静岡県島田市船木(ふなき)の南原古墳群(みなみはらこふんぐん)は、7基以上の古墳がありました。残存しているのは民家の庭にある円墳1基だけで、南原古墳とよばれています。発掘調査が行われていないため、詳細不明です。直径10m以下の円墳で墳丘が高く、古墳時代後期(6世紀
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
古墳時代中期(5世紀前半頃) 直径約52mの円墳 国指定史跡 御厨古墳群 高根山古墳 (静岡県磐田市鎌田2262 兎山公園)
静岡県磐田市鎌田(かまだ)の高根山古墳(たかねやまこふん)は、古墳時代中期(5世紀前半頃)の築造と考えられる県内では3番目に大きい円墳です。直径約52m・高さ約8mの規模で、墳丘は2段築成。壺形埴輪(つぼがたはにわ)、円筒埴輪(えんとうはにわ)が出土しています。高根山古
古墳時代後期,終末期の円墳20基,方墳1基 ネット初公開 事神A・B古墳群 (静岡県磐田市匂坂上字事神,馬坂上,中山)
静岡県磐田市匂坂上(さぎさかかみ)の事神古墳群(ことがみこふんぐん)は、天竜川左岸(東岸)の磐田原台地(いわたはらだいち)に所在しています。西側の事神A古墳群(円墳6基)と東側の事神B古墳群(円墳14基、方墳1基)の、総数21基の古墳で構成。多くの古墳が、土取り工事や茶園
古墳時代中期(4~5世紀) 変形方格規矩鏡が出土? 鎌田神明宮境内の円墳6基 神明古墳群 (静岡県磐田市鎌田字神明山2262)
静岡県磐田市鎌田(かまだ)の神明古墳群(しんめいこふんぐん)は、鎌田神明宮(かまだしんめいぐう)境内の円墳6基で構成。神明古墳群で出土したと伝えられる、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の銅鏡(変形方格規矩鏡(へんけいほうかくきくきょう))があります。神社境内と
磐田原台地西縁辺上に築かれた円墳22基 ネット初公開 馬坂上古墳群 (静岡県磐田市匂坂上)
静岡県磐田市匂坂上(さぎさかかみ)の馬坂上古墳群(うまさかかみこふんぐん)は、磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する22基の小円墳で構成。天竜川左岸(東岸)の磐田原台地には、古墳時代に多数の古墳が築かれました。茶園開墾・道路建設・土採り工事などで古墳が
江戸時代 駿河国小島藩主 松平昌信の墓所 臨済宗妙心寺派 拈華山 龍津寺 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)小島町135)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)小島町(おじまちょう)の臨済宗妙心寺派 拈華山 龍津寺(ねんげさん りょうしんじ)は、室町時代後期(戦国時代)の天文年間(1532~1555年)に宝珠護国禅師(今川義元の軍師 太原崇孚雪斎(たいげんそうふせっさい))の開いた了心庵がはじまりです。江
古墳時代中期(5世紀後半頃) 直径40mの円墳 県指定史跡 米塚古墳群 (静岡県磐田市寺谷)
静岡県磐田市寺谷(てらだに)の米塚古墳群(よねづかこふんぐん)は、磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する円墳12基で構成。現存する古墳9基は県指定史跡です。最大の米塚古墳(米塚1号墳)は、古墳時代中期(5世紀後半頃)の築造と考えられる直径40m、高さ6mの円墳。2
水戸黄門(水戸光圀)の祖母 徳川家康の側室 市指定文化財 お万の方供養塔 日蓮宗 貞松山 蓮永寺 (静岡県静岡市葵区沓谷2-7-1)
静岡県静岡市葵区沓谷(くつのや)の日蓮宗 貞松山 蓮永寺(みまつさん れんえいじ)には、市指定文化財 お万の方供養塔があります。お万の方は徳川家康の側室で、水戸黄門(水戸光圀)の祖母です。市指定文化財 お万の方供養塔
古墳時代中期後半 埴輪を焼いた窯跡 京見塚古墳群 埴輪窯 (静岡県磐田市国府台653-1 京見塚公園)
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の京見塚古墳群(きょうみづかこふんぐん) 埴輪窯(はにわかま)は、古墳時代中期後半(5世紀中頃)に埴輪を焼いた窯跡です。東海地方で初めて見つかった埴輪専用窯で、京見塚古墳北側にある周溝(しゅうこう)の外堤部(がいていぶ)に2基築かれてい
前方後円墳1基,方墳3基,円墳2基で構成 円筒埴輪,朝顔形埴輪,形象埴輪,埴輪棺が出土 堂山古墳群 (静岡県磐田市東貝塚字西原,西貝塚)
静岡県磐田市東貝塚(ひがしかいづか)・西貝塚(にしかいづか)の堂山古墳群(どうやまこふんぐん)は、前方後円墳1基・方墳3基・円墳2基で構成されています。堂山古墳(堂山1号墳)は、古墳時代中期(5世紀)に築かれた県内最大級(全長約110m)の前方後円墳。堂山2号墳は、古墳時代
駿河今川氏3代目当主 今川泰範、今川義元の軍師で徳川家康の師 太原雪斎の墓所 臨済宗妙心寺派 大揚山 長慶寺 (静岡県藤枝市下之郷1225)
静岡県藤枝市下之郷(しものごう)の臨済宗妙心寺派 大揚山 長慶寺(たいようざん ちょうけいじ)には、南北朝時代・室町時代前期の守護大名で駿河今川氏3代目当主 今川泰範(いまがわ やすのり)と、戦国時代の守護大名・戦国大名で11代目当主 今川義元(いまがわ よしもと)の軍
静岡県最大 直径80mの円墳 古墳時代中期(5世紀頃) 兜塚古墳 (静岡県磐田市見付4075-1 かぶと塚公園)
静岡県磐田市見付(みつけ)の兜塚古墳(かぶとづかこふん)は、かぶと塚公園正面駐車場の北側に所在。古墳時代中期(5世紀頃)に築かれた、直径約80m・高さ約8mの静岡県最大の円墳(全国でも4番目くらい?の大きさの円墳)です。墳丘には葺石(ふきいし)があり、中段からは埴輪(は
古墳時代前期(4世紀頃)の在地系首長墓 全長83mの前方後円墳 庚申塚古墳 (静岡県磐田市中泉516 大乗院 三仭坊)
静岡県磐田市中泉(なかいずみ)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、古墳時代前期(4世紀頃)に築かれた前方後円墳です。前方部は東向きで、全長83m、前方部幅25m、前方部の高さ2.3m、後円部径45m、後円部の高さ4mの規模。明治25~35年(1892~1902年)頃、前方部のくびれ部か
静岡市立登呂博物館 開館記念イベント「弥生の豊作に感謝する祭り」弥生時代後期のムラ 国指定特別史跡 登呂遺跡 (静岡県静岡市駿河区登呂5-10-5 登呂公園)
静岡県静岡市駿河区登呂(とろ)の国指定特別史跡 登呂遺跡(とろいせき)は、安倍川(あべかわ)の分流の洪水で堆積した土砂の自然堤防上に営まれた弥生時代後期(1世紀頃、約1,900年前)のムラ(集落)です。周辺は登呂公園として史跡整備され、小さな区画に区切られた弥生時代の水
奈良,平安時代 遠江国分寺の瓦を焼いた窯跡 竜天薬師堂古窯 (静岡県掛川市(旧小笠郡大須賀町)山崎2574 竜田神社周辺)
静岡県掛川市(旧小笠郡大須賀町)山崎(やまざき)の竜天薬師堂古窯(りゅうでんやくしどうこよう)は、奈良・平安時代に遠江国分寺(磐田市見付)で使用する瓦を焼いた窯跡です。当時は入海になっていて、船で遠江国分寺の近くまで瓦を運んでいました。昔から古代瓦(布目瓦)の窯
珍しい須恵器 三足壺が出土 愛宕山横穴群 (静岡県掛川市(旧小笠郡大須賀町)横須賀1491-1 県立横須賀高校グラウンド)
静岡県掛川市(旧小笠郡大須賀町)横須賀(よこすか)の愛宕山横穴群(あたごやまよこあなぐん)は、丘陵斜面へ掘られた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)4基で構成。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半(7世紀前半頃)にかけ
丘陵斜面に築かれた横穴墓 会下ノ腰横穴群 (静岡県掛川市杉谷七ツ板)
静岡県掛川市杉谷(すぎや)の会下ノ腰横穴群(えげのこしよこあなぐん)は、県立掛川工業高等学校南側の丘陵東側斜面に掘られた複数の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)で構成。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半(7世紀
山頂にある2段築成の円墳 宮ヶ谷行人塚古墳 (静岡県掛川市満水畑ヶ中 逆川高区配水池の南西)
静岡県掛川市満水(たまり)の宮ヶ谷行人塚古墳(みやがやぎょうにんづかこふん)は、逆川高区配水池の南西の山頂に築かれた円墳です。規模は直径約15mで、2段築成(にだんちくせい)の墳丘には周溝(しゅうこう)が巡っています。周辺の丘陵尾根には、南郷古墳群など多数の古墳が
江戸時代の地誌 県指定文化財『遠江国風土記伝』を展示 浜松市立内山真龍資料館 (静岡県浜松市天竜区(旧天竜市)大谷568)
静岡県浜松市天竜区(旧天竜市)大谷(おおや)の浜松市立内山真龍(うちやま またつ)資料館は、江戸時代後期の国学者 内山真龍に関する歴史資料や、天竜区に伝わる文化財などを展示している施設です。内山真龍の通称は弥兵衛(やへえ)で、遠江国豊田郡大谷村の庄屋(名主)をつと
縄文,弥生時代 平塚山遺跡 中世,近世 西郷氏館跡 (静岡県掛川市上西郷字構江 平塚古墳の周辺)
静岡県掛川市上西郷(かみさいごう)の平塚山遺跡(ひらつかやまいせき)は、西郷小学校の南西の独立丘陵上に所在する縄文時代後期・弥生時代中期の遺跡です。中世・近世の西郷氏館跡(さいごうしやかたあと)でもあり、古墳時代後期(6世紀後半~末頃)の横穴式石室を有する方墳の
山岡鉄舟が宿泊 東海道日坂宿 旅籠「川坂屋」 (静岡県掛川市日坂149‐1)
静岡県掛川市日坂(にっさか)は、江戸時代に東海道五十三次の25番目の宿場 日坂宿(にっさかしゅく)が整備されました。江戸時代の旅籠(はたご)「川坂屋」(かわざかや)が現存し、一般公開されています。「川坂屋」は寛政年間(1785~1800年)に、問屋役を務めたことがある斎藤次
古墳時代中期(4~5世紀)の円墳3基 ネット初公開 山郷山古墳群 (静岡県掛川市宮脇字山郷山)
静岡県掛川市宮脇(みやわき)の山郷山古墳群(さんごうやまこふんぐん)は、丘陵上に築かれた古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の石室が無い円墳3基で構成されています。掛川バイパス南側に残る丘陵上の山林に、山郷山1・2号墳が残存。山郷山古墳群
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静岡県島田市船木(ふなき)の南原古墳群(みなみはらこふんぐん)は、7基以上の古墳がありました。残存しているのは民家の庭にある円墳1基だけで、南原古墳とよばれています。発掘調査が行われていないため、詳細不明です。直径10m以下の円墳で墳丘が高く、古墳時代後期(6世紀
静岡県島田市阪本(さかもと)の森下古墳群(もりしたこふんぐん)は、東洋最大規模の茶園が広がる牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する円墳3基で構成。文献によって、森下古墳群が谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)に含まれて
静岡県島田市阪本(さかもと)の高根森古墳群(たかねもりこふんぐん)は、古墳11基以上で構成されています。高根森2号墳は、古墳時代後期(6世紀末)に築かれた疑似両袖式(ぎじりょうそでしき)の横穴式石室を有する円墳。大正4年(1915年)3月、装飾大刀(そうしょくたち)・金銅装
静岡県島田市大草(おおくさ)の仲山経塚(なかやまきょうづか)は、丘陵の頂上付近に築かれた経塚です。経塚からは、中世(平安時代後半から戦国時代(11世紀後半頃~16世紀後半頃))の陶質土器(とうしつどき)が出土しています。仲山経塚
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)上朝比奈(かみあさひな)の山ヶ谷古墳(やまがやこふん)は、明治時代の終わり頃 山林の茶園開墾中に三環鈴(さんかんれい)が出土しました。三環鈴はとても珍しい古墳時代中期(5世紀頃)の馬具で、これまでに県内では2例しか出土していません。山
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)門屋(かどや)の石田横穴群(いしだよこあなぐん)は、臨済宗妙心寺派 天寿山 長永寺周辺の丘陵に築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)2基で構成。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝間(かつま)の法士古墳(ほうじこふん)は、丘陵上に築かれた円墳です。昭和37年(1962年)、茶園改植で成長の悪い茶樹の下を深さ30~40㎝掘ったところ、土師器 高坏(たかつき)と直刀(ちょくとう)が見つかりました。直刀は長さ104㎝・柄(つか)
静岡県掛川市細谷(ほそや)の枕田古墳群(まくらだこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる円墳2基で構成されています。掛川球場南側の丘陵に、権田ヶ谷古墳群(ごんだがやこふんぐん)と枕田古墳群が分布。枕田古墳群
静岡県掛川市岡津(おかつ)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、静岡県の重要遺跡とされている謎の円墳です。文献によっては、庚甲塚古墳となっています。庚申塚古墳
静岡県磐田市匂坂新(さぎさかしん)の欠山古墳群(かけやまこふんぐん)は、天竜川左岸(東岸)の磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)・後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)の古墳6基(前方後円墳1基、円墳5基)で構成。欠山1号墳は、
静岡県島田市元島田(阿知ケ谷・御仮屋・松葉町)の白岩寺古墳群(はくがんじこふんぐん)は、白岩寺山(標高約160m)中腹の南側から南西側にかけての斜面に分布。密集した古墳20数基で構成される後期群集墳です。発掘調査が行われた白岩寺1~4号墳は、古墳時代後期(6世紀)に築造
静岡県島田市川根町(旧榛原郡川根町)笹間下(ささましも)の馬場平経塚(ばばだいらきょうづか)は、昭和60年(1985年)の道路建設の際に発見されました。24,520個の扁平(へんぺい)な河原石の経石(きょういし、きょうせき)が出土し、そのうちの10,086個の石に墨書(ぼくしょ)され
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)・手越(てごし)の金山古墳群(かなやまこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀後半)から終末期(7世紀)に築かれた、横穴式石室を有する円墳6基以上で構成。南北に細長い丘陵(金山)の、日蓮宗 照永山 妙音寺の境内と南側に続く尾根に分布し
静岡県焼津市栄町・焼津(塩津・道下・道添)の塩津古墳群(しおつこふんぐん)は、大井川水系が形成した沖積平野(ちゅうせきへいや)の焼津微高地上に分布。焼津東小学校周辺から焼津郵便局周辺にかけて埋没していた、古墳時代後期(6世紀中葉)から終末期(7世紀)の古墳7基(道下
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の岡部宿(おかべしゅく)は、東海道五十三次の21番目の宿場です。岡部宿北側の岩鼻山(西行山)中腹には、平安時代末期から鎌倉時代初期の歌僧として有名な西行(さいぎょう)法師ゆかりの「笠懸けの松・西住墓(かさかけのまつ・
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の榛原公園(はいばらこうえん)は、龍眼山城跡(りゅうげんざんじょうあと)です。龍眼山(標高76m)の山頂付近に築かれた平山城(ひらやまじろ、ひらやまじょう)で、遺構は曲輪(くるわ)・土塁(どるい)・堀切(ほりきり)。戦国時代、
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の松雲寺古墳群(しょううんじこふんぐん)は、曹洞宗 西河山 松雲寺の境内と周辺に築かれた円墳6基で構成されています。少なくとも円墳5基は、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する古墳です。発掘調査では、須恵器、大刀(た
静岡県静岡市清水区(旧清水市)谷津町(やつちょう)の沢入古墳(さわいりこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。所在地不明として記録されている、陣ヶ堂古墳だと考えられています。陣ヶ堂古墳は、鉄刀(てっとう)と土師器 𤭯(はそう)が出
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)下朝比奈(しもあさひな)誰政・南谷の南谷遺跡(みなみやいせき)は、弥生時代中期から古墳時代初頭を中心とする集落遺跡です。発掘調査では、弥生時代から江戸時代までの竪穴系平地式住居跡(たてあなけいへいちしきじゅうきょあと)・掘建柱建
静岡県掛川市岡津(おかつ)の奥ノ原古墳(おくのはらこふん)は、現在は茶園が広がる段丘上に築かれた円墳です。古墳時代中期・後期(5~6世紀)頃の銅鏡(画文帯同向式神獣鏡)が出土しており、東京国立博物館に所蔵されています。奥ノ原古墳跡
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の山田ヶ谷南横穴群(やまだがやみなみよこあなぐん)は、丘陵斜面に掘られたA群1基・B群2基の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)3基で構成されています。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の西ノ谷A横穴(にしのやえーよこあな)は、丘陵斜面に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。金山神社近くの南向きの丘陵裾が削られて、横穴墓の奥壁のみが残存。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の十二所居館跡(じゅうにしょきょかんあと)は、浅羽低地(あさばていち)の微高地(河川が運んだ土砂の堆積した自然堤防上)に築かれた中世居館跡です。諸井十二所居館(もろいじゅうにしょきょかん)、心宗院居館跡(しんそういんきょか
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の釜原城跡(かまっぱらじょうあと)は、菊川市(旧小笠郡小笠町)との境界付近の丘陵(標高66m)に築かれた連郭式(れんかくしき)の平山城(ひらやまじょう)です。昭和47年(1972年)に廃寺となった山田ケ谷の曹洞宗 聖道寺(しょうどうじ
静岡県静岡市駿河区有東(うとう)の有東砦(うとうとりで)は、室町時代中期頃(戦国時代)に駿河今川氏の家臣 福島氏が、今川駿府館の支城砦として独立丘陵の有東山(標高35.4m)に築きました。室町時代後期(戦国時代)の天文10年(1541年)、甲斐(山梨県)の守護大名・戦国大名 武
静岡県静岡市葵区大岩本町(おおいわほんちょう)の臨済宗妙心寺派 花屋山 富春院(ふしゅんいん)には、今川義元公慰霊塔(今川義元の墓)があります。境内の地蔵堂は、今川義元ゆかりの伝説がある墨崎延命地蔵尊(高さ約80cm)を祀る駿河一国百地蔵尊 第52番札所です。今川義元公
静岡県藤枝市立花(たちばな)の郡遺跡(こおりいせき)は、弥生時代から平安時代までを中心とする複合遺跡です。律令期(奈良・平安時代)には、駿河国益頭郡(するがのくに ましずぐん)の郡役所 益頭郡衙(ましずぐんが)が置かれていたと考えられています。出土した弥生時代の高
静岡県藤枝市南新屋(みなみあらや)の秋合遺跡(あきあいいせき、あきあわせいせき)は、国指定史跡 志太郡衙跡(しだぐんがあと、御子ヶ谷遺跡(みこがやいせき))に隣接する奈良・平安時代の遺跡です。発掘調査で見つかった井戸跡が、青島北地区交流センター「にこにこ広場」に
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の十石坂観音堂(じっこくざかかんのんどう)には、市指定文化財の河野蓀園碑文(こうの そんえん ひぶん)があります。江戸時代後期の文化8年(1811年)3月、駿府町奉行 服部久右門貞勝(はっとり きゅうえもん さだかつ)が『駿河
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の庵原城(いはらじょう)は、戦国時代に今川氏の重臣 庵原氏が築城したといわれています。別名は城山(しろやま)、庵原山城(いはらやまじょう)。新東名(第二東名)高速道路建設のため、庵原城跡の南側半分で発掘調査が行われまし
静岡県静岡市清水区(旧清水市)尾羽(おばね)の尾羽廃寺跡(おばねはいじあと)は、広義の飛鳥時代(592~710年)のうちの後半に相当する白鳳時代(7世紀後半)に建てられた寺院跡です。金堂跡(こんどうあと)・講堂跡(こうどうあと)・中門跡(ちゅうもんあと)などの遺構が発見され、
静岡県御前崎市(おまえざきし)は、離島を除き県内最南端の岬「御前崎」がある海の街として有名です。地名の由来は、御厩崎(うまやざき)から転化したという説があります。平安時代中期に編纂された古代法典『延喜式』(えんぎしき)には、白羽官牧(しろわのかんまき)が置かれ
静岡県島田市波田(はだ)の立石稲荷(たていしいなり)は、岩陰(いわかげ)に稲荷社(いなりしゃ)が祀られた磐座(いわくら、神が降臨する場所とされる巨岩)です。「波田のお稲荷さん」とも呼ばれ、商売繁盛・大漁祈願・家内安全などに御利益があるとされています。御神体(ごしん
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の祖父ヶ谷経塚(そふがやきょうづか)は、近世(江戸時代)の築造だと推測される経塚です。お経を扁平(へんぺい)な河原石に一文字づつ墨書(ぼくしょ)した、一字一石経(いちじいっせききょう)が出土。天災・飢饉(ききん)・疫病(えき
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江(おおえ)の臨済宗妙心寺派 吸江山 平田寺(きゅうこうざん へいでんじ)は、鎌倉時代の弘安6年(1283年)に龍峯宏雲(りゅうほう こううん)が開きました。平田寺の裏山には、西国三十三番観音霊場札所巡りにならったミニ巡礼コースがあります
静岡県島田市阪本(さかもと)の曹洞宗 京満山 法林寺は、旧幕臣の伊佐新次郎峯(岑)満(いさ しんじろう みねみつ)の墓所です。幕末の安政3年(1856年)、タウゼント・ハリスがアメリカ駐日総領事として来日し、曹洞宗 瑞龍山 玉泉寺(静岡県下田市柿崎)にアメリカ総領事館を開
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の市指定史跡 妙昌寺経塚(みょうしょうじきょうづか)は、曹洞宗 海照山 妙昌寺境内に建立されています。別名は青池経塚。安土桃山時代の天正10年(1582年)、曹洞宗 日照山 円成寺(牧之原市細江)6世 伝室全鏡がこの地へ隠居した
静岡県島田市阿知ケ谷(あちがや)の東山南古墳群(ひがしやまみなみこふんぐん)は、天満天神社北側の山林(標高約90~110m付近)に分布する20基以上(23基?、25基?)の円墳で構成。『静岡県史』には、天神山古墳として記載。未調査ですが、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横
静岡県島田市阪本(さかもと)の谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)は、牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀中頃)から終末期(7世紀)の群集墳です。牧之原台地は東洋最大の茶園が広がるお茶の産地で、谷口原古墳群の20基以上(200基説もあり)あった古墳の
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の伏方古墳(ふせかたこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。 牧之原市の古墳の多くは茶園の開墾で消滅しており、旧榛原町では唯一未発掘の石室だといわれています。 羨道は破壊されているよ