静かに濡れてるパソコン室の窓からの眺めです。毎日の雨なかなか止みませんね。でも気象は移り変わっていきます、そのうちに移動性高気圧に覆われた爽やかな秋晴れがやってきます。いちばん親しみ合わなければならない今の二国間の関係だって必ず明るく晴れますよねいちばんそれを望んでいるのは穏やかな平和と友好を望んでいる両国の庶民たちですから。秋雨前線の雨しとしと降って
2015年8月に撮った写真です僅か4年前なのにもう遠い日の思い出になってしまいました山道を歩む私です、生き生きと嬉しい姿してましたし栗の毬(イガ)もこんなに大きくなって綺麗てしたクズの花も綺麗でしたしキキョウの花もヤマユリの花の香りも私を明るく迎えてくれました思い出の山の尾根道は輝いていました。けど今の窓の外は一週間前の酷暑が嘘みたいに冷たい雨が降りしきっています。秋雨前線に南からの熱い湿風が吹き込んで北九州や西日本の豪雨がに大きな被害をもたらしたとをテレビで報じています。これはもう異常気象ではなくって恒常の気象状況になったのかもしれませんね。わずか4年前の夏の尾根道は爽やかでしたのに・・・遠い日の尾根道の緑楽しんで
カダバミの花なんですよね小さいけど力強く美しく咲いていましたこの花神社の献灯の下の石組みの小さな隙間に咲いていました
ある場所の献灯の脇に彫られていました。「国威宣揚」とあります。明るく権威ありそうな文字で書かれた勇ましい言辞ですよねこの文字が彫られた時代にはこの文字に高揚感を持ち張り切って活動なさっている方も身近に何人もいらっしゃいました。でもこの時代私のように貧しくて小さな幸せなど追って精一杯生きていた下層の者にとってはこの時代はとても怖い時代でした。特別高等警察(特高)や憲兵などが見張っていて少しでも国策に反するような言動があれば見つかり次第逮捕留置されて厳しい尋問を受ける時代でした。噂さでは特高に捕まれば木銃で殴られて尋問されるなどと言われ怖がられていました。なにしろその頃は投函した「はがき」まで検閲されすこしでもおかしな文言があれば墨で消されて配達されていた時代です。私が横浜の軍需工場から北海道の十勝の援農へと学徒動...消え残るこの文字見つけ心がふるえました
ススキが静かに秋を教えてくれました爽やかに四季のうつろい見せて
このトンボ、子供の頃の仲間うちでは「クルマトンボ」と呼んでいました、なぜ車トンボなのかは分かりません。そしてこの種のトンボをひっくるめて「アカトンボ」とも呼んでいました。懐かしい思い出の歌にありましたね夕焼けこ焼けのアカトンボ負われて見たのはいつの日かこの歌を作詩した方は、子守の女の子に背に負われて見ていた夕焼けの空いっぱいのアカトンボを懐かしく思い出していたんでしょうね。酒と放浪の生涯を生きた俳人山頭火の句に「素っ裸にトンボ止まろうとするか」があります。さらりと詠んだこの句が私は好きなんですよ。この句のトンボはアカトンボですよね今はもう夕焼け空いっぱいに群れ飛ぶ赤トンボの姿はありません。ようやっと1匹2匹のアカトンボを見るだけになりました。「さっと来て足元に止まってくれたアカトンボ」がとっても懐かしく嬉しい私...トンボ来て止まってくれた私の散歩道
二日前の酷暑は嘘みたいに涼しくなりました。稲穂の熟成期の高温は米の品質を落とすと言われています。農家の方はもちろん私まで嬉しくなっています。爽やかな風に揺れてる圃場の稲穂は黄金色
ルビーのように美しく輝く野いちごの実を見つけたのです80数年前7歳か8歳の頃の私は山あい(山間)の小さな集落に住んでいました。山あいの居平らに茅葺きの屋根の家が10数戸寄り添っていました。もちろん子ども向けのお店などありません。親から頂くおやつと言えば「ふくべ」と言われていた小さなひょうたんに未熟の青米と少量の大豆を炒ったものを入れてひもで首から提げて遊んで居ました。それは当然育ち盛りの子どもを満足させるものではありません。子供達は野や川辺や山からおやつを見つけ食べていたんです。春先すか菜の茎に塩をつけて食べるのに始まって、桑の実(くわご)・あけび・やまぶどう・栗・さなずら(小さなやまぶどう)・はしばみ(皮をむいて白い実を割ると油濃い中身がありました)・晩秋の尾根道では山毛欅の落ち葉をかき分けて小さな三角錐の実...幼かった日の思いよみがえって心ウルウル
幼い頃の思いよみがえって私怖いんです幼かった頃この草の穂を「シタキリクサ」と呼んでいました。子どもって世の中のこと何にも知らないからいろんなことをして楽しんで大きくなっていくんですよね。大人が知らないことでも、大人から見ればバカらしくてくだらないことでも、危険なことでも、怖いことでも、いろんなことして楽しんで大きくなっていくんですよね。幼かった私たちの仲間のひとりがこのクサの穂を摘んで舌をこすって鏡を見たら舌から血が滲んで出ていたんです、これは大発見でした。早速仲間の前で実演して見せました。仲間の皆ははその発見に感動し、すぐにそれをまねて実行しました。そしてみんなが血の滲む舌を見せ合い感動し満足しました。クサの穂には小さな実がついていてぎざぎざになっているんです。それで舌をこすれば小さく傷ついて血が滲むのです。...この草の穂が懐かしいんですけど
出穂した稲穂はもう首を垂れています日も短くなって酷暑の夏も和らいで静かな秋が近づいてきました。あと一ヶ月稲穂は熟成して黄金色に輝いて熟年のご夫婦、コンバインを運転なさるご主人と刈り取られた籾を軽トラで運搬なさる奥様お二人での稲刈りが始まります。会津の稲作は今年も豊作らしいです。豊かな稔りへの歩み
会津百万石稲田の稲穂豊かに輝いています
楽しいよ嬉しいよ俺たち私たち酷暑の空に咲いてるヒマワリの花私好きみんなして明るい笑顔で叫んでる
「げんべい」と呼ばれる藁の靴と「ふかぐつ」と呼ばれる藁の長靴です喜多方市の郷土資料館に私の古里只見町から出展されていたのを見たのです。どちらも豪雪地帯の冬の履き物として昭和の中期まで使用されていました。当時の子ども達は小学校の5~6年にもなると「よなべ」(夕食後の仕事)として藁で縄をない、「あしなか」と呼ばれる農作業用の藁草履を作っていました。「よなべのわっぱか」として縄ならなんひろ(ひろは両手いっぱい広げた長さ)「あしなか」なら何足と決められていました。村の子どもは小学校高等科(今の中学2年)を卒業すると若者予備の者として集落の集会場に集まって先輩に教わりながらいろんな藁仕事を憶えるのです。わらじ・げんべい・ふかぐつ・蓑まで、競いあって早くそして美しく出来るように努力するのです。男だけでなく女の人も一緒します...遠い日の思い蘇らせてウルウルしました藁の靴
2014年5月、高寺山登山道の杉林の中で撮りました華やかではありませんけどひっそりと明るく咲いている姿が私は好きなんです。花の形が船の碇に似ているのでイカリソウというんだあそうですね。私がまだ30歳台だった頃私を可愛がってくれてる中年の先輩の男の方がおりました。ある日「さんたろうおまえは山が好きだからイカリソウのあるところを知っているだろう、薬草にしたいんだ採ってきてくれないか」と頼まれましたので休日の山の尾根道の散策の帰り道一束採ってきて渡したら大変に喜ばれました。あとでで分かったんですけどイカリソウは元気の出る薬草として用いられているんだそうですね。私はサプリメントや草根木皮のたぐいは信頼しない方なんです、「碇草」を「怒草」と読み間違えているんじゃなかろうかとおかしくなりました。楚々として咲くイカリソウの花...木漏れ日を受けて秘やかに咲いてるイカリソウ
2014年7月撮影の低地型ニッコウキスゲの小群落です日光キスゲといえば尾瀬湿原や雄国沼湿原などの高地湿原の群落が有名で日光キスゲは高地湿原の花と一般には思われています。それがすぐ近くの古いスキー場跡地の斜面標高270mほどのところの低地に小さいけど群落を作っているんです。不思議なんです。私が初めてこのニッコウキスゲの小群落に気づいたんは2,011年7月でした。その頃の群落の写真です。私は毎年ここを訪れていますがニッコウキスゲの小群落は廻りの茅の繁茂に押されて年々小さくなっていました。私はクルマの免許証を返納して3年過ぎました。その間この場所を訪れていません。今年あたりどうなっているのかちょっと心配なんですよ。思い出の写真を見て懐かしむ[Ⅱ]
晩夏というに酷暑の毎日が続いていて日中の散歩が出来ません。しばらく過去に撮った写真を見て楽しむことにしました。2014年5月に撮った写真を見るとこんな蝶が二つ並んで撮れていましウスバシロチョウとキアゲハチョウです僅か5年前なんですけどこんな蝶が私のような素人でも簡単に撮れていたんですね。今の私の散歩道ではこん蝶を撮ることは私のような素人ではほとんど不可能です。蝶やトンボなどの昆虫が激減しているからなんです。あの頃は稲刈りが終わった頃おばさんたち皆さんがイナゴえを捕って佃煮にして食べていました。私などもおいしいと思ってご馳走食になっていました。でも今のお若い方々などはムシを食べるなんてとぞっとなさるんでしょうね。昔の子ども達は夏の林の中でカブトムシやクワガタムシを捕って楽しんでいました。今はもう補注網を持って昆虫...思い出の写真を見て懐かしむ[Ⅰ]
汗をびっしょりそれでも嬉しい村の散歩道をひたすら歩む意地っ張りの爺いです熱中症が心配で涼しいうちにと午前9時に家を出たのに午前10時にはもううだるような暑さです。ネットで日の出日の入り時刻をしらべて6月春分の日と今を比べてみると8月14日現在で日の出の時刻は春分の日より35分遅くなり、日の入りの時刻は39分早くなっていて日中の時間が1時間14分も短くなっています。それなのに暑さは涼しくなるどころか増すばかりです。老人の口癖、昔はよかった、昔は8月13日お盆の頃になると涼しさを感じるようになったもんです、それがどうしたことなんだろう8月14日のこの暑さ、耐えがたいです。二百十日って?・・もう死語ですよね、昔は立春から数えて210日めの9月初旬が台風の季節だったんですね。それが当今では6月頃から台風がニュースになり...酷暑緑のくさいきれ小川の水はお湯だろか?
かすかに秋を感じる散歩道酷暑に耐える日々ももう少しです。出穂した稲田の遠く村見えて
午前10時というに暑い夏、たれ一人見えない堤の道を流れる汗を拭きながらひたすら歩きました農道脇の用水堀の上に刈り残されたカセンソウの花を見つけました嬉しかったんですよ。数年前まではカセンソウの綺麗な花の群落があちこちありましたけど、今は害虫防除のため雑草は綺麗に刈り取られていまいカセンソウも姿を消していたんです。たまたま用水堀の上に刈り残されていたカセンソウの花が咲いていてくれたんです。ここは重要な稲作の広い農場です。カセンソウの群落が綺麗に刈り取られるのは当然ののことです。でも用水堀の上に刈り残されて可憐に咲いているカセンソウの花を見ると嬉しくなってしまってカメラのセットをいろいろ変えて撮った中の一枚なんですよ。酷暑の空に輝く夏の雲
厳しい酷暑が続くのに夏らしい積乱雲ましてやかなとこ雲などは出ないんです。おかしな気象です。雨がほしいんです、お慈悲の雨が・・お立ちなさってる観音さんの空の雲
デントコーンは昨年あたりから肥育牛農家の方が栽培をを初めました。夏空の下会津の新しい風景なんですよね。デントコーンと言えば私には遠い日の思いでが二つあるんですよ。ひとつにはいつの頃か定かではないんですけど子どもの頃「バハトウモロコシ」というトウモロコシを食べたことがあるんですよ。確か食料不足を補うために栽培されたトウモロコシで大きな実についた粒が馬の歯のような形をしていて食べて見ると固くておいしくないものでした。今考えるとその馬歯トウモロコシはデントコーンっだったように思います。味よりも量が大事な時代の食べ物だったんですね。昭和20年(1965)4月から9月まで18歳の私は援農学徒動員で北海道十勝で農家に宿泊して援農作業をしていました。形は大きくはないんですけど温和で力の強いどさんこの馬2頭にプラオを曳かせて広...デントコーン畑の緑遠くまで
毎日の高気圧に覆われた空のした酷暑の夏が続きます午後の町中の暑さは呼吸もできないほど、アスファルトの黒い路面はやけどしそうな熱さです。これはもう人間の住む環境ではないような気さえします。エアコンのない家で一人暮らしの晩期高齢者の方が熱さに耐えて暮らしていらしゃる話も聞きました。同居の息子さんたち夫婦との折り合いがうまくいかず、意地はって「ここは私の家よ!」と一人エアコンの壊れた部屋で怒っている老いたおばあさんの話なども・・・・ばばちゃん(家内)はデーサービスのお世話になっていますので老いた人達のいろんな哀れな話も耳に入ります。それは若い人達にばかりに問題があるのではなくて、いままで生きてきて老いた人達の生きざまにもなにがしかの瑕疵も・・などとは思うんですけども・・・身につまされることもあるんです。なにがしか政治...酷暑の夏いつまで
流し踊りの夜を楽しみました私たちの町の流し踊りはたくさんの人に見せて楽しむ町企画の一斉の踊りではありません。それぞれの仲間が集まって連をつくり、それぞれの仲間の衣装で、それぞれの仲間の踊りを踊って町を流して自分たちで楽しむ踊りなんです。可愛いお子様を囲んだたった3人のご家族の踊りこれもひとつの仲間の踊り「連」だと思うんです。和やかで明るくて楽しい踊りの連ですよなんのお仲間の連なんでしょうね、おそろいの美しい衣装で綺麗にそろった踊りですこれはなんかの企業のお仲間の連ですね。艶やかなおそろいの衣装の帯がかがやいていますこんなお仲間の連も踊っています。一般参加連とあります。綺麗な女の方の連ですよね元気なスポーツ少年団の連もありました楽しい連もいっぱいありました踊りが楽しくて楽しくて、ああよいしょこれってなんでしょうね...会津坂下町夏祭り
淋漓と流れる汗、酷暑の夏の散歩もまた楽し熱中症が怖い?!・・うん、血圧管理、水分も塩分も十分とってリュックの中にはポカリと携帯が入っています。「俺はね、70年前の20歳頃、父と一緒に暑い夏の山の斜面を見計らって柴や草を刈り払って火野(かの、焼き畑)を焼き蕎麦や粟を栽培して家族を飢餓から救ってきた。鍛えられた体だと心だ、酷暑などサウナに入ったも同然心地よい」といえば。「いつもの自信過剰の爺の話が始まった、バカじゃないの!」とばばちゃんに叱られてしまいました。太陽の花ヒマワリ輝いて
仙人草の花を見ると心嬉しくなる私なんですよ>仙人草というおもしろい名前に心惹かれるからなんでしょうかいいえ夜空に打ち上げられた花火のように見えるからなんでしょうかいいえ無意識のうちに今年もまたこの夏を元気に迎えられた老体の自分を喜んでいるからなんだと思います。仙人草は酷暑の夏に咲く花ですからなんカットもなんカットも嬉しくシャッターを切っている私なんですよ堤の道に仙人草の花が咲いていました
集落が明るく遠く見えてます驚いたことに早生田の稲はもう出穂していました。「お米は八十八日手数をかけて育てるから米」まことしやかな言い伝えです。そして私のような老体は一粒のご飯だって無駄にはしません。子どもの頃から教えられ躾けられてきた生きるための基本のモラルですから。暑い太陽を背にお湯のような水田の中を這いつくばって除草をし、鎌をつかって稲を刈り取り、足踏みの脱穀機で稲束から籾を落とした私達世代の老体には誠に腑に落ちる言い伝えモラルなんですよ。老体どうしこんなことを話しあう顔はほんとに生き生きしているんです。こんなにりっぱにたくましく穂孕んでる稲株を見ると私などもう暑さを忘れてもう嬉しくなってしまうんです。老体のつぶやきお笑いください。穂孕んだ(ほばらんだ)稲穂の緑輝いて
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