静岡県島田市大草(おおくさ)の仲山経塚(なかやまきょうづか)は、丘陵の頂上付近に築かれた経塚です。経塚からは、中世(平安時代後半から戦国時代(11世紀後半頃~16世紀後半頃))の陶質土器(とうしつどき)が出土しています。仲山経塚
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
古墳時代中期 前方後円墳1基と円墳1基 ネット初公開 大当所古墳群 (静岡県磐田市(旧磐田郡豊岡村)大当所上の山)
静岡県磐田市(旧磐田郡豊岡村)大当所(おおとうしょ)の大当所古墳群(おおとうしょこふんぐん)は、前方後円墳1基と円墳1基で構成されています。古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と推定されますが、発掘調査は行われていません。大当所古墳群
仏像が出土 奈良,平安,室町時代の山岳密教寺院 市指定史跡 岩室廃寺跡 (静岡県磐田市(旧磐田郡豊岡村)岩室)
静岡県磐田市(旧磐田郡豊岡村)岩室(いわむろ)の市指定史跡 岩室廃寺跡(岩室廃寺遺跡)は、獅子ヶ鼻(ししがはな)公園周辺に所在する寺院跡です。奈良時代に小規模の山岳密教寺院が開かれ、平安時代には多くの堂宇が点在する岩室寺となりました。敷地川(しきじがわ)東岸の丘陵
謎の円墳3基 獅子ヶ鼻古墳群(仮) (静岡県磐田市(旧磐田郡豊岡村)岩室199-1 獅子ヶ鼻公園いこいの広場)
静岡県磐田市(旧磐田郡豊岡村)岩室(いわむろ)の獅子ヶ鼻公園(ししがはなこうえん)周辺は、市指定史跡 岩室廃寺跡(岩室廃寺遺跡)です。獅子ヶ鼻公園のアスレチック遊具がある「いこいの広場」には、円墳3基からなる古墳群が分布。正式名称が不明なため、獅子ヶ鼻古墳群(仮)
古墳時代前期(4世紀後半頃) 三角縁神獣鏡が出土した前方後円墳 連福寺古墳 (静岡県磐田市二之宮字大道東1262 臨済宗妙心寺派 龍池山 連福寺)
静岡県磐田市二之宮(にのみや)の連福寺古墳(れんぷくじこふん)は、臨済宗妙心寺派 龍池山 連福寺の本堂付近にあったと考えられる古墳時代前期(4世紀後半頃)の前方後円墳です。全長50m以上・後円部直径約50mの規模で、前方部が西向きと推定されています。昭和5年(1930年)の
戦国時代 武田・徳川軍が戦った大日堂古戦場の円墳 大日堂古墳 (静岡県磐田市三ケ野字幸度ヶ谷)
静岡県磐田市三ケ野(みかの)の大日堂古墳(だいにちどうこふん)は、磐田原台地(いわたはらだいち)東端(標高約38m)の、東海道 三ケ野坂に所在する円墳です。円墳の墳丘には、大日如来(だいにちにょらい)を祀る大日堂が建てられています。三ケ野坂は、鎌倉・江戸・明治・大正
国指定史跡 子銚子塚古墳,銚子塚古墳 前方後円墳1基,前方後方墳1基,方墳1基,円墳9基 銚子塚古墳群 (静岡県磐田市寺谷)
静岡県磐田市寺谷(てらだに)の銚子塚古墳群(ちょうしづかこふんぐん)は、天竜川左岸(東岸)の磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する古墳12基(前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)1基、前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)1基、方墳(ほうふん)1基、円墳(えんふん)9基)
古墳時代前期(4世紀後半頃) 県内4番目の大きさ 全長約107mの前方後円墳 国指定史跡 御厨古墳群 松林山古墳 (静岡県磐田市鎌田)
静岡県磐田市鎌田(かまだ)の松林山古墳(しょうりんざんこふん)は、国指定史跡 御厨古墳群(みくりやこふんぐん)を構成する大型古墳5基のひとつです。古墳時代前期(4世紀後半頃)の築造と考えられる前方後円墳で、全長約107m・前方部の推定幅約48m・前方部高さ約3m・後円部径
古墳時代前期(4世紀後半頃) 壺形埴輪が出土した前方後円墳 国指定史跡 御厨古墳群 稲荷山古墳 (静岡県磐田市新貝字子犬間添)
静岡県磐田市新貝(しんがい)の稲荷山古墳(いなりやまこふん)は、東海道本線北側の曹洞宗 三白山 連城寺(れんじょうじ)の裏山に所在。古墳時代前期(4世紀後半頃)の築造と推定される、前方部がほぼ北向きの前方後円墳です。墳長約46.5m、前方部幅約18m、前方部高さ約3m、後円
古墳時代中期(5世紀中頃) 直径47mの円墳 京見塚古墳 (静岡県磐田市国府台653-1 京見塚公園)
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の京見塚古墳(きょうみづかこふん)は、古墳時代中期(5世紀中頃)の築造と推定される円墳です。規模は墳丘基底径47m、周溝(しゅうこう)底面からの高さ8.7m、周溝の幅9m。墳丘は2段築成で、上段墳丘裾から段築平面にかけて葺石(ふきいし)が見つ
形象埴輪と馬具が出土 古墳時代中期(5世紀末頃) 全長55mの前方後円墳 二子塚古墳 (静岡県磐田市三ケ野台33 二子塚公園)
静岡県磐田市三ケ野(みかの)・三ケ野台(みかのだい)の二子塚古墳群(ふたごつかこふんぐん)は、古墳時代中期(5世紀末頃)の前方後円墳 二子塚古墳(二子塚1号墳)と、古墳時代後期・終末期(6~8世紀)にかけて築かれた小型の古墳の総数37基(38基?)で構成されています。二子塚古
古民具、遺跡・古墳の出土品などを展示 磐田市豊岡農村民俗資料館 (静岡県磐田市(旧磐田郡豊岡村)壱貫地180-7,168-8 豊岡総合センター内)
静岡県磐田市(旧磐田郡豊岡村)壱貫地(いっかんじ)の磐田市豊岡農村民俗資料館(いわたしとよおかのうそんみんぞくしりょうかん)は、豊岡総合センター内の施設です。旧磐田郡豊岡村で使われていた農具・工具などの古民具、遺跡・古墳から見つかった出土品などを展示していま
県指定文化財 形象埴輪が出土 古墳時代中期 県内最大級(全長約110m)の前方後円墳 堂山古墳(堂山1号墳) (静岡県磐田市東貝塚字西原)
静岡県磐田市東貝塚(ひがしかいづか)・西貝塚(にしかいづか)の堂山古墳群(どうやまこふんぐん)は、前方後円墳1基・方墳3基・円墳2基で構成されています。磐田市東貝塚の堂山古墳(堂山1号墳)は、古墳時代中期(5世紀頃)に築かれた前方後円墳です。全長は約110m(101m、103m、1
古墳時代後期・終末期の群集墳 京見塚古墳群 (静岡県磐田市国府台653-1 京見塚公園)
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の京見塚古墳群(きょうみづかこふんぐん)は、古墳時代後期後半(6世紀後半頃)から終末期(7世紀後半頃)に磐田原台地の西縁部へ築造された群集墳(ぐんしゅうふん)です。古墳13基(文献によっては14基)のうち、1基は調査前に消滅していました。京
弥生,古墳時代の集落 新平山遺跡 横穴式石室を有する円墳29基 新平山古墳群 (静岡県磐田市(旧磐田郡豊岡村)下野部字新平山)
静岡県磐田市(旧磐田郡豊岡村)下野部(しものべ)の新平山古墳群(しんべいやまこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する円墳29基(A区11基・B区18基)で構成。昭和62~63年(1987~1988年)、新平山工業団地の建設に伴う発掘調査を実施。古墳の出土遺物は、古
形象埴輪が出土した前方後円墳と円墳 大手内C古墳群(市指定史跡 血松塚古墳) (静岡県磐田市(旧磐田郡豊岡村)上神増)
静岡県磐田市(旧磐田郡豊岡村)上神増(かみかんぞ)の大手内C古墳群(おおてうちしーこふんぐん)は、磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する前方後円墳1基と円墳1基が残存。大手内C2号墳(市指定史跡 血松塚古墳)は、古墳時代中期(5世紀後半頃)の築造と考えられる全長
三角縁神獣鏡が出土 古墳時代終末期(7世紀)の横穴式石室墳 神田1号墳 神田古墳群(神田公園古墳群) (静岡県磐田市(旧磐田郡豊岡村)上野部字神田)
静岡県磐田市(旧磐田郡豊岡村)上野部(かみのべ)の神田古墳群(神田公園古墳群)は、天竜川左岸(東側)の丘陵南側斜面に分布。横穴式石室を有する、古墳3基で構成されています。古墳時代終末期(7世紀)に築造された神田1号墳が残存し、他の古墳は1基消滅・1基半存。 神田古墳群
三角縁神獣鏡が出土 前方後円墳2基(前方後方墳?)・方形台状墓1基 国指定史跡 新豊院山古墳群 (静岡県磐田市向笠竹之内字新豊院山)
静岡県磐田市向笠(むかさ)の国指定史跡 新豊院山古墳群(しんぽういんやまこふんぐん)は、曹洞宗 鷲渓山 新豊院の裏山(新豊院山)に築かれた古墳2基・方形台状墓(ほうけいだいじょうぼ)1基で構成されています。新豊院山2号墳(新豊院山D2号墳、磐田262号墳)は、古墳時代前期(4
古墳時代中期(4~5世紀頃) 直径約36mの円墳 ネット初公開 観音山古墳 (静岡県磐田市天竜464-1 千手観音堂)
静岡県磐田市天竜(てんりゅう)の観音山古墳(かんのんやまこふん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀頃)の築造と考えられる円墳です。現状の規模は、高さ約4m・直径約25m。平成2年(1990年)の調査で南側から周溝(しゅうこう)が検出され、直径約36mだったと推定されます。観音
江戸時代中期 小島藩主 滝脇松平氏が築いた近世城郭 国指定史跡 小島陣屋跡 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)小島本町)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)小島本町(おじまほんちょう)の国指定史跡 小島陣屋跡(おじまじんやあと)は、江戸時代中期の宝永元年(1704年)に小島藩主 滝脇松平氏が築いた陣屋跡です。東西約150m、南北約200mの規模で、比高差は約30m。高さ約2m(大手の一部は高さ約4m)の石垣
古墳時代中期~後期 全長34.5mの前方後円墳 国指定史跡 御厨古墳群 御厨堂山古墳 (静岡県磐田市鎌田川田 兎山公園)
静岡県磐田市鎌田(かまだ)の兎山(うさぎやま)公園にある御厨堂山古墳(みくりどうやまこふん)は、国指定史跡 御厨古墳群(みくりやこふんぐん)を構成する大型古墳5基のひとつです。ほぼ北向きの前方部を有する前方後円墳で、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)~後期(5世
頭椎大刀,円筒埴輪が出土 帆立貝式前方後円墳 市指定史跡 澄水山古墳 (静岡県磐田市中泉168 静岡県立磐田農業高校)
静岡県磐田市中泉(なかいずみ)の市指定史跡 澄水山古墳(ちょうすいざんこふん)は、静岡県立磐田農業高校の敷地内にあります。古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)に築かれた、前方部が短い帆立貝式前方後円墳(ほたてがいしきぜんぽうこうえんふん)です。全長約55m、後円
太平洋戦争中に掘られた防空壕 古墳時代後期 直径約15mの円墳 八王子古墳(八王子5号墳?) (静岡県磐田市鎌田2262 兎山公園の南東)
静岡県磐田市鎌田(かまだ)の八王子古墳(古墳7基からなる八王子古墳群の5号墳?)は、古墳時代後期(6世紀頃)の築造と考えられる円墳です。墳丘の規模は直径約15m、高さ約1.5mで、太平洋戦争中に掘られた防空壕(ぼうくうごう)が残されています。八王子古墳がある兎山(うさぎ
古墳時代中期(5世紀頃)の珠文鏡が出土 磐田原台地の円墳9基 ネット初公開 大道西C古墳群 (静岡県磐田市藤上原字大道西,磐田市(旧豊岡村)平松)
静岡県磐田市藤上原(ふじかんばら)の大道西C古墳群(おおみちにししーこふんぐん)は、天竜川左岸(東岸)の磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する円墳9基で構成。大道西C2~4号墳は、茶園周辺に一部残存しているようです。大道西C5号墳は、直径約20m、高さ約2.5mの
県指定文化財 三角縁四神四獣鏡が出土 古墳時代前期(3~4世紀)の前方後円墳 経塚古墳(連城寺8号墳) (静岡県磐田市新貝字子犬間添)
静岡県磐田市新貝(しんがい)の経塚古墳(きょうづかこふん)は、曹洞宗 三白山 連城寺(れんじょうじ)の南側にあった古墳時代前期(3世紀後半頃から4世紀初め頃)の前方後円墳です。全長約90m・後円部径約54m・南南東向きの前方部を有する前方後円墳でしたが、明治18年(1885年)
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静岡県島田市大草(おおくさ)の仲山経塚(なかやまきょうづか)は、丘陵の頂上付近に築かれた経塚です。経塚からは、中世(平安時代後半から戦国時代(11世紀後半頃~16世紀後半頃))の陶質土器(とうしつどき)が出土しています。仲山経塚
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)上朝比奈(かみあさひな)の山ヶ谷古墳(やまがやこふん)は、明治時代の終わり頃 山林の茶園開墾中に三環鈴(さんかんれい)が出土しました。三環鈴はとても珍しい古墳時代中期(5世紀頃)の馬具で、これまでに県内では2例しか出土していません。山
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)門屋(かどや)の石田横穴群(いしだよこあなぐん)は、臨済宗妙心寺派 天寿山 長永寺周辺の丘陵に築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)2基で構成。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝間(かつま)の法士古墳(ほうじこふん)は、丘陵上に築かれた円墳です。昭和37年(1962年)、茶園改植で成長の悪い茶樹の下を深さ30~40㎝掘ったところ、土師器 高坏(たかつき)と直刀(ちょくとう)が見つかりました。直刀は長さ104㎝・柄(つか)
静岡県掛川市細谷(ほそや)の枕田古墳群(まくらだこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる円墳2基で構成されています。掛川球場南側の丘陵に、権田ヶ谷古墳群(ごんだがやこふんぐん)と枕田古墳群が分布。枕田古墳群
静岡県掛川市岡津(おかつ)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、静岡県の重要遺跡とされている謎の円墳です。文献によっては、庚甲塚古墳となっています。庚申塚古墳
静岡県磐田市匂坂新(さぎさかしん)の欠山古墳群(かけやまこふんぐん)は、天竜川左岸(東岸)の磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)・後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)の古墳6基(前方後円墳1基、円墳5基)で構成。欠山1号墳は、
静岡県島田市元島田(阿知ケ谷・御仮屋・松葉町)の白岩寺古墳群(はくがんじこふんぐん)は、白岩寺山(標高約160m)中腹の南側から南西側にかけての斜面に分布。密集した古墳20数基で構成される後期群集墳です。発掘調査が行われた白岩寺1~4号墳は、古墳時代後期(6世紀)に築造
静岡県島田市川根町(旧榛原郡川根町)笹間下(ささましも)の馬場平経塚(ばばだいらきょうづか)は、昭和60年(1985年)の道路建設の際に発見されました。24,520個の扁平(へんぺい)な河原石の経石(きょういし、きょうせき)が出土し、そのうちの10,086個の石に墨書(ぼくしょ)され
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)・手越(てごし)の金山古墳群(かなやまこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀後半)から終末期(7世紀)に築かれた、横穴式石室を有する円墳6基以上で構成。南北に細長い丘陵(金山)の、日蓮宗 照永山 妙音寺の境内と南側に続く尾根に分布し
静岡県焼津市栄町・焼津(塩津・道下・道添)の塩津古墳群(しおつこふんぐん)は、大井川水系が形成した沖積平野(ちゅうせきへいや)の焼津微高地上に分布。焼津東小学校周辺から焼津郵便局周辺にかけて埋没していた、古墳時代後期(6世紀中葉)から終末期(7世紀)の古墳7基(道下
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の岡部宿(おかべしゅく)は、東海道五十三次の21番目の宿場です。岡部宿北側の岩鼻山(西行山)中腹には、平安時代末期から鎌倉時代初期の歌僧として有名な西行(さいぎょう)法師ゆかりの「笠懸けの松・西住墓(かさかけのまつ・
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の榛原公園(はいばらこうえん)は、龍眼山城跡(りゅうげんざんじょうあと)です。龍眼山(標高76m)の山頂付近に築かれた平山城(ひらやまじろ、ひらやまじょう)で、遺構は曲輪(くるわ)・土塁(どるい)・堀切(ほりきり)。戦国時代、
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の松雲寺古墳群(しょううんじこふんぐん)は、曹洞宗 西河山 松雲寺の境内と周辺に築かれた円墳6基で構成されています。少なくとも円墳5基は、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する古墳です。発掘調査では、須恵器、大刀(た
静岡県静岡市清水区(旧清水市)谷津町(やつちょう)の沢入古墳(さわいりこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。所在地不明として記録されている、陣ヶ堂古墳だと考えられています。陣ヶ堂古墳は、鉄刀(てっとう)と土師器 𤭯(はそう)が出
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)下朝比奈(しもあさひな)誰政・南谷の南谷遺跡(みなみやいせき)は、弥生時代中期から古墳時代初頭を中心とする集落遺跡です。発掘調査では、弥生時代から江戸時代までの竪穴系平地式住居跡(たてあなけいへいちしきじゅうきょあと)・掘建柱建
静岡県掛川市岡津(おかつ)の奥ノ原古墳(おくのはらこふん)は、現在は茶園が広がる段丘上に築かれた円墳です。古墳時代中期・後期(5~6世紀)頃の銅鏡(画文帯同向式神獣鏡)が出土しており、東京国立博物館に所蔵されています。奥ノ原古墳跡
静岡県掛川市下西郷(しもさいごう)の原新田古墳(はらしんでんこふん)は、古墳時代後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)以降の築造と考えられている前方後円墳です。昭和61年(1986年)、市教育委員会が調査を実施。前方後円墳なのに、なぜか知られていません。原新田古墳
静岡県掛川市上西郷(かみさいごう)の屯倉古墳群(みやけこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀)以降の築造と考えられる円墳3基で構成されています。五社神社境内に分布していますが、詳細不明の古墳群です。屯倉古墳群
静岡県掛川市佐夜鹿(さよしか)の「小夜の中山公園」(さよのなかやまこうえん)には、灰になった経典を埋めたと伝えられる5基の経塚(京塚)があります。小夜の中山(佐夜の中山)は、旧東海道 金谷宿(かなやしゅく)と日坂宿(にっさかしゅく)の間にある峠道で、ウォーキングコー
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の十二所居館跡(じゅうにしょきょかんあと)は、浅羽低地(あさばていち)の微高地(河川が運んだ土砂の堆積した自然堤防上)に築かれた中世居館跡です。諸井十二所居館(もろいじゅうにしょきょかん)、心宗院居館跡(しんそういんきょか
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の釜原城跡(かまっぱらじょうあと)は、菊川市(旧小笠郡小笠町)との境界付近の丘陵(標高66m)に築かれた連郭式(れんかくしき)の平山城(ひらやまじょう)です。昭和47年(1972年)に廃寺となった山田ケ谷の曹洞宗 聖道寺(しょうどうじ
静岡県静岡市駿河区有東(うとう)の有東砦(うとうとりで)は、室町時代中期頃(戦国時代)に駿河今川氏の家臣 福島氏が、今川駿府館の支城砦として独立丘陵の有東山(標高35.4m)に築きました。室町時代後期(戦国時代)の天文10年(1541年)、甲斐(山梨県)の守護大名・戦国大名 武
静岡県静岡市葵区大岩本町(おおいわほんちょう)の臨済宗妙心寺派 花屋山 富春院(ふしゅんいん)には、今川義元公慰霊塔(今川義元の墓)があります。境内の地蔵堂は、今川義元ゆかりの伝説がある墨崎延命地蔵尊(高さ約80cm)を祀る駿河一国百地蔵尊 第52番札所です。今川義元公
静岡県藤枝市立花(たちばな)の郡遺跡(こおりいせき)は、弥生時代から平安時代までを中心とする複合遺跡です。律令期(奈良・平安時代)には、駿河国益頭郡(するがのくに ましずぐん)の郡役所 益頭郡衙(ましずぐんが)が置かれていたと考えられています。出土した弥生時代の高
静岡県藤枝市南新屋(みなみあらや)の秋合遺跡(あきあいいせき、あきあわせいせき)は、国指定史跡 志太郡衙跡(しだぐんがあと、御子ヶ谷遺跡(みこがやいせき))に隣接する奈良・平安時代の遺跡です。発掘調査で見つかった井戸跡が、青島北地区交流センター「にこにこ広場」に
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の十石坂観音堂(じっこくざかかんのんどう)には、市指定文化財の河野蓀園碑文(こうの そんえん ひぶん)があります。江戸時代後期の文化8年(1811年)3月、駿府町奉行 服部久右門貞勝(はっとり きゅうえもん さだかつ)が『駿河
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の庵原城(いはらじょう)は、戦国時代に今川氏の重臣 庵原氏が築城したといわれています。別名は城山(しろやま)、庵原山城(いはらやまじょう)。新東名(第二東名)高速道路建設のため、庵原城跡の南側半分で発掘調査が行われまし
静岡県静岡市清水区(旧清水市)尾羽(おばね)の尾羽廃寺跡(おばねはいじあと)は、広義の飛鳥時代(592~710年)のうちの後半に相当する白鳳時代(7世紀後半)に建てられた寺院跡です。金堂跡(こんどうあと)・講堂跡(こうどうあと)・中門跡(ちゅうもんあと)などの遺構が発見され、
静岡県御前崎市(おまえざきし)は、離島を除き県内最南端の岬「御前崎」がある海の街として有名です。地名の由来は、御厩崎(うまやざき)から転化したという説があります。平安時代中期に編纂された古代法典『延喜式』(えんぎしき)には、白羽官牧(しろわのかんまき)が置かれ
静岡県島田市波田(はだ)の立石稲荷(たていしいなり)は、岩陰(いわかげ)に稲荷社(いなりしゃ)が祀られた磐座(いわくら、神が降臨する場所とされる巨岩)です。「波田のお稲荷さん」とも呼ばれ、商売繁盛・大漁祈願・家内安全などに御利益があるとされています。御神体(ごしん
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の祖父ヶ谷経塚(そふがやきょうづか)は、近世(江戸時代)の築造だと推測される経塚です。お経を扁平(へんぺい)な河原石に一文字づつ墨書(ぼくしょ)した、一字一石経(いちじいっせききょう)が出土。天災・飢饉(ききん)・疫病(えき
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江(おおえ)の臨済宗妙心寺派 吸江山 平田寺(きゅうこうざん へいでんじ)は、鎌倉時代の弘安6年(1283年)に龍峯宏雲(りゅうほう こううん)が開きました。平田寺の裏山には、西国三十三番観音霊場札所巡りにならったミニ巡礼コースがあります
静岡県島田市阪本(さかもと)の曹洞宗 京満山 法林寺は、旧幕臣の伊佐新次郎峯(岑)満(いさ しんじろう みねみつ)の墓所です。幕末の安政3年(1856年)、タウゼント・ハリスがアメリカ駐日総領事として来日し、曹洞宗 瑞龍山 玉泉寺(静岡県下田市柿崎)にアメリカ総領事館を開
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の市指定史跡 妙昌寺経塚(みょうしょうじきょうづか)は、曹洞宗 海照山 妙昌寺境内に建立されています。別名は青池経塚。安土桃山時代の天正10年(1582年)、曹洞宗 日照山 円成寺(牧之原市細江)6世 伝室全鏡がこの地へ隠居した
静岡県島田市阿知ケ谷(あちがや)の東山南古墳群(ひがしやまみなみこふんぐん)は、天満天神社北側の山林(標高約90~110m付近)に分布する20基以上(23基?、25基?)の円墳で構成。『静岡県史』には、天神山古墳として記載。未調査ですが、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横
静岡県島田市阪本(さかもと)の谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)は、牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀中頃)から終末期(7世紀)の群集墳です。牧之原台地は東洋最大の茶園が広がるお茶の産地で、谷口原古墳群の20基以上(200基説もあり)あった古墳の
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の伏方古墳(ふせかたこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。 牧之原市の古墳の多くは茶園の開墾で消滅しており、旧榛原町では唯一未発掘の石室だといわれています。 羨道は破壊されているよ
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の県指定文化財 淡山翁記念報徳図書館(たんざんおうきねんほうとくとしょかん)は、明治8年(1875年)設立の遠江国報徳社(明治44年(1924年)に大日本報徳社と改称) 2代目社長の岡田良一郎(淡山)の功績をたたえて、昭和2年(1927年)に建てられました。
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の侭山古墳群(ままやまこふんぐん)は、坂口谷川右岸(西岸)の低段丘上に築かれた、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する円墳3基以上で構成されています。文献によっては、儘山古墳群(ままやまこふんぐん)と表記。唯一墳