地際から伸びた枝に咲いた。頂部にある新芽からの枝はまだ伸びていない。
こんなに赤く色づいた記憶がない。どちらかと言えば黄ばんだり橙色だったりしていた。
夏の初めに咲きだし、まだ咲いている。咲いた花は二三日しか持たない。
今年の渋柿の出来は悪かった。それでも隣近所に配るぐらいはできた。百個ほど皮をむいて吊るした。
様々な色を取り交ぜて変色する。虫食いの穴も風情を感じる。九月にも載せましたがまだまだ落ちてくる。落ち葉掃除の日が続く。
今回も公募部門2点、風景部門2点出品しました。近くへお越しの際お立ち寄り頂けましたら幸いです。10月31日まで。 詳細は下の案内をご参照ください。
緑の葉が多い中所々の葉が一枚一枚と黄葉してゆく。最後にはみんな散る。
以前掲載したのに比べるとやや不気味な感じがする。
飛騨古川散策・天生峠、白川郷展望台、蛭ヶ野分水嶺公園を経由して帰る
飛騨古川に着いた頃雨となる。雨の中歩くのは嫌だなと逡巡しているうちに雨あがる。駐車場から跨線橋を越え円光寺へ。鯉の泳ぐ瀬戸川沿いそして壱之町通とをふらふらと歩いた。人影がないわけではないが、土曜日なのに閉まっている店もある。賑わいが見られない。観光地としては寂しい。景気づけとは思えないが、起こし太鼓を一打、百円奮発してたたいてみた。鈍いが響き渡るような音がした。 天生峠。駐車場の車はまばらだ…
天気は良く晴れて寒波も退いた。気温は低いが、日差しがあるので寒さは感じない。せせらぎ街道では紅葉はほとんど見られなかった。所々によって高山市泊。
定まった開花時期はあったと思うが、結構時なしに咲く。
外柵扉の取っ手のところにいた。しばらくの間、翅を閉じたり開いたりしていた。
白い山茶花が咲きだした。
朝、気温はぐっと下がっていた。天気は晴。ホテルの朝食会場は満席。色々コロナ対策はされているが以前ほどのコロナに対するピリピリとした様子は感じられなかった。 八ヶ岳倶楽部の雑木林を散策。一部に色付いた木もあった。ギャラリーなどはちらっと眺めただけ。ここで昼食を済ませた。結構混んでいた。 隣のまきば公園に立ち寄った。休園日だった。羊たちが草を食べているのを外から眺めただけ。遠くの牧場には牛たち…
富士吉田市御師宿坊「旧外川家住宅」・甲州市「上条集落」を訪ねる
旧外川家住宅 山岳信仰としての富士山遥拝の形は登拝に変わって道者は登頂を目指すようになる。富士吉田市は江戸から甲州街道を経て富士山登山を目指す人達の基地として栄える。そして宿泊の手配や登山の案内を専門とする人たちが登場する。御師である。そして宿坊を営むようになる。 多くあった宿坊は廃ったが一部では民宿として営業を続けているとこもあるという。御師としての案内役は居ないとのこと。 上場集落 …
小泉八雲焼津記念館。八雲は明治30年に初めて焼津を訪れた。その後亡くなる明治35年まで毎年のように夏の間は焼津で過ごしたとのこと。遺品の一部などが展示されている。焼津の海が好きだったとのこと。 焼津神社。日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀る。創建は406年とか。随分古い。七五三の祈祷に多くの人が訪れていた。 花沢伝統的建築群保存地区。着いたら雨が降っていた。山村集落である。傾斜地にあるの…
しっかり稔って殻が開こうとしている。
下から咲き始めて最頂部の花だけとなった。
昨日のは実が出来ているのにもう一本の方は花が咲きだした。
十月中旬に入っても夏が終わらない。暑い日々が続く。 植物は気温より日照を生命の基準にしているのだろうか。柘植の実は色づき始めて熟しかけた。
夏場、葉の多くを蝕まれてもう咲かないものと思っていたところ、二房咲いた。
蕾がまだ多いが開花したのも多くなった。
咲き始めた。
我が家の庭の草の中で一番数が多かったと思う。一生懸命取り除いたがとても追いつけなかった。
武者の姿を絵画と人形で表現した展覧会。 甲冑に身を固めた武者。しかし、手にするものはスマートフォン・アルミケースなど現近代的なもの。そしてその表情たるや戦闘に立ち向かおうとなどみじんも感じられない。年老いて疲れたような、放心したような、悟ったともいえるもの。鎧兜は精細なつくりでまさに本物の様相。顔の髭、まつげなども一本一本が植えらえていて本物と見紛う出来栄えである。どれもこれも楽しく見ること…
少し黄ばんだ。
日当たりがよい所は早く稔る。
女郎蜘蛛は見かけない。体調が数mmの小さな蜘蛛が巣を張っている。
少し色づいた。もっと赤くなるはずだ。花は沢山咲いたが、実が出来たのはこの二粒だけである。
いろいろな図柄、いろいろな形のがいる。
芝生の中にたくさん生えている。夏場に精出して除草に努めたが、花らしきものがいっぱい出てきた。
最初期に結実したのは、皺くちゃになって皮の張りが消えていた。
とげとげの実はもう枯れていた。
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地際から伸びた枝に咲いた。頂部にある新芽からの枝はまだ伸びていない。
花が咲き、数日で実が出来る。
そこそこ咲きだした。
片隅に一花咲いていた。15年以上前に我が家では絶滅したと思っていた。隣近所で目にするので、再来したのだろう。
いっぱいあるトゲに触れると猛烈な痛みに襲われる。 多くの生き物との共生は私のモットーであるが、この子だけは例外である。
カメムシ初見。椿の実の上にいた。
今年、最初に咲いた一本は、クリーム色だった。それに続いて咲きだしたのは全てこの赤色のものばかり。
今年はそこそこ熟すまで実が残った。既にかなりの数が胃の中に入った。
除草に努めているが、咲いたのもある。
あちこちで咲きだした。
栄養不足か、水不足か、背丈が低い。
去年はアブラゼミを見ることがなかった。クマゼミは元気だった。 我が家では40年ほど前には列をなして鳴いている姿を見ることができた。 それからはピタッといなくなってしまって、数年前に一度だけ見たことがあるだけである。 草取りをしていたら、草の中に目玉が見えた。注意深く取り出したが、片方の翅がなかった。 羽化間もない感じである。マユミの根元においたら登りだした。そして落ちてしまった…
あちこち飛び回る。そこそこピントが合ったのはこの一枚だけ。お尻の形から推測すると卵を産み付けているようだ。木は梔子。毎年のように梔子は葉っぱが丸坊主になるほど食い荒らされる。ひょっとしたらオオスカシバの幼虫が犯人なんだろうか。いや犯虫。
今年も沢山実が生った。
カミキリムシの幼虫は樹木の芯に入り込んで成長する。その樹木を丸ごと枯らしてしまう。 あちこち歩き回る。沢山撮らされた。
茎が数本伸びてその頂部に沢山の花をつける。
地上を走りまわっている姿はよく見かげるが、草花などの上も走り回っているようだ。
去年は他の植物の下入ってしまって花の数が少なかったが、今年は旧に復した花数となった。
あちこちから出てきて咲いた。 開花前、蕾が球状になっています。
蜜柑に止まっていた。ここで生まれて育つ。蜜柑はアゲハの生命維持の木である。
野菜畑の中に生えていた。種がいっぱいできていた。撮影後すぐ抜いた。
15時ごろから咲きだす。 増えて来るので抜くと地上部だけちぎれて、根を残し生き続けている。
背後方面からやってきた。関心なさそうに通りすぎて行く。夏毛なのかスケスケで皮膚が見えるようにも見える。貧相な感じを受ける。 しばらく行ったところで一休み。知らんふりはしているが、気は背後に向けている。 梅雨明ける。 高温の日が続くと予報。熱中症に気を付けろとテレビは垂れ流す。 暑い夏こそ外へ出て汗を掻こうと言いたい。 発汗により体内の老廃物を排出してこそ健全な体になるような気がするのである…
4本出てきた。花が大きくて自立できない。花の顔を地面につけているので、切って花瓶に入れたりした。
あちこちから出てきて咲いた。色々な色があったが、今はこの色のみとなった。
地上数センチメートルのところで沢山の葉っぱに守られて咲いている。実生状態ではとても撮影できない。花の部分を抜いて撮影。 青っぽい実が出来る。
花の上を大きな洋種ヤマゴボウが覆ってしまっていた。ヤマゴボウを切ったら花の顔が出た。が、多くはもう萎んでいた。それでもモンシロチョウが食事をしていた。
夕方蕾を見つけた。開花始めたところから何度か撮影した。網状の花びらがすべて開くところを撮りたかった。 しかし、先客がいて出て来る糸状の花びらをあちこち虫食んでいる。ウリハムシだ。更に目を移すとツユクモも潜んでいる。 こんな夜中にそれぞれが知らないところで生活している。
篠田の多くの作品には崩し文字のような線が表現されている。作品を見る度に元来の字を想起するのだが、出て来るのはいつも「女」だった。今回この展覧会の解説を見て「月」であることを知った。むべなるかなである。宇宙を自然世界を表現しようとしていると思われる作家にとって「女」ではあまりに小さすぎる。 かつて見た作品群に比べると小ぶりで装飾性が高いものが多いと感じた。またリトグラフの作品も多数あった。リト…
梅の葉っぱにいた。右側の足が足らないように見える。
もう結実している。熟成を待つ。
ハナズオウの葉っぱに透けたようなのがあって、気になっていた。 葉の裏を覗いて見ると居るは居るは。葉っぱごと退治した。 今年はまだ刺されていないが、木々の葉っぱに近づくときは注意しなくてはならない。用心用心。
処分しきれない。種がこぼれるのだろう。敷石の隙間からも生えて来る。 一日花とも言われて、花は開花して一日で萎む。
実が出来るころには刈り取らなくてはならない。至る所で生えていて見つけ次第抜いているのだが、結構大変です。
七夕。 ハナミズキの幹にいた。
花がない小さな幹にもできる。花を咲かせなくても増殖できると言うことだろうか。
あちこち色々なところにいる。自然界の清掃係とも聞く。人間にとってはありがたい存在と言えそう。
熟して美味しそうである。このまま食べられないのだろうか。
抜いても抜いても出て来る。