静岡県焼津市石脇下(いしわきしも)の谷山古墳群(たにやまこふんぐん)は、高草山(たかくさやま)登山口付近に分布する円墳31基以上で構成されています。谷山1号墳(高崎11号墳)は、昭和40年代前半に発掘調査された、古墳時代中期(5世紀)の築造と考えられる直径17mの円墳。多く
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
遺跡・古墳出土の石器,石碑,石仏,道しるべなどを紹介 文化財課企画展『石の文化誌』 磐田市立豊田図書館 (静岡県磐田市(旧磐田郡豊田町)上新屋304)
静岡県磐田市(旧磐田郡豊田町)上新屋(かみあらや)の磐田市立豊田図書館 展示室で、文化財課企画展『石の文化誌』を開催。磐田市内の遺跡・古墳から出土した石器、石碑(せきひ)・石仏(せきぶつ)・道しるべ(みちしるべ)などの石造物、古民具の石臼(いしうす)などの展示物を紹
弥生土器,鳥形土器,銅鐸レプリカなどを展示 文化財課企画展『弥生時代へGO! ~2000年前のイワタ~』磐田市立中央図書館 (静岡県磐田市見付3599‐5)
静岡県磐田市見付(みつけ)の磐田市立中央図書館 1階展示室で、文化財課企画展『弥生時代へGO! ~2000年前のイワタ~』を開催。磐田市内の弥生時代の遺跡で見つかった出土品(弥生土器、石器、木製品など)、蔵平遺跡(くらのたいらいせき)の鳥形土器(とりがたどき)、西の谷遺
形象埴輪(人物,馬形,鹿形),円筒埴輪が並ぶ3代の首長墓 前方後円墳3基と円墳4基? 郷ヶ平古墳群 (静岡県浜松市北区都田町字郷ヶ平16-2)
静岡県浜松市北区都田町(みやこだちょう)の郷ヶ平古墳群(ごうがひらこふんぐん)は、天竜川右岸の三方原台地(みかたはらだいち)北縁部に築かれた、古墳時代中期(5世紀後半)から後期(6世紀中頃)の前方後円墳3基、円墳4基?で構成。形象埴輪(けいしょうはにわ)の人物埴輪(じん
静岡県埋蔵文化財センター巡回展『しずおかの遺跡 にし・ひがし ~近年の発掘成果から~』 静岡市立登呂博物館 (静岡県静岡市駿河区登呂5-10-5)
静岡県静岡市駿河区登呂(とろ)の国指定特別史跡 登呂遺跡(とろいせき)は、静岡平野に立地する弥生時代後期(約1,900年前、1世紀頃)のムラ(集落)です。周辺は登呂公園として史跡整備され、小さな区画に区切られた弥生時代の水田と、復元住居・高床式倉庫が並んだムラを再現し
平安時代末期から鎌倉時代 儀式が行なわれた 庭園の池 市指定史跡 宮下遺跡 現地説明会 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部4439他)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部(さかべ)の市指定史跡 宮下遺跡(みやしたいせき)は、発掘調査で中世前期(平安時代末期(11世紀末)から鎌倉時代初期(13世紀前半))の、県内最大規模の園池(えんち、庭園の池)が見つかりました。園池は、南北35m・東西20m以上・深さ1.7m。池
日本最古の墨書六角卒塔婆,呪符木簡,墨書土器,木橋橋脚 平安時代から鎌倉時代の柱穴内礎石建物群 市指定史跡 宮下遺跡 現地説明会 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部4439他)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部(さかべ)の市指定史跡 宮下遺跡(みやしたいせき)で、平安時代末期(11世紀末)から鎌倉時代初期(13世紀前半)にかけての、県内最大規模の柱穴内礎石(ちゅうけつないそせき)建物群が見つかりました。柱穴内礎石建物とは、柱を建てる穴の中に
太平洋戦争中 大井海軍航空隊に送水 軍用水道の木造ポンプ所 大井上水道企業団 金谷水源地 (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷東1丁目1255-2)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷東(かなやあずま)1丁目の大井上水道企業団 金谷水源地には、軍用水道の木造ポンプ所がありました。昭和16年(1941年)頃、牧ノ原(牧之原)台地の大井海軍航空隊に大井川の伏流水を送水するため建設されたものです。軍用水道の木造ポンプ所
奈良時代(8世紀) 古代寺院跡(廃寺) 楠木遺跡 発掘調査 現地説明会 (静岡県浜松市北区三ヶ日町(旧引佐郡三ケ日町)岡本)
静岡県浜松市北区三ヶ日町(旧引佐郡三ケ日町)岡本(みっかびちょう おかもと)の楠木遺跡(くすぎいせき)は、奈良時代(8世紀)の古代寺院跡(廃寺)だと考えられています。発掘調査では、医王寺廃寺跡(愛知県豊川市(旧小坂井町))の瓦に類似した文様(もんよう)の「細弁蓮華文軒丸
古墳の出土品,市指定文化財の木喰仏と大絵馬 企画展『高草山周辺の文化遺産』焼津市歴史民俗資料館 (静岡県焼津市三ケ名1550)
静岡県焼津市三ケ名(さんがみょう)の焼津市文化センター2階にある焼津市歴史民俗資料館で、企画展『高草山周辺の文化遺産』を開催。奥屋敷1号墳(猪之谷神社古墳)の六鈴鏡(ろくれいきょう)、筧沢(ひよさわ)1号墳の銀象嵌円頭大刀柄頭(ぎんぞうがんえんとうたちつかがしら)、
遺跡,古墳から出土した土器,埴輪,銅鏡 文化財課企画展『大発見!いわたの考古学~結構すごいぞ!発掘調査~』磐田市立中央図書館 (静岡県磐田市見付3599‐5)
静岡県磐田市見付(みつけ)の磐田市立中央図書館1階展示室で、文化財課企画展『大発見!いわたの考古学~結構すごいぞ!発掘調査~』を開催。弥生時代後期(2世紀頃)の敷地1号銅鐸(しきじいちごうどうたく)レプリカ、古墳時代中期(5世紀)の県内最大級の前方後円墳 堂山古墳出
県指定文化財 三角縁四神四獣鏡が出土 古墳時代前期(3~4世紀)の前方後円墳 経塚古墳(連城寺8号墳) (静岡県磐田市新貝字子犬間添)
静岡県磐田市新貝(しんがい)の経塚古墳(きょうづかこふん)は、曹洞宗 三白山 連城寺(れんじょうじ)の南側にあった古墳時代前期(3世紀後半頃から4世紀初め頃)の前方後円墳です。全長約90m・後円部径約54m・南南東向きの前方部を有する前方後円墳でしたが、明治18年(1885年)
埴輪,短甲,三角縁神獣鏡など古墳の出土品「磐田市合併10周年記念 平成27年度 文化財課企画展『大磐田展 -古墳からのメッセージ-』」磐田市立中央図書館 (静岡県磐田市見付3599‐5)
静岡県磐田市見付(みつけ)の磐田市立中央図書館1階展示室で、「磐田市合併10周年記念 平成27年度 文化財課企画展『大磐田展 -古墳からのメッセージ-』」を開催。磐田市内の古墳から出土した、武器・武具・馬具・埴輪(はにわ)・装身具・三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅ
古墳時代の人骨,弥生時代の土器棺,旧石器時代のペンダント 企画展『平成24年度 静岡県埋蔵文化財センター 発掘調査速報展』静岡市立登呂博物館 (静岡県静岡市駿河区登呂5-10-5)
静岡県静岡市駿河区登呂(とろ)の国指定特別史跡 登呂遺跡(とろいせき)は、静岡平野に立地する弥生時代後期(約1,900年前、1世紀頃)のムラ(集落)です。周辺は登呂公園として史跡整備され、出土品を展示する静岡市立登呂博物館があります。登呂博物館1階の情報・映像コーナー
戦国時代の軍船 安宅船の模型,城跡の出土品 沼津市文化財センター展示室 パート6 (静岡県沼津市)
静岡県沼津市の沼津市文化財センターは、市内の遺跡・古墳からの出土品(石器、土器、埴輪(はにわ)、銅鏡(どうきょう)、勾玉(まがたま)、木製品など)を展示公開しています。沼津市内では、旧石器時代の約3万2千年前に愛鷹山麓(あしたかさんろく)で暮らしはじめた人たちがい
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静岡県焼津市石脇下(いしわきしも)の谷山古墳群(たにやまこふんぐん)は、高草山(たかくさやま)登山口付近に分布する円墳31基以上で構成されています。谷山1号墳(高崎11号墳)は、昭和40年代前半に発掘調査された、古墳時代中期(5世紀)の築造と考えられる直径17mの円墳。多く
静岡県掛川市下西郷(しもさいごう)の天王山古墳群(てんのうざんこふんぐん)は、龍尾神社(たつおじんじゃ)境内と南側にかけての古墳5基(前方後円墳あるいは円墳の1基(1号墳)、円墳4基)で構成されています。天王山1・2号墳は、平野部との比高差23~25mの丘陵上に鎮座する龍尾
静岡県浜松市浜名区三ヶ日町(旧引佐郡三ケ日町)三ヶ日(みっかび)の殿畑遺跡(とのばたいせき)は、縄文時代晩期から弥生時代の遺跡です。遺跡の規模は東西約110m・南北約80mの範囲で、低い段丘の西縁から直下の沖積地にかけて広がっています。昭和35年(1960年)、耕地整理事業
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の幡室遺跡(はたむろいせき)は、弥生時代後期・古墳・奈良・鎌倉時代の集落跡です。新野川左岸(東側)に位置する、幡室神社(御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野字大明神3808‐2)境内と西側の水田に遺跡が広がっています。1999・2000年
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の「勝田井の口遺跡」(かつたいのくちいせき)は、勝間田川(かつまたがわ)中流右岸の埋没した河岸段丘(標高26~27m)に立地する、縄文時代後期後半~晩期前半・古墳時代前期・中世の複合遺跡です。石鏃(せきぞく)の完成品・未完成
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)横岡(よこおか)の観勝寺遺跡(かんしょうじいせき)は、鎌倉時代(13世紀頃)の遺跡です。大井川右岸の河岸段丘 城之壇(しろのだん)に位置する、曹洞宗 飯盛山 観勝寺東側の茶園が遺跡の範囲。鎌倉時代(13世紀頃)の、山茶碗 小皿(やまぢゃわん こ
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)横岡(よこおか)の宮ノ段遺跡(みやのだんいせき)は、大井川右岸の河岸段丘「宮の段」にある縄文時代と中世の複合遺跡です。遺跡は、横岡八幡神社(よこおかはちまんじんじゃ)の境内周辺にひろがっています。表採されている遺物は、縄文時代の石
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の掛川市立中央図書館 1階生涯学習ホールで、「掛川藩の文化展・大庭松風(おおば しょうふう)の世界」を開催。大庭松風は、掛川藩下俣(しもまた)町の名主(庄屋)を代々務めた大庭家の9代目当主で、掛川藩の御用商人(ごようしょうにん)です。江戸
静岡県静岡市清水区(旧清水市)宮加三(みやかみ)の市指定史跡 清水天王山遺跡(しみずてんのうざんいせき)は、縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡です。縄文時代後期・晩期の集落で、発掘調査では平地式住居跡3軒、集石墓、貯蔵穴などが見つかっています。静岡県中部を
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部(さかべ)の前玉原遺跡(さいたまはらいせき)は、前玉原と呼ばれる丘陵(標高約30~32m付近)上に所在する縄文時代の遺跡です。遺物は、石器(石鏃(せきぞく)、石錘(せきすい))、黒曜石(こくようせき)などが見つかっています。周辺には前玉原
静岡県焼津市西小川(小川字小深田)の小深田西遺跡(こふかだにしいせき)は、大井川水系によって形成された沖積地(大井川平野)の小川(こがわ)微高地上(標高約3m)に立地。弥生時代後期後半(3世紀前半)から古墳時代前期初頭(3世紀後半)にかけて集落遺跡で、発掘調査では竪穴式
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)下朝比奈(しもあさひな)誰政・南谷の南谷遺跡(みなみやいせき)は、弥生時代中期から古墳時代初頭を中心とする集落遺跡です。発掘調査では、弥生時代から江戸時代までの竪穴系平地式住居跡(たてあなけいへいちしきじゅうきょあと)・掘建柱建
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)半済(はんせい)の鹿島遺跡(かしまいせき)は、鹿島神社の東側に所在。発掘調査では、縄文時代中期(約4,000~5,000年前)の住居跡2軒を検出し、縄文土器、石斧、黒曜石が出土。東南の部分と町道から境内に入る道の辺りからは、奈良時代(8世紀)の
静岡県磐田市御殿(ごてん)・二之宮(にのみや)の御殿・二之宮遺跡(ごてん・にのみやいせき)は、磐田駅南側の南北約500m、東西約1100mの範囲の平野部(標高約2m)に広がる市内最大規模の遺跡です。北側は磐田原台地(いわたはらだいち)の南端で平坦面を形成する市街地化が進んだ
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の市指定史跡 妙昌寺経塚(みょうしょうじきょうづか)は、曹洞宗 海照山 妙昌寺境内に建立されています。別名は青池経塚。安土桃山時代の天正10年(1582年)、曹洞宗 日照山 円成寺(牧之原市細江)6世 伝室全鏡がこの地へ隠居した
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の祖父ヶ谷経塚(そふがやきょうづか)は、近世(江戸時代)の築造だと推測される経塚です。お経を扁平(へんぺい)な河原石に一文字づつ墨書(ぼくしょ)した、一字一石経(いちじいっせききょう)が出土。天災・飢饉(ききん)・疫病(えき
静岡県袋井市岡崎(おかざき)の衛門坂古窯跡(えもんざかこようせき)は、古墳時代中期末~後期(5世紀末~6世紀後半)に遠江(静岡県西部)最古級の須恵器・埴輪(はにわ)を焼いた窯跡です。衛門坂古窯跡の埴輪は、市内の大門大塚古墳・貫名地B2号墳に使われました。発掘調査では
静岡県島田市伊太(いた)の静居寺裏古窯(じょうこじうらこよう)は、奈良時代から平安時代にかけて土器を焼いた窯跡です。曹洞宗 青原山 静居寺(じょうこじ)裏側(北側)の歴代住職の無縫塔(むほうとう)が並ぶ墓地に、窯跡1基の一部が観察できます。静居寺は、室町時代末期(戦
静岡県榛原郡吉田町神戸(かんど)の曹洞宗 竜沢山 長源寺(ちょうげんじ)には、町指定文化財 長源寺の経塚(ちょうげんじのきょうづか)があります。江戸時代の寛政10年(1798年)9月、遠江国榛原郡前玉(さいたま)村(現在の牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部前玉)の本間代五郎が郷土
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)殿(との)の西ノ平経塚(にしのたいらきょうづか)は、中世(11世紀後半~16世紀後半)に土中へ経典(きょうてん)などを埋納した場所です。昭和5年(1930年)、前年に土採りした直径約4mの土盛りから和鏡(わきょう)15面、土器24点、鉄製品(太刀(
静岡県袋井市上山梨(かみやまなし)の曹洞宗 河跡山 用福寺には、平安時代初期の役人 橘逸勢(たちばな の はやなり)の供養塔(五輪塔)があります。橘逸勢は、嵯峨天皇・弘法大師とならんで日本三筆のひとりに数えられる書の達人で、隷書(れいしょ)を得意としていました。橘逸
静岡県袋井市高尾(たかお)の赤尾渋垂郡辺神社(あかおしぶたれこうりべじんじゃ、渋垂神社とも呼ばれる)境内には、第二次世界大戦(太平洋戦争)中に空襲に備えて掘られた、7基の防空壕(ぼうくうごう)があります。長年の間、近所の子供たちの遊び場となっていました。現在は入
静岡県島田市尾川(おがわ)の大津農村環境改善センター「山王」は、大津ふれあい祭りなどの地域イベント・会議や講座などが行われる、公民館的な文化コミュニティ施設です。縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸時代の複合遺跡である山王前遺跡(さんのうまえいせ
静岡県藤枝市横内(よこうち)の横内陣屋跡(よこうちじんやあと)は、江戸時代に美濃国岩村藩(岐阜県恵那市)の飛領地を支配した代官所跡です。江戸時代中期の享保20年(1735年)、幕府の老中となった美濃国岩村藩主 松平能登守乗賢(まつだいら のとのかみ のりたか)が1万石を加
静岡県静岡市清水区(旧清水市)折戸(おりど)の縁生坊古墳群(えんじょうぼうこふんぐん)は、「三保の松原」(みほのまつばら)で有名な三保半島に分布していた唯一の古墳群です。古墳時代後期後半(6世紀後半)~古墳時代終末期(7世紀)に築かれた、横穴式石室を有する円墳3基以上
静岡県静岡市清水区(旧清水市)尾羽(おばね)の東山田古窯跡群(ひがしやまだこようせきぐん)は、発掘調査で白鳳時代(7世紀後半)に創建された尾羽廃寺(おばねはいじ)の瓦を焼いた窯跡(瓦窯跡)4基と、須恵器の窯跡1基が見つかりました。窯跡は、東名高速道路と東山田窯跡公園に
静岡県菊川市(旧小笠町小笠町)高橋(たかはし)の虚空蔵堂横穴群(こくぞうどうよこあなぐん)は、虚空蔵山 福蔵院境内の丘陵斜面に掘られた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。静岡県内には、約3,000基の横穴墓が分布。菊川市の横穴墓は、古墳時代後期中頃(6世紀中頃)以降に
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)下内田(しもうちだ)の国指定史跡 高田大屋敷遺跡(たかだおおやしきいせき)は、周囲に土塁(南北93m、東西70m)を巡らせた中世の方形居館跡(ほうけいきょかんあと)です。上小笠川右岸の、沖積平野の自然堤防上(標高約11m)に立地。上小笠川の水運
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の掛川市立中央図書館 1階生涯学習ホールで、企画展『掛川三城ものがたり展』を開催。掛川市内の掛川城(かけがわじょう)、高天神城(たかてんじんじょう)、横須賀城(よこすかじょう)のジオラマ模型・出土品などの資料を展示した企画展です。企画
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の京見塚古墳群(きょうみづかこふんぐん)は、古墳時代後期後半(6世紀後半頃)から終末期(7世紀後半頃)に磐田原台地の西縁部へ築造された群集墳(ぐんしゅうふん)です。古墳13基(文献によっては14基)のうち、1基は調査前に消滅していました。京
静岡県島田市野田(のだ)の真言宗泉涌寺派 天正山 鵜田寺(うだじ)は、奈良時代の天平宝字2年(758年)に大井川で拾った薬師如来を安置したのが始まりと伝えられる市内最古の寺です。病気平癒・眼病平癒に御利益があるという本尊 木造薬師如来坐像(もくぞうやくしにょらいざぞ
静岡県島田市阪本(さかもと)の谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)は、牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀中頃)から終末期(7世紀)の群集墳です。牧之原台地は東洋最大の茶園が広がるお茶の産地で、谷口原古墳群の20基以上(200基説もあり)あった古墳の
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)中内田(なかうちだ)の杉森横穴群(すぎもりよこあなぐん)は、丘陵斜面に掘られた36基または37基の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)で構成されています。別名は「内田の横穴」です。静岡県内には、約3,000基の横穴墓が分布。菊川市の横穴墓は、古
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)大石(おおいし)の興勝寺横穴群(こうしょうじよこあなぐん)は、丘陵の南向きの崖に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。興勝寺1号横穴からは、須恵器が出土しています。静岡県内には約3,000基の横穴墓が分布しており、
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の京見塚古墳(きょうみづかこふん)は、古墳時代中期(5世紀中頃)の築造と推定される円墳です。規模は墳丘基底径47m、周溝(しゅうこう)底面からの高さ8.7m、周溝の幅9m。墳丘は2段築成で、上段墳丘裾から段築平面にかけて葺石(ふきいし)が見つ
静岡県磐田市三ケ野(みかの)の大日堂古墳(だいにちどうこふん)は、磐田原台地(いわたはらだいち)東端(標高約38m)の、東海道 三ケ野坂に所在する円墳です。円墳の墳丘には、大日如来(だいにちにょらい)を祀る大日堂が建てられています。三ケ野坂は、鎌倉・江戸・明治・大正
静岡県磐田市鎌田(かまだ)の松林山古墳(しょうりんざんこふん)は、国指定史跡 御厨古墳群(みくりやこふんぐん)を構成する大型古墳5基のひとつです。古墳時代前期(4世紀後半頃)の築造と考えられる前方後円墳で、全長約107m・前方部の推定幅約48m・前方部高さ約3m・後円部径
静岡県掛川市各和(かくわ)の各和金塚古墳(かくわかなつかこふん)は、古墳時代中期(5世紀初頭)に築かれた全長66.4mの前方後円墳です。掛川市各和・高田・吉岡地区に分布する有力な古墳5基(前方後円墳4基、円墳1基)で構成された、国指定史跡 和田岡古墳群に含まれています。
静岡県掛川市各和(かくわ)の各和金塚古墳(かくわかなつかこふん、かくわかなづかこふん)は、河岸段丘の東端に築かれた古墳時代中期(5世紀初頭)の前方後円墳です。掛川市各和(かくわ)・高田(たかだ)・吉岡(よしおか)地区の、原野谷川(はらのやがわ)が形成した河岸段丘上に分
静岡県掛川市高田(たかだ)の瓢塚古墳(ひさごづかこふん)は、古墳時代中期(5世紀前半頃)に築造された前方後円墳です。古墳の規模は、全長66m、後円部直径37.8m、後円部高さ5m、前方部高さ3.5m。前方部は南向きで、後円部の北東に幅7mの周溝(しゅうこう)があります。掛川市各