chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 千葉神社

    千葉神社は、千葉市中央区院内に鎮座。 御祭神 主祭神 天之御中主大神 =北辰妙見尊星王(通称 妙見様) 相殿神 経津主神 日本武尊御由緒 千葉氏の祖・平良文がこの妙見尊に祈願して、戦うごとにご加護をいただき、常に大勝利を得ておりましたので、千葉家では代々守護神として熱烈な信仰をささげてまいりました。このような関係から、現在地には千葉家三代忠常により先に御分霊が祀られ(年代不詳)、その後、忠常の次男、覚算大僧正により立派に伽藍整備がなされ、一条天皇の眼病平療の勅願所としての功とも相まって長保二年(1000)旧暦九月十三日、『北斗山金剛授寺』なる寺号を賜り中興開山されました。 さらに、千葉家七代常…

  • 初詣2016

    誕生寺へ初詣。

  • 南明山 清瀧寺

    南明山 清瀧寺は、茨城県土浦市小野にある寺院。 坂東三十三観音の第26番札所です。 坂東33ヶ所霊場の26番札所で有名な清滝観音は、推古帝15年(607)に竜ヶ峯に創建され、大同年間(806-810)徳一上人により古観音に移されたと伝えられる真言宗の寺です。 七堂伽藍を備えた大きな寺は、天正年間(1573-1592)小田氏・佐竹氏の兵火により焼失し、江戸時代に現在地へ再建されたと伝えられているが、昭和44年(1969)本堂、昭和48年(1973)仮堂が火災にあい、現在の本堂は昭和52年(1977)に再建されました。 江戸時代に建てられた山門が、昔日の面影を残しています。「境内案内」より 境内入…

  • 筑波山神社

    筑波山神社は、茨城県つくば市筑波に鎮座。 筑波山中腹に拝殿、男体山・女体山山頂に本殿。「延喜式」神名帳に載る常陸国 筑波郡「筑波山神社二座」に比定され、 男体山本殿が名神大社、女体山本殿が小社にあたる。 筑波山は、伊弉諾尊・伊弉冉尊二神御降臨の霊山で、西峰に男大神、東峰に女大神を祀り、筑波山神社と崇め奉る。世々筑波国造が奉仕し 嵯峨天皇の弘仁十四年正月官社となり、延喜式内名神大社に列す。 慶長の初め徳川家康は、当山を以て江戸城鎮護将軍家第一等の御祈願所と定め、寛永十年十一月三代将軍家光は山内の諸社堂伽藍を悉く寄進造営し輪奐その美を尽す。御神領千五百石。元治元年の筑波山義挙を経て、明治元年三月、…

  • 筑波山 大御堂

    筑波山 大御堂は、茨城県つくば市筑波にある寺院。 坂東三十三観音の第25番札所です。 平安時代のはじめ、延暦元年(782)にこの地を訪れた徳溢法師が伽藍を建立し、千手観音を安置した寺である。そののち、大同年間(806-809)には、弘法大師が筑波山を踏破して、密教をこの地にひろめるきっかけをつくった。これによって、堂宇を建立し、知足院中禅寺と名づけた。いまも求聞持堂や護摩壇石などの跡が残されている。「古寺巡礼辞典」より

  • 二宮神社

    二宮神社は、東京都あきる野市二宮に鎮座。 武蔵国二宮。 鎮座地 東京都秋川市二宮二,二五二番地 御祭神 國常立尊由緒創立年代不詳、往昔より小川大明 または 二宮大明神と稱した。 小川大明神とは、その鎮座地が「和名抄」記載の武蔵國多摩郡小川郷の地区内にあった為で、又 二宮大明神とは、「神道集」又は、「私案抄」等にみられる武蔵總社大所宮(現大國魂神社)所座神座の第二次にあるがため、その地名も二宮と稱した。明治三年 二宮神社と改稱した。古記録によると、藤原秀郷が、己の生國山王二十一社中の二宮を尊崇せる縁故をもって、特に当社を崇敬し、天慶の乱にさいし、戦勝祈願をこめ、乱平定の奉賽として社殿玉垣を造営下…

  • 青渭神社

    青渭神社は、東京都青梅市沢井に鎮座。 惣岳山の山頂に奥宮があり、こちらは里宮。 「延喜式」神名帳に載る武蔵国 多磨郡「青渭神社」の論社。

  • 奥氷川神社

    奥氷川神社は、東京都西多摩郡奥多摩町氷川に鎮座。 参拝時、境内はゲートボール中でした。 この社は、大宮市の氷川神社、所沢市の中氷川神社と共に武蔵三氷川の一社といわれ、また、氷川の地名はこの社から起こったといわれ、その歴史の古さが伺われます。 現在の本殿は元禄年間(1688〜1704)に建てられたもので、町内では貴重な存在です。「境内案内」より 鳥居 社殿 天満宮 ?

  • 虎柏神社

    虎柏神社は、東京都青梅市根ヶ布に鎮座。 「延喜式」神名帳に載る武蔵国 多磨郡「虎柏神社」の論社。 虎柏神社は、定かではないが、いわゆる延喜式内社に比定される古社である。 当神社は永正年間(1504〜1521)勝沼城主三田氏宗により再興されたと伝えられ、享保一二年(1727)の「武蔵国多摩郡小曽木郷惣社縁起」には、天正一八年(1590)浅野長政が正殿に諏訪神、東の相殿に虎柏神、西の相殿に疫神を定め、小曽木郷の惣社を号したと記されており、江戸時代は諏訪明神社と称していた。天正一九年一一月には徳川氏より朱印地三石を下賜されているが、朱印高は幕末まで変わることはなかった。 明治三年(1870)には社号…

  • 阿伎留神社

    阿伎留神社は、東京都あきる野市五日市に鎮座。 「延喜式」神名帳に載る武蔵国 多磨郡「阿伎留神社」に比定される。 延喜式内 阿伎留神社 由緒略誌一、御祭神 大物主神 味耜高彦根神 建夷鳥神 天児屋根命 二、社名 阿伎留 畔切 秋留と三様に書くが皆「あきる」と読む 正式には延喜式に載るとおり阿伎留神社である また鎮座地により松原大明神とも称し江戸時代中期一時春日大明神と呼ばれた 通称は松原さまである 三、由緒 創立起源不詳 延喜式では武蔵国多摩郡八座の筆頭にあげられている また 三代実録元慶八年秋七月十五日の条には武蔵国正五位下勲六等畔切神に従四位下を授けた旨が記載されている いずれにしても武蔵国…

  • 平群天神社と神照寺

    平群天神社は、千葉県南房総市平久里中に鎮座。 奥に伊予ヶ岳の登山口があります。朝日山 神照寺は、神社の右手にあり、 安房国札三十四観音 第14番札所になります。 一、祭神 菅原道真公 木花之佐久夜毘売命 天照大日霎貴命 建御名方神一、由緒 室町時代文和二年(1353)細川相模守が霊夢により京都北野天神をこの地に勧請し平群九邑の鎮守として信仰を集めていた。 天正十四年(1588)里見義頼公の命で大工飛騨守家助により本殿が改築され。貞享四年(1687)幣殿・拝殿が改築され。更に文化五年(1808)神照寺法印宥弘により再建された。 明治六年郷社に列せられた。特に学問の神として広く信仰されている。「境…

  • 箱根神社

    箱根神社は、神奈川県足柄下郡箱根町元箱根に鎮座。 旧国幣小社、現別表神社。 御祭神 箱根大神 瓊瓊杵尊 彦火火出見尊 木花咲耶姫命 由緒 箱根神社は、古来関東総鎮守箱根大権現と尊崇された名社で「交通安全・心願成就・開運厄除」に御神徳の高い運開きの神様として信仰されています。 当神社は、人皇第五代孝昭天皇の御代(2400年前)聖占仙人が箱根山の駒ヶ岳より、主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来、関東における山岳信仰の一大霊場でありました。 奈良朝の初期(1200年前)萬巻上人は、ご神託により現在の地に里宮を建て、箱根三所権現と称之奉り、佛教とりわけ修験道と習合しました。平安朝初期、箱根道が開通…

  • 東口本宮冨士浅間神社

    東口本宮冨士浅間神社は、静岡県駿東郡小山町須走に鎮座。 富士山登山の須走口です。 御祭神 主神 木花開耶姫命 配神 大己貴命 彦火々出見命創建 第五十一代平城天皇の大同二丁亥年(西厂807)御由緒 第五十代桓武天皇時代の延暦二十一癸未年(802)正月、富士山東側が噴火し、爆発によって吹き上げられた火山岩や砂礫が四周に飛び散り、しばらく噴火が続いた。特に、東麓の御殿場地方の被害が大きく、時の国司、郡司が諸人の憂情を憐み、鎮火の祈願をなさんが為、東面須走の地に来り斎場を設け祭事を執行せらる。即ち現在の社地、字日向と呼稱する所にして、同年四月初申の日に噴火が治まったので、この神助を報賽せんが為、当社…

  • 富士山

    山中湖から見た富士山です。

  • 道志にて

    一月なのに、道志村でキャンプをして来ました。日陰は、雪が残っていました 他のキャンプ客はいなかったので、独占状態 夏にキャンプに行けなかったので購入済みだったツェルトを試してみた 飲み物はは、雪で冷やせるので便利ですね たきび〜 キャンドルランタンは、たいして明るくないですが、雰囲気がいいですね

  • 氷川神社

    氷川神社は、さいたま市大宮区高鼻町に鎮座。 武蔵国一宮。ただ、諸説あるようで、武蔵国総社「大國魂神社」には三宮として祀られています。 「延喜式」神名帳に載る武蔵国 足立郡「氷川神社 名神大月次新嘗」に比定される。 氷川神社は今から凡そ二千有余年前、第五代孝昭天皇の御代三年四月未の日の御創立と伝えられます。当神社は、歴朝の御崇敬・武将の尊敬も篤く、景行天皇の御代日本武尊は東夷鎮定の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国造となって氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威輝き、格式高く聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定された延喜式神名帳に…

  • 埼玉縣護國神社

    埼玉縣護國神社は、さいたま市大宮区高鼻町に鎮座。 祭神 鳥羽伏見の役以後の國事に殉じた埼玉県関係の英霊五万一千余柱を祀る沿革 昭和九年四月九日埼玉県招魂社として設立鎮座し 同十四年三月神社制度の改正により 埼玉県護國神社と改称され四月に指定護國神社となり 例大祭には神饌幣帛の供進がなされたことになった 同二十一年二月神社制度の変革により宗教法人埼玉県護國神社と改められ更に同二十三年十月埼霊神社と改称 同二十七年再び埼玉県護國神社と改称し現在に至る 昭和三十年一月奉賛会が設立せられ以来年々の例大祭は埼玉県民挙て厳粛盛大に行っている「境内案内」より

  • 中山神社

    中山神社は、さいたま市見沼区中川に鎮座。 氷川神社・氷川女体神社と関係が深い神社です。 〈御祭神〉 大己貴命(大国さま) 素戔嗚命 稲田姫命 〈歴史〉 当社は、さいたま市大宮区高鼻町に鎮座する「武蔵一宮氷川神社」と、同市緑区宮本(三室)に鎮座する「氷川女体神社」を結ぶ線上のほぼ中間に位置することから、古くより関係の深い社として「中氷川神社」とも呼ばれていた中川の鎮守です。この三社については、各社共に素戔嗚命(氷川女体神社は三穂津姫命を祀る)・稲田姫命・大己貴命の三座を主祭神に挙げながらも、それぞれ筆頭とする祭神を高鼻の氷川神社は素戔嗚命で男体社に、宮本(三室)の氷川女体神社は稲田姫命で女体社に…

  • 氷川女体神社

    氷川女体神社は、さいたま市緑区宮本に鎮座。 「延喜式」神名帳に載る武蔵国 足立郡「多気比売神社」の論社とか。 近世の文書・棟札には、武蔵国一の宮と記す。 氷川女体神社は、県内屈指の古社で大宮氷川神社とともに武蔵国一宮といわれてきた。社伝では、崇神天皇の時につくられたと伝えられている。 祭神は奇稲田姫命で、大己貴命と三穗津姫命が合祀されている。 大宮の氷川神社(男体社)、大宮市中川の中山神社(簸王子社)とともに見沼とは深い関係にあり、祭礼の「御船祭」は見沼の御上で行われていた。しかし、享保一二年(1727)に見沼が干拓され、これに代わって出島で「磐船祭」が行われるようになった。 この氷川女体神社…

  • 調神社

    調神社は、さいたま市浦和区岸町に鎮座。 「延喜式」神名帳に載る武蔵国 足立郡「調神社」に比定される。 当社は天照大御神、豊宇気姫命、素戔鳴尊の三柱を祭神とする 延喜式内の古社にして古くより朝廷及び武門の崇敬篤く調宮縁起によれば第九代開化天皇乙酉三月所祭奉幣の社として創建され第十代崇神天皇の勅命により神宮斎主倭姫命が参向此の清らかな地を選び神宮に献る調物を納める御倉を建てられ武総野の初穂米調集納蒼運搬所と定めらる 倭姫命の御伝により御倉より調物斉清の為め当社に搬入する妨げとなる為 鳥居、門を取拂はれたる事が起因となり現今に到る「境内由緒書」より 境内入口 拝殿 調宮 天神社 金毘羅神社 稲荷神社…

  • 明治神宮

    明治神宮は、東京都渋谷区代々木神園町に鎮座。 初詣の参拝者数は日本一だそうだ。 … 天皇の崩後間もなく、"明治大帝"としてその聖徳を景慕する国民の間から、明治天皇を祀る神宮建設のことが輿論として盛り上った。この国民的感情が基礎となり、まず大正二年(1913)十一月、社地として青山練兵場が選ばれ、翌十二月神社奉祀調査会が生れた。ついで翌三年四月明治天皇の皇后(昭憲皇太后)が崩御されたため、国母陛下として仰いできた国民の声に応じて、八月さらに昭憲皇太后を相殿に祭ることに決した。翌四年四月、伏見宮貞愛親王を総裁とする明治神宮造営局が設置され、社号を明治神宮とし、完成後は官幣大社たるべきことが定められ…

  • 東郷神社

    東郷神社は、東京都渋谷区神宮前に鎮座。 旧府社。現、別表神社。 祭神 東郷平八郎命 由緒沿革 東郷平八郎命は弘化四年(1847)薩摩藩士東郷吉右衛門の四子として鹿児島市加治屋町で生まれ昭和九年(1934)五月三十日八十八歳で東京麹町三番町で薨去されました 明治四年(1871)二十四歳のとき英国留学七年間海軍士官としての修業をつまれました 以来軍務に精励し同三十七、八年(1904、5)の日露戦役に連合艦隊司令長官として艦隊を指揮し特に同三十八年五月二十七、八日の日本海海戦で露国のバルチック艦隊を迎えて旗艦三笠にZ旗を掲げてこれを打ち破り世界海戦史上名高い完全勝利をなし遂げ国難を救ったことは有名で…

  • 観谷山 聖輪寺

    観谷山 聖輪寺は、東京都渋谷区千駄ヶ谷にある寺院。 御府内八十八ヶ所の第10番札所。 聖輪寺観音略縁起神亀二年(725)五月、行基菩薩北越遊行の時、此地に暫く休息されました。谷の中より光がさし、聖如意輪観音が出現し、「此地は我に因縁あり、汝よろしく我姿を彫刻し、来世の衆生に結縁させよ、広く利益を与える事であろう」と申され、大きな古木の本に消えました。行基菩薩は感激し、その古木を加持し、三尺五寸の如意輪観音像を彫み石の上に安置しました。 これ故に山号を観谷山、寺号を聖輪寺と号することとなった。 文明(1469)の頃、渋谷氏一門の何某、この尊像を深く信仰し、その家は日々に栄え、子孫繁栄、富貴自在の…

  • 乃木神社

    乃木神社は、東京都港区赤坂に鎮座。 明治天皇に殉死した乃木希典夫妻を祀り、大正十二年(1923)に創建された。 旧府社。現、別表神社。 鳥居 社殿 赤坂王子稲荷神社 正松神社

  • 赤坂氷川神社

    氷川神社は、東京都港区赤坂に鎮座。 東京十社の一つ。埼玉・東京で200社以上あるという氷川神社、本社は埼玉県の大宮に鎮座する武蔵国一ノ宮「氷川神社」で、ここから各社に勧請された。 この総本社の由来は、記紀にみる考昭天皇(第五代)の御世、出雲国氷ノ川から杵築大社(出雲大社)を勧請したものという。 武蔵国造は、出雲国造の同族であって当地方の開拓は、出雲系一族によって行われたと思われる。 この社殿は、本殿・幣殿・拝殿の三つの建物が一体となった、いわゆる権現造の形式です。 江戸幕府の第八代将軍である徳川吉宗よって享保一五年(1730)に建てられました。吉宗は『享保の改革』と呼ばれる倹約政策をとったこと…

  • 初詣2014

    今年も初詣は、誕生寺へ。 例年より遅く行ったせいか境内は、込み合っていました。 おみくじは、「凶」。。

  • 建部大社

    建部大社は、滋賀県大津市神領に鎮座。 近江国一宮で、式内社「近江国栗太郡 建部神社名神大」の比定社。 近江一の宮 建部大社 御祭神 本殿 日本武尊 相殿 天明玉命 権殿 大己貴命 由緒 当社は近江国の一の宮と称えられ、景行天皇四十六年(西暦316)四月神崎郡建部郷千草嶽に、日本武尊の御神灵を建部大神としてお祀りしたのが創りである。 天武天皇白鳳四年(675)四月に近江国府のあった瀬田の地にお迂し、此の国の守護神として仰ぎ奉られる様になった。天平勝宝七年(755)には、孝徳天皇の詔により大和一の宮大神神社から大己貴命を勧請し権殿に奉斎せられ現在に至っている。 例大祭 四月十五日 船幸祭 八月十七…

  • 倭神社

    倭神社は、滋賀県大津市坂本に鎮座。 日吉大社の杜外百八社の一社。 式内社「近江国滋賀郡 倭神社」の論社です。 祭神 日本武尊 配祀 両道入姫皇女 稲依別王 由緒 日本武尊は景行天皇の皇子で小碓命と称す、成務天皇(西暦131年即位)の御代に当神社を創立。醍醐天皇の御代に編纂した延喜式「神名帳」記載の倭神社は当神社のことで式内社として朝廷から民間まで篤く崇敬された。古来「森本社」と称し日吉大社の杜外百八社の一社に加えられている。 天台宗無動寺の鎮守社としても御神徳は輝き他府県の方々からの尊崇の念も篤い。 昭和十四年十月 無格社から村社に昇格し神饌幣帛料供進神社に指定された。 例祭 五月三日境内社 …

  • 延暦寺

    比叡山 延暦寺は、滋賀県大津市坂本本町にある寺院。 最澄が、延暦四年(785)に比叡山に登り、比叡山寺(延暦寺の前身)を創建したことに始まる。 数々の名僧を輩出し、仏教史だけでなく日本史上に度々登場する古刹です。境内一帯は国指定史跡。 平成六年(1994)に、ユネスコの世界遺産(古都京都の文化財)に登録されています。比叡山は大きく三塔(東塔・西塔・横川)の地域に分けられ、これらを総称して比叡山延暦寺といいます。 駅 →(シャトルバス)→ 横川 →(シャトルバス)→ 西塔 →(徒歩)→ 東塔 と廻ってみました。横川 比叡山のいちばん北に位置し、ひとしお霊峰の感のする横川は平安の昔から現代にいたる…

  • 日吉東照宮

    日吉東照宮は、滋賀県大津市坂本に鎮座。 日吉大社の境外末社。 日吉大社末社東照宮 三棟 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、銅瓦葺の本殿と、その前面にある桁行五間、梁間二間、一重、入母屋造、銅瓦葺の拝殿とが桁行三間、梁間一間、一重、両下造、銅板葺の石の間(相の間)によってつながれた建物で、権現造という形式の典型です。 この社殿は、日光東照宮に先立って、寛永一一年(1634)天海僧正によって営まれたもので、前面の三間の向拝には軒唐破風がつき、その後方に千鳥破風がつき、蟇股の彫刻は精巧にできています。また、内外とも装飾がきわめて華やかで美しいものです。 正面入り口の四脚唐門と周囲にめぐらされた透塀…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、westさんをフォローしませんか?

ハンドル名
westさん
ブログタイトル
Photo Notebook
フォロー
Photo Notebook

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用