務所・倉庫(奥出雲町上阿井)

    2012年に紹介した、仁多町上阿井のJAについて、新たな情報です。昭和17年に、阿井村産業組合事務所として建てられたもの。ということが分かりました。戦時中に建設されたことになりますが、資材(木材)は当地の櫻井家から寄付があったとのことです。これは、SNS上で、この地の御出身の方が、現在も阿井地区にお住いの御親族から聞き取り、教えてくださったものです。事務所の向かいには農業倉庫が建てられていますが、これは事務...

  • 旧恵曇製氷冷凍(松江市鹿島町恵曇)

    恵曇漁港の佐陀川の河口のところに、戦前に建てられた「恵曇製氷冷凍」の建物が残されています。来歴が分かり易く、RCの建物に「恵曇製氷冷凍」の文字が大書きされています。このRCの倉庫風の建物は現在どのように使われているのか不明ですが、「島根県の近代化遺産」のリストで「恵曇漁港倉庫(S9)」としている建物のこれである可能性があります。上掲の倉庫風の建物の裏側、佐陀川の河口沿い側には木造平屋建てが連結していて、...

  • 近年解体された建物

    最近になって解体された、島根県内の近代建築についてまとめます。初代安来銀行(M34)。最新の航空写真で確認すると更地になっています。港町・商都安来の繁栄を記憶する貴重な建物でしたが、何ら活用されることなく消えてしまいました。旧米子銀行母里支店(T9)母里の町で山陰合同銀行の代理店として近年まで現役でした。床几山配水池ポンプ室現在、公園として整備されて公開されている床几山配水池にあった、ポンプ室の建物で...

  • 荒島駅(安来市荒島町)

    山陰本線の荒島駅駅舎です。改修されているのでそこまで古い築には見えませんが、駅舎に財産標が掲示されており、昭和10年築ということが分かりました。戦前派の木造駅舎ということになります。屋根の形状ははかま腰屋根。この時代の公共建築にありがちな形式ですね。妻面に円形の通風孔があり、このあたりが昭和のモダンな雰囲気を醸し出しています。ホームから駅舎を眺めます。駅舎からホームに差し掛けている屋根は木柱で、古レ...

  • 旧桜駅待合室(出雲市所原町)

    「しまねインフラツーリズムガイドinIZUMO」という冊子に、一畑電鉄立久恵線桜駅の遺構が紹介されているのを見て訪問してきました。現在、一畑バスの「須谷医院前バス停」の待合所になっているのが、近隣にあった「桜駅」から移設されたものとのことです。確かにこうしてみてみると、駅のホームにある待合室っぽい感じがします。一畑電鉄立久恵線は昭和7年に大社宮島鉄道として出雲今市~出雲須佐間で運転を開始し、昭和13年に出雲...

  • 旧外浦験潮場(浜田市外ノ浦町)

    だいぶ以前に、浜田市外ノ浦に験潮場の施設が残っているのではないか?という記事をUPしました。その後、各種資料や、地元の方からいただいた様々な情報などから、この外浦の旧験潮場について色々なことが分かってきましたので改めてまとめます。【験潮場の外観】本来であれば波打ち際に建っているハズの験潮場ですが、近年の堤防工事により周辺は埋め立てられ、初見では何の建物か分からなくなっています。こちらはようやく入手し...

  • 向横田公民館(益田市向横田町)

    益田市の向横田にある「向横田公民館」です。石見瓦の大きな屋根が特徴的です。地域の公民館にしては、ずいぶん大柄な建物なので、気になって訪問してみました。妻面にはこのような明り取りの小窓と装飾があります。かなり歴史がありそうな建物です。公民館の裏側。三角屋根の庇が付いた出入り口があります。出入り口の拡大。建物の規模や、裏側の出入り口の感じからして、最初から公民館として建てられたものではなく、どこかの学...

  • 危うし?松江のラジオ塔

    かねてより、松江市立病院跡地に建設中だった松江放送局新会館が完成し、令和5年3月6日より運用が開始されました。旧放送会館の傍らにはラジオ塔が保存されておりまして、新会館への移転後にこのラジオ塔はどうなるのかと、以前松江放送局に確認しましたところ、新築に併せてラジオ塔も移築するという回答を頂きました。ところが、新放送会館の建築が進んでも、ラジオ塔は一向に移築されず、完成後の敷地を見ても、ラジオ塔が移設...

  • 旧静間小学校校舎・講堂(大田市静間町)

    大田市静間町の旧静間小学校跡地に、小学校時代の校舎の一部が残っています。現在は縫製工場として利用されているようです。「大田市誌:十五年のあゆみ」によれば、大正2年から4年まで校舎新築大正15年理科実験室増築とあり、それ以降の増改築に記載がないので、現存する旧校舎は大正期のものの可能性があります。(国土地理院HPより)昭和51年当時の航空写真を見ますと、かつてはコの字型に校舎が建てられていたことが分かりま...

  • 喜多八幡宮の「櫻塔」(大田市大田町)

    大阪朝日新聞島根版(昭和13年4月13日付)昭和13年の大阪朝日新聞島根版に、大田町の喜多八幡宮に櫻塔なる塔が建設されたという写真付きの記事を見つけました。大阪朝日新聞島根版(昭和13年4月13日付)「櫻塔」大田町北*八幡宮の櫻花は今を盛りとわが世の春を誇っているがこのほど有志によって境内に瀟洒な櫻塔が建設され優雅な夜桜に一層の風情を添え樹間を往く若人のそぞろ歩きによき道しるべとなり精彩をはなっている*「...

  • 松江キネマ倶楽部について(その1)

    本ブログでは、松江大橋を写した絵葉書について、周囲の建物などの変遷をもとに絵葉書の写真が写された時代の特定を行ってきました。松江大橋をうつした絵葉書の年代測定法(その1)(その2)(その3)(その4)(その5)(その6)(その7)(その8)(その9)松江大橋の絵葉書を語る際に避けて通ることができないのが大橋北詰にあった「松江キネマ倶楽部」の存在です。特に、明治44年架橋の先代松江大橋を写した絵葉書では、その...

  • 旧江津駅前派出所(江津市江津町)

    最近になって保存活用の方針が出された吉阪隆正の旧江津市役所を見学した折、旧市役所裏手に気になる建物を見つけました。ちょっと古そうな建物だな。というだけで、正体はわかっていなかったのですが、SNSにて紹介したところ、フォローしていただいている方から、江津市の「かわらばん」に記事が掲載されている。という貴重な情報を頂きました。江津市の広報誌「かわらばん 2022-11」によれば、この建物は元は、江津駅前にあった...

  • 江津駅跨線橋(江津市江津町)

    江津駅のホームを結ぶ「跨線橋」には、古い鋳鉄製の柱が使われています。「明治45年 横河橋梁製」「鉄道院」と記されています。明治生まれの非常に貴重なものです。石見江津駅の開業は、大正9年の浅利~都野津延伸の際ですから、明治45年製の跨線橋とは時代が合わなくなります。どこかで使われていたものを移築したという可能性があるわけです。気になって調べてみたところ、昭和57年に刊行された江津市誌下巻に、次のような記載...

  • 旧鍋山村役場(雲南市三刀屋町)

    *今回の建物画像はGoogleストリートビューより引用しています。三刀屋町乙加宮に、かつての鍋山村の役場だった建物が残っていることが分かりました。「写真が語る三刀屋の今昔」より。屋根が吹き替えられ、玄関部分も改修されていますが、同一の建物ということが分かります。建築年はわかりませんが、「写真が語る三刀屋の今昔」には、「大正14年頃の写真」というキャプションの付いた写真もありましたので、少なくとも大正14年以...

  • 旧一宮村産業組合事務所・倉庫(雲南市三刀屋町)

    雲南市の三刀屋町給下に残る、旧一宮村産業組合の建物です。「一宮村」は元の三刀屋町の三刀屋川の北側にあった村で、昭和16年に当時の三刀屋町に合併して消滅しています。(昭和15年4月8日松陽新報)この建物は、島根県教育委員会の「島根県の近代化遺産」のリストには掲載がなかったのですが、松陽新報の記事より、昭和15年に一宮村産業組合事務所として建てられたということが分かりました。「事務所と倉庫 一宮産組のよろこび...

  • 旧三刀屋保健所(雲南市三刀屋町)

    *今回の建物画像はGoogleストリートビューより引用しています。現在、飯石森林組合三刀屋事業所となっているこの建物は、元は昭和15年に建てられた、「三刀屋保健所」の建物でした。平成8年に刊行された「写真が語る三刀屋の今昔」に、「元三刀屋保健所・・・現在は飯石郡森林組合三刀屋事業所が入居している」とあったのを見つけ、Googleストリートビューで確認したところ、現存が確認できました。(昭和15年6月3日付 松陽新報よ...

  • 中国電力澄川発電所(益田市匹見町澄川)

    旧匹見町の澄川にある澄川発電所は昭和18年に建設されました。戦時下の建設ということもあり、装飾はほとんどなく機能的なデザインです。一見戦後築のそんなに古くない建物にも見えてしまうため、ブログ主も以前匹見を訪問した際、近代建築だとは思わず、素通りしていました。機能的なデザインの中、放水口の部分だけはアーチ状の装飾が施されており、近代建築なんだなぁということを感じさせます(フェンス越しに撮影しています...

  • 旧東須佐村産業組合事務所(出雲市佐田町須佐)

    *この項の建物画像はグーグルマップより画像をお借りしています。グーグルマップで島根県内を探索していたところ、出雲市の須佐神社の近くに気になる建物を見つけました。(松陽新報 昭和10年11月25日付)以前、国会図書館で複写した、東須佐村産業組合竣工の記事です。上掲の建物と同じですね。松陽新報(昭和10年11月25日付)より「東須佐産組事務所落成」「けふ全村の賑わひ」最近著しい躍進ぶりを示している飯石郡東須佐村産...

  • 旧飯浦小学校(益田市飯浦町)

    益田市の最西端に位置する飯浦町に平成20年に廃校となった旧飯浦小学校の木造校舎が残されています。益田市誌下巻によれば、旧飯浦小学校の開校は明治8年と非常に古いことが分かりました。校舎は下記の通り変遷しています。明治15年 寺院校舎から移転して校舎を新築明治45年 校舎の改築昭和25年 講堂竣工昭和39年 新校舎竣工上掲の益田市誌下巻の記載を参考にしますと。右側のモルタル2階建ての校舎が昭和39年に建てられた「新...

  • 東茶町の商家(松江市東茶町)

    松江市の茶町商店街、国暉酒造の斜め向かいにある商家の建物です。伝統的な商家の建築スタイルを踏襲しつつも、ファサードをモルタル(?)洋風にして、うだつも立ち上げており、一風変わった豪勢な装いです。装飾も凝っています。(昭和11年5月30日付 松陽新報 より)昭和11年5月の松陽新報に、この建物の写真が掲載されていたことに気が付きました。須衛都久神社の遷座式の特集に、氏子である茶町の有力者の紹介コーナーがあり...

  • ブログ開設11周年

    おかげさまで、「元島根県民のお部屋」はブログ開設から11周年を迎えることができました。一番最初の投稿は2011年9月17日、あっという間ですね。近年は、地元の方やSNSを通じて知り合った方など、様々な方々から貴重な情報を頂くことも、多く、本当に感謝です。今後ともよろしくお願いいたします。...

  • 旧松江高等簿記学校校舎(松江市朝日町)

    松江駅南口を出てすぐそばのこちらの建物、飲食店が入居している、大柄な木造っぽい変わった建物ですが、実は、もとは「松江高等簿記学校」という学校の校舎だった近代建築です。*この建物を教えてくださったのは、SNSで普段から交流させていただいているnabeneko135さんで、関連資料として「学校法人永島学園創立50周年記念誌」の事もご教示していただきました。ありがとうございます。**入居している飲食店は「the根っこ」...

  • 美保神社拝殿(松江市美保関町)

    2022年3月、美保神社拝殿が国の登録有形文化財に指定されました。拝殿の建築には、伊東忠太が関わっていることが知られていますが、今回は拝殿の建築年や設計者について、改めて整理しておきたいと思います。美保神社拝殿は島根県の資料では、大正13年に建設され、建築史家伊東忠太が監修し、明治神宮造営局技手木村米次郎(きむらよねじろう)が設計。としており、他の新聞記事でもおおむねそのような記述となっています。一方で、...

  • 東本町の復興建築(松江市東本町)

    (昭和7年10月9日付 山陰新聞)現在の松江市東本町は、昭和6年5月に発生した「末次大火」後に区画整理を行い成立した町です。上掲の写真は、復興しつつある東本町について綴った記事に添付されていました。区画整理なった新大橋の通りを、新大橋側から鍛冶橋方向に向けて撮影したものです。新大橋の開通は昭和9年ですから、この写真が撮影された時点ではまだ橋はないことになります。建物もまばらな状態の中、右手の白い建物がひ...

  • 旧島根県産業組合聯合会大田支所(大田市大田町)

    山陰本線大田市駅前にある、この半分にちょん切られたような建物の正体がわかりました。(昭和16年4月6日付 大阪毎日新聞島根版)「県聯大田支所竣工式は廿日ごろ」県産聯が昨年10月工費1万円を投じて大田駅通りに建設中の県聯大田支所はその後工事順調に進み内部美粧仕上の一部を残すのみとなった同支所は総建坪82坪で二階建和洋折衷の堂々たるもの(4月)廿日ごろ竣工式を挙げ現在の産業会館事務所から引き移ることとなったと...

  • 津田運送店(益田市津田町)

    山陰本線の石見津田駅駅前の洋館です。「島根県の近代化遺産」によれば、昭和初期に建てられた、旧日本通運石見津田営業所とされています。それ以上の情報がないので色々調べてみたのですが、なかなか建物の素性を知れそうな資料が見つかりませんでした。ところが、戦前に刊行された「安田村発展史」に、この建物について詳しく書いてあるのを見つけました。「石見津田運送店の創始」という項に、次のような記述がありました。・匿...

  • 木次駅(雲南市木次町)

    木次線木次駅駅舎は昭和16年築の木造駅舎です。(昭和16年5月2日付 大阪朝日島根版)昭和16年5月の大阪朝日島根版に、完成当時の記事が掲載されていました。現在は改装されている、町側の外観のオリジナルがよく確認できます。「木次駅 面目を一新 一日から新舎で営業」大原郡木次町の表玄関に簸上線開業以来昔そのままの木次駅も昨年12月着工、新築への工を急いでいたが這般竣工、内部の取付け工事その他諸般の施設が完備し...

  • 旧床几山配水池(松江市上乃木)

    松江市の南、雑賀町と上乃木地区とを隔てる床几山は、その名の歴史が語る通り、松江の市街を見渡せる高燥の地であり、それゆえに、松江の上水道を供給する配水池の設置場所として好適と、大正7年の松江市の水道事業の開始に伴い、床几山配水池として開設されました。配水池の工事は大正3年11月に起工され、翌6年12月にはおおよその工事を終えています。大正7年から水道事業が始まり、以降、昭和58年まで使われてきました。以降は公...

  • 旧第三銀行松江支店(かげやま呉服店)その2

    松江市末次本町の旧第三銀行松江支店(現かげやま呉服店)については、10年近く前に一度ご紹介していたのですが、その後新たに分かったことや、事実誤認などもありましたので改めて情報を整理してご紹介したいと思います。【建物の歴史について】安田銀行の社史などからこの建物の年表を作成してみました。明治17年に現在の場所に国立第三銀行松江支店が開設され、明治29年に「国立」が取れて「第三銀行松江支店」となり、明治37年...

  • 島根県内のラジオ塔について(その2)

    島根県内のラジオ塔について、「その1」からだいぶ間があいてしまいましたが、その2です。【今市町享楽園・昭和15年5月】(昭和15年5月21日付 松陽新報)昭和15年5月、出雲大社神苑に続いて、今市町(現出雲市)にもラジオ塔が設置されました。新聞記事をまとめると、①今市町本町の本警察署跡の空き地を享楽園と名付けた②松江放送局よりラジオ塔寄付の申し出があり、享楽園への設置が決まった③灯篭型朱塗りのラジオ塔④昭和15年5...

  • 今年もよろしくお願いします

    お正月からだいぶ時間が過ぎてしまいましたが、令和4年の当ブログ初更新です。本年もよろしくお願いします。本業の方がだいぶ忙しくて、なかなかブログを更新する気力がない昨今、更新頻度がだいぶ悪くなってしまっていて何とも申し訳ないところですが、ありがたいことにコメントなどでお褒めの言葉をいただいたり、貴重な近代建築の情報をいただいたりすることが多々あり、とても励みになります。引き続きよろしくお願いいたしま...

  • 大社町の擬洋風建築(出雲市大社町)

    *9月以来久しぶりの更新となります。色々忙しくてブログを更新する気力がなかなか。(グーグルストリートビューより)グーグルストリートビューで島根のあちこちを見ていたら、大社の馬場通にこのような建物を見つけました。入母屋の塗屋造りだけならそこまで珍しくはないかもしれませんが、2階部分の窓が縦長アーチになっているのが伝統的な商家とは異なる点です。はあまり古そうにも見えないので、後年に何か洋品店とか喫茶店の...

  • 保性館幽泉亭(松江市玉湯町)

    玉造温泉でも有数の歴史を誇る保性館には、歴史的な建築物が保存されています。昭和6年に皇族方の御宿泊専用に建てられた幽泉亭です。現在は登録有形文化財となり、見学することができます。旅館内には幽泉亭に関する資料室も設けられ、大切に管理されています。(所有の絵葉書より)この建物には戦前から戦後にかけて皇族方が御宿泊されており、戦後、昭和22年には昭和天皇も御宿泊されています。昭和8年4月 閑院宮載仁親王...

  • 有福温泉御前湯(江津市有福温泉町)その5

    有福温泉の御前湯の設計者が判明しました。島根県立工業学校の教官だった飯塚源吉でした。ながらく、有福温泉御前湯の竣工年、設計者、施工者は不明のままでしたが、当ブログでは調査を重ね、何度かにわたり竣工年(昭和4年)、施工者(鴻池組松江出張所)を明らかにしてきました。今回、設計者が判明したのは、戦前に益田の飯塚順天堂(現在のジュンテンドー)が発行していた新聞「石見実業時報」に有福温泉御前湯竣工の記事を発...

  • 来原岩樋の水門上屋(出雲市大津町来原)その2

    以前ご紹介した、出雲市の来原岩樋の水門上屋について、竣工当時の新聞記事を見つけましたのでご紹介します。(昭和5年8月26日付 大阪朝日新聞島根版より)昭和5年8月25日の大阪朝日新聞島根版に上屋の竣工を記した記事を見つけました。「来原岩樋上屋改築」簸川郡開拓の偉人大梶七兵衛翁の遺蹟高瀬川入口来原岩樋の上屋は元禄年間開鑿当時の木造のままで腐朽崩壊し通行に危険のため該川関係水利組合では今回鉄筋コンクリート改築...

  • 島根県内のラジオ塔について(その1)

    以前、NHK松江放送局で保存されている「ラジオ塔」についてご紹介しました。一幡公平さんの「ラヂオ塔大百科2017」によれば、ラジオ塔の初めは昭和5年、大坂の天王寺公園に設置されたのが最初で、その後、聴取加入百万突破紀念として昭和7~8年の間に全国に建設されたとのことです。松江のラジオ塔もJOTK(松江放送局)開局紀念として城山公園(松江城二の丸)に昭和8年に建設されています。その後、昭和13年頃から戦中にかけて、か...

  • 有福温泉御前湯(江津市有福温泉町)その4

    有福温泉の近代建築、御前湯について新たに資料を見つけたのでご紹介です。当ブログでは有福温泉の御前湯の建築年代や外装の変化などについて整理してきました。【建築年代】有福温泉の建築年は資料によって昭和3年だったり昭和5年だったりとまちまちでしたが、当時の新聞記事より、昭和4年に竣工したことを明らかにしました。→有福温泉御前湯その2【御前湯の外装】現在、御前湯は白いタイル貼りとなっていて、メディア等の記事で...

  • 畦無橋(松江市湯町)その3

    玉造温泉駅近くの玉造川に架かっていた畦無橋について、お待ちかねの「その3」です。「その2」が2016年でしたので、6年越しです。時が経つのは早いものですねぇ。畦無橋は昭和14年架橋の鋼桁橋ですが、その桁には「DORMAN LONG」・「MIDODLESBROUGH」の刻印が確認できます。昭和14年の段階で橋を架けるのにわざわざイングランドから鋼材を輸入した(できた)のだろうか?日支事変の時節柄、どこかの橋で使われていた鋼材を転用し...

  • 旧内田小学校講堂(美郷町内田)その2

    美郷町(旧邑智町)の内田に現存する旧内田小学校講堂です(詳細はこちら)。内田小学校は昭和40年代に廃校となり、その後講堂は君谷保育所として活用されていましたが、平成25年に園児減少と老朽化を理由として保育所は閉鎖されています。令和元年の5月に再訪してみたところ、建物は現存しており、目立った痛みもない様子でした。園庭だったところも他の用途で利用されており、訪問時も作業されている方がいました。旧講堂の建築...

  • 一畑電鉄出雲大社前駅(出雲市大社町)その3

    一畑電鉄の出雲大社前駅(旧大社神門駅以下大社神門駅と表記)について、新たな資料を見つけましたのでご紹介します。(昭和5年1月29日付山陰新聞記事より)前回、駅舎の施工が安藤組(安藤組→安藤建設→安藤ハザマ)であったことを当時の新聞記事から明らかにしましたが、肝心の「設計者」について、当時の新聞記事から何か情報を得ることが出来ませんでした。駅舎の施工を担当した旧安藤組の社史に当時の記載があるのではないかと...

  • 大田町の建物(大田市大田町)

    大田市の中心街、神田橋たもとの建物です。近隣の旧大田町産業会館と同じような黄土色のタイルが貼られており、神田橋界隈でもひときわ目立つ存在です。現在は商売をされていない様子です。(昭和13年3月24日付 大阪朝日島根版より)昭和13年の新聞記事にこの建物が写っている写真を確認しました。装飾が少なく、場合によっては戦後の築かな?とも思っていたのですが、新聞の写真より、昭和13年以前に建てられた建物と確認できた...

  • 旧海潮村駐在所(雲南市大東町)

    以前ご紹介した海潮の旧医院の隣に建っていたこの建物、戦前に建てられた海潮村の駐在所だったという事が分かりました。(昭和14年1月18日付 山陰新聞より)昭和14年の山陰新聞に、バッチリとこの建物の写真が掲載されていました。記事によれば、昭和14年1月15日に海潮村の消防出初式を行い、あわせて新築成った海潮村受持巡査駐在所の新築落成式を挙行したとあります。前略因みに新築庁舎は木造平屋建24坪に付属消防器具庫を置き...

  • 旧美又信用購買販売組合その2(浜田市金城町追原)

    以前紹介した、旧美又信用購買販売組合(以下、旧美又信用組合)を再び訪問してきました。この建物は、昭和12年に「無限責任美又信用購買販売組合」の事務所として建てられたものです。長い名称ですが、現在のJAの祖先にあたる、戦前のいわゆる「産業組合」組織であり、旧美又村においては大正7年に「美又信用購買販売組合」が設立されています。戦後は産業組合の後継団体である、農協の事務所として使われ、農協自体も統廃合を...

  • 歩兵第二十一聯隊覆練兵場(浜田市黒川町)

    浜田市の黒川町一帯には陸軍歩兵第二十一聯隊が設置されていました。現在、跡地には「覆練兵場」という、いわゆる体育施設が2棟現存しています。【浜田市立第一中学校屋内運動場】一棟は浜田市立第一中学校の敷地内にあって、現在は中学校の校屋内運動場として使われています。建物中央部には明り取りと換気を兼ねた越屋根が載っています。敷地外からの撮影です。平成9年に登録有形文化財となりました。【浜田高校第二体育館】もう...

  • 国沢内科医院(江津市都野津町)

    都野津町の旧道沿で現役の国沢内科医院の建物です。築年などは不明ですが、縦長窓や玄関装飾などから、おそらく戦前に建てられたものではないかと思料します。このような感じで、敷地の奥に鉄筋コンクリートの新館?もあります。木造部分は敷地の奥に続いており、元々は(あるいは現在も)病室などに使われていたのかもしれません。重厚なデザインの玄関部分。堂々「国沢内科院」の看板が掲げられており、現役を感じさせます。【建...

  • 旧美濃郡役所その2(益田市本町)

    益田市の旧美濃郡役所は大正10年(1921)築、今年(2021)で築100歳を迎える建物です。本ブログでは10年前のブログ初期時代に取り上げましたが、昨年、これまた10年ぶりくらいに現地を訪問しました。昭和58年5月より益田市立歴史民俗資料館として活用されていた美濃郡役所でしたが、平成31年3月末をもって休館となり、今後は「ビジターセンター」へ改修して令和4年に再オープンする予定とのことです。100年前、美濃郡役所の建物が...

  • 美保関小学校跡地その6(松江市美保関町)

    「美保関小学校跡地その4」にて、美保関小学校の明治校舎が移築されて平成まで現存していたのではないか、という仮説をたてました。この件について、島根県立図書館に所蔵されている「美保関新聞縮刷版」を確認したところ、やはり、明治校舎を移築したものだったことが判明しましたのでご紹介したいと思います。(美保関新聞 昭和2年6月15日付)「公会堂建設決定」小学校新築の結果旧校舎は不要になり、その利用方法として公会堂を...

  • 有福温泉よしだや旅館

    拙ブログに「温泉」というカテゴリがあるのを、管理者もすっかり忘れていましたが、久しぶりにこのカテゴリで記事を投稿してみたいと思います。有福温泉には立ち寄り入浴も含めて何度も訪問していますが、何度来ても新しい発見のある素敵な温泉地です。そんななかで「よしだや」さんには平成24年、令和2年と2回宿泊させてもらいました。一人泊も受け入れて下さる宿なので大変に助かります。古絵葉書でみると、赤い矢印のところ。御...

  • 宇野町の洋館(浜田市宇野町)

    浜田市宇野町の気になる洋館です。農村にある洋館と言えば、役場、郵便局、産組事務所、医院あたりになりますが、何となくこの建物は医院だったのでは・・・と感じていました。SNS上で地元の方より、元は医院だったと教えていただきました。向って左側にトタンの増築部分がありますが、窓枠が洋館と同じデザインであり、元々は洋館部分と同じくモルタルだったのか、と推察されます。2階部分。真ん中の窓が建物のゆがみのせいか少し...

  • 旧大濱村役場その2(大田市温泉津町小浜)

    令和3年になりました。コロナ感染症も終息の兆しが見えず、大変な年明けとなりましたが、とにかく明るく前向きに行くしかありませんね。昨年はSNSを中心として、さまざまな方より島根の近代建築について情報を頂きました。どうもありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。令和3年の最初は旧大濱村役場の続報についてです。昨年の暮れにSNSで、この旧大濱村の建物が売りに出ていると情報を頂きました。こちらの中島...

  • 新市川橋(松江市上本庄町/新庄町)

    本庄の津森医院の通りを南へ、本庄と新庄町とを境する本庄川に架かる橋です。(参謀本部「境」M32(S9修正)より)昔の地図ですとこの赤丸の所です。新庄という名前は本庄より新しい集落という意味で名付けられたのでしょうか。本庄側からみた新市川橋。中間橋脚をもつこじんまりとした感じの橋です。親柱のデザインが独特です。親柱近影。独特のデザインです。縦横。独特ですねぇ。親柱上部の横長の凹み部分に橋名・架橋年が記さ...

  • 旧和栗銀行浜田支店(浜田市新町)

    浜田市新町の通り沿いに、背の高い建物が見え隠れしているのですが、こちらの建物は大正10年に建てられた和栗銀行浜田支店だったことが分かりました。和栗銀行は大正2年、出雲の知井宮で生まれた銀行で、大正14年には雲陽銀行と合併して雲陽実業銀行となり解散しています。知井宮にあった本店は、平成26年まで現存していましたが、まさか支店の建物が残っていたとは、これは大変貴重な存在です。(なぜこの建物が和栗銀行浜田支店...

  • 浜田の絵葉書より(その8 浜田警察署)

    「浜田の絵葉書より(その7)」で明治期の浜田の町の建築について整理をしましたが、その際1つ重要な物件を後回しにしていましたので、今回はその物件についての考察です。絵葉書の手前側、現在の浜田市新町のエリアに擬洋風建築が確認できます。画像が粗くなりますが拡大図です。寄棟土蔵風でアーチを描く窓をもち、建物正面にはバルコニーを張り出した、典型的な擬洋風建築です。浜田市に問い合わせたところ、「不明・資料無し」...

  • 外の浦験潮場跡?(浜田市外の浦町)

    (Googleストリートビューより)浜田にはまだまだ隠れた近代化遺産があると思っていたのですが、これはなかなかの大発見なのかもしれません。浜田市の松原町から外ノ浦町へ向かう海岸沿いの道端にあるこの建物、かつての験潮場だった可能性があります。*験潮場海の潮位を測るための施設で、全国の海岸線に点々と設置されています。ウイキペディアによれば、この施設の名称は管轄する諸官庁により、験潮場:国土地理院が設置してい...

  • 浜田の絵葉書より(その7)

    引き続き浜田の町を写した絵葉書の撮影年代を考察します。「浜田の絵葉書より(その6)」でご紹介した絵葉書よりも古い時代の絵葉書です。こちらはその6で紹介した絵葉書です。昭和8年~9年の間に撮影されたと考えられます。上掲の絵葉書と比べてみますと、近代的な建物が増えています。〈撮影年代の推定)では、この絵葉書の写真がいつ頃撮影されたものかという事を考察します。A:浜田中学校 明治36年築B:浜田高等女学校 明治...

  • 浜田の絵葉書より(その6)

    実に2年ぶりとなった浜田の絵葉書に関するコーナーです。「浜田の絵葉書より(その3)」において、浜田の町を一望する絵葉書をもとに、町中にある建物の考察、またその建物の築年より、絵葉書の写真を撮影した時期を推定してきました。その後、新たに詳細が分かった建物が出てきましたので、改めてご紹介する次第です。絵葉書上に写っている建物の中で、竣工年が特定できて、撮影の年代のベンチマークとなり得る建物に竣工年順にア...

  • 相生橋(大田市大田町)

    ...

  • 敬川八幡宮御小憩所(江津市敬川町)

    明治40年の東宮殿下山陰行啓の際には、島根県内各地に東宮殿下をお迎えする施設が整備されました。ご宿泊をされた「御旅館」、食事をとられた「御昼餐所」、小休憩をとられた「御小憩所」などが代表例です。「山陰道行啓録:紀念」によれば、明治40年の山陰行啓は次の通りです。東宮殿下は明治40年5月10日に東京を出発され鉄路にて、舞鶴まで。舞鶴からは軍艦鹿島にご乗船になり、5月14日、美保関湾等にて仮泊、5月15日に境港へ上...

  • 旧布施時計店その2(津和野町後田字本町)

    津和野のモダン商店建築、旧布施時計店は以前にご紹介していますが、この度、竣工当時の新聞記事を確認することが出来ましたので改めてご紹介です。昭和10年2月15日付石見商業時報より益田市教育員会・(株)ジュンテンドー確認・許可済み建具が若干変わっていたり、2階窓下の照明と飾り文字がなくなっているなどの点を除けば、ほぼ竣工当時のままの姿が保たれていることが分かりました。上記新聞写真とほぼ同じアングルです。築後...

  • 遠田の洋風建築(益田市遠田町)

    今回ご紹介するのはSNS上でフォロワーさんに教えていただいた物件です。益田市の遠田町、国道9号線沿いに、洋風建築が残されていました。今まで何度も通った道だったハズなのですが、この建物の存在には気が付きませんでした。建物の正面より。石見瓦をふいた寄棟の建物で、全体的に装飾は少なく落ち着いたたたずまいです。中折れの庇や下見板の貼り方などから見て、この地方の伝統的な古民家とはやはり違う、近代建築の要素を多く...

  • お見舞い申し上げます

    7月の江の川流域、8月には島後でと大水が発生して被害が出ました。被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。コロナ感染拡大の影響で、観光面をはじめとして経済的な影響も大きいと聞いています。早く収まって、安心して生活・観光ができるようになることを心から願っています。...

  • 旧川崎銀行富沢町支店(ハリオガラス本店)

    久しぶりに都内の近代建築のご紹介です。日本橋富沢町の旧川崎貯蓄銀行富沢町支店だった建物です。昭和7年築、都内でも現存が少なくなった戦前築の銀行建築で、平成12年からは耐熱ガラスメーカーのHARIOの本社となっています。玄関は角部分に設置されています。銀行建築らしい堂々としたたたずまいです。正面玄関の上。表通り側。コリント式の柱が並び壮観です。後ろ側。背面は装飾が簡略化されています。この建物、3階部分と背面...

  • 加茂中駅(雲南市加茂町)

    木次線の加茂中駅です。木次線には昔ながらの木造駅舎が残っておりますが、この加茂中駅もそのような魅力的な木造駅舎の一つです。「島根県の近代化遺産」では加茂中駅の建築年を大正5年としています。大正5年と言えば木次線の前身である「簸上鉄道」が宍道から木次の間で営業を始めた年であり、加茂中駅駅舎も簸上鉄道時代のものという事になります。本当に大正5年の駅舎なのだろうか。という点ですが、木次線利活用推進協議会のH...

  • 旧杵築銀行(出雲市大社町)

    大社のかつてのメインストリートに面して現存している、旧杵築銀行の建物です。現在は民家になっており、外観上も玄関部分の改装、屋根も後年の増築と思われる瓦葺の屋根が載っているなど、かなり手が加えられている様子です。玄関上の何らかの痕跡。この部分には白タイルが貼られていないので、かつて何らかの装飾があったのだと思いますが、その形が独特です。うーん。オリジナルの姿はどんなだったのだろう。気になります。角地...

  • 旧雲州今市銀行平田支店?(出雲市平田町)

    平田大橋の袂にある床屋さんの建物です。全体的に改修されていて最近の建物の様にも見えますが、軒の蛇腹が何となく歴史を感じさせます。(松陽新報 昭和2年10月1日付)昭和2年の一畑電化を報じる松陽新報に、平田の町の写真が載っていたのですが、この写真に上掲の建物が写っていました。上掲の新聞写真の拡大です。1階部分は増築などの改変が見られますが、2階の窓割は同じですね。この建物は何だったのだろうと気になっていた...

  • 旧割烹久の家(松江市東本町)

    松江市東本町、大橋川河畔の旧料亭「久の家(ひさのや)」の建物です。令和2年3月に松江市の「松江市登録歴史的建造物」に 12番目の建物として登録されました。(松陽新報 昭和12年1月5日)この建物は昭和12年、割烹久の家として新築落成しています。平成15年の撮影時には旅館となっていました。近年はあまり使われているようではなかったので心配していましたが、この度の「松江市登録歴史的建造物」への登録を機に活用の動きが...

  • 旧松江銀行本店(大田市大森町)その2

    石見銀山の入り口に旧松江銀行本店の建物が移築・保存されています。現在は「なかむら館」といって、大森の町並みの維持・復元に尽力されている地元企業「中村ブレイス」さんの施設として活用されています。●新築の頃●(山陰新聞 明治36年11月3日付)この建物は明治36年、現在の山陰合同銀行の前身の一つである、松江銀行本店として、松江市の白潟本町に建設されました(現在合銀の駐車場になっているところ)。(山陰新聞 明治3...

  • 旧邇摩郡役所(大田市大森町)その2

    拙ブログの最初期にご紹介している旧邇摩郡役所について、新しい資料などを踏まえて改めてご紹介したいと思います。邇摩郡役所は明治35年に、大森の代官所跡に建設されました。設計者は不明ですが、工事監督として、島根県の県属西村西村義抽、工手野津藤太郎、邇摩郡役所主任の吉野留次郎、土木係大草鐐吉が担当しています。特に県の技師だった西村義抽という方は、後に出雲大社の彰古館(旧宝物館)などを設計しています。郡役所...

  • 湯村発電所(雲南市木次町湯村)その2

    木次の湯村温泉場の奥に現役で残る湯村発電所のご紹介です。湯村発電所に関しては以前にもご紹介しているのですが、その後、当時の絵葉書や新聞記事などを入手しましたので、改めてご紹介する次第でございます。湯村発電所は大正8年、当時出雲エリアの発電・配電を担っていた出雲電気により建設されました。●当時の新聞記事より●(山陰新聞 大正8年3月28日付)「出雲電気第三発電所 来る八月竣工」出雲電気株式会社にては其の社...

  • 旧今市新町郵便局(出雲市今市町)

    今年のGWも島根県の近代建築巡りをと思っていたのですが、新型コロナウイルスの感染拡大によりそうも言っていられなくなりました。島根の皆様もどうぞお気をつけてお大事にお過ごしください。(松陽新報 昭和7年4月1日付)国会図書館も休館中という事で家で複写してある松陽新報を眺めていたところ、「けふ開局、今市新町郵便局」という写真付きの記事を見つけました。この建物、現存しています。いかがなものでしょうか。現在は...

  • 旧大社駅(出雲市大社町北荒木)

    島根県を代表する近代建築の一つ、旧大社駅です。大社線は明治45年に開業、現在まで残る駅舎は、大社駅利用者の増加に伴い、大正13年に建てられたものです(起工は大正12年9月、竣工は大正13年2月)。建設は駅舎の建設を担当した、神戸鉄道管理局工務課の技手、丹羽三雄とされいます。戦前から大阪方面の急行列車の始発駅となり、戦後も優等列車の始発駅となって、大変な賑いを見せていたのですが、モータリゼーションの波に飲まれ...

  • 旧山陰道産業(松江市東本町)

    東本町の旧山陰道産業の建物です。松江で有名な近代建築の一つであり、平成29年には松江市の「松江市登録歴史的建造物」として登録もされています。建物は昭和7年築、前年の末次大火による復興の過程で建設されました。敷地の角が隅切りされているのも、復興計画の一環といえましょう。島根県立短大が発行した「のんびり雲 7号」によれば、この建物は山陰道産業の後、生命保険会社、船会社が使用し、昭和48年からトラヤ紳士服店、...

  • 旧大森税務署(大田市大森町)

    郵便局の隣の隣にある建物です。元々は江戸末期に建てられた武家屋敷で、明治22年以降、建物を改造して大森税務署となりました。大森税務署の後は国鉄バスの事務所、国鉄バス運転手の寮と用途が変わり、昭和28年以降は住居として使用されています。特徴のある玄関は大森税務署時代に設置され、後に撤去されていましたが、平成12年の修理の際に大森税務署時代の姿に復元したとのことです。*現在も一般の住居ですから、敷地外からの...

  • 地頭所の建物(美郷町地頭所)

    美郷町の地頭所で見かけた、気になる建物です。納屋として使われているようなのですが、2段になった窓や妻面の洋風なデザインなど、いわゆる農家の納屋とは性格を異にする雰囲気を感じます。玄関には庇がかけられており、腰部分の板張りも縦にするなど、戦前の事務所建築っぽい雰囲気を感じます。妻面には小窓もあります。この建物の正体は何でしょうか?山間部の小集落に建っている洋風の建築物として考えられるのは、村役場、産...

  • オペラハウス大森座(旧大森郵便局)(大田市大森町)

    大森の元郵便局だった建物です。平成26年に地元の中村ブレイス社により改装され、オペラハウス「大森座」に生まれ変わりました。伝統的な建物が連なる大森にあって、ガラス窓を多用したこの建物は目を引きます。近代の建物に見えるのですが実はこの建物は江戸時代末の建築だそうで、向いにある熊谷家の納屋として建てられたのがそのものだそうです。旧大森郵便局の向かいにある熊谷家住宅です。熊谷家は代々大森の町年寄を務めるな...

  • 旧出雲電気江南変電所(出雲市湖陵町常楽寺)その2

    湖陵町の常楽寺に現存する、旧出雲電気江南変電所の建築年が判明しました!!江南変電に関する記載があったのは、昭和61年に刊行された「はるかなり山の学校」という本です。明治の初めに学校制度が出来た際には、江南村では二部地区と常楽寺地区と2つの小学校がありましたが、村の財政上、学校を2つも維持できないので統合という事になりました。ところが、その統合した学校をどこに置くかで大いに揉め、結局のところ両地区の境に...

  • 須佐橋(出雲市佐田町)

    旧佐田町に戦前に架橋された須佐橋が現役で頑張っています。(陸地測量部 昭和7年 「石見大田」より)場所はこちら。現在は出雲市のエリアですが、この地はかつて東須佐村、西須佐村とに分かれていました。須佐橋はこの東西の須佐村を結ぶ重要な位置にあったことが古地図から読み取れます。例によって戦時中の金属供出のためか、橋名板や欄干の装飾などはない状態です。尖塔を重ねたようなデザインの親柱。分離派というのでしょ...

  • 旧米江旅館(松江市伊勢宮町)その2

    松江の旧新地遊郭内で、唯一昔日の面影を残している巴庵(旧米江旅館)にてお食事をしてきました。夕刻迫る巴庵(旧米江旅館)の姿。雰囲気がいいですね。玄関を入ったところ。天井が高く広々とした印象です。入ってきた人が角にぶつけないようにする配慮か上り口も直角にせず。玄関を振り返ります。帳場です。帳場の脇に階段があります。2階から下を覗きます。階段の手摺です。暗くて良く写っていませんね。。。2階の客室に通じる...

  • 旧宍道小学校(松江市宍道町)

    宍道町に木造校舎が残っています。元の宍道小学校の校舎だったものです。校舎は大正3年に建てられたもので、立派な玄関が備わっています。玄関庇を支える柱。根石は大根島の玄武岩でしょうか。校舎側面です。近年まで、松江南高校宍道分校として使われてきたこともあり、耐震補強や空調の設備の追加などが行われています。校舎側面、玄関から向って右側です。大正期らしい装飾の少ない素朴な外観です。校舎の右に続く建物は雨天体...

  • 旧国富村役場(出雲市国富町)

    ※今回は郷土資料並びにGoogleストリートビューより画像を転載させていただきます。ブログ主はヒマが出来ると島根県内のまだ見ぬ近代建築を探すために、Googleストリートビューで県内のあちこちを観察しています。ある時、出雲市(旧平田市内)国富町に上掲の気になる建物を見つけました。古い様な、窓のサッシの様子から戦後の建物にも見える様な、何とも言えない建物でした。結論から申し上げますと、明治23年に建てられた、旧国...

  • 旧大濱村役場(大田市温泉津町小浜)

    温泉津駅から温泉津の温泉街への道の途中にあるこの建物、どうやら、昔の村役場の建物だったようだということが分かりました。モルタル塗りの一見して戦後築の建物と思っていました。現在はあまり使われているように見えませんが、平成19年に撮影した際には、「温泉津町農業協同組合」という看板の跡が残っていました。近年まではJA事務所として使われていたようです。(昭和16年8月1日付松陽新報より)昭和16年8月1日に、温泉津町...

  • 旧跡市小学校(江津市跡市町)

    江津市跡市町の旧跡市小学校の校舎・講堂です。跡市小学校は平成28年に閉校してしまいましたが、最後まで戦前築の木造校舎と講堂とが現役でした。現在も現役時代と変わらず、建物は残されています。校舎は建物の真ん中に玄関を持ちます。大きな木で遮られていますが、アーチの装飾が印象的です。立派な庇の付いた玄関です。校章でしょうか。エンタシスな柱に支えられる玄関。かなり凝った造りになっています。堂々たる講堂の建物で...

  • 亀嵩駅(奥出雲町郡)

    木次線の亀嵩駅駅舎です。外観は改修されてそれほど古い建物のようには見えませんが、昭和9年の開業当時の駅舎が現役で残されています。(昭和9年11月20日付松陽新報より)亀嵩駅は、昭和9年11月20日の出雲三成~八川間の延伸開業に伴って、出雲横田駅、八川駅と共に開設された駅です。新聞記事写真の中段にあるのが開設当時の亀嵩駅の姿です。昔の亀嵩駅の写真を見ますと、八川駅とデザインが共通していることがかわかります。亀...

  • 出雲八代駅(奥出雲町馬馳)

    令和2年最初のご紹介は木次線の出雲八代駅駅舎です。出雲八代駅昭和7年に木次出雲三成間が開業した際に解説された駅です。現在の駅舎もその際に建設されたものと思われます。現在は無人駅ですが、出札所の設えなど、昔のままに保たれています。待合室も大変綺麗に管理されています。利用者はそれほど多くなさそうですが、地域のよりどころとなっているのでしょうか、訪問した際にも地元の方が待ち合わせに使ったりと、人の出入りが...

  • 松江大橋をうつした絵葉書の年代測定法(その9)

    まる1年ぶりの松江大橋絵葉書ネタです(前回はこちら)。こちらの絵葉書、よくある松江大橋の絵葉書のように見えます。松江倶楽部(大正10年)があり、欄干は昭和4年改修以前、文化自動車バスが写っている、橋の袂に御大典記念の街灯がない、などから、大正14年~昭和3年の間に撮影されたものと推定されます。こちらの絵葉書もバスが写っていないという点以外は上掲の絵葉書とほとんど同じようですが、一つ、より時代をこまかく特...

  • 旧波積小学校講堂(江津市波積町本郷)その2

    以前ご紹介した旧波積小学校講堂について追記です。波積小学校の講堂は昭和9年に建てられた歴史的な建築物です。小学校は昭和55年に閉校し、校舎は解体されましたが(解体年不明)、講堂は保存され、地域の公民館として活用されてきました。平成20年に改修工事が行われ、波積ふれあいホールとしてリニューアルされ、平成22年には「しまね景観賞」を受賞しています。(昭和9年12月2日付松陽新報より)昭和9年12月に新築落成式を迎え...

  • 旧阿須那郵便局(邑南町阿須那)

    歴史的な街並みの残る、旧羽須美村(邑南町)阿須那の元郵便局の建物です。現在は池月酒造の店舗兼事務所として使われています。完全に池月酒造と一体化しているので、元々池月酒造の建物だと思っていたのですが、SNS上で元郵便局と教えてくださった方いらしたので「羽須美村誌」にて確認したところ、当該建物は郵便局だったという記述がありました。いつ建てられたのか、いつ現局舎に移転したのかは資料が見つかりませんでしたの...

  • 久手町の洋館と大田界隈の近代建築(大田市久手町)

    大田市久手町の町はずれに、立派な門構えのお屋敷があります。塀越しにただものではない風格の洋館が見えます。居住空間としての和風建築と、書斎・客間としての洋館が組み合わさった、いわゆる折衷住宅の一種でありましょう。地方ではなかなか見ることのできない様式です。令和になって再訪したところ、屋敷を囲っていた門・塀が取り去られていました。平成30年4月9日の島根県西部地震の影響でしょうか、大田地域は震度5強を記録...

  • 美保関小学校跡地その5(松江市美保関町)

    美保関の絵葉書シリーズ、今回は赤丸で囲った燈篭について整理したいと思います。前回取り上げた産業組合?の建物の先の防波堤にこの燈篭は建っていました。絵葉書の右手前に写っている灯篭は美保関湾の西側、「弁天波止場の常夜燈」と呼ばれているもので、天保13年に建立、明治3年に再建されたものです(現地案内板より)。上掲の絵葉書の拡大。産業組合?の事務所と共に燈篭が確認できます。(昭和3年10月15日付松陽新報より)こ...

  • 美保関小学校跡地その4(松江市美保関町)

    美保関小学校が写されている絵葉書について整理してきましたが、今回もそれに関連して、小学校の右手に建っている、赤矢印の物件について整理してみようと思います。。上記絵葉書の建物の拡大画像です。戦前らしい、役場や産業組合の事務所にありそうな風の建物です。この建物、明治期の美保関小学校が写っている絵葉書には姿がありません。講堂が新築された大正以降の絵葉書にも姿はありません。絵葉書を確認する限り、この建物は...

  • 美保関小学校跡地その3月(松江市美保関町)

    前回に引き続き美保関小学校についてのご紹介です。【奉安庫跡?】旧美保関小学校跡地の片隅に、なにやら石垣と階段があるのを見つけました。石段を上がると「美保関小学校跡」と記された石碑がありました。このスペースは何だったのでしょうか?戦前の小学校にあった奉安庫(殿)の痕ではないか?というのがブログ主の推測です。奉安庫(奉安殿)は、学校に下賜された御真影(天皇皇后両陛下のお写真)を保管するための建物で、戦...

  • 美保関小学校跡地その2(松江市美保関町)

    前回、昭和2年築の旧美保関小学校の遺構についてご紹介しましたが、今回はその続きとして、当時の史料や絵葉書をもとに、旧美保関小学校の校舎の変遷について整理したいと思います。この表は、昭和3年の美保関小学校落成式について記載された松陽新報の記事にあった小学校の歴史と、美保関町誌の記述とを合わせ、時系列にまとめたものです。島根県有数の観光名所でもある美保関は、戦前より多くの絵葉書が発行されており、その絵葉...

  • 美保関小学校跡地その1(松江市美保関町)

    美保関の町は、美保関湾と海に迫る山との境界に少しだけ開けている土地に沿って、うねうねと細長い集落が形成されています。美保神社から青石畳を抜け、歴史を感じさせる町並みを進んでまいりますと、やがて空き地のような開けた場所へ抜けることができます。ここは、明治8年から昭和41年まで、美保関小学校があった場所です。画像右手の空き地は元の校庭だったところです。(昭和3年1月13日付松陽新報)美保関小学校はこの地で何...

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