静岡県島田市船木(ふなき)の新ノ宮古墳群(しんのみやこふんぐん)は、円墳6基で構成。新ノ宮2~6号墳は、昭和45年(1970年)頃に茶園開墾で消滅しました。唯一墳丘が残る新ノ宮1号墳は、直径21.3m、高さ2.1mの円墳です。墳頂に稲荷社(いなりしゃ)の祠(ほこら)が祀(まつ)られ、
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
今川義元を討ち取った服部小平太 最期の地の伝説 姫街道 長坂 (静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)中川)
静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)には、東海道の脇道の姫街道(ひめかいどう)が通っています。姫街道 長坂は、室町時代後期(戦国時代)の永禄3年5月19日(1560年6月12日)に「桶狭間の戦い」(おけはざまのたたかい)で今川義元(いまがわ よしもと)を討ち取った、服部小平
県指定史跡 古墳時代中期(5世紀後半頃)の前方後円墳 陣座ヶ谷古墳群 (静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)中川庚申山)
静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)中川(なかがわ)の陣座ヶ谷古墳群(じんざがやこふんぐん)は、前方後円墳1基と円墳2基で構成されています。県指定史跡 陣座ヶ谷古墳(陣座ヶ谷2号墳)は、古墳時代中期(5世紀後半頃)に築かれた全長55mの前方後円墳です。直径8.4㎝の銅鏡
古墳時代後期(6世紀後半)以降 横穴式石室を有する円墳 市指定史跡 西山古墳(釣古墳群) (静岡県浜松市北区三ヶ日町(旧引佐郡三ケ日町)釣)
静岡県浜松市北区三ヶ日町(旧引佐郡三ケ日町)釣(つり)の西山古墳群(にしやまこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀後半)以降の築造と考えられる複数の円墳で構成されています。別名は釣古墳群(つりこふんぐん)です。戦前には松林の中に数十基(17基?、約20基?)の円墳がありま
土器,石器,埴輪,銅鏡など遺跡,古墳の出土品を展示 磐田市埋蔵文化財センター展示室 (静岡県磐田市見付3678-1)
静岡県磐田市見付(みつけ)の磐田市埋蔵文化財センター 展示室には、旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、中世、近世の時代ごとに出土品が展示され、無料で見学できます。磐田市は県内有数の埋蔵文化財の宝庫で、大型の古墳が集中する地域です。奈良時代(8世紀)には遠江
古墳時代終末期(7世紀前半頃)の金銅装馬具が出土 横穴式石室を有する小円墳4基 蜆塚古墳群 (静岡県浜松市中区蜆塚4丁目22 蜆塚公園)
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡と、浜松市博物館があります。蜆塚遺跡の南側には、横穴式石室を有する小円墳4基(3基?)で構成された蜆塚古墳群(しじみ
古墳時代終末期(7世紀) 横穴式石室を有する円墳 市指定史跡 愛宕平古墳 (静岡県浜松市北区三ヶ日町(旧引佐郡三ケ日町)都筑)
静岡県浜松市北区三ヶ日町(旧引佐郡三ケ日町)都筑(つづき)の市指定史跡 愛宕平古墳(あたごびらこふん)は、古墳時代終末期(7世紀)に築かれた横穴式石室を有する直径10m、高さ2mの円墳です。周辺には多数の古墳が分布していましたが、現存する古墳は1基だけです。南向きに開
古墳時代中期(5世紀前半頃) 市内最大級 直径約44mの円墳 市指定文化財 入野古墳 (静岡県浜松市西区入野町4925-1)
静岡県浜松市西区入野町(いりのちょう)の市指定文化財 入野古墳(いりのこふん)は、古墳時代中期(5世紀前半頃)に築かれた直径約44m、高さ約5.9mの円墳です。三方原台地(みかたはらだいち)の南端に築かれており、市内の円墳としては2番目の規模。埴輪(はにわ)はありませんが
古墳時代終末期(7世紀前葉頃) 横穴式石室を有する円墳 市指定史跡 見徳古墳(見徳3号墳) (静岡県浜松市北区都田町横尾見徳)
静岡県浜松市北区都田町(みやこだちょう)の見徳古墳群(けんとくこふんぐん)は、円墳4基で構成されています。残存している市指定史跡 見徳古墳(見徳3号墳)は、古墳時代終末期(7世紀前葉頃)に築かれた横穴式石室を有する円墳です。都田総合公園 北駐車場近くの墓地にあり、横
市指定文化財 掛川城御殿古図,史跡 横須賀城跡の出土品,古墳の副葬品などを展示 「第18回 出土文化財展」 (静岡県掛川市掛川1148-1 掛川市立中央図書館)
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の掛川市立中央図書館 1階生涯学習ホールで、「第18回 出土文化財展」を開催。令和3~4年(2021~2022年)に実施された、掛川市内の埋蔵文化財発掘調査を紹介する考古学展です。古墳時代中期(5世紀中頃)の吉岡大塚古墳の円筒埴輪(えんとうはにわ)
赤い横穴式石室が珍しい 古墳時代後期(6世紀後半頃) 直径約22mの円墳 市指定文化財 火穴古墳 (静岡県浜松市西区深萩町)
静岡県浜松市西区深萩町(ふかはぎちょう)の市指定文化財 火穴古墳(ひあなこふん)は、古墳時代後期(6世紀後半頃)の築造と考えられる円墳です。規模は直径約22m、元の高さ約4mで、墳丘の外側には周溝(しゅうこう)が巡っています。主体部(埋葬施設)は、赤い石材を積んだ両袖式
徳川家康の相良御殿・田沼意次の相良城の守護神 御館稲荷 (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)波津1000 飯津佐和乃神社)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)波津(はづ)の飯津佐和乃神社(はづさわのじんじゃ)は、創建時期は不詳ですが古墳時代前期(4世紀後半頃)の大王と推定される応神天皇(おうじんてんのう)以前から、小堤山(こづつみやま)の麓に地元住民の祖神として祀られていたとも伝えられてい
静岡県最多7万609枚の埋蔵銭(古銭)出土地 大門遺跡 (静岡県周智郡森町森字西ノ海戸)
静岡県周智郡森町森(しゅうちぐん もりまち もり)の大門遺跡(だいもんいせき)は、静岡県内最多7万609枚の中世備蓄銭(埋蔵銭)が出土しています。昭和60年(1985年)、大門東(森高校の西側)土地区画整理事業で、地元小学生が廃土の中から約50枚の古銭を発見。この時には、正確
銅鐸の谷から出土 弥生時代 七曲がり1・2号銅鐸 七曲り遺跡 (静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)中川滝峯七曲り)
静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)中川(なかがわ)の七曲り遺跡(ななまがりいせき)は、七曲がり1・2号銅鐸(どうたく)の出土地です。昭和41年(1966年)1月、蜜柑園(みかんえん)開墾中の「滝峯の谷」の北向き斜面で、偶然にブルドーザーが七曲がり1号銅鐸を掘り出しまし
弥生時代に作られた 市指定文化財 穴ノ谷銅鐸が出土 穴ノ谷遺跡 (静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)中川東天満平)
静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)中川(ほそえちょう なかがわ)の穴ノ谷遺跡(あなのやいせき)は、穴ノ谷銅鐸(あなのやどうたく)の出土地点です。昭和62年(1987年)7月14日、細江テクノランド造成工事で銅鐸が見つかりました。「滝峯の谷」北側の穴ノ谷の斜面で重機が
銅鐸の谷で出土 弥生時代に作られた不動平銅鐸 不動平遺跡 (静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)中川不動平)
静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)中川(ほそえちょう なかがわ)の不動平遺跡(ふどうひらいせき)は、不動平銅鐸(ふどうひらどうたく)の出土地です。昭和42年(1967年)、二宮神社東側の丘陵の南向き斜面で、蜜柑園(みかんえん)の開墾中に銅鐸が発見されました。静岡県浜
金属探知機で銅鐸発見! 県指定史跡 滝峰才四郎谷遺跡 銅鐸公園 (静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)中川7172-327)
静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)中川(ほそえちょう なかがわ)の県指定史跡 滝峰才四郎谷遺跡(たきみねさいしろうやいせき) 銅鐸公園(どうたくこうえん)は、平成元年(1989年)12月28日にアマチュアの銅鐸研究者 羽間義夫氏が金属探知機を使用して埋もれたままの銅鐸
藤守遺跡の土器・古民具・農具など郷土資料 大井川民俗資料保管庫 (静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)宗高909‐1 大井川図書館に隣接)
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)宗高(むねだか)の大井川民俗資料保管庫(おおいがわみんぞくしりょうほかんこ)は、焼津市立大井川図書館に隣接する施設です。地元で使用されていた古民具・農具、藤守遺跡(ふじもりいせき)から出土した土器、掛け軸、戦争資料(砲弾、銃弾、軍
弥生時代集落の3重の環濠 古墳時代住居 奈良・平安時代の敷智郡衙 伊場遺跡公園 (静岡県浜松市中区東伊場2-22-1)
静岡県浜松市中区東伊場(ひがしいば)の伊場遺跡(いばいせき)は、縄文時代から鎌倉時代にかけて断続的に集落が営まれてきました。昭和24年(1949年)、太平洋戦争末期のアメリカ軍の艦砲射撃によって出来た穴の中で、市立西部中学校の生徒が土器のかけらを拾って学校に届けた
古墳時代中期 八幡神社境内の円墳 ネット初公開 八幡古墳 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)赤土294-1)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)赤土(あかつち)の八幡古墳は、八幡神社(はちまんじんじゃ)境内の丘陵頂部に単独で築かれた円墳です。古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えらています。八幡古墳
三角縁神獣鏡が出土 古墳時代前期後葉(4世紀後半)の前方後円墳 上平川大塚古墳群 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)上平川字大塚)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)上平川(かみひらかわ)の上平川大塚古墳群(かみひらかわおおつかこふんぐん)は、平地(標高8.5mの沖積地)に築かれた前方後円墳2基?で構成。上平川大塚古墳(上平川大塚1号墳、大塚1号墳、大塚古墳、大塚山)は、大正9年(1920年)から翌年にかけて
円筒埴輪と形象埴輪が出土した首長墓 円墳2基・方墳1基 ネット初公開 寺ノ谷古墳群 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)川上・高橋字中磯部)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)川上(かわかみ)・高橋(たかはし)の寺ノ谷古墳群(てらのやこふんぐん)は、丘陵頂部に築かれた円墳2基・方墳1基(円墳3基とする文献もあり)で構成されています。別名は、寺の谷古墳群(てらのやこふんぐん)、寺谷古墳群です。方墳または円墳の寺ノ
東海道袋井宿の郷土資料など展示 袋井市歴史文化館 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅名1028 浅羽支所2・3階)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅名(あさな)の袋井市歴史文化館は、平成23年(2011年)11月13日にオープンしました。袋井市役所浅羽支所2・3階の一画を利用した展示室には、浮世絵や古文書、東海道袋井宿の郷土資料、袋井の発展に貢献した人々の関連資料などを展示(変更になる
赤土新池の西岸にある横穴墓4基 ネット初公開 釜太夫横穴群B群 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)赤土)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)赤土(あかつち)の釜太夫横穴群 B群(かまだいゆうよこあなぐん びーぐん)は、赤土新池の西岸の丘陵斜面に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)4基で構成されています。静岡県内には、約3,000基の横穴墓が分布。菊川市の横穴墓
古墳時代後期(6世紀)以降の横穴墓 ネット初公開 大鹿横穴群A・B群 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川(しもひらかわ)の大鹿横穴群(おおじかよこあなぐん)A・B群は、大鹿池北側にある丘陵の南向き斜面に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。静岡県内には、約3,000基の横穴墓が分布。菊川市の横穴墓は、古墳時代後期
3基の横穴墓 ネット初公開 釜太夫横穴群C群 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)赤土)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)赤土(あかつち)の釜太夫横穴群 C群(かまだいゆうよこあなぐん しーぐん)は、曹洞宗 龍昌山 安興寺裏の丘陵斜面に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)3基で構成されています。静岡県内には、約3,000基の横穴墓が分布。菊川市
丘陵に築かれた円墳5基以上の初期群集墳 ネット初公開 釜太夫古墳群 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)赤土,棚草,猿渡)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)赤土(あかつち)・棚草(たなくさ)・猿渡(さるわたり)の釜太夫古墳群(かまだいゆうこふんぐん)は、曹洞宗 龍昌山 安興寺(あんこうじ)周辺の丘陵尾根に所在する円墳5基以上で構成された初期群集墳です。赤土・棚草地区には、多くの古墳や横穴墓(
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静岡県島田市船木(ふなき)の新ノ宮古墳群(しんのみやこふんぐん)は、円墳6基で構成。新ノ宮2~6号墳は、昭和45年(1970年)頃に茶園開墾で消滅しました。唯一墳丘が残る新ノ宮1号墳は、直径21.3m、高さ2.1mの円墳です。墳頂に稲荷社(いなりしゃ)の祠(ほこら)が祀(まつ)られ、
静岡県島田市船木(ふなき)の南原古墳群(みなみはらこふんぐん)は、7基以上の古墳がありました。残存しているのは民家の庭にある円墳1基だけで、南原古墳とよばれています。発掘調査が行われていないため、詳細不明です。直径10m以下の円墳で墳丘が高く、古墳時代後期(6世紀
静岡県島田市阪本(さかもと)の森下古墳群(もりしたこふんぐん)は、東洋最大規模の茶園が広がる牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する円墳3基で構成。文献によって、森下古墳群が谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)に含まれて
静岡県島田市阪本(さかもと)の高根森古墳群(たかねもりこふんぐん)は、古墳11基以上で構成されています。高根森2号墳は、古墳時代後期(6世紀末)に築かれた疑似両袖式(ぎじりょうそでしき)の横穴式石室を有する円墳。大正4年(1915年)3月、装飾大刀(そうしょくたち)・金銅装
静岡県島田市大草(おおくさ)の仲山経塚(なかやまきょうづか)は、丘陵の頂上付近に築かれた経塚です。経塚からは、中世(平安時代後半から戦国時代(11世紀後半頃~16世紀後半頃))の陶質土器(とうしつどき)が出土しています。仲山経塚
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)上朝比奈(かみあさひな)の山ヶ谷古墳(やまがやこふん)は、明治時代の終わり頃 山林の茶園開墾中に三環鈴(さんかんれい)が出土しました。三環鈴はとても珍しい古墳時代中期(5世紀頃)の馬具で、これまでに県内では2例しか出土していません。山
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)門屋(かどや)の石田横穴群(いしだよこあなぐん)は、臨済宗妙心寺派 天寿山 長永寺周辺の丘陵に築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)2基で構成。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝間(かつま)の法士古墳(ほうじこふん)は、丘陵上に築かれた円墳です。昭和37年(1962年)、茶園改植で成長の悪い茶樹の下を深さ30~40㎝掘ったところ、土師器 高坏(たかつき)と直刀(ちょくとう)が見つかりました。直刀は長さ104㎝・柄(つか)
静岡県掛川市細谷(ほそや)の枕田古墳群(まくらだこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる円墳2基で構成されています。掛川球場南側の丘陵に、権田ヶ谷古墳群(ごんだがやこふんぐん)と枕田古墳群が分布。枕田古墳群
静岡県掛川市岡津(おかつ)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、静岡県の重要遺跡とされている謎の円墳です。文献によっては、庚甲塚古墳となっています。庚申塚古墳
静岡県磐田市匂坂新(さぎさかしん)の欠山古墳群(かけやまこふんぐん)は、天竜川左岸(東岸)の磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)・後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)の古墳6基(前方後円墳1基、円墳5基)で構成。欠山1号墳は、
静岡県島田市元島田(阿知ケ谷・御仮屋・松葉町)の白岩寺古墳群(はくがんじこふんぐん)は、白岩寺山(標高約160m)中腹の南側から南西側にかけての斜面に分布。密集した古墳20数基で構成される後期群集墳です。発掘調査が行われた白岩寺1~4号墳は、古墳時代後期(6世紀)に築造
静岡県島田市川根町(旧榛原郡川根町)笹間下(ささましも)の馬場平経塚(ばばだいらきょうづか)は、昭和60年(1985年)の道路建設の際に発見されました。24,520個の扁平(へんぺい)な河原石の経石(きょういし、きょうせき)が出土し、そのうちの10,086個の石に墨書(ぼくしょ)され
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)・手越(てごし)の金山古墳群(かなやまこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀後半)から終末期(7世紀)に築かれた、横穴式石室を有する円墳6基以上で構成。南北に細長い丘陵(金山)の、日蓮宗 照永山 妙音寺の境内と南側に続く尾根に分布し
静岡県焼津市栄町・焼津(塩津・道下・道添)の塩津古墳群(しおつこふんぐん)は、大井川水系が形成した沖積平野(ちゅうせきへいや)の焼津微高地上に分布。焼津東小学校周辺から焼津郵便局周辺にかけて埋没していた、古墳時代後期(6世紀中葉)から終末期(7世紀)の古墳7基(道下
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の岡部宿(おかべしゅく)は、東海道五十三次の21番目の宿場です。岡部宿北側の岩鼻山(西行山)中腹には、平安時代末期から鎌倉時代初期の歌僧として有名な西行(さいぎょう)法師ゆかりの「笠懸けの松・西住墓(かさかけのまつ・
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の榛原公園(はいばらこうえん)は、龍眼山城跡(りゅうげんざんじょうあと)です。龍眼山(標高76m)の山頂付近に築かれた平山城(ひらやまじろ、ひらやまじょう)で、遺構は曲輪(くるわ)・土塁(どるい)・堀切(ほりきり)。戦国時代、
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の松雲寺古墳群(しょううんじこふんぐん)は、曹洞宗 西河山 松雲寺の境内と周辺に築かれた円墳6基で構成されています。少なくとも円墳5基は、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する古墳です。発掘調査では、須恵器、大刀(た
静岡県静岡市清水区(旧清水市)谷津町(やつちょう)の沢入古墳(さわいりこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。所在地不明として記録されている、陣ヶ堂古墳だと考えられています。陣ヶ堂古墳は、鉄刀(てっとう)と土師器 𤭯(はそう)が出
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)下朝比奈(しもあさひな)誰政・南谷の南谷遺跡(みなみやいせき)は、弥生時代中期から古墳時代初頭を中心とする集落遺跡です。発掘調査では、弥生時代から江戸時代までの竪穴系平地式住居跡(たてあなけいへいちしきじゅうきょあと)・掘建柱建
静岡県静岡市清水区(旧清水市)梅ヶ谷(うめがや)の鹿島古墳群(かしまこふんぐん)は、古墳時代後期~終末期(6世紀後半~7世紀)頃の、横穴式石室を有する円墳数基で構成されています。鹿嶋神社が鎮座する小丘陵に分布していますが、何基の古墳があったのか不明です。須恵器が
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の山田ヶ谷南横穴群(やまだがやみなみよこあなぐん)は、丘陵斜面に掘られたA群1基・B群2基の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)3基で構成されています。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の西ノ谷A横穴(にしのやえーよこあな)は、丘陵斜面に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。金山神社近くの南向きの丘陵裾が削られて、横穴墓の奥壁のみが残存。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の十二所居館跡(じゅうにしょきょかんあと)は、浅羽低地(あさばていち)の微高地(河川が運んだ土砂の堆積した自然堤防上)に築かれた中世居館跡です。諸井十二所居館(もろいじゅうにしょきょかん)、心宗院居館跡(しんそういんきょか
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の釜原城跡(かまっぱらじょうあと)は、菊川市(旧小笠郡小笠町)との境界付近の丘陵(標高66m)に築かれた連郭式(れんかくしき)の平山城(ひらやまじょう)です。昭和47年(1972年)に廃寺となった山田ケ谷の曹洞宗 聖道寺(しょうどうじ
静岡県静岡市駿河区有東(うとう)の有東砦(うとうとりで)は、室町時代中期頃(戦国時代)に駿河今川氏の家臣 福島氏が、今川駿府館の支城砦として独立丘陵の有東山(標高35.4m)に築きました。室町時代後期(戦国時代)の天文10年(1541年)、甲斐(山梨県)の守護大名・戦国大名 武
静岡県静岡市葵区大岩本町(おおいわほんちょう)の臨済宗妙心寺派 花屋山 富春院(ふしゅんいん)には、今川義元公慰霊塔(今川義元の墓)があります。境内の地蔵堂は、今川義元ゆかりの伝説がある墨崎延命地蔵尊(高さ約80cm)を祀る駿河一国百地蔵尊 第52番札所です。今川義元公
静岡県藤枝市立花(たちばな)の郡遺跡(こおりいせき)は、弥生時代から平安時代までを中心とする複合遺跡です。律令期(奈良・平安時代)には、駿河国益頭郡(するがのくに ましずぐん)の郡役所 益頭郡衙(ましずぐんが)が置かれていたと考えられています。出土した弥生時代の高
静岡県藤枝市南新屋(みなみあらや)の秋合遺跡(あきあいいせき、あきあわせいせき)は、国指定史跡 志太郡衙跡(しだぐんがあと、御子ヶ谷遺跡(みこがやいせき))に隣接する奈良・平安時代の遺跡です。発掘調査で見つかった井戸跡が、青島北地区交流センター「にこにこ広場」に
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の十石坂観音堂(じっこくざかかんのんどう)には、市指定文化財の河野蓀園碑文(こうの そんえん ひぶん)があります。江戸時代後期の文化8年(1811年)3月、駿府町奉行 服部久右門貞勝(はっとり きゅうえもん さだかつ)が『駿河
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の庵原城(いはらじょう)は、戦国時代に今川氏の重臣 庵原氏が築城したといわれています。別名は城山(しろやま)、庵原山城(いはらやまじょう)。新東名(第二東名)高速道路建設のため、庵原城跡の南側半分で発掘調査が行われまし
静岡県静岡市清水区(旧清水市)尾羽(おばね)の尾羽廃寺跡(おばねはいじあと)は、広義の飛鳥時代(592~710年)のうちの後半に相当する白鳳時代(7世紀後半)に建てられた寺院跡です。金堂跡(こんどうあと)・講堂跡(こうどうあと)・中門跡(ちゅうもんあと)などの遺構が発見され、
静岡県御前崎市(おまえざきし)は、離島を除き県内最南端の岬「御前崎」がある海の街として有名です。地名の由来は、御厩崎(うまやざき)から転化したという説があります。平安時代中期に編纂された古代法典『延喜式』(えんぎしき)には、白羽官牧(しろわのかんまき)が置かれ
静岡県島田市波田(はだ)の立石稲荷(たていしいなり)は、岩陰(いわかげ)に稲荷社(いなりしゃ)が祀られた磐座(いわくら、神が降臨する場所とされる巨岩)です。「波田のお稲荷さん」とも呼ばれ、商売繁盛・大漁祈願・家内安全などに御利益があるとされています。御神体(ごしん
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の祖父ヶ谷経塚(そふがやきょうづか)は、近世(江戸時代)の築造だと推測される経塚です。お経を扁平(へんぺい)な河原石に一文字づつ墨書(ぼくしょ)した、一字一石経(いちじいっせききょう)が出土。天災・飢饉(ききん)・疫病(えき
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江(おおえ)の臨済宗妙心寺派 吸江山 平田寺(きゅうこうざん へいでんじ)は、鎌倉時代の弘安6年(1283年)に龍峯宏雲(りゅうほう こううん)が開きました。平田寺の裏山には、西国三十三番観音霊場札所巡りにならったミニ巡礼コースがあります
静岡県島田市阪本(さかもと)の曹洞宗 京満山 法林寺は、旧幕臣の伊佐新次郎峯(岑)満(いさ しんじろう みねみつ)の墓所です。幕末の安政3年(1856年)、タウゼント・ハリスがアメリカ駐日総領事として来日し、曹洞宗 瑞龍山 玉泉寺(静岡県下田市柿崎)にアメリカ総領事館を開
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の市指定史跡 妙昌寺経塚(みょうしょうじきょうづか)は、曹洞宗 海照山 妙昌寺境内に建立されています。別名は青池経塚。安土桃山時代の天正10年(1582年)、曹洞宗 日照山 円成寺(牧之原市細江)6世 伝室全鏡がこの地へ隠居した
静岡県島田市阿知ケ谷(あちがや)の東山南古墳群(ひがしやまみなみこふんぐん)は、天満天神社北側の山林(標高約90~110m付近)に分布する20基以上(23基?、25基?)の円墳で構成。『静岡県史』には、天神山古墳として記載。未調査ですが、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横
静岡県島田市阪本(さかもと)の谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)は、牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀中頃)から終末期(7世紀)の群集墳です。牧之原台地は東洋最大の茶園が広がるお茶の産地で、谷口原古墳群の20基以上(200基説もあり)あった古墳の