地際から伸びた枝に咲いた。頂部にある新芽からの枝はまだ伸びていない。
一つの株から茎は数本出てきて咲いた。 ところが今年は実が出来たのは一つだけ。実が出来掛けるころ熱暑に襲われたせいだろうか。近隣の家のも殆ど実が付いていない。
百日の間紅い。長期間に亘って咲き続ける。
ピンセットなどで摘み取ってみたり、ゴキブリ殺虫用の薬を噴霧してみたりしてして10匹以上は捕獲殺虫した。 その作業の際、葉裏にいて気づかなかったこの棘に触れてしまった。復讐された。痛む。
抜け殻のすぐ下にいるアブラゼミを発見。近寄っても飛び立とうとしない。飛翔のためのエネルギーを充電中のようだった。
梅雨明けの後、戻りつ梅のように天候が不順となった。 湿潤さが戻ったせいなのか柿の木肌が一面苔に覆われた。 これは柿にとって嬉しいことなのか、困ったことなのかちょっと考えてみた。 見た目には苔の緑が美しい。しかし、木肌に何もないのが普通の姿、柿はそれが普通で何ら困らないだろう。苔だって生きていくには養分が要る。ひょっとしたら柿から養分を吸い取っているのかもしれない。 撮影後手の届く範囲を…
茗荷は日陰を好む。上に茂っていた木を刈り取ったところの茗荷は元気がなくなった。
こんなのが顔を出すと、秋が近いと感じてしまう。しかし、まだまだ夏の盛りである。
脚の数が3本しか見えない。どこかに隠しているのか、脚が長くて事故にあって無くなったのだろうか。ハナミズキの葉にいた。
ハナミズキの幹にいた。下向きに止まるののもいたと記憶にある。これは上向き。
秋でもないのに枯れかかっている、下の方には緑の葉がある。これも熱暑にやられた感じである。
これも幾つか出来ている。喉に良いというが、いつも可燃ごみとして出すことになる。いつになっても腐らない。
この木の繁殖力はすごくあちこちから芽を出す。草と一緒に抜いている。
あまり注意を払っていないが、春から咲き続けていると思う。
随分前から咲きだしていたが、なかなかとる機会が無いまま過ごしていた。一念発起して撮影に臨んだが、やはり難しい。 今年はこの程度で手打ちをしました。
この百合もか弱い茎で大きな花をつけるので、茎は孤を描きうつむいてしまう。数本出てきた。
梅雨明け直後、暑い日があった。太陽の熱線で焼けてしまった。その痕跡。
この時期、この花の多くは落ちてしまっている。
マメ科の花はどれも同じような形をしている。当面少しずつだが食卓に乗り始めた。
花が咲くより先に沢山出来る。これが子孫となるのだろう。
結実したのは花の数と比べると大変少ない。
この実が爆ぜて赤い実がこぼれるまでには数か月を要する。
千両の花を探してみたらもう実になっていた。
一茎だけが出てきて咲いた。
弱弱しい茎に大きな花をつけていた。見つけた時花は地面にうつ伏せになっていた。この色の花を見るのは初めてである。 家にある百合はどれも植えた記憶がない。
七夕。 小学校1年生の時、笹に短冊を吊るして祀るのがこの地の習いだった。短冊は棕櫚の葉を割いた紐で笹に括り付けた。短冊には何かを書かなくてはならない。筆など持ったことのない一年生には大変な仕事だった。買った短冊は百枚ほどあったと思う。墨は里芋の葉に溜まった露でで擦れとも言われた。時期は旧暦て行っていたと思う。 一夜明けるとその笹の枝を一枝ごと隣近所に配る仕事もあった。持っていくとマッチの小…
咲いているのは確認していたが、写真を撮ろうという気が中々入らず、花は盛期を過ぎてしまった。
紅葉の写真3点を出品しました。近くへお越しの際お立ち寄り頂けましたら幸いです。 入場無料。7月10日まで。詳しくは下記添付の案内を参照願います。
丸みを帯びた実が多いが、時に変わった形のもできる。
しぶとい草である。ツユクサもそうだが、抜いて地上に転がしておいただけではなかなか枯れない。
連日熱暑の日が続く。酷暑お見舞い申し上げます。 このブログも15年目に入りました。長く付き合っていただいた方々に感謝いたします。 平和な日常が続く中ではこんなブログもそれなりに存在しても良かったかと思います。 しかし、近年国家権力による人権侵害、言論弾圧からはじまり、ついにはロシアによるウクライナ侵略戦争まで起きてしまいました。 当ブログにおいてもS政権の高姿勢を批判した記事を載せたと…
地上高数�pのところに咲いている。花だけ取って撮影した。
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地際から伸びた枝に咲いた。頂部にある新芽からの枝はまだ伸びていない。
花が咲き、数日で実が出来る。
そこそこ咲きだした。
片隅に一花咲いていた。15年以上前に我が家では絶滅したと思っていた。隣近所で目にするので、再来したのだろう。
いっぱいあるトゲに触れると猛烈な痛みに襲われる。 多くの生き物との共生は私のモットーであるが、この子だけは例外である。
カメムシ初見。椿の実の上にいた。
今年、最初に咲いた一本は、クリーム色だった。それに続いて咲きだしたのは全てこの赤色のものばかり。
今年はそこそこ熟すまで実が残った。既にかなりの数が胃の中に入った。
除草に努めているが、咲いたのもある。
あちこちで咲きだした。
栄養不足か、水不足か、背丈が低い。
去年はアブラゼミを見ることがなかった。クマゼミは元気だった。 我が家では40年ほど前には列をなして鳴いている姿を見ることができた。 それからはピタッといなくなってしまって、数年前に一度だけ見たことがあるだけである。 草取りをしていたら、草の中に目玉が見えた。注意深く取り出したが、片方の翅がなかった。 羽化間もない感じである。マユミの根元においたら登りだした。そして落ちてしまった…
あちこち飛び回る。そこそこピントが合ったのはこの一枚だけ。お尻の形から推測すると卵を産み付けているようだ。木は梔子。毎年のように梔子は葉っぱが丸坊主になるほど食い荒らされる。ひょっとしたらオオスカシバの幼虫が犯人なんだろうか。いや犯虫。
今年も沢山実が生った。
カミキリムシの幼虫は樹木の芯に入り込んで成長する。その樹木を丸ごと枯らしてしまう。 あちこち歩き回る。沢山撮らされた。
茎が数本伸びてその頂部に沢山の花をつける。
地上を走りまわっている姿はよく見かげるが、草花などの上も走り回っているようだ。
去年は他の植物の下入ってしまって花の数が少なかったが、今年は旧に復した花数となった。
あちこちから出てきて咲いた。 開花前、蕾が球状になっています。
蜜柑に止まっていた。ここで生まれて育つ。蜜柑はアゲハの生命維持の木である。
野菜畑の中に生えていた。種がいっぱいできていた。撮影後すぐ抜いた。
15時ごろから咲きだす。 増えて来るので抜くと地上部だけちぎれて、根を残し生き続けている。
背後方面からやってきた。関心なさそうに通りすぎて行く。夏毛なのかスケスケで皮膚が見えるようにも見える。貧相な感じを受ける。 しばらく行ったところで一休み。知らんふりはしているが、気は背後に向けている。 梅雨明ける。 高温の日が続くと予報。熱中症に気を付けろとテレビは垂れ流す。 暑い夏こそ外へ出て汗を掻こうと言いたい。 発汗により体内の老廃物を排出してこそ健全な体になるような気がするのである…
4本出てきた。花が大きくて自立できない。花の顔を地面につけているので、切って花瓶に入れたりした。
あちこちから出てきて咲いた。色々な色があったが、今はこの色のみとなった。
地上数センチメートルのところで沢山の葉っぱに守られて咲いている。実生状態ではとても撮影できない。花の部分を抜いて撮影。 青っぽい実が出来る。
花の上を大きな洋種ヤマゴボウが覆ってしまっていた。ヤマゴボウを切ったら花の顔が出た。が、多くはもう萎んでいた。それでもモンシロチョウが食事をしていた。
夕方蕾を見つけた。開花始めたところから何度か撮影した。網状の花びらがすべて開くところを撮りたかった。 しかし、先客がいて出て来る糸状の花びらをあちこち虫食んでいる。ウリハムシだ。更に目を移すとツユクモも潜んでいる。 こんな夜中にそれぞれが知らないところで生活している。
篠田の多くの作品には崩し文字のような線が表現されている。作品を見る度に元来の字を想起するのだが、出て来るのはいつも「女」だった。今回この展覧会の解説を見て「月」であることを知った。むべなるかなである。宇宙を自然世界を表現しようとしていると思われる作家にとって「女」ではあまりに小さすぎる。 かつて見た作品群に比べると小ぶりで装飾性が高いものが多いと感じた。またリトグラフの作品も多数あった。リト…
梅の葉っぱにいた。右側の足が足らないように見える。
もう結実している。熟成を待つ。
ハナズオウの葉っぱに透けたようなのがあって、気になっていた。 葉の裏を覗いて見ると居るは居るは。葉っぱごと退治した。 今年はまだ刺されていないが、木々の葉っぱに近づくときは注意しなくてはならない。用心用心。
処分しきれない。種がこぼれるのだろう。敷石の隙間からも生えて来る。 一日花とも言われて、花は開花して一日で萎む。
実が出来るころには刈り取らなくてはならない。至る所で生えていて見つけ次第抜いているのだが、結構大変です。
七夕。 ハナミズキの幹にいた。
花がない小さな幹にもできる。花を咲かせなくても増殖できると言うことだろうか。
あちこち色々なところにいる。自然界の清掃係とも聞く。人間にとってはありがたい存在と言えそう。
熟して美味しそうである。このまま食べられないのだろうか。
抜いても抜いても出て来る。