静岡県島田市船木(ふなき)の新ノ宮古墳群(しんのみやこふんぐん)は、円墳6基で構成。新ノ宮2~6号墳は、昭和45年(1970年)頃に茶園開墾で消滅しました。唯一墳丘が残る新ノ宮1号墳は、直径21.3m、高さ2.1mの円墳です。墳頂に稲荷社(いなりしゃ)の祠(ほこら)が祀(まつ)られ、
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
初代島田代官 長谷川藤兵衛長盛が居を構えた 島田代官屋敷跡 (静岡県島田市野田 島田北幼稚園付近)
静岡県島田市野田(のだ)の島田代官屋敷跡(しまだだいかんやしきあと)は、島田北幼稚園付近の南北約156m、東西約146mの範囲と推定されます。安土桃山時代の天正年間(1573~1592年)、初代島田代官 長谷川藤兵衛長盛は大草(島田市大草)の上反方(かみたんぽう)の丘に居を構えて
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳? 釣月寺古墳 (静岡県島田市野田)
静岡県島田市野田(のだ)の釣月寺古墳(ちょうげつじこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳?です。曹洞宗 野田山 釣月寺北側墓地下の、竹林の傾斜地に所在。島田市大津地区(旧志太郡大津村)の古墳約60基を大津古墳群(おおつこふんぐん)と総
庚申塔が建てられた未発掘の円墳 ネット初公開 庚申塚古墳 (静岡県島田市船木岡田原)
静岡県島田市船木(ふなき)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、墳頂に庚申塔(こうしんとう)が建てられた未発掘の円墳です。単独で築かれた中規模の円墳で、主体部(埋葬施設)は石室以前の木棺直葬(もっかんじきそう、もっかんちょくそう)の可能性があります。主体部(埋葬施
平安時代の役所跡または倉庫跡 大津御厨の関連遺跡 ネット初公開 居倉遺跡 (静岡県島田市野田 大津谷川の供方橋上流)
静岡県島田市野田(のだ)の居倉遺跡(いくらいせき、いぐらいせき)は、平安時代(10世紀頃)から江戸時代にかけての複合遺跡です。「大津」と墨書(ぼくしょ)された木簡(もっかん)が見つかった事から、大津御厨(おおつのみくりや)の関連遺跡と考えられます。大津御厨は、平安時
南北朝時代の武将 佐竹兵庫助が築いた大津城跡? 中世の山城 野田城跡 (静岡県島田市野田字城山,供方)
静岡県島田市野田(のだ)の野田城跡(のだじょうあと)は、標高153mの城山(じょうやま)に築かれた中世の山城です。別名は、野田の城山(のだのじょうやま)。『駿河伊達家文書』(京都大学図書館所蔵)に記されている、南北朝時代(室町時代初期)の観応2年(1351年)に足利直義(あし
南北朝時代 駿河今川氏の城 今川城跡(大津城跡?) (静岡県島田市大草767 真言宗泉涌寺派 祥雲山 慶寿寺)
静岡県島田市大草(おおくさ)の真言宗泉涌寺派 祥雲山 慶寿寺(けいじゅじ)は、南北朝時代の興国6年(1345年)に駿河今川氏2代目当主 今川範氏(いまがわ のりうじ)が京都から南江和尚を招き創建されました。慶寿寺周辺は今川城跡(いまがわじょうあと)で、『駿河伊達家文書』(京
室町時代(戦国時代) 今川氏の家督争い「花倉の乱」の舞台 市指定史跡 花倉城跡 (静岡県藤枝市花倉勝り谷)
静岡県藤枝市花倉(はなぐら)の花倉城(はなぐらじょう)は、室町時代初期の文和元年(1352年)に葉梨荘(はなししょう)へ拠点を移した駿河今川氏第2代当主 今川範氏(いまがわ のりうじ)が、居館の詰城(つめじょう)として築城したと考えられています。別名は、花蔵城、葉梨城です
伊勢盛時(北条早雲),今川氏,武田氏,徳川家康の城 国指定史跡 興国寺城跡 (静岡県沼津市根古屋古城)
静岡県沼津市根古屋(ねごや)の国指定史跡 興国寺城跡(こうこくじじょうあと)は、伊勢盛時(いせ もりとき、伊勢宗瑞(いせ そうずい)、伊勢新九郎長氏(いせ しんくろう ながうじ)、北条早雲(ほうじょう そううん))の旗揚げの城として有名です。曲輪(くるわ)、土塁(どるい)、
明治時代の宣教師の家 市指定文化財 旧エンバーソン住宅 (静岡県静岡市駿河区池田2864‐52 池田自然公園内)
静岡県静岡市駿河区池田(いけだ)の市指定文化財 旧エンバーソン住宅(旧エンバーソン邸)は、明治36年(1903年)に宣教師館として静岡市西草深町に建設がはじまり翌年完成しました。下見板張(したみいたばり)の外壁を採用した、木造2階建ての寄棟造(よせむねづくり)の西洋建築
全長約40mの帆立貝式前方後円墳? 市指定史跡 諏訪神社古墳(宮川4号墳) 宮川古墳群 (静岡県静岡市駿河区大谷字宮川 諏訪神社)
静岡県静岡市駿河区大谷(おおや)の宮川古墳群(みやがわこふんぐん)は、7基の古墳で構成され別名は「七ツヤグラ」です。市指定史跡 諏訪神社古墳(宮川4号墳)が、諏訪神社境内に唯一残存。古墳時代中期(5世紀頃)~後期(6世紀前半頃)の築造と推測される、直径約30m・高さ5mの
豪族 有度郡牛麻呂の墓? 八幡山古墳群 (静岡県静岡市駿河区八幡山1-1 八幡神社,八幡山公園)
静岡県静岡市駿河区八幡山(やはたやま)の八幡山古墳群(やはたやまこふんぐん)は、静岡平野の独立丘陵 八幡山(標高63m)の尾根と南向き斜面に分布しています。八幡山1号墳(八幡山山頂古墳)は、古墳時代中期(5世紀頃)から後期前半(5世紀末頃から6世紀前半頃)に築かれた直径約
古墳時代後期~終末期(6~7世紀) 円墳4基,方墳1基,横穴式石室墳2基 ネット初公開 楠ヶ沢古墳群 (静岡県静岡市駿河区向敷地字楠ヶ沢)
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の楠ヶ沢古墳群(くすがさわこふんぐん)は、古墳時代後期中葉(6世紀中頃)~終末期(7世紀頃)にかけて築かれました。方墳1基、円墳4基、墳丘がほとんど無い横穴式石室墳(よこあなしきせきしつふん)2基で構成されています。楠ヶ沢古墳群
木簡が出土 奈良時代から平安時代の古代東海道 曲金北遺跡 (静岡県静岡市駿河区曲金 JR東静岡駅南口~グランシップ北側周辺)
静岡県静岡市駿河区曲金(まがりかね)の曲金北遺跡(まがりかねきたいせき)は、奈良時代から平安時代前半(8世紀初め頃~10世紀初め頃)の古代東海道です。平成6年(1994年)、JR東静岡駅南口の県立複合文化施設グランシップ建設に伴う発掘調査を実施。長さ約350mにわたって、両
今川氏,太田道灌,北条早雲,武田信玄,徳川家康が支配 八幡山城 (静岡県静岡市駿河区八幡山)
静岡県静岡市駿河区八幡山(やはたやま)の八幡山城(やはたやまじょう)は、静岡平野の独立丘陵 八幡山(標高63m)に所在。室町時代の応永18年(1411年)頃、駿河守護の駿河今川氏4代目当主 今川範政(いまがわ のりまさ)が、駿府(静岡市)防衛のため築城しました。八幡山城は、今
古墳時代初頭(約1,700年前)の銅鏃が出土 高射砲陣地になった円墳 秋葉山古墳群 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)八坂東1丁目地内,西久保地内 秋葉山公園)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)八坂東(やさかひがし)1丁目の秋葉山古墳群(あきはやまこふんぐん)は、秋葉山公園周辺に分布する円墳3基で構成されています。秋葉山1号墳は、太平洋戦争中に高射砲陣地を設置するため、直径約10mの円墳の墳丘を削平。平成3年(1991年)の発掘調査
188軒の竪穴式住居跡 縄文,弥生,古墳,平安,鎌倉時代の複合遺跡 駿河山遺跡 (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)牛尾)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)牛尾(うしお)の駿河山遺跡(するがやまいせき)は、大規模な縄文・弥生・古墳時代、中世(平安、鎌倉時代)にかけての複合遺跡です。牛尾山(駿河山)と呼ばれる大井川の河岸段丘(標高約110m)に、集落・方形周溝墓群(ほうけいしゅうこうぼぐん)・駿
徳川家康が保護した志戸呂焼(しとろやき)につながる窯 県指定史跡 上志戸呂古窯跡 (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)志戸呂957-17)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)志戸呂(しとろ)の県指定史跡 上志戸呂古窯跡(かみしとろこようあと)は、安土桃山時代から江戸時代初期(16世紀第4四半期~17世紀初頭)にかけて、日常品の陶器や茶器を焼いた窯です。天正16年5月14日(1588年6月7日)、徳川家康が遠州志戸呂に住ん
戦国時代 今川氏親が攻略した平山城 市指定史跡 横岡城跡(志戸呂城跡) (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)横岡字城之壇)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)横岡(よこおか)の市指定史跡 横岡城跡(志戸呂城跡)は、城之壇(しろのだん)と呼ばれる大井川(おおいがわ)の河岸段丘上に立地しています。室町時代後期(戦国時代)の遠州三十六人衆のひとり鶴見因幡守栄寿(つるみ いなばのかみ えいじゅ)の居城で
安土桃山時代 天正の瀬替え 山内一豊の援助で築造?大井川の旧堤防 横岡堤(志戸呂堤,一豊堤) (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)牛尾)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)牛尾(うしお)の横岡堤(志戸呂堤、一豊堤)は、静岡県中部を流れる大井川(おおいがわ)の旧堤防です。安土桃山時代の天正18年(1590年)、駿府藩主 中村一氏(なかむら かずうじ)が大井川の氾濫防止と石高増加のため、「天正の瀬替え」(てんしょうの
平安時代末期から鎌倉時代(12世紀中頃~13世紀後半頃) 山茶碗を焼いた窯跡 すやん沢古窯跡群(釜谷古窯跡群) (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)横岡字大道北 釜谷踏切付近)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)横岡(よこおか)の すやん沢古窯跡群(すやんざわこようせきぐん)は、平安時代末期から鎌倉時代(12世紀中頃~13世紀後半頃)に、素焼きの山茶碗(やまぢゃわん)を焼いた窯跡です。別名は釜谷古窯跡群(かまやこようせきぐん)。横岡地区に分布する複
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静岡県島田市船木(ふなき)の新ノ宮古墳群(しんのみやこふんぐん)は、円墳6基で構成。新ノ宮2~6号墳は、昭和45年(1970年)頃に茶園開墾で消滅しました。唯一墳丘が残る新ノ宮1号墳は、直径21.3m、高さ2.1mの円墳です。墳頂に稲荷社(いなりしゃ)の祠(ほこら)が祀(まつ)られ、
静岡県島田市船木(ふなき)の南原古墳群(みなみはらこふんぐん)は、7基以上の古墳がありました。残存しているのは民家の庭にある円墳1基だけで、南原古墳とよばれています。発掘調査が行われていないため、詳細不明です。直径10m以下の円墳で墳丘が高く、古墳時代後期(6世紀
静岡県島田市阪本(さかもと)の森下古墳群(もりしたこふんぐん)は、東洋最大規模の茶園が広がる牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する円墳3基で構成。文献によって、森下古墳群が谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)に含まれて
静岡県島田市阪本(さかもと)の高根森古墳群(たかねもりこふんぐん)は、古墳11基以上で構成されています。高根森2号墳は、古墳時代後期(6世紀末)に築かれた疑似両袖式(ぎじりょうそでしき)の横穴式石室を有する円墳。大正4年(1915年)3月、装飾大刀(そうしょくたち)・金銅装
静岡県島田市大草(おおくさ)の仲山経塚(なかやまきょうづか)は、丘陵の頂上付近に築かれた経塚です。経塚からは、中世(平安時代後半から戦国時代(11世紀後半頃~16世紀後半頃))の陶質土器(とうしつどき)が出土しています。仲山経塚
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)上朝比奈(かみあさひな)の山ヶ谷古墳(やまがやこふん)は、明治時代の終わり頃 山林の茶園開墾中に三環鈴(さんかんれい)が出土しました。三環鈴はとても珍しい古墳時代中期(5世紀頃)の馬具で、これまでに県内では2例しか出土していません。山
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)門屋(かどや)の石田横穴群(いしだよこあなぐん)は、臨済宗妙心寺派 天寿山 長永寺周辺の丘陵に築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)2基で構成。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝間(かつま)の法士古墳(ほうじこふん)は、丘陵上に築かれた円墳です。昭和37年(1962年)、茶園改植で成長の悪い茶樹の下を深さ30~40㎝掘ったところ、土師器 高坏(たかつき)と直刀(ちょくとう)が見つかりました。直刀は長さ104㎝・柄(つか)
静岡県掛川市細谷(ほそや)の枕田古墳群(まくらだこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる円墳2基で構成されています。掛川球場南側の丘陵に、権田ヶ谷古墳群(ごんだがやこふんぐん)と枕田古墳群が分布。枕田古墳群
静岡県掛川市岡津(おかつ)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、静岡県の重要遺跡とされている謎の円墳です。文献によっては、庚甲塚古墳となっています。庚申塚古墳
静岡県磐田市匂坂新(さぎさかしん)の欠山古墳群(かけやまこふんぐん)は、天竜川左岸(東岸)の磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)・後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)の古墳6基(前方後円墳1基、円墳5基)で構成。欠山1号墳は、
静岡県島田市元島田(阿知ケ谷・御仮屋・松葉町)の白岩寺古墳群(はくがんじこふんぐん)は、白岩寺山(標高約160m)中腹の南側から南西側にかけての斜面に分布。密集した古墳20数基で構成される後期群集墳です。発掘調査が行われた白岩寺1~4号墳は、古墳時代後期(6世紀)に築造
静岡県島田市川根町(旧榛原郡川根町)笹間下(ささましも)の馬場平経塚(ばばだいらきょうづか)は、昭和60年(1985年)の道路建設の際に発見されました。24,520個の扁平(へんぺい)な河原石の経石(きょういし、きょうせき)が出土し、そのうちの10,086個の石に墨書(ぼくしょ)され
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)・手越(てごし)の金山古墳群(かなやまこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀後半)から終末期(7世紀)に築かれた、横穴式石室を有する円墳6基以上で構成。南北に細長い丘陵(金山)の、日蓮宗 照永山 妙音寺の境内と南側に続く尾根に分布し
静岡県焼津市栄町・焼津(塩津・道下・道添)の塩津古墳群(しおつこふんぐん)は、大井川水系が形成した沖積平野(ちゅうせきへいや)の焼津微高地上に分布。焼津東小学校周辺から焼津郵便局周辺にかけて埋没していた、古墳時代後期(6世紀中葉)から終末期(7世紀)の古墳7基(道下
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の岡部宿(おかべしゅく)は、東海道五十三次の21番目の宿場です。岡部宿北側の岩鼻山(西行山)中腹には、平安時代末期から鎌倉時代初期の歌僧として有名な西行(さいぎょう)法師ゆかりの「笠懸けの松・西住墓(かさかけのまつ・
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の榛原公園(はいばらこうえん)は、龍眼山城跡(りゅうげんざんじょうあと)です。龍眼山(標高76m)の山頂付近に築かれた平山城(ひらやまじろ、ひらやまじょう)で、遺構は曲輪(くるわ)・土塁(どるい)・堀切(ほりきり)。戦国時代、
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の松雲寺古墳群(しょううんじこふんぐん)は、曹洞宗 西河山 松雲寺の境内と周辺に築かれた円墳6基で構成されています。少なくとも円墳5基は、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する古墳です。発掘調査では、須恵器、大刀(た
静岡県静岡市清水区(旧清水市)谷津町(やつちょう)の沢入古墳(さわいりこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。所在地不明として記録されている、陣ヶ堂古墳だと考えられています。陣ヶ堂古墳は、鉄刀(てっとう)と土師器 𤭯(はそう)が出
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)下朝比奈(しもあさひな)誰政・南谷の南谷遺跡(みなみやいせき)は、弥生時代中期から古墳時代初頭を中心とする集落遺跡です。発掘調査では、弥生時代から江戸時代までの竪穴系平地式住居跡(たてあなけいへいちしきじゅうきょあと)・掘建柱建
静岡県静岡市清水区(旧清水市)梅ヶ谷(うめがや)の鹿島古墳群(かしまこふんぐん)は、古墳時代後期~終末期(6世紀後半~7世紀)頃の、横穴式石室を有する円墳数基で構成されています。鹿嶋神社が鎮座する小丘陵に分布していますが、何基の古墳があったのか不明です。須恵器が
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の山田ヶ谷南横穴群(やまだがやみなみよこあなぐん)は、丘陵斜面に掘られたA群1基・B群2基の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)3基で構成されています。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の西ノ谷A横穴(にしのやえーよこあな)は、丘陵斜面に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。金山神社近くの南向きの丘陵裾が削られて、横穴墓の奥壁のみが残存。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の十二所居館跡(じゅうにしょきょかんあと)は、浅羽低地(あさばていち)の微高地(河川が運んだ土砂の堆積した自然堤防上)に築かれた中世居館跡です。諸井十二所居館(もろいじゅうにしょきょかん)、心宗院居館跡(しんそういんきょか
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の釜原城跡(かまっぱらじょうあと)は、菊川市(旧小笠郡小笠町)との境界付近の丘陵(標高66m)に築かれた連郭式(れんかくしき)の平山城(ひらやまじょう)です。昭和47年(1972年)に廃寺となった山田ケ谷の曹洞宗 聖道寺(しょうどうじ
静岡県静岡市駿河区有東(うとう)の有東砦(うとうとりで)は、室町時代中期頃(戦国時代)に駿河今川氏の家臣 福島氏が、今川駿府館の支城砦として独立丘陵の有東山(標高35.4m)に築きました。室町時代後期(戦国時代)の天文10年(1541年)、甲斐(山梨県)の守護大名・戦国大名 武
静岡県静岡市葵区大岩本町(おおいわほんちょう)の臨済宗妙心寺派 花屋山 富春院(ふしゅんいん)には、今川義元公慰霊塔(今川義元の墓)があります。境内の地蔵堂は、今川義元ゆかりの伝説がある墨崎延命地蔵尊(高さ約80cm)を祀る駿河一国百地蔵尊 第52番札所です。今川義元公
静岡県藤枝市立花(たちばな)の郡遺跡(こおりいせき)は、弥生時代から平安時代までを中心とする複合遺跡です。律令期(奈良・平安時代)には、駿河国益頭郡(するがのくに ましずぐん)の郡役所 益頭郡衙(ましずぐんが)が置かれていたと考えられています。出土した弥生時代の高
静岡県藤枝市南新屋(みなみあらや)の秋合遺跡(あきあいいせき、あきあわせいせき)は、国指定史跡 志太郡衙跡(しだぐんがあと、御子ヶ谷遺跡(みこがやいせき))に隣接する奈良・平安時代の遺跡です。発掘調査で見つかった井戸跡が、青島北地区交流センター「にこにこ広場」に
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の十石坂観音堂(じっこくざかかんのんどう)には、市指定文化財の河野蓀園碑文(こうの そんえん ひぶん)があります。江戸時代後期の文化8年(1811年)3月、駿府町奉行 服部久右門貞勝(はっとり きゅうえもん さだかつ)が『駿河
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の庵原城(いはらじょう)は、戦国時代に今川氏の重臣 庵原氏が築城したといわれています。別名は城山(しろやま)、庵原山城(いはらやまじょう)。新東名(第二東名)高速道路建設のため、庵原城跡の南側半分で発掘調査が行われまし
静岡県静岡市清水区(旧清水市)尾羽(おばね)の尾羽廃寺跡(おばねはいじあと)は、広義の飛鳥時代(592~710年)のうちの後半に相当する白鳳時代(7世紀後半)に建てられた寺院跡です。金堂跡(こんどうあと)・講堂跡(こうどうあと)・中門跡(ちゅうもんあと)などの遺構が発見され、
静岡県御前崎市(おまえざきし)は、離島を除き県内最南端の岬「御前崎」がある海の街として有名です。地名の由来は、御厩崎(うまやざき)から転化したという説があります。平安時代中期に編纂された古代法典『延喜式』(えんぎしき)には、白羽官牧(しろわのかんまき)が置かれ
静岡県島田市波田(はだ)の立石稲荷(たていしいなり)は、岩陰(いわかげ)に稲荷社(いなりしゃ)が祀られた磐座(いわくら、神が降臨する場所とされる巨岩)です。「波田のお稲荷さん」とも呼ばれ、商売繁盛・大漁祈願・家内安全などに御利益があるとされています。御神体(ごしん
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の祖父ヶ谷経塚(そふがやきょうづか)は、近世(江戸時代)の築造だと推測される経塚です。お経を扁平(へんぺい)な河原石に一文字づつ墨書(ぼくしょ)した、一字一石経(いちじいっせききょう)が出土。天災・飢饉(ききん)・疫病(えき
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江(おおえ)の臨済宗妙心寺派 吸江山 平田寺(きゅうこうざん へいでんじ)は、鎌倉時代の弘安6年(1283年)に龍峯宏雲(りゅうほう こううん)が開きました。平田寺の裏山には、西国三十三番観音霊場札所巡りにならったミニ巡礼コースがあります
静岡県島田市阪本(さかもと)の曹洞宗 京満山 法林寺は、旧幕臣の伊佐新次郎峯(岑)満(いさ しんじろう みねみつ)の墓所です。幕末の安政3年(1856年)、タウゼント・ハリスがアメリカ駐日総領事として来日し、曹洞宗 瑞龍山 玉泉寺(静岡県下田市柿崎)にアメリカ総領事館を開
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の市指定史跡 妙昌寺経塚(みょうしょうじきょうづか)は、曹洞宗 海照山 妙昌寺境内に建立されています。別名は青池経塚。安土桃山時代の天正10年(1582年)、曹洞宗 日照山 円成寺(牧之原市細江)6世 伝室全鏡がこの地へ隠居した
静岡県島田市阿知ケ谷(あちがや)の東山南古墳群(ひがしやまみなみこふんぐん)は、天満天神社北側の山林(標高約90~110m付近)に分布する20基以上(23基?、25基?)の円墳で構成。『静岡県史』には、天神山古墳として記載。未調査ですが、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横
静岡県島田市阪本(さかもと)の谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)は、牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀中頃)から終末期(7世紀)の群集墳です。牧之原台地は東洋最大の茶園が広がるお茶の産地で、谷口原古墳群の20基以上(200基説もあり)あった古墳の