静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)上朝比奈(かみあさひな)の山ヶ谷古墳(やまがやこふん)は、明治時代の終わり頃 山林の茶園開墾中に三環鈴(さんかんれい)が出土しました。三環鈴はとても珍しい古墳時代中期(5世紀頃)の馬具で、これまでに県内では2例しか出土していません。山
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
市指定文化財 移築された掛川城主の茶室 東海道日坂宿 旅籠「川坂屋」 (静岡県掛川市日坂149‐1)
静岡県掛川市日坂(にっさか)は、江戸時代に東海道五十三次の25番目の宿場 日坂宿(にっさかしゅく)が整備されました。江戸時代の旅籠(はたご)「川坂屋」(かわざかや)には、移築された掛川城主 太田候の茶室が現存しています。この茶室は、江戸時代後期の文化2年(1805年)に掛
日本三筆のひとり 書の達人 平安時代の役人 橘逸勢(たちばな の はやなり)供養塔 曹洞宗 河跡山 用福寺 (静岡県袋井市上山梨815-1)
静岡県袋井市上山梨(かみやまなし)の曹洞宗 河跡山 用福寺には、平安時代初期の役人 橘逸勢(たちばな の はやなり)の供養塔(五輪塔)があります。橘逸勢は、嵯峨天皇・弘法大師とならんで日本三筆のひとりに数えられる書の達人で、隷書(れいしょ)を得意としていました。橘逸
市指定史跡 見付宿本陣 鈴木家・神谷家墓所と市指定天然記念物 イヌマキ 時宗 東福山 西光寺 (静岡県磐田市見付3353-1)
静岡県磐田市見付(みつけ)の時宗 東福山 西光寺(さいこうじ)は、鎌倉時代の文永2年(1265年)に真言宗の阿闍梨傾木(あじゃりけいぼく)和尚が創建。建治・弘安年間(1280年前後)、時宗の開祖 証誠大師一遍上人(しょうじょうだいしいっぺんしょうにん)がこの地を訪れて、時宗の
江戸時代 東海道 日坂宿 素泊まりの庶民旅籠 「萬屋」 (静岡県掛川市日坂)
静岡県掛川市日坂(にっさか)は、江戸時代に東海道五十三次の25番目の宿場 日坂宿(にっさかしゅく)が整備されました。現存する江戸時代の旅籠(はたご)や商家などは一般公開され、ウォーキングコースとして人気があります。「川坂屋」(かわざかや)は、士分格(武士)などが宿泊
国指定重要文化財の大講堂 明治時代の木造建物群 二宮金次郎の報徳思想 大日本報徳社 (静岡県掛川市掛川1176)
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の公益社団法人 大日本報徳社(だいにっぽんほうとくしゃ)は、二宮金次郎(にのみや きんじろう、二宮尊徳(にのみや たかのり(そんとく)と改名)の報徳思想(ほうとくしそう)を伝承する大本山(本社)です。現存する国内最古の公会堂の国指定重要文化
徳川家康の砦に建立された五輪塔,宝篋印塔 三井山砦本曲輪の石塔群 (静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)大坂)
静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)大坂(おおさか)の三井山砦(みついざんとりで)は、室町時代末期(安土桃山時代)の天正7年(1579年)に徳川家康の家臣 酒井与四郎重忠(さかい よしろう しげただ)が、武田軍の高天神城を包囲する六砦のひとつとして築いたとされています。実際には
日本初の郵便局 東海道 日坂宿 江戸時代末期の商家「藤文」 (静岡県掛川市日坂)
静岡県掛川市日坂(にっさか)は、江戸時代に東海道五十三次の25番目の宿場 日坂宿(にっさかしゅく)が整備されました。現存する江戸時代の旅籠(はたご)や商家などは一般公開され、ウォーキングコースとして人気があります。商家「藤文」(ふじぶん)は、江戸時代末期(幕末)の万
古墳時代前期(4世紀) 銅鏡が出土した小首長墓 小深田西古墳群 (静岡県焼津市西小川(小川字小深田))
静岡県焼津市西小川(小川字小深田)の小深田西古墳群(こふかだにしこふんぐん)は、古墳時代前期前半(4世紀前半頃)の築造と考えられる方墳5基(4基?)で構成されています。大井川水系によって形成された、沖積地(大井川平野)の小川(こがわ)微高地上(標高約3m)に立地。昭和57年
太平洋戦争で掘られた防空壕? 千手観音堂の謎の穴 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田伏方)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の千手観音堂横の崖には、謎の素掘りの穴があります。古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)なのか、貯蔵穴あるいは太平洋戦争中に掘られた防空壕(ぼうくうごう)?横穴墓は多数の穴が密集しているの
たこ焼きみたいな謎の円墳 ネット初公開 棚草古墳(仮) (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)棚草)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)棚草(たなくさ)・赤土(あかつち)地区は、丘陵の尾根上に古墳群、丘陵斜面には横穴群(よこあなぐん)が多数築かれた地域です。今回紹介する菊川市(旧小笠郡小笠町)棚草の棚草古墳(仮)は、円墳だと考えられていますが正式名称も不明。曹洞宗 龍昌
古墳時代後期(6世紀)から奈良時代(8世紀) 総数26基の横穴墓 寺ノ谷横穴群(五丁横穴,八丁田横穴) (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)川上字五丁)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)川上(かわかみ)の寺ノ谷横穴群(てらのやよこあなぐん)は、古墳時代後期中頃(6世紀中頃)以降に築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。菊川(きくがわ)の支流 丹野川(たんのがわ)流域では最も密集する横穴群で、寺ノ谷丘陵の南向きから西
横穴式石室から箱形石棺が見つかった円墳 ネット初公開 代之谷古墳 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)川上字代之谷 八幡神社境内)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)川上(かわかみ)の代之谷古墳(だいのやこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。八幡神社境内に単独で所在する古墳で、箱形石棺が見つかっています。代之谷古墳
太平洋戦争中に掘られた 春日神社東側の防空壕3基 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)棚草)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)棚草(たなくさ)の春日神社東側には、3基の防空壕(ぼうくうごう)が残存しています。菊川市は、穴を掘るのに適した岩盤が広がる地域です。丘陵斜面や山裾には、古墳時代後期から奈良時代にかけて多くの横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)が築かれま
太平洋戦争中に切られた御神木の巨木 市指定天然記念物 月見里神社のクス (静岡県藤枝市藤枝3-10-9)
静岡県藤枝市藤枝(ふじえだ)の月見里神社(やまなしじんじゃ)は、江戸時代の東海道 藤枝宿の裏手に鎮座。月見里と書いて、「やまなし」(=山が無く月が見える里)と読みます。御神木は市指定天然記念物のクスで、推定樹齢300年以上の巨木です。太平洋戦争中に空襲の目標とな
古墳時代の玉砥石? 史跡「鬼かき石」 高野山真言宗 楞巌山 鬼岩寺 (静岡県藤枝市藤枝3-16-14)
静岡県藤枝市藤枝(ふじえだ)の高野山真言宗 楊厳山 鬼岩寺(りょうごんざん きがんじ)は、奈良時代の神亀3年(726年)に行基(ぎょうき)が本尊 聖観世音菩薩を彫り、お堂を建立して祀ったのが始まりとされています。平安時代に弘法大師 空海(こうぼうだいし くうかい)が、この
戦国時代 花倉の乱で今川義元に敗れ20歳で自害 玄広恵探(今川良真)の墓 (静岡県藤枝市本郷)
静岡県藤枝市本郷(ほんごう)の「藤の瀬会館」の北北東に位置する旧普門寺跡には、20歳で自害した今川義元(いまがわ よしもと)の異母兄 玄広恵探(げんこう えたん、今川良真(いまがわ ながさね)を名乗ったとする説あり)の墓があります。戦国時代(室町時代後期)の天文5年(15
江戸時代 田中藩が庄屋 石上清兵衛を処刑 茶屋河原刑場跡の清兵衛地蔵 (静岡県藤枝市高柳1-21-41地先)
静岡県藤枝市高柳(たかやなぎ)の茶屋河原刑場跡(ちゃやがわらけいじょうあと)には、義農 石上清兵衛(いしがみ せいべえ)を供養するため清兵衛地蔵が祀られています。江戸時代前期の元禄5年3月4日(1692年4月19日)、田中藩の代官に年貢の減免を願い出た高柳の庄屋 石上清兵衛
太平洋戦争 米軍爆撃機B-29の空襲で町長ら10名が死亡 藤枝町役場の防空壕跡「殉職の碑」 (静岡県藤枝市藤枝5-3-20 藤枝市シルバー人材センター駐車場)
静岡県藤枝市藤枝の「藤枝市シルバー人材センター」は、藤枝町役場跡地です。駐車場の「殉職の碑(じゅんしょくのひ)」は、太平洋戦争中に防空壕があった場所に建てられています。昭和20年(1945年)1月9日、空襲で飛来した米軍のB‐29爆撃機1機が、4~5発の爆弾を投下。1発の
江戸時代末期(幕末)に建立 市指定文化財 長谷川家長屋門 (静岡県島田市落合824)
静岡県島田市落合(おちあい)の市指定文化財 長谷川家長屋門(はせがわけながやもん)は、江戸時代末期(幕末)の元治元年(1864年)に建立されました。安土桃山時代の天正18年(1590年)頃、徳川家康が豊臣秀吉から在京賄料の一部として与えられた島田周辺の2000石を管理をするため
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静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)上朝比奈(かみあさひな)の山ヶ谷古墳(やまがやこふん)は、明治時代の終わり頃 山林の茶園開墾中に三環鈴(さんかんれい)が出土しました。三環鈴はとても珍しい古墳時代中期(5世紀頃)の馬具で、これまでに県内では2例しか出土していません。山
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)門屋(かどや)の石田横穴群(いしだよこあなぐん)は、臨済宗妙心寺派 天寿山 長永寺周辺の丘陵に築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)2基で構成。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝間(かつま)の法士古墳(ほうじこふん)は、丘陵上に築かれた円墳です。昭和37年(1962年)、茶園改植で成長の悪い茶樹の下を深さ30~40㎝掘ったところ、土師器 高坏(たかつき)と直刀(ちょくとう)が見つかりました。直刀は長さ104㎝・柄(つか)
静岡県掛川市細谷(ほそや)の枕田古墳群(まくらだこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる円墳2基で構成されています。掛川球場南側の丘陵に、権田ヶ谷古墳群(ごんだがやこふんぐん)と枕田古墳群が分布。枕田古墳群
静岡県掛川市岡津(おかつ)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、静岡県の重要遺跡とされている謎の円墳です。文献によっては、庚甲塚古墳となっています。庚申塚古墳
静岡県磐田市匂坂新(さぎさかしん)の欠山古墳群(かけやまこふんぐん)は、天竜川左岸(東岸)の磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)・後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)の古墳6基(前方後円墳1基、円墳5基)で構成。欠山1号墳は、
静岡県島田市元島田(阿知ケ谷・御仮屋・松葉町)の白岩寺古墳群(はくがんじこふんぐん)は、白岩寺山(標高約160m)中腹の南側から南西側にかけての斜面に分布。密集した古墳20数基で構成される後期群集墳です。発掘調査が行われた白岩寺1~4号墳は、古墳時代後期(6世紀)に築造
静岡県島田市川根町(旧榛原郡川根町)笹間下(ささましも)の馬場平経塚(ばばだいらきょうづか)は、昭和60年(1985年)の道路建設の際に発見されました。24,520個の扁平(へんぺい)な河原石の経石(きょういし、きょうせき)が出土し、そのうちの10,086個の石に墨書(ぼくしょ)され
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)・手越(てごし)の金山古墳群(かなやまこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀後半)から終末期(7世紀)に築かれた、横穴式石室を有する円墳6基以上で構成。南北に細長い丘陵(金山)の、日蓮宗 照永山 妙音寺の境内と南側に続く尾根に分布し
静岡県焼津市栄町・焼津(塩津・道下・道添)の塩津古墳群(しおつこふんぐん)は、大井川水系が形成した沖積平野(ちゅうせきへいや)の焼津微高地上に分布。焼津東小学校周辺から焼津郵便局周辺にかけて埋没していた、古墳時代後期(6世紀中葉)から終末期(7世紀)の古墳7基(道下
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の岡部宿(おかべしゅく)は、東海道五十三次の21番目の宿場です。岡部宿北側の岩鼻山(西行山)中腹には、平安時代末期から鎌倉時代初期の歌僧として有名な西行(さいぎょう)法師ゆかりの「笠懸けの松・西住墓(かさかけのまつ・
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の榛原公園(はいばらこうえん)は、龍眼山城跡(りゅうげんざんじょうあと)です。龍眼山(標高76m)の山頂付近に築かれた平山城(ひらやまじろ、ひらやまじょう)で、遺構は曲輪(くるわ)・土塁(どるい)・堀切(ほりきり)。戦国時代、
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の松雲寺古墳群(しょううんじこふんぐん)は、曹洞宗 西河山 松雲寺の境内と周辺に築かれた円墳6基で構成されています。少なくとも円墳5基は、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する古墳です。発掘調査では、須恵器、大刀(た
静岡県静岡市清水区(旧清水市)谷津町(やつちょう)の沢入古墳(さわいりこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。所在地不明として記録されている、陣ヶ堂古墳だと考えられています。陣ヶ堂古墳は、鉄刀(てっとう)と土師器 𤭯(はそう)が出
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)下朝比奈(しもあさひな)誰政・南谷の南谷遺跡(みなみやいせき)は、弥生時代中期から古墳時代初頭を中心とする集落遺跡です。発掘調査では、弥生時代から江戸時代までの竪穴系平地式住居跡(たてあなけいへいちしきじゅうきょあと)・掘建柱建
静岡県掛川市岡津(おかつ)の奥ノ原古墳(おくのはらこふん)は、現在は茶園が広がる段丘上に築かれた円墳です。古墳時代中期・後期(5~6世紀)頃の銅鏡(画文帯同向式神獣鏡)が出土しており、東京国立博物館に所蔵されています。奥ノ原古墳跡
静岡県掛川市下西郷(しもさいごう)の原新田古墳(はらしんでんこふん)は、古墳時代後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)以降の築造と考えられている前方後円墳です。昭和61年(1986年)、市教育委員会が調査を実施。前方後円墳なのに、なぜか知られていません。原新田古墳
静岡県掛川市上西郷(かみさいごう)の屯倉古墳群(みやけこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀)以降の築造と考えられる円墳3基で構成されています。五社神社境内に分布していますが、詳細不明の古墳群です。屯倉古墳群
静岡県掛川市佐夜鹿(さよしか)の「小夜の中山公園」(さよのなかやまこうえん)には、灰になった経典を埋めたと伝えられる5基の経塚(京塚)があります。小夜の中山(佐夜の中山)は、旧東海道 金谷宿(かなやしゅく)と日坂宿(にっさかしゅく)の間にある峠道で、ウォーキングコー
静岡県焼津市策牛(むちうし)の上屋敷古墳群(かみやしきこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築造された横穴式石室を有する円墳4基で構成されています。静岡県道213号 焼津岡部線(高草街道)東側の丘陵に3基、西側に1基の古墳が分布。上屋敷古墳群
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の釜原城跡(かまっぱらじょうあと)は、菊川市(旧小笠郡小笠町)との境界付近の丘陵(標高66m)に築かれた連郭式(れんかくしき)の平山城(ひらやまじょう)です。昭和47年(1972年)に廃寺となった山田ケ谷の曹洞宗 聖道寺(しょうどうじ
静岡県静岡市駿河区有東(うとう)の有東砦(うとうとりで)は、室町時代中期頃(戦国時代)に駿河今川氏の家臣 福島氏が、今川駿府館の支城砦として独立丘陵の有東山(標高35.4m)に築きました。室町時代後期(戦国時代)の天文10年(1541年)、甲斐(山梨県)の守護大名・戦国大名 武
静岡県静岡市葵区大岩本町(おおいわほんちょう)の臨済宗妙心寺派 花屋山 富春院(ふしゅんいん)には、今川義元公慰霊塔(今川義元の墓)があります。境内の地蔵堂は、今川義元ゆかりの伝説がある墨崎延命地蔵尊(高さ約80cm)を祀る駿河一国百地蔵尊 第52番札所です。今川義元公
静岡県藤枝市立花(たちばな)の郡遺跡(こおりいせき)は、弥生時代から平安時代までを中心とする複合遺跡です。律令期(奈良・平安時代)には、駿河国益頭郡(するがのくに ましずぐん)の郡役所 益頭郡衙(ましずぐんが)が置かれていたと考えられています。出土した弥生時代の高
静岡県藤枝市南新屋(みなみあらや)の秋合遺跡(あきあいいせき、あきあわせいせき)は、国指定史跡 志太郡衙跡(しだぐんがあと、御子ヶ谷遺跡(みこがやいせき))に隣接する奈良・平安時代の遺跡です。発掘調査で見つかった井戸跡が、青島北地区交流センター「にこにこ広場」に
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の十石坂観音堂(じっこくざかかんのんどう)には、市指定文化財の河野蓀園碑文(こうの そんえん ひぶん)があります。江戸時代後期の文化8年(1811年)3月、駿府町奉行 服部久右門貞勝(はっとり きゅうえもん さだかつ)が『駿河
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の庵原城(いはらじょう)は、戦国時代に今川氏の重臣 庵原氏が築城したといわれています。別名は城山(しろやま)、庵原山城(いはらやまじょう)。新東名(第二東名)高速道路建設のため、庵原城跡の南側半分で発掘調査が行われまし
静岡県静岡市清水区(旧清水市)尾羽(おばね)の尾羽廃寺跡(おばねはいじあと)は、広義の飛鳥時代(592~710年)のうちの後半に相当する白鳳時代(7世紀後半)に建てられた寺院跡です。金堂跡(こんどうあと)・講堂跡(こうどうあと)・中門跡(ちゅうもんあと)などの遺構が発見され、
静岡県御前崎市(おまえざきし)は、離島を除き県内最南端の岬「御前崎」がある海の街として有名です。地名の由来は、御厩崎(うまやざき)から転化したという説があります。平安時代中期に編纂された古代法典『延喜式』(えんぎしき)には、白羽官牧(しろわのかんまき)が置かれ
静岡県島田市波田(はだ)の立石稲荷(たていしいなり)は、岩陰(いわかげ)に稲荷社(いなりしゃ)が祀られた磐座(いわくら、神が降臨する場所とされる巨岩)です。「波田のお稲荷さん」とも呼ばれ、商売繁盛・大漁祈願・家内安全などに御利益があるとされています。御神体(ごしん
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の祖父ヶ谷経塚(そふがやきょうづか)は、近世(江戸時代)の築造だと推測される経塚です。お経を扁平(へんぺい)な河原石に一文字づつ墨書(ぼくしょ)した、一字一石経(いちじいっせききょう)が出土。天災・飢饉(ききん)・疫病(えき
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江(おおえ)の臨済宗妙心寺派 吸江山 平田寺(きゅうこうざん へいでんじ)は、鎌倉時代の弘安6年(1283年)に龍峯宏雲(りゅうほう こううん)が開きました。平田寺の裏山には、西国三十三番観音霊場札所巡りにならったミニ巡礼コースがあります
静岡県島田市阪本(さかもと)の曹洞宗 京満山 法林寺は、旧幕臣の伊佐新次郎峯(岑)満(いさ しんじろう みねみつ)の墓所です。幕末の安政3年(1856年)、タウゼント・ハリスがアメリカ駐日総領事として来日し、曹洞宗 瑞龍山 玉泉寺(静岡県下田市柿崎)にアメリカ総領事館を開
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の市指定史跡 妙昌寺経塚(みょうしょうじきょうづか)は、曹洞宗 海照山 妙昌寺境内に建立されています。別名は青池経塚。安土桃山時代の天正10年(1582年)、曹洞宗 日照山 円成寺(牧之原市細江)6世 伝室全鏡がこの地へ隠居した
静岡県島田市阿知ケ谷(あちがや)の東山南古墳群(ひがしやまみなみこふんぐん)は、天満天神社北側の山林(標高約90~110m付近)に分布する20基以上(23基?、25基?)の円墳で構成。『静岡県史』には、天神山古墳として記載。未調査ですが、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横
静岡県島田市阪本(さかもと)の谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)は、牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀中頃)から終末期(7世紀)の群集墳です。牧之原台地は東洋最大の茶園が広がるお茶の産地で、谷口原古墳群の20基以上(200基説もあり)あった古墳の
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の伏方古墳(ふせかたこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。 牧之原市の古墳の多くは茶園の開墾で消滅しており、旧榛原町では唯一未発掘の石室だといわれています。 羨道は破壊されているよ
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の県指定文化財 淡山翁記念報徳図書館(たんざんおうきねんほうとくとしょかん)は、明治8年(1875年)設立の遠江国報徳社(明治44年(1924年)に大日本報徳社と改称) 2代目社長の岡田良一郎(淡山)の功績をたたえて、昭和2年(1927年)に建てられました。
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の侭山古墳群(ままやまこふんぐん)は、坂口谷川右岸(西岸)の低段丘上に築かれた、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する円墳3基以上で構成されています。文献によっては、儘山古墳群(ままやまこふんぐん)と表記。唯一墳
静岡県藤枝市志太(しだ)の五州岳古墳(ごしゅうだけこふん)は、古墳時代中期(5世紀前半)の円墳です。瀬戸川右岸の五州岳と呼ばれる、丘陵の山頂(海抜110.4m)に単独で築かれています。墳丘の規模は、直径約27m、墳頂部径約18m、墳丘高さ約2.7mです。五州岳古墳