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辛さと悲しさとやるせなさ。私達はこの四年近く、そんな思いをして生きてきた。でもそれとは真反対に、素晴らしい四年間だったと、言っている人もいる。同じ国に住んでいるのに、なぜこんなにも、考え方が違うのだろう。私的には、自分のことを思う事と、相手のことを思う事
アメリカに住んでいると、現在は大統領選挙の話を耳にしない日はない。毎日誰かが誰かの落ち度を探し、ネガティブな言葉ばかりを聞く。何処にも出かけずに家に閉じこもった状態で、先の見えない将来を不安な気持ちで思い描く。そうすると全て悪い方に考えてしまい、 不安の
大会エントリーの受付最終日が、先週の7月16日だった全国大会。その直前の7月13日に、ウエブサイトへ中止の告知が出る。この大会の事については何度も、ブログに書いた事がある。マサキが長い間目標としていた、ジュニア最高レベルの大会だ。この大会の18歳以下で優
上記のグラフは、私達が住んでいる州のコロナグラフ。母が自宅勤務を始めた3月16日頃は、1日の感染者数は平均約400人。4月24日に州知事により、一部のビジネス再開の許可が告知され、母は翌週月曜日から出勤となった。それはグラフが下がり始めたからだった。ジ
とうとうマサキは、高校を卒業した。 卒業したという事は、テニス社会において、ジュニアではなくなる事。なんだか・・・、すごーーーーく寂しい。何故かというともうジュニアではないからなのだ。2011年9月からこのブログを書き始め、それから9年近く、このブログを
アメリカにまたしても悲しい事件が起こった。多くのアメリカ黒人達は、「Enough is enough! もう充分だ!」と叫ぶ。私はこの4分の1世紀以上、この異国の地に生活をし、息子達の父親が人種差別で苦しむ姿を、長い間見てきていた。このような事件は日曜茶飯事。数日前にラン
Self-quarantineとも言うが、我が家も家に篭り始めて、かれこれ一ヶ月半以上経つ。しかし母は今週から、通勤が始まってしまった。母の勤めている会社は、世間がこのような状態でも就業が許されている業種。でもオフィスの社員は殆ど在宅勤務になっている。それなのに・・・た
Depressとは押し下げると言う意味もあるが、気落ち、憂鬱、失望すると言う意味もある。マサキは10歳11ヶ月でテニスアカデミーに入った。同じ時にケンタは大学入学で、ニューヨークへ引っ越し、母は新しい職場で仕事を始める。それからケンタが5年間の大学生活を終えるま
今年卒業する君たちへ君たちが一番輝く時。誰もが君たちを掲げ、これまでの功績を讃え、各々が壇上に上がる時。だが君たちはその大切な時を奪われてしまった。達成感を味わい抱き合い、仲間と喜びを分かち合う、その貴重な時を奪われた。でも悲しまないで。君たちは歴史に残
今週初めにアトランタが、ロックダウンになる。母の勤め先の会社の本社があるイリノイ州は、先週の土曜日からロックダウンになった。いよいよアメリカにも押し寄せて来たと言うより、3月26日の今日遂に、この国は中国のコロナのケース数を上回ってしまったのだ。上の写真
昨日の朝5時に起き、マサキは空港へ連れて行った。ナショナル・テニス・ファンデーションのイベントの一環として、州対抗ダブルスマッチ、ブライアンブラザーズのクリニック、インディアンウエルズ観戦のため、カリフォルニア州へ数人の子ども達は、コーチに連れられて行っ
アトランタ・チャレンジは、ナショナル・テニス・ファンデーションという非営利団体のチャリティーイベントだ。それは低所得家庭の子ども達のスポーツと学業を支援する団体なのだ。覚えている方もいるかもしれないが、マサキをテニスアカデミーへ無償で入れたのもこの団体だ
二日前の金曜日にアカプルコで行われたメキシカン・オープンの準決勝で、ナダルとディミトロフは戦った。その二人が三日後の明日、月曜日の午後8時から、ここアトランタにて行われるエキシビションでまた戦う。エキジビジョンだからどれほど真剣に戦うか知らないが、ATPの
去年の12月に母の携帯へ長い文章のテキストが入る。それは覚えのない名前だった。その人はジョージア州テニス協会のディレクターだと書いてあった。何度もメールを送ったと書いていた。母がそれらを見過ごしたのだろう。連絡がないから母の携帯番号を調べ、テキストを送っ
UTR(ユニバーサル・テニス・レイティング)UTRって正確だけども、たまに狂ってる時もある。でも全てのテニスプレイヤーが、それも男子も女子も年齢も含め、同じレイティングで数字が付くのは、本当に面白い事だと思う。一体どのような計算をしているのだろう。全世界のどれく
今年も去年と同じ時期に、 日本へ帰ったぽー家。毎年仕事で都合がつかなかったが、今回は長女も一緒に行く事ができた。そしてその他の家族も東京で合流してみんなで観光、と言いたいところだが、殆ど買い物に時間を取られた。雨の中を行きたい所へも行けず、寒さと疲労で2
テニスは年中通してのスポーツだが、プロ選手にとっても、我が地域のジュニアにとっても、12月初旬から半ばにかけてはオフシーズンで、大きな試合が全くない。それだからテニスプレーヤーは、この時期は集中的にトレーニングをすると、ケンタが母に教えてくれた。現在ケン
このドキュメンタリーはどのようにして、撮られ始めたのだろう。母には何の情報もないけど、ケンタの勧めで二人で見始めた。もう!もう!もう!アンディ、最高! あんなに泣いて泣いて泣いて、我慢して我慢して我慢して、頑張って頑張って頑張って、ギブアップしないって何
8歳の頃からプロを夢見、10年経った今も矛先を全く変えない向こう見ずなマサキ。そして母の心配や諦め気分をよそに、まだ真っしぐらに突き進むのに、ケンタの強い意志も加わっている。考えなしのマサキと真反対に、リサーチや知識を増やす事が大好きでそれが習慣のケンタ
今年7月頃から最近まで、母の仕事は狂ったように忙しく、昼時間も取らずに毎日十時間以上働いた。ここ数日は少し落ち着き、そしてふと今日思ったのだ。日々の楽しみであった、テニスブログを読んでいない。そして埃が積もりに積もり、カビでも生えているような自分のブログ
USオープンで頑張っているテイラー。残業続きの母だけど、午後5時過ぎには仕事を途中で止めて携帯電話にかじりついた。仕事をできる状態ではなかったからだ。それはあのハレプとの激戦を観ていたからだ。支店長が驚いて休憩室にやってきたほど、母は超興奮していた。 彼女
先々週のことだった。ケンタが出勤途中の車の中で言った。「ビーナスが近所のテニスセンターへ、今度の月曜日に来るんだって。」最初母はケンタの言っている事が、何の事かはっきりわからなかった。そうして再度尋ねたのだった。「誰が来るって?」そう、我が家から車で三
マサキが目標としていたジュニアトーナメントまで、残り1ヶ月を切った。そして彼は数ヶ月でとうとう18歳になる。ジュニアでいれる期間も、1年と数ヶ月になってしまった。テニスを始めて12年。トーナメントに出始めて、9年半経とうとしている。長いようだがあっと言う
去年末にコーチWから貰ったラケットの一つがいきなり壊れてしまった。3本しかなかったから、それをどうするかを思案していた。そんな時に運良く知り合いのプロテニスプレーヤーからの推薦で、ラケットのスポンサーの話が舞い込んだ。だがフロリダへの遠征が1ヶ月半以上だっ
18歳以下セクションレベル2ジョージアレベル1ジョージア州ピーチツリー・コーナーズ市マサキは久しぶりに、ジュニアのテニストーナメントに出た。セクションのランキングを保持しないと、夏の終わりにある全国大会の出場権を失ってしまうから。 (出場権=サザンセクショ
さて母のテニストーナメントの話。これまでは傍観者だったが、実際に自分のUSTAアカウントを作り、ドローに自分の名前が載り、対戦相手を調べてたりする。なんとも新鮮で、心を沸き立たせ、興奮と緊張の日々を試合当日まで過ごした。そしてその当日は、試合会場に到着直前の
なんと!母がテニストーナメントに!数週間前にコーチTから、アダルトトーナメントの詳細が母のメルアドに送られてきた。ドライフィットTシャツ、ウイルソン景品と更にパーティ+バンド付きで、なんとも楽しそうな内容。今週月曜日が締め切りだった。試してみたい気持ちがも
ケンタとマサキのドサ廻りは、今週末でとりあえず終わり、日曜日の遅くには帰ってくる。彼らのいない週末は、あまり一緒に遊ぶわけではないが、母は暇を持て余し、だらだらと時間を過ごしている。 マサキはこれまで、 三つのプロトーナメントの予選に入ることができた。結
最近は母もマサキのいる テニスセンターにあるフィットネスジムへ行き、機械を使って走ったり柔軟したり、することができるようになった。もちろん我が家は誰も何も支払ってはいないが、ディレクターに許可を貰い、母も会員のように出入りできるようになったのだ。受付を越
二、三週間前の事だったらしい。チャレンジャーのワイルドカードの話を、ケンタは誰かから耳にした。詳細をストリンガーのチャックが知っていると聞き彼に尋ねたが、その後何も情報は入ってこなかった。三日前の金曜日の朝の仕事中、ケンタから母に電話が入る。「今晩パーテ